展覧会遠征 滋賀・京都・大阪編

 

 ここのところどうも「鉄分の高い」遠征が増加していた。しかしそもそも私は鉄道マニアではない。このままでは道を誤ってしまいそうである。と言うわけで、今回は原点に戻って展覧会中心の遠征へと立ち返ることにした。

 まずは通い慣れたる滋賀県立近代美術館から。新快速で京都に到着すると、ここで普通列車に乗り換えて瀬田へ。ここからバスで到着である。


「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」滋賀県立美術館で3/30まで

 

 ヴォーリズは熱心なキリスト教徒で、明治時代に八幡商業高等学校に英語教師として来日したが、英語教育だけでなく布教活動にも力を入れすぎたのが問題となり、解任されることになったという。その後も彼は日本にとどまり、建築事務所などに勤めて、神戸女学院や関西学院などの多くの建物を手がけた。それらの建造物は今日高く評価されている。そのヴォーリズの作品などを概観するのが本展。

 出展作品は神戸女学院や関西学院の模型から、彼が手がけた山荘の実物大再現模型などもある。彼の建築について共通するのは、簡素かつオーソドックスな洋風建築であるが、どことなく落ち着く雰囲気があり、日本の風土にマッチしやすいと感じられることである。この辺りは彼のキリスト教徒的価値観が濃厚に反映しているという。

 なお展示物には、町長が異常なまでに解体に固執したことで話題となった(多分町長が建設業者と癒着していたのだろうが)、豊郷小学校も含まれていた。あの建物を手がけたのもヴォーリズとのこと。解体していたら豊郷町は世界的に恥をさらすところだった。


 瀬田駅に戻ってくると次は京都への移動であるが、ここで通常ならJRを利用するところだが、どうもそれでは平凡すぎて面白くない。今回は若干趣を変えることにする。

 と言うわけで今回利用したのは京阪石山坂本線。実はこの路線は私は今まで乗ったことのない路線である。まず京阪石山駅へ。ホームに降りると正直「狭い」という気がする。京阪のこの路線は2両編成のため、ホームもそれに合わせた全長しかないのである。JRのローカル線の、やけに長いホームを単両編成の列車が通り抜けるという光景に慣れてしまっていた私の目には、このホームの短さは異様に映る。

 京阪石山駅はJR石山駅のすぐ隣です

 やがて列車が到着、2両編成のロングシート車である。しかし何となく車両幅が狭く見える。京阪電鉄はJRのような狭軌ではなく、標準軌だと聞いていたのだが、車両自体はなんとなく路面電車の雰囲気さえ感じさせるところがある。

  

車両は新しいんですが          内部はロングシート、何となく窮屈

 列車は住宅街の間を縫って走る。まさに「縫って」というイメージそのままで、やけに急なカーブなどが多々あるので、走行速度が異様に遅い(カーブで30キロぐらいか?)。しかも専用軌道を通っていると言っても、その専用軌道幅がやけに狭く圧迫感もある。都会の列車のせいか、どうも狭苦しさを感じてしまうのである。そう言えば京阪については以前に本線に乗った時にも妙な狭苦しさを感じた。この理由はいったい何なんだろう?

 膳所を過ぎた頃からは線路も直線的になってきて、ようやくスピードが上がる。やがて浜大津に到着、ここで京津線に乗り換えになる。この京津線には以前に乗車したことがあるが、地下鉄に直行している路線である。とは言うものの、浜大津から出るといきなり信号待ち。ここからしばらくの間は路面電車になってしまうのである。いくらそんなに大きな車両ではないと言っても、やはり路面電車とは比較にならないほど巨大な車両(4両編成)が路面を走るというのだから、これは少々異様な光景。かなり無理をしているという気がする。やがて路面をはずれると専用軌道に入るが、ここがまたとんでもなく狭い。何しろ上栄町駅などでは、ホームを向かい側に造れないぐらい幅が狭いから、西行きと東行きでホームがずれているというぐらい。しかもこの辺りはカーブは多いし、登り勾配は結構あるしと、とにかくスピードが出ない。

  

京津線車両(このまま地下鉄に乗り入れする)         いきなりの路面区間      

 専用軌道に入ってもカーブがきつい

 ようやくスピードが出るようになるのは、山科駅が近づいた頃。そして山科駅を過ぎるとすぐに地下に潜ってそのまま地下鉄に乗り入れである。

 こうして京阪に乗車した感想としては、やはり「遅い」というのが一番。路線の条件が悪すぎるので、高速化の余地が全くない。それがやはり何となく路面電車めいて感じられてしまう一因のようである。車両は新しいのだが、路線設備が古いので、なんとなくレトロな空気が流れてしまうのである。これは現代のような高速化時代のニーズとは何ともずれているような気がしてならない。とは言うものの、この路線に近代化のための資本投入は到底不可能だと思われるし・・・。

 東山に到着するとそこで下車、次の目的地に向かう。


「ドイツ・ポスター 1890−1933」京都国立近代美術館で3/30まで

 

 19世紀末頃より、欧米においてはフランスを中心としてポスター芸術が最先端のアート表現として確立してきた。同様の流れはドイツでも起こっており、モダンアートとしてのポスター芸術がこの時期に花咲いている。そのようなドイツポスターを扱ったのが本展である。

 ドイツポスターの特徴としては、ある時代から文字を絵画と融合させた表現が頻出してきていること。全体的な印象としては、フランスのポスターほど洒落っ気がなく、やや堅苦しい印象もある。そして第一次大戦などの時勢がもろに影を落とす。戦後にはプロパガンダポスターという無粋の極みのようなポスターが増加するが、やがては文化の爛熟を思わせるデザイン的なポスターが増加していく。

 ポスターを通してドイツのモダンアートの流れを実感できる展覧会である。


 美術館を出た頃にはそろそろ昼食時になっていた。今日の昼食は以前から気になっていた「そば処桝富」でとることにした。店構えから何となくうまいそばを食べられるような予感を抱いていたのであるが、今まで何度もその前を通過していた店である。

 趣のある外観

 店内に入るとかなり狭い。既に先客もおりしばし待たされる。10分程度待たされた後、ようやく席につける。私が注文したのはにしんそば定食の大盛り(1300円)。

 そばを口に含むと結構弾力がある。しかし温そばであるということを割り引いて考えても、あまりそばらしい感触がなくどうも精彩に欠ける。またご飯にも干からびたような硬い部分が含まれており(ジャーなどに長時間保温していたら、外回りがこのような状態になるが)、あまりに感心しない。正直「これは私の読みが外れたか・・・」と落胆する。そこでメニューをひっくり返してみると、どうやらこの店のそばは二種類あることが判明する。私が注文したにしんそばは、京打ちそばというそばで、一部自家製粉のそば粉6に小麦を4、さらにつなぎとしてつくね芋を加えて機械打ちした弾力の強いそばと解説している。これに対して石臼による自家製粉のそば粉9に小麦1の手打ちのそばもあるという。つまりはそばにも上と下があったというわけである。

 そこで私は続けてこの手打ちそばによるざるそば(750円)を注文する。店が混雑しているせいで製造が間に合っていないらしく、20分ほど待たされた後にようやくそばが到着する。

 薬味のわさびをそばにつけてひとすすり、独特の強めの歯ごたえと共に、鼻につんと抜けるようなそばの香りが立つ。ここで思わず大きくうなずく。そう、これなのである。つまり分かったことは、私がこの店に感じた「うまいそばが食べられそう」という予感は間違ってはいなかったのであるが、最初に注文したメニューが間違っていたということである。そういえば、「京都でうまいものを食べたいと思ったときは、金をケチってはいけない」ということを以前に誰かから聞いたような気もする。やはり上下があった時には上を選ぶべきが京都流なのか。

 なおこのざるそばには、わさび以外に辛味大根も薬味として添えられていたが、こちらを使った場合もわさびとはまた異なる清清しさで美味であった。

 そばを腹にたたき込んだところで次の目的地に地下鉄で移動する。


「乾山の芸術と光琳」京都文化博物館で4/13まで

 

 江戸中期に乾山流といわれる陶芸の流派を確立した尾形乾山は、琳派を代表する画家である尾形光琳の弟である(ちなみに琳派の名は尾形光琳に由来するのだが、琳派の創始者自体は俵屋宗達である)。その尾形乾山が開いた窯の発掘調査が近年になって行われたとのことであり、そこから乾山の芸術の神髄が明らかとなってきた。その乾山について紹介した展覧会。

 琳派といえば絢爛豪華な装飾的画風で知られるが、実は乾山の陶器も同様の傾向がある。その着色は極めて鮮やかで、また文様については多分に装飾化されている。実際、乾山の陶器に対して光琳が絵付けをしたコラボレーション作品なども多数展示されており、この兄弟が芸術的にも交流していたらしきことは明らかである。

 陶器は完全に専門外の私であるが、本展展示作には非常に興味を惹かれる作品が多々あった。琳派の作風を思い出しながら作品を見ていけば、さらに興味が増す。江戸中期の富裕層の嗜好というのが良く伺える。


 これで京都での予定は終了である。続いて大阪にとんぼ返りする。こういう時の移動はやはり新快速が一番速い。


「エミリー・ウングワレー展」国立国際美術館で4/13まで

 

 エミリー・ウングワレーはオーストラリアの先住民であるアポリジニの芸術家である。彼女はその芸術的原点を、オーストラリアの赤い大地とアポリジニの固有の文化においての創作活動を続けている。

 モダンアートの流れの一つにプリミティブアートがあるが、彼女の作品は明らかにその流れである。巨大なキャンバスの一面に線を引いただけの作品、極彩色の点を多数打っただけの作品などが中心であるが、その色遣いなどは明らかにアポリジニ文化に見られるボディペイントなどが根元となっていると思われる。彼女の場合、その色彩その他は明らかに自身の文化的背景に根ざしているので、いわゆる欧米の模倣者などと違い、色彩の一つ一つに必然性が感じられるということが、類似の作品とは微妙に違う印象を受けた点である。


 最後は大阪湾岸の埋め立て地のはずれである。いつものことだが、ここはどうも遠くていけない。


「マリー・ローランサン展」サントリーミュージアムで5/11まで

 

 ローランサンはいわゆるエコール・ド・パリの一人であるが、誰とも違う独自の画風の作品で知られる女流画家である。彼女は突然変異的に現れ、結局は誰も追従者は存在しないという孤高の存在に今日ではなっている。その彼女の作品を初期から最晩期に至るまで概観する展覧会。

 彼女も初期はピカソのキュビズムなどの影響が顕著に現れている時期があるのだが、それが次第にあの独特の白い肌の人物像へと収斂していっている。彼女自身がその画風を確立した後は、一見ではほとんど同じような作品に見えるのだが、実際には微妙な色彩などが年代により異なっており、それは恋愛、別れ、結婚、亡命など波乱に満ちた生涯を送った彼女の心理状態と密接にリンクしているようである。

 本展では年代ごとに、その時の彼女の私生活における状態と、その時期の作品とを対照できるようになっているので、その辺りの微妙な変遷が非常に理解しやすい。正直、私はローランサンに対しては「ワンパターンの面白くない画家」という良くない印象を持っていたのだが、本展によって認識を新たにすることが出来た。ローランサンに対してよほどの嫌悪を感じていなければ、本展は訪れる価値が十分にある


 以上で今回の予定は終了である。今回は展覧会が中心の久々に私らしい遠征となったようである。

 なお今回の遠征中にトラブルが発生した。kissデジがエラー99を表示してシャッターがおりなくなったのである。電源を落としてリセットするとシャッターを切れることがあるのだが、やはりすぐにエラー99が表示され、3回に1回ぐらいしかまともにシャッターを切れなくなってしまった。遠征中は私はニコンのコンパクトデジカメも持参しているので事なきを得たが、これは非常に困ったことになってしまった。

 帰宅後ネットで調査したところによると、エラー99というのはレンズにトラブルが発生した時のエラー表示だという。どうやら私が使用している標準レンズに何らかのトラブルが発生した模様である。どうも最近、オートフォーカスの動作が不安定に感じていたのだが、恐らくモーター系にトラブルが生じたと思われる。レンズを修理に出さないといけないのだが、今から修理に出していたのでは次の遠征に間に合わない。しかも次の遠征はかなりカメラの活躍する場が多いことが予想されている。

 というわけで、急遽アマゾンでレンズを購入する羽目になってしまった(貧乏な私ですから、キャノン純正など当然買えるわけもなく、シグマの製品です)。これは非常に手痛い出費である。

 

 

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