展覧会遠征 姫路編

 

 大型遠征を実行しては、体力と資金が尽きて近場の巡回をするというのが私のパターンのようになっているが、今週は姫路を回ることにした。

 姫路と言えば、つい最近は菓子博で騒然としたようである。私の家族もテレビを見て「行きたい」と言ったのだが、私は「デパ地下に金払って入るみたいなもんだ」と反対して止めさせたのだが、後でネットで行ってきた者の感想をチェックしたところ、私の認識には誤りがあったらしい。正しくは「デパ地下に金を払って3時間待たされてから入る」だったらしい。しかも3時間待ちの挙げ句に見れるものは、菓子の箱だけだったとか。試食などはなく、その上にそれを買おうと思うとさらに2時間ほど行列に並ぶ必要があるとかで、「金返せ!」とブログで叫んでいた者が少なくなかった模様。実際、たかが菓子の見本市に入場料を取ると言うのが常識を疑う。それに取るにしてもどう考えても800円程度が限界だと思うのに、入場料は2000円だったというのだから、もはや正気の沙汰ではない。それならその金を持って大丸の地下にでも行った方が、はるかに楽しくて有意義なことが出来るというものである。

 巷にかなりの不評をかこった模様の菓子博だが、主催した市の側にすると「予想以上の来客があったので成功」だそうな。やはりお役所の感覚は一般市民感覚とはかなりずれているということを痛感させるエピソードである。

 などとお役所批判が頭に浮かんでいる間に、車は姫路城付近に到着する。出るのが遅かったので到着したのはちょうど昼食時である。まずは昼食から摂ることにする。私が昼食を摂ることにしたのは「かもめ屋」。肉とエビのバター焼きの店である。注文したのは平日の昼限定の「かもめ屋ランチ(1575円)」。

 ジュージューと音を立てながら熱々の鉄板に乗って料理が運ばれてくる。こういう料理の出し方は、肉の焼き加減が変わってしまうので良くないなどとうるさ型は言うようであるが、やはり素人にはこういう演出も食欲をそそるものである。内容は牛肉にやや小さめのエビが3つ、それに野菜類である。スープなどでなく、味噌汁がついてくるところがいささか庶民的。

  

 庶民的なのは見た目だけでなく味の方もである。ソースなどは特に凝ったものではなく、味付けは非常にシンプルである。しかしエビの焼き具合などが絶妙。生焼けではなく焼けすぎのパサパサでもなく、プリプリとした食感が楽しめる。肩肘の張った余所行きの洋食ではなく、もっと日常生活に密着した町の洋食屋の洋食というイメージに近い。驚くようなところはないが、何か懐かしさを感じさせるという味でもある。

 昼食をしっかりと腹にたたき込むと、まずは最初の目的地へと乗り込む。


「アメデオ・モディリアーニ展」姫路市立美術館8/3まで

 

 今年はどういうわけか、2つのモディリアーニ展が同時に開催されており、片や名古屋市美術館等で、もう一方は国立新美術館で開催されたのであるが、本展は名古屋市美術館で開催された方。初期の作品から、一連のカリアテッドの作品、モディリアーニの名を轟かせた裸婦像などが展示されている。

 やはり二回目ということと、名古屋の時は駆けずり回ってヘトヘトな状態であったということとで、今回の方がより作品を深く楽しめたようである。初期の頃の作品と後の作品を比較すると、色彩の変化もさることながら、形態的にも安定感が増している(彼らしく歪んだフォルムであるにもかかわらず)のも分かる。モディリアーニという画家の進化の後を追うには分かりやすい展覧会である。


 なお美術館の改装があったようで、企画展示室の手前に小ギャラリーのようなものが新設され、ベルギー象徴派の作品が数点展示されていた。ここにはクノップフの作品など数点が展示されており、これも興味深かった。

 さて美術館の後であるが、目の前にある姫路城に数年ぶりに登ってみることにする。言うまでもなく、姫路城は国宝で世界遺産に認定されており、日本の現存天守の王者的存在であると言えよう。なお来年には修復のために数年間覆いがかぶせられるとのことであるので、その前に見学しておこうという考えである。

 姫路は播州地方の要地として中国地方をもにらんだ拠点である。かつては豊臣秀吉もこの地で城主を務めたことがあるが、今日の城郭は江戸時代に領主となった池田輝政によって築かれたとされている。その後、幸いにして戦いに巻き込まれることもなく、あの先の愚かな大戦でも奇跡的に破壊を免れたという幸運もあり、奇跡的に現在にまで伝えられた歴史的建造物である。現在の美しい姿は昭和の大修理によって徹底的に補修されたものであり、それ以前は構造的不備から天守が傾くという欠陥があり、歴代の城主はその対応に追われたと言われている。

  

やはり城は木造に限る           なんと消火栓まで木製だった

 改めて見てみるとその美しい姿もさることながら、その遺構の大きさにも圧倒される。最近になって各地の城郭を巡ってきただけに、これだけの代物が現存しているのは一種の奇跡のような気さえするのである。そもそも天守が残っているところ自体が少ない上に、姫路城の場合はそれを取り巻く城郭もかなりが残っているのだから。これだけの規模の遺跡は例を見ないと思われる。世界遺産指定も当然であると思われる。

 あいにくの雨天にもかかわらず、さすがに観光客は多かった。なお当然のことであるが、バリアフリーなどとは無縁のこの城郭は、階段もかなり狭くて急なので上り下りは大変である(下り専用の階段が新設されていたようであるが)。やはり以前から思っているように「城郭巡りは足腰がしっかりしているうちにしておかないと」ということのようである。

 姫路城を見て回った後は、書写まで車で移動する。次の目的地はこの山の麓にある施設である。


「棟方志功と民芸」姫路市書写の里美術工芸館で7/13まで

 棟方志功は河井寛次郎などと民芸活動の中心メンバーとして活躍した人物であるが、その棟方志功の作品を初めてして民芸関係の展示物を集めた展覧会。

 棟方志功の版画については各地で目にしているが、本展では彼の肉筆画が数点展示されていたのが興味深かった。絵柄は版画と似たようなものであるが、線の表現が版画よりも柔らかいので印象が少々変わる。彼以外の展示物としては、河井寛次郎、富本憲吉の陶器類や芹沢_介の染色作品など。いずれもそれなりには面白いのであるが、私は元々民芸派にはあまり深いシンパシーはないので、興味はそこそこ。


 美術館を見学した後は、このすぐそばから出ている書写山ロープウェーに乗車して書写山に登る。書写山山頂には圓教寺という寺院があるそうで、重要文化財の建物なども多数存在するという。なおこの寺院は映画「ラストサムライ」のロケ地になったり、大河ドラマ「武蔵」でもやはりロケ地になっているという。はっきり言って神社仏閣の類には大して興味のない私であるが、ここまで来たついでであるので、お寺参りをしておくことにする。

 手柄山ロープウェー

 とは言うものの、これが予想外の難行苦行であった。ここもあの金刀比羅宮とは比べるべくもないが、やはり山中の寺院だけあってアップダウンが激しい。重要文化財という大講堂まで到着するには山道を20分ぐらい歩く必要があり、またも私は自分の足腰の衰えを痛感させられる羽目になったのである。

 ただこのような山の中を歩いていると、己の人生について考えさせられることも多い。私もそろそろ人生の半ばを過ぎたのではないかと思われるのだが、よくよく考えると未だに何事をも成し遂げていないという想いにかられ、焦りのようなものを感じる。一体私は何のために生まれ、何の使命をうけて今を生きているのだろうか・・・。思索はドンドンと深い方向(というか、ほとんど泥沼のような気もする)に落ちていく。このような落ち着いた思索の時間を求めて、こんな山奥に寺院が建立されたのであろうか(俗世と距離を置くとか、防衛上の問題もありそうだが)。なおこの地は宮本武蔵や和泉式部のゆかりの地だとのこと。奥の院には和泉式部の歌碑も残っていた。

  

大講堂と奥の院 重文クラスの建物がゴロゴロ

 クタクタになって寺院内を一周した後、再び姫路市街を一望に見下ろす山上ロープウェー駅に戻ってくると、下りのロープウェーで下山。帰宅の途につくことにする・・・のだが、その前にあまりに疲れたので麓の茶店で一服。私が入ったのは「杵屋・書写お菓子の里」。この辺りでは有名な菓子メーカーであるようである。ここでグリーンティーと和菓子のセット(500円)を頂いた。

 典型的な土産物屋

 菓子は羊羹にういろを入れたようなもの。甘いのであるが小豆の味がなかなか良く、気に入ったのでおみやげに一本買い求める(1200円)。それにしても私は、疲れた時は宇治金時とかグリーンティーとか、抹茶系のドーピングが多くなるな。

  

 

 以上で今週の遠征は終了である。疲れているので近場であっさりとのつもりだったのだが、気が付けば城の上り下りに山歩きという逆に疲れる結果になってしまった。行き当たりばったりの行動で墓穴を掘ってしまう。これはまさに私の人生そのものである。

 

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