展覧会遠征 北陸編

 

 アメリカでのマネーゲームの破綻でリーマンブラザーズが破綻して話題となっているが、次に危ないと囁かれているのがAIG生命である。社会に害悪を流しながら自分たちだけが儲けている守銭奴どもがいくら破産しようと私には無関係だし、何らの同情心も湧かないが、「AIGが破綻寸前」と聞いた時には一瞬頭をよぎるものがあった。そう言えば、現在富山県立美術館でAIGコレクションが展示中であることを思い出したのだ。もしAIGが破綻したら、これらのコレクションも売却されて散逸するのがオチ。これは今のうちに見に行っといた方が良いかもという考えが頭をもたげてきた。

 しかし前回にも言ったように、今年は夏の大型遠征ラッシュで既に軍資金が底をついている。それが秋になったからといって好転するわけもなく、全く資金がない中から遠征費用を捻出する必要に迫られたのである。

 日程は9月の飛び石休というのは決定事項だが、とにかく先立つものがない状況。計画は二転三転をした。福井で一泊して、その後金沢で二泊するという超大型プランから、果ては高速バスで富山を日帰りする(車中2泊)という極貧プランまで、様々なプランが浮かんでは消えていく。それらのコストとスケジュールの激しいせめぎ合いの結果、金沢2泊で往復は高速バスの昼便というプランに落ち着くこととなった。

 生憎と当日の大阪は雨がぱらつく天気。しばらく待ったところでターミナルに金沢行きのバスが到着する。到着したのは3列シートのバス。私の座席は最前列である。高速バスに乗るのはしばらくぶりだが、やはりバスのシートは狭い。私のように横幅の広い人間にはいささかつらい。東京遠征の時、いつも頭に高速バスがよぎるのだが、やはり高速バスだと寝られないだろうなということを痛感する。

 しばらくは風景を眺めていたのだが、名神高速に乗った頃から雨脚がさらに強くなり、前もろくに見えないほどの豪雨。車内で「スパイダーマン3」の上映が始まったので、仕方なくそちらを見るが、あまりにつまらないので途中でヘッドフォンをはずしてしまう。その結果として分かったことは、この映画は音声が聞こえない状態で、時々チラッと見るだけでもストーリーが全部分かってしまうということである。さすがに最近のアメリカ映画は中身の空洞化がかなり進んでいる。

 映画が終わる頃には福井を過ぎていた。雨もようやく小降りになってきて、辺りの風景が見えるようになってきた。ふと前を見ると丸岡の表示が。左の方を見ると遠くに丸岡城の天守閣が見える。実は今回の遠征計画では、当初は丸岡城訪問も予定に入っていたのだが、台風の接近と予算の問題でスケジュールを一部カット、丸岡城は次の機会にすることにしたのである。「待ってろ、いつか行ってやるぞ」と心で叫ぶ。

 豪雨のためバスの到着時間が気になったが、前もろくに見えないような悪コンディションにも関わらず、バスは予定よりもやや早い時間で金沢駅に到着する。1年ぶりに金沢に降り立った私は感無量であるのだが、感慨に浸っている余裕はない。直ちに行動開始である。

 まずはとりあえず予約していたホテルに行き、荷物を預けると共にチェックインの手続きを済ませてしまう。私が予約したのは「ドーミーイン金沢」。温泉大浴場付で部屋の照明は明るく、トイレと洗面台が別になっているなど、ことごとく私のニーズを満たしており、1年前に宿泊した時に是非ともまた来たいと思っていたホテルである。

 ホテルにトランクなどの重たい荷物を預けると市内周遊バスに乗り込む。高速バスの中でおにぎりを2つ食べただけなので空腹が身に染みている。まずは目的地の前に腹ごしらえである。武蔵の辻で降車すると1年前にも訪問した近江町食堂を再訪する。前回は海鮮丼を注文したのだが、今回は近江町定食(1570円)を注文する。

 

 運ばれてきたのはオーソドックスな昼定食。いかにも町の食堂という雰囲気のこの店にピッタリである。たださすがに魚の鮮度は良い。魚にはうるさい私をも納得させる内容。やはり刺身は古くなるとてきめんに味が落ちるが、誰でも最もそれを簡単に感じることが出来るのが甘エビの頭。新鮮な甘エビは頭の中をすすると、まさにその名の通り「甘い」のであるが、これが少し古くなると生臭くて食べられものではなくなる。だからそもそもスーパーの刺身などでは、甘エビに頭をつけたまま出すなどという無謀なことをしない。で、ここの刺身だが当然のように「甘い」のである。またうれしかったのが、なんの変哲もないように見える味噌汁がしっかりとアサリの入ったアサリ汁だったこと。大抵は具の断片が申し訳程度に見える程度の味噌汁が多い中で、これは逸品。調子に乗って嫌いのはずのモズクまで食ってしまった。

 

 印象として、以前の海鮮丼と価格は等しいにもかかわらず、こちらの定食の方が個人的にはCPが高く感じた。どちらか言えば海鮮丼の方が観光客受けはしそうであるが、実をとるなら昼定食である。なおよりリッチに楽しみたい方には、さらに上級の定食もあるようである。

 腹を満たした後はいよいよ本日の予定をこなすことにする。まずは第一の目的地はつい最近に改装が終わった石川県立美術館。しかし生憎と金沢の方もいよいよ本格的に雨が降り出したようである。雨をおしてバス停に到着、どのバスに乗ったら目的地にたどり着くのかを確認。どうやら「兼六園行きループバス(土日祝日運行)」に乗車したらよいようである。と、確認を終えて顔を上げると、今まさにそのバスがバス停から出て行っていくところ。結局は次のバスまで20分も待つ羽目に。なんて不運な・・・と思いながら目の前の建物を見ると、「院展金沢展開催中」の看板が。どうやらここの百貨店で院展が開催されているらしい。というわけで、ボーっと20分もバスを待つほど気の長くない私はまずそちらをのぞいてみることにする。


「院展金沢展」名鉄丸越で9/21終了

 

 言わずと知れた、多くの一流画家も輩出した大規模な公募展の金沢巡回展である。

 私は院展の特徴がどうとか云々するだけの知識はないのだが、展示作品は日本画の具象画ばかりなので、現代アート系が苦手な私にも理解しやすい内容。また同人作品として名の知れた画家たちの作品も併せて出展されている。その手の画家については「いかにも○○らしいな・・・」という作品が多かったのであるが、特に目を見張る作品もなかった。

 それよりは無名の画家であるが、感性の輝きのようなものを感じる画家が数人いた。果たして彼らが今後大家として上がってくるか、市井に埋もれてしまうか。前者なら私の鑑識眼はなかなかということだが、後者なら節穴ということになる。数年後が楽しみ。


 結局は、バス停で逃したバスの2本後のバスに乗車して、無事に県立美術館に到着する。ここに来るのは1年ぶりだが、外から見た限りは特に変化した様子がない。しかし中に入って唖然とする。喫茶コーナーに行列が出来ている。よくは分からないのだが、どうやら評判のよいケーキ屋か何かがテナントで入った模様。とは言っても私はそんなものに興味はないので、さっさと展示室の方に向かう。


「法隆寺の名宝と聖徳太子の文化財展」石川県立美術館で10/24まで

 国宝玉虫厨子を始めとする法隆寺の名宝を展示した展覧会。聖徳太子が設立した法隆寺は文化財の宝庫だが、その法隆寺の国宝や重要文化財がズラリと並んでいる。

 展示物として、仏教関係の資料が多いのは当然であるが、本展では工芸品の類も多数展示されていたのが特徴的。個人的な印象としては、法隆寺展と言うよりも正倉院展のような印象を受けてしまった。

 ただ、奈良が活動エリアに入っている私としては、わざわざ金沢で法隆寺の宝物を見る意味は・・・。玉虫厨子なんてこれで何度目だろう。正直なところ展覧会の選択を間違えてしまった。


 今回、県立美術館を訪問したのは、前回の訪問時にこの館のコレクションについても興味を感じたというのがある。というか、その実はむしろこっちの方が本命と言えよう。だから当然であるが常設展のほうも一回りする。さすが加賀百万石の城下町、コレクションは玉石混交でかなり興味深い作品もある。前回は駆け足で回ったので、今回はもう少し腰をすえてじっくりと鑑賞する(と言っても、私が展示品鑑賞に費やす時間は、普通の鑑賞者に比べると異様に短いらしいが)。やはり金沢は工芸品のレベルが高いようである。ただ残念ながら、私はこっちの方には全く鑑識眼がないのがつらい。

 美術館の見学を終えるとさらにバスで移動する。実は前回の金沢訪問でやり残していた最大のものは、金沢城見学である。当初の予定では兼六園を見学した後、金沢城も見学するつもりだったのだが、灼熱の兼六園を回るうちに体力を消耗しすぎて、とても金沢城まで回る余力がなかったのである。この前回の宿題を終えるのも今回の遠征の目的の一つである。

 前回に見学した兼六園を背にすると石川門の方に向かう。ここは道路を越える橋で結ばれているのだが、現在の道路があるところはかつての堀の跡であるという。そう考えて見るとかなり深い。

 金沢城は言うまでもなく、加賀百万石の前田氏の居城である。しかし明治以降は陸軍の駐屯地になった挙げ句に大部分の建物を火災で失うなど、全国の他の城郭と同様の惨憺たる扱いを受けて荒廃してしまった。その挙げ句、戦後は金沢大学のキャンパスが置かれるなど悲惨な状況にあったという。しかし近年になって、金沢大学が移転すると共に石川県が本格的に城跡の再整備に取りかかり、積極的な復元工事がなされているとのこと。

 石川門

 とりあえずは数少ない現存建物である石川門をくぐって中に入ると、広大な敷地内でかなり大規模に工事がなされているのが分かる。前方には復元工事で再現された菱櫓や五十間長屋が見えるので、まずはそこから見学する。

 菱櫓はその名の通り菱形の平面をした櫓。あえて菱形にしているのは耐震性を向上させるためとか。当時の技法にかなりこだわって復元したとのことで、櫓の上に上がるための階段はかなり急で、現存天守を思わせる。さらに櫓には石垣を登ってくる敵兵を迎撃できるシステムが備わっており、防御の要であったことが分かる。また広大な五十間長屋の内部はその木組みなどが圧巻である。

 

 復元建造物を見学した後は、これまた数少ない現存建物である三十間長屋を外から観察してから本丸跡に登る。しかしここには既に櫓跡以外は何もなく、現在は本丸跡全体が広大な森林となっており、貴重な野生生物の住処になっているとか(となると、むやみやたらに伐採して建築物の復元というわけにもいかないか)。

 三十間長屋

 金沢城は建築物があまり残存していないのが寂しいところだが、複雑な構成の石垣の美しさが印象に残った。今後復元工事が進んでいけば、兼六園と並んで金沢の観光名所になりそうである。

 

本丸跡は森になっている         複合した石垣が美しい

 この付近にはさらに21世紀美術館があるのだが、県立美術館と金沢城を優先した結果立ち寄る時間がなくなってしまった。まあ前回の訪問時にも、美術館の巨大な仕掛けには感心したものの、やはり私は現代アートとは相性が悪いということを痛感しただけだったので、今回はここは省くことにする。

 金沢城見学の後は、金沢駅までバスで戻ってくると、そのまま地下に潜って北陸鉄道金沢駅に向かう。例によってここからは「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としての視察活動である。実は北陸地域は意外にも鉄道大国であり、多くの地方路線が残存している。北陸鉄道もその一つである。近年はバスに追われて廃線も増えているが、それでも金沢−内灘間の浅野川線と野町−加賀一の宮間の石川線が残存している。今回はその浅野川線を視察しておいてやろうというもの。

 北鉄金沢駅

 駅前再開発工事によって地下に移されたという北鉄金沢駅はこじんまりとした駅。そこに単両のロングシートタイプの電車が到着する。浅野川線は始発駅の金沢と終着駅の内灘以外はすべて無人駅であり、有人駅ではすべての乗客を改札して降ろしてから、乗車する乗客の改札をするというパターンのようである。浅野川線は全線単線の電化路線であるが、終着駅まで20分足らずで到着するぐらい短いので、中央付近の三ツ屋駅ですれ違いをしながら2両の車両をピストン運転しているようである。

 

 沿線風景はほとんどが金沢の市街。途中でやや郊外めく部分もあるが、概して沿線人口は多いようで、利用客数もそれなりにいるようである。また終着の内灘ではバスが接続しており、多くの乗客はそれに乗り換えてさらに先に進む模様。つまりは鉄道自体が完全にバスの路線の一部として運行されているようである。

 内灘駅

 内灘まで往復して帰ってきた頃にはすっかり日も暮れてもう夕食時。しかし昨晩まともに眠れなかった上に今日は移動で疲れたので、今からどこかに夕食を食べに行く気力が起こらない。そこでこの日の夕食は安直に、駅の中のレストランで金沢ではポピュラーというハントンライス(オムライスの上にタルタルソースのかかった魚フライを置いたようなもの)を食べて終わりにする。

 

 この日はホテルに帰ると、温泉でたっぷりと疲れを癒し(この温泉があるのがこのホテルの最も良いところである)、夜には床につく。

 

 しかし翌朝の目覚めは最悪だった。夜中に腹痛で目覚め(どうやら腹が冷えたようである)、そのまま完全に寝そびれてしまったせいで、翌日はろくに睡眠をとらないまま朝を迎えることとなってしまったのだった。

 とは言ってもこのまま呆けていても仕方がない。眠気覚ましに早朝から温泉に入浴すると、とりあえずは朝食を摂って無理矢理に身体を奮い起こして一日のスケジュールをこなすために出発したのだった。

 まずはJR金沢駅に行くと、そこから北陸線で高岡まで移動する。北陸線に乗車すると、石川と富山の間はかなり険しい山岳地帯で完全に分離されていることが分かる。

 高岡に到着するとここで乗り換え。富山に到着する前に氷見線の視察である。氷見線とは高岡と氷見を結ぶ単線非電化路線である。当然ながらディーゼル車両が走行している(キハ40型だそうな)のだが、高岡が藤子不二夫氏のゆかりの地と言うことで、忍者ハットリ君がペイントされた車両が走行しており、車内放送までハットリ君で「ニンニン」という凝りよう・・・なのは良いが、生憎とディーゼルのエンジン音が大きいせいでよく聞こえない。

 

ハットリ君イベント列車          車内もハットリ君   

 沿線は最初は高岡市街を走行するものの、すぐにそれから外れて海岸沿いの比較的閑散とした地域を走行する。最初の越中中川駅で通学の高校生が一斉に降車すると、後は閑散とした雰囲気になる。途中で雨晴海岸で日本海が眺められるが、生憎と天候が今一つである。海岸を抜けるとすぐに終着の氷見に到着。全線で走行時間は30分足らずである。

 

雨晴海岸からは海が見える         氷見駅に到着    

 氷見線については雨晴海岸という景勝地はあるものの、別段に観光色のある路線ではなく、あくまで沿線住民の足以上でも以下でもない。ただ気がかりは氷見駅周辺がそう賑やかではないことと、沿線人口もそう多くはなさそうなこと。さらに他の地域同様、この辺りもモータリゼーションはかなり進んでいるようである。また北陸新幹線延長後は、この地域の在来線は一括してJRから切り捨てられる(経営が分離されるとか)とのことで、そうなると今後はかなり不透明である。実用的なダイヤを死守できるかどうかが存続のポイントになりそうである。

 こちらは氷見線の通常車両

 終着の氷見からすぐに折り返して高岡に到着すると、そこから再び北陸線に乗り換えて富山に到着する。富山には富山地方鉄道という路線が存在し各地を結んでいるが、市内を循環する路面軌道と市外とを結ぶ専用軌道の2種の路線を保有している。とは言うものの鉄道マニアではない私にはあまり関係のないこと。とりあえずは路面電車で次の目的地に向かう。

 

JR富山駅             こちらは富山地方鉄道富山駅

 

様々なラッピングの路面電車が走行       内部はかなりレトロ調    


「印象派の光、エコール・ド・パリの夢」富山県立近代美術館で10/13まで

 AIGスター生命が所蔵するフランス近代絵画コレクションを展示ししたもの。モネを始めとして、ルノワール、ゴッホなどから、シャガール、藤田嗣治など。

 モネについては点数は結構あったのであるが、私としては今一つピンとこない作品が多かった。逆に面白いと感じる作品が多かったのはルノワール。ルノワールには珍しい風景画やいかにも彼らしい人物画まで秀品が多かった。印象派からエコール・ド・パリまでの画家を網羅的にカバーしているので、この辺りの流れを感じるには最適の内容か。


 目的を終えた後は、スーパーで昼食用の弁当を購入し、バスで富山駅まで引き返すと、再び北陸線で高岡まで取って返す。次はここから南の方に向かって伸びている城端線の視察である。城端線は氷見線と同様に高岡から延びている北陸線の支線に当り、氷見線と同様に非電化単線路線である。そのために両路線の車両は共用化されている模様であるが、直接に接続した運行は行われていないようである。

 城端線車両は氷見線と同タイプ

 高岡駅から南下して市街を抜けると、沿線風景は突然に富山米所の田園風景に変わる。田園の中を走行することしばし、再び周囲が市街地めいてくると、そこはこの沿線で最大の都市(多分)の砺波市である。多くの乗客がこの駅で降車し、ここでしばし上り列車と待ち合わせのすれ違いを行う。砺波駅を出た後は再び列車は田園地帯の中を疾走するが、この頃から南部の山岳地帯が徐々に近づいてくるのが感じられるようになる。

 田園風景を見ながら本日の昼食を取り出す。今日の昼食は先ほどスーパーで購入したマス寿司。本当はもう少しまともなものを買いたかったのだが、残念ながら私が目当てにしていたものは売ってなく間に合わせである。今日はスケジュールが厳しいので、店に入ってじっくりと昼食を摂っている暇さえない。という意味ではまさしく「遠征」そのものなのだが、何か主旨が変わってきているのを感じる・・・。

 やがて列車は終点の城端駅に到着。この駅は白川郷方面行きのバスとの接続点となる。しかしそれ以外には特に何かがあるというところではない。白川郷には私も興味はあるが、今回はそんなところに立ち寄る大遠征計画はない(というか予算がない)。結局は私は滞在数分で引き返す。

 山岳地帯が近づいてくる

 

 今日が飛び石連休の中途の平日であるせいか、乗客には圧倒的に学生が多かった。JRのローカル線を支えているのは学生の通学需要だと言うが、この路線の場合もまさにその図式の通りなのだろう。盲腸線であるだけに基本的に地域間輸送が中心であり、それ以外の要素は見つけにくい路線であった。

 高岡に戻ってくると、本日最後の鉄道視察となる。次は路面電車の万葉線である。高岡市街を走行する路線として、高岡駅前から隣の射水市の港湾地域の越ノ潟までを結んでいる。かつては高岡と富山を結ぶ鉄道路線であったが、富山新港掘削による路線の分断、採算悪化による一部路線の廃止、路線の譲渡などの経緯があった後、現在は第3セクターである万葉鉄道によって運営されている。高岡市内路線の大半が路面軌道で、射水市内には専用軌道も併用している。運転間隔は15分おきという多頻度運転で利便性は高く、新型の低床型車両も導入しており、いかにも昔の路線電車というタイプの旧型車両と、最新の車両が交互に走行している状態である。時代遅れの交通システムと言われていた路面電車が、近年では環境問題や都市問題の高まりと共に最新交通システムのLRTとして再注目されているが、まさにそのような社会状況を如実に反映している。

 

 高岡駅前から乗車したのはその旧タイプの方の車両。昭和レトロを思い出させるような年季を感じさせる車両である。市街地エリアでは乗客も結構多い。ただモータリゼーションが進行した地方都市ではどこでもありがちな風景であるが、運転マナーの悪さが目に付いた。右折時に電車の軌道内に入り込んで停車している車が結構多く、しかもそのような状況にもかかわらず、対向車も譲らずにむしろブロックしているという光景がよく見られ、そのたびに車両が急停止することになってしまった。都市交通としてのLRTを最大限有効に活用するためには、自動車の流入の規制も不可欠であると言われているが、その理由がこういうところにうかがえる。

 

 路線が沿岸部に入る頃には、専用軌道の走行が多くなって運行速度も上がるが、逆に乗客の方が減少してくる。やがて窓から海王丸の姿が見えるようになると終点は間近。終点の越ノ潟は全く何もない駅である。ここで下車したのは私と高校生が一人。ここからは対岸に渡る渡船が運行されているようである。私の方は、このままこの列車で引き返すのも空しいので、終点の一つ手前の海王丸駅まで散歩がてらにブラブラと歩く。

 

越の潟からは渡船が出ている          海王丸    

 港湾地域だと思っていたのだが、実際のこの辺りは古い住宅地という風情。遠くの海岸には海王丸パークがあり、海王丸がそこに接弦展示されているのだが、案内を見ると生憎と本日は休園の模様なので、遠くから眺めておくだけにする。海王丸駅には十数分で到着。ちょうど新型車両が越ノ潟に向かって走っていくのが見える。そこでそれが折り返してくるのを待って乗車する。やはり乗り心地は新型車両の方が上である。二両が連結された構造になっており、広島電鉄の宮島線の車両に似たイメージ。また窓が大きくて見晴らしも良い。乗客は徐々に増え、高岡駅に戻ってくる頃には満員に近い状態になる。

 

海王丸駅にて新型車両       二両編成になっている

 

窓が大きくて近代的なフロントビュー        高岡駅に到着       

 第3セクターに移管してからは、乗客数の減少は歯止めがかかっていると言うが、ポイントは多頻度運転による利便性だろう。また低床式車両の導入は、高齢者などの交通弱者に対して優しいシステムであり、今後とも頑張ってもらいたいところである。なおこの路線の命運は高岡の都市としての盛衰に関わっており、常々言っていることだが、地方の活性化を促すような全国的な施策が必要である。これから数年の日本の課題は、小泉インチキ改革によって徹底的に荒廃させられた地方の再建である。

 高岡駅からは北陸本線で金沢まで帰還する。金沢に到着した頃には日がどっぷりと暮れている。とりあえずは夕食を摂る必要がある。今日の夕食は前回にも訪問した「自由軒」に行くことにした。今回注文したのはプレート(995円)。この店の名物のオムライスとコロッケなどを組み合わせたメニューである。オムライスについては、前回には注文しながったので今回試してみようとの考え。

 前回にオムライスの注文をためらったのは、ここのオムライスはケチャップを使用しないかなり特殊なものだと聞いていたからである。実際にオムライスを割って中を見てみると、ライスが赤い色をしておらず、茶色っぽいライスが入っている。一口食べてみると確かに変わっている。多分コンソメなどで炊き込んだライスに醤油ベースの味付けをしているようである。しかし驚くのはそのバランスが良い事。正直なところ「ケチャップを使わないオムライスなんて・・・」と思っていたのだが、実際に食べてみると、非常に味わいが鮮烈でなおかつオムライスというメニューに非常に合致しているのである。これを食べてしまうと、むしろケチャップライスは味がぼやけているようにさえ思えてきて、こっちの方が正解なのではといういう気さえ起こってくるのである。

 

 なかなかに貴重な体験だった。味覚というのは個人の好みもあるので、万人に同じことが言えるかどうかは分からないが、私にとってはここのオムライスは私がまだ先入観というものにかなり支配されていたということを思い知らすに十分なものであった。

 夕食を終えるとホテルに帰還、最上階の温泉に浸かってまったりとする。そして本日の夜食を出してくる。富山に行ったのだからお約束のマス寿司である。実のところを言うと、これを買い込んでいたから今日の夕食は軽めにしていたというわけ。前回は「特選」マス寿司を食べたのだが、私にはやや脂のりがよすぎてしつこく思われたので、今回はノーマルなマス寿司である。やはり私にはこちらの方が合っているようだ。

 富山の夜のお供と言えばこれ

 さすがに昨晩ろくに寝てないのと一日列車に乗り続けで疲れたのとで、この日は原稿執筆の気力さえないままそうそうに爆睡してしまう。

 

 昨晩ろくに寝られなかったせいか、この日は朝まで爆睡をした。目覚ましに叩き起こされたが、疲れがまだ残っているのかまだ頭がボーっとしている。いっそのことこのまま今日の予定はなしにして、チェックアウト時間まで寝とこうかという悪魔のささやきが頭の中に聞こえる。これに対して反対側から、ここまで来ていて予定をこなすことができなければ勿体ないという貧乏神のささやきが。結局、悪魔対貧乏神の葛藤は貧乏神が勝利を収め、私は重たい身体を無理矢理起こすと朝食を摂りに食堂に降りる。

 朝食を済ませるとホテルをチェックアウト。トランクは金沢駅のロッカーに放り込んでからホームに向かう。今日の目的地は能登半島である。七尾線を使用して能登に乗り込もうという計画。七尾線は津幡からであるが、七尾行きの列車は金沢から発車している。ホームの先端部が切り欠き状になっていて、そこから七尾線の列車が発着している。

 ホームで待っていたのは交直両用電車の415系の800番台。七尾線は直流電化されているが、金沢−津幡間の北陸本線は交流電化なので、金沢発の七尾線列車は交直の切り替えが必要になる(津幡を通過したところで、交直切り替えのための停電が数秒ある)。本車両はそのための改造車であるという。なお元は関西地区でもよく見かける113系だとのことなので、道理で初めて見た時にどこかで見たことのある面構えだと思ったはずである。なお動力部の改造の際に車両の内部も改造してあり、新たにバケット型のボックスシートを導入している。元々の113系のボックスシートは、115系と共にその異常な狭さで悪評高いが、415系はシートピッチが元の113系よりも広げているので、座っていても快適である。よく見てみると、窓の位置とシートの位置に微妙にずれがあることが、この車両が改造車であることを示している。

 

 列車が津幡に到着すると、ここでかなりの乗客が降車する。津幡を出てすぐに交直切り替えのための数秒間の停電があり、列車は七尾線の直流区間に突入する。沿線は所々に集落はあるものの沿線人口はそう多くはない典型的なローカル線の風景である。単線路線なので所々で対向列車とすれ違ったり、特急サンダーバードに追い越されたりしながら、1時間強で終点の七尾に到着する。

 

 七尾駅前は私が思っていたよりも賑やかであり、大型商業施設なども建っている。とりあえず今日の目的地はここである。駅前でタクシーを拾うと目的地にまで移動する。


「能登畠山氏と能登の美術」七尾美術館で10/26まで

 室町時代から戦国時代にかけて能登を治めた大名が畠山氏である。畠山氏は内部の抗争と上杉謙信の攻撃で滅亡するまでの170年間に渡ってこの地を繁栄させた。その畠山氏にまつわる文物を展示している。

 展示物には書状の類が多く、これ以外は肖像画やかつて山城として存在した七尾城の縄張り図など。要は美術系展示ではなくて博物系展示。残念ながらいずれも私としては興味の範囲外。


 この地域のゆかりの芸術家と言えば長谷川等伯が存在し、駅前にもその像が立っている。だが私の訪問時には残念ながら等伯の作品はほとんど展示なし。これは来る時を間違えたようである。

 再びタクシーで七尾駅まで戻ると、ここからさらに先に進むことにする。七尾からは穴水までのと鉄道という第3セクターの鉄道が通っている。のと鉄道は国鉄能登線の廃止が論議された時に、この能登線と和倉温泉以遠の七尾線を引き継いだ第3セクターであり、かつては輪島や蛸島まで路線が延びており、まさに能登半島を隅々までカバーしていた。しかし沿線の過疎化の進行や道路整備に伴うモータリゼーションの進行によって乗客が減少、穴水以遠の路線がすべて廃止されるに至って、今や路線長は往時の1/3にまで縮少しているという。この路線は各地の第3セクターが直面している問題にもろにさらされている状況であり、経営的にも危機的状態だと聞いている。これはやはり「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会」としては現状視察をしておく必要があると考えてのことである。

 七尾駅の一部を仕切った形でのと鉄道の駅が存在している。待っているのは同社の新鋭ディーゼル車NT200型。あのJR西日本の非電化地区で頻繁に見かけるキハ120型を製造している新潟トランシスの車両だけに、「どこかで見たことがある」という気が強烈に起こる車両である。

 

 七尾からの乗客は十数人ほど。七尾の次は和倉温泉に到着する。実際の和倉温泉はこの駅から少々距離があるようで、ここから車による接続が必要なようだ。そう考えると利便性が少々悪い。

 列車が能登中島駅に到着すると乗客のほとんどが降りてしまう。この駅には地元の有志によって保存されているという郵便列車が設置されている。またその隣にはかつてこの路線を走行していたパノラマカーNT800型の姿も見える。路線はこの能登中島を過ぎた頃から山の中や海沿いといった沿線風景としては面白くなるが、沿線人口は絶望的に少ないと思われる地域を走行し、終着の穴水に到着する。この間、30分強。

 

   昔の郵便列車          パノラマカーのなれの果て

 穴水からは輪島方面などに向かうバスが出ているようである。しかしそれ以外には特に何があるわけではない。駅の0番ホームには、かつてこの路線を走行していたNT100型が保存・・・というよりも放置に近い状態で置かれており、ここからまだ先に伸びている線路と共にもの悲しさを漂わせている。

 穴水駅

 

旧タイプの車両が保管?されてます      まだ続く線路が悲しい   

 穴水に到着はしたものの、特にここからどこかに行くという当てがあるわけではなし、結局は滞在数分でここまで乗ってきた列車でそのまま引き返す。帰りはこの辺りのどこかで宿泊していたと思われる乗客十数人が乗り込んできて車内はそれなりの混雑になる。

 さてのと鉄道であるが、地元の利用はあるようであるが、このままではジリ貧という感は否定できない。穴水に特に何があるというわけではなく、結局ここから先に行くバスに乗り換えるのなら、最初からバスで行くのとそう違いがない。どうせ新型車両を投入するのなら、そのまま従来路線を高速化するという手もあったと思うのだが、結局は路線を廃止してから新型車両を投入したのだからそれも手遅れ。輪島や蛸島まで新型車両が高速で突っ走れば少しは勝負の目もあったかもしれないのだが・・・。

 それにしても今回の遠征では、つくづく私は鉄道マニアではないということを思い知った。鉄道マニアとはとにかく列車に乗っていればハッピーになるという種族なのであるが、私の場合は「鉄道とはどこかに行くために乗る」という意識があるので、盲腸線を終点まで行ってはすぐに折り返すということを今回続けている内に、どうしようもない虚しさに襲われてしまったのである。やはり私は到着地に何か目的が存在しないと精神的に耐えられないたちのようである。これは今後考えておく必要がある。

 やがて列車は七尾に到着。しかしここで私の心の中の虚しさは既にピークに到達していた。このまま来た道を同じように帰るという気にはなかなかならなかった。ここで私は今回、金沢との往復に高速バスを使用することにしたことを後悔したのである。今回の遠征はこの高速バスを使用することにした結果、どうしてもそのバスの発車時間までには金沢に帰っておかないといけないという制約があり、これがかなりのプレッシャーになると共に、スケジュールの自由度を制限するのである。これが鉄道で帰るつもりなら、予定よりも一本後の便にするという変更が可能であるので、例えばついでに和倉温泉に寄っていくとか、いくらでもアドリブが効くことになるのだが・・・。

 結局はこのまま金沢に帰るという選択肢しかないのだが、行きと同じように普通列車でエッチラオッチラ帰る気力は既に私にはなくなっていた。私はせめて少しでも変化をつけるべく、金沢までは特急サンダーバードを使用することにしたのである。

 普通列車に先行すること数分、和倉温泉発のサンダーバードが到着する。私が乗車するのは当然のように自由席。3両編成の先頭車両が自由席になる。内部は結構広々としておりシートも快適。また走行も非常に滑らかで、この列車かかなりの高速運転が可能であるだけのパワーを秘めていることが分かる。しかし残念ながら単線路線の七尾線ではその真価が発揮されているとは言い難く、実際に前がつかえているのかかなりの低速で走行することが多かった。この列車が本当に真価を発揮したのは、津幡を過ぎて北陸本線に入ってからのわずかの区間。しかしここでかなりの高速走行を体験できたのである。

 

金沢で前に増結するのでエンブレム等はついていない

 実際に乗車してみて、この列車がかなりの人気を博しているという理由が分かったような気がした。やはり一度大阪から乗車してみたいという気持ちがムクムクと湧きあがってきたのである。

 金沢に到着したのは2時過ぎ頃、ここで遅めの昼食を摂ることにする。大阪行きのバスは金沢を4時に発車なので、この昼食が金沢での最後の行動となるだろう。私は駅からバスに乗車すると香林坊で下車する。金沢は市役所の裏辺りに多くの飲食店が存在するエリアがあるが、私が選んだ店はその中の洋食屋「グリル中村屋」である。

 金沢は実は洋食の町でもあるのだが、この店もそのような洋食の町・金沢を代表するような店。昨日に夕食を摂った自由軒が昭和レトロの空気を漂わす店なのに対し、こちらはもっと洒落た喫茶店のような雰囲気の店である。多分、女性などはこちらの店の方が雰囲気的には入りやすいだろう。私が注文したのは「コキール巻定食(1600円)」。

 注文した定食が届く前に、私の前に茗荷の甘酢漬け(?)が出される。洋食にこの付け合わせとは何とも妙なもの。それに私はあまりこの類を好まないのであるが・・・少し首をひねりつつも一口かじってみると、これが意外にうまい。結局はすべて平らげる。これは料理の方も期待できそうである。

 なぜか茗荷が

 しばらく待たされてから料理が出される。さてコキール巻であるが、これはクリームソースを豚の薄切り肉で巻いてから揚げたものである。謂わばクリームコロッケの皮とクリームの間に豚肉が入っているようなもの。一口かじると、サクサクした衣の食感とトロリとしたクリームソースが絶妙。またやや甘めのクリームソースと豚肉が非常にバランスが取れていてうまい。何やらホッとするような、それでいて少々贅沢でもある味である。

 コキール巻定食

 金沢最後の食事はなかなか堪能できた。なおこの店では皿に入ってソースをかけたような形の洋風カツ丼が人気メニューであるとのこと。次の機会があればそっちも試してみたい。

 カツ丼はこんな感じ

 昼食を堪能した後は再びバスで金沢駅に帰還。駅の周辺で土産物を買い求めると、ロッカーからトランクを出して高速バスの停留所へ。そのままバスで大阪へと帰還したのであった。なお帰りのバス中ではウトウトとしたのであるが、やはり熟睡とはいかず、夜行バスで東京というプランはやはり無理であるということを再確認したのだった。

 

 今回の遠征で、やはり私は金沢という町と相性が良いということを再確認したのである。私が今まで相性がよいと感じた町は、松江、松山、広島などであるが、いずれも共通しているのは城を中心とした大きすぎず小さすぎずという規模の町であることと、路面電車もしくは路線バスなどによる移動の便が整っていることである(私は地下鉄が嫌いである)。そしてやはり町の中にそこはかとなく文化の薫りが漂っていること。この辺りを考えていくと、私が無意識のうちに都市に対して理想と考えている条件が見えてくるようである。そして私が理想とする国の形態とは、このような都市を地方の中核都市として周辺に農業地域を配した自給自足圏が全国に数十散在し、それらが交通網によって結ばれているという形態である。これを実現しようと考えるなら、やはり日本のガンとも言える東京は直ちに解体するしかないという結論に至るのである・・・。

 

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