展覧会遠征 三重・奈良編

 

 比較的近くの県でありながら手薄であったという点では、三重県もそうである。どちらかと言えば三重県は通過するだけの県というイメージであった。しかしこれでは三重県にあまりに失礼というものである。そこで調査していたところ、四日市市立博物館でイベントがあることが判明した。これを中心に遠征プランをまとめ上げることになった。

 さて、ガソリン高騰で車が使えない現状を考えると、やはり交通手段としては鉄道しかない。しかし困ったことにこの時期は青春18シーズンとははずれているし、三重となると関西お出かけパスも使えない。それにそもそもこの地域のJRは本数、路線共に非力極まりない。となるとやはり近鉄を使うことになる。そこで近鉄の切符について調査したところ、週末フリーパスというものが浮上してきた。これは土日を含む3日間(つまりは金土日か土日月)有効で、4000円で全線乗り放題というものである。またこの切符がJRの青春18や関西お出かけパスよりも優秀なのは、特急券を買えば特急も利用できるということである。とは言うものの、1日で元を取るというのは結構大変。そこでスケジュールに浮上していた奈良方面の遠征も結合することで2日間で元を取るという計画を立てた。

 しかし計画を実行に移した途端にとんでもないことが。ついに本格的な梅雨がやって来たのか、出発前日の近畿地方は豪雨に見舞われ、各地で大雨洪水警報が発令されるという事態に。何やら前途に暗雲が漂っている。とは言うものの、切符を買ってしまった以上は予定変更は不可である。こうなればなるようになるしかない。

 当日は早朝に大阪を出発。今日も雨は降っていたが幸いにして豪雨と言うほどではなかった。まずは桑名まで近鉄特急で移動である。少し贅沢をしてデラックスシートを確保する。

 近鉄特急デラックスシート

 以前にも一度だけ乗ったことがあるが、なかなかに良いシートである。しかしやはり近鉄特急には今一つスピード感を感じない。ボーっと車窓風景を眺めているうちに、早朝出発の睡眠不足でウトウトとしてしまう。次に気がついたのは津を過ぎた頃だった。ここから先は私にとっては未踏地域である。ここまでは山の中の風景だった車窓風景が、この辺りから都市めいてくるのである。

 今回の主目的地は四日市なのだが、それを通り過ぎてまず桑名に行くのは、例によって「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としての活動である。この桑名から出ている三岐鉄道北勢線を調査しておこうというものである。この路線の最大の特徴は、軽便鉄道としてナローゲージで敷設された鉄道であると言うことである。この路線は近鉄の路線であったが、赤字のために廃止の意向を打ち出した時に、地元自治体が支援して三岐鉄道が経営を継承することになったのだという。

 北勢線の始発駅である西桑名は桑名駅のバスターミナルの端の方にある。さすがにナローゲージの線路は鉄道には詳しくない私がみても幅が狭いことは一目瞭然で分かる。また車両も明らかにこじんまりしており、どことなく遊園の列車のような雰囲気さえある。それにも関わらず切符が磁気切符で自動改札まで装備されているのが違和感があると言えば違和感がある。

 西桑名駅はひっそりとしている

 とりあえず車両に乗り込むと、シートが濡れているので注意との張り紙がしてある。昨晩この地域は豪雨に襲われたようであるが窓から雨漏りでもしたのだろうか。車両がかなり老朽化しているようであるのであり得る話だ。

  

ナローゲージの北勢線車両          内部は明らかに狭いです

 発車時刻が来るが、乗客はそう多くない。モーターの轟音を立てながら、いかにも重そうに動き出した列車は、民家の軒先をかすめるような雰囲気で走っていく。ローカル線としては趣があるが、うるさいし、かなり揺れるし、お世辞にも乗り心地が良いとは言えない。また速度も遅い(30キロぐらいか)。道路と平行している部分で、軽自動車に瞬時にちぎられてしまったのはどうにも。

 終着の阿下喜までは1時間弱。少々時間がかかりすぎるような気がする。やはり軽便鉄道規格で作られた故の制約だろうか。ただ経営を引き継いだ三岐鉄道では、運行本数を増やしたりレール&ライドの推進など、経営には力を入れているという。いかにして沿線住民の利用を増やすかが鍵であると共に、阿下喜には温泉施設もあるようなので、観光誘致の方も積極的に進める必要がありそうである。なお鉄道の収益の大きなものとして、鉄道広告もあるのだが、1両だけ不動産会社のラッピング列車があったが、車内広告がすべて自社広告ばかりだったというのは、かなり苦戦しているように思われる。

 阿下喜で下車した私は、駅前でタクシーを拾うと三岐線の伊勢治田駅まで移動する。三岐鉄道の本線である三岐線と北勢線は平行するような形で通っており、阿下喜から車で5分も走れば三岐線の伊勢治田駅につけるのである。私としてはここまで来たついでに、三岐線の方も視察しておくつもりである。

  

狭軌の三岐線車両がやけに広く見えたりしてしまう

 

 列車に乗ってみると、1067ミリの普通の狭軌に過ぎないのに、先ほどまで幅762ミリのナローゲージの北勢線に乗っていたせいか、やけに車両が広く感じる。またこの三岐線はそもそもはセメント輸送のために設置された路線とのことで(樽見鉄道と同じである)、伊勢治田駅には大量の貨車が留置されている。北勢線と比較すると、どちらも単線電化路線という共通点はあるが、線路幅の違い以上に沿線の雰囲気も違う。私はそのまままずは終着の西藤原まで到着。西藤原駅の構内にはかつてセメント輸送に使用されていたというSLや機関車などが保管されている。また駅舎の形も列車をイメージしたものであったりと、なかなか凝っている。また私が驚いたのは、この路線では硬式切符を使用していること(駅員に頼んだら記念にもらえた)。沿線にも貨物機関車が留置されていたり、明らかに鉄道マニアを意識していると思える仕掛けが非常に多い。「鉄道マニアではない」私としては、フーンという感覚だが、これは鉄道マニアにとってはたまらないのでは。

  

西桑名駅に置いてあるSL       こちらは貨物輸送用ディーゼル機関車

 

これは駅舎

 また自転車を持ち込めるサイクルパスを導入したり、旅客輸送にも力をいれて積極的な施策を打ち出しているようで、西藤原から折り返しの帰りも、地元民を中心として乗客の利用が結構あったようである。地方路線としては結構「頑張っている」との印象を受けた。

 三岐線で近鉄富田まで乗り入れると、そこからは近鉄で桑名に移動する。今日の昼食は桑名で摂る予定にしていた。桑名と言えば、やはり時代劇などには必ず出てくる「その手は桑名の焼きハマグリよ」である。実は最近、「ためしてガッテン」で究極の焼きハマグリという回の放送があり、それ以来焼きハマグリが頭に張り付いていたのである(誤解のないように言っておきますが、私の今回の遠征の主目的は焼きハマグリを食べるということではありません。あくまでこれはついでですので。)。

 今回昼食を摂ることにしたのは「はまぐり食道」。その名の通り、ハマグリ料理の店である。注文したのはハマグリ料理がセットになっている「はまぐりセット(1890円)」。焼きハマグリは当然として、ハマグリのフライにおすまし、アサリのしぐれ茶漬けがセットになっているというメニューである。

  

   ハマグリのフルコース         ハマグリフライは塩をかけていただく

 ハマグリはアサリをさらに濃厚にしたような風味。焼きハマグリは貝の味がたまらない。しかし絶品だったのはハマグリのフライ。牡蠣フライはうまいが、ハマグリのフライもなかなかのようである。また出汁をかけていただくアサリのしぐれ茶漬けも最高。そう言えば以前にしぐれ茶漬けと言えば、亀山で駅弁としていただいたのを思い出した。やはりこういう料理はうまい。

 満足して店を出た時には雨は完全にやんでいた。順調に予定よりも早めにスケジュールが進んでいるし、この際だから散歩がてらに桑名城を見学しておこうと考える。

 桑名城は徳川四天王の一人、本田忠勝が建造した城である。揖斐川から水を引き込んだ水路を守りの要とした水城である。建造物は幕末に焼き払われて残存しておらず、現在は城跡が九華公園として整備されているが、当時の水路の石垣が一部だけ残存しているとの話である。現地には当時の遺構はほとんど残っておらず寂しい限りだが、それでも公園として整備されている一部の水路が、往時のこの城の雰囲気を醸し出している。

  

    桑名城跡の水路           本丸跡には何も残っていません

 桑名城を見学した後はブラブラと市街地を見学、どことなく昭和情緒が漂っている街並みは結構私好み。とは言うものの、あまり活気があるようにも見えないのは悲しい。フラフラしているうちに博物館の近所に到着したので、ついでに見学しておく。


桑名市博物館

 典型的な地方博物館で、私の訪問時には現地の祭りに関連した展示を行っていたようで、多くの現地民が押しかけていた。古くからの由緒ある城下町だけに、伝統のある祭りもあるようである。

 なお個人的には一番興味深かったのは、二階の博物展示の中にあった桑名城の復元模型。揖斐川から引き込んだ水路を何重にも巡らした強固な城の構えの全貌が把握できて興味深かった。先ほど見てきた現地での記憶と照らし合わせることで、脳内に往時の姿を復元できて面白かった。


 桑名駅までバスで戻ってくると、ここからは近鉄で次の目的地への移動である。ホームに下りると隣に養老鉄道のホームがある。養老鉄道は元々は近鉄養老線であったのだが、近鉄の一連の赤字路線切捨ての中で近鉄本体から経営が分離され。新会社の養老鉄道が経営を引き継いだ路線である。そもそもが近鉄の路線なので、ホームの一部をフェンスで簡単に区切って、そこに簡単な改札をつけて分けているだけである。なおこの養老線だが、今回は時間がないのでこのまま見送るが、そう遠くはない将来、再びここにやってくるという予感がする。

 急行列車に乗車すると、先ほどの近鉄富田を通過して四日市で下車する。次の目的地は四日市駅のすぐ近くである。

 


「20世紀モダニズム建築の巨匠 ル・コルビュジェ光の遺産」四日市市立博物館で6/22終了

 ル・コルビュジェは20世紀を代表する近代建築の旗手として、多くのモダンな建築物を手がけ、現代の建築に多大な影響を与えた人物である。このたび、彼の代表的な建築物が一括して世界遺産に登録申請され(日本の国立西洋美術館などを含む)たことに合わせて、彼の建築における思想を振り返ろうという展覧会である。

 彼は画家としても活動していたようで、シュルレアリスム的な絵画作品を残している。もっともそれらの絵画は私の目には非常に堅固な造形が見て取れたので、彼が建築の方向に進んだのは何となく理解できるような気がする。なお芸術性を重視する方向から建築に入った者は、往々にして建築物としての機能性を無視した大馬鹿デザインをしてしまいがちなのだが(例えば京都駅ビルのように)、彼の場合は建築物としての機能性も十分に考慮していたようであることは展示からも理解できた。奇抜でありながらも合理的なのである。その辺りはバランスが良く取れている。


 博物館を出た頃には再び空模様が怪しくなってきて、嫌な予感がする。しかしまだまだ次の目的地への移動がある。次の目的地は近鉄湯の山線沿線になる。湯の山線は単線電化路線。近鉄のワンマンカーが走っている。最初の二駅ぐらいは四日市の市街地内で、乗客の乗り降りが多いが、そこを過ぎると急に何もない地域に突入し、目に見えて乗客は減少する。しかも山が近づくにつれて空は黒く曇ってきて、かなり激しい雨が降り始める。私が終点の湯の山温泉駅の1つ手前の大羽根円駅で降りたときには、激しい土砂降りの中だった。

  

 ここから次の目的地までは徒歩10分ほどの距離だが、この歩行が大変だった。とにかくこの量の雨が降ってくると、傘は全く役に立たない上に、車道を走る車が盛大に水を跳ね上げる。本来は雨の時は道路わきを歩いている歩行者を見つけたら、速度を落とすか反対側に迂回するのがマナーというのに、全く速度も落とさずに至近距離を派手に水を飛ばしながら走る馬鹿ドライバー(中にはわざと水をかけて喜んでいるのではと思うぐらい悪質な輩もいる)が圧倒的に多いのに気づく。日本人のマナー面での劣化もここまで来たのかと暗澹たる気持ちになる。


「思う壷 鯉江良二展」パラミタミュージアムで6/30まで

 パラミタミュージアムは陶芸作品が中心の美術館で、池田満寿夫の晩年の陶芸作品のシリーズなどの収蔵品が特徴的である。

 さて企画展の鯉江良二だが、実用陶器の制作から始まって陶芸家としての活動へと進んでいった人物であるという。実用陶芸出身だけに、その作品には普通の壷を並べただけというものもある一方で、いかにも現代陶芸らしい不可解な作品も多々あり、制作の幅の広さを伺わせる。とは言うものの、私は個人的にはあまり陶芸には興味がないので、結局はフーンで終わってしまうわけであるが。


 思っていたよりも規模の大きい美術館だったので驚いた。また雨が激しかったので見ていないが、この美術館は庭園も持っているようである。

 美術館を見終わったところで次の目的地に移動することにする。計画では雨が降っていなかったらこのまま終点まで一駅歩くつもりだったが、さすがにこの天気と馬鹿ドライバーの多さに嫌気がさしたので、とりあえず駅に戻ることにする。ただ少々腹具合が寂しくなってきたので、行きがけに気になっていた店に入ることにする。

 それは「自然薯茶茶」というとろろの店。注文したのはオーソドックスに「とろろ飯(1029円)」。粘りのある自然薯をだし汁で伸ばしたものと、おひつに一杯の麦飯がセットで出てくる。これを茶碗によそって、とろろをたっぷりかけ、好みで海苔やねぎなどの薬味を入れるという形式。

 ボリュームたっぷりのとろろ飯

 取り立てて特別なものはないが、素朴に美味しいと感じるメニュー。驚いたのはそのボリューム。おひつのご飯が茶碗に4杯分ぐらいあり、さすがの私でも間食には重過ぎる(笑)。それにも関わらず、とろろの味が良いのと麦飯の口当たりの良さで、ご飯が進む進む。結局は腹いっぱいになって店を出ることになったのだった。事前情報何もなしの全くの思いつきで入店したのだが、これは当たりだった。私の飲食店に対する勘もだんだんと研ぎ澄まされてきたか。

 湯ノ山駅は雨の中

 列車の到着時間に合わせて駅まで戻ると、終点まで一駅だけ乗車。終点の湯の山温泉駅は、湯の山温泉へのアクセス拠点となるのでバスやタクシーなどが駅前で待っている。今晩は湯の山温泉の旅館で優雅に一泊・・・なんて予算は当然のことながら私にはない。私がここに来たのは、ここから徒歩10分ほどの日帰り温泉に立ち寄るため。とはいうものの、雨はかなり激しく降っていて頭からずぶ濡れ状態。やはり根本的に間違っていると思いながらも、ここまで来れば半ば意地のようになってとにかく温泉まで歩く。実際、今回は最初からここに立ち寄るために、タオルを持参していたぐらいなので・・・。

 到着したのは「片岡温泉」。人気があるらしく多くの車が止まっている・・・やっぱりここに来るなら普通は車だよな・・・。ここの温泉の売りは一切の非加熱非加水の源泉かけ流しであること。だから衛生を保つために毎日浴槽の清掃をしているという。泉質はアルカリ単純泉とのことで、ややぬめりのある肌当りの良い湯。私はちょっと肌当りの強い湯だと、すぐに背中がひりひりするのだが、ここの温泉ではそのようなことがなかった。内風呂+露天風呂という非常にオーソドックスな施設で、しかも露天風呂から見えるのは近鉄の架線だけというのはご愛嬌だろうか。温泉設備にはこれというところがないが、とにかく泉質の良さが売り。生憎と露天が雨の中だったので、内風呂に主に入ることになり、湯あたりしやすい私としては長湯が出来なかったのが残念。またいずれ時を改めて、ゆっくりと入浴しに来たいと思う(その時にはガソリンがまともな価格になっていることを期待する)。

 風呂は非常に良かったのだが、何が悲しいといっても、風呂上りに汗と雨でボトボトになっている服をもう一度着なければいけないというのは情けない。何しろさっき風呂の中で使ったタオルのほうがまだ乾いているんじゃないかという状態だったので・・・。

 再び雨の中をトボトボと駅まで戻ると、湯の山線で四日市まで戻る。もうこの後は大阪に帰るだけ・・・と思ったのだが、もう一箇所どうしても寄り道したいところが出てきた。そこで私は上本町行き急行を伊勢中川駅で乗り換えると、松坂まで足を伸ばす。

 松坂に到着した時にはもう日が暮れかかっていた。松坂駅はJRの駅と隣接しており、内部でつながった構造になっている。北側が近鉄の駅、南側がJRの駅である。駅前がにぎやかなのはJRの側。またそちらの方向には松坂城などもあるようだが、もう真っ暗になっており見学は無理。それは次の機会にすることにする。

 実はここまでわざわざやってきたのは、有名な松坂駅の駅弁を購入するため。鉄道マニアでもましてや駅弁マニアでもない私であるが、この松坂の牛肉弁当の評判だけは以前から耳にしている。この周辺に来たら一度は食べてみたいと思っていたのである。駅弁はJRホームの売店で販売していた。それを買い求めると、改札を出てから近鉄の窓口で帰りの特急券を手配。まだ発車時刻まで時間があったので松坂駅前の商店街を一回りするが、もう日も暮れているし天気は悪いしで閑散としているので、すぐに駅に戻ってくる。どうせいつか改めてここを訪れることもあるだろう。

 帰りは鳥羽方面発の上本町行き特急に乗車する。もうこれは完全に帰るだけという道のり。鉄道マニアだと夜の終電手前まで鉄道に乗りまくるのだろうが、私は鉄道マニアではなくあくまで「視察」として鉄道に乗車している。沿線の状況が全く見えない夜間に鉄道に乗っても全く無意味なのである。そこが列車に乗ることが目的である鉄道マニアとは一番異なる点である。ただそのために鉄道マニアとは違って自由な行動がかなり制約されてしまうのであるが(しかもそれ以外にも、美術館があったら立ち寄ったり、城があったら見学したりなどの特殊ルールが非常に多い)。

 上本町行き特急

 座席について落ち着くと、先ほど購入した弁当を取り出す。夕方前に腹一杯とろろ飯を食っていたはずなのだが、さすがにとろろは消化がよいのか、この頃になるとすっかり腹が減っていた。なお近鉄特急はシートは悪くないのだが、テーブルが小さいのが難点。手すり脇から取り出すサイドテーブルしかないので、新幹線と違って弁当箱を広げるのも一苦労である。

  

 購入した弁当は「元祖特選牛肉弁当(1260円)」。駅弁マニアの間では圧倒的な支持を得ているということで有名な弁当である。弁当自体は焼肉二切れとその他のおかずが少々という非常にシンプルなもの。松坂牛を味わってもらう時にリーズナブルな価格に抑えることと、冷えても美味しいものにすることに苦労したとのことである(弁当箱に書いてあった説明書き)。

 とりあえず牛肉を一切れ頬張る。「うまい」という言葉が自然に出る。冷めてもやわらかい部位を選んで、特製のタレに漬け込んだとのことであるが、確かに冷えているのにやわらかいし、タレの味も牛肉の旨みを見事に引き出していて秀逸。正直、私が今まで食べた駅弁の中で、これだけうまい駅弁は始めてである。なるほど確かにこれは評判になるはずだ。思わず夢中でガツガツと食いついてしまう。正直、夜食にもう一つ買っておいても良かったと思ったぐらい。

 結局この日は、駅弁を堪能しつつ特急列車に揺られて大阪に帰ることとなった。しかし今回の遠征はこれではまだ終わらない。

 

 

 翌日は伊賀上野方面を回ることにした。何しろ近鉄の週末フリー切符の有効期限は3日間である。1日だけで終わらすなど、私の貧乏性が許さない。とりあえずの目的は近鉄線の伊賀神戸駅である。

 ただその前に過去の宿題を片付けておくことにする。と言うのは、以前に私は和歌山線に乗車したことがあるが、その時は桜井線から和歌山線に直通したため、和歌山線の王子−高田間が未乗車になっていたのである。どうも中途半端な気がするので、このついでにここも乗車しておいてやろうということである。

 懐かしの桜井線車両

 早朝に大和路線の普通に乗り込むと王子で降車、駅の端にある和歌山線ホームに移動すると、以前に見たことがある桜井線カラーの105系電車が待っている。いざ乗車してみると、沿線風景が桜井以東の桜井線や、高田以西の和歌山線とは全く異なることが分かる。沿線の宅地開発がかなり進んでいるようで、以前に乗車した奈良−和歌山間のようなのどかさは全くないのである。やはり同じ路線でも区間によって全く印象が異なることを痛感した次第である。

 高田駅まで乗車するとそこで降車、ここから徒歩で近鉄高田駅を目指す。両駅の間隔は5分程度であるが、近鉄高田駅の改札に駅員がいなかったことなどから入場にてこずり(近鉄のフリーパスは非磁気券なので、有人改札しか通れない)、乗車予定の快速急行に乗り損ねて、次の急行まで駅で延々と待たされる羽目になってしまう。いきなり予定の変更を余儀なくされてしまって当初からつまづくことになるが、まあこれも想定の範囲内ではある。

 伊賀神戸付近は山の中

 予定よりも遅れて伊賀神戸駅に到着。ここで伊賀鉄道線に乗り換えることになる。なお伊賀鉄道は近鉄が赤字のために本体から分離して子会社を設立し、これを地元が支援する形で運営されている会社である。近鉄起源の新会社という点で、養老鉄道と全く同じ形態であると言える。なお運営は伊賀鉄道が行うこととなるが、路線及び車両については未だに近鉄の保有であるという。伊賀神戸駅についても構内をフェンスで簡単に区切ってあるだけだし、2量編成の車両も近鉄カラーのものがそのまま走っている。なお伊賀と言えばやはり忍者ということで、車内には忍者をイメージした飾りなどがされているが、車両の中には「くの一」をイメージした松本零士氏のイラストをペイントしたものもあるという。料金は伊賀神戸から伊賀上野まで400円。しかし私は上野市駅で途中下車するつもりなので、それだと料金が350円+250円で600円になってしまう。そこで同じく600円の1日乗り放題チケットを購入する。

 駅はフェンスで仕切っているだけ

 路線は単線電化路線。なお近鉄の本線は標準軌であるが、伊賀鉄道はJRと同じ狭軌の路線である。数人の乗客(明らかに観光客)を乗せて列車は動き出すが、伊賀神戸を出るとすぐに列車が何もない田んぼの中を走っていくのには驚かされる。はるか遠くに集落はいくつか見えるが、線路のそばには全く何もない。また路線が悪いのか、車両が古いのかはよく分からないが、とにかくよく揺れる。近鉄が廃線にしようとしたのも何となく頷けないでもない。辺りが突然に市街地めいてくるのは、上野市駅の3つ手前の桑町駅ぐらいから。ここら辺りからは急に民家の軒先をかすめるような路線になり、そのまま上野市駅に到着する。なお既に上野市は町村合併により伊賀市に統合されたのだが、未だに便宜上は上野市の名前は各地に残っているようであり、この駅名もそのまま存続されたのだとのことである。

  

近鉄カラーの列車がそのまま走っている         内部もそのまま      

 ただし忍者のワンポイントはあり

 上野市駅に降り立つと、目の前にうわさの「くの一」列車が停車していた。松本零士氏のイラストであるらしいことは、目を見ただけでまさに「一目瞭然」である。ただ車両全体の印象としては、イラストのペイント車両というよりも、むしろ現代アート作品のように見えてのけぞってしまう(シュールレアリスム的デザインである)。あまりにも爆発しすぎているような気がする。この列車が田園地帯の中を疾走していく姿を想像すると、ウーン・・・。

 くの一列車 表現に困ります

 予定よりも到着時間が遅れているので、行動は迅速に行うことにする。地下道で上野市駅の北側に出ると、そのまま上野城公園地域に入る。この辺りは上野市の中でも小高い丘になっている地域であり、こういう地域はほぼ例外なく、かつて城や砦が築かれていた場所でもある。この地もご多分に漏れず上野城という城があるのであるが、とりあえずそっちの見学は後回しにして、伊賀流忍者博物館の見学より行う。

 忍者屋敷

 伊賀と言えば忍者の里であるが、この忍者博物館はかつて実際に存在した忍者屋敷を移築して公開しているものである。また近くの地下には忍者の装備などを展示した忍術体験館、さらには忍者伝承館なども存在しており、別料金で手裏剣投げや忍者装束の貸出なども行っているようである。先週の遠征はトットリ君だったのだが、今週は正真正銘の忍者ハットリ君という次第。ただ場内は不思議なことに、忍者ハットリ君ではなくて、忍たま乱太郎がらみのグッズがやたらに多かった。版権の関係か?

 忍者屋敷では忍者装束の係員が案内をしてくれる。忍者屋敷の定番であるどんでん返しから始まり、天井裏につながる秘密の階段から、地下への脱出用通路、さらに重要物の秘密の隠し場所から、いざという時の刀を隠した床など仕掛けが満載であるが、いずれも目の錯覚などを利用して巧みに隠してあるのが印象的。また忍術体験館では忍者の実像に迫ることが出来るが、その展示の中に「水蜘蛛は水上を歩くものではなく、泥田の上などを歩くために使用された」と解説してあったのにはいたく納得。歩きも泳ぎもできない泥田は、当時の城郭では効果的な防御手段として使用されていたのである。水蜘蛛で水の上を歩くことは物理的に考えて不可能であるが、泥田を踏みしめながらひそかに渡る事なら可能であったろう。忍者の装備とはとにかく合理的に出来ている。

 忍者関係の施設を見て回った後は、上野城の天守閣を目指すことにする。

 上野城天守 非常に立派です

 上野城はいろいろな変遷の後に、安土桃山時代の末に、徳川家康によってこの地に配された藤堂高虎が築城を手がけている。来るべき大阪城攻撃に備えて、築城の名手でもあった高虎の手によって、石垣や堀などが極めて堅固なものに造りかえられた上で天守の建造工事に着手したが、建造中の天守が暴風雨で倒壊して多くの犠牲者が出るという大惨事が発生、その後に豊臣氏の滅亡や家康による一国一城令などによって、天守が建造されないまま近代に至っていたという。現在の天守は昭和10年に、衆議院議員であった川崎克が私財を投じて建設したものである。そういう意味ではこの天守は「なんちゃって天守」に属するわけであるが、川崎氏のこだわりで安土桃山様式に従って木造で建造されているので、戦後の鉄筋コンクリートによる復元天守などよりも風格のあるものになっている。なお現在は国の史跡にも指定されており、正式名称は「伊賀文化産業城」と言うのだそうな。ちなみにキャッチコピーは「日本最後の木造天守」。なるほど物は言い様である。

 上野城の見学を済ませると上野市街に下る。上野市街自体はどことなく昭和の風情がまだ部分的に残っており、私にはノスタルジーを感じさせる町並み。さてもう昼時であるので、昼食を摂ることにする。今日の昼食は上野市街にある洋食屋「グリルストーク」。私が注文したのは、同店の名物という「タンシチューコース(3240円)」である。

  

 クリームスープから始まるコースであるが、まず最初のスープから非常にうまい。これは料理人の腕が良いことを意味している。メインディッシュのタンシューは牛タンをデミグラスソースで煮込んだもの。同店の自慢というデミグラスソースがコクがあってうまいが、伊賀牛を用いているという牛タンの濃厚な風味が抜群。こってりとした旨みには思わず大きくうなづかされる。また付け合せの温野菜もうまく、メインディッシュの内容には文句はない。ただコース全体にあえて難点を挙げるとすると、付け合せサラダがいかにも生野菜を盛り合わせているだけという印象だったので、ドレッシング等にもう少し工夫が欲しい。

 以上のように料理のパフォーマンスとしては抜群である。しかしながら問題はコストパフォーマンス。価格もそれなりなだけに、こちらを優先して考えると少々苦しい。味については申し分ないのであるが、やはり注文にはそれなりに覚悟がいることになる。なお昼食向けにカレーやオムライスなど1000円程度のリーズナブルなメニューもあるようであり、あのデミグラスソースの味を考えると、いずれのメニューにもはずれはまずないだろうと推測される。ただ私の場合は、やはり看板のタンシチューが食べたいというジレンマに直面する羽目になるであろう。

 昼食を堪能した後は上野市駅に戻り、ここから伊賀鉄道でJR関西本線の伊賀上野駅を目指す。伊賀鉄道の運行は上野市を境にして完全に分離されており、南部は伊賀神戸での近鉄線に、北部は伊賀上野駅での関西本線のダイヤに合わせてある。なおこの時に乗車したのは先ほどの「目眩のしそうな」列車。もっとも、外部は目眩がしそうになるが、内部は単にピンクが多いだけである(笑)。

 上野市駅を出ると、すぐに列車は田んぼの中を走るようになる。改めて見てみると、上野市街は田んぼの真ん中に忽然と浮かんでいるように思われる。そのまま3駅目には伊賀上野に到着、ここでJR関西本線と乗り換えである。

 こうして完乗してみると、伊賀鉄道とはまさに上野市とのアクセスのためだけにある路線であることを痛感する。廃線になると上野市がまさに孤立することになるので、第3セクターを設置して存続させたのは当然である。今後については、地元民がいかにマイレール意識で支えるかが最大の鍵であると思うが、上野市の潜在的観光ポテンシャルは決して低くはないということを考えると、いかに観光客の利用を促すかも鍵となる。JR関西本線の惨状を考えると、こちら方面からの乗客はかなり絶望的なので、近鉄線経由の乗客をいかに取り込めるかが勝負となる。名阪国道経由で来る自動車客に、鉄道経由のメリットを感じさせるための方策が必要だ。鉄道各社は現在は「エコ」を宣伝しているが、個人の行動を変えるには「エコ」ではなくて、「エゴ」が重要である。例えば移動コストが安くなるとか、アクセスが良いとか、所要時間が短くなるとかなどのエゴに訴える施策が必要だろう。残念ながら「エコ」が旗印では意識の高いごく一部の人間しか動かせないが、「エゴ」が旗印になると、多くの人間を動かすことが可能となるのである。

 伊賀上野に到着するとまもなくJRの加茂行き車両が到着する(同じホームで接続している)。今や私がJRではもっとも馴染みとなってしまったキハ120型気動車である。乗り換え客は結構多い。これで木津川上流の渓谷脇を通り抜けて加茂に到着、ここで折り返す大和路快速に乗り換えて奈良に到着する。奈良駅からはいつもの市内循環バスで目的地へ。


「国宝法隆寺金堂展」奈良国立博物館で7/21まで

 

 世界最古の木造建造物である奈良法隆寺金堂の須弥壇が、このたび修理されることになったのに合わせて、金堂内の仏像等を一般公開したのが本展である。四天王立像などの国宝や重要文化財など貴重な仏像が展示される。

 展示されている仏像は平安時代の作であり、私の好む鎌倉時代のものとは異なるが、これはこれで造形の面白さがある。湧き立つような躍動感はないものの、その代わりにどっしりとした安定感がある。そういった造形の妙は見ていて楽しい。寺院内に安置されているのと違い、このような会場での展示だと、純粋に彫刻として観察することが出来るので、私としては面白さが倍増するのである。


 正直かなり疲れた。やはり荷物をすべて抱えての上野城登山が響いている。このままバスで近鉄奈良駅に移動。まっすぐ帰ろうかとも思ったが、最後に一箇所だけ寄り道をしようと考えて、生駒駅で途中下車する。

 私が所有している週末フリーパスは近鉄全線が乗り放題になるという優れものだが、その近鉄全線には実は生駒山ケーブルも含まれているのである。幸いにして奈良に到着してからはほとんど雨はやんでいるし、まだ時間は3時過ぎだし、いつも奈良行きの度に前を通り過ぎるだけで気になっていたこのケーブルカーに、この際だから乗っておけと私の貧乏性が激しく訴えたのである。

 ケーブルカーの駅に到着すると、フリーパスを見せて入場するが、何ともファンシーな外観をしたケーブルカーに思わず後ずさりしそうになる。まるで遊園地の遊具に乗るような落ち着かなさがある。なお生駒山ケーブルは2系統あり、多客時には隣の系統も運行されるようである。しかし今日は天候も悪いし乗客はほとんどいない。いよいよもって「鉄道マニアでもない私が何をしてるんだ?」という疑問が湧き上がってくる。いや、そもそも鉄道マニアでさえも、ケーブルカーまで対象にしている者はそう多くはなかろう。

  

これがミケ号              こちらは予備車両

 やがてケーブルカーが動き出すが、やけにメルヘンした音楽が遊園地の遊具を連想させて情けなさが倍増する。なおこの路線の最大の特徴の一つとして、路線内に踏切があり、なんと自動車が横断する道路があるということがある。ケーブルが地面を這っているケーブルカーとしては、これはかなり異例のことであるという。5分ほどで宝山寺駅に到着、ここでさらに山上に登るケーブルカーに乗り換えようとするが、どうやら鳥居前−宝山寺間のケーブルカーは20分後との運転に対し、宝山寺−生駒山上間の運転は40分に1本とのことで、しかも私が乗車したのは運が悪いことに接続がない方の便だったらしく、ここで20分以上待たされる羽目になる。ケーブルカー駅には人影一つないし、そうこうしているうちに雨が急に激しくなってくるし、いよいよもって「私は一体ここに何しに来たのだろう」と意識が強くなってくる。

  

なんとケーブル軌道を車が横断する    中間地点で降りてきたポチとすれ違う

 ここからさらにメルヘンな車両が

 それでもここまで来るともう意地である。20分待った後にまたもファンシーな車両に乗車して山上を目指す。だがもうこの時には天候は最悪となっていた。そして5分後、山上に到着した私は唖然としていた。山上は雨は激しくはなかったが、眺望どころか一面が激しくもやっていて、視界が5メートルもない状態。どうやら山上遊園の手前らしく、霧の中にかすかに遊具のレールのようなものが見えるのだが、下手に歩き出すと遭難しかねない状態。すべてを諦めて、下りのケーブルカーの発車時刻まで40分を駅でつぶすことにする。

 山頂は視界0 ヘタに動けば遭難しそう

 皮肉なことにもやが晴れてきたのは、下りのケーブルカーに乗車して少し下ってからだった。生駒駅前まで下りてきたときには雨はほとんど降っていなかった。山の天気は地上とは違うと言われるがそのことを痛感した次第。それにしても何をしに行ったのだか。今回の遠征はすべてを通じて「何をしたかったのか意味不明」という結果になってしまった部分が多々あったのだが、これはその最たるものになってしまった。とは言え、わさわざリターンマッチをするほどでもないし・・・。

 結局今回の遠征は、カバンの中までずぶ濡れになるという惨状と、折りたたみ傘一本の損失(帰りの大阪駅での下車時までは確実に手に持っていたはずなのに、どこで落としたのか家に着いた時には手に持っていなかった)で終わったのだった。充実していたような全く無意味だったような、結局は極めて意味不明な遠征となってしまったのである。教訓、やっぱり天気予報には気をつけましょう。

 えっ?要は松坂牛と伊賀牛を食いに行っただけなんじゃないのかって?  ・・・いや、決してそんなつもりではないのだが・・・・多分。

 

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