展覧会遠征 福井編
さて青春18シーズンまっさなかであるが、次の私の遠征先は福井ということに決定した。これは北陸地区でどうしても行きたい展覧会があったから・・・でないことを正直に白状しないといけない。私の遠征はあくまで「展覧会を回ること」が主目的であるのだが、昨今は明らかにそれだけが目的ではない遠征が増えて来つつある。実のところ、現在は各地であまりめぼしい展覧会はなく、今回の北陸遠征の主眼は現存12天守の中で私が未攻略の丸岡城を見学するというものであるのが正直なところである。
思えば丸岡城については、昨年の北陸遠征時に当初予定に入っていたにもかかわらず、悪天候と予算不足による計画縮小で省かれたという経緯がある。今回は晴れてそのリターンマッチと相成ったわけである。
とはいうものの、予算が最低限だという事情は変わらない。今回は青春18切符を最大限に使用するために、普通列車を乗り継いでの旅というかなり体力勝負のものとなってしまった。ただ今回こんな無謀な遠征を計画できたのも、先々週の広島日帰りというかなり無謀な計画(正直、かなりしんどかった)を成功させた自信があってのものである。
早朝に出発すると、まずは新快速で敦賀まで移動。しかしこの時から前途に暗雲が漂っている。湖西線エリアが強風のために、サンダーバードなどの特急が米原経由のルートに変更になったので、ダイヤが狂っているというのである。私は元よりサンダーバードなど利用する気はなかったが、問題はその煽りを食って、私が乗車した普通列車のダイヤまで影響を受けていること。しかもそれでなくても青春18シーズンで乗客が多いところに、サンダーバードに乗車できなかった客までが流れ込んできたので、私の乗車した新快速は途中からすし詰め状態。そのまま敦賀に到着する。
敦賀で接続の普通列車は新快速の到着を待っていたが、問題は圧倒的な乗客の多さ。ここでいわゆる「第四次スーパー席取り大戦敦賀編」が繰り広げられるのだが、今回は私は参戦以前に敗戦確定である。何しろ異常な混雑ぶりに列車から出られないのである。ようよう乗り換え列車に乗り込んだ時には座席の確保はおろか、立ち位置を確保するのにさえ苦労するような有様であった。しかもこの時に運行していた475系列車は、デッキ付きの前後扉タイプの車両なので(そもそも急行用車両だったようだ)、大量の乗降には不向きだし、クロスシート主体のセミクロスシート構成の車内は収容力が少ないしで、混雑にさらに拍車をかけてしまっていたのである。
敦賀を出るとすぐに長い北陸トンネルに突入である。長い、それにしても長い。もしこんなところで火災が起こったらなんて想像するとゾッとする。実際に1972年にこのトンネル内で車両火災が発生し、多くの犠牲者を出した。この事件についてはNHKのプロジェクトXでも放送されたが、この事件を機にトンネル内での車両火災に対する安全対策が一気に進化したと言われている。
トンネルを抜けるとしばらくは山の中。平地に降りてきたら田んぼの光景に一変する。まさに米どころである。「笑っちゃうほど田んぼ」というやつで、私が以前に車でこの地域を走った時に感動した光景でもある。武生周辺から急に家が多くなってくる。ちなみにここは福井鉄道もこの近くを走行している。ようやく車内が空いたのは福井に到着してからであった。
今回の最終目的地は福井であるのだが、その前に一端金沢に行く予定である。これは当然ながら金沢で行われる展覧会に立ち寄るためというのが第一目的である。ただし、第一回北陸遠征は自動車によるものであったし、第二回北陸遠征は旅費の関係から金沢まで高速バスで移動したので、金沢までの北陸本線が未調査であるということも理由の一つでもある。
ここからさらに金沢までは長い旅である。沿線風景は福井をすぎるとまたすぐに一面の田んぼである。途中で加賀などを過ぎてから行き当たる大きな川が、かつて上杉謙信が夜襲で織田軍を徹底的に打ち破った合戦で有名な手取川である。手取川を過ぎた頃から住宅地が増え始め、やがて辺りが都会の雰囲気になると金沢に到着である。
敦賀を発った時には10分ぐらい遅れていた列車は、後ろから抜かれるはずだったサンダーバードが来なかったことから、待ち合わせ駅を過ぎるたびに遅れを取り戻し、最終的にはほぼ予定通りの到着。やれやれである。
金沢駅に到着
金沢駅でトランクをロッカーに放り込むと、とにかく腹が減ったので(朝起きてからまだ何も食べていない)、昼食のために近江町市場を目指す。しかしなんと近江町食堂を始め、すべての店に大行列ができている。そもそも食事のために行列に並ぶなどという価値観を持ち合わせていない私は、あきれて他の店を目指すことにする。
近江町市場は今まで何度か行ったが、あそこまでの行列は見たことがない。もしかしてテレビか何かで仕掛けたのだろうか? 何しろ一般人はテレビなどが仕掛けると、情けないほどに踊ってしまうのだから・・・。そんな光景を見た時の私の心境はと言うと、楽天の野村監督と一緒に「バッカじゃなかろかルンバ」を踊りそうな感じである。ちなみに確かに近江町食堂などはCPに優れた店ではあるが、それは傑出しているというわけでもなく、金沢は他にもCPの優れた店が多く、全体のレベルが高い(特に東京などと比較すると勝負にもならないぐらい)というのが実態である。
近江町市場に立ち寄るためにバスを武蔵が辻で降りてしまった私は、ここからまたバスに乗り直す気にもならず、そのまま目的地である美術館方面までブラブラと歩くが、途中で思い立って、そのまま香林坊を通り過ぎて片町まで歩き、そこで昼食とする。
私が昼食を摂ることにしたのは「洋食屋RYO」。注文したのは「RYO定食B(1100円)」である。
出されたのはハンバーグとクリームコロッケのきわめてオーソドックスな定食。しかハンバーグが柔らかくて非常においしい。特別に驚かされるようなところはないが、安心する味というか、CPの高さを感じさせる。結局は近くにいたらちょくちょくランチを食べに来る店といったらこんな店になるんだろうというイメージ。これにアフタードリンクとしてアイスティー(100円)、デザートとしてミニあんみつ(180円)をつけてこの日の昼食は終了。このデザート類も非常にCPの高いものだった。
さてようやく腹がふくれたところで目的地まで移動である。一応私の遠征は「展覧会遠征」であるので。
「杉本博司 歴史の歴史」21世紀美術館で3/22まで古代の遺物、例えば土器の欠片などからでもアートの心を感じる時があるが、どうやらこの作者はそのようなアート精神に触発されたようである。ある時は寺の廃材、またある時は太古の石器などをモチーフに、それに手を加えたり再配置したりして彼は自らの作品としているようである。
着想としては面白いと言えるのだが、それがアートとしてどういうメッセージを持っているか。正直なところ、元々のモチーフが持つメッセージが強烈すぎて、そこに付け足された作者のメッセージが見えてこない気がする。彼の本業は写真のようであるが、やはりその写真作品が唯一作者のメッセージが明確に見えたように思われたのである。
さらに隣の美術館へも足を伸ばす
「百万石の大名展」石川県立美術館で3/22まで
石川県は加賀百万石前田家のお膝元であるが、やはり前田家ではその格にふさわしい美術・工芸が花開いていた。そのような百万石大名前田家ゆかりの品々を展示したのが本展である。
とは言うものの、私は工芸の類はあまり興味を持っていない。螺鈿細工や蒔絵などには確かに感心するものの、残念ながら「綺麗な・・・」で終わってしまうのである。
ここまで来たついでに、今まで入ったことのなかった隣の藩老本多蔵品館と県立歴史博物館へも立ち寄っておく。本多蔵品館の方は、加賀藩の有力者だった本多氏にまつわる品々を展示しており、当時の藩士の生活が伺えるようになっている。歴史博物館の方は石器時代から現代に至るまでの金沢にまつわる文物を展示しており、これはどこの歴史博物館でも同じようなもの。じっくりと回ればかなり楽しめそうだが、時間がないので駆け足で回ることになる。
藩老本多蔵品館と県立歴史博物館 金沢での目的を終えると、バスで金沢駅に帰還、そのままJRの普通列車で福井まで折り返しである。今日の宿泊地は福井となっている。
福井で宿泊したのはホテル本陣。例によって選択条件は、朝食付き、大浴場付き、安価な宿泊料というところである。オーソドックスな過不足ないホテルという印象。
ホテルにチェックインしてから、夕食を摂るために繰り出す・・・と言っても、福井はどうにも活気がない上に、夜が早いのか7時を過ぎるとしまっている店も多い。結局はホテルからそう遠くない佐佳枝亭本店で摂ることにする。
注文したのは「上カツ丼(910円)」と「カモなんばそば(860円)」。カツ丼の方については特に可もなく不可もなし。そばについてはもっちりした食感が福井そばなのか。カモなんばは大体あっさりした味付けにするところが多いのに、ここのは結構こってりした味付けにして香辛料を効かせていたのが特徴。最初一口食べた時は、今ひとつかという印象を抱くのに、食べている内にくせになるタイプ。
さて夕食を終えるとホテルに戻り、大浴場でゆっくりと疲れを抜いてからこの日は床につくのであった。
翌朝はゆっくりと7時起床・・・のはずだったのだが、自動的に6時半に目が覚めてしまうサラリーマンの習性が悲しい。それでも通常は移動効率を最大にするために、5時起床の6時チェックアウトなどという無茶なスケジュールがある私にしてはゆっくりとした朝である。まずは朝食をとる。これがたっぷり和食で実に私好み。しかもさすが福井は米どころ、ご飯がうまい。
朝食が終わるとここでゆっくりと朝風呂。「あぁーいいなぁ」という言葉が自然と出る。いつもこんなにゆったりしたスケジュールだと楽なんだが。
ホテルを8時過ぎに出るといよいよ今日の予定の開始。早速今回の遠征の主目的である丸岡城まで飛んで行きたいところでもあるが、それは明日の予定。まずは福井城の見学から。
とは言うものの、福井城は本丸の堀と石垣の一部しか残っておらず、本来の本丸があった位置には県庁などが建ってしまっている。城がそのまま政庁となって、結果として遺構が破壊されてしまった事例である。それでも残されている石垣や天守台などは威風堂々としたもので堪能できる。なお天守台では福井地震の影響で大規模な崩落が起こったらしく、切り込みはぎの石垣が部分的にずれてしまっている。
北側から本丸跡を望む 本丸跡には石垣が残っている 天守台も残存
天守台周辺の石垣は福井地震の影響が残っている 御廊下橋と大手門付近の石垣 福井城の見学を済ませた後は福井駅に移動。後々への伏線として、福井電鉄やえちぜん鉄道の福井駅の位置を確認してから、えちぜん鉄道と福井鉄道の共通一日乗車券を購入しておく。
福井鉄道は路面電車。JR福井駅は現在は工事中。
えちぜん鉄道の福井駅はJRのすぐ裏側。 共通フリー切符をゲット。
さて今日の予定であるが、今日は「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としての活動がメインとなる。今日の視察対象は越美北線である。越美線は山岳部を突っ切って福井と岐阜を直結するルートとして計画された路線であり、福井側と岐阜側の両側から建設が開始されたが、その完成を前にして国鉄改革で建造が中断、その後に越美南線が長良川鉄道として民営化されたことで、完全に取り残される形となってしまった悲劇の路線である。
何しろ終点まで行く列車は一日四往復しかない閑散路線(三江線よりはマシだが)だけに乗り逃すと大変である。発車時間よりも早めに駅に入る。しかし予想に反してホームでは多くの乗客が列車の到着を待っている。乗客なんてほとんどいない状態を予想していた私は見事に肩すかしを食らう。
しかしよく見てみると乗客の半数以上は明らかに地元民ではなく、鉄道マニアと思われる連中。やはり鉄道マニアには共通のスタイルがあるのですぐ分かる。彼らはどんな天候にも対応できるように厚めのジャケットを羽織り、どんな場所でも対応できるようにスニーカーを履き、身軽に移動できるようにリュックを愛用しており、何より必ずカメラ(なぜかキヤノンが多い)を持っている・・・ってよくよく考えるとまんま私の姿だった。ただ私が彼らと違うのは、一般的にアウトドア活動の多い鉄道マニアは、室内活動オンリーのアニメおたくなどと違い、ガリガリや肥満が少なく中肉中背が多いことである。
なお「鉄道マニアではない」私の場合、当然のように鉄道に乗ることだけが目的となることはなく、行く先々で何らかの観光がついてくるものだが、鉄道マニアも上級者となると、ただひたすらに鉄道に乗ることだけをストイックに極めるため、その風貌からは悟りのような心境さえ感じられるようになるとのことである。なおいずれの世界も上級者には上級者のスタイルがあり、城マニアの上級者は半分廃墟と化したような山城跡を攻略するためにほとんど登山家のようなスタイルとなり、洞窟マニアに至ってはほとんど川口浩探検隊となってしまう。これに比べると、やはり「ただの一般人」である私は、やはり「普通の」スタイルになってしまう。
しばらく待った後、キハ120の二両編成がディーゼルエンジンの轟音を響かせて到着した。ご多分に漏れず越美北線も全線単線非電化であるので、こういう時は必ずこの車両である。
越前花堂で北陸線と分かれた越美北線はひたすら田んぼの中を走行する。しかしそれも一乗谷までで、そこからは険しい山の中へと突入する。その風景も計石駅を過ぎた頃に再び一変。開けた平地が広がってくる。これが大野盆地である。周りを見るとぐるりと高山に囲まれており、遠方の山は雪をかぶっている。やがて列車は大野市の中心である越前大野駅に到着。ここで二両目が切り離しとなる。切り離された車両は折り返しで福井行きとなり、先頭車の方はこのまま終点の九頭竜湖駅を目指すが、ここで地元民らしき乗客はほとんど降りてしまい、いよいよ残ったのは私以外は鉄道マニアだけという雰囲気になる。
一乗谷までは田んぼ地帯
大野盆地の回りには高山が多い
しばらく大野盆地を走行した後、列車は再び山岳地帯に突入する。勝原を過ぎたところからはトンネルの連続となり、特に荒島隧道は直線的できわめて長大なトンネル。そしてそれを抜けたところが九頭竜湖駅となる。
さて終着の九頭竜湖駅だが、観光センターがあったりするが特に何があるわけでもない。近くに九頭竜湖ダムがあると言うが、当然のようにここからは全く見えないし、歩いていくという気になるような距離でもないらしい。結局は今到着した列車が折り返すのが10分ほど先なので、その間は写真でも撮って時間をつぶす。
再び折り返しの列車に乗車する。車内を見回すと先ほどの顔ぶれがほとんどそのまま乗っている。やはり彼らは終点に来ることだけが目的の鉄道マニアだったようだ。こうして見てみると、越美北線については、越前大野までは明らかに地元の足としての需要はあるが、そこから先はハイキング客か鉄道マニア以外にはほとんど需要がなさそうである。またこの路線が完成して、岐阜まで接続されていた場合だが、やはり巨額の建設費負担だけがのしかかることになっただろう。どうもこの路線もあまり明るい将来像を描けない。
私はそのまま越前大野まで戻ってくるとここで途中下車する。「鉄道マニアではない」私の場合、越美北線に乗ることだけが目的となることはあり得ない。ここに来たのは大野市を見学していくためである。大野市には町を見下ろす亀山の山上に越前大野城が建っている。これを見学しておこうという考えである。
さて大野城であるが、そもそもここに最初に城を築いたのは金森長近であったという。その後めまぐるしく城主が転々としたが、例によって明治になって建物は破却された。昭和43年に、昔の絵図を元に鉄筋コンクリートで天守が再建されて今日に至っているが、この天守については必ずしも厳密に史実に従ったものではなく、いわゆる「なんちゃって天守」である。ただ山頂付近に残る石垣は当時の遺構だとか。
とりあえずは山頂を目指す。山頂まではハイキングコースになっており、スロープで登れるようになっている。とは言うものの、駅からここまででも結構距離があるのに、さらにこの登りはかなり足腰につらい。やはり私は鉄道マニアや城マニアよりは体力がない一般人のようである。
ただその疲れも山上の石垣を見た途端に吹っ飛ぶ。大野城の石垣は自然石を用いたいわゆる野面積みで、福井城の切り込みはぎのような凝ったものではないが、より実用的で実はこれはこれでかなり高度な技術が必要なものなのである(現代ではこの石垣を積める職人はいないと聞いている)。無骨であるが実に堂々とした石垣で心底感動。なんか最近、城マニアではないつもりだったのに、城の石垣に感動するようになってきた。そう言えば石垣の石の写真を撮るようになったりなど、明らかに行動パターンが城マニアに・・・。
復元天守については残念ながら冬季閉館中とのことで内部の見学はできなかったが、実際はこの手の天守は外から眺めているに超したことがないのが実態だったりするから、これで良しとする。
城の見学を終えて山から下りてくると、麓の民俗資料館をのぞいてから、近くの観光センター内にあった「平成大野屋」で昼食とすることにした。注文したのは「ふるさと御前(1580円)」。
料理はあまごの塩焼きに小鉢類、それに福井らしくそばなどを添えた和風定食である。正直なところ観光センター内の飲食店なので味にはほとんど期待していなかったのであるが、これが予想に反してうまい。特にそばや小鉢の類が非常にうまい。地元産の野菜を使用していると言っているので、これも地産地消だろうか。まさに予想外であった。
昼食を終えた後は市内をブラブラする。大野市の中心街は町並みにもこだわっており、なかなかに風情がある。なお今年は3/20から朝市が開催されているというが、残念ながら私が大野市に到着したのは既に昼前であったので、朝市の痕跡すら残っていない。次の移動のバスの時間までまだ余裕があるのでさらにブラブラしていると、「福そば本店」という看板が目に入ったので、フラッと中にはいる。注文したのは「おろしそば(500円)」。
さっぱりした大根おろしに、歯ごたえのあるそばが絶妙のバランス。昨日の佐佳枝亭よりも、こちらの方が私がイメージする日本そばのイメージに近い。非常にさわやかな口当たりで実にうまいそばである。
ところで先ほどの平成大野屋といい、この福そばといい、料理の味については文句ないのだが、どうも客あしらいが慣れていないのかあたふたとした雰囲気があり、どうにも印象が悪い(実際にムッとしそうになるシチュエーションがあった)。観光がメインの地域のようなのだが、その割には観光慣れしていないのだろうか?
腹ごしらえも完全に済んだ頃にはそろそろバスの時間。次はここからバスで勝山まで移動である。やはり私としてはこのまま越美北線で福井に戻るのも芸がないので、勝山まで移動してえちぜん鉄道で帰ってやろうという考えである。この計画だったからこそ、朝の伏線が生きるわけである。
ざっと30分程度のバスの旅だが、先週の伊勢奥津のバスなどと違って道が良いので疲れない。それにしても福井では道路にしても施設にしても巨大開発が目立ち、どうもハコモノ行政色が強いような印象を受ける。途中で遠くに天守閣のような建物が見えるが、それは勝山城博物館。しかしこの辺りに勝山城という城があったのは事実だが、現在はその遺構は全く残っておらず、今建っている博物館は元々の勝山城とは位置・形態その他において全く縁もゆかりもない。これもいわゆる「とんでも天守」である。なおその近くに見えるこれまた巨大な建物は越前大仏。こういうのを見ていると、福井の巨大開発は単なる公共事業依存だけでなく、福井県民の県民性なのかもしれないという気もしないでもない。そんなことを考えているうちにバスは勝山駅に到着する。
えちぜん鉄道HPより 勝山は恐竜博物館で有名であるが、えちぜん鉄道の勝山駅でも恐竜の像が迎えてくれる。えちぜん鉄道はそもそもは京福の運営していた路線を第三セクターを設立して受け継いだものである。収益面では苦戦していると伝えられているが、女性アテンダントの細やかなサービスなどで話題を呼んでおり、「ガイアの夜明け」にも取り上げられたことがある。
勝山駅には恐竜がいます
九頭竜川に沿って走行するえちぜん鉄道の路線はなかなかに風光明媚である。またアテンダントのサービスも、乗客の一人一人に合わせており非常にきめ細かい。ちなみに私は福井で宿泊することを告げると、アテンダントから福井周辺の飲食店マップをもらった。これは非常に助かる。ただ一つだけ気になったのは、彼女は私を一目見るなり鉄道マニアだと判断したようであること。私はそのつもりはないのであるが・・・。
列車にはアテンダントの女性が搭乗します
風光明媚な田園風景から、あたりが都会の風景に変わってきた頃から急激に乗客が増えて車内が混雑する。この路線は東半分の観光路線と、西半分の都市近郊路線とに性格が完全に二分されるようである。1時間に2本というこの手の路線としては比較的多頻度運転であることが功を奏しているのか、利用者はそれなりにいる。えちぜん鉄道は経営的にはかなりしんどいと聞いているが、やはり様々な工夫によって地元で支持はされている印象をうけた。少なくともこの路線は滅びるべき路線ではないと感じた。
風光明媚な山岳風景に福井と言えばやっぱり田んぼ 三国芦原線との分岐である福井口を過ぎると右手に建設中の新幹線の高架が見えてくる。その横をすり抜けるように列車は走行しつつ、やがて福井に到着する。私は福井で下車すると、ここから福井鉄道の福井駅前まで最小限の時間で迅速に移動する。これは事前に作成していた分刻みのスケジュール表に従った行動であり、遅延は許されない。このために朝にわざわざ駅の位置まで確認しておいたわけである。これが伏線パート2。私が行動する際にはかくも細心の注意をもって事前準備するわけである(どうしてそれを仕事に活かせないかということはここでは忘れるように)。
二両編成の路面電車
福井鉄道は福井市内で鉄道およびバスを運行しているが、鉄道については収益悪化によって最近になって経営から撤退、路線は現在は実質的に地元自治体などが運営しているという。路線は田原町から武生まで延びているが、とりあえずは田原町まで移動する。田原町駅はえちぜん鉄道の駅とひっついており、伊予鉄道の古町駅のような雰囲気である。とりあえずここから近くの美術館へ徒歩で移動。
田原町では路面の駅と専用軌道線の駅がつながっている
「川喜田半泥子と人間国宝たち」福井県立美術館で3/29まで陶芸家の川喜田半泥子の作品を中心に、荒川豊蔵、金重陶陽、三輪休和ら人間国宝の陶芸作品を展示している。
陶芸に関しては全くの素人(というか、ほとんど興味がない)の私であるが、川喜田半泥子の作品については、その多彩さと鋭い感性に感心させられることが多々あった。陶芸作品を見て面白いと思うことはほとんど無いのだが、なぜか彼の作品は胸に飛びこんできて非常に共感を呼ぶのである。これは感性の一致なのだろうか。素朴な形態、その自然な色遣い、それでいて多彩なバリエーション、そのすべてが心地よいのである。
田原町に戻ってくるとここから武生まで福井鉄道乗りつぶしである。路線は福井新駅の手前までが路面軌道でそこから先は専用軌道となる。専用軌道に突入するやいなや、一気に車速があがるのであるが、そうなると車体が揺れる揺れる。一畑電鉄ほどではないが、それでもやはり路盤の状態があまり良くないと思われる。列車はそのまま一時間弱で終点の武生新駅まで到着する。
新武生駅に到着 ここからは徒歩でJRの武生駅まで移動して、JRで福井まで戻ってくる(その方が早い)。なおこの時に乗車したのがクモハ419という列車なのだが、どうもシートピッチは異常に広いし、運転台はいかにも後で付け足したような雰囲気だし、奇妙な車両だと感じたのだが、後で調べてみたところによるとどうやら寝台車を改造したものらしい。道理で頭上に寝台らしきものの痕跡があると感じたはずである。
クモハ419 中間車を改造して先頭車にした俗に言う「食パン車両」
異様に広いシートピッチ。頭上の謎の装備は元々は寝台だったもの。 福井まで帰ってきたところで、ようやく夕食にすることにする。今日の夕食は「ヨーロッパ軒」で福井名物という「ソースカツ丼セット(1050)」を摂ることにした。
ソースカツ丼とはその名の通り、ウスターソースをかけたトンカツをご飯にのせたもの。普通のカツ丼は醤油味の卵とじの丼にカツを入れたものだが、これは洋風のカツをそのままご飯に乗せているわけである。ご飯にソースという組み合わせに最初は疑問を感じるが、これが実際に食べてみると非常にうまい。ここのオリジナルというウスターソースは、確かに直接なめてみるとソースの味がするのだが、これが比較的甘みが強いソースで、ご飯にかけるとタレのような感じになって非常に相性が良い。以前に某所でやはりソースカツ丼を食べた時には「これは失敗メニューだ」と感じたのだが、ここのソースカツ丼はクセになりそうな味である。これは名物になるのも頷ける。
カツが3枚入っています
牡蠣フライを追加
カツ丼がうまかったついでに、さらに「牡蠣フライ(500円)」を追加注文して、この日の夕食は終わりとなった。そして夕食を堪能し終わってみると、自分が福井の町をだんだんと気に入り始めていたのに気づいたのだった。やはり私はうまいものを食べるとその町が好きになるらしい。基本的には私の好きな町は、うまいものがあって、城があって、できれば路面電車があって、そして安くて良いホテルがあるところである。現在この条件を完全に満たしているのは松山、ほぼ満たしているのが広島、松江、金沢である。
さすがに2日続けての2万歩越えで疲労がたまっているのか、昨晩は11時で床についたのだが、逆に疲れすぎているのか妙な夢(というか悪夢)を見たせいで、なんと翌朝4時半頃に完全に目が覚めてしまう。再び寝る気もおきないのでテレビをつけるとWOWOWで「ロッキー・ザ・ファイナル」をやっていたので、ボーっとそれを見る。ご都合主義で、暑苦しくて、何を今更というような映画であるが(団塊親父が若者に説教しているような映画である)、さすがにエンターティーメントのツボを心得ているというか、これはこれでかなり感動的。とは言うものの、もしかするとそれはあくまで私のような第1作をリアルタイムで知っているようなオッサンの感覚であって、今時の若者にはもっと異なった感想がありそうな気がする。
朝食を済ませると8時過ぎにホテルをチェックアウト。しかしこの時にトラブルが発生。トランクの持ち手がやけにグラグラすると思ったら固定ネジが飛んでしまったようで、一方が固定されない状態。このトランクも今まで数々の遠征を私と共にした歴戦の強者なのだが、ついにガタが来てしまったか。ただガタがくるならキャスターだろうと予想していたのだが、まさか持ち手にくるとは。
今朝は生憎の雨。その中を不調なトランクをゴロゴロ転がしながら駅まで移動。今日はまずはえちぜん鉄道での移動からである。えちぜん鉄道は福井から勝山を結ぶ勝山永平寺線と福井から三国港を結ぶ三国芦原線がある。このうちの勝山永平寺線は昨日乗車しているので、今日は残りの三国芦原線を攻略してやろうということである。トランクを駅で預けると、えちぜん鉄道の一日乗車券を購入する。
列車はしばらくは福井の市街地を走るが、まもなくそれをはずれると、後は延々と田圃の中を走行することになる。まさに米どころ福井らしい風景を堪能できる路線である。田圃の真ん中に忽然とホテルが林立しているのが芦原温泉。ここで多くの乗客が降車する。それを過ぎると三国の集落に入り、東尋坊行きのバスも出ている三国駅で残りの乗客の半数が下車。次の駅が終点の三国港である。
沿線には田んぼが多く、終点の三国港駅も何もない 三国港は何の変哲もない田舎の住宅地という趣で、全く何もないところであるが、驚いたのはここまで乗車した乗客は全員、降車した途端に辺りの写真をバチバチと撮り始めたこと。しかも降車してもどこかに行くという風もない。どうやらここで降車した客は、若者も年輩も子供連れも全員がいわゆる鉄道マニアであったようだ。越美北線の時のような見るからに濃いマニアとは違っていただけに、私もまさか全員が鉄道マニアとは想像もしなかった。
さて私であるが、三国港駅の調査が終わったところで来た列車で折り返すと、あわら湯のさと駅で降車したのだった。
鉄道マニアではない私は、何もただ単にえちぜん鉄道に乗るためだけにこんなところに来るわけがない。当然ながら福井にきたのだから芦原温泉くらい立ち寄ってやろうというごく普通の考えからである。とは言え、福井くんだりまで延々青春18切符でやってきたような貧乏旅行者である。芦原温泉のホテルなどに泊まる予算などあるわけもなく、当然のように外湯利用である。芦原温泉にはユートピアあわらなる共同浴場施設が建設されているので、これを利用する。
施設は天の湯と地の湯の二種類があり、男女で週交代になっている。今週は男は天の湯の方だという。天の湯は施設の最上階にあり、空を仰げる露天風呂が売り。とは言うものの、その露天風呂はそんなに大きくないし、高い壁に覆われているのでまるでバケツの底。空しか見えないというのが実態。もっともこうでないと、高層ホテルが林立している中だから、丸見えの湯になってしまうし。
お湯自体はわずかに苦みがあるものの、印象の薄い湯。飲泉しても普通に飲めるぐらいだから、無機塩分はあまり濃くないのだろう。ただ肌あたりは比較的柔らかい。
温泉に浸かった後は喫茶でバスの到着までの時間をつぶす。次はここからバスで移動の予定。次こそがそもそもの本遠征企画の中心となった丸岡城の訪問である。
丸岡城まではバスで1時間ほど。城入り口のバス停で降りると、もうそこに天守閣が見えている。丸岡城は天守閣以外の遺構はほとんど残っておらず、そもそもかつての内堀だったところにまで住宅が建ってしまっているので、住宅の裏山に天守閣が建っているイメージである。とにかくその小山を上り、手前の料金所で料金を払って入場。すると目の前にすぐに天守閣が姿を現す。
さすがに現存天守 風格が違う
天守閣を目の前にすると思わず息をのんだ。想像以上の風格と言ってよいだろう。野面積みの無骨な石垣の上に、まさに天守が君臨しているというイメージ。また雪国であるために丸岡城では瓦の代わりに石を用いているので、それが外観の無骨さにさらに磨きをかけている。丸岡城は日本最古の現存天守と言われているが、確かに実用に徹した城であったのだろう。
かつて屋根に置かれていた石鯱と無骨な野面積みの石垣 その無骨さは天守閣の内部にも及んでいる。驚くのは内部の階段の急さと段差の大きさ。さすがにそのままでは危なすぎるので、天井からロープがぶら下げてあり、これを使ってロッククライミングさながらに階段を登ることになる。
ロープを伝って急な階段をよじ登ると天守の内部はかなり無骨な作り。また石を用いた瓦も見える。 ただむしろ問題は登るときよりも降りるときだった。そもそも高所恐怖症の私は足がすくむのに、今日までの二日連続の二万歩越え歩行のダメージに、さっきの階段登りのダメージが決定的に加わって、ここに来て完全に膝が笑ってしまっているのである。こうなると踏ん張りがきかないので危なっかしくてたまらない。こんなところから転落したら洒落にならないので、慎重におっかなびっくり降りる羽目になったのだった。天守閣の次には近くの資料館にも立ち寄ったのだが、この時にも既に普通の階段の上り下りに不自由する状態になってしまっていた。
かつての丸岡城の姿(許可を取って撮影をさせて頂きました) 資料館の内部には、往時の丸岡城を再現した模型が展示されていたが、これによると本来は堀だったところは埋め立てられてて、今では完全に住宅地となっている。おかげで住宅地の裏山に天守閣が建っているような風景になってしまっており非常に残念。せめて堀だけでも残っていればと全国の愛好家が悔しがっているというのも納得。ただ堀を復元しようと思うとかなり多くの住宅を移転させることになるだけに復元は難しかろう。
今ではこういった光景になってしまっています これで本遠征のメインイベントは終了である。しかし丸岡城は想像以上であり、そのためだけでもここまで来た価値はあったと断言できるものであった。後はバスで福井に戻る。ただしその前に途中下車。市立民俗資料館に立ち寄る。やけに駐車場が大混雑していると思えば、なんと今日は入場無料の日だとか。ついてる。
展示は大奥にまつわる特集が行われていた。ブームに乗ってということのようであるが、微妙に古いのがなんとも。現在の流行の最先端は、「愛」の前立てがついた兜の方に変わってしまっている。
特集以外はどこでもあるようなご当地発掘物などの紹介。展示物の中でもっとも私が興味を持ったのは、往年の福井城の偉容についての紹介。福井城の遺構は現在残存している本丸の石垣や内堀だけであるが、そもそもは今の福井市街はほとんどが城の領域に属しており、現在の駅前は百間堀を埋め立てた後に存在しているということだ。
最後に在りし日の福井城の姿を確認したところで、これでとうとう全予定終了である。後は福井駅でとりあえずの昼食を腹に叩き込むと、ひたすら普通列車を乗り継いで帰宅するのみ。私と同じ青春18旅行者がひしめく中、長い帰宅の途へとついたのであった。
途中で雨に祟られることの多い遠征となってしまったが、幸運なことに二日目には絶好の好天に恵まれて越前大野では絶景を楽しむことができたし、最終日も常に雨に降られていたにもかかわらず、最重要ポイントである丸岡城訪問時には雨が途切れていた。おかげでかなり堪能できる遠征となったのが今回である。また前回に福井を訪問した時には、正直なところ今一つの印象を抱いていたのであるが、今回の遠征で福井に対する印象はかなり修正されることとなった。それにやはり丸岡城の威容は忘れがたいものがあり、まさしくこれだけでもはるばるやって来たことが報われたと言えるものである。
またしても鉄道の長旅となった。なお小泉政権による庶民貧困化政策以来、明らかに18切符ユーザーが増えていることを感じていたが、この不況でさらに拍車がかかったようである。もっとも18切符ででも、旅に出ようという余裕がある者はまだ良い方なのだろう。現在は旅なんて思いもよらない者も増えているのだがら。
また麻生政権の人気取り政策の一環として、高速道路1000円政策が導入されたが、これは鉄道にとっては大きな驚異となるだろう。これに対してJR西は新たな割引切符の販売などを発表しているが、それらがなぜかすべて「販売は2名から」。ふざけているというか、顧客を無視しているというか(JR西の顧客無視は今に始まった話ではないが)。これは必然的に今年の遠征は車が増えそうである。
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