展覧会遠征 岡山編3

 

 さて先週は先々週の島根遠征の無理が祟って(やはり二日で山城二つの攻略は体力的に無茶だった)、身体がガタガタだったために休養をとったが、今週は再び車での遠征に繰り出すことにする。とは言っても長距離遠征はせずに近場の岡山である。

 まずは山陽自動車道で笠岡まで移動。井原の通い慣れたる美術館に立ち寄る。


「開館40周年・没後30年 平櫛田中展」井原市立田中美術館で6/21まで

 

 井原氏の生まれである平櫛田中は、地元の小学校などにも多数の作品を寄贈しているとのことであるが、そのような地元への寄贈作品を中心とした田中の作品展。

 対象の魂をも写すかのような凄まじさがあるのが田中の木彫りであるが、今回展示されたのもそのような名品揃いである。ただ中にはそのような凄まじい作品ばかりではなく、かなりユーモアと愛嬌のある作品も含まれており、この作家の表現力の広さを感じさせられるものである。

 このような田中の表現の幅広さを見ていると、彫刻家としては邪道とも言われた彩色に走った訳もなんとなく分かるような気もするのである。結果として、彼の作品は彩色によってさらにリアリティを増していっているのであるから。


 井原の美術館に立ち寄った次の目的地は、井原から総社にかけて東西に流れて高梁川に注ぐ小田川の川縁に発達した街道の町・矢掛である。井原鉄道に沿ってつながる国道486号を快調に突っ走ることしばし、矢掛の手前までやってくる。

 この時点で11時頃。矢掛の散策をする前に昼食を先に摂っておくことにする。ここから北に向かい立ち寄ったのが「石亭 松の茶屋」。豆腐料理専門店である。江戸時代の庄屋の屋敷を改造したという趣のある料理屋である。メニューは松・竹・梅のコースになっているが、私の注文したのは竹コース(3675円)

  

 まずは前菜として生湯葉の刺身などと、夏野菜の椀ものが出される。この生湯葉がなかなかにして濃厚な風味で素晴らしい。

 続いて登場するのは豆乳の入った鍋。これには梅干しが一欠片入れてあり、これを加熱すると固まって出来たての豆腐が頂けるという塩梅。

 これを待っている間に鱧のしゃぶしゃぶと茄子の田楽が運ばれてくる。やはり夏には鱧が一番であるが、このしゃぶしゃぶという食べ方も良い。また茄子の田楽は野菜の味が非常に良く、味噌の具合も絶妙である。

 続いて登場するのは豆腐専門店らしく、手作り厚揚げと生麩。これを炭火であぶってカリッとしたところに田楽味噌をつけて頂く。ほどよく火の通った厚揚げは、表面がサクサクとして実に香ばしい。また生麩のモチッとした食感と味わいも最高。

 さらにそばのサラダ。ゼラチンで固めたそばつゆがふりかけてあるので、これをかき混ぜて頂く。こういうそばの食べ方もあるのだと感心。これを食べ終わる頃には先ほどの豆腐鍋が完成しているので、まずは一口目はそのままストレートで、次には醤油ダレや薬味をつけて頂く。出来たての豆腐の風味は濃厚だが、元々豆腐がそう好きなわけではない私には少々強すぎるかも。

 

 そして飯物として豆ご飯と揚げ物で豆腐の春巻きが登場。正直、この段階での揚げ物は少々キツイかなというのが本音。揚げ物を出すならもう少し前でも良いような。

 最後はデザートの豆乳プリン。ただしこれはプリンと言うよりは「ほの甘い豆腐」(笑)。しかし口当たりは爽やかで、デザートとしては悪くない。

 決して豆腐が好きとは言えない私なのだが、最後までなかなかに堪能したのである。この店は地元でも結構有名なのか、次々と予約客が到着している状況で、昼頃には待ち客が現れていた。私はたまたま開店直後に到着したので、予約なしでもスムーズに入れたが、本来は週末は予約を入れておいた方が確実なようである。

 1時間ほどをかけてゆったりと昼食を頂いた後は、矢掛の市街へと移動する。まずは美術館に立ち寄り、そこで車を置く。

 


やかげ郷土美術館

 地元出身の書家・田中塊堂と洋画家・佐藤一章の作品を中心とした美術館。書の方は全く私の専門外なので興味なし。佐藤一章の方は最初は油絵を中心に描いていた画家が、途中で日本画に転じた模様。油絵時代から結構サクサクと描いているタイプのようだったので、ある意味あり得る転身か。ただ個人的には油絵時代の作品の方が面白い。


 この美術館には火の見櫓のような塔があるのだが、これは水見櫓とのこと。小田川河畔の矢掛では、川の氾濫を警戒する必要があったのだろうと思われる。

 街道の町である矢掛には旧本陣なども残っており、どうやら街並み保存などにも取り組んでいる模様である。本陣は国指定文化財とのことで、そもそもはこの地域で酒造業を営む大庄屋・石井家の屋敷であるという。内部の見学ができるが、とにかく大きな家であるだけでなく、周囲がしっかりと囲われており、ある種の要塞のような堅固ささえ感じられる。往時には多くの使用人を雇って維持していたのだろうと思われる。

  

左 旧本陣外観 中央 大名宿泊用の部屋 右 宿舎から見える庭園

 

  

左・中央 こういう屋敷は良質の木材をふんだんに使用している 右 酒絞り用の道具

 本陣を見学した後はブラブラと街並みを散策。本陣は江戸時代の物だが、街並み自体は昭和レトロと言った雰囲気。そういえば最近は意図せずしてこのような街並みの中を散策することが多くなった。内子を初めとして、大洲、倉吉、智頭のいずれもこのような取り組みを行っていたようである。時代遅れのように思われていた田舎の街並みが、ここに来て文化財的価値を持ち始めているのである。

 江戸時代の風情と昭和レトロが入り交じった雰囲気

 そのままブラブラと脇本陣として利用されていたという高草家まで散策。ただこちらは開館日は金曜と日曜だけとのことなのでそのまま引き返してくる。途中で古意庵という個人美術館に立ち寄り。ここは主人が自ら集めた古美術を展示してある。ここで主人の煎れた煎茶を頂きながら、彼の煎茶道や古美術に対する蘊蓄を傾聴。

 脇本陣 残念ながら本日は閉館中

 矢掛の見学を終えると次の目的地に移動する。次の目的地は備中高松城址。備中高松城は毛利氏の最前線の城であったが、秀吉の水攻めで落城したことで知られている。元々は低湿地の城で沼地に囲まれた攻めにくい地形にあったため、秀吉は黒田官兵衛の策に従って堤を築いて足守川の水を引き入れて水中に孤立させた。これは日本では珍しい大規模な水攻めの例となっている。ただこの城が歴史に名を残しているのは、まず攻め手が秀吉だったことと、何よりもこれが本能寺の変と重なったこと。毛利の密偵を捕らえて本能寺の変を知った秀吉は、毛利にそれを悟られる前に城主の清水宗治の切腹を条件に講和、その後は有名な中国大返しとなった次第。秀吉の生涯を見てみるとこの時がチャンスと同時に間一髪だった時期で、もし毛利に追撃されていたら秀吉の時代はなかったかもしれない(実際に関東方面に出撃していた滝川一益などは、北条勢に惨敗して伊勢まで敗走している)。

  

城址は公園として整備されているが、城郭の面影はほとんどない

 

左 歴史資料館展示より高松城水攻め図 右 写真の吉備線の線路の向こうに堤防が築かれた

 

 現地の駐車場に車を止めると、歴史資料館に立ち寄ってから辺りを散策する。高松城址は公園として整備されているが、既に城址としての面影はほとんどない。沼などが復元されているが、そもそも回りは田んぼばかりの地であり、低湿地であったということは想像がつくようになっている。また当時に築かれた堤防の位置は、ちょうど現在吉備線が走っているところの少し奥に当たる位置であるようである。湖の中に孤立する浮城の状態になってしまった中での、城兵の心境はいかなるものであったかは想像がつきにくいが、その状況下で城兵をまとめきったことや、城兵の助命を条件に自らの命を捨てたことなどを考えても、城主だった清水宗治は名将であったのだろう。なお現地には清水宗治の首塚も残っている。

 城主・清水宗治の首塚

 本丸と二の丸の間の蓮池

 城址見学の後は岡山まで移動。ここもまた通い慣れたる美術館に立ち寄る。

 


「朝鮮王朝の絵画と日本」岡山県立美術館で7/21まで

 

 歴史的に見て日本と朝鮮の文化的結びつきは強い。日本画に対して朝鮮絵画が与えた影響も非常に大きいものがあるという。そのような朝鮮王朝の絵画について展示したのが本展である。

 日本画に対する朝鮮絵画の影響という観点では、一番端的に確認できるのが、展覧会冒頭部分に展示されている一連の虎の絵。これがどことなく猫っぽい物で、円山応挙などの一連の「虎図」を連想させる物である。これ以外にも花鳥画、仏画の類も展示されているが、いずれも日本画にかなり近い物がある。

 ただ展示品の中にはかなり状態の悪いものも多く、美術館の薄暗い照明の下では、何を描いているのかさえ判然としないものも少なくなかった。個人的には一番の収穫は、静岡県立美術館を訪問した際には見ることができなかった伊藤若冲の「樹花鳥獣図屏風」を見ることができたこと。


 美術館見学を終えた後は故あってイトーヨーカ堂に立ち寄る。と言うのはここに入居している近畿日本ツーリストで「スルッと関西2DAY切符」(3800円)を購入するため。以前に季節限定の「スルッと関西3DAY切符」を遠征に使用したが、こちらは季節限定なしのもの。ただし地元民に使用させたくないのか、近畿地区及び三重では発売がされていない。そこで岡山に来たついでに購入というわけである。これは今後の近畿地区遠征で使用されることとなろう。

 これで岡山での予定は終了。これから帰途につくわけだが、その前に立ち寄るところがある。このまま岡山を車で北上、山間部が近づいたところにある岡山桃太郎温泉に立ち寄る。

 かなり山に近いところにあります

 岡山桃太郎温泉は宿泊施設や宴会施設なども完備しており、大衆演劇が行われていたりなど一昔前の温泉旅館というイメージ。ただし温泉だけが目当ての客も少なくなく(私のような)、そういう人間の入浴料は945円である。これでタオルとバスタオルに館内着がついてくる。下駄箱の鍵と入浴料を支払ってロッカーの鍵を受け取るシステムで、私が受け取ったロッカーの番号は666。これがキリスト教徒なら「Oh! My God!」と叫ぶところなんだろうが、浄土真宗門徒である私には全く無関係である(笑)。

 石油堀のプロによって平成6年に深さ1400メートルの地下で掘り当てたという泉源は非常に豊富な湧出量を誇っており、その湯をふんだんに使って、すべての浴槽が源泉かけ流しであるばかりか、シャワーやカランまで温泉を使っているという贅沢さ。しかも湧出温度が41度と高いので、一切の加工をせずに湧き出した温泉をそのまま使用しているという温泉マニアなら泣いて喜ぶ仕様となっている。

 低張性アルカリ単純泉の湯は、肌にあたるとしっとりとした感じがする。あの鼻を突く塩素殺菌の臭いは当然ながら全くなく(塩素を使っていないのだから当然)、その代わりに硫黄の匂いがする。ここの湯は飲泉も可能であるが、その場合も特に味はしないのであるが、硫黄の香りはハッキリと感じられるようになっている。

 浴槽は内風呂が岩風呂とジェットバスで、露天風呂が岩風呂と檜風呂の2種類がある。この檜風呂がまた見晴らしも良く、非常に快適。またサウナも完備しているが、通常サウナだけでなく、温泉の熱を使用したという60度の韓国式サウナもある。

 泉質に関してはすばらしいの一言。水温がやや低めなので、露天でゆったりとつかりながら疲れを癒すことができる。なお私が入浴した時はちょうど大衆演劇の公演時間中であったので、浴室内に入浴客の姿も少なく、露天風呂を貸し切り状態でゆっくりとすることができた。入浴料が若干高めのようにも思われるが、タオル等がついてきてこの泉質であれば十分に妥当なところではないかと考えるところである。なお元々は料理屋であったとのことなので、食事をして帰るのもいいだろう。

 温泉でゆったりとした後は、途中のハンバーグ屋(安いのだけが取り柄のような店であった)で夕食を摂ってから、山陽自動車道で帰途についたのであった。

 

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