展覧会遠征 高野山編
さて2月も終わりであるが、その前に一つやっておかないといけないことがある。現在JR西日本では関西1デイパスという割引切符が発売されているが、これの発売が2月一杯なのである。この切符は関西一円のJRが乗り放題の切符に、京阪の1日乗車券、または南海の高野山切符がついて2900円という値打ちものである。以前に京阪の方は利用しているので、今度は是非とも南海の方を利用しておきたかった次第。
というわけで、急遽高野山へ出陣である。まずは切符を入手すると(この切符は当日発売があるので楽である)、新快速で大阪まで移動、環状線で新今宮に出る。この辺りまでは完全にホームグランドである。
新今宮の東口に向かうと、そこがそのまま南海との乗り換え改札でもある。南海の窓口で引換券を渡して高野山パスを受け取る。このパスは高野山駅までの往復切符に、高野山内を運行するりんかんバスのフリー乗車券、さらに各施設の入場割引券までついた優れものである。
特急高野をやり過ごす
新今宮駅では特急こうやをやり過ごして次の急行に乗る。特急で行くと着くのは早いのであるが、どうせ高野山に行くのなら、ついでに観光列車である天空に乗ってやろうと既に切符を予約してある。次の急行が橋本でこの天空に接続することになっている。
本当に何の変哲もない列車
急行車両は何の面白味もないロングシート車。沿線は堺ぐらいまでは市街が続くが、そこから先は突然にのどかな風景が展開する事がある。以前に乗り降りした中百舌鳥を素通りすると列車はさらに先に進む。この辺りからいよいよ本格的に沿線の人口密度が減少し始める。途中の河内長野を過ぎると急行は各駅停車に入るが、もうこの辺りはかなり本格的に山の中になってくる。山際の新興住宅地のようなところを抜けると橋本に到着する。
天空の指定券売り場はホームにある
この橋本はJRの駅と一体になっており、以前にJR和歌山線を視察したときに通った記憶がある。とりあえず予約していた天空の指定券をホームの券売所で受け取ると、天空の発車時間までしばし時間つぶし。暇なのと空腹なのとでJR側にある売店まで出向いていなり寿司を購入。これが今日の遅めの朝食である。
JRホーム側から見た橋本駅
30分ほど待ってようやく天空がやってきた。天空は改造車両で中は木を張った落ち着いたデザインとなっている。最大の特徴はほとんどの座席が一方向を向いていることで、これはみすず潮彩やせとうちマリンビューと同じパターンである。また風景を直に見るための展望デッキも備えてある。この列車も投入時には大人気で座席がとれない状態だったというが、現在は高野山はシーズンオフなのか、乗車率は3割も行っていないというところ。おかげで前列でゆったりと座れる。ただこの列車の難点は、展望を最優先にしているため、視界を遮る元になりやすいシートの背もたれが低く、おかげでシートの快適性は少々損なわれている。
左 天空外観 中央 天空1号車内部 右 運転席 左 天空2号車内部 中央 展望デッキ 右 2号車展望デッキ奥の個室 橋本駅を出て紀ノ川を渡るといよいよ本格的に山岳列車となる。勾配はかなりキツイので速度もあまりでない。ここからは単線路線であるので、途中の駅では行き違いの列車が停止していたりする。こんなとんでもない路線の割には運行本数は結構多いようである。合格のお守りなどになっている学文路を過ぎるとさらに勾配はきつくなり、路線も激しく左右にくねり出す。車内ではビデオを回す者、窓にへばりつく者など様々。私は展望デッキの方に出て、そこから写真を撮ることにする。ここは窓ガラスがないので反射に煩わされないメリットがある。とは言うものの、今日は雨こそ降っていないが生憎と天候があまり良くないので少々寒い。
左 紀ノ川を越える 中央 車内風景 右 九度山駅には真田十勇士が飾ってある 列車は曲がりくねる軌道を進みながら、ドンドンと標高を上げていく それにしてもかなり険しい山である。中世において高野山は下界の権力から隔絶した別天地であったと言うが、確かにこの堅固さでは外から入り込むのは困難である。往々にして昔の寺院はそれ自体が城郭や要塞である場合が多いが、高野山はその存在自体が要塞と言えよう。
極楽橋に到着するとここからはケーブルカーで移動 とんでもない山間をかなり登って極楽橋まで到着。電車はここまでで、ここからは残りの標高をケーブルカーで一気に登ることになる。南海高野線ではこのケーブルカーまで含めて高野線と位置づけており、ケーブルカーでたどり着くのが終点の高野山駅である。ケーブルカーの乗り場までは駅内で接続しているが、このケーブルカーが結構大きい上にかなり傾斜がきつい。実際に動き始めるとケーブルカーと言うよりもエレベーターではないかと思うぐらいの傾斜。よくケーブルカーの路線脇を歩いて登れそうなところが多いが、ここに関してはそんなことはとんでもないという雰囲気である。
霧の中の高野山駅に到着 数分で到着した高野山駅は霧の中だった。やはり今日は天候が良くないので山頂はかなり煙っているようである。ここからはりんかんバスで進むことになる。高野山の中心部まではバス専用道路を走行するのであるが、これがかなり曲がりくねったすごい道。とことん下界とは隔絶された世界である。
バス専用道を進む
高野山の中心に当たる千手院橋で下車すると、とりあえずは金剛峯寺の方に先に向かうことにする。高野山は国際的な観光地にもなっていると言うが、天候がイマイチなこととシーズンオフなのか昼前だというのに人影はまばらである。まあ観光客が団体でウロウロしているのよりは風情はあるが。高野山はまさにお寺のショッピングモールのようなところである。周りを見渡してもお寺と土産物屋ばかりである。その中を金剛峯寺に向かう。
千手院橋周辺
金剛峯寺は巨大な伽藍である。これの参拝を手早く済ませると、次は金堂や根本大塔の方を目指す。共にかなり巨大な建造物。ちなみに高野山切符はここの入場も割引になる(なんか妙に商業的である)。ちなみに入場の際には清めの香を使用するようである。
金剛峰寺
左 大伽藍を目指す 中央 奥に見えている巨大な建物が根本大塔 右 東塔 左 手前が三昧堂 奥が大会堂 中央 根本大塔 右 金堂 ここらで大体一回りすると、次はプラプラと宝物殿の方に。こちらは寺宝の類を展示。仏像や仏画などであるが、こちらは普通の博物館として見学できる。仏像になかなかに面白いものがあり。
宝物殿
以上を一回りしたところで時計を確認するとまだ1時間も経っていない。どうも信心のかけらもない私は、お寺でもザッと回るので見学にあまり時間を要しないようである。まだまだ時間に余裕があるので、奥の院の方を見学することにする。奥の院は真言密教の信仰の中心のようなところで、その奥では未だに弘法大師が生きていることになっている。
なお正直なところを言うと私は真言密教はいささか苦手である。と言うのは古代仏教の中でもあまりにカルト色が強いと感じられるからである。まず超能力の類のオカルト信仰がかなり強いし(だから密教は陰陽道と並んで創作の世界によく登場するのであるが)、始祖である空海に対する個人崇拝が強すぎるような気がする。さすがに生き神様が現存している新興宗教と違って1000年の歳月によって浄化されたところがあるので、おかげで私でも何とか入り込むことが出来るが(リアルタイムで新興宗教に支配されている都市など、禍々しいオーラを感じて私は立ち入る気がしない)、それでもいささか鼻につくところがあったりするのは、ここはまだ宗教都市として生きているからだろうと思われる。そう言う意味では弘法大師は未だに生存しているのか。
最初はバスで移動するつもりだったが、バスがなかなか来ないので結局は奥の院まで歩いていくことになってしまった。土産物屋とお寺が延々と続く中をテクテクと歩く。疲れたので途中の茶店「元祖上きしや」で「お茶付きやきもち(210円)」を頂いて休憩。餅の甘さが心地よい。
やがて奥の院の入口に到着。ここからは木々の茂る鬱蒼とした墓地のエリアであるが、伊達家に武田家、島津家、さらには徳川家や織田家の墓所があると思えば、石田三成や明智光秀の墓所もあったりで、敵味方入り乱れての大名の墓がオンパレードである。その中に市川団十郎の墓所まであったりと賑やかしいこと。
左 伊達家墓所 中央 武田家墓所 右 島津家墓所 左 石田三成墓所 中央 明智光秀墓所 右 市川団十郎墓所 この墓地の中を延々と歩き続けた果てに奥の院に到着する。ここからは聖域と言うことで撮影禁止。ここの廟の奥に今でも弘法大師は健在でいらっしゃるということになっている。
奥の院の見学を済ませると、今度は駐車場の方向に向けて別のルートで帰る。こちらは企業の関係の墓が多いのだが、これがまた個性豊か。コーヒーカップのUCCとか(ポートピアでのUCC館を思い出した)、やけにプロレタリアートしている日産自動車、これは何の説明も不用な福助にいきなりロケットが立っている新明和工業など、各企業のカラーが出てはいるのだが、果たしてこれで良いんだろうか?
コーヒーカップのUCCに、やけにプロレタリアートな日産自動車、福助は説明不要、ロケットの新明和工業 駐車場のところに出てきたら、高野山駅方面行きのバスが待っているのですぐに乗車して千手院橋まで引き返す。よくよく考えるとまだ昼食を食べていない。そこで昼食にしようと思うがこれという店がない。いかにも観光地レストランのようなところばかりで、メニューを見ると「トンカツ定食」とか「カツカレー」などと書いてある。いくら何でも高野山でそれはないだろうと思いながらあちこちウロウロしていると、精進料理系を扱っているらしき「さんぼう」という店を見つけたのでそこに入る。
注文したのは「精進花篭弁当(2100円)」。精進料理らしく高野山名物のごま豆腐に生麩、野菜の天ぷら、蒟蒻の刺身などの小鉢に麦大豆ご飯を添えてある。いかにも低脂肪のヘルシーメニューである。ボリュームが不足している分は揚げ物系で補うような発想。肉が含まれていないということを意外と感じさせない構成になっていて普通にうまい。
これを食べて空気の良い高地で歩き回っていたら健康にもなるというものである。ましてや平安時代の僧兵などは実質的には生臭坊主だったから、これだけでなく肉類もしっかり食べていたはずである。となるとそりゃ最強だ。都の貴族ごときが山法師にはかなわなかったはずである。結局彼らは更なる野蛮人たる織田信長が登場するまでは、この地域をそのまま支配していたわけである。
昼食を終えて土産物を買い求めると、予定よりも若干早いが高野山駅に引き返すことにした。やはり信心皆無の私には、この地域はいささか退屈に過ぎるようである。高野山駅に到着すると、快速急行が間もなく発車するとのことなのでそれで戻ることにした。
帰りの行程は列車はブレーキをかけっぱなし。モーターを回さなくてもブレーキを緩めるだけで勝手に下まで降りていきそうである。ボーっとしているうちに橋本駅に到着。JR線の方をふと見るとやけに雅な列車が停車している。どうやら奈良遷都1300年のイベントに合わせたペイント列車の模様。全くあらゆる手でも盛り上げようと必死である。
左・中央 やけに雅なJR車両 右 大伴家持 左 額田王 中央 柿本人麻呂 右 藤原鎌足 結局はそのまま半ばうつらうつらとしつつ家路へとつくことになったのである。とにかくやたらに歩いたが(17000歩)、今一つ主旨が不明の遠征になってしまったのであった。
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