展覧会遠征 四国周遊編
さて今年度は「四国方面強化年間」になっている(?)のだが、その最後を締めくくるべき大型遠征が今回である。四国方面大型遠征が今月になったのには理由がある。JR四国の割引切符の中で最も使いでがある「バースデイ切符」が使えるからである。バースデイ切符とは、誕生月に購入できる切符で、1万円で指定した3日間JR四国全線の特急列車の指定席が乗り放題という切符である。四国を回ろうと考えた場合、当然ながらこれを使わない手はないというわけである。
さて切符の有効期限は3日間なので、普通に考えると二泊三日のスケジュールとなるところだが、プランをいろいろと練っていると二泊三日ではかなり苦しいことが明らかとなった。そこで切符の有効期限である11月1日の前日からの三泊四日の大型遠征にすることにしたという次第。
出発は金曜日。四国には高速バスで移動するつもりである。バースディ切符の有効期限は明日からなので、そうなると一番安い移動手段はやはり高速バス。ただ四国に渡る前に一カ所立ち寄っておく。
「ドーム ガラスの美展」明石文化博物館で11/9まで
アールヌーヴォーからアール・デコの時代にかけて、ガラス芸術で一名をはせたドームだが、今日でもガラス芸術作品を製造し続けている。そのドームの芸術作品の流れを概観する展覧会。
初期のドーム作品はその繊細な絵付けで知られていたのだが、その後はガラスの透明性を活かす作風に転じ、近代では多くの芸術家とのコラボレーションによる作品の製造も行っている。本展ではそのような現代の作品も多い。
とは言うものの、個人的にはドームの作品はアールヌーヴォー期の繊細さを持つ作品が一番興味深く。現代型の作品はいずれもかなりありふれたものばかりで目新しさを感じられない。やはり現代アートは停滞しているのか。
展覧会を終えたところで次の目的地に向かう・・・のだが、その前にこの施設の隣にある明石城に立ち寄る。最近になって私は城郭をよく回るようになったが、よくよく考えてみるとこの明石城は今まで嫌というほどその姿を見ているにもかかわらず、城郭として見学をしたことがなかったのである。私の頭の中の明石城とは公園のイメージしかなかったのである。そこで改めて「城郭」として視察しておこうと思いついた次第。
ここの石垣はいわゆる打ち込みハギでしょうか
明石城で現存している建造物は巽櫓と坤櫓の二つ(重要文化財指定)。また最近になってこの両櫓をつなぐ塀が復元されている。遺構としては石垣などが残存しており、往時の姿を偲ばせる。大きめの石を積み上げている石垣は見た目も美しく、麓から見上げる櫓の姿は優美でもある。頂上部に本丸があるが、今はそこは広大な公園となっている。また天守台は存在するものの、そもそも明石城には天守はなかったとのこと。平城なので標高はそう高くはないのだが、それでも明石市街を見下ろすことが出来、その奥には明石大橋を望むことが出来る。
巽櫓と坤櫓 今までこの城を城郭としてゆっくりと眺めたことはなかったのだが、こうして改めて見てみると当時の遺構もよく残っており、整備もキチンとなされたなかなかに見所のある城郭である。子供の頃はこの価値について全く理解していなかったようである。実は当時は天守閣もないショボイ城だとしか思ってなかったのだが、よくよく考えてみると比較対象が姫路城であったのが間違いだった。最近になって各地の城郭を見て回った結果、明石城は遺構の保存状態もかなり良い方だと改めて見直した次第。
JR明石駅より ここからが一番城がよく見える
明石城を一回りした後は舞子に移動、そこから徳島行きの高速バスに乗り込む。私にとっては舞子は四国への玄関口である。やはり四国に渡る一番安いルートとなると、ここからの高速バスということになる(青春18シーズンなら、岡山経由で瀬戸大橋をマリンライナーで渡るルートも浮上する)。
徳島駅に到着したのは昼過ぎ頃、まずホテルに荷物を預けてから、そのまま最初の目的地へと移動する。
「京都画壇に咲いた夢−幸田春耕、暁冶父子と京都・徳島の日本画家たち」徳島県立近代美術館で12/7まで
徳島出身の日本画家・幸田春耕とその息子の暁冶の作品を中心に、彼らと関わりのあった京都画壇の画家達の作品を展示したもの。
春耕については山本春挙に師事していたというが、その初期の作品は典型的な日本画でいかにも端正なものである。ただ彼も当時の画壇の時流の通り、日本画の改革を目指したらしく、晩年にはその画風も変遷している。その流れを顕著に受けているのが息子の暁冶であるが、彼の作品はいかにも現代日本画の一つの流れに多い絵の具厚塗り画風。ただ残念ながらその作品自体は私にはあまり面白くない。むしろ彼らの周辺の画家である市原義之や三木文夫の方が面白みを感じた。
美術館を回った後は徳島城を訪問することにする。今まで徳島は何度も訪問しておきながら、なかなかここを訪れる時間を取ることが出来ていなかった。
徳島城は蜂須賀氏の居城であった城で、自然の山岳を利用した平山城である。また吉野川などが自然の堀となっており、地の利に恵まれた城郭であった。現在は近傍をJRの線路が通っており、徳島駅の近傍にもかかわらず徳島駅の出口からは裏側方向にあるためにアクセスはしにくい位置になっている。
復元された鷲の門
現存建物は全くなく、麓に戦争で焼失した鷲の門が復元されている。また城郭があった城山は明治の廃城令で建造物が撤去された後は放置されていたと見られ、かなり荒れ放題の状況。現在では落石の危険がある部分があるようである。なお荒れ放題だったのが幸いしたのか、自然林化して野鳥の生息地となっているようで、ある意味では今後再整備を行ったら自然破壊になってしまうという問題があるようだ。何となくこの辺りは金沢城本丸跡と状況が似ている。徳島城の本丸跡自体は広大な公園となっており、そこまでは急な石段で登ることが出来る。なおこの石段は地元の学校の運動部のトレーニングコースになっているようで、私の訪問時にもランニングしている学生の姿が見られた。なお徳島城は天守が標高の一番高い本丸ではなく、それよりも少し下がった位置の東二の丸にあるという特殊な構造をとっていたのだが、その天守跡も見ることが出来る(と言っても全く何も残っていないが)。
石垣は残っているが、天守跡はただの原っぱ、本丸跡は何もない さすがに建造物が全く残っていないというのは寂しさを感じずにはいられない。石垣などは結構残っているので、当時の威容を想像することは可能なのであるが、城山全体が自然林化しているせいで、城の遺構の全貌が把握しにくいのが見学上のネックである。なお麓には徳島城博物館が存在し、私の訪問時には「本願寺展」を開催中であった。本願寺のふすま絵などの興味深い展示もあったが、残念ながら展示品の大半が書物関連であり、そちらに興味のない私には今一つ。なおこの博物館に隣接して徳島城の庭園が存在する。
徳島城博物館
徳島城の見学を済ませた後は、眉山にでも登ろうかとロープウェーの乗り場に向かう。しかし乗り場で帰りの便の最終時間を聞くと5時30分とのこと。登りの次の便が5時15分だから、これだと帰ってこれない(と言うか、上がったらそのまま降りてこないといけない)のでやめにする。徳島の夜景も結構有名だから、夜景を見てから帰ってくる便もあると思っていたのだが、そのような気の利いたものはなかったようだ。これは次の課題にしておくか。
これで本日の予定は終了したので一旦ホテルに戻ることにする。徳島での宿泊先は「ホテルありの道」。一泊5800円で朝食付き。部屋の照明が私の好みよりはやや暗いのとインターネット接続がモデム貸出によるものなので速度が遅いというのが難点だが、特に過不足のないホテルである。
ホテルの部屋でしばらくテレビを見ながらまったりしてから、とりあえず風呂に入ることにする。今日は明石市内と徳島市内を歩き回ったので既に2万歩を越えており、身体に疲労がたまっている。大浴場は最上階。そんなに大きい風呂ではないが、それでも手足を伸ばせる風呂は一番である。とりあえずは入浴で疲労を抜く。
入浴を済ませて一息ついたところで、そろそろ夕食に繰り出すことにする。夕食を摂る場所については特にあてがなかったので、このホテルの系列の「ありの道」で済ませることにする。注文したのは「牛しゃぶしゃぶ(1470円)」。さらに阿波尾鶏(地鶏のはずなのだが、この店では阿波踊りにかけてこう呼んでいるようだ)を一皿追加する。これが歯ごたえがあり、噛みしめると甘味があるというもので美味。
ただこの手の酒も飲める店の場合(私はいつも酒の代わりに白飯をとる)、分煙している店は未だにほとんどないというのが最大の難点。しゃぶしゃぶを食べ終わった後、さらに刺身でも頂こうかと思ったが、隣の客がタバコをプカプカ始めたので、こんなところではどんな旨いものを食ってもぶち壊しである(トイレで飯を食わされるようなものだ)。早々に退却することにする。それにしても喫煙者って、なぜ食事の前と後に必ず丹念にニコチンで舌を麻痺させるのだろうか?
しゃぶしゃぶに地鶏を追加。最後のうどんはお約束。 腹もふくれたところでホテルに帰還。旅行記の執筆などにとりかかるがあまりはかどらない。そのうちにこの日は疲れが相当溜まっていたのか(結局は23000歩ぐらい歩いていた)、かなり早めにダウンしてしまったのだった。
翌朝の起床は7時。ホテルのレストランで朝食を摂るとしばらくまったり。今日の予定は9時50分の列車なのでかなり余裕がある。今までの遠征ではとかくホテルのチェックアウトが7時なんていう強行軍が多かったのだが、今回の遠征ではスケジュールがゆったり気味になっている。私もかつてのように走り回る体力と根性がなくなってきている。
9時過ぎ頃にホテルをチェックアウト。徳島駅で非常食としてのおにぎり2個を購入すると、ホームで列車を待つ。今日は徳島から牟岐線で南下する予定。牟岐線は徳島と海部を結ぶ単線非電化路線であり、海部からさらに甲浦までは安佐海岸鉄道が接続している。本来はこの牟岐線は室戸岬を経由して高知につながる予定だったのだが、国鉄再建の途中で計画が中断、結局は建設途中の徳島側の路線が阿佐海岸鉄道として、高知県側の路線(後免−奈半利)は土佐くろしお鉄道として運行され、甲浦と奈半利の間は路線バスが運行されている。この牟岐線は私にとって未調査路線であり、今回の視察予定に入っている。
やがてホームに特急剣山が到着。車両は私の好きな2000系ではなく、キハ185系。この時点で特急と言ってもやはりメインのものよりも1ランク低いものになっている。また2両編成で指定席は前の4列のみ。座席カバーの色が違うと言うだけというかなりマイナー特急である。
沿線風景であるが、ひたすら閑散とした農村地域や山岳地域が続き、時折町の中を通り過ぎるというもの。四国全般に言えることだが、沿線人口はかなり少ないと思われ、この路線が高知まで開通していても赤字確実だっただろうことは推測できる。またこの路線は阿波室戸シーサイドラインという愛称が付けられているが、地元では全く浸透していないとのこと。確かに牟岐線の方が言いやすいし、そもそも阿波はともかく室戸までつながっていない上に、シーサイドラインという名称に反して海はほとんど見えない。
途中の日和佐の辺りで城の天守閣らしき建物が遠くに見えるが、これは日和佐城らしい。この地域には昔、蜂須賀氏の山城があったとのことだが、当時の山城は山の上に簡素な建物が建っていただけのものらしいので、時代考証も遺構も無視して適当に建てたいわゆるとんでも天守のようである。
日和佐城のとんでも天守
海南に到着すると、そこで向かい側のホームに移動して阿佐海岸鉄道の車両に乗り換えする。到着したのは単両編成のASA−100型ワンマンディーゼル車。転換クロスシートのセミクロスシート車両である。三連休の初日のせいか、観光客が思われる乗客がそこそこ乗車している。
また路線はいかにも高速走行を想定した路線建設を行っていた時期の路線らしく、全線高架の上にトンネルを多用してかなり直線的に敷設してあり、かなりの高速運行が可能であると思われる。しかし如何せん、全線たったの8.5キロで海部と甲浦の間に1駅あるだけという路線では、その真価を発揮しようがない。阿佐海岸鉄道は第3セクターで運営されているが、毎年多額の赤字を計上しているという。確かにこの距離とこの乗客量ではあえて鉄道で運行している意味がほとんどなく、廃止の論議がされるのも当然のように思われる。甲浦−奈半利間の鉄道建設が再開される可能性が0である以上、この路線を維持する意味はかなり薄と感じずにはいられない。JR四国が海南−甲浦間を牟岐線の一部として維持する意志がないのなら、いずれは廃止に追い込まれるのは残念ながら確実なように思われる。
すぐに甲浦に到着。線路が途中で断ち切られた形の駅がもの悲しさを誘う。その一方で、もしこの路線が延伸となった場合、駅舎の上部を撤去しないと延伸ができないようにもなっている。
甲浦駅舎
ここから奈半利までは約2時間のバスの旅となる。とにかく一番大事なこととして、事前にトイレに行っておく。10分ほどでバスが到着、先ほどこの駅で降りた乗客の8割ぐらいがこのバスに乗車する。
バスはひたすら海岸沿いの道を走る。太平洋は波が荒いので波頭が白くなっているのが見える。まずは室戸岬まで1時間ほど延々と海沿いを走行。バスは結構揺れるので体力が消耗する。海岸にはいわゆる奇岩の類もあってそれなりに見所があるのだが、さすがに延々と海の風景が続くと少々見飽きてくる。突然に周辺にホテルが多くなったと思えば室戸岬に到着。ここで乗客の大半が降車するが、私はそのまま乗り続けである。バスの中から中岡慎太郎の像が立っているのが見えるが、それを指さして「龍馬だ、龍馬だ」などと言っている乗客がいる。
室戸岬を過ぎると室戸市内に突入。バスはここで運転士が交代するが、こちらは乗り続けである。しばらく室戸市内をうねうねと走行した後、奈半利に向かってまたも海沿いを走行、ようやく奈半利に到着する。
土佐くろしお鉄道奈半利駅
さすがにバスの2時間は列車の2時間よりもはるかに過酷である。奈半利に着いた頃にはぐったりしてしまう。そもそも既に昼をとっくに過ぎているが、今日は徳島で非常食に購入したおにぎりを食べただけで、満足に昼食を摂っていない。あまり満腹にしてバスの中で気分が悪くなったりトイレに行きたくなっても困ると思っていたのだが、さすがにこれでは空腹が身に染みる。しかし周辺を見ても適当な飲食店は見あたらない。また「駅弁販売」という心惹かれる看板はあったが、残念ながら販売は日曜日だけで20個限定とのことで、今日は土曜日だからそれもなし。もうこんなところでくたばっていてもしょうがない。仕方ないのでとりあえずは土佐くろしお鉄道の奈半利駅へとエレベータで上がる。
さて幻の室戸鉄道の東端が阿佐海岸鉄道なら、西端が土佐くろしお鉄道のごめんなはり線である。阿佐海岸鉄道と同様にこちらも高架で建設されており、奈半利駅はやはり線路が途中で切断された形になっている。到着した車両は単両のワンマンディーゼル車。内部は片側がロングシートで反対側がクロスシートというかなり変則的な構成となっている。
路線は大半が高架なので眺めはよいが、意外と海は見えない。途中で美人の女性車掌が乗務してくるなど、路線自体は観光ムード満載である。また各駅にやなせたかしデザインのキャラクターが描かれているのが特徴。つくづく四国はアンパンマンの支配下にある土地である。なお途中で阪神タイガースのキャンプ地である安芸を通過するが、安芸ドームの周辺には阪神タイガースの幟が林立していた。この地域はやなせたかしと阪神タイガース抜きでは成立しないらしい。
やなせたかしのキャラクターと美人の車掌さん やがて後免に到着、当初の予定はここで後免町まで一駅引き返して、土佐電鉄の路面電車で高知入りしようというものだったのだが、ここでなんと間違えて土佐山田行きのタイガース列車に乗り込んでしまう(虎の毒気に当たられたのだろうか)。思わぬ失敗に慌てるがとにかく落ち着いて考えることにする。次の駅で降りて引き返すか? しかし変な駅で降りるととにかく普通列車の少ない四国のことだから、身動きが取れなくなる可能性が高い。いっそのこと土佐山田まで行ってしまって特急を待つか? しかし途中で下りの特急とすれ違ったら万事休すである・・・とここまで考えたところであることに気づく。ここは単線路線なのだから、行き違い設備のない駅では特急がすれ違うはずがない。そこでそれ以降の駅を観察していると、結局は土佐山田まですれ違い可能駅は一つもなく、土佐山田駅で降車してから時刻表を調べると、10分ほどで下りの特急南風が到着することが分かる。とりあえず判断に間違いはなかったようである。ただこれで後免町まで戻ることはほとんど不可能になったので、当初の予定を変更して、その南風でそのまま高知入りすることにする。
高知に到着するとまずはホテルに移動する。実は今回確保したホテルの中で一番心配なのが高知のホテルである。今回は大浴場付でインターネットが可能なホテルに絞って選択したのだが、この高知のホテルはその中で宿泊料が3800円と格段に安い。またこのホテルだけが禁煙ルームの設定がないのである。正直なところ、不潔でたばこ臭い部屋だったら嫌だなという気はあるのだが、とにかく現在は金欠なので宿泊料をなるべく安く抑えたかったのである。
高知市内は路面電車で移動
高知駅から路面電車で一駅(後の移動のことも考えて一日乗り放題チケットを購入した)、そこからやや歩いた川縁に予約したホテルファーストがある。表玄関に回ったところで少しホッとする。どうやら普通のビジネスホテルのようで、特に怪しいホテルではない(笑)。さて問題の部屋だが、特にタバコの臭いはしない。部屋についても若干の古さを感じるが不潔感はない。インターネットを出来る部屋ということで事前に指定したので、部屋にモデムを設置してある。電話回線経由のモデム接続で、最初に接続に少々苦労したがどうやらつながった。速度は死ぬほど遅いが軽いネットサーフィンぐらいなら問題なさそうだ(出先で動画サイトを使う理由もないし)。
さて無事にホテルに到着して(警戒していたよりもはるかにまともなホテルだったことに)安心すると、急に本格的に腹が減ってきた。よくよく考えると今日は朝食以来徳島駅で買い込んだおにぎりを2つ食べただけである。とりあえずは食事に繰り出すことにするが、その前にまだ日の高いうちにせっかくの一日乗り放題チケットなので、路面電車で少し遊ぶことにする。
高知の路面電車はいろいろなラッピングがされている(中にはクロネコヤマトなんてのもあるが)。私が待っていたところに到着したのも少しデザインの変わった列車。中に入ってびっくり、内部は木製でやけに欧風チックである。後で調べたところによると910型と言って元々はポルトガルのリスボン市電の車両だとか。土佐電ではこれ以外にノルウェーで走行していた車両なども運行しているとのこと。とりあえずこの欧風列車に揺られて終点の桟橋通四丁目まで行く。実はこの路線はさらに桟橋通五丁目があるのだが、そこに見えているので歩いていく。
ポルトガル列車 桟橋通という名の通り、確かに海はそこにあるのだが特に何があるというわけでもないところである。なおこの近くに土佐電の車庫がある。辺りを見回すと明らかに鉄道マニアと思われる男性が一人一眼レフカメラを持ってウロウロしているだけ。私は特に用があるわけでもないので停車していた列車に乗ってすぐに折り返す。
ちょっとした寄り道をしたが、とりあえず食事の方を済ませることにする。まず向かったところはひろめ市場。ここは多数の店舗が集まったフードコート形式になっている。とりあえずその中の一軒「明神丸」で天日塩たたき定食(800円)を購入する。
ひろめ市場はフードコート形式 塩味のかつおのタタキはさっぱりしている。またワラを使った強火で焼き上げたタタキは香ばしいし、当然ではあるがかつおに臭みはない。ただどうもフードコート形式のところでは落ち着いて食事が出来ない。混雑してくるとそもそも場所の確保が大変。しかも次々と座ってきて落ち着いて食事をしていられない。結局はさっさと食べ終わると早々に退却する。
わらの強火で焼き上げたカツオのたたきは旨かったのだが・・・ どうにもこれでは腹も気持も中途半端である。そこでもう一軒訪ねることにした。今度は「くろしお市場」。海鮮料理系の居酒屋である。とりあえずドリンクを、と言ってもアルコール類を一切受け付けない私は養老山麓サイダーなるものを注文。何やら懐かしい味の天然水系サイダーである。
商店街の中にあります
養老山麓サイダーは天然水系 さて料理の方だが「かつおの刺身(1000円)」と「うつぼのタタキ(840円)」を注文。かつおの刺身は料理としてはシンプルなのであるが、タタキ以上に素材の誤魔化しの効かない料理で、ネタの鮮度が少しでも悪ければアウトである。さっぱりとして臭みはなく、かすかな甘味が感じられる。ネタとしては合格点である。うつぼのタタキは以前から気になっていたメニュー。昔から魚は顔がまずいものほどうまいというが、うつぼもその通りでなかなかうまい。食感は魚と鳥の中間のような印象で、味は結構あっさりしている。魚と分かるのは若干の生臭みがあることか。期待に違わずなかなか美味である。
カツオの刺身
うつぼのたたき
最後はカキフライ(850円)を追加。これを食べているとまた広島に行きたくなる(笑)。結局この日は海産物を堪能したのであった。
腹がふくれるとホテルに帰って入浴。このホテルは最上階に男性専用の露天風呂がある。やや肌寒い中での露天風呂は頭がスッキリとして快適。その後はマッサージチェアで疲れを抜いたのだった。今日はほとんど交通機関による移動ばっかりだったので、徒歩移動は高知市内の1万2千歩程度。たださすがにバスに乗り続けだったのが身体に疲労として溜まっている。結局は早々にダウンしてしまったのである。
翌朝は目覚めるとホテルで朝食。さすがに料金が料金なので、そう贅沢な朝食は望めないところだが、一応腹は満たせるだけのものはある。朝食が済むとホテルをチェックアウト、そのまま高知発の特急南風に乗り込む。南風は私の好きな2000系ディーゼル車両である。振り子特急は快調に四国の山岳部を抜け、2時間弱で多度津に到着する。多度津で松山行きのしおかぜに乗り換えるために降車。乗り換え待ち時間が30分程度あるので、どこかで昼食でも摂れるところはないかと思っていたのだが、多度津は予讃線と土讃線の分岐駅という一大ステーションにもかかわらず、駅前には全く何もない。これはもう一駅先の丸亀で乗り換えた方が正解だったようだ。やむなく駅でぼんやりと待っていると、8両編成の特急しおかぜが到着する。
南風から多度津でしおかぜに乗り換え しおかぜは前回の四国遠征でも乗車しているが、今回が違うのはバースデイ切符はグリーン車を利用できることである。グリーン車は最後尾の8号車。ホームのまさに端っこである。新幹線のグリーン車は中央付近の一番階段などに近いところにあるのに、JR四国の特急車のグリーン車はなぜこんなところに追いやられているんだろうか?
8号車は後ろ半分がドアで仕切られてグリーン車スペースとなっている。グリーン車内は2+1の3列シート。さすがに4列シートと違って広々としている。またシート間も広い上にかなりリクライニングが可能な快適なシートとなっている。乗客は私を含めて4人ほどで、やはり利用効率はあまり高くないようだ。
後は松山まで快適な鉄道旅行である。気を付けないとグリーン車はクセになりそうだが、私にとってはこんな機会でもないとまず縁のない世界である。人間の堕落とはこう言うところから始まるのだろうか。
以前に通ったことのある海岸ルートをしおかぜは快調に疾走する。途中の川之江では遠くに城の天守らしきものが見える。調べたところによるとこれは川之江城。ただし本来の川之江城は仏殿城とも呼ばれていたように仏閣であったという。そこに市制30周年事業で、歴史考証を無視して天守を建ててしまったのが現在の建物とか。つまりはこれもとんでも天守というわけである。
これまた川之江城のとんでも天守
さらにしばらく走行すると今治に到着する。今治ではビルの合間の遙か遠くに天守の屋根らしきものが見えるが、これが今治城である。この今治城天守も本来の位置とは別の位置に後で建設されたなんちゃって天守なのだが、今治城は石垣や堀などの遺構は残っているらしい。実は今回の遠征で当初は今治城も訪問するつもりで計画していたのだが、スケジュールの関係でどうしても無理になり、これは次回の課題として残っている。
今治を過ぎるといよいよ四国の西海岸に突入、しばらくすると松山に到着する。私にとっては久しぶりの松山である。もう駅前に到着した時から「ああ、いいなあ」という声が出る。理由はよく分からないが、初めて来た時からなぜか私はこの街に相性の良さを感じている。とは言うものの、ここはじっくりと感慨に浸っている場合ではない。今日の予定を着実にこなしていかないと。まずは路面電車の1日乗車券(300円)を購入。1回の乗車で150円なので今日の移動を考えると確実に元が取れるはずである。早速ホテルまで路面電車で移動すると、チェックインの前にホテルに大きなトランクを預けておく。
松山に到着すると路面電車で移動 さて今日の予定だが、その前に腹が減っては何とやらである。昼食を摂ることにする。とは言うもののあまり重たいものを食べる気もしない。そこでこんな時のために用意していた店に向かう。ホテルがある繁華街をさらに南下、そこから裏通りに入った一角にその店はある。
私が昼食を摂ったのは「ことり」。メニューは鍋焼きうどんといなり寿司しかないというシンプルな食堂。着席すると「鍋焼きうどんでいいですか?」と聞かれる。ついでにいなり寿司も頼もうと思ったのだが、残念ながら売り切れとのこと。注文をするや否やただちに鍋焼きうどんが運ばれてくる。どうやら愛媛では鍋焼きうどんはファーストフードのようである。アルミの鍋に入って出てくる(レンゲまでアルミ)というのが何となく古色蒼然としている。うどんが運ばれてくると、その場で代金の460円を支払うシステム。
さて味の方だが、四国でうどんと言えば讃岐うどんを連想するが、それとは対極のうどんである。柔らかくて味は甘め。以前から「愛媛は味付けが甘い」と聞いていたのだが、それはこういう意味だったのかと改めて納得する。とは言うものの、それは決して不快な甘さというのではなく、関西出身の私にとってはどことなく懐かしいようなホッとする味である。やはり同じ四国と言っても、香川と愛媛では文化圏が違うのだということを痛感した。なお量的には男性にはやや少なめか。ただその分、価格も安めなので妥当なところ。ちなみにこの「ことり」のすぐ近くに、これまた鍋焼きうどんで有名な「アサヒ」があり、中にははしごする強者もいるようだが、うどんマニアではない私は、さすがにそこまでする気はしなかった。
こちらはアサヒ
さて、昼食も食べ終わったことだし、松山での本題に入ることにする。再び路面電車での移動である。
「美がむすぶ絆 ベルリン国立アジア美術館所蔵日本美術名品展」愛媛県立美術館で11/16まで
ドイツのベルリン国立アジア美術館には多くのアジア美術品が収蔵されており、その中には日本の仏画や浮世絵、近世絵画などの作品があるという。これらの収蔵品の里帰り公演とも言えるのが本展である。
展示品はまずは中世の仏画、さらに北斎などを含む江戸期の浮世絵などの絵画、さらには横山大観などの近代日本画にまで及んでいる。その中で私が興味を持ったのは、やはり若冲、芦雪などの江戸期絵画と、川上玉堂などの近代日本画作品である。この辺りはさすがになかなかの秀品が展示されていて非常に楽しめる。
とは言うものの、展示全体としてあまり系統だった雰囲気はなく、手当たり次第にバラバラと並べているというような印象も受ける。そのせいで、展覧会全体としてのポイントが曖昧になって、印象が希薄になるというきらいがあったように思われる。それが少々残念。
愛媛での主目的を果たした後はオプショナルツアーに入る。松山と言えば路面電車であるが、この路面電車を運営する伊予鉄道は市内路線である路面電車だけでなく、郊外線と呼ばれる鉄道線も運営しており、松山市から高浜線、横河原線、郡中線の3路線が放射状に発しており、その中で高浜線と横河原線は直結しての運行がなされている。今回はとりあえず横河原線について調査しておくことにする。
松山市駅はJR松山駅よりも市の中心部に近いところがあり、駅にも高島屋百貨店が入っていたりなどと、JR松山よりも大きな繁華街となっている。
路面電車の松山市駅と郊外線の松山市駅 松山市駅のホームに到着したのは二量編成のロングシートの電車。地方の私鉄でよく見かける非常にオーソドックスなタイプの車両である。沿線は松山市街地で利用客もかなり多い。終点の横河原まで、途中でやや沿線が閑散とする部分もあるが、基本的には住宅地の中を通っていく路線である。横河原線は単線電化路線であり、行き違い設備を持っている駅で逆向き車両とすれ違うことになるが、そのすれ違い頻度も結構高い。ただ乗客の移動パターンとしては、松山と周辺地域を結ぶというパターンなので、松山から出た列車は横河原に到着するまでに徐々に乗客が減り、終点の横河原に着いた時には車内は閑散としているという状況。実際に終点の横河原には特に何があるというわけではない。なお横河原駅は線路が中途で切断されたような構造になっており、待避線も反対ホームもないので、入れるのは一編成だけになっている。
横河原駅まで列車で移動 横河原に到着したら、そのままその列車で引き返してくる。ただし松山市駅で降りてしまったのでは芸がないので、そのままさらに先に進む。次の大手町駅の先ではJR松山駅行きの路面電車と線路が直角にクロスしている、俗にダイヤモンドクロスとも呼ばれる部分があり、路面電車が踏み切り待ちをしているという光景が見られる。さらに次の古町駅は、鉄道線の駅と軌道線の駅が複合している形になっている乗換駅になっており、路面電車車両の基地がある。なおこの駅の手前ではJR松山駅からやって来た軌道線の線路が、鉄道線の線路を斜めに横切る形になっており、ここのクロスについては踏切ではなくダイヤで管理されているようだ。
路面電車が踏み切り待ちをしている
路面電車側から見たダイヤモンドクロス 古町駅で列車を降りると軌道線車両に乗り換え、JR松山まで移動。ここで逆向きの列車に乗り換える。せっかく1日乗車券を購入しているのだから、市内軌道線の全路線を乗りつぶしておいてやろうという発想。まずは城北線だが、この路線は宮田町から路面電車でなくて専用軌道に入る。つまりはここまでは信号で止まっていた車両が、ここからは踏切で車を止める立場に変化する。なお城北線は単線なので、駅での行き違いを行うことになる。沿線は住宅と接しそうなぐらい狭い。途中で松山城が北から見えるようになり、さらに進むと上一万に到着する。ここで一旦車両を降り、次は本町線の車両が到着するのを待つ。本町線は西堀端の手前までは道後温泉行きの路線と同じ軌道を通るが、ここで左折せずに堀沿いを直進して北上する。この部分は単線になっており、行き違い設備がないために運行本数が限られるとのこと。終点の本町六丁目では完全に線路が切れており、すぐそこに城北線の本町六丁目駅が見えているが線路は接続されていない(乗り換えの場合は運転士に乗り換え券をもらうことになる)。
古町駅は郊外線の駅と路面電車の駅が隣接し、路面電車の線路が郊外線を横断している 本町六丁目にはLRTタイプの車両で移動、車両止めの向こうに見える踏切が環状線の駅 こうやって市内軌道線全路線を乗りつぶすと、松山という町はこの路線で大体のところは回れるようになっていることがよく分かり、路面電車というのがこれからの都市の交通システムとして非常に有効であるということを実践しているように思われる。これからの都市のあり方としては、この松山のようなシンプルな都市が正しいあり方のように思われる。
さて路面電車で市内を回っている内にすっかり日も暮れてしまった。そろそろ夕食時である。とりあえずは夕食のために路面電車で道後温泉まで移動。前回にも利用した「味倉」を訪ねることにする。目的は鯛飯。前回は時間がなかったために刺身を載せたような南予風鯛飯を頼んだが、今回は20分かかるという中予風鯛飯(1329円)を注文する。
しばらく待たされた後、一人鍋用コンロに乗った釜が登場。ただしすぐに食べられるわけではなく、炊きあがるのに13分ほどかかるという。こっちはお預けを食った犬状態でしばらく待たれる。何か期待増大効果も利用しているようなメニューである。
一人鍋用装備で運ばれてくる
ようやく時間になり蓋を取ると、そこに鯛がドカンと見え、磯の匂いがプーンと匂う。この鯛をまずは小皿に取り、そこで身をほぐしてからご飯に加えて海苔をかけて頂く。鯛の旨味が飯に移って実に美味で、飯が進む進む。あっという間に平らげる。
丸ごと入った鯛がビジュアル的にも食欲をそそる 昼食が軽すぎたせいかまだ腹が心許ない。そこでさらに「カワハギの刺身(1417円)」を追加注文する。先ほどまで店頭の生け簀で泳いでいたカワハギが一匹、厨房まで連行されていくと、しばらくしてカワハギ一匹をまるまる料理した皿が登場する。
カワハギ一匹丸ごと刺身
一般に「顔のまずい魚の方がうまい」という法則があるというが、カワハギはまさにその端的な例。身は刺身に、皮は湯引きに、アラと肝はさっと湯をくぐらせてから料理に出されている。身の刺身はコリコリとした食感と噛んだ時の甘味がたまらない。さらに魚に関しては「骨の周辺の身が一番美味しい」という法則もあるが、アラについている身をこそいで食べるのはテクニックが必要だが、これがまたうまい。そして絶品は肝。濃厚にして芳醇、それでいて嫌みがない味わいには思わずうっとり。まさに陶酔状態。お酒のあてにはこれ以上のものはないという代物だが、アルコールを受け付けない私は、これをご飯のあてにする。ご飯が進む進む。愛媛名物の鯛飯と新鮮な刺身を堪能して、支払いは3000円弱。納得の夕食であった。
夕食を堪能した後はホテルにチェックイン。今回の宿泊ホテルは前回にも利用したチェックイン松山。大浴場付で照明が明るいという私のツボをよく押さえたホテル。朝食付きで宿泊料は5780円である。ホテルに入るとまずは最上階の大浴場へ。ここのホテルは奥道後から引いたという温泉を売りにしている。当然のように循環で塩素殺菌付だが、塩素の臭いはむしろ道後温泉本館よりも弱いぐらい。露天風呂もあるし、だから今回は道後温泉で入浴していないのである。
風呂をじっくり堪能した後は無料マッサージチェアで背中を中心にほぐす。実は私は今日になってからかなり強い背中の痛みに苦しめられていた。最初は長時間列車のシートに座り続けたせいかと思っていたが、カメラをぶら下げようと首にかけた途端に激痛が走ったことで原因が判明した。重すぎるカメラをずっと首からぶら下げたまま動き続けていたせいだった。知らない間に背筋に無理な負担をかけていたようである。私にもっと予算があれば今よりは軽いレンズを買えるのだが・・・。ちなみに私のカメラは、キヤノンの初心者一眼デジカメにサードパーティの安物ズームをつけただけなのだが、見た目がごつすぎるせいでよくプロ用機材に間違われる(カメラのベテランなら一見しただけで一笑に付すような構成なのに)。今日もこれを持って路面電車から写真を撮っていたら「お仕事ですか?」と年配の男性から声をかけられたのだった。
なお今回の四国訪問では明らかに鉄道マニアと思われる連中をあちこちで見かけたのだが、以前に名鉄沿線で見かけた連中と違うのは、全員が望遠系ズーム搭載の一眼レフを所持して(中にはビデオカメラを持っている者もいた)、大きなリュックを背負っているということ。東海地区で多数見かけたお気軽鉄道マニアよりも、より気合いが入っているような連中ばかりである。ちなみにこのスタイルは・・・まんま私のスタイルと同じ。私は鉄道マニアではないつもりなのだが、どうも風景に溶け込んでしまってるんだよな・・・。
さすがに3日目になるとかなり疲れが溜まっているようだ。この日も鉄道での移動が多かったので、歩数自体は1万歩程度なのだが疲れはそれ以上に溜まっている。結局はこの日は、何をするということもないまま眠りについてしまったのだった。
翌朝は7時に起床、ホテルで朝食を済ませると路面電車でJR松山に向かう。今日の予定はまずは伊予大洲に行こうというもの。ただその際、前回の四国遠征で通っていない予讃線の海岸ルートのほうを通って現地視察を行う予定である。
ホームに到着したのは一両編成の大型車両。内部はロングシートである。ただ全行程で1時間半ぐらいに及ぶルートにもかかわらずトイレのついていない車両での運行である。このあたりに何となく嫌な感じを抱く。
列車は伊予市までは松山近郊の市街地を走行する。次の向井原を過ぎたところで内子ルートと別れ山の中に入っていく、その山岳地帯を抜けると後は海が見えるルートをひたすら走行することになる。この辺りは山か海の際まで迫っているために、沿線人口はきわめて少なく、駅の周りにも人家がほとんど見えないようなところが多い。
しばらく沿線風景を眺めていた私であるが、ここに来て最初に感じた嫌な予感が的中したことに気づかずにはいられなくなってきた。こんなときに限ってにわかに腹痛がしだしたのである。まだ行程は半ば、しかしこれでは伊予大洲までとてももちそうにない。かといって途中下車したら、次の列車まで3時間ほどを何もない駅で待つ羽目になってしまう。これはかなりのピンチである。
どうしようもないのでとにかく車掌に相談。どこかでトイレに行く余裕のある停車駅はないかを尋ねる。しかし途中のすれ違い駅の伊予長浜で2分停車するぐらいとのこと。「2分?うーん、きついですね・・・」と呟く私。すると車掌が一言「行ってきてください。待ってますから。」
さすがにローカル線と言うか、過密ダイヤの都市部ではありえないことである(というか、都市部なら迷わずに途中下車して次の列車に乗るが)。とにかくこれで助かった。伊予長洲に到着すると、私は車掌に一礼して荷物を車内に置いたままトイレまで全力疾走、個室に駆け込むと最大スピードで用を足す。どのぐらいの時間を要したかは私には分からないが、いくらなんでも2分ではさすがに終わらなかったろう。用を足して生き返った気分で私が戻ってきたときには列車はまだ待ってくれていた。私が運転士に礼を言ってから列車に飛び乗るや否や、直ちに列車は出発する。
ようやく危機を脱出である。私はこのような事態にならないように事前にホテルを出る前に用を済ませ、また車内でも水分は摂っていなかったにもかかわらず、今回はとんだ不覚をとってしまった。やはり体調管理は万全にしておくべきと反省しきりで、機転を利かせてくれた車掌と運転士には感謝である。ただやっぱり、1時間を超える距離で1日に数本しか運行しないような路線では、トイレ付の車両を運行しておいて欲しいとも思うのであった。
伊予長浜を過ぎた頃から列車は再び山岳地帯へと分け入ってくる。そして伊予大洲の手前で内子ルートと合流、伊予大洲駅へと到着、私は無事に伊予大洲へと到着することができた。列車はこのまま宇和島まで走行するが、私はここで途中下車。運転士に一礼してからホームへ降り立つ。
予讃線海岸ルートは海が見えるなど内子ルートよりは風光明媚であるのだが、列車の走行スピードの問題を抜きに考えてもやはり遠回りで時間がかかりすぎるルートという気がする。それに沿線人口は内子ルートよりもさらに少ない。これはショートカットコースとし内子ルートがメインになるのもさりなんというところ。今後も海岸ルートは地元民の足という位置づけ以上にはならないだろうが、肝心のその地元民の人口がかなり少ないことを考えると、果たしてこの路線もいつまで維持されるやら。
さて伊予大洲で降り立ったのは前回の遠征で車窓から目にした大洲城を訪問するため。大洲城天守閣は明治時代に老朽化によって取り壊されたというが、その際に写真や図面などが残されていたので、つい最近になってそれを元に木造で復元されたという。以前に車窓からその姿を目にした時も、なかなかに威風堂々とした城郭で心惹かれた。そこでわざわざここまでやって来た次第である。とりあえず天守までは結構距離があるので、駅前でタクシーを拾って移動する。
無事に伊予大洲に到着
タクシーはかなり狭い商店街などを通り抜けて天守に到着する。何となく町全体にレトロムードが漂っており、心惹かれる街並みである。なお天守まではスロープ状に道がつながっているが、どうやら天守閣再建の時に大型重機を入れるために整備されたと思われる。それ以前の大洲城の状況がどのようなものだったのかをよく知らないのだが、天守閣復元は良いとして、その際に周辺の遺構を破壊することになっていないかが気になるところである。
タクシーはそのスロープの途中まであがったところで停車(観光客用の駐車場は麓にある)、そこからは歩いて登城することになる。道を登るにつれてやがて天守が見えてくるが、なかなかに風格がある。思わず「おっ、いいな」という声が出る。
天守閣は現存する当時の遺構である二つの櫓を結ぶ位置に建てられている。再建されたのが4年前とのことなので、未だに内部には木の匂いが立ちこめている。形態などに関しては当時の資料のままに再現したとのことで、内部には展示物の類はほとんどないが、逆に木組みの妙が直接に観察でき、この天守閣自身が一番の展示物であると言える。基本的には当時の図面通りの設計だとのことなので、現存天守などにつきものの急な階段もそのまま再現している。たださすがに観光を意識して、幅だけは少々広げたとのこと。なおこの天守の再建には建築基準法の壁が立ちはだかったため(戦後に鉄筋コンクリート製のお手軽天守が氾濫した一因は、建築基準法が当時のままの復元を妨げていたのだが)、その適用除外を認めさせるには大洲市の粘り強い交渉があったという。
やはり天守は木造でないと
天守閣自身が川沿いの山という良い立地にあるために非常に見栄えがする。また二つの櫓と連立した天守の形態は非常に美しい。当時の資料に忠実に復元したという点で、復元天守のお手本とも言うべき城であり、実際に中に入ってみると復元天守につきもののまがいものっぽさやお手軽さとは無縁である。復元天守の中には「こんな天守を建てるぐらいなら、そのまま置いておいた方が良いのに」と思うような出来のものもあるが、ここの天守ならあえて復元した意味が感じられる。城郭マニアならずとも訪問の価値はあるべきと言えるだろう。
なお個人的には、あの津山城の素晴らしい石垣の上にこのレベルの復元天守が建てられれば・・・という妄想も抱いてしまうのである。さぞや壮観であろう。そして津山と姫路を結ぶ姫新線を高速化して、城巡りキャッスルラインとして観光列車を走らせるなどと夢は膨らむが、予算面と採算性を考えた場合に全くもって現実性皆無の妄想である。
大洲では城の見学をすませるとそのまま移動というのが当初の予定であったが、城のガイドの話によると大洲では現在祭りの最中で街中はかなり賑わっているとのことだし、さらに臥龍山荘なる名所もあるとのこと。そこで予定を変更してそのまま大洲市街の方へと繰り出していく。
川沿いの遊歩道を歩いていくと、屋形船の類が多く出て賑わっている。またその川沿いで大洲城の現存櫓4つの内の一つである苧綿(おわた)櫓を堤防のそばに見ることができた(ちなみに天守の傍らにあるのは高欄櫓と台所櫓)。
川沿いにある苧綿櫓
大洲市街はレトロムード満載である。赤煉瓦館なる建物の奥では大洲まぼろし商店街一丁目ポコペン横町なる昭和レトロ感満載の施設があり、多くの観光客を集めている。正直なところ、私が生きてきた時代よりも遙かに以前の時代の設定であるのだが、私の子供の頃にはまだこの風情は一部残っており、非常な懐かしさと郷愁を掻き立てられる(月光仮面の看板なんて、涙が出そうになる)。実際に辺りを闊歩している観光客にはかなり年配の方々も多くいたようだ。
ポコペン横町はレトロムード満載 月光仮面の看板が泣ける 街並み自体もレトロです
昭和レトロの空気が漂う街並みを抜けると、臥龍山荘は小高い丘の上に建っていた。ここは元大洲藩主の庭園を明治の貿易商河内寅次郎が再整備したものとのこと。大きな庭園ではないのだが、うまくまとまった落ち着いた日本庭園である。
大洲は非常に落ち着く良いところなので、もう少しじっくりといたいと思ったのだが(田舎があまり得意とは言い難い私にはめずらしいことに、もし予定と予算が許すなら一泊したいと思った)、次の予定が迫っている。電話でタクシーを呼び出すと駅まで移動。特急宇和海で内子まで移動する。
内子までは数分。駅に到着すると、先ほどの大洲ではトランクをゴロゴロ引きながら町の中を移動する羽目になって少々後悔したので(最初は城だけで帰ってくるつもりだったので、トランクをそのまま持って行ってしまった)、今度は駅のロッカーにトランクを押し込んでおく。
内子は江戸時代からの街並みが残っている街並み保存地区があるとのことで、当然ながらそこを観光する予定である。ただ街並み保存地区まではそこそこ距離があるので、移動をどうしようかと考えていたら、駅前に妙にレトロな車が停まっている。どうやらそれは「ちゃがまる」という観光バスらしい。1時間に1本運行していて、街並み保存地区と駅を往復していて1日600円で乗り放題とか。ちょうど都合がよいのでこれに乗車することにする。ちなみに運転士によると、「ちゃがまる」というのは内子の方言で「故障する」という意味だそうな。車のことは私はとんと分からないのだが、運転士によるとこの車両は「古いフォード」とのこと。何しろ古いので「もし途中でちゃがまったらごめんなさい」という意味があるとのこと。近くの観光案内所で乗車賃を払うと「あなたのお車がちゃがまらないように」と書いたお札にもなるという木札の乗車証をもらえる。このレトロバスで街並み保存地区の最上部まで連れてってもらえる。結構上り坂なのでこれに乗って正解。後は街並み保存地区を坂に従ってブラブラと下っていくだけである。
内子の町はかつて木蝋の生産で栄えたという。町の中にはその頃の蝋の生産を紹介した博物館もある。その繁栄の頃の住居が結構残っているので、そこを街並み保存地区にした模様。もっともこの手に指定された地域の住人はどこでもそうであるが、家の修理などに通常よりも費用がかなりかかることになるので、住民の負担も馬鹿にならない模様。地元の合意と熱意がないと不可能な取り組みである。それだけこの地域が観光に力を入れているということだろう。しかし実際、そこまでやらないとこのような山間の町が外部から観光客を誘致することは不可能であると言える。倉敷の美観地区がまるで映画のセットのようなわざとらしさがあるのに対し、大洲といい内子といい、これらのレトロな街並みはより生きている感じがある。
街並み保存地区の光景 ちなみに右はパーマ屋です もう既に昼時をとうに過ぎている。街並みをブラブラと見学しながら途中で昼食にすることにした。今回昼食を摂ったのは下芳我邸。歴史ある古民家を使用したそば屋である。注文したのはそばを中心としたセットメニューの「野遊び弁当(1380円)」。
建物だけでも文化財クラス こういう山間の町では大体メニューはそばが中心と決まっているが、これもシンプルなそば定食。ただ添えられている野菜系のメニューがうまい。このような観光地での料理やと言えば悲惨なところも少なくないのだが、ここはなかなかまともである。古民家を使用した店内も落ち着いた雰囲気でくつろげる。CPが良いとは思わないが、損をしたと感じる店ではない。
野遊び弁当
昼食を摂ってホッとしたので、さらにデザートとして「そばがきぜんざい(500円)」を注文する。普通のぜんざいだと餅が入ってくるところが、カリッと焼いたそばがきが入っている。これが食感は焼き餅のようなのだが、噛みしめるとそばの味がしてなかなか美味。
そばがきぜんざい
昼食後は内子座の見学。内子座は大正時代に建設された歌舞伎場。老朽化によってより壊されるところが街並み保存の気運に乗って復元されたとのこと。つい最近にも復活公演がなされたとのことだが、公演のない時は劇場内を見学することができる。舞台の上に立ってみたり、観客席から舞台を見下ろしてみたり、なお舞台の下(いわゆる奈落の底)にもぐって回り舞台などの仕掛けも見ることができる。舞台の上で記念写真を撮る姿も見られ、この舞台の上で大見得を切りながら記念写真を撮るのも一興であろう。内子の町の華やかか利子頃を偲ばせる施設である。
内子座の見学を終えると、ちゃがまるの最終便で内子駅に帰還、特急宇和海で帰宅の途につく・・・のだが、ここでまた思いつきである。途中の伊予市駅で下車、そこから目の前にある伊予鉄道の郡中港駅まで移動する。まだ帰宅の時間に余裕があるので、この際だから伊予鉄道の郡中線に乗車してやろうという目論見。待っていた列車は2両編成のロングシート車。伊予鉄700系というやつらしい。やや古色蒼然とした車両である。伊予鉄道郡中線は松山市駅と郡中港駅をつなぐ単線電化路線で、運行間隔は15分とJRに比べてかなり多頻度運転であり、利便性は高い。伊予市から松山市にかけての住宅地を走行する路線で、沿線風景は終始郊外住宅地の風情。先日に乗車した横河原線と沿線風景は近い。また郡中港駅からの乗客は少ないが、途中で沿線最大の商業施設であるエミフルMASAKIに隣接する小泉駅から大量の乗客が乗車、松山市駅到着時にはほぼ満員の状況となっていた。なお松山市駅でこの路線は完全に行き止まりとなっており、横河原線と高浜線が一体運用されているのと違い、こちらは完全に路線内完結の折り返し運転である。
JR伊予市駅と伊予鉄道郡中港駅
2両編成ロングシート車で運行され、松山市駅では行き止まり
松山市駅に到着すると路面電車でJR松山に移動。この路面電車もさんざん乗車したせいで既に愛着が湧いてきている。つくづく私は路面電車と相性が良いようだ。松山に到着すると、夕食代わりに弁当を購入して、岡山行きの特急しおかぜに乗車。当然のようにこんどもグリーン車で快適な走行(やばい、クセになりそうだ)。そして帰宅したのは夜もかなり更けた頃となっていたのであった。
今回の遠征で四国地方のJR全路線及び第3セクター路線を完全制覇することとなった・・・って、私は鉄道マニアではなかったはずなのだが・・・。若干の心残りは、今治城をまだ見学していないことと、伊予鉄の高浜線には乗車していないことであるが、そう遠くない将来に松山は再訪すると思うので、これらはその時に予定にのぼることとなろう。なお交通手段としてはやはり特急のグリーン車は格段に快適であるが、遠征費用を考えるとそんな贅沢はとても許されない。妥当なところは岡山からの高速バスというところだろうか。またそれとは別件で、いずれは大洲、宇和島、足摺岬といった方面に癒しの旅に行きたい気もあるが、それは私がもっと枯れてからだろうな・・・。
ちなみに今回の遠征で一番印象に残ったのは、松山で食べたかわはぎの刺身のうまさ。また高知のかつおもさすがであった。後は大洲城の予想外の威容と言ったところか。なんかやはり当初の主旨からだんだんとずれてきているのを痛感せずにはいられないのであった。
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