展覧会遠征 樽見・名古屋編
ガソリン価格が下がった。これは国民にとって最も目にみえやすい形での、先の参議院選のご利益である。今回のガソリン価格低下は確実に景気刺激となり、多くの試算でも長期的には景気指数にプラスとして働くとの結果が出ている。しかし、もとより国民生活よりも自分たちの利権を優先する政権与党は、そのプラス効果が具体的に数字となる前にガソリン価格を再び引き上げることに躍起になっており、所詮はこの恩恵は短期に終わる可能性が高いと見られている。
とは言うものの、やはりガソリンが安くなったとなれば、久しぶりに長距離走行もしてみたくなるものである。特に私の場合、この2月に車で名古屋に遠征する予定が、積雪が理由で急遽鉄道に変更になったという経緯がある。こういった個人的事情と、やはりガソリン価格低下は景気に対してプラス効果を及ぼすということを行動で示す必要があるという社会的使命から、この度の遠征が実行されることになったのである。
出発は早朝、というよりも未明と言った方が良い時間となった。これは例によって「ETC割引制度」を最大限に有効に活用するためである。ここから大阪近郊エリアに6時までに到着して、エリア内の入り口で出入りすることで、そこまでの100キロとそこからの100キロが「ETC早朝割引」で半額、さらに100キロ先で乗り降りすることで、さらにそこから100キロが「ETC通勤割引」で半額ということで、これで300キロの距離を引っ張ることが出来るのである。
高速に乗ったのは午前4時40分ぐらい、渋滞などに出くわすことでもなければ、6時までに100キロを走るのは簡単なはずである・・・のだが、このときの私は運転席で戸惑っていた。どうにも感覚が合わないのである。
そういえば、ガソリン価格が高騰してから車を使うことがほとんどなくなっていた。車による長距離遠征は去年の8月の北陸遠征以来で、その後の期間はほとんど車を動かしていないにも等しく、実際にこの間に2回ほどしか給油をしていないという状況だったのである。この長いブランクは明らかに私の運転感覚に変調をもたらしていた。高速道路の走行スピードに感覚がついていかない上に、タイヤの微妙なフィーリングがしっくり来ない。つまりは一言で表現すると「全く乗れていない」のである。
「まさか、怯えているというのか・・・この私が。」そう、正直なところを言うと、高速道路のスピードが怖く感じられるのである。
「私も地に堕ちたものだ。」自嘲的に呟くしかなかった。視力の低下が夜道での高速走行を困難にしていることと、感覚神経の低下を認めないわけにはいかなかったのである。走行しているうちにやがて感覚は徐々に回復していったが、ブランクの影響を認めないわけにはいかない。今の私には、かつてのように深夜に長野まで突っ走る気力や体力はとてもないようであった。「認めたくないものだな。年齢ゆえの衰えとは・・・。」
それでも渋滞テロリストなどに巻き込まれることもなかったおかげで、予定通りの時刻には大阪エリアに到着、大津SAで朝食を摂ることも出来た(かつての私なら、目的地まで一気に突っ走るところだが、今回は安全策をとる必要を感じさせられていた)。
大津で一息つくとそこから第一目的地の大垣ICまでの走行となる。それにしても久しぶりに高速道路を走るといろいろと神経を使う。周囲の交通状況の確認は当然だが、一番気をつけるべきは不審車両である。特に春と秋のシーズンは、公営の広域暴力団が収益強化を掲げており、善良なドライバーに因縁をつけては罰金という名目で法外な金銭を恐喝するという被害が全国で発生する。以前に私の身内もその被害に遭っており、それでなくても貧乏な私としては、それだけは御免蒙りたいところである。
もうすぐオービスがあるという地点で、私は奇妙なことに気づいた。急に道路の制限速度が80キロから50キロに下げられているのである。私は瞬時にトラップの臭いを感じ取って速度を下げる。この時は「故障車有」というのが制限速度低下の理由にあげられていたが、結局該当区間にそのような車両は影も形もなかった。これはよくある初級トラップである。何も知らずにそのエリアを「常識的な速度」で走行したドライバーは、「制限速度○キロオーバー」などと思いもよらなかった因縁をつけられ、後で法外な金額をふんだくられるという仕掛けである。彼らはノルマを達成するためには手段を選ばない。これが高速道路走行時の最大のリスクである。
最近に新名神が開通したが、その影響か名神の草津以東は以前よりもすいている。おかげで、とりあえず第一目的地の大垣ICまで無事到着することができた。大垣で降りると駅前まで走行、そこで駅北側の駐車場に車を止め、大垣駅へ向かう。今回の遠征はあくまで「車を用いた名古屋地区美術館巡り」である。しかし同時に「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会」の行事も平行して計画している。特に今回の遠征の午前中はそのスケジュールとなっている。大垣駅は岐阜における交通の要衝であり、多くの路線がここから発している。今回はその路線の中から、JR美濃赤坂線と樽見鉄道を視察する予定になっている。
JR美濃赤坂線とは正式にはJR東海道線の支線となっており、美濃赤坂線という呼び名はあくまで通称である。荒尾、美濃赤坂の二駅があるが、そもそもが石灰石輸送用の貨物路線であり、美濃赤坂より先は貨物専用の西濃鉄道となっている。到着ホームである3番ホームは、東海道線上りホームの先端を切り欠いた形になっている。私が到着した時にはちょうど列車到着時で、大量の乗客が降りて来ていた。かなり通勤需要があるようである。
到着した列車は転換クロスシートの電車(313系と言うそうな)で2量編成。単線電化路線であり、荒尾、美濃赤坂共に無人駅であるため、列車が発車するとすぐに車掌が検札にやってきて切符を回収していった。ちなみにこの電車はピストン運転されているようだが、この時間にこの方向行きの乗客はほとんどおらず、車両内の乗客は私一人に近い状態。「この時間にこの路線に、首からカメラをぶら下げて乗車している私は、間違いなく鉄道マニアだと思われているだろうな」ということが頭をよぎる。なぜか私は行く先々で「お仕事ですか?」と聞かれることが多いのだが(どうもカメラマンか記者に見えるらしい)、何をやっているかを説明するのに「全国の美術館を回るついでに、将来の地域振興策を提言するためにローカル線事情を視察しているんです」と言うのも面倒なので(下手にこう言うと、今度は「国土交通省の方ですか?」と聞かれそうだ)、「単に鉄道が好きなだけです」と鉄道マニアに擬態することも多くなってきた。何となく自ら墓穴を掘っているような気がする今日この頃。
路線は東海道線から分岐すると荒尾駅まで住宅地の中と言った趣のところを通る。なお西方には東海道線下り路線の傾斜緩和用の迂回路線が併走しており、下りの特急などはこの路線を使用するとのこと。実際に帰りには「特急しらさぎ」を目にした。学校の裏手にある荒尾駅を過ぎると、周りは工場の中という雰囲気になり、到着した美濃赤坂駅はまさに貨物駅で、線路の横の倉庫には石灰石を入れた袋が山積みされている。周辺に住宅はあるものの、乗降客は多くなく、この時も数人が乗り込んできただけ。私もとりあえず駅舎周辺をプラッと視察した後、その電車で再び折り返す。帰りの荒尾駅では大量の乗客が乗り込んできて満員になる。ここで車掌が検札に来るので私は大垣までの180円を支払う。
沿線風景 美濃赤坂駅の木造駅舎 駅構内には石灰石の袋が 全線で10分弱の路線であり、貨物線がメインであるが意外と旅客の利用も多い。とはいうものの、最悪はバスに置き換えられたとしても沿線住民の利便性が致命的に悪化するとも思いにくい。つまりは路線の命運は貨物輸送がいつまで続くかのみであり、旅客単独での存続はなさそうである。
大垣駅まで戻ってきたところで、今度は樽見鉄道のホームへと移動する。樽見鉄道は6番ホームと7番ホームにある。とりあえず駅長室でうすずみ温泉入浴券と食事券にたるみ鉄道乗車券を組み合わせたセット券(3000円)を購入する。
セット券
樽見鉄道はもともと大垣から樽見を結んでいたローカル線である樽見線を第3セクター化したものである。そもそもは沿線の住友大阪セメントの貨物輸送路線という性格が強く、第3セクター化に際しても、住友大阪セメントと西濃鉄道が中心となって出資しているという。しかし2006年にセメント輸送が打ち切られ、その後の経営には暗雲がたなびいているとのことである。なおこの沿線は桜が有名でかつては客車車両も運行されていたようだが、現在は運用コストの問題か、レールバスのワンマンカーのみが運行されているようである。それでも今でも桜シーズンになると臨時ダイヤに増発が行われている。ちなみに私が訪問したときは増発ダイヤのほぼ最後の時期であったので、残念ながら沿線の桜は既に終わっていた。
ハイモ230−314 車内はロングシート ハイモ230−313 ハイモ295−516 ハイモ230−301(手前)ハイモ295−315 ハイモ230−312 樽見鉄道では現在6両のレールバスを有し、その内の5両が運行されている(一番古い1両は予備車両)が、この時に乗車したのは「モレラ岐阜」の広告を施したハイモ230−314。ちなみに私は、大垣駅でハイモ230−313を目撃、北方真桑駅で最新鋭のハイモ295−516とすれ違い、本巣駅の車両基地で予備車両のハイモ230−301と停車中のハイモ295−315を目撃、帰りにはハイモ230−312に乗車しているので、今回の視察で結局私は全6両を目にしたことになる。なお鉄道マニアではない私はそもそも車両には大して興味は持っていないので、これはあくまで「たまたま」の結果であることは強調しておく。それにしても車両のカラーリングにここまで統一性のない鉄道会社も珍しい。
路線自体は南部の平野部と北部の山岳地帯に完全に分かれる。南部の平野部は郊外の住宅地を走る鉄道路線であるが、沿線人口はさほど多くなく、雰囲気としてはかつて乗車した北条鉄道にそっくりである。ただ乗降客はそれなりにあり、沿線最大の商業施設のあるモレラ岐阜駅では多くの乗客が乗り降りし、またその周辺での通学客もいるようである。車両基地のある本巣駅を過ぎ、セメント工場が見えてくる辺りから沿線は急激に山岳列車めいてきて、面白くなる車窓風景と反比例するかのように乗降客も激減していき、終点の樽見に到着した時には乗客は数人であった。
沿線の風景 北部は渓谷 樽見駅でシャトルバスを待つ。この樽見はうすずみ桜と呼ばれる桜の老木が有名で、桜の季節には観光客で賑わうらしい。とはいうものの、桜のシーズンが終わった今は閑散としている。やがてシャトルバスが到着、バスは私ともう一人だけ乗客を乗せて発車する。
樽見駅
10分ほどでうすずみ温泉館に到着する。周囲には道の駅などがあり、明らかに観光客を目当てに建造された施設群であることが分かる。なお車での来客は閑古鳥の鳴いていたシャトルバスよりは多いようだが、それでも決して千客万来という雰囲気ではない。
とりあえず温泉に入浴する。うすずみ温泉はナトリウム一塩化物泉(高張性弱アルカリ低温泉)とのことであるが、とにかく「濃い」という言葉がピッタリの温泉、お湯自体はヌルヌルしており、かなり塩分が強い。またナトリウム系のお湯であるからいわゆる「温まるお湯」。ただし高張性泉だけにかなり肌当たりも強く、私の場合は入浴すると同時に背中がヒリヒリとして思わず声が上がってしまった。私の遙か遠いご先祖にナメクジでもいるのか、正直なところ私には長湯するにはキツイお湯である。そのためか浴室内には温泉の内風呂と露天風呂以外に、さら湯を使用していると思われる五右衛門風呂もある。温泉で身体がきつくなると、こちらで塩分を落とすのが正解か。なお露天風呂はのどかな山の中であり、風光明媚とまではいかないものの落ち着ける。
入浴をすませると館内のレストランで昼食を摂ることにする。注文したのは「うすずみ定食(2100円)」。川魚の刺身にゼンマイなどの山菜、またアマゴの甘露煮に塩焼き、イワナの唐揚げなどといった典型的「山里の和食盛り合わせ」である。最近はすっかりこの手の和食がうれしくなってしまった私だが、味的にもまずまずでひとまず満足。もっともCP的にどうかと言えば、それほどインパクトを感じるものではない。またアマゴはなかなかうまいが、津和野で味わったコイほどの鮮烈な印象はないのが本音。
温泉と昼食を堪能したところで再び駅へのシャトルバスに乗車(今度は乗客は私だけ)、樽見駅から引き返すことにする。のどかな良いところではあるが、本質的には都会者でせっかちな私にはあまりに田舎すぎる印象。先ほどの施設には宿泊設備もあるようなので、都会暮らしに疲れた時のリフレッシュという趣の地域である。
なお樽見鉄道についてであるが、南部は周辺住民の足、北部は観光路線というように同一路線で明確に性格が分かれる(帰りの行程でも、本巣当たりまではガラガラで、それ以降が地元客で急に満員になった)。それだけに北部の需要をいかに喚起するかが鍵。うすずみ温泉という起爆剤は一応あるのだから、ここを温泉リゾートとして名古屋地域の観光客にいかに売り込むかが鍵になるだろう。この北部地域は車窓風景もかなり良いので、観光路線としての売り込みも可能であり、まだ他の第3セクター路線よりは条件は良い。ただ願わくは桜という期間がかなり限定されるものだけでなく、もっと年間を通じてアピールできる名物が欲しいところではある。
大垣駅まで戻ってきた私は、駐車場から車を出すと再び高速に乗ることになる。ここからが今回の本題の美術館訪問である。まずは小牧ICを降りたすぐのところにある美術館から。
「アーティスト20−メナード美術館の日本洋画」メナード美術館で5/6まで
設備改修のための長期休館前のコレクション大展示の第3弾。今まで洋画コレクション、日本画コレクションと続いたが、最後は日本洋画コレクションの展示である。展示作品は岡田三郎助、小出楢重、岸田劉生、佐伯祐三、小磯良平など蒼々たるメンバーの作品が揃っている。
本館のコレクションはレベルが高いことで知られているが、それは日本洋画コレクションについても言える。メンバーも豪華であるが、何より彼らの画風がよく分かる典型的な作品が多く、日本洋画を概観するにはなかなか良い内容である。
ただ私の目から見れば、日本洋画というジャンル自体が、日本画などに比べると中途半端な世界に見えてしまうのが本音で、どうしてもそのつらさはつきまとう。
なお今回の訪問で、コレクション展皆勤と言うことで記念品として日本洋画コレクションの図録をもらった。そう言えば洋画コレクションと日本画コレクションの図録は買っていたが、これだけは買っていなかったような気がする。
メナード美術館を後にすると、再び高速に乗り次の目的地に急ぐ、今回の遠征では地方視察活動に時間を費やしたので、時間的余裕が少ない。名古屋ICまで突っ走ると、そこで高速を降り、次の目的地に到着する。
「悠久のロマン 小山硬展」名都美術館で5/6まで
熊本出身の日本画家の小山硬は2才で満州に渡り、戦後に引き揚げた後に前田青邨に師事し、院展を中心に活躍した画家である。出身地の関係か、キリシタンを題材にした一連の天草シリーズで知られる。
特に技巧的ではなく、柔らかい暖かみのある作品を描く画家であるとの印象を作品から受けた。うまい絵と言うよりも、雰囲気の良い絵を描く画家である。ただ往々にして日本画における人物の描き方は定型的になりがちであり、彼の師にあたる前田青邨がそのことが顕著に現れる画家の一人であるが、彼の人物描写は師以上にパターン的であり(極論すれば、人物の顔がすべて同じに見える)、個人的には人物画にはあまり魅力を感じなかったのが本音。それよりはより自由に描いているように感じられる動物画の方にこそ、彼の本領が発揮されているように私には感じられたのであるが。
さて次の目的地だが、当初の予定よりもスケジュールが遅れ気味になっていたことから、プラン2を発動させることにする。ここから一気に名古屋中心に移動である。目的地は名古屋市美術館。しかし名古屋市内は車で走行するには困難なところで、しばし右往左往することになって時間をロスする。この名古屋市美術館は、地下鉄で行くにしても車で行くにしても、どちらでも行きにくいという嫌な場所にある。ようやく公園の駐車場に車を止めると(しかもこの駐車場、一台当たりの区画が異様に狭く、ドアを開けるのに苦労するような状態)、美術館へと急ぐ。
「アメデオ・モディリアーニ展」名古屋市美術館で6/1まで
エコール・ド・パリを代表する画家の一人であるモディリアーニの作品を各美術館から集めて一堂に展示した展覧会である。彼の初期の頃の作品から、晩年の作品までが展示されており、特に人物画でよく知られる彼の神髄をうかがうことが出来る。なお当然ではあるが、同館が所蔵する「おさげ髪の少女」も展示されている。
モディリアーニという画家の特徴を把握できる展覧会。もっとも彼の作品は好き嫌いがかなり分かれるので難しいところかも。展示作品のレベルは高いので、モディリアーニファンならかなり楽しめる。また彼が肖像画を描いている人物の写真なども展示されているので、「モデルにはあまり似ていない」と言われるモディリアーニの肖像画の似てなさぶりを確認することも出来る(笑)。
これで本日の予定は終了。ところで樽見では見渡す限り杉ばかりの状態の中で花粉症の症状が全く出なかったのに、名古屋中心部に来た途端に激しい花粉症でくしゃみばかり出る状態になってしまった。やはり花粉症の原因は実は花粉ではないということを実感した次第。花粉症と言いつつ、その実は花粉に付着した排ガス等の有害物質が原因であるという説に信憑性を感じる。
帰路は四日市方面に下り、新名神を通って帰宅することとした。新名神はさすがに建設間もない道路らしく路面は非常に綺麗なのだが、まだ工事が完全な形で終了していないのか、片側3車線の箇所と2車線の箇所が混在していた。なお非常に深い山の中をトンネルと橋で直線に貫いている道路であり、気が付けば速度が出すぎているという危険がある。また橋の上はまさに吹きさらしなので、横風には注意が必要。この日はかなり風の強い日だったので、橋の上に来るたびに私のカローラ2でもかなり煽られた。これがRVなどの断面積の大きい車なら、かなりハンドルを取られることになるだろう。
無事に自宅に帰り着いたのは夜であった。なお久しぶりの車での遠征であるが、帰宅後に所要経費を計算したところ、予定よりをかなりオーバーしており愕然とする羽目になってしまった。やはりガソリンが少々下がったところで、車での遠征は割引切符を使用した遠征に比べると格段に経費が掛かることを痛感するしかなかった。車での遠征は国の財政にはにとっては利益であっても、私個人の財政にはダメージが大きすぎると判断せざるを得ないようである・・・。
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