展覧会遠征 東京・水戸編

 

 さて今年もGWの時期が到来したが、この時期になると恒例の行事となっているのが東京遠征である。しかし今回はカレンダーをにらみながら私は唸っていた。例年だとGWの最中は避け、前週か翌週かのどちらかを選ぶというのがパターンである。しかし今年の場合、そのどちらのパターンもスケジュール的に今一つなのである。今年のGWは基本的に前半と後半に分かれた形になっており、それらの前週もしくは翌週となると、日がずれすぎてしまっているのである。散々悩んだ挙げ句に私が下した結論は、GWのど真ん中の平日狙いの遠征というものであった。

 出発は29日。移動は結局は新幹線を選んだ。例によって夜行バスも頭に浮かぶのだが、これは体力的に却下。とは言うものの、昨今の与党による「庶民からは絞れるだけ絞る」政策のせいで、私の財政も非常に切迫しており、遠征費用の節約は至上課題となっている。やはり移動費を節約しようがない以上は宿泊費を節約するしかなくなるのである。

 例によって朝一番に上野に到着。例によってトランクを上野駅のロッカーに放り込むと第一目的地に早足で急ぐ。第一目的地は上野駅からもっとも近い施設。そしてここが今回の遠征の最大目的地でもある。私が到着した時には既に開館待ちの行列が300人ぐらいというところ。やはりGW中の祭日ということで混雑しているようだ。


「ウルビーノのヴィーナス」国立西洋美術館で5/18まで

 

 ギリシア神話のアフロディーテから端を発した、ローマ神話のヴィーナスは愛と美の女神として多くの図像などに描かれてきた。キリスト教の無知と迷信に支配された中世暗黒時代にはそれらは一端廃れるが、人間重視のルネサンスの開花によって再び芸術の世界に多く登場することとなる。そのようなヴィーナス図像について、ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」を中心として展示したのが本展である。

 ヴィーナスというモチーフだけでいろいろ描き方があるのには感心するが、ルネサンス以降は極めて人間的な描き方が多くなるのが特徴的(実は神話にかこつけて現実の人間を描いているのであるが)。やはりヴィーナスが象徴する愛と美の世界が人々を惹きつけてやまないのか。様々なヴィーナスがあったが、ミケランジェロによるヴィーナスは、肉体表現が力強すぎたせいで、愛の女神ではなくて男性に見えてしまったのには苦笑。

 なお「ウルビーノのヴィーナス」については圧巻。息を呑むような生々しさがあり、やはりティツィアーノの天才を再認識せざるを得ない。本作を見るためだけにでも東京までやって来た価値があるというものである。


 開館直後で会場の冒頭部分が混雑しているのを見て取った私は、まずは「ウルビーノのヴィーナス」が展示されている会場に直行、作品を十二分に堪能した後に冒頭部分にとって返した。混雑している展覧会ではこういう臨機応変な行動が不可欠であるが、たださらに常識を越えた混雑をしているような展覧会だと、人混みに押されて流されるだけになってしまうから難儀である。本展は混雑していたものの、そこまでの混雑でなかったのは幸いであった。

 第一目標を攻略すると、直ちに次の戦場に転戦である。この辺りは機動力が要求されるところであるが、まだこの時点では私の体力も気力も十分である。


「芸術都市パリの100年展」東京都美術館で7/6まで

 

 1830年から1930年頃、パリが世界の文化の中心として大いに輝き、世界中から若き芸術家を惹きつけた時代である。そのようなパリの最盛期にまつわる芸術作品を集めて展示したのが本展である。

 出展作は印象派からエコール・ド・パリなどの近代フランス絵画の有名どころの名前が一渡りは並んでいるが、実際の展示作の大半はもう少し無名の画家のものが多く、芸術作品の展示よりも、当時のパリの風物を伝えるという意志を強く感じたのが本展である。実際に絵画以外にも展示品には写真なども含まれている。そのため、数点は印象に残る作品はあった物の、全体としての印象が極めて希薄なように思われてしまった。以前に


 ここまで回ったところで空腹が身に染みてきた。今朝は早朝に出発して以来、サンドイッチしか食べていない。古来より空腹の軍隊が戦で勝利をおさめた事例はないという。ここはまずは燃料補給をしておくことにする。

 とは言うものの、いつも上野で困るのは昼食場所である。美術館は非常に豊富な上野だが、とかく昼食を摂る店となると良い店がないのがこの界隈(と言うか、基本的に東京の飲食店は問題外のところが多い)。結局は安直に東京都美術館内のレストランで摂ることにした。ここのレストランは今まで何度か利用しており、当たりはないもののハズレのレベルも一応許容範囲内であることは確認している。注文したのは「タケノコご飯と的鯛のサラダ風ランチ(1200円)」。例によってCPが良いとは思わないが、東京相場だとこんなところ。味的にはまずまずなのでこれで満足しておくべきなんだろう。

 とりあえず燃料補給は終了。直ちに次の戦場に移動である。


「バウハウス・デッサウ展」東京藝術大学美術館で7/21まで

 

 1919年にドイツに設立され、1933年にナチスによって閉校に追い込まれた造形芸術学校バウハウスは、その後の世界のデザインに多くの影響を与えたという。同校では多くの芸術家が講師を務め、近代デザインの基本とも言える先進的デザインが工芸、建築などの各分野に取り込まれている。そのバウハウスについて伝えるのが本展。

 展示は大ざっぱに言えば工芸(家具など)と建築に2分されている。工芸についてはアール・デコの流れから始まって、近代デザインにつながって行っている流れが分かるし、建築についてはいかにも「今時よく見かける」タイプの建築の祖となっている。

 建築などに興味のある者なら面白い展覧会かも知れない。ただ私の場合、現代建築に関しては特に近年懐疑的になっており(それを決定的にしたのが、あの大馬鹿建築の京都駅ビル)、単純には感心しにくいコンセプトの作品も多い。そもそも指導者の一人があのモンドリアンだというのだから、私が心理的反発を感じるのも当然なのかも知れないが。


 今日はまず上野の地区の殲滅戦を行う予定である。次は国立博物館へ向かう。しかし、目的地が近づくにつれて人が増えていることが不吉な予感を抱かせる。そして到着。見るとチケット売り場に行列が出来ている。さらに入り口には「現在入場規制中30分待ち」との表示が。その表示を目にしたところで、私は瞬時に目標を次に変更する。戦場においては常に臨機応変さが求められるのである。こんなところで時間をロスしている余裕はない。


「ダーウィン展」国立科学博物館で6/22まで

 

 現代科学の根幹となる学説の一つである進化論は、ダーウィンによる丹念な研究によって確立された。彼の研究によって、それまで幅を利かせていた「すべての生物は造物主によって作られた」という迷信(今となってはアホの象徴としか思えない)が払拭されて、近代科学の扉が開かれたのである。そのダーウィンの事跡について、ビーグル航海時の日誌やガラパゴスの動物標本などで振り返ろうと言うもの。

 ではあるものの、とにかく会場内の異常な混雑には辟易した。テーマがテーマだけに親子連れが多く、会場内は騒然。じっくりと見て回るという状態でなかったのが残念。

 なお本展最終部で、進化論はあくまで生物進化の原理についてだけ適用されるもので、それ以外の例えば社会学の分野などの用いることはダーウィン自身も強く反対していたという下りにはいたく共感。これは「勝ち組負け組」などを支配層が適者生存の結果というようにすり替えて、政治的無策を糊塗することに釘を刺したものである。人為的に導き出した歪んだ環境は進化論とは別なのである。


 これで上野地区殲滅戦は、国立博物館をのぞいて終了した。現在時刻を考えると、国立博物館の状況は先ほどよりも悪化することこそあれ、好転する可能性はまずない。戦況の好転が望めない時は、戦略撤退も重要な選択肢である。国立博物館攻略戦は後日に変更することにして、とりあえずはここで一端荷物を置くためにホテルに向かうことにする。

 

 今回は私が予約したホテルは南千住の「ホテルNEO東京」である。東京地区にありながら一泊3500円という廉価な宿泊料金が最大のポイントであり、とにかく今回の遠征において費用を節約する必要に迫られた私が、「東京、安ホテル」というキーワードで検索しまくった挙げ句に発見したホテルである。今までの東京遠征では一番安いホテルでも7000円ぐらいであったので、今回の宿泊料は破格である。その辺りに少々の不安があるが、各地の安ホテルを渡り歩いている私としては、今更少々のことでは驚かない覚悟はしている。何しろ私の愛用しているホテルの中には、表にホームレスがゴロゴロしているようなところさえあるのだから。

 上野から常磐線で南千住へ移動。それにしても東京の列車の編成の長さには呆れる。この常磐線もまるで新幹線のような長さである。おかげでホームを延々歩く羽目になる。次からは乗車位置も考えないと・・・。ホテルは駅から若干歩いたところにある。距離的には遠いというほどではないが、途中で陸橋を越える必要があるのが鬱陶しい。

 到着したのはかなりこじんまりしたホテル。部屋に入っての第一印象は「狭い」というもの。部屋にベッドを置くと、後はわずかなスペースしかなく、小さなテーブルは置いてあるが、机などはない(そもそも置くスペースがない)。ただ部屋は薄暗い感じはなく、意外に清潔感もある。またテレビもあるし冷蔵庫も装備、インターネットも使用可能である(LAN接続)。料金から当然であるが、トイレ、風呂は共用。ただトイレをチェックしたところも綺麗であったし、施設全体に薄暗さや不潔感はない。また風呂については、私としては狭苦しいユニットバスよりもむしろ大浴場の方がありがたい。さらにこれがポイントであるのだが、このホテルは男性専用である。これは何を意味するかと言えば、いつでも風呂に入れるということだ。この手の大浴場型の安ホテルの場合、風呂が男女共用である場合が多く、男女で入浴時間が分けられるというのが普通である。すると入りたい時間に風呂に入れないということがあるのである。このホテルの場合は男性専用であるおかげで、その制約がないわけで、いつでも好きな時間に入浴できるのである(当然ながら夜中は管理の都合で入浴不可だが)。これは私にとっては大きなメリットである。

 本当に狭い部屋です

 確かに安ホテルらしい制約はある。シーツやガウンなどのアメニティーは連泊の場合は交換なしのようだし、部屋はかなり狭い。またトイレ、風呂共用というのは人によっては抵抗があろう。しかし寮暮らしの経験のある私の場合、共用トイレについては清掃が行き届かずに汚れているということがない限りはOKだし、貧乏育ちの上に前世がハムスターだと言われているぐらいなので部屋の狭さは気にならない。またアメニティーについても、自宅のシーツを毎日洗濯しているかと考えたら、前の人の使用したものをそのまま出されない限りは問題なしである。安ホテルを利用する際のポイントは、自分がどのラインは妥協できてどのラインは妥協できないかを明確にすることである。私が安ホテルで一番参るのは、施設の古さなどから来るどことなく薄暗くて汚らしい雰囲気であるが、ここに関してはそれがなかった。

 また南千住という立地は、上野へのアクセスが抜群である。上野が東京の北部地域への玄関口であるということを考えると(「ああ上野駅」なんて歌もありますね)、今後関東北部地域への遠征を考えた場合、ここをベースキャンプに出来るということもある。「これは使える」という言葉が私の頭をよぎる。ようやく東京地区で拠点を確保できたようだ。唯一の難点は、大きなホテルではないのですぐに予約が塞がることか。

 

 とりあえずホテルに荷物を置いて一息つくが、まだ時間が早い。はっきり言って、まだまだ今日の予定を終わるのは早すぎる。すぐに荷物を整理すると、次の目的地に移動する。


「生誕100年東山魁夷展」東京国立近代美術館で5/18まで

 

 日本の風景を描き続けて、国民画家とも呼ばれる人気を誇っている日本画家の大規模な回顧展である。初期の作品から晩年の作品までを一望できる。

 東山魁夷は私の好きな画家の一人であるが、以前より非常に面白い作品と、今一つの作品が混在することを感じていた。実は今回、初めて彼の作品を年代順にじっくりと一覧することでその理由に初めて気づくことが出来たのである。

 彼は途中で北欧のスケッチ旅行を敢行しているが、その前後で明確に画風が変化しているのである。それまでは典型的な日本画的な風景画が多く、そこにはいわゆる簡略化とパターン化が見られている。しかし北欧の風景に触れることで、彼の写実と精神表現のグレードが一段向上しているのである。要は私がイマイチと感じていたのが前者の時代の作品で、面白いと感じていたのは後者の時代の作品だったと言うこと。東山ファンを名乗ってい私としては、あまりに基本的な見落としであり恥ずかしい次第である。

 さて本展であるが、東山の画業を一覧できるだけでなく、彼の代表作(当然のように唐招提寺障壁画も含む)の数々を堪能することが出来るので、東山ファンなら絶対にはずせないところである。また東山が国民画家と呼ばれるぐらい、彼の作品は日本人ならほぼ確実に琴線に触れること間違いないので、日頃は大して絵画に興味を持たない者でも、この機会に是非とも彼の作品に触れることをお勧めする。


 これで大体の予定は消化した。そこで飯田橋まで移動すると、閉店直前の紀の善で夜のおやつの「抹茶ババロア」を購入、そこからさらに東京駅に移動する。確かブリジストン美術館は夜の8時まで開いていたはずなのだが・・・今日は祝祭日なので6時で終わりとのこと。やむなく今日の予定はここで終了として、東京駅の地下で夕食だけを食べてホテルに戻る。

 夜のおやつは抹茶ババロア

 ホテルに戻った後は風呂に入ってまったりする。やっぱり手足を伸ばして入れる風呂はよい。今日一日で21000歩も歩いているので、足にかなり疲れが残っている。明日はさらにハードな行程になる予定である。疲れをしっかり抜いておかないと明日の行動に響く。そしてこの日は「ガイアの夜明け」が終わった頃には眠りについたのだった(目覚まし時計が動作異常で、夜中に2回たたき起こされることになったが)。

 

 翌朝は7時起床。手早く身支度を終わらせるとまずは上野に移動。今日は北関東へ遠征の予定である。上野駅でフレッシュひたちの自由席券を入手するとホームへ向かう。

 先に上野は北関東への玄関口と言ったが、この上野から常磐線経由で東北方面に向かう特急列車がフレッシュひたちとスーパーひたちである。スーパーひたちは651系と呼ばれる車両で、フレッシュひたちはE653系と呼ばれる車両が投入されている。位置づけとしては、スーパーひたちがひかりだとしたら、フレッシュひたちはこだま。私の目的地は友部であるので、フレッシュひたちを使用するということになる。なお常磐線は取手駅をすぎたところで電化方式が直流から交流に変更されるので、これらの車両は両方式に対応した車両となっている(つまりは関西で北陸線に乗り入れるサンダーバードと同じ)。

 ホームに到着した時には、14両編成の車両が既に到着しており、数分後に乗車可能となる。JR東日本がこの路線のために投入した新造車両というだけあってなかなか綺麗だし、2+2のクロスシートは意外とゆったりしており、なかなか快適である。常磐線は結構混雑すると聞いていたが、混む方向と逆方向だったのが幸いして、乗車率は30%程度の状態で発車する。

 

2+2シートは結構良いシートを使用しています

 沿線は取手辺りまではべったりと市街地。車窓が本格的に面白くなるのはそこから先である。ようやく田園地帯が見え始めるのは牛久の辺りであるが、その辺りでも所々がベットタウン化している。車窓を眺めていると東京の市街地が異常に拡大していることを痛感する。この町は既に自活不可能なところまで巨大化している。

 沿線の田園風景

 ちなみにこのような田園風景があることから、東京の人間は茨城県民を田舎者と馬鹿にしているようだが、それこそが大きな勘違いである。現実には東京という自活不可能になってしまった歪な都市を、これらの地域が支えているのである。しかし都会者は往々にしてそれに気づいていない。実のところ私も神戸という大都市の生まれだったので、養われている側が養っている側を馬鹿にしているという愚かさに永らく気が付いていなかったのである。都会人よ目を覚ませ!茨城県民よ誇りを持て!

 列車は1時間ちょっとで友部駅に到着した。この車両は最高速度130キロまで出るとのことだが、市街地では速度を抑えていたようだし、そもそも市街地を爆走するJR西の新快速に乗り慣れている私には、そんなに速いとは感じなかったのが現実。

 友部駅でフレッシュひたち

 友部駅で降りると、ここからは市内循環のバスに乗り換え。このバスで笠間まで移動することになる。笠間は山近くののどかな地方都市というイメージで、中国地域の新見や津山などに近いイメージで、個人的には非常にシンパシーを感じる町。ちょうど今は笠間でツツジ祭りが開催されているとかで人出が多い。


「没後80年佐伯祐三展」笠間日動美術館で5/6まで

 

 パリを描き、パリの風景に特化し、最後はパリでなくなった画家・佐伯祐三の展覧会である。本展では佐伯の初期の作品から、最後にパリでなくなる直前頃の作品まで一覧できるが、特徴的なところとしては、一端日本に帰国した時期の作品も多数展示してあること。

 佐伯は日本に帰国する時「日本留学」と語ったそうだが、確かにそう言わしめたほどにこの時期の佐伯はパリに特化しすぎていたように思われる。パリの石と煉瓦の街並みに特化しすぎた彼の筆では、日本の土と瓦の街並みはもはや描きようがなかったことが作品からうかがえる。彼の描いた日本の風景は、いずれも日本とは異なる世界になってしまっているのである。ここまで過剰適応してしまった以上、彼がパリに帰還するのは必然だったろう。ただ惜しむらくは、その境地を突き抜けて、さらに一段高いステージに到達する前に彼の命が尽きてしまったことである。

 本展の展示作品は、私には見たことのある作品が多いと思ったら、大阪市立近代美術館建設準備室所蔵の作品が多かったようである。そういう意味では個人的にはあまり目新しさはなかったのが事実であったりはする。


 笠間日動美術館は、日動画廊創業者の長谷川仁・林子夫妻によって設立された私立美術館であり、充実したコレクションで知られている。館内は日本・アメリカ館、フランス館、企画展示館、野外彫刻庭園などからなっており、私立美術館としてはかなり規模は大きい。特徴的なのは日本・アメリカ館に展示されているパレットのコレクション。日本国内の有名画家のパレットは一渡り揃っているという印象である。またフランス館のコレクションにも秀品が多く、特にルノワール、シャガールの作品は印象的であった。

 

右が日本・アメリカ館、左がフランス館          企画展示館      

 美術館を出た時には、ちょうど巡回バスが通り過ぎた時刻。次のバスは1時間後である。どうやって時間をつぶすか・・・。ふと見ると「ツツジ祭り」の幟が目の前に林立しており、多くの人がそちらの方に登っていく。どうやらツツジ祭りはそこの山で開かれているようである。ここまで来れば、行きがけの駄賃という奴である。少しのぞいていこうかと山道を登る。

 会場はツツジの花で真っ赤に彩られた極彩色の世界。笠間市街を見下ろす小高い山になっているので風景も抜群である。あちこちでかなり気合いの入った写真マニアが一眼レフを駆使ながら、ツツジの写真を撮りまくっている。中には接写用の三脚まで持参している筋金入りマニアも。うわー、やっぱりマニアは違うなと思いつつ、ふと気が付くと私も彼らに混じって撮影大会。横から見れば私もカメラマニアに見えてるんだろうな・・・。私は断じてカメラマニアでも鉄道マニアでもないのだが・・・。

 

 会場を一周すると再び山道を麓まで下り、美術館近くのソバ屋「一茶庵」で昼食として「天ざるそば(1300円)」を頂く。足立美術館といいここといい、大型私立美術館のそばにはソバ屋は不可欠なんだろうか? なんとも謎である。なおここのそばについては、腰の強いそばであるが、私が食した時にはコシが強いを通り越して、少々硬すぎたのではという気もした。

 

 時計を見るともうすぐバスの到着時間である。バス停まで小走りで急ぐ。正直なところ山歩きの後の足にはキツイし、今日は暑いので汗だくになる。しかし何とか時間までにバス停に到着、循環バスは数分遅れてバス停に到着する。

 朝のバスは友部から出ていたが、そのバスは日中は笠間市内循環コースとなるので、今度は笠間駅から移動することになる。笠間駅は水戸線の小さな駅。無人駅でこそないが、水戸線は単線電化路線なので駅自体はローカルムードが漂いこじんまりとしている。

 やがて列車が到着する。到着したのは4両編成のロングシート車。415系の1500番台というらしい・・・とはいうものの、鉄道マニアではない私にとってはただの「電車」。車両は通勤電車なのに、車窓はローカル線というこのアンバランスが水戸線の特徴なのか。乗車は友部までのたった二駅だが、妙に心惹かれる路線である。

 

 友部に到着すると乗り換え。ここから水戸へと移動することにする。ホームにはすぐに5両編成のE531系列車が到着する。どうやらこれが常磐線のスタンダードタイプ車両の模様。内部はセミクロスシート車両でかなり新しいイメージ。JR東日本がつくばエクスプレス対策として投入した、交直流両対応型で高速運転対応の新造車両だとのこと・・・だが、普通車両として運行する分にはあまり関係はないのだが・・・。

 水戸駅が近づくと偕楽園が目に入ってくる。ちなみに行楽シーズンには偕楽園近くに臨時駅が開設されるということだが、今はそのシーズンではないので水戸駅で降り立つ。水戸は典型的な地方の大都市。岐阜や高松などと近い雰囲気。駅前ではお約束と言うべきか、水戸黄門の銅像が出迎えてくれる。

 水戸と言えばこの方々

 水戸駅前は巨大バスターミナルになっている。ここからバスで目的地に移動する。


「開館20周年記念所蔵作品選」茨城県近代美術館で5/25まで

 茨城県近代美術館はこの度リニューアルオープンとのことで、全館を使ってコレクションの中の名品を展示するとのこと。同館が所蔵する洋画・日本画から現代アートに及ぶ多々のコレクションの中から、選りすぐりの175点を選抜してある。

 非常にコレクションのレベルが高いことを感じたが、特に印象に残ったのは横山大観・菱田春草・下村観山らの日本画の秀品。彼ら日本美術院系の画家は岡倉天心が居住していた茨城県の五浦(いづら)に集まって活動していた時期があるので、謂わば地元画家になるわけである。

 五浦組以外の作品では興味深かったのは小川芋銭の「水魅戯」などの一連の作品。いかにも楽しげで飄々としているのが芋銭らしくて非常によろしい。


 美術館を堪能した後は再びバスで移動。やはり水戸に来たからに偕楽園に立ち寄っておこうという計画である。日本三大名園と言えば、後楽園、兼六園、偕楽園であるが、既に前の二者は訪問済みなので、これで三大名園制覇である。後楽園、兼六園共に個性のある庭園であったが、さて偕楽園はどうか。

 で、偕楽園であるが、とにかくだだっ広いという印象。後楽園が平地の広さを活かした庭園、兼六園は山の斜面を活かして変化をつけた庭園だったが、偕楽園はその両方を兼ね合わせている。山の斜面の上にだだっ広い平地があるのである。

 こういう綺麗なところもありますが

 ただその平地部分の売りは大量に植えてある梅で、今は梅のシーズンを過ぎているので、単なる青々とした林が続くだけ。こうなってしまうとあまりに変化がなくて単調である。そう、気になったのはこの「単調」ということ。後楽園は広いなりに水をうまく使って変化をつけていたし、兼六園は地形そのものが変化に富んでいた。それ比べると偕楽園は梅の木が多い平地部と、杉の木が多い斜面部に二分されるだけで、どうもバリエーションに欠けるような印象を受けてしまった。やはり訪問は花のシーズンに合わせるべきなんだろうが、それだと大混雑になるのが見えているだけに・・・。

 梅のシーズンをはずすとこんな感じ

 東門から入り、南門に抜ける形で偕楽園を一回り、その後は陸橋でJRの線路を越えて南側にある徳川博物館まで歩く・・・のだが、これがやけに距離がある。万歩計のカウントだけがやたらに上がり、足にはかなりガタが来た時点でようやく到着する。


徳川博物館

 

 水戸徳川家ゆかりの品々を展示している。水戸黄門こと徳川光圀の肖像画などといったものも見ることが出来る。ただし展示品としては全体的にマニアックで地味。

 展示品に工芸品系が多いので、こちらの方にはとんと興味のない私にはいささか場違いであることを感じずにはいられなかった。それとなぜか第二展示室と第三展示室に強烈な薬品のような臭いがこもっており、とてもじっくり見ていられなかったことも大きな減点。なお土産物としてはお約束の水戸黄門の印籠も売店で販売されている。


 博物館を出た後はバス道まで徒歩で移動(門を出たところにタクシー乗り場があるが、当然のようにタクシーに乗る金銭的余裕などない)。しばしバスを待った後に水戸駅まで乗車する。ホームに入ると、向かいに鹿島臨海鉄道のディーゼル車が見える。鹿島臨海鉄道は国鉄の北鹿島線を元にした第3セクターで水戸と鹿島サッカースタジアムを結ぶ単線非電化路線である(運用上はJR鹿島線の鹿島神宮駅まで乗り入れている)。のどかさの漂う北関東で見つけたディーゼル車両に思わず心惹かれるが、今回は地方視察が目的ではないのでここはグッとこらえる。

 鹿島臨海鉄道のディーゼル車

 水戸駅からは今度はスーパーひたちで上野に直行。こちらの方がフレッシュひたちよりも停車駅の少ない列車だが、車両自体はフレッシュひたちの方が新しいようである。なお私は自由席券でなんとか座席を確保できたが、乗車率は結構高かった。

 

 車窓の田園風景を眺めていると、知らず知らずのうちにウトウトとしてしまい、次に目覚めた時には上野の手前まで到着していた。

 上野に到着、かなり疲れたのでホテルに戻ろうかという気も起きたが、まだ夕方なのでこのままホテルに直行は私の貧乏性が許さないし、そもそもこのままホテルに入ってもすることがない。そのまま東京に移動すると、夕食にカツカレーを食べてから、昨日行き損ねたブリジストン美術館を訪問する。


「岡鹿之助展」ブリジストン美術館で7/6まで

 

 独特の作風で知られる洋画家・岡鹿之助の作品について展示した展覧会。生涯にわたって画風がほとんど変化しなかったという彼の作品を、テーマ別に分類して紹介している。

 一見した時にどこかで見たような雰囲気の絵だなと感じたが、よく考えてみるとルソーの絵画に雰囲気が似ている。とは言うものの、彼の作品のタッチはルソーの作品ほど単純ではないし、またルソーのようにデッサンが破綻しているということもない。それにも関わらずなぜルソーと似ていると感じたのか。

 それはそこに登場している世界の非現実感だろう。基本的にルソーは絵画の中に自分にとって好ましいモチーフを羅列したと言われており、それが独特の非現実感を生み出している。岡の絵画についても、登場するモチーフは現実的なものであるにもかかわらず、全体としての風景は非常に非現実感が漂っている。それは彼の風景画が、風景を写し取ったものではなく、彼の中にあるモチーフを適当に組み合わせて作った謂わばジオラマの世界であるからだろうと思われる。

 その傾向は晩年になるほど顕著になっていく。彼の晩年の作品は今まで登場したモチーフの組み合わせのバリエーションとして発展展開していくのである。このような彼の創作姿勢を是とするか非とするか、それは個々の判断に委ねるよりない。


 さすがにもう足に来ていて身体がヘロヘロである。こうなるとホテルに直行というのが理性的な判断だと思われるのだが、なぜかこの時の私は変なスイッチが入ってしまっているようで、どうにも止まらない。このままさらに渋谷にまで移動することになる。目的は以前に一度訪問したBUNKAMURAの「ルノワール+ルノワール展」。もう既に一度行っているのだし、もうすぐ京都への巡回もあるのだからわざわざ出かける必要もないように思われるのだが、なぜか京都への巡回の前にもう一度行っておく必要がある気がしてならなかったのである。

 夜の渋谷は異常な人混み。しかし人の多さが逆に孤独感を強めるという街でもある。この渋谷の街を見るたびに、つくづく東京は病んでいると感じられ、やはりこの都市は解体すべきだという想いを強くをせざるを得なくなる。人混みに流されながら目的地に到着、この美術館の中だけは喧噪を離れた別天地になっている。以前の訪問の時は時間に追われてゆっくりすることが出来なかったので、今回は自分の気に入った絵の前で心おきなく時間をつぶす。

 8時を回った頃にはさすがに身体に限界がやってきた。極度の疲労からくるノルアドレナリンの大量分泌でナチュラルハイ状態になっていたのが、この美術館でクールダウンされた途端、立ち上がるのもつらいほどの激しい疲労と両足の痛みに襲われる羽目になってしまった。とりあえず東急の地下で夜食だけを仕入れると、後は地下鉄でヨタヨタとホテルまで帰還する。この日はフラフラと風呂に入ると、そのままダウンしてしまったのだった。

 

 翌朝、身体の芯から疲れが残っている。さすがに先日は無理をしすぎた。万歩計は25000歩を数えており、私の体力の限界を超えてしまっている。例によって、もう以前のような無理がきかなくなっていることを痛感。とは言うものの今日が最終日。まだ予定は目白押しである。まずは近場から攻略することにする。「このまま寝ていたい」と訴える身体に鞭を打って立ち上がるとホテルをチェックアウト、一端東京駅に移動してロッカーにトランクを放り込んでから上野にUターン、まずは上野での殲滅戦の最終仕上げとする。


「国宝薬師寺展」東京国立博物館で6/8まで

 

 天武天皇が藤原京に建造し、後に平城京に移されて今日に至る由緒正しき寺院が薬師寺である。現在は世界遺産にも登録されている。その薬師寺の名宝を展示したのが本展。

 展示品は決して多くはないのであるが、圧巻は国宝の月光菩薩立像と日光菩薩立像であろう。飛鳥時代の様式で作られている鋳造仏であるが、その造形は意外なほどにリアリティに富んでおり、基本的には鎌倉仏以外は守備範囲外である私の好みにも不思議に合致した。これらの仏像を間近で360度の方向から見られる機会はそうあるものでないと考えると、これは貴重なチャンスか。


 これで上野での殲滅戦は終了。続いて山手線で新宿へと移動する。新宿に到着した時には既に昼前になっていたので、とりあえずは昼食を先にする(疲れた時には燃料補給というのがセオリーである)。適当な飲食店を見つけて天丼を注文・・・しかしこれは見事な選択ミスだった。やたらにつゆの味付けが塩っ辛い上に、ごま油で揚げたと思われる天ぷらがしつこくて胸が悪くなりそう、しかも添えてある味噌汁も塩汁じゃないかと思うぐらい塩っ辛い。かなり汗をかいた私は塩分不足の状態のはずなのに、それでも身体が受け付けない。最近は食も国境がなくなってきて、ここまで東京を感じさせる食べ物はもうなくなっているのではと思っていたのだが・・・。私の「二度と行かない店リスト」にまた一軒追加されることとなった。

 それにしてもここまで見事に「東京らしい」味付けも久しぶりである。関西人が「東京の食い物はまずい」と顔をしかめる時に思い浮かべるまんまの味である。これは謂わば、東京人間が「大阪なんて」と侮蔑の表情を浮かべる時に頭の中にイメージする「通天閣を背景にやくざが闊歩し、その脇を吉本芸人が揉み手をしながら通り抜け、後ろではじゃりン子チエがホルモンを焼いている」という光景が、そのまま現実に出現したに等しいものである。こんな漫画みたいな世界が本当に現存していようとは・・・。

 あまりの塩辛さに胸が少々ムカムカしているが、そんなことにはかまっていられない。とにかく次の目的地へと急ぐ。


「モーリス・ド・ヴラマンク展」損保ジャパン東郷青児美術館で6/29まで

 

 独学で絵を学び、その荒々しい色遣いによってフォーヴ(野獣)と言われた画家の初期から晩期に至るまでの作品を並べた展覧会である。

 こうして通しで作品を見てみると、彼の画風が何度か変化していることがハッキリと分かる。彼の本領発揮と言えるのは、セザンヌの影響が現れた後にそれを脱して以降の頃。この頃からまさにフォーヴらしい明瞭な色彩が現れ始める。私自身が彼の真骨頂と感じたのは、やはり一連の雪道の描写。半分溶けかけた雪道の描写は彼の絵の具厚塗りの表現が一番マッチしている。またこの頃以降の作品には明らかに精神的風景の反映が見られ始めるようになっている。

 ヴラマンクという画家がどういう画家であるのかを把握するのには実に最適の展覧会であった言えるだろう。


 やはりもう体力にかなり限界が来ている。とりあえず渋谷に移動すると、喫茶店で一端休憩をとる。ちなみに私の遠征時における疲労度は、どれだけ喫茶店に立ち寄るかに如実に現れる。と言うのは、体力に余裕がある場合には経費の節約のためになるべく喫茶店などは避けるからである。だからここに頻繁に立ち寄るようになるとかなり危険信号。つまりこの時点で既に私には注意信号が点灯していたわけである。しかしここでの中途撤退はあり得ない・・・というか、ここまで来ると既に私を支えているのは、来たからには予定はすべて完了するという貧乏人根性だけとなっていた。身体を引きずりながら次の目的地に移動。


「モディリアーニ展」国立新美術館で6/9まで

 

 最近とみにモディリアーニの展覧会が増加しているが、そういう一連の流れの集大成と言えるような展覧会。展示作品には個人コレクションの作品が多く、その点が他の展覧会と比較した場合の独自性と貴重性につながっている。

 肖像画家とも言われるモディリアーニであるが、本展の後半部はまさに彼の肖像画のオンパレードである。いかにも「らしい」作品が並んでいるので、ファンなら堪能できるであろう。また一連の彼の肖像画の原点をなしていると言える「カリアティッド」のシリーズについても展示されているので、モディリアーニの作品の成り立ちについて興味のある者は注目すべきである。


 既に会場内で立ち続けるのが辛くなっており、途中で休憩室のソファーでしばしの休憩をとってようやく復活という状態での鑑賞となってしまった。おかげで集中力に欠けてしまって鑑賞に身が入っていない。本展は大阪への巡回もあるとのことなので、その時に再訪することにして、図録の購入も今回は見合わせた(現在は荷物を重くしたくない)。

 当初の予定では後2カ所まで計画に入っていた。しかしさすがにもう体力は限界に近い。しかも後の2カ所はいずれも駅からは微妙に遠い嫌な立地にある。私はこの段階でその内の1カ所を破棄、次を最後の予定とすることにした。


「大正から昭和へ―佐伯祐三・小出楢重・速水御舟・川端龍子」山種美術館で4/30まで

 

 まさに表題通りに彼らの作品を中心とした展覧会であるのであるが、なぜか一番目立っていたのが小林古径の作品だったりする。なお日本画が中心のこの館で佐伯祐三や小出楢重の作品を眼にするのは非常に珍しい。

 一連の展示作の中で、個人的には一番印象的だったのは川端龍子の「鳴門」。いかにも彼らしい力強い絵である。また速水御舟の「昆虫二題 粧蛾舞戯」も何やら象徴的な作品で強いインパクトを受ける。


 これでついに今回の遠征の予定は終了である。後は帰るだけ。ただ帰りの新幹線までにはまだまだ時間がある(だから体力があればもう1カ所回るつもりだったのだ)。とりあえず休養と時間つぶしのために飯田橋の紀の善に向かう。

 疲れていたので甘物をと思ったのだが、今日はお昼にあのはずれ天丼を食べただけのせいで、結構空腹であることに気づいた。そこでまずは食事からすることにする。この店では珍しい食事メニューである「とり釜めし(1155円)」を注文する。

 とり釜めし1155円也

 15分ほど待たされた後、熱々の釜めしが運ばれてくる。しかし蓋を開けた途端に私の頭を「失敗したか」という想いがよぎる。開けた釜めしは具が鶏肉とエンドウ豆だけという非常にシンプルなもの。しかも私はこのエンドウ豆というものは嫌いなのである。

 甘物屋で飯まで食おうとしたのが安直だったかと反省しながら、釜めしを口に運ぶ。しかしこの時「エッ?!」という言葉が出る。あのまずいはずのエンドウ豆がやけにうまいのである。この紀の善は餡のうまさで分かるように豆を扱うのが非常に巧みであるが、どうやらその技はこの釜めしでも遺憾なく発揮されていたようである。微妙な甘みと柔らかい食感を持つエンドウ豆が非常にうまい。これは新体験であった。どうやら私はエンドウ豆についても今まで「本物」を食べていなかったらしい。やはり旅とはいろいろと学ぶことが多い。

 釜めしを平らげると、ようやく本題の甘物の方に入る。私が注文したのは「白玉ぜんざい(787円)」。粒あんの風味がすばらしい。ようやく身体の疲れが少し癒されたような気がしてくる。

 白玉ぜんざい787円也

 帰りはN700系ののぞみのグリーン車を確保している。と言っても、旅費の節約に血道を上げている私が本来はグリーン車のようなブルジョアなものを利用するはずがない。今回は謂わば特例。と言うのは、エクスプレスカードのグリーンプロジェクトのポイントが、今回の遠征の往路でめでたく1000ポイント溜まったのである。元々はポイントの有効期限は1年で、出張族ではない私の利用頻度だとどう考えても1年で1000ポイントは不可能なところだが、今年は制度変更に伴う特例でポイント有効期限が1年半になったのである。そのおかげでギリギリのこの時期に1000ポイントがようやく溜まったという次第。

 2+2のゆったりしたシートは、身体のあちこちが痛んでいる私にはありがたいことこの上にない。また読書灯やコンセントまで装備した特殊シートと、おしぼりなどの車内サービスはエグゼクティブを感じさせる。とは言うものの、やはりサービスの対価としては料金が高すぎるし、人間、このような特別待遇を受けている内に自分自身を勘違いしてしまうのだろうなと思った次第(芸人なども、移動でグリーン車を利用できるようになる頃から自分を「大物」と勘違いし、それと共に肝心の芸の方が全く面白くなくなる輩が多い)。多分私自身はこれを利用することは二度とないだろうななんて想いが頭をよぎるのであった(またポイントでも溜まれば別だが)。人間、贅沢になれてしまうところから堕落が始まるのである。また特別扱いとは人を駄目にする麻薬である。そう言う点でも、やはり国会議員にグリーン車を利用させるべきでないとつくづく感じるのであった。一度彼らをムーンライトながらか夜行バス辺りで上京させれば、少しは国民の目線にも立てるようになるのではなかろうか。

 

アームレストのところにはコンセントが、シートの横には読書灯が装備

 テーブルも広い

 さて今回の遠征であるが、いかにも遠征らしい遠征になってしまい、その結果として帰宅後の私はヘロヘロになってしまった。もう少し後のことも考えてスケジュールを組まないとと反省することしきりだが、正直に言うと、今回のスケジュールでこんなに疲労するとは予想しておらず、自身の体力の衰えに愕然とした次第である。なおもう一つ愕然としたのは、あれだけ種々の費用をケチったにもかかわらず、後で計算してみるととんでもない出費になっていたこと。やはりとかく東京は金がかかると痛感した次第(大分絞り込んだつもりにも関わらず、結構図録の購入が多かったのが響いている)。

 

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