展覧会遠征 彦根編
さて今年の夏の青春18シーズンもいよいよ大詰めとなってきた。となると、やはり青春18切符を使った遠征を実行しておかないとという気になってくる。そこでかねてより懸案となっていた彦根遠征を実施することとなった。以前にも言ったように、彦根城は日本の現存12天守の一つである。目下のところ私は四国の4つ、中国の2つ、さらに姫路城は訪問しているのであるが、この彦根城はまだである。後は福井の丸岡、愛知の犬山、長野の松本、極めつけが青森の弘前と遠隔地ばかりであることを考えると、せめて彦根ぐらいは攻略しておかないとというものである。
新快速で彦根に早朝に到着。彦根と言えばひこにゃんであるが、駅から降りた途端にあちこちにひこにゃんが見られる。なお駅前には巨大なひこにゃんの銅像・・・ではなくて、徳川四天王の一人で彦根藩初代藩主である井伊直政の銅像が立っている。彦根は徳川の譜代大名の井伊氏の所領で、代々の領主の中には幕末に桜田門外で暗殺された井伊直弼も含まれている。
彦根発全国キャラのひこにゃん こちらは井伊直政(ひこにゃんのモデル?) 散歩がてら彦根城までブラブラ歩く。彦根で降りるのは初めてだが、意外と大きな町である。彦根城には10分強で到着。彦根城はかなり観光地として整備されている印象である。堀とその中にそびえる石垣が美しい。入場ゲートで各施設の入場券がセットになったセット券(1000円)を購入すると、まずは彦根城博物館の見学から行うことにする。
藩主の屋敷を再現している
彦根城博物館は彦根藩の表御殿を復元した建造物に、能舞台を移築した博物館部分を組み合わせた施設になっている。展示物は刀剣・甲冑(井伊直政の赤備えは有名である)を始めとして、古文書・能面、雅楽器、絵画等々井伊家ゆかりの品々である。ただ生憎といずれも私の専門範囲外。譜代の名家の物品だけにかなりの逸品もあるのだろうと思われるが、猫に小判、豚に真珠である。
中には庭園も
博物館の見学をすませると城の見学のほうに移る。例によって城郭見学にはつき物の石段を登ることになるが、今までに回った城郭に比べると滅茶苦茶に厳しい石段というわけではない。天守台のある本丸には橋で空堀を越えて入るようになっている。いざという場合にはこの橋を落として最終防衛ラインにするようになっているのだろう。守りの堅固さを思わせる。
橋を渡ると天秤櫓になる。ここは先ほどの橋を守るような形になっている。この建物は重要文化財とのことで、今回特別公開になっていたのであるが、内部は完全にひこにゃんに占拠されていた。
重要文化財の天秤櫓 内部はこの有様 天秤櫓からさらに石段を登り、これまた重要文化財である太鼓門櫓をくぐったところが本丸となる。ここまで来るとようやく正面に天守閣を眺めることが出来る。姫路城などと比べたときにこじんまりした感じを受けるが、漆を用いたという全体的に黒っぽい外観に、金箔を使用した飾りがワンポイントとなって、意外と派手な印象を与える。姫路城のような優美な天守ではなく、小さいながらも威圧感のある天守である。
天守閣を登ることにする。三層構造の天守であるので中はそう大きくない。しかしやはりさすがに現存天守らしく階段が急(階段というよりも角度的にははしごに近い)であり、上り下りが難儀。観光客が多いせいで階段で大渋滞になっている。
最上階からは彦根市外を一望でき、琵琶湖も見える。城巡りの楽しさのひとつはこの風景にもあるのであるが。ただここの天守の場合、屋根の形のせいか結構眺望がさえぎられていて、広く風景を見渡すという雰囲気でもなかったりする。
天守閣を見学した後は裏側から本丸を降りて、彦根城の庭園である玄宮園の見学をする。表側からよりもこちら側からのほうがかなり斜面が急である。玄宮園は規模はそう大きくはないものの、屋敷や水路をよく計算して配置してあり、背後の山にそびえる天守も含めてバランスの良い景観を見せる。
彦根城の見学を終えたところで時刻を確認すると、もう既に昼前である。当初想定したタイムスケジュールよりもやや遅れている。昼食に目星を付けていた店に急ぐ。
彦根城の大手門方面に回り込むと、そこからはキャッスルロードと名付けられた商店街が延びている。明らかに観光客向けに整備された商店街で、商店の外観を日本風で揃えてある。彦根城自身がかなり観光地として整備されていることを感じたが、彦根市街自身も観光地整備がかなり進んでいるようである。
彦根キャッスルロード
私が今回の昼食をとることにしたのは、この商店街の中にある「あゆの店きむら」。あゆ料理の専門店であり、焼き鮎などの通販や店頭販売を行っているが、お昼時には昼食も摂ることができるようになっている。しかしその昼食スペースが小さいのと、私が到着したのが少々遅れたのとで、私が到着した時には既に席が塞がっている状態。30分は待たないといけないとのこと。一瞬判断に迷うが、もう既に気分が鮎の気分になっていたので、待つことに決定する。この時点で以降のスケジュールが1時間遅れになることが決定、後の予定にしわ寄せが行きそうである。
店舗内で待つにも待合いスペースがほとんどない。まだまだ待ち時間がかなり長そうなので、とりあえずはクールダウンの方を先にすることにする。向かいの通りの喫茶「花百茶」に入って宇治金時白玉(650円)を頂くことにする。
かき氷なんてどこでもそんなに大差がないようだが、どうしてどうしてこれが結構店によって差がある。シロップが少なすぎて後半には白い氷を食べる羽目になるとか、小豆をケチりすぎていてほとんど粒を数えられそうなぐらいしか入っていないとかいうのは問題外としても、一番大きな違いはやはり氷である。喫茶店などで多いのは、安直にジュースなどに入れる製氷器の氷をそのまま使っている例だが、あれはとにかく良くない。氷が非常に溶けやすいので、ひどい場合にはシロップをかけただけで半分溶けていて、食べている内にドンドン溶けるので、最後はかき氷でなくジュースになってしまうということになる。これに対して氷屋の氷などキチンとした氷を使用しているとこういうことがなく、最後までかき氷を楽しめるのである。そう言う点ではここのかき氷は当たりであった。
かき氷でクールダウンして一服すると再び店に戻るが、まだ客が入れ替わりそうな様子がない。結局は40分ほど待たされてようやく席に着くことになる。私が注文していたのはあゆ雑炊塩焼きセット(1450円)。事前に注文していたので、席に着くとほどなく料理が運ばれてくる。
まずはあゆ雑炊を一杯。「うまい」 焼きあゆが入った雑炊など生臭くならないかと思っていたのだが、そんなことは全くない。塩焼きの方もかじってみたが、あゆの香ばしさや味わいはあるものの、生臭さは一切感じられない。ここのあゆは養殖物を使っていると聞いているが、なかなかに質が良いものを使用しているようである。惨々待たされた挙げ句なので、これでお粗末なものを出されていたら怒り心頭になりかねなかったが、どうやら待ったことは無駄ではなかったようである。
腹を満たした後はしばらく辺りをフラフラして土産物などを買い求めると、バスで駅まで移動する。さてここからはまた「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としての活動である。
この地域の鉄道会社として近江鉄道が存在する。米原から彦根、八日市を経由して、近江八幡、貴生川などを結んでおり、また多賀大社方面への支線も有している。全国的な知名度は低いが地元では親しまれている存在で、今でも地元の年配者の間では「近鉄」と書くと近畿日本鉄道を指すものではなく、「おうてつ」と呼んで近江鉄道のことを指すとか。なお地元では広く「ガチャコン」と呼ばれていると聞く。なおこの「ガチャコン」という愛称はどうやら近江鉄道自体が認めているのか、車内広告に「ガチャコンで行く○○の旅」という自社広告まで見受けられた。
近江鉄道の彦根駅はJRの彦根駅と隣接した位置にある。また彦根駅には車両工場が存在するとのことで、駅の横には様々な形態の車両が停車している。なお私は今回、「びわこ京阪奈フリー切符という1000円で近江鉄道及び信楽高原鉄道が1日乗り放題の切符を購入した。なおこの切符の名称の由来には壮大な構想が存在しているが、それは後述する。
しばらくするとホームに多賀行きの列車が到着する。近江鉄道は全線単線電化路線(狭軌)であるので単両編成のワンマン電車である。同社は西武鉄道系とのことで、そのためか車体はライオンズカラーの上にレオマークまで入っている。中古部品などを流用した自社製作車両で、220型と言われるそうな。乗車すると独特の甲高いモーター音と路線の名称の由来ともなっている「ガチャコン」という音が印象的。路盤があまり良くないのか、走行するたびに「ガチャコン」という音を立てながら車両が細かく揺れる。
高宮駅に到着すると、ここで八日市行きの車両に乗り換える。これがやはり西武の車両を改造した820系と呼ばれる車両とのこと。どこかで見た記憶があると思ったら、三岐鉄道の三岐線においてであった。この辺りは近江鉄道の路線は新幹線に沿って延びているのだが(新幹線の方が後で建設されているのだから、正確に言うと「新幹線が沿っている」のであるが)、この辺りは米所近江らしい広大な田んぼの中に点在する集落をつないでいく印象で、明らかに沿線人口はJRより少ない。
沿線は田んぼが多い
途中で、解体業者と癒着した(と推測される)町長が、ヴォーリズ設計による歴史的文化遺産である小学校校舎を強引に取り壊そうとした大騒動で有名になった豊郷を経由、新幹線と分かれた後はひたすら田んぼの中を走行する。やがて到着する大きな町が八日市である。ここで路線は近江八幡行きと貴生川行きに分かれるので、貴生川行きの列車に乗り換える。そこからさらに列車は田んぼの中を走行するが、この辺りから近江平野ではなくてだんだんと山間部へと入っていく。そして水口城跡の残る水口を経て、貴生川に到着する。
近江鉄道については、まさに地元密着型の鉄道であるが、沿線人口が決して多くはないのが気になった。沿線で最大の都市は八日市であると考えられるので、八日市と近江八幡をつなぐ八日市線については、今回は視察していないものの多分それなりの需要はあると思われる。しかし米原から貴生川までを接続している本線の方の需要は頭打ちでありそうだ。そういう意味ではここも全国の多くの鉄道会社同様、かなりしんどい経営を迫られているとは思われる。なお西武系の旧車が多く走行しているのがマニア心をくすぐるのか、沿線にはカメラを構えた鉄道マニアが多く見られた。三岐鉄道が明らかにマニアをターゲットにした戦略を展開しているが、近江鉄道についてもこの戦略があり得るかもしれない。
貴生川からは信楽高原鉄道に乗り換えることにする。この信楽高原鉄道であるが、元々は国鉄信楽線であったが、それが第3セクター化して分離したものであり、全国の旧国鉄系第3セクター会社の一つに入る。しかしその経営はかなり苦しいと言われている上に、1991年には陶芸祭の観光客を満載した臨時列車が正面衝突をする大事故を起こし、その補償問題なども未だに尾を引いている(特にJRとの間の争いが継続している)などとかなりの悪条件を抱えている。しかも今年に第二名神が開通したことでより一層のモータリゼーションの進行は必至と見られ、経営にはあまり明るい材料が存在しておらず、現在は廃線に最も近い鉄道路線の一つとして見られているのが実態である。
信楽高原鉄道は元々国鉄系の路線だけに、貴生川駅のホームをそのまま区切りもない状態で使用しており、ちょうど井原鉄道の清音駅の状況と近いものがある。ただ同社の場合は常駐駅員もおらず、車両の運転士がすべてを管理することになっている。
信楽高原鉄道の路線は単線非電化路線(狭軌)であるので、到着したのは二両編成のディーゼル車である。乗車して驚くのはいきなりかなりの急傾斜を登り始めることである。路線としては最初の駅である紫香楽宮跡駅までがかなり長く、この間は何もない山の中をひたすら走行することになる。そして山岳地帯を登り切った辺りで紫香楽宮跡駅があり、後は終点の信楽まで駅が点在してることになる。第二名神の信楽出口は紫香楽宮跡駅のすぐ手前のところにあり、線路からはそこに見える位置にある。
かなりの山の中を走行 第二名神信楽出口は線路のすぐそばにある 信楽駅には25分ほどで到着。信楽駅はまさに狸に占領されている駅で、駅前には身の丈数メートルの巨大狸が立っている。ここからはコミュニティーバスなどが出ており、陶芸の森などにも行くことができるのだが、今回は既に予定よりも1時間の遅れが生じているので、これはやめにしておく。以前から言っているように、私はそもそも陶芸とは相性が良くないし(どうしても陶器類には目が利かない)、実ははるか昔の学生時代に陶芸の森は友人と車で訪れたことがある(ちょうど信楽高原鉄道があの事故で全線運行停止になっていた時期である)。正直言うと、いかにもハコモノ的施設であまり良い印象を抱かなかったということもある。と言うわけで、結局は駅前を一回り視察しただけでそのまま貴生川に帰ってきてしまう。
信楽駅はタヌキに完全に占拠されている 駅前には身の丈数メートルの巨大タヌキが 売店にはこんなタヌキもいます さて信楽高原鉄道であるが、視察した限りでもやはりかなり苦しい状況であることは否定できない。終点に信楽というそれなりに観光ポテンシャルを有しているポイントはあるのであるが、その観光ポテンシャルは爆発的というほどでもない。しかも決定的なのは第二名神の開通。現地移動の利便性なども考えると、今後は観光客の大半はそちらに奪われるのは確実と思われる。今後の社会情勢の劇的な変化(政府の無策が極まって、庶民は自動車など利用できないような状況になるとか)でも起こらない限り、その流れは止まらないのではなかろうか。
私が以前に視察した若桜鉄道などでは、老朽化した駅舎などの設備を逆手にとって、レトロムードを前面に打ち出して観光客や鉄道マニアなどを引き寄せる戦略を実行中であるという。しかし信楽高原鉄道の場合、設備が中途半端に新しいのが裏目に出て、この戦略も不可能である。私のごときの浅知恵では、この鉄道路線に観光客を引き寄せる妙案は浮かばない。現在のところ地元民と思われる利用はそれなりにあるようなので、廃止すべき路線ではないと思うのだが、かといって生き残りはかなり苦しいだろう。実際、この路線に終末が近い空気を感じるのか、やけに沿線に鉄道マニアが多いのが気になった。
この路線の生き残りのための構想だが、そのために浮上したと思われるのが先に登場した「びわこ京阪奈線」構想である。これは信楽高原鉄道を学研都市線の京田辺まで延伸して、近江鉄道を経由して米原から京田辺までを直結してしまおうという構想である。確かにこの構想が実現すれば、信楽高原鉄道にとっては起死回生の策となる可能性が高い。しかしながらその実現性を考えた場合には問題点が山積している。まず信楽から京田辺までの延伸であるが、山岳地帯を通過することになるのでかなりの建設コストが予想されるのだが、それに見合った利用があるかが極めて疑問である。
また京田辺まで接続したとしても、ただ単に接続しただけで乗客が見込めるというものではなく、時間的なメリットなどがないと乗客は見込めない。そのためには近江鉄道及び信楽高原鉄道の路線の高速化が不可欠である。近江鉄道路線については近江平野という地形が幸いして意外と直線部分が多いのと、周囲が閑散としているために最悪はカーブの付け替えなども可能で高速化自体は可能であるとは思うが、コスト負担の問題がある。しかし急傾斜の山岳部を抜ける信楽高原鉄道路線ではこれは限界があろう。また近江鉄道は電化されているのに、信楽高原鉄道は非電化路線であるので、一体化した運用のためには(途中の貴生川で乗り換えが必要なようでは利便性が著しく落ちる)、信楽高原鉄道を電化するか、近江鉄道路線に振り子ディーゼル車が乗り入れるかというような形になるしかないが、どちらも無駄が大きい。
また路線としての存在意義も難しい。滋賀と奈良を直結する路線と言うだけではあまりに弱い。JR東海道線の迂回ルートとして考えるなら、この地域での交通のネックが関ヶ原にあることを考えると、関ヶ原以西でのルートを二重化することにはさして意味はなく、むしろ関西本線を高速化して名阪を結ぶ第二ルートとして強化することの方が意味がある。以上を考えると、残念ながらこの「びわこ京阪奈」構想に現実性があるとは思いにくい。
ちなみに帰り道で乗り換え待ちの間に貴生川駅周辺をウロウロした時、「首都機能を甲賀・東近江地域へ」という看板を見かけた。確かにこれこそは実現すればこの地域の過疎進行も含めてすべてを解決するウルトラCかも知れないが、その実現可能性はびわこ京阪奈構想よりもさらに低いだろうと考えざるを得ないだろう。
以上が今回の遠征であった。結局のところ、美術館と呼べるようなところには全く立ち寄らなかった(陶芸の森の訪問予定をはずしたのが大きい)ため、美術館遠征とは呼べないものとなってしまった・・・。いよいよ堕落の一途である。
戻る