展覧会遠征 安土編
さて今週は例によって「民主党が政権を取ったら高速道路無料化なんて言ってるけど、実際にできるかどうかは不明だから、とりあえずは麻生の人気取り政策の高速1000円を今のうちに使い倒そう企画(長すぎ)」である。先週は名古屋方面に一泊遠征に出かけたのだが、今週はそんな元気も予算もないので、滋賀方面への日帰り遠征となった。
今回の遠征の目的は今まで何度も訪問したいと思いながら叶わなかった安土城訪問、さらには近くの山城である観音寺城も合わせて訪問すること。さらにこの近辺で未訪問の美術館を訪問しておくということになっている。早朝に出発、城郭を訪問した後に美術館に立ち寄るという計画である。
しかしとかく計画とは狂いやすいものである。先週の強行軍の疲れか、はたまた昨今めっきり厳しくなっている仕事の疲労のせいか、当日の朝に寝過ごした・・・というよりも、予定の時間が来ているのは分かっていながら起きあがれなかったのである。
結局は気持ちを奮い起こして起きあがったのは予定よりも1時間以上遅れてから、このために当初の予定よりもすべてが遅れまくることに。
まずは安土城へ。名神高速を八日市ICで降りると安土城考古博物館まで走る。この一帯は観光開発がされているのかやけに巨大施設が建ち並んでいる。考古博物館もかなり巨大な建物だが、展示スペース自体はそう大きなわけではない。またこの施設内では土器の修復作業などのいわゆる研究施設としての博物館の作業も行われているようで、そこを見学できるようになっている。
展示はいわゆる土器などの考古展示(近くで遺跡が発掘されている)と場所柄、安土城・観音寺城・小谷城など城郭にまつわる展示の二部構成。安土城にまつわる展示などは現地見学の予習としては最適である。これを見るといずれもなかなかに規模の大きい山城。今回は安土城・観音寺を攻略する予定だが、いずれは小谷城も攻略する必要がありそうだ。
博物館の見学を終えた後は、近くにある「信長の館」へ。ここの売りは安土城の5、6階の原寸復元模型。というか、実際には展示はこれしかないと言っても良い。見学用階段を登って間近から観察ができるようになっており、中の様子などもうかがえる。キンキラキンで絢爛豪華。確かに信長は派手好きだったが、その派手さが今一つ品に欠けるように見えるのはどうだろうか? どちらかと言えばこのやや下品気味なキンキラキンは秀吉の好みだったのではと思われる。
内部に展示してある安土城復元模型 大きすぎて全体が撮影できない 博物館類の見学を終えると、いよいよ安土城の現地見学である。安土城があるのは田んぼに囲まれた山の頂上。手前には見学者用の駐車場も整備されている。ここに車を止めるとカメラと財布だけの軽装備で繰り出す。
山の麓から巨大な石積みが連なる
入山料500円を払うと、まずは最近の発掘調査によって発見されたという正面の大階段を登る。安土城が他の城と根本的に違うのは、この幅9メートルはあるというまっすぐな階段。この両脇に秀吉など有力家臣の屋敷跡が並んでいる。防御施設としての城郭ではこのような構造は通常はあり得ないのだが、信長は安土城を戦争をする城ではなく、政庁として考えていたことを示している。
左 大階段 右 秀吉の屋敷跡
しかし石段と言ってもこの高さが半端に高いので階段を登るというよりも、よじ登るという雰囲気で、思ったよりも膝に負担がかかる。上に登った頃には足はガクガクになってしまった。大手道を登り切ったところで道は二手に分かれ、右側に進むと本丸跡や天守跡などの方向、左に進むと信長が城郭内に建立したというハ見寺に向かうことになる。ここはまずは天守方向を目指す。
左 黒金門跡 中央 二の丸の信長公本廟 右 本丸風景 ここからの石段は先ほどよりは登りやすくなっているが、もう既にガクガクになってしまっている足腰には、単なる気休めにしかならない。やかで黒金門跡を過ぎると本丸の手前に二の丸跡がある。ここには信長公本廟がある。一方の本丸は今では広々とした広場になっていて何もない。あるのは仏足石。ちなみにここの石垣には石仏も使ってあったりして、これは信長が無神論者であった証明などとも言われるが、実のところはことさらに石仏を選んだのではなく、突貫工事の際によくある貴重な石材の流用。このような例は実は安土城に限った話ではないのである(石仏ではなくて石臼を使っているのも見たことがあるが)。
左 石段に用いられた石仏 右 仏足石
ここからやや登ったところが天守台。ここも土台しか残っていないが、登ると近江平野を見渡すことができる。この上に天守が建っていたら、さぞかし見晴らしは良いことだろう。確かに天下を治めるものの城としての威風堂々である。
天守台とそこからの風景
天守台の見学を終えると、ハ見寺の方に回って三重塔や二王門などを見ながら下山する。石段はこちらの方が緩やかなのだが、それでも階段の下りは膝に負担が大きい。降りてきた頃にはかなり足にガタが来ていた。
左 三重塔 右 二王門 安土城の見学を終えた頃には昼過ぎになっていた。やはり今朝は行動開始が遅すぎたようだ。とりあえず車で安土駅周辺まで移動すると、昼食を摂ることにする。今回昼食を摂ったのは「味葦庵(みよしあん)」。ここは曜日によってはおばんさいバイキングなんかもしているそうだが、私が訪問した土曜日はランチメニュー(1000円)。メニューは私の訪問時にはハンバーグ、赤魚の煮付け、穴子天丼の三種だったが、私は穴子天丼をチョイス。ちなみにこれが最人気なのか、私の後から来る客もほとんどがこれを注文していた。客層はいかにも近所のおばさん風の団体やら、どこかのサラリーマン風二人組、どこかの美人OLさんなど様々。
さすがにおばんさいバイキングの店だけに、天丼と言っても天丼が単独で出てくるのでなく、サラダや小鉢などかなり品数が多くついてきている。しかもこれがことごとく旨い。野菜系の料理が菜の苦みをうまく生かしていたり、嫌味になるわざとらしい味付けはしていない。天丼の天ぷらもサクサクとうまく揚がっており、味付けも濃すぎず薄すぎずである。確かに毎日食べる昼食としては最適である。これで1000円ならCPは良い。
さて昼食が済んだら次の目的地は観音寺城である。観音寺城はかつてこの地に勢力を張っていた六角氏が築いた中世方山城だという。往時には山腹に多くの重臣の屋敷が並ぶ壮大な山城だったという。ただ山岳要塞と言うには意外と守備力は弱かったようで、この地をめぐる戦いは何度も行われているのだが、六角氏はそのたびにこの城を放棄して他の城で体勢を立て直しては奪還するという繰り返しのようである。戦国時代になってようやく本格的な山岳要塞としての整備が進められたようだが、その頃には浅井氏や織田氏が台頭してきて、六角氏の勢力はこの地域から駆逐されることになってしまい、そのままこの城も衰退していったようである。
何しろ巨大な山を丸ごと城にしたという大規模なものなので、本格的に見学しようとすると麓から観音正寺の参道に沿いながら徒歩で登ってくるというルートを通る必要があるようだが、それをするだけの体力も時間も既に私には残っていないので、有料の林道を通って、山上の観音正寺の駐車場に駐車をしてから移動するルートをとることにする。
狭い林道を進む
細くて険しい林道を行き止まりまで進んで車を降りると、後はゆるやかな坂に沿ってしばらく進むだけで観音正寺に到着できる。ただ今回の目的は寺院の参拝ではないので、参道筋の途中に「←佐々木城跡・三角点」という標識があったので、その脇道の方にそれてみる。
標識に従って鬱蒼とした森を進むと、曲輪址や石垣とおぼしきものが目に入る この脇道は一転して険しい山道。ただ山道に沿って登ってみると、横手に石垣が見えたり、曲輪址ではとおぼしき平地があったりするが、私は城郭の専門家ではないのでよく分からない。息を切らせながら山道を登ることしばし、ようやく「佐々木城跡」と看板のあるところに出たが、そこには巨岩が転がっているだけで、特に何かがあるというわけではなかった。さらに奥にも何かある模様だが、さすがに安土城との連チャンで既に足腰に限界が来ている。もうこれ以上先に進むだけの気力・体力がない上に、雨までぱらついてきたので、とりあえずは観音正寺の方向に引き揚げることにする。回りを見ると「↑観音正寺」と描いてある札はあるのだが、そこらの枝だからぶらさげてあるので、肝心の方向がハッキリと分からない。そこでエイッとばかりに目星をつけてとりあえず進んでみる。
表示はあるが現地には岩が転がるのみ、さらに先にも曲輪のようなものが しかしその道は直に鬱蒼としたいかにも通る人がいないような雰囲気のところにたどり着いた上に、前方には下り坂というよりも崖のようなものが見えてくる。これは道を間違えたなと引き返そうとした瞬間だった。足下が不意に滑る。とっさに踏ん張ろうと両足に力を入れたのだが、既に膝がガクガクになっている状態では踏ん張りきれずに転倒。その時に左足首に激痛が走る。「しまった!」思わず声が出る。どうやら左足首を捻挫してしまったようである。
幸いにしてかなり痛みはあるものの、立ち上がれなくなるような決定的なところまでは足首を痛めてしまっていたわけではないようだ。先の津和野城での石垣からの転落事故以来の事故である。あの時の教訓に従って靴はアウトドア向きのものに変えて、荷物の重量に引きずられないように軽装備にしていたのだが、それでも安土城での脚力の消耗が想定を越えていたようである。とにかくこれ以上先に進むことは不可能であると判断し、左足を引きずりながら今まで通った道を逆向きに参道筋まで戻る。
左 ねずみ岩 右 参道筋はこの手の一言が並んでいる 内容はごもっとも ようやく参道筋まで戻ってきたところで足の具合を見てみるとどうにかこうにか動けそうではあるし、幸いにも痛めたのは左足だったので、AT車の運転には問題なさそうである。とりあえずはこのまま足を引きずった状態で観音正寺の参拝だけは済ませてから駐車場に戻ってくる。
車に戻ってくるととりあえずは次の予定をこなすことにする。やはりこのまま帰ったのでは「美術館遠征」にならない。そこで車を八日市ICの向こう側まで長駆させ、今回の予定に加えていた美術館まで移動する。この美術館はワイナリーの一角にある。
日登美美術館ファッションメーカー・日登美のオーナーが建造した美術館とのことである。奇妙な形をした建物であるが、入口から階段を降りたところにある大展示室にはバーナード・リーチの作品が常設展示、一階の小展示室とドームは企画展示になるとのこと。私の訪問時にはジョアン・ミロの作品とペルシア陶器を展示してあった。
ジョアン・ミロの作品については私は以前より全く興味なし。ペルシア陶器についてはその独特の色鮮やかさが目を惹いた。
やはり本館で一番面白いのはバーナード・リーチの作品だろう。彼はイギリス人でありながら、日本の民芸運動にも深く関わった人物であるが、彼の素朴で過剰な装飾のない作品はいかにも民芸運動の精神に合致していることを感じさせられる。私は基本的に陶器は実用品と考えている人間なので、彼のようなアート優先に走らない作品には非常に好感を持てるのである。
今回は山城回りでかなり汗をかいた。やはりこういう時は温泉で汗を流したいものである。そこでこの近所にある温泉まで車を飛ばすことにする。目的地は「永源寺温泉 八風の湯」。
場所は山の中の川沿いで秘境とまでは言わないものの、かなりのどかな雰囲気。施設はかなり巨大で立派である。食堂やリクライニングチェア完備の休憩室まで完備しており、風呂にはいるだけでなく一日ゆっくりするための施設となっている。
風呂は大きめの内風呂と露天風呂にサウナというオーソドックスな構成。内風呂が熱めとぬるめの二種類になっているは良い。泉質は低張性弱アルカリ単純泉とのこと。源泉100%ではあるが、かけ流しではないと明示してある。ただ湯の肌当たりは悪くないものの、アルカリ泉によくあるいわゆるヌルヌル感はほとんどない。何となくさら湯とあまり区別がつかない印象で(味も全くしない)、温泉という強烈な個性がない。
またタオルから館内着まですべてついてくるとはいうものの、平日1300円、土日1500円という料金は明らかに高すぎ。確かに設備は整っているものの、私のような怒濤の如く温泉に浸かって帰っていくだけの客なら全く元が取れない(笑)。なお残念ながら湯自体は1500円も払うだけの魅力が感じられない(料金が少々高めでも、先々週の岡山桃太郎レベルの湯だと納得はいくのだが)。
さて前日の予定では、この後もう一カ所美術館に立ち寄るつもりだったのだが、朝の出発が遅れたことが最後まで祟り、ここでタイムアップとなってしまった。捲土重来を誓いつつ今回は帰宅の途につくのであった。
結局今回の遠征は、行動開始時間の遅れ、事前の調査不足、さらには途中でのアクシデントなどで所定の目的を果たすことはかなわなかった。観音寺城についてはまだ十分に調査を行ったと言える状態ではないし、この方面には小谷城なども残っているし、いずれ再びこの方面への遠征は不可欠であろう。その時には今よりも体力をつけ、観音寺城について麓の参道筋から登っていくルートをとりたいと思っている(さすがに小谷城との連チャンは無理だろうな)。
なお足の方であるが、この日には痛いながらも歩けていたのだが、翌日の日曜日には足首が腫れ上がって立ち上がるのもおぼつかない状態になってしまった。翌々日の月曜日には痛みはいくらかマシにはなったものの、まだとてもまともに歩ける状態ではない。全治三、四日というところだろうか。何とか次の週末までには動けるようになっていたいものである。
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