展覧会遠征 京阪編

 

 さて今週は京都遠征を計画した。今回登場するのは冬の関西1デイパスである。以前に私がよく使用していた関西おでかけパスが廃止されて久しいが、その代わりに季節に応じてこの手の切符が発売されることになった。今回の1デイパスは、2900円で西は上郡から北は敦賀、南は和歌山に至る区間のJRが乗り放題の上に、京阪の全線フリーパスか、南海高野線の往復切符がついてくるという値打ちもののチケットである。関西お出かけパスよりも価格は上がっているが、その分エリアが広がり、何よりも「当日購入可能」ということで利便性があがっている(関西お出かけパスが不評だった最大の理由の一つは、なぜか三日前までに購入という意味不明の規制があったからである)。今回はこの切符を有効活用すると共に、ついでであるから京阪沿線の視察も実施しようという計画である。

 

 当日はチケットを購入するとまずは新快速で京都まで、やはり京都に移動となると新快速の速度がメリットとなる。京都に到着すると奈良線で東福寺まで一駅移動。隣接している京阪の駅で引換券を渡して一日乗車券を受け取ると、ここから七条まで移動。早速本遠征の主目的からである。

  


「THE ハプスブルグ」京都国立博物館で3/14まで

 ハプスブルグ家とは言わずとしれたヨーロッパの名家で、その血の結束によってヨーロッパ王家を固めて君臨した一族である。ウィーン美術史美術館とブダペスト国立西洋美術館が所蔵するこのハプスブルク家ゆかりの品々を主に絵画を中心として展示したのが本展である。

 展示の構成はイタリア絵画・スペイン絵画・ドイツ絵画・フランドルオランダ絵画というように地域別に分類されているのだが、これが図らずしも各地域の特徴を現していることになっている。やはり洗練の度が一番高いイタリア絵画、またそれに次ぐ洗練度を見せつつ独自展開を始めているスペイン絵画に対し、ドイツ絵画はやはり洗練の度においてはこれらよりも一段の遅れが見えるし、フランドルオランダ絵画に関してはもう既にこの頃から、後の七面倒くささを連想させる志向が見られている。

 とにかく登場する画家を並べただけで、ジョルジョーネにティツィアーノ、エル・グレコにベラスケス、さらにはルーベンスにレンブラントと蒼々たる面々。それだけでも圧倒される内容がある。なお個人的にはやはりスペインのムリーリョが白眉。特に大天使ミカエルを描いた絵などは、堕天使を奈落に突き落とすという壮絶な場面にも関わらず、いかにも彼らしい柔らかくて温かみのあるタッチが実に魅力的な絵画に仕上げている。

 


 実に見応えのある展覧会であったが、正直なところ展覧会名でかなり損をしているのではないかと言う気もしないではない。やはり「THE ハプスブルグ」では何が展示されているのかさっぱりイメージが湧かない。実は私も来訪まではハプスブルグ家ゆかりの豪華な食器やドレスや調度の類でも展示されているのだろうかというイメージを持っていたので、絵画中心の展示に非常に意外という印象を受けた。最近は本なども内容よりもタイトルなどでよく売れるが(「馬鹿の壁」と「女性の品格」が最たるもの)、展覧会も同じ傾向はあるので少し考えた方が良いような。ちなみにこのジャンルでの日本でのキラータイトルは「ルーヴル美術館」「印象派」辺りである。後はモネやゴッホなど人気のある画家の名前をタイトルに冠するかというところ。ちなみに私は本展よりもはるかに内容的に寂しい「ルーヴル美術館○○」という展覧会を数限りなく体験しているが、それらの展覧会は内容の割には客の入りは良かったようである。

 

 博物館の見学を終えた後は、とりあえず「七條甘春堂」で京都みやげとして「お茶々餅(735円)」を購入。それから昼食を摂ることにする。

やはり京は和菓子の名品が多い。これもなかなかに美味であった。

  今回昼食のために立ち寄ったのは「京旭屋」。注文したのは「にしんそば鯖寿司付(1680円)」である。

  

 十割そばとのことでそばの風味は申し分ない。また鯖寿司の方も酢の利き具合などは私好みで問題ない。ただ一番の問題はやはりCPか。実用本位の大阪飯と違って、京都飯について言えるのはCPの悪さである。パフォーマンスの方については申し分ない店が多いのだが、どうしてもコストの方がやや割高になる傾向がある。大体の感覚として、私が妥当と思えるコストの5割増ぐらいになる印象があり、この店もまさにそんな感じである。なお、さらに悲惨なのは東京飯で、コスト面では妥当な価格の5〜10割増で、パフォーマンスの方は期待値の3〜8割掛けというのが大体の相場である。

 

 昼食を終えると後は京阪での移動となる。とりあえずこれからは京阪沿線に沿った視察を実施する予定。まずは最初の目的地は淀。ここにある淀城跡を見学しようという考え。そもそもこの地域は桂川と宇治川が流れる物資の集積点であり、昔からそれを睨んだ城郭が建築されていた。豊臣時代にもこの地域に城郭があり、秀吉の側室であった淀君は、そもそもこの城に居住していたことからそう呼ばれているとのこと。この淀城は一度廃城になるが、やはり徳川時代になってもこの地の重要性は変わらず、大阪を睨む城としてかつての淀城の南部に新たな淀城が建設されたとのことで、これが今日まで残っている淀城跡である。

  高架のホームの脇には京都競馬場

 中書島で準急に乗り換えると次が淀駅である。なお淀駅は駅前再開発による高架化工事中であり、現在は下りホームだけが高架化されて移動したため、下りホームと上りホームの間に300メートルほどの距離が開いている。また新たに建設された高架ホームは、京都競馬場と接続されている。

 こちらは上りのホーム

 なおこの工事については駅前再開発という意味だけでなく、京都競馬場との関係が非常に大きいという。というのは、やはり競馬場に通うような輩は「あれ」な者が多いらしく、周辺で競馬に負けた腹いせによる嫌がらせや窃盗などの犯罪が相次ぎ、周辺住民がかなりの迷惑を被ったために、これらの輩を隔離する必要性もあったとのことだ。確かに淀駅で降りても、一見して「あれ」と分かるギャンブル廃人(目つきが死んでいるのと、今時まともな所ではあまり見かけなくなった歩行喫煙の比率が異常に高いのが特徴的)がゾロゾロと一定方向に向かって歩いており、一種異様な光景であった。それにしても、貧乏人から最後の一滴まで搾り取る最も効果的な装置は酒とたばことギャンブルなどと言うが、それが確かに効果的に機能しているとしか思えない。

 

 「淀城跡」はこの駅の上りホームのすぐ脇に存在する。かつては競馬場の辺りは沼であり、それも防御に取り込んだかなりの規模の縄張りの城だったようだが、現在残存しているのは本丸とそれを取り巻く堀の一部のみである。また本丸の石垣と堀の一部は残存しているがその内部は公園となっており、建造物の類は残存していない。

 淀城のかつての縄張り(現地案内板から)

 この石垣をグルリと見学する。石垣のみが残存して内部が公園になっているというのは、岐阜の加納城を思い出すが、本丸の規模はあちらの方が大きいような気がする。なお天守台も残存しており、整備がされているようであるのだが、なぜか内部は立ち入り禁止となっていた。これは安全上の問題と言うよりも治安上の問題だろうか?

  天守台は立ち入り禁止

 石垣をグルリと見学すると、一端場内から出て西側に回り込む。ここは堀の際が駐車場になっているため、石垣の全貌を見学することができる。乱雑な積み方ではあるが、自然石ではなく明らかに加工してある石材が多いところを見ると、打ち込みハギになるんだろうか。この辺りは私は城郭専門家でないので正確には判別しがたい。ただとにかく使用している石材に統一性が見られないのが印象に残る。

 南側から見た天守台

 駐車場沿いに南側から石垣を観察した後は、さらに東側の京阪電鉄上りホームにも入場してここからも見学する。実際には城壁を最も間近から観察できるのはここである。上りホームが移動した後は、ここは公園化して遊歩道の類でも設置すれば良いと思う。なお城壁ふもとに観光協会による淀城天守閣復元を訴える怪しい模型が設置してあった。復元は結構であるが、くれぐれも歴史資料に基づいたキチンとした復元をしてもらいたいものである。間違ってもこんなチャチな天守だったら嫌だ(笑)。

 京阪のホームから見た石垣

 謎の天守閣

 

 淀城の見学を終えると準急で隣の八幡市駅に移動する。ここからは山上の石清水八幡宮に参拝するためのケーブルカーが運行されているが、京阪フリー切符はこのケーブルにも乗車可能なことから、ついでに見学しておいてやろうという考え。

  駅は京阪本線のすぐ脇にあります

 ケーブルの駅はまさに京阪八幡市駅に隣接しており、ホームから見える状態。ただし改札に行くには若干の遠回りが必要。なお石清水八幡宮のある山は川縁にそそり立っている形になっている上に、この地は桂川・宇治川・木津川の三大河川が合流して淀川となる大要衝である。この手の地形には社寺か城郭のどちらかもしくは両方があるというのはお約束のようなものである。

  山上駅に到着

 ケーブルカーには乗客が満載されている。今日がたまたまなのかいつもこうなのかは分からないが、利用者はそれなりにいるようである。ケーブルカーでの移動は3分程度であるが、標高はかなり上がることになる。ただ谷筋のような所を登っていくので、意外と見晴らしは良くない。

 境内の下は屋台村状態

 山上駅から数分歩くと石清水八幡宮に到着する。境内の下は多くの屋台が集まっていて屋台村状態。やはり今日は何かがあったのか? ちなみに驚いたのは今時はバウムクーヘンの屋台まであるということ。とりあえずこの屋台村を抜けると本殿にお参り。なおこの石清水八幡宮は、鎌倉の鶴岡八幡宮、大分の宇佐八幡宮と並んで三大八幡宮の一つにあげられているという。このうち鶴岡八幡宮は先日訪問したところである。なお近日中に北九州地区を訪問する予定があるが、別に神社仏閣マニアではない私は宇佐八幡宮に立ち寄る予定はない。

 

 参拝をすませるとおみくじを引き(ここのおみくじは大吉や凶と言ったものではなく、「下降運」という奇妙な表現が記載されていた)、境内でぜんざいを一杯食べてから移動する。ケーブルで山を下りる前に、回り込んだ位置にある展望台に立ち寄る。ここからは遠く京都を望むことができ、遠くに見えるのはインチキ天守で有名な伏見桃山城である。こうして風景を眺めていると、やはりここが要衝であるということを感じさせられる。先ほどの淀城も見えるが、河川筋の守りは淀城で行うにしてもやはり一朝事あった場合にはこの山上には砦が欲しい所である。ここの寺院は場合によってはその役もなしていたのであろうか。実際にここに来るまでにも、ここが山城なら曲輪になるであろうと思われる地形が多々あった。

  展望台からの風景と伏見桃山城

 風景を眺めてからケーブルの山上駅に戻ってくると、帰りのケーブルも人で一杯。今日が特別なのか、いつもこの調子なのかが全く分からないのであるが。

枚方市駅で交野線に乗り換えるが、私市手前で車内はガラガラになる。

 八幡市駅から再び京阪に乗り込むと今度は枚方市駅まで移動。今度はここから交野線で私市に向かうことにする。交野線も私が今までに乗車したことのない路線である。交野線は枚方市駅と私市駅との間でピストン運転されているが、全線電化複線路線で運行本数も多く、利用者も多い。枚方市駅を出る時には車内は満員状態で、私市に向かうほど新興住宅地めいてきて乗客は順次減少していく。交野市駅で大量の降車があり、終点の私市まで乗車するのは数人である。

   駅前はのどかな雰囲気

 私市駅は山に近く田舎の空気の漂うところ。駅前広場では農家が野菜を販売していたりする。イメージとしては山歩きのためにくる駅という雰囲気。

 

 とりあえず結構疲れてきたので、ここで一服することにする。私市は蜂蜜が名産とのことで、大阪で一軒の「移動養蜂家」と名乗っている茨木養蜂園があるが、そこの蜂蜜を使用したハニートーストが食べられる喫茶店「がんぴ」があるのでそこを訪問する。

   

 店内は山小屋風の変わった趣。ハニートーストは250円であり、私はこれとアイスココアを注文する。

    蜂蜜たっぷりのハニートースト

 オーソドックスな蜂蜜を塗っただけのトーストなのだが、これがなかなかにうまい。蜂蜜にコクがある。そこでこのトーストに使用していた蜂蜜(240gで840円)を購入して帰る。ちなみにこの蜂蜜は無添加無加工のものであり、数種の花の蜜が混ざっているものだとか。なお1000円でレンゲ蜂蜜も販売していた。ちなみにこの蜂蜜、直接なめてみるとやや妙なクセがあるのであるが、これがなぜかトーストに塗ると絶妙なうま味になる。現在、私の朝食の定番となっている。

  おみやげに購入した蜂蜜

 この辺りは大阪府内だと言いながらもどことなくのどかな良い雰囲気。とは言え、特にここに用があるわけでもないので、喫茶を出ると再び京阪で枚方市に舞い戻る。枚方市駅で中之島行きの快速急行に乗り換えて、これで終点を目指す。この車両は中之島線の開通にあわせて導入したのか、まだ新しいしシートもなかなかに快適である。

  

 ボーッと車窓を眺めているうちに京橋に到着、やがて地下に潜ってしばらく走ると終点の中之島である。ちなみにこの駅、どう考えても極めて中途半端な位置にあるが、そもそもはこの路線は最終的には西九条まで延長する計画があったと聞いている。その後この計画が着実に進行しているのかどうかは知らないが、確かにこの駅の作りを見ていると終着駅と言うよりは途中駅という作りになっている。なおこれで私は京阪は石山坂本線以外は完乗ということになる(ちなみに石山坂本線の浜大津−石山間は既乗)。

 地下から地上にあがるが、駅前には多分私は一生利用することがないと思われる高級ホテルが存在しているが、これ以外には特に何があるという訳ではないところである。次の目的地は国立国際美術館なんだが、そこまではやや距離があるのでしばし歩く。

 ここは本来は大阪市立近代美術館の建設予定地

 なおこの美術館の北側には広大な空き地があり現在は駐車場となっている。ここは本来は大阪市立近代美術館が建設予定されていた場所であるのだが、大阪市の財政危機で計画は暗礁に乗り上げたままである。ましてや今日のような「明日の文化よりも今日のパン」という景気状況では、その実現はかなり困難なようである。実際、この施設の建設を見越して購入されたモディリアーニなどに対しても「赤字埋めの為に売り払え」との声が市民の間にあるという。私などからすればかなりもったいない話と思えるが、世間には美術に関心のある人間よりも関心のない人間の方が圧倒的に多いので、そういう声が強くなるのも仕方のないところか。ましてモディリアーニは一般受けしやすい画家とは言い難いし。これがモネやゴッホならもっと違うんだろうが。

 やはり予算の取り合いになった場合には、まずは衣食住などの生存に関わる部分が優先されるべきで、どうしてもスポーツや文化などの「道楽」に属するものはその次ということになる。このご時世では予算の獲得合戦が熾烈にならざるを得ない。ただどうしてもこういう「道楽」の世界は予算配分者の好みが反映する所がある。そう言えば民主党の事業仕分けでスポーツ関係の予算がやり玉に挙がった時、委員の一人が「一番じゃないと駄目なんですか。二番じゃ駄目なんですか。」と言って話題になったようだ。多くの者がこれを「とんでも発言」と受け取ったようであるが、それは単にスポーツやらオリンピックやらが好きな人間が比較的多いからであって、スポーツなんて所詮は遊びであって見るものではなくて自分でするものだという価値観を持っている私の場合、この発言は極めて妥当というか、そもそもスポーツで順位を競うこと自体がナンセンスと思えてしまったりするわけである。結局はこの手の予算配分も「好き嫌い」の世界になってしまうわけである。だから橋本知事のように独裁志向の強い為政者の場合、自分が本は読んだから図書館には予算は回すが、音楽や美術には興味はないからそちらの予算は削減するなどと、もろに「好き嫌い」だけを反映した予算配分になったりするわけである。ちなみに日本の政治家の場合、なぜか「道路を造る」という道楽が好きな人物が多いようだが、これは趣味と言うよりは実際に業者からのキックバックという実益があるかららしい。

 


「絵画の森 ゼロ年代日本の地平から」国立国際美術館で4/4まで

 

 乱立気味の現代アートの中から、具象絵画の世界の作品を集めた展覧会。28名のアーティストの作品を個々の作者ごとのコーナーで集めて、屋台村のごとき形式の展覧会となっている。

 具象絵画と言いつつも、その内容は種々様々。奈良美智は相変わらずの特徴的な絵画だし、草間彌生の水玉は相変わらず気持ち悪いというようなお馴染みの作家もあるが、私にとってはほとんどのアーティストが初めて聞く名前ばかり。作風はよく言えば「百家争鳴」、明からさまに言えば「やったもん勝ち」という印象。デュシャンがひっくり返した便器を「アートだ」と強弁してから、つくづくアートの敷居は低くなったと感じる次第。凝った手の入った作品もあれば、明らかな手抜きのお気楽作品まで様々である。ただ残念ながら私の感想としては、100年後まで残っている作品は1つもなさそうだなというものであった。


 

 これで本遠征の予定は完全に終了。帰宅の途につくことにする。なお今回はJRの新快速で帰ることになるので、途中で山陽電車の特急をぶち抜いて行くことになる。改めてJRと山陽電車の速度の違いを痛感するのであった。

 

 

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