展覧会遠征 岡山編4

 

 先週は近場の巡回であったが、今週も比較的近場を押さえておくことにする。実のところ来週に大型遠征を控えているので、今週はその準備にも当たる。

 今週の遠征先として選択したのは岡山地区である。岡山では現在、成羽美術館と岡山県立美術館で興味深い展覧会が開催されているので、その見学が第一目的。それとさらに、この地域に存在する「鬼の城」を見学しておいてやろうということで、これで丸一日の日程が決定である。交通手段であるが、成羽美術館及び鬼の城といった鉄道アクセス皆無の目的地を含んでいる上、青春18シーズンは未だ遠く、鉄道の日記念切符の期間も終了してしまった現在、車を使用するほかに手段はない。

 

 まずは山陽道と岡山道を乗り継いで賀陽ICまで。この賀陽ICはとんでもなく標高が高い位置にあるので、ここから川沿いの成羽までは、途中で360度ループを含むかなり急な坂道を下っていくことになる。

 


「近代日本美術の精華」成羽美術館で11/29まで

 

 東京富士美術館が所蔵する横山大観、川合玉堂、川端龍子など日本画の大家達の作品を展示した展覧会。

 展示作品は上記三名以外に鏑木清方、上村松園、菱田春草、竹内栖鳳、児玉希望、下村観山、果ては加山又造、さらには私が最近になって注目している伊藤小坡まで蒼々たるメンバーである。展示作は大観は富士の絵、玉堂は山村の絵など、いずれもいかにも彼ららしい特徴の現れた作品ばかりであり、日本画大家達の個性をつかむ上でも特に初心者にとって非常に有用な展覧会であると思われる。

 なお展示作は日本画のみではなく、黒田清輝、小磯良平などといった洋画作品も数点の展示があり、その中には私の好きな向井潤吉も二点。これが実に印象的だったりする。

 


 美術館の見学を終えた後は、次の目的地である鬼の城を目指す。鬼の城は今まで私が多く巡っている中世戦国の城郭と違い、古代城郭になる。7世紀、中大兄皇子(後の天智天皇)が支配する日本は、朝鮮半島における同盟国であった百済の要請に従って援軍を派遣、唐・新羅連合軍との開戦に及ぶ(白村江の戦い)、しかしこの戦闘において完敗。唐や新羅による日本侵攻を警戒する大和政権は、西国の防備を固めるために各地に城郭を建造した。鬼の城はそのような古代城郭の一つに当たる。最近になって山上に大規模な遺構が発見され、発掘調査が進む一方で、当時の城郭などの復元がなされ、現地はハイキングコース兼遺跡公園となっているようである。なおこの城郭は100名城にも選定されており、中世以降の城郭が多い100名城の中で吉野ヶ里遺跡などと共に異彩を放っている。

 カーナビを頼りに現地へと向かったのであるが、これが予想を超える困難なものであった。と言うのは、鬼の城見学の拠点となる鬼の城ビジターセンターへのアクセス道路はかなり細い道であるため、カーナビでは検索することが出来ず、その手前にある砂川公園を目標に設定して走行したものの、現地でカーナビが完全に現在地を見失ってしまって迷走飛行を余儀なくされてしまったのである。おかげでとんでもない路地に入り込んでしまったり、挙げ句が行き止まりの道路に誘導されて数十メートルに渡ってバックする羽目になってしまったりなど、惨々な目に合ってしまったのである。ようやくの何とか砂川公園に到着した頃には予定よりも遙かに時間を浪費してしまっていた。

 

 砂川公園は一種の自然運動公園のようになっており、多くの駐車場などを備えている。鬼の城に向かうにはここからさらに奥に3キロほど走行することになるのだが、この道はかなり狭い路で大型バスは走行不可、小型バスの場合もすれ違い不可ということになっている。さてどんな悪路であろうと緊張しながら突入したのだが、確かに道幅は狭くて傾斜もきついが、先週の酷道429号線と先ほどの迷走飛行で惨々な道路を経験した私にとっては、小柄なカローラ2で走行する分には全く問題のない道であった。ただし対向車と行き違えるポイントは限られているので、前方から馬鹿がやって来た時にはどうしようもなくなる危険はある。実際一台だけ、自分は道路の真ん中から端に寄ろうともせず、そのまままっすぐに突っ込んでくる馬鹿がいて、冷や汗をかいたことがあった。この時は私が目一杯左に寄って難をかわしたが、もう少し道幅が狭かったり左が断崖ならアウトだった。常識的な感覚と腕を持っているドライバーなら全く問題はないが、車幅感覚がゼロだったり、「すべての車は私を勝手に避けてくれる」というタイプのドライバーの場合には絶対に侵入すべき道ではないだろう。

 隘路ではあるが、そう無茶な道でもない

 この悪路を進んだ先は急に開けた土地があり、そこには数十台が駐車できる駐車場が装備されている。ここが鬼の城ビジターセンターであり、ここは鬼の城見学及び自然ハイキングの拠点となっている。

 ビジターセンター内に展示されていた鬼の城の模型。山頂を取り囲むように城壁がある。

 とりあえずはビジターセンター内に入って鬼の城について事前学習。当時の城壁は版築工法と言って、木材などで囲った中に土を入れ、それをつき固めることで強度を出すという工法が用いられている(とんでもない人力がかかる)が、再建した西門などではその工法を再現したらしい。また現地では未だに発掘調査が続行中だし、貴重な自然のある地域なので火気厳禁及びくれぐれも遺跡や植物を傷つけないようにとの貼り紙があちこちにしてある。まあどこでも言えることだが、マナーを大切にと言うことである。なお鬼の城内にはトイレがないので、事前にここで済ませておくということも非常に大事である(ここには水洗式のかなり立派なトイレがある)。

  ビジターセンターから遊歩道を登る

 いよいよ現地に向かう。新設された遊歩道に沿って登ると、「学習広場」と書かれた案内板が見える。「学習広場」と言われてもピンとこないが、実はここは鬼の城西側の尾根にある展望台で、ここからは再建された西門と角櫓を一望できるので、望遠レンズを使用すればもっとも「鬼の城らしい」風景を撮影できるという絶好の撮影ポイントである。当然のことながらここに立ち寄っておく。

  

 撮影を済ませると、角櫓の横を通り抜けて西門を入る。鬼の城は山頂まるごとを城壁で囲って山岳要塞としたものであるが、防御的には尾根続きとなるこの西方が一番の弱点である。この西方を守るのがこの角櫓と西門になる。角櫓は城壁の一部を要塞化したもので、ここからは尾根筋を見下ろすことが出来、ここに大量の兵士を入れておけばこちら方面の防御は万全であろう。また西門自体も要塞門である。

 

裏手から見た西門と、城壁内側の敷石

 西門をくぐると後は城壁に沿ってグルリと回りながら見学することになるのだが、この時に時計回りで行くか、反時計回りで行くかが思案のしどころである。角櫓が西門から時計回りの方向にあり、全体的にそちらの方角がよく整備されていることから、時計回りをとる者が多いように見えたが、私がお勧めするのは反時計回りの方向である。その理由については後述する。

 西門から反時計回りに進むと、城壁を雨風から守るために敷かれた敷石の上を歩きながら斜面を下っていくことになる。この辺りは足下が結構ゴツゴツしているので、底の厚いトレッキングシューズ系の靴を履いてくるべきだったと後悔する。私が履いているスニーカー系の靴では、やはり山歩きの時には足下が心許ない。

 

所々にある見張り台を兼ねたと思われる高石垣と第二水門

 鬼の城の構造は、西門と北門の間辺りが一番標高が高く、それが東門の方向に向かって下がっていくという構造になっている。つまり西門から城内を周回する場合、いずれの方向から回っても、前半は下りで後半は上りということになる。この西門から南門方向に下っていく辺りの道は険しいので、ここを登るよりは下る方がまだしもだろうというのが、私が「反時計回りがお勧め」という理由の一つである。

 

高石垣の上とそこから見下ろす風景

 南に下っていくと、途中で第一水門、第二水門などの遺跡がある。これらの水門は谷筋に作られており、つまりは雨水の排水溝である。またこの辺りには高石垣などの見所も多い。これはこの城郭自体が南方を睨んだもので、そちら側の守備を強化しているからである。実際にこの辺りに立つと遠く南方までを見渡すことが出来、岡山の市街なども遠くに望める。なお現在ではかなり海が遠くに思われるが、当時は現在の児玉湾は干拓されて陸地になっていないのは当然として、そもそも湾ではなくて内海の状態だったとのことで、海岸線は今よりもずっと近かったはずである。つまりはここは瀬戸内の海岸をも見晴らした要衝だったようである。

 

南門と第三水門

 いよいよ本格的なハイキングコースと化している(「マムシに注意」などという看板もある)周回コースを先に進むと、やがて南門に到着する。ここはいかにも発掘中という雰囲気である。この近くにも高石垣があり、遠くを見晴らせる。なおここではくれぐれも足下に注意する必要がある。まかり間違って足を滑らせるととんでもない事態になってしまう。ハイキング中に足を滑られたと思われるクレヨンしんちゃん作者の臼井儀人氏のことなども頭をよぎる。こういう崖の上ではくれぐれも突風に注意である。

       石に彫り込まれた仏像。これは後世のものだろうか。

 ここから東門へはさらに急な道を下っていくことになる。下った分はいずれはまた登らないといけないわけであるから、頼むからそんなに下らないでくれという気になってくる。ここを下ることがしのびない者には、先に進むショートカットコースもあるようであるが、そこを進むと東門の見学を断念することになる。私の場合は当然のようにこのコースを下る。情けないことにもう既に足にはダメージが来つつあり、以前の観音寺城で痛めた左足首と最近になって調子の悪い腰の方が既に不穏な雰囲気になってきているのだが、ここで私を突き動かしているのは好奇心だけである。

 

急な山道をさらに下って東門に到着

 東門も西門と似たような雰囲気。なお現在はここに登山道が通じているとのこと。先ほどの南門に比べるとかなり低い位置という雰囲気である。

遠くから望む屏風折れの石垣

 ここから急な上りをエッチラオッチラと登り、クタクタになった頃に到着するのが第二展望台と呼ばれている「屏風折れの石垣」の上である。ここがこの城の一番のビューポイントであるが、恐らく古代では監視場所になっていただろうと思われる。ここが恐らく一番の人気スポットと思われ、なぜか「鬼の城」の案内看板もここに立っている。ここから見渡すと、この山一帯自体がいわゆる巨岩がゴロゴロする岩山であることがよく分かる。

  

石垣の上に到着。案内板はここにある。

この上からの風景は圧巻。山には巨岩がゴロゴロ。

 ここから先は城の裏側になってくる。防御のための土塁があったりするが見るべきものは極端に少なくなってくる。そして道路も最近になって整備されたものと思われるものになった頃に北門に到着する。ここは裏門になるわけであるが、その割には大きな門である。

  

北門に到着。この辺りの道は明らかに後世のもの。

 ここからの道はさらに急ではあるが近代的なものとなり、これは工事車両なども走行するのではないかと思われるものになる。途中で横道にそれると礎石建物群の方へ。ここにはかつての建物の礎石となっていたと思われる石類が見つかっているところであり、地形も平らに整形されており、確かに建物跡だと思われる。ちょうど城壁全体の中心近くに当たることから、ここがこの城のかつての心臓部であったのだろうか。

 礎石建物群

 礎石建物群の見学の後は再び道を取り返して最後まで登り切ると、そこで角櫓のところにたどり着く。北門から角櫓までの間の道は明らかに後世のもので、周辺に見るべきものはないが、道は良く整備されているので急な登りではあるものの比較的登りやすい。これが私が反時計回りを勧める大きな理由のもう一つである。

  

最終到達地点は角櫓。ここの上からは尾根筋が丸見え。

 

 鬼の城の見学を終えて駐車場に戻ってくると、再びあの隘路を今度は下り。下りはかなり急なのでギアをローに入れっぱなしである。山を下りてくるとようやく昼食にすることにする。昼食を摂ることにしたのは「讃岐うどん いろ里」。昼食のセットもあるようだが、好きなうどんにセットを組み合わせたものも出来るとのことなので、「鴨南蛮うどん昼食セット(1150円)」にする。

 出てきたのは、うどんにかやくご飯と小鉢、さらにおでんを組み合わせたもの。うどんはかなり平たい麺で、口当たりは非常に柔らかいものの腰はそれなりにある。ただ麺がかなり平たいこともあって、やや硬めのうどんを好む私にとっては若干物足りない。出汁の味は比較的おとなしめ。鴨南蛮の場合はもっと香辛料を効かせる店もあるが、ここのは山椒類はあまり使用していない模様。なお付け合わせのおでんもなかなかに上品な味で、小鉢も添えてあった漬け物もうまかった。全体的に味付けが非常に上品な印象で、典型的讃岐うどんと言うよりは、関西系うどんに近い部分が多々ある。

かなり麺が平たいのが特徴

 昼食を終えたところでさらに南下する。ここを少し南下すると「サンロード吉備路」という国民宿舎があるので、そこの温泉で日帰り入浴しようという考え。全国的に経営に苦労している国民宿舎が多い中で、このサンロード吉備路は稼ぎ頭の一つに挙げられるぐらいの人気施設であるという。

 大型駐車場を備えているが、その駐車場に一杯の車が止まっている。産直市の類も開かれていてかなり賑わっている模様である。それらを横目に大浴場に向かう。

 浴場は内風呂2つに露天風呂が2つ。浴槽自身はそう大きいものというわけではないが、浴場スペース自体は広々としている。なお週末の特に夕方は非常に混雑すると聞いているが、私が訪問したのは土曜日の午後3時頃だが、確かに入浴客は多かったものの、異常に混雑しているという状況ではなかった。

 泉質は含硫黄の放射能線で低張性アルカリ泉との表示があった。入浴時は硫黄の匂いはそう感じなかったが、風呂上がり後には身体からかすかに硫黄の匂いが漂った。一般的に特別な浴感がないのが放射能泉であるが、ここの場合は硫黄分を含んでいるせいか浴感は柔らかくてなかなかに良好。露天風呂などでゆっくりとくつろぐことが出来た。

 

 温泉でくつろいだ後は、二つ目の展覧会訪問である。総社ICから岡山道に乗ると、そこから岡山ICまで突っ走る。岡山ICで高速を降りると、後は美術館目指して一般道を走行だが、毎回来るたびに思うのだが、とかく岡山市街は走りにくい。車が異常に混雑していることもさることながら、道路の構造がとにかく余所者に対して不親切である。右折車線の設定などが極めて分かりにくく、私を含めて他府県ナンバーの車がウロウロ。私はこの岡山駅付近の分かりにくい道路のことを「岡山ダンジョン」などと呼んでいる。

 なとんか苦労しつつもダンジョンを抜け、宮殿ならぬ美術館へ到着。地下駐車場に車を放り込むと展覧会へ駆けつける。

 


「ターナーから印象派へ」岡山県立美術館で11/3まで

 

 ヨーロッパにおける風景画は一つの絵画ジャンルとして歴史が長いが、特にイギリスにおいては18世紀末から19世紀にかけての産業革命以降の時代ぐらいに、一大ジャンルとして大きな重要性を増してくる。その中で大きな存在であるのがターナーで、光や空気感を表現した彼の独特の風景画は、後のイギリス風景画だけでなく、フランスを中心にして発展した印象派にも影響を与えたと言われている。そのようなターナーを含むイギリス風景画の流れを展示したのが本展である。

 全体は7部構成となっており、ターナー以外にもジョン・エヴァレット・ミレイの作品なども展示されている。展示作は概ね時代の流れに沿っているが、初期の作品はかなりアカデミズム派の流れを汲んでいることが明白で非常に端正な絵が多いが、時代が下ってくるにつれていかにも印象派に近い作品が増えてきており、イギリス風景画の流れとフランス印象派の流れが相互に影響を与えあっていることがよく分かる。また田園風景を描いた作品などは、いわゆるバルビゾン派の絵画と区別のつかないようなものも存在する。このような英仏相互の関連が体感できて非常に面白い。

 イギリス風景画と言えば、かなりメジャーなジャンルであるにもかかわらず、意外とこの括りでまとめた展覧会には出くわしたことがない。そう言う点でも実に興味深い展覧会であった。

 


 これで今回の遠征は終了である。後は今後の伏線として帰りに岡山の近畿日本ツーリストに立ち寄って「スルッと関西2day切符」の引換券を入手(これは近畿地区では販売していない)、再び岡山ダンジョンで惨々迷いながらようやく高速入口にたどり着いて帰途についたのである。

 

 次回の大遠征に向けての身体慣らしのための軽い遠征のつもりだったのだが、それにはあまりに選んだ対象が悪すぎた。鬼の城周回コースは全長2.8キロとのことだが、アップダウンがかなりあるので結構厳しいコースで、私の予想以上に本格的ハイキングコースだった。私はここを一周するのに結果として1時間近くを要している。なおこの時はそれほど気がついていなかったのだが、この時のダメージは確実に身体に蓄積しており、帰宅すると共にダウンして夕食もそこそこに寝込んでしまったばかりか、翌日になると足の痛みと腰の悪化からくる手足のしびれ(私の腰は椎間板ヘルニアである)に苦しめられる羽目になってしまった。ここを見学する者は自分の体力及び体調と十二分に相談する必要があろう。なおくれぐれもハイキングのつもりで来ること。私の場合は、あまりの景観に誘われていささか無理をしすぎてしまったようである。来週の大型遠征に向けて体調を測るつもりが、このまま腰の状態が悪化したら、遠征に響く可能性もある。こういうのを本末転倒という。

 

 戻る