展覧会遠征 阪南編
先週は「関西2dayパス」を使用した京都ツアー」であったが、今週も同様のツアーである。今度は大阪南部を中心に巡回することとした。それにしても最近は私鉄による巡回がめっきり増えたが、これはJR西が「関西おでかけパス」を廃止するという愚行を行ったためである。私のような優良顧客を逃すとは、JR西は何をやってるんだか・・・。
最初の目的地は和歌山。大阪からの移動だが、通常なら難波から南海というところだが、あえて関西2dayパスには含まれていない阪堺電鉄を使用することにする。と言うのも「大阪唯一の路面電車」という阪堺電鉄は以前から気になっていたから・・・というか、実は鉄道マニアならぬ私はつい最近までその存在を知らなかったという次第。
古色蒼然とした阪堺電鉄の列車 地下鉄で恵美須町で降りるとそこから阪堺電鉄の恵美須町駅へ。いかにも路面電車という風情の列車が待っている。そもそも昔はここで大阪市電と接続していたというが、市電が地下鉄に置き換わった今となっては、この路線だけが取り残されている形となっている。列車はしばらくは路面でなく専用軌道を走るが、かなり狭っ苦しいところを走る印象。
駅の周辺はかなり密集している
そういえば、数年前にサザエさん一家がマスオさんの実家を訪れるという特集的な話があり、その時にサザエさん一家は大阪で路面電車に乗っていたのが記憶にある。その時は「大阪で路面電車っていつの時代だ?」と思っていたのだが、今から考えれば沿線風景からしてあれは阪堺電鉄だったようだ。マスオさんは大阪人だということだが、大阪人でも堺以南の人間かもということで、「やんけー、そーけー、そやんけ、われ」の世界の人間なのかもしれないわけである(日頃は完全に東京人に擬態しているようだが)。
東玉出周辺と住吉周辺 住吉大社の手前の東玉出あたりから路線は路面となり、さほど広くない道路の真ん中を走行するようになる。住吉駅では天王寺方面からの路線と合流、さらに住吉公園方面の短い分岐路線も出ている。住吉公園駅は南海電鉄の住吉大社駅の真ん前になるのだが、わざわざ乗り換えなくても、この先の住吉鳥居前駅も住吉大社駅にかなり近いため、こちらから乗り換える乗客が多い模様。路線図を眺めていると「住吉公園駅って本当に必要なの?」という疑問が湧くこともたびたび。この住吉周辺の状況もいずれは視察しておく必要がありそうだが、今回はそこまでの時間がないのでここは通過。住吉大社前を過ぎて路線が再び専用軌道に突入すると、間もなく我孫子橋駅に到着する。阪堺電鉄の料金区分ではここまでが大阪市内区ということで料金は一律200円で、ここを越えると堺市内区に突入ということで290円になる模様。なお私の乗車した列車はこのまま終点の浜寺駅前まで運行するが、我孫子橋駅に阪堺電鉄の車庫があるため、ここで乗り換えになる便もあるようだ。
我孫子橋駅には車庫があり、綾ノ町を過ぎると再び路面 路線は堺市に突入して、綾ノ町駅のところで大きくカーブしたかと思うと、再び路面軌道になる。ここはかなり幅広い道路の真ん中を走行する形になっており、しばらく小刻み停車しながらほぼ直線の軌道を走行することになる。この辺りは信号が多い上に駅も小刻みなので停車が多く、距離の割には走行時間がかかるようだ。この地域を抜けて幹線道路からそれて再び専用軌道に突入して車両のスピードがあがり始めると終点の浜寺駅前は間もなくである。阪堺線のこの堺市部分は一時は廃線も議論されたそうだが、堺市が都市交通システムとしてLRTを導入することになり、それと接続されることになったことから、廃線の話は立ち消えたという。阪堺電鉄は古色蒼然とした路線であるが、それが一回りして一転して最新の交通システムとなったと言うことである。今後も都市でLRTを導入するところは増えると思われるが、これは「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会」が考える未来のあるべき交通システムの姿と合致する。
浜寺駅前駅と南海浜寺公園駅
浜寺駅前駅は小さな駅。待避線もなくて入ってきた列車がそのまま折り返すしかないような構造になっている。ここからすぐに見えているのは南海電鉄の浜寺公園駅。ここは駅舎は比較的大きな駅だが、この駅舎は文化財クラスのものだとか。ここで南海電鉄に乗り換え。羽衣駅まで移動する。本来ならこのまま和歌山まで行っても良いところだったのだが、ちょっと寄り道。ここからすぐ近くにJR阪和線の枝線である羽衣線の東羽衣駅がある。羽衣線は東羽衣と鳳を結ぶ一駅だけの支線である。これを視察しておいてやろうという考えである。
南海羽衣駅とJR東羽衣駅は隣接
羽衣駅と東羽衣駅は徒歩で5分もかからない距離。羽衣駅を出ると東羽衣方面から南海に乗り換えるための乗客がゾロゾロと歩いてくる。JRと南海を接続する路線として利用者はかなり多い模様。羽衣線は単線電化路線であり、市街地を通るためか全線高架。ここを3両編成の103系がピストン運転をしている。一駅間を行き来するだけのためか、車両に行き先表示はなく単に「羽衣線」という表示がなされている。運転頻度は15分間隔と結構多頻度運転であり利用客も多い。高架になっているので構造的には南海と立体交差してさらに埋め立て地方面まで延伸などということも可能なはずだが、その先にマンションが建っていることを考えると、そんな計画は毛頭ないということなのだろう。
東羽衣の先にはマンションが見えている。103系で鳳駅に到着。 とりあえず鳳駅まで乗車すると、一端改札を出てから再び折り返し、また東羽衣を経由して南海に戻る。後はこのまま和歌山まで移動である。区間快速、特急サザンを乗り継いでの移動となる。特急サザンは先頭の4両はクロスシートの指定席。後ろの4両がロングシートの自由席といった混合構成となっており、当然のように私は自由席に乗車。
南海の特急サザンは指定席と自由席が半々。 和歌山市駅で降りるのはこれで2回目である(前回はJRの紀勢線経由で到着した)。ここからバスで目的地に移動。ちなみに「関西2dayパス」は和歌山バスでも使用可能。なかなかに使いでのあるパスである。県庁前で下車すると目的地は和歌山城のすぐ隣で、和歌山城の石垣が目の前に見える位置。
和歌山城の立派な石垣
「油絵の理由」和歌山県立近代美術館で7/20まで
洋画における基本ジャンルとして確立しているのが油彩画で、油絵具は色を混ぜやすいとか、盛り上がった質感を利用しての表現が可能とか、種々の特徴を持っている。その油絵に着目するというのが本展の主旨。
展示内容的には西洋の作品から日本の油絵まで雑多な作品が並んでおり、テーマがあるようでいて実は意外とテーマ性は薄い。まあ「絵具を厚盛りして質感を出す」となったら当然のようにルオーの作品が登場したりなどというお約束はあったりするが。
個人的には日本の初期の油絵が試行錯誤の中で必死に取り組んでいる感じで面白かったのと、後はヴラマンクの作品辺りが興味を持てたところ。例によって絵具をぶちまけているだけの現代アート作品も登場していたが、それはスルー(全く興味なし)。
同館では合わせてコレクション展示も大々的に行われていた。その中では独特の色彩使いの野長瀬晩花の作品が印象に残った。彼の作品は確か田辺市美術館にあったはずでは・・・。
和歌山での予定はこれで終了。さっさと特急サザンで折り返しである。途中で乗り換えて貝塚駅で下車する。貝塚からは水間鉄道という路線が出ているので、これを視察しておいてやろうという目論見である。水間鉄道は貝塚と水間観音で知られる水間を結ぶ単線電化路線。貝塚駅は完全に南海と隣接しており、元々南海との結びつきの強い路線ではあったが、南海傘下ではく独立系とのこと。最近経営が破綻して現在はタクシーグループ会社の支配下にあるらしい。残念ながら水間鉄道は「関西2dayパス」では乗車できないので切符を購入する。なお乗車した後で知ったのだが、PiTaPaに対応しているとのことでICOCAも使用可能らしい。
水間鉄道貝塚駅
貝塚駅には2線あるが、片側に停められている車両は待合室として利用されているようである。走行車両は反対側に入ってくる。車両は二両編成のワンマン車両。全線を通して沿線に住宅は多数見えるが、水間に近づくにつれて利用者は減少していく印象。なお単線であるために、中央付近の名越駅で列車の行き違いが行われる。なお始発の貝塚駅を出るところに90度のカーブがあり、後は名越駅の手前にゆるいカーブがある以外はほとんど直線の軌道のため、その気になればかなりの高速運転も可能となりそうな線形だが、そもそも全線20分もかからないような距離であるので、あまり高速化には意味がないようである。
列車は二両編成
間もなく水間に到着。一応水間寺ぐらいは見ておこうかとブラブラと散策がてらウロウロするが、どうにも活気が感じられないのが気になるところ。「お買い物は水間商店街で」なんて看板があったりするが、そもそも商店街と呼べそうなものが見あたらない。あるのは土曜の昼時だというのにシャッターを下ろした商店が数軒。これで商店街だというのだから寂しい限り。
水間駅と駅前商店街?
水間寺はかなり立派な寺院だが、寺院自体にはあまり興味がないので簡単に参拝をすませるとそのまま引き返してくる。途中でこの地域の名物だという「観音村雨」なる蒸し菓子をみやげものに購入し、そのまま水間鉄道でUターンすると、終点の貝塚駅の一駅手前の貝塚市役所前で下車、昼食を摂るための店までしばらくブラブラと歩く。
水間寺とおみやげに買い求めた「観音村雨」 今日の昼食を摂る店は「夢一喜」。ステーキハウスだが、自家製のハムが有名とのこと。私が注文したのは「手ごねハンバーグとやわらかステーキのコース(2415円)」。
趣のある門構え
まずは自慢のハムを使用したオードブルから。薄切りにしたハムでタマネギなどを包んで食べるようになっている。確かにハムはうまい。しかし薄切りにしてあるせいで、どれだけすごいハムなのかまでは私のがさつな舌ではハッキリとは分からない。これにサラダとコンソメスープが出てくるが、これはごく普通。
メインはステーキとハンバーグ。ステーキについては柔らかいのであるが、肉に味がない。安いコースなのでオージーを使用していると思われるが、やはりオージーは和牛に比べるとどうしても肉に味がないのでこうなりがち。これを誤魔化すにはデミグラスなどの味の濃いソースを使用するのが一般的なのだが、ここのソースは直球一本勝負で醤油ベースの和風ソースなので、肉質がもろに出てしまう。やはりこの店では高級和牛を注文しろということか(そんな金はどこにもない)。ちなみにハンバーグの方はジューシィーで普通にうまい。金のない人間は間違いなくハンバーグの方が良さそうだ。
熱々の状態で運ばれてきます
最後のデザートは和風のアイスクリーム。これは美味であった。
昼食を終えるとそのまま貝塚駅前まで散歩がてらの移動。その途中の和菓子屋でおみやげを購入・・・したらこれも村雨。この辺りの名物って村雨なのか。
貝塚で買い求めたおみやげ・・・また村雨 貝塚駅に到着すると隣の蛸地蔵駅に一駅移動。ここは岸和田である。目的は岸和田城の見学。住宅地の間を抜けていくと、高校の裏手に突然に城の姿が現れる。
岸和田城の雄姿
岸和田城はそもそもは遡ること鎌倉時代末の建武の時代に、楠木正成の一族である和田高家が築いた城から始まるという。その後、紆余曲折を経た後に城郭と城下が江戸時代に本格的に整備されて今日に至るとか。例によって明治になって廃城になったわけだが、天守自体は江戸時代に既に焼失していたとのことで、現在建っているのは当然のように鉄筋コンクリートの「なんちゃって天守」である。ただし石垣と堀は当時の遺構のようで、特にその立派な堀はなかなかの風格があり、おかげでなんちゃって天守でも外から見る分にはかなり格好良い。
岸和田城天守と往年の姿
城自体は小山の上に建っている形であり、西側からだとかなりの高台の上に城があるというような位置づけになっている。西側の二の丸の堀よりも、本丸の堀は一段高い位置にある。当時の遺構が残っているという石垣と堀がなかなかの見所で、その後ろにそびえる天守がなかなかに映える。
とは言うものの、やはりこの手の天守は外から見ているに限る。中は岸和田由来の鎧兜などを展示する博物館となっているが、いかにも「ただの鉄筋コンクリートの建物」でげんなりすること著しい。
だんじり会館内部にはだんじりの展示が 天守閣入場の時に三施設のセット券を購入したので、岸和田城の次は近くのだんじり会館を訪問。ここは岸和田名物のだんじり祭りを映像を中心に紹介した施設。大スクリーンを使用しただんじり祭りの紹介はそれなりに臨場感があって楽しめる。
自然資料館は博物展示をしています セット券の最後の施設は岸和田自然資料館。ここはどこの自治体でもよくある自然博物館。ビルの2階と3階にあり、2階は岸和田の自然に関する展示、3階は動物の標本類で津山の科学教育博物館に似た雰囲気であった。
岸和田城周辺の散策でかなり疲れたし、身体は灼熱するしということで、ここらで休憩。自然資料館の隣の「こふじ食堂」に立ち寄る。ここは本来は定食屋なのだが、夏にはかき氷なども販売している模様。ここのかき氷で特徴的なのは、地元の名物「くるみ餅」を使用したかき氷があること。私は「ミルクくるみ(700円)」を注文。
出てきたのは一見普通のかき氷、これで小豆が入っていたらミルク金時である。しかしこの氷の下から現れるのが、小豆ならぬくるみ餅。これが滅茶苦茶甘い。ミルク氷を良い調子で食べていたら、その下からその数倍は甘いと思われるくるみ餅が登場するので甘味のオンパレード。さすがに甘党の私でもこれは胸にもたれる。ミルクのかかっていない「こおりくるみ」もメニューにあったのだが、こちらを選択しておくべきだったと後悔することしきり。くるみ餅自体はうまいので、バランスを考えるべきだろう。
ミルク氷の下からくるみ餅が出現 これで身体をクールダウン(ただし甘すぎて胸は少々ムカムカしているが)、後は岸和田市街をブラブラと駅前まで移動、そのまま南海で帰途についたのであった。梅田からは阪神に乗り換えたが、そこで甲子園に向かう大量の阪神ファンに出くわし、結局は列車を数本やり過ごす羽目に。えらい迷惑である。
結局この日は、水間で歩き、さらに貝塚で歩き、岸和田でも歩きとなったので、トータルで2万歩を軽く超える結果となり、翌日には足のだるさに苛まれる羽目になったのである。しかし先日負傷した左足首の方は大丈夫な模様であり、どうやらこちらはもう心配なさそうである。というわけで、次回の遠征はかねてからの予定通りの計画を実行することになったのである。
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