展覧会遠征 松阪編

 

 さて、この春の青春18遠征の第二弾だが、先週は西に行ったので今度は東と考えるのが妥当というところだろうか。思案の結果、目的地は松阪・伊勢方面とすることにした。この方面と言えば、以前に松阪は桑名方面を訪問した時に立ち寄っているが、その時はまさに「立ち寄っただけ」で、ろくに辺りの見学もできず、ほとんど駅弁を買いに行っただけのよようなものだった。また伊勢に至っては小学校での修学旅行以来である。ここらで一度訪問しておいてもという気が起こったわけである。

 さてルートであるが、本来は大阪から近鉄特急というのが普通であろう。しかしそれでは面白味がないし(行程に面白味が必要だろうか?)、何よりも青春18切符をフルに生かすことができないのでコストがかかる。さらにこの地域に残されている宿題もあったことから、時間がかかるのを覚悟であえてJRを使用することとした。このような経緯で必然的にルートは決定された。

 

 当日は生憎の雨(豪雨と言っても良いかも)。その中をまずは新快速で草津を目指す。草津に到着するとここからJR草津線に乗り換えである。草津線には何度か乗車したことがあるが、ひたすら田舎地域を走るだけの面白味に欠ける路線である。柘植に到着するとそこで関西本線に乗り換え。車両は例によってJR西日本ローカル線で嫌と言うほど目にする新潟トランシスのキハ120型の2両編成である。結構閑散としているイメージのあるこの路線だが、今回は草津線から大量の乗り換え客がいて、乗車率は100%という状況である。

 そのまま山間を抜けると直に亀山に到着。ここで紀勢本線に乗り換えのため、30分ほど待たされる。実は今回の宿題というのはこの紀勢本線で、以前にこの地域にやってきた時は車か近鉄ばかりなので、JRの紀勢本線に乗車したことがないのである。

 紀勢本線は亀山から和歌山市までの長大な路線で、途中の新宮以東がJR東海、それ以西がJR西日本の所属となる。JR東海管轄の区間が非電化、JR西日本管轄の区間が電化路線であり、紀伊田辺−和歌山間が複線路線である。私が今まで乗車したことがあるのはちょうどこの複線区間である。

 冷え込む中でさんざん待たされた挙げ句にようやく乗り込んだのはJR東海のキハ11型。単両でセミクロスシートでトイレなしの車両である。これも新潟トランシスの車両をベースにしているらしく、キハ120型と雰囲気が似ている。小さな車両のせいか、これも乗車率はほぼ100%となる。

  左が関西本線のキハ120型 右がJR東海のキハ11型 やはり似ている。

 車内風景

 沿線は最初は山の中だが、すぐに開けた地域に出る。そして建物が多くなってきたと思えばすぐに津に到着である。まずは今回の最初の目的地はここになる。


「コレクション展」三重県立美術館で3/29まで

 

 三重県立美術館も多彩なコレクションを有しているが、それらの中から抜粋しての展示である。印象に残ったのは日本洋画の逸品。浅井忠などの作品が展示されている。またやはりメインはシャガールの「枝」か。いつ見ても感心する絵である。そもそも私がシャガールの作品に興味を持つきっかけとなった作品でもある。

 なお特集として清水九兵衛の作品の展示を行われていた。典型的な現代造形なのだが、金属の質感をうまく活かした作品は、感動はともかくとしてなかなか面白くはある。


 美術館の見学を終えたところで津駅まで戻ると、そこからバスで移動する。津は津駅周辺よりもむしろ津新町周辺の方がにぎやかなのであるが、そこには津城があるというわけで、それを見学しておいてやろうという計画。ただその前に腹ごしらえである。立ち寄ったのは津城の近くの洋食屋「東洋軒」。落ち着いた地味なたたずまいの店であるが、津では結構有名な洋食屋だとのこと。人気があるのか店内は満員である。注文したのは「洋食コース(3150円)」

 

 コースは最初はポタージュスープから。コクと粘りのある重めのスープで私の好み。次のメインはカニコロッケ、ビーフコロッケ、スコッチエッグなどのプレート。カニコロッケだけはトマトソースで、他はデミグラスソースでいただく。カニコロッケはしっかりと身が入っていて食べ応えのあるコロッケ。後の料理については肉の旨味が非常に印象に残る。

 

 メインの次に出てくるのが、この店の看板の一つという黒カレー。非常にコクがあって若干苦みがあるタイプのカレーである。好みによって賛否両論ありそうな気がするが、私の好みには非常に合致しているタイプ。

 最後はデザートであるが、懐かしい感じのしっかりしたプリンに、口当たりの良いアイスクリームのセットである。

 お得さを感じさせるほどの価格設定ではないが、なかなか質の高さを感じさせる料理であり、CPから考えると妥当なところ。味については個人の好みがあるだろうが、私の好みには非常に合致している。地元で人気があるというのも頷ける内容であった。

 

 腹を満たしたところで津城の見学である。津城は築城の名手である藤堂高虎が手がけた城で、堀に囲まれた本丸、二の丸、三の丸がつらなる輪郭式平城である。ただし明治になっての廃城後、すべての建造物が失われ、当時の遺構は石垣と堀のみであるが、その堀もかなりの部分が埋め立てられてしまった。現在、隅櫓が建造されているが、これについては外観等に関する根拠がなく、模擬建造物扱いになっている。ただ最近になって解体時の図面が発見され、それに基づいた隅櫓の復元模型が作成され、それは近くの交流館に展示されている。

   

 現在の隅櫓と解体時の図面から再現された隅櫓の模型。やはりやや形態が違っている。

 本丸跡は公園となっており、藤堂高虎の像の後ろに天守台を見ることができる。なお本丸につながる西の丸周辺は内堀の一部が残っており、その広大さが当時の城郭の規模を偲ばせる。

  

藤堂高虎の像と天守台

  

移築された有造館(藩校)入徳門と西の丸周辺の内堀

 津城の見学を終えた後は津駅までバスで戻り、次の目的地である松阪へ移動する。ホームに到着したのは快速みえ。伊勢方面の旅客獲得競争で近鉄特急に惨敗したJR東海が、起死回生に投入した列車である。キハ75型二両編成の車内は満員状態で、それなりに人気を博しているようである。確かに青春18切符で乗車できるのは大きい。

  快速みえの車内は満員

 松阪に到着するとまずはホテルに移動である。今回予約したホテルは松阪AUホテル。大浴場、朝食付きの条件で何よりも価格を優先したチョイスである。部屋の照明がやや暗めというのが難だが、ビジネスホテルにしては珍しいぐらいに部屋が広いというのが驚き(もっとも、私は部屋を広くするよりもデスク周りを広くしてくれた方が助かるのだが)。必要条件は十分に満たしている。

 さて部屋に入ってホッと一息だが、ここで休んでいる暇はない。荷物を置くとただちに外出。松阪市内の見学に入る。目指すは松阪城。まずは市役所行きのバスに乗る・・・はずだったのだが、慌ててバスに飛び乗ったためになんと逆方向行きのバスに乗ってしまう羽目に。経路表示板に市役所という文字を見て乗車したのだが、なんと市役所行きではなくて、市役所から松阪駅前を経由して別のところに行くバスだったというお粗末。結局は途中で間違いに気づいて飛び降りたが、反対方向のバスは大分待たないとないし、一端松阪駅まで戻ってから、別のバスに乗り直しになるようで、乗車賃がかなり無駄になりそうである。ボーッとバスを待つほど気の長くない私は瞬時に決断する「歩こう」。

 松阪城は市役所の近くにあったはずである。とりあえずは市役所の方向を聞きつつ歩く・・・が、結果としてはかなりの長距離歩行になってしまった。津城周辺でも結構歩いた後であるので、足腰がガクガクである。それでもようやく松阪城とおぼしき小山にたどり着く。

 しかしながらその小山の上に登ってみても、松阪神社なる神社はあるのだが、城跡らしきものはほとんどない。城郭があった後に神社ができるというのは非常によくあることである。結局松阪城の跡は神社に変わってしまったのだろうか・・・残念と思いながら帰ろうとしたところでふと思い出す。確か事前調査した時に、松阪城には立派な石垣が残存していると書いてあったはずである。これだけで終わりのはずがない。

 そこで神社の周りをグルリと回ってみると、裏側に立派な石垣を発見した。これこそが正真正銘の松阪城跡であった。危ないところであった。もう少しで「松阪城跡まで行ってきたが、遺構らしきものはほとんど残っていない状態で残念だった」なんて書いて大恥をさらすところであった。やはり事前調査はキチンとしておくものである。

  

松坂城裏門付近の立派な石垣

 さて正真正銘の松阪城跡であるが、建造物のほとんどが明治期に破却されたために建造物こそほとんどないが、石垣は遺跡公園として整備されているようで実に見事である。松阪城を築いた蒲生氏郷は安土城の建設にも参加しており、彼の配下には石工の専門家集団である「穴太衆」がいたとのことで、ここの石垣にもその高い技術がいかんなく発揮されている。野面積みでの高石垣の建造は非常に高度な技術が必要であるとされているのだが、そのような高度な石垣が石垣博物館と呼んでも良いぐらいにゴロゴロしている。石垣だけでここまで感動した城は津山城以来である。

 本丸 奥に見えるのが天守台

 

大手門付近の石垣。野面積みの高石垣は感動的。

 なお場内には城下にあった本居宣長の住居が移築保存されており、彼にまつわる遺品を収めた博物館とともに見学することが可能である。

 城下から移築された本居宣長居宅

 松阪城を堪能したところで、そろそろ夕食の頃合いである。松阪と言えば松阪牛。実際、市内のあちこちに松阪牛専門店の看板がずらずらと並んでいる。その中でも有名な一軒が「牛銀」。古い屋敷が並ぶ趣のある一角にある高級松阪牛専門店である。今日の夕食はここですき焼きを堪能・・・と言いたいところなのだが、残念ながら1万円を越えるような高級な牛肉を食べられるような予算は元より持ち合わせていない。そこでこのいかにも高級料亭的雰囲気をたたえる本店の隣に存在する「洋食屋牛銀」の方を訪ねることにする。

 こちらは本店とは違って、私のような庶民でも手が出る価格のメニューが用意されている(それでも1万円を越えるようなステーキなんかもメニューには載っているが)。ここで人気メニューでもあるという「焼き肉定食(1800円)」を注文する。

 焼き肉と言っても一般的にイメージする焼き肉と異なり、薄切り肉を用いてすき焼き調の味付けがしてあるのがここの焼き肉の特徴である。果たしてここで使用されている肉が松阪牛であるかどうかは定かではないが、良い肉であることは間違いない。柔らかくてジューシィーな牛肉が実に旨い。多分、本店で食べるすき焼きはこの数倍は旨いのであろう。とは言っても私のような庶民には手の届かない話であるが・・・。

 夕食を堪能した後は、腹ごなしも兼ねてあたりを散策しながらホテルまでブラブラと歩く。結局、予期せぬバスの乗り違いから始まって、この日は松阪市街を隅々まで散策する羽目になってしまったのであった。津市内での散策と合わせ、この日の歩数は2万歩を軽く越えていたのであった。

 

 翌朝は早朝に起床。直ちに朝食を摂ると、そのままチェックアウトする。松阪駅のロッカーにトランクを放り込むと今日の目的地へと移動する。今日の目的地は伊勢。ただしその前に鳥羽まで参宮線を視察することにする。 

 参宮線は紀勢本線の多気と鳥羽を結ぶ単線非電化路線である。運行は紀勢本線と一体化されており、特に名古屋方面からは直接接続されている。また近鉄との競争が激しい地域であり、その戦いのために投入されたのが快速みえである。

  伊勢市行き普通列車

 松阪で伊勢市行きの普通列車に乗り込む。多気まではのどかな田園風景。多気で反対側の列車などとしばらく待ち合わせた後、ようやく参宮線へと突入する。伊勢と言えば海のイメージがあるが、実はこの地域は海の際まで山が迫っているため、伊勢市までは山村のような風景が多い。伊勢市で鳥羽行きの普通列車に乗り換え。この時の車両は快速みえの車両が用いられており、鳥羽発の快速みえとして運行されるための回送運転を兼ねているのだろう。鳥羽が近づいてくるとようやく海が見えるようになり、伊勢のイメージ通りの車窓風景が繰り広げられるようになる。途中で夏期だけ営業される臨時駅(池の浦シーサイド駅)を通過すると(この駅の近所にマコンデ美術館があるのだが、今回は寄っている暇がない)、鳥羽駅に到着する。

 多気まではこんな感じの田園風景

臨時駅の池の浦シーサイド駅は海の近く 

鳥羽駅に到着

 鳥羽駅は近鉄と一体化された駅舎となっている。ここの近くには鳥羽水族館などがあるのだが、駅前は意外と何もない印象。また今回は水族館に行くつもりもないので、このまま近鉄の急行で伊勢市まで引き返すことにする(JRの列車の発車はかなり先)。JR鳥羽駅では快速みえを正面に掲げた派手な宣伝看板なども出ていたが、やはり参宮線は運行本数などの点でも近鉄に惨敗の模様であることは否定できない。学生などの利用はそれなりにあるようだが、沿線人口もそう多いようではなく、将来的にだんだんと苦しくなりそうな嫌な雰囲気もある。

 

 伊勢市駅で近鉄を下車すると、一般的な参拝の手順に従って、まずは外宮を訪ねることにする。伊勢市のメインストリートをぶらぶら歩くこと10分弱で外宮に到着する。まだ早朝のせいか参拝客もそれほど多くなく、神社内は静かな雰囲気がある。手早く外宮の参拝を済ませると、域内の他の神社を足早に回る。

 ここから先は聖域なので撮影禁止です

 ちなみに伊勢神宮という言い方をするが、伊勢神宮とはそれ自体が神社の集合体であり、内部には多くの神社が存在している。いわば神社のショッピングモールのようなものである。外宮内にも本殿以外に3つほどの神社が存在している。

 

 外宮の参拝を済ませると、ここから内宮までバスで移動。これが実際に乗ってみると意外に距離があって驚かされる。また内宮の手前まで来たところで車道が大渋滞になっていてこれも驚き。二車線道路の一車線はバスのために確保されているが、残りの一車線が渋滞状態で全く流れていない。どうやら駐車場に空きがないようである。観光客はほとんどが外宮をすっ飛ばして内宮にやってきている模様。ただこの大渋滞を見ていると、伊勢神宮参拝は列車とバスを使うのが正解であると確信。

 正面の橋は架け替え工事中

 内宮は現在橋が工事中と言うことで、仮橋を渡って入るようになっている。内部は巨木がゴロゴロしており、独特の雰囲気がある。なお神域に入るとトイレなどの不浄の施設がなくなるし、聖域に入ると写真撮影も禁止だから、これは表示に注意しておく必要がある。最近は伊勢神宮はスピリチュアルスポットとして人気があると言うが、スピリチュアルなどというインチキではなく、このような巨木の森はそれだけでいわゆる森林浴効果があるので、気分転換になる。

 

巨木の森の中に内宮が。ちなみにこちらも撮影可はここまで。

 伊勢神宮の参拝を終えると神宮前の商店街をウロウロ。とんでもない人通りで、休日の渋谷状態である。途中で赤福本店で土産の赤福を買い求め、うどん屋で名物の伊勢うどんなるものを食べる。この伊勢うどん、出汁でも醤油でもない甘みのあるタレのようなものがかかっており、印象としてはみたらし団子のようなもの。と思っていたら隣でみたらし団子を売っている。商店街を通り抜けると猿田彦神社に到着。その裏に美術館がある。

 

中井屋で伊勢うどんを賞味。見た目はただの醤油うどんだが、実は甘味がある。

 赤福本店の周囲は人だかり

 


小坡美術館

 伊勢出身で猿田彦神社の宮司の長女であった日本画家・伊藤小坡の作品を収めた美術館。京都画壇で活躍した彼女は、上村松園に次ぐ女性画家として脚光を浴びたという。彼女の描く女性の姿は上村松園とも共通する一種の凛とした品の良さを感じさせる。

 思わず見る者を引き込む魅力を持つ画家であるが、特に印象に残ったのが「伊賀のつぼね」。亡霊が出るとの噂の庭に出かけ、その亡霊の正体を確認した気丈な女性を描いた作品であるが、艶めかしくも下卑ておらず気品のある女性の姿が非常に魅力的である。

 


 

 正直なところ、今回の遠征の直前までこの美術館の存在については認識しておらず、急遽予定に組み込んだ訪問先であったのだが、予想外に素晴らしい作品に出会え、また新たな世界が広がった。こういうことがあるから、美術館遠征をやめられないんだよな。

 

 伊勢神宮の参拝を済ませ、美術館も回ったところで再び松阪まで戻ってくる。ただその車内でとんでもないトラブルが発生。沿線風景を撮影するために望遠レンズを操作していたところ、ズームリングにガキッと引っかかる感触があったかと思うと、急に空回りするようになってしまったのである。しかも本体が全く固定されずにカメラを下に向けるとレンズがストンと伸びきってしまう状態。さらにオートフォーカスも全く作動しない。どうやらレンズを完全に壊してしまったようである。頭をよぎったのは「このレンズを買ったのはいつだったっけ?」ということ。ちょうど1年ぐらい前だったような気がする。所詮はサードパーティーの安物レンズか。それとも酷使しすぎたか。なんにせよ信頼性に関してはプロ用機材などの足下にも及ぶまい。非常に財政的に苦しい昨今であるので、修理に保証が効くかどうかが非常に気になるところだが、とにかく旅先でレンズが使えなくなったのではどうしようもない。今はなんとかしのぐしかない。とりあえず本体を手で支えて手動ズームにしながら、マニュアルフォーカスで撮影を続ける。幸いに絞りだけはまだ死んでいないようだが、私のカメラは急に一昔前のマニュアルカメラにまで退化してしまったのである。

 

 車内でレンズと格闘しつつ松阪に到着する。今日の昼食は松阪で摂る。立ち寄ったのは伊勢市駅前の肉屋に隣接した店舗である「かめや」。例によって1万円を超えるような高級松阪牛ステーキなどもあるのだが、到底そんなものは手が出ないから、注文したのは「ハンバーグステーキ定食(2100円)」

 

 これが肉屋のハンバーグというのか、つなぎの類をあまり使っていないようで、比較的堅めのハンバーグである。ファミレスなどのつなぎをたっぷりと使ったハンバーグをスタンダードに考えているとかなりめんをくらいそう。さすがに肉は悪くないようなのだが、賛否両論が分かれそうなメニューである。

 

 腹ごしらえが済んだところで、駅のロッカーからトランクを回収すると、松阪駅のホームへ向かう。昼からは「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としての視察活動である。松阪からは伊勢奥津まで名松線が存在するが、それを視察する予定である。ちなみに名松線という呼称についてだが、松は松阪であるが、名は実は名張である。本来は松阪と名張を接続する路線として計画されたのだが、近鉄の方が先に開通してしまい、伊勢奥津まで開通したところで放棄されたという。 

 

 単線非電化の名松線では運行されているのはキハ11型の単両編成。どうやらこの辺りの非電化路線の標準車両のようである。乗客は十数人程度。松阪を出た列車はすぐに紀勢線と別れ、西に向かい始める。沿線風景は延々と伊勢平野ののどかな風景だが、沿線人口は極めて少なそうである。やがて唯一の交換可能駅である家城に到着、ここで反対方向の車両とすれ違う。またここが初めてのやや大きな集落というイメージ。

 家城まではこのような光景

 家城を過ぎるとこういう風に変わる 

 家城を過ぎると本格的な山岳地帯へと突入する。沿線は山荘などもあって森林リゾートといった雰囲気。美杉町の中心地である伊勢八知駅周辺はやや賑やかな感があるが、それ以外は完全に山の中である。終点の伊勢奥津は山間の小さな集落である。駅は最近になって新築されたとのことであるが、蒸気機関車時代の給水塔なども残存している。最終的にここで降り立ったのは5、6人であるが、何やら私以外の全員が鉄道マニアのような雰囲気。全線を通じて利用者が非常に少ないというのが印象に残ったところ。沿線人口が圧倒的に少なそうな上に、明らかに沿線ではモータリゼーションがかなり進行しているようであり、やはりこの路線も多くのローカル線と同様に今一つ明るい未来図が描きにくいのが実態のようである。

 伊勢奥津駅の新しい駅舎

構内には蒸気機関車時代の給水塔が残る

 ここからは一日に一往復だけ名張行きのバスが出ている。これに乗って名張まで行ってやろうというのが今日の最後の予定。幻の名松線全線走破としゃれ込もうというわけである。しかしこのバスが通るのがとんでもない道。山間の集落を縫うように走行するので、車一台が走行するのがやっとの山道が多く、対向車でも来ようものならすれ違いはまさに阿吽の呼吸である。これでは下手くそなドライバーに出くわしたら終わりだなと思っていたら、案の定いかにも運転に自信のなさそうな若い女性の運転する軽乗用車が途中で立ち往生してしまい、ここですれ違いのために数分を要する。こんな調子であるからバスの速度も上がるわけもなく、結局は名張までかなりの長時間を要した上に予定よりも遅れての到着となったのである。感想は「疲れた」というものしか残らなかった。

 このバスで名張まで

 結局、幻の名松線全線ルートは想像以上に難所であった。実際に伊勢奥津以降を建設していたとしたら、かなりの建設費を要したと思われる。しかしその割には沿線人口はかなり少ないので、いずれは赤字路線として廃線に追い込まれていた可能性も高いだろう。そう考えると、建設の中断は判断としては正しいのだろうか。

 

 名張から近鉄で大阪まで移動、家路についたのであった。なおレンズについては週明け早々メーカーに連絡を取り、そのままドック入りとなった。ちなみに保証書の日付であるが、きっかり1年前であった。と言うわけで一応はギリギリ保証期間内である。もっとも、保証適用対象になる故障なのかどうかまではまだ分からない。現在のところはまだメーカーからはなんの連絡もない。 

 それにしてもこういうトラブルに出くわすと、バックアップ用機材の必要性ということを感じさせられる。だからプロなどは必ず複数台のカメラを持参するのだろう。といっても私のような貧民が複数台のカメラを所有できるはずもない。今後、本格的に機材にトラブルとか生じたらどうしよう。やっぱり先立つものは軍資金だよな・・・。

 

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