展覧会遠征 京都編
今週は京都方面を巡回することとした。となると、例によって「関西おでかけパス」の出番である。まずは不本意ではあるが、私が京都でもっとも忌み嫌っている建物から出発である。
「アンカー展」美術館「えき」KYOTOで6/22までアルベール・アンカーは19世紀後半から20世紀初頭に活躍したスイスの画家で、スイスでは絶大な人気を誇る国民画家であるという。しかしその一方で日本での知名度はかなり低い。そのアンカーについて大規模に紹介したのが本展である。
アンカーが活躍時代は既に印象派が隆盛していたということを考えると、写実主義に属する彼の画風はいかにも古いものに見える。しかしながらスイスの田舎の人々を淡々と描いている彼の作品は、多くの者にとって無条件に温かくて好ましいものに思われるのではないだろうか。彼の作品をイメージさせるキーワードとして「アルプスの少女ハイジ」があるのだが、まさにあの作品世界を連想させるのが彼の絵画である。彼の絵画を見ていると、この世界を描くには彼の技法でないといけないのではないかという気さえしてくる。
以前にやはり同時代のスコットランド絵画を見た時にも思ったのだが、絵画界のメインストリームから外れているように思われるこのような周辺地域の絵画の方が、個人的には非常に好ましいものに思えたことがある。やはり私は、芸術家にとって楽な方向へと流れていった近代芸術の潮流に対してとことん批判的であるようである。
それにしても毎度のことながら、この建物の使い勝手の悪さにはほとほと嫌気がさす。そもそも周囲の環境との調和というもっとも基礎的なことさえ考えられないような三流設計士に、機能的なレイアウトなどという高度なことを期待すること自体が無意味であることは分かってはいるつもりだが。全くこの建物は、現代建築の中の大馬鹿要素の集大成のようである。無駄に巨大で、無意味に複雑、中央部の意味もなく巨大な吹き抜け構造など馬鹿丸出し。私がざっと見たところでも、メンテナンスについて全く考えているように思えないことから、恐らく数年後にはそのことが大問題になるだろうと思われる。
目にすることさえ不愉快なこの建物を避けてさっさと地下に潜ると、地下鉄で次の目的地に移動する。この辺りは完全に巡回コースになってしまっている。
「源氏物語千年紀展」京都文化博物館で6/8まで王朝文学の最高峰とも、日本初の昼メロとも言われる源氏物語であるが、多くの日本古典芸術に大きな影響を与えてきた。今年はこの源氏物語が世の中に登場してからおよそ千年と考えられることから、源氏物語千年紀と位置づけて、この源氏物語の影響を受けている作品や、当時の王朝文化を示すような事物を集めて展示したのが本展である。展示品は源氏物語を描いた屏風や絵巻、また当時の小物類や光源氏の屋敷を再現した模型、さらには源氏物語の本の類で、果ては与謝野晶子本から大和和紀の「あさみゆめみし」まで至るという多彩さである。
屏風などの類は雅な源氏物語の世界をイメージさせるし、小物類なども当時の王朝文化を理解するには有用だろう。とはいうものの、展示品のかなり割合が書籍類なので、文書系にあまりに興味を感じない私からすると、かなり地味でマニアックな展示という印象を受ける。
それにも関わらず会場内は満員状態で、絵巻の類の展示などは人の頭ばかり見えて肝心の展示物がほとんど見えないという状況はどうしたことなのだろうか。やはり源氏物語は今でもそれだけ多くの日本人を惹きつけるということなのか?私にはその辺りが謎であった。
正直なところ、非常にマニアックな展示内容とこの観客数がバランスが取れているとは思えなかったのであるが・・・。これだけ多くの来館者の内の何人が本当に本展を堪能できたのだろうか?
少々げっそりしながら満員の会場を出た頃には昼時になっていた。次の目的地に移動する前に昼食にすることにする。今回昼食を摂ることにしたのは、文化博物館の少し東にある「光泉洞寿み」。いわゆる「京のおばんさい」店である。町屋を改造したと思われる店内は落ち着いたムードがある。注文したのは「生麩付き定食(1680円)」。
私が注文した定食はいわゆる日替わり定食に生麩の田楽とパウンドケーキ(今日はバナナのケーキだった)が付いたもの。今日の日替わりメニューは豚肉のソテー。いかにも手作りという感じのホッとする味で、外食にありがちのどぎつさがない。やはり関西人の私には非常に違和感のない味付けである。また生麩の田楽は絶品。モチモチとした食感がたまらない。
生麩の田楽はゆず味噌をつけていただく
女性などが雰囲気も込みで昼食を堪能するには良いだろう。ただ私のような下品な男の場合、量的にあまりに上品すぎることは否めない。また日替わり定食が900円ということを考えると、コストパフォーマンス的には判断が難しいところ。どうも京都の飲食店は美味しいところは多いのだが、コストパフォーマンスが高いと思わせるところには出会ったことがない。やはり美味しい店はそれなりに高く、安い店は味がそれなりというのが京都流なのだろうか。
昼食が終わると次の目的地に移動。ここは久しぶりの訪問になる。しかしここでトラブルが発生。地下鉄の駅のいつもと違う出口から出たのが災いして、完全に方向を見失ってしまったのである。案内図をチェックして目的地を目指したのだが、どうも周辺の状況がおかしい。そのうちに前方に知恩院が見えてきたところでようやく根本的な間違いをしていたことに気づいた。駅から北に歩かないといけないはずなのに、全く逆方向に歩いてしまっていたのである。慌てて引き返すが、意図しない京都散策をする羽目になってしまった。なおこの散策の途中で、泥沼のお家騒動で話題になった一澤帆布を発見。こんなところにあったのか。全く知らなかった。
一澤信三郎帆布と一澤帆布 間に2軒を隔てて並んでいます
注:一澤帆布お家騒動前会長である一澤信夫氏の死去にあたり、長男で銀行員であった信太郎氏が信夫氏の遺言状を盾に営業権の譲渡を要求。これに対して永らく信夫氏と共に一澤帆布の経営にあたってきた三男の信三郎氏が反発、信三郎氏が全く別の遺言状を所持していることと、信太郎氏の保有する遺言状の作成時点では信夫氏が既に脳梗塞で要介護状態になっていたことから、信太郎氏の保有する遺言状が偽造品である可能性が高いとして裁判になった。裁判の結果は「無効と言える十分な証拠がない」と信太郎氏の勝利となり、一澤帆布を追い出された形の信三郎氏は独立して一澤信三郎帆布を設立、職人の全員も信三郎氏を支持して移籍した。一方、信太郎氏は新たに職人を雇って営業停止状態に陥った一澤帆布を再立ち上げ、現在も信三郎氏を商標侵害で訴えるなど泥沼の争いになっているという。
人気ブランドになっただけに、人の欲を引き出してしまったということか。今時は家業を継いでくれと言われても、嫌がる子供が増えているというのに。なおこの騒動、どらちに理があるのかは知らないが、一澤帆布がこれだけの人気ブランドになるのに誰が貢献したかを考えると、結論は自ずと明らかなような気がするのだが。
人の業の醜さなどに想いを巡らせつつ、しばしの京都ウォークの後、ようやく目的地に到着する。
「江戸絵画の夢と光―若冲、北斎とともに」細見美術館で6/1まで所蔵品の中から江戸絵画の作品を展示。同館は琳派の作品を中心に展示してきたが、今回は葛飾北斎や池大雅など毛色の変わった作品を展示している。
展示作の中では葛飾北斎の「五美人図」が白眉。北斎の肉筆画はいずれも貴重なものであるが、構図のうまさなどは群を抜いている。また本館の特徴である伊藤若冲の作品も楽しめるものである。
この美術館は建物が少々変わっている。1階の展示室から順々に地下に潜っていく構造になっている。建物が下へ下へと伸びているわけであ。ただその構造のために、このバリアフリー化の時勢に真っ向から反した階段だらけというのはいかなるものか。しかもエレベータが一応はあるものの、そのエレベータへのアクセスが階段を通らないといけないというのは・・・。
階段で地下に潜っていく構造になってます
ここから徒歩で次の目的地に移動する。
「ルノワール+ルノワール展」京都国立近代美術館で7/21まで
印象派の画家として有名なピエール=オーギュスト・ルノワールの3人の子供もそれぞれ芸術の道を歩んだが、次男のジャン・ルノワールはフランス映画の巨匠として知られている。その父と子の作品を併せて紹介することで、彼らの親子関係をも垣間見ようという展覧会。
概して「○○と□□展」などと銘打つ場合は、作品数や質の面で今一つという事例が多いのであるが、本展ではオルセー美術館所蔵品を始めとして多数のルノワール絵画が展示されているので、私のようなルノワールファンはそれだけで堪能できる。また意外なことに全く映画の趣味がない私でも、本展でのジャンの作品の紹介については楽しめた。
紹介されている絵画などからだけでも、ルノワール一家がかなり幸福な家庭を築いていたことは分かるのであるが、何よりもジャンの作品自身にそのことが最も端的に表れている。彼は父が描こうとした世界を、映画という最新の技術で描こうとしている。作品によっては明らかに父へのオマージュとしか表現のしようのないものも含まれており、そこには父への愛情と尊敬がハッキリと現れている。父が追い求め続けた光の表現を、息子はスクリーンで追い求めていたようである。
私は芸術の才能が遺伝するという考えには懐疑的だが、家族として同じ時代に同じ時を過ごし、その作品に幼児から接し続けるということは、その芸術的精神を継承させることになるということ感じずにはいられなかった。
本展については東京BUNKAMURAでの開催時に2回訪問している。本館ではやはりレイアウトが異なることで印象がやや変わっているが、それよりも場内がかなり混雑していたことと、BUNKAMURAのようなソファーが設置していなかったことから、気に入った絵をじっくり堪能するというわけにもいかなかったのが残念。二回目の東京訪問の際、どうしてももう一度BUNKAMURAを訪問しないといけないという強い予感がしたのは正解だったようだ。
美術館を出ようと荷物を入れていたロッカーの鍵を開けようとした時に、ポケットの中に鍵がもう一つあることに気が付く。「しまった!」・・・先ほどの細見美術館に傘を置きっぱなしになっていた。慌てて来た道を引き返すと傘を回収。どうも最近はこの手のミスが増えている。老化だろうか。傘を回収した後は、京都駅までバスで移動。京都駅からはJRで大阪に移動する。
大阪で環状線に乗り換えると天王寺で下車。ただ昼食が少々上品すぎたせいで、腹具合が若干心許ない。そこでまずは腹ごしらえをしておくことにする。こういう時はラーメン辺りが妥当なところ。と言うわけで、天王寺地下の「古潭」で古潭ラーメン(580円)を頂く。
醤油ラーメンと言えば、鶏ガラ系の澄んだスープのものもあるが、ここのはいわゆる醤油豚骨系。濁りのあるコクのあるスープである。ただこってりした見た目に反して、意外としつこさはない。麺はこってり系スープの場合のセオリーとしてやや太めの麺を使用しているが、これがスープとマッチしている。非常に口当たりの良いスープなので、飲み干したいところであったのだが、さすがにカロリーを考えてそれは諦めた。
腹ごしらえをすると天王寺公園を横切って目的地に向かう。この天王寺公園は入場を有料化してホームレスを追い出すことで「美化」したわけだが、果たしてそれは政策として妥当なのか。ここを通る度にいつもそのことを考えさせられる。ホームレスを追い払ったところで、彼らは消滅するわけではなく、彼らを生み出す土壌も何ら変化していないのである。そう言えば橋下知事がホームレス問題について発言しているのを聞いた記憶がないのだが、彼は何か政策を持っているのだろうか?
「聖徳太子ゆかりの名宝」大阪市立美術館で6/8まで
聖徳太子は日本に仏教を導入する際して貢献した人物であるが、とかくその生涯は伝説に彩られている。さらに平安後期には彼自身が信仰の対象となり、叡福寺・野中寺・大聖勝軍寺の河内三太子と呼ばれる太子信仰の寺院が建立されている。本展はそれらの寺院に伝わる太子ゆかりの宝物を展示紹介したものである。
展示品は太子の生涯を描いた図絵、また太子ゆかりの文書、さらには仏画及び仏像である。この中で個人的には一番面白かったのは仏像。平安後期から鎌倉時代にかけての仏像の特徴が現れており、造形として興味深い。
これで本日の予定は終了。後は帰るだけである。とりあえずは大阪駅に向かうのだが、どうも環状線でまっすぐ帰る気にならない。と言うわけで先ほど開通したおおさか東線を経由して大阪駅に移動することにする。まずは大和路快速で久宝寺に移動、ここからおおさか東線に乗車することにする。到着したのは環状線などでよく見かける何の変哲もないロングシート電車。201系と言うらしい。車両もさることながら、全線高架の複線電化路線は環状線と類似しており、いきなりこの車両の中に転送されたら、環状線と全く区別がつかないだろう(違いは車両のカラーリングだけらしい)。そもそもこの路線は「大阪外環状線」と仮称されていたというのだから、類似性もさりなん。なお現在は久宝寺−放出間の旅客輸送のみだが、将来は新大阪まで延伸する壮大な計画があるとか。
乗車していて感じるのはカーブでの傾斜角が強いこと。どうやらかなりの高速運転を想定しての建設がされているようであり、将来への布石が感じられる。実際、本線を経由して運行される尼崎−奈良の直通快速とすれ違ったが、かなり快調にすっ飛ばしていた。現在、阪神電鉄が近鉄難波と接続するための工事を進めており、将来的には阪神三宮発の近鉄奈良行き特急が運行される予定になっており、この直通快速はそれをにらんだJRの対抗策であろう。
普通列車は本線内を折り返し運転されているようである。放出で学研都市線に乗り換えると、北新地で下車する。それにしてもこの北新地駅は深い。東京の大江戸線などがとんでもない深さに達しているが、大阪もその方向に向かっているようである。
北新地駅から大阪駅に移動すると、駅の構内でおみやげにヒロタのシュークリームを買い求め、そのまま家路についたのであった。
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