展覧会遠征 名古屋編

 

 資金の節約が課題となっている私の遠征では、やはり名古屋や広島といった中距離地域攻略は青春18切符シーズンに合わせることになる。しかし展覧会を回るという目的がある以上、こちらはそのつもりでもむこうのスケジュールがそれに合わないとういうこともどうしても起こりがちである。そういう時は移動の手段の選択が何とも悩ましくなるのである。今回、冬の青春18シーズンが終了し、春の青春18シーズンはまだというこの中途半端な時期に、名古屋に遠征する都合が生じてしまったわけである。

 交通手段に悩んだが、結局は車を使用することにした。もとより青春18切符に頼れないこの時期は、どうやっても高くつく手段しか選択できない。となると現地での利便性を考えるとやはり車に優位性がある。今回の基本計画はこの線に沿って計画された。しかし・・・突然にそれは全面変更を余儀なくされた。

 この時期の車での遠征につきまとうのが積雪リスクである。そもそも雪など降ることのない瀬戸内沿岸に居住している私は、タイヤチェーンなど持ってるはずもなく、もし雪が降った場合は「車に乗らない」という選択肢しかないのである(そんなことは年に1回あるかないかである)。しかし今回の遠征の2日前、テレビの天気予報を目にした私は画面の前で凍り付いていた。まさに遠征日当日の天気図、近畿から東海地域にかけてでっかい雪だるまが居座っているのである。もし遠征先で雪にでも出くわそうものなら、帰るどころか身動きも出来なくなる可能性が高い。結局急遽予定を全面変更することとなった。

 とは言うものの突然の計画全面変更となると、緻密なスケジュールなど立てることが不可能である。結果としては計画の不備を金銭で補う形とならざるを得ず、一番避けたかった新幹線を使用することになってしまった。そもそも車を使用することにしていた段階で、今回の遠征の出費はかなり大きなものになることが予想されていたが、これでさらに出費が拡大することになってしまった。これは財政的に大きな痛手である。

 当日は早朝に出発、米原までは新幹線で移動、ここから在来線に乗り換えてまずは大垣までである。降り立った米原駅は雪はまだ降っていなかったが風が肌を刺すように冷たく、確かにいつ雪が降り出すか分からないような気配がある。ここでしばし快速電車を待つ。私の米原駅のイメージというと、青春18シーズンの「スーパー席取り大戦」の騒然とした記憶しかないが、現在のようなシーズンオフだとあの騒ぎが嘘のように閑散としている(時間のせいもあるかも知れないが)。何となく「青春18あっての米原」というような気もする次第。

 米原駅はひっそりしている

 到着した快速電車は2ドアでクロスシートの何となく古色蒼然とした列車。このタイプの列車は、乗り降りの時に車内温度が低下しにくいメリットはあるが、明らかに大量の乗り降りには対応していない車両。このようなタイプが運行している時点で、この便の乗客数が何となく想像できる。窓の外は散々見慣れた山間風景。名神高速が目にはいるが、当然のことながらまだ雪も降っていない現在はスムーズに流れている。「こっちに乗ったのが吉と出るか、あっちを行った方が良かったか。」そんな思いが頭をよぎる。

  

   快速車両               内部は転換クロスシート

 

 30分ほどで大垣に到着。今までここは何度も通過しながら一度も降りたことがない。大垣駅はこの辺りの拠点駅の一つであり、ここからは養老鉄道、樽見鉄道、そしてJR美濃赤坂線(正式には東海道線の一部)などの路線が出ている。鉄道マニアではないが、「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」の私としては、これらの路線はいずれ「視察」しておく必要がありそうだが、とりあえず今回はその時間的余裕がないので先を急ぐことにする。

  

    JR大垣駅               隣は養老鉄道大垣駅

 

 まだほとんどの店が閉じている商店街を徒歩で移動しながら、まずは大垣城に向かうのだが、どうも城らしいものが全く見えない。首をひねりながら辺りを探していると、商店街の合間の路地の奥に、目的地はひっそりとたたずんでいた。

 商店街の奥に城が

 あの関ヶ原の合戦においては、大垣城の攻防というのは実は重要な位置を占めている。そもそも関ヶ原の合戦においての初戦はこの大垣城の攻防戦から始まっており、ここが西軍の拠点として勝敗の要になると見られていたという。しかしその後に西軍が関ヶ原に転進し、関ヶ原が天下分け目の戦場となっている(これについては、当初よりの石田三成の戦略通りであるとか、家康が野戦に持ち込めるように誘導したなど諸説あるが)。そのように歴史上には非常に重要な地位を占めている大垣城なのであるが、そもそもが川の流れを利用した堀が守備の要である地味な平城で、その遺構は今日ではほとんど市街化してしまって残っていない上、かつては国宝に指定されたという天守閣も先の愚かな大戦のせいで焼け落ちて、今日では鉄筋コンクリートによる復元天守が残るのみとなると寂しいとしかいいようがない。残念ながら歴史マニアの私を堪能させるにやや不十分であった。

 大垣城の見学を手早く終わらせると、そこから次の目的地まで移動する。目的地は商店街のアーケードの中にあるので、美術館というよりも銀行のように見える(と思って調べてみたら、やはり元銀行だったようです)。


「俯瞰と対称 守屋多々志の演出」大垣市守屋多々志美術館で3/2まで

 守屋多々志とは大垣出身の日本画家で、昭和から平成にかけて日本美術院で活躍した画家であるとか。時代的に現代日本画に当たる世代であるが、いわゆる抽象には走らずあくまで具象の世界にとどまっていた画家であるようである。

 いかにも伝統的な手法に基づいた日本画らしい日本画から、油絵のごとくに絵の具を厚塗りした洋風の絵画まで画風がかなり幅広い。日本画的な作品は歴史画が多く、いわゆる歴史上のドラマを再現した絵画。私が以前に岐阜県美術館で見た前田青邨や、安田靫彦などがよく描いていたようなタイプの作品である。ただこのタイプの絵画はかなり定型性が強いので、あまり彼の個性が出ているように思えない。

 どちらかと言えばより面白かったのは洋風日本画の方。全体的に幻想性が強く正面に出ているが、同様の傾向は歴史画の方にも垣間見られていたので、これが彼の本来の持ち味ではなかろうかと私には感じられた。だからその持ち味がよく生きている洋風日本画の方が私には好ましく思われたのだろう。


 美術館の見学を終わらせるとバスで駅まで戻り、次の目的地に向かう。次の目的地は小牧のメナード美術館である。実はメナード美術館は今年のGW明けから来年の春まで改装による長期の休館に入る予定で、その前にコレクションを西洋絵画、日本画、日本洋画の3ジャンルに分けて公開している。前回の名古屋訪問ではこの西洋絵画の回を鑑賞したわけであるが、現在は日本画を公開中である。実はこれに行くためにこの時期に名古屋を訪問しないといけなくなったわけで、いわばここが今回の遠征の主目的地である。

 小牧までのルートは前回の名古屋遠征のルートを逆に辿ることになる。まず岐阜までをJRで移動、そこから名鉄の各務原線/犬山線で犬山まで移動、そこから小牧線に乗り換えることになる。

 岐阜から犬山行きの普通列車に乗り込む。この車両は4両編成ロングシートの典型的な私鉄型車両。この路線は犬山の手前まで(要は各務原線区間)がJR高山線と平行して走行しているのだが、近いところでは本当に数十メートル先にJRの線路が見えている。神戸出身の私は、山陽電鉄とJRの平行区間などを連想するが、市街地が山沿いで細長い神戸と違い、岐阜のような平地の多いところでなぜこんな経路になるのかは謎である。なおJR高山線は非電化と聞いているが、こちらは電化されており運行本数も多いようである。ちなみにJR高山線も私がまだ乗車したことのない路線であり、一応は将来の「視察」予定リストの中には入っている。

  

犬山行き普通             内部はロングシート

 岐阜から発車してしばらくした頃から雪が降り始め、犬山に到着した頃にはかなり本格的な降りになっていた。この時に天気予報を信じて車の使用を断念したことが正解だったと思い知る。もし車で来ていたら今頃青ざめているところだろう。

 犬山で乗り換え。ここの路線の車両は4両編成でロングシートと転換クロスシートが入り交じった変則型。またここから小牧までの間は単線である。もうこの頃になると雪が本降りになっていて風が刺すように冷たい。今日は携帯懐炉を3つも上着の裏に貼り付けているのだが、それでも寒さが身に染みる。私ももう年なのか?

  

 平安通行き普通           内部はセミクロスシート

 小牧の手前まで来ると右手に高架が見えてくる。以前にここを通った時にはこの高架が何なのか私は知らなかったのだが、その後の調査の結果、これはピーチライナーと呼ばれた新交通システムの廃墟らしいことが判明した。この路線は東部に開拓された新興住宅地桃花台と小牧を結ぶ路線として建設されたが、利用が伸びずに赤字が続き、2006年にとうとう廃止されてバスに置き換わってしまったとか。残った高架は利用価値がないものの解体にも莫大な費用がかかるということでお荷物になってしまっているとか。

 地方における鉄道の衰退は、沿線人口の減少による利用の減少→収益悪化のために運行本数を減少→利便性の低下が嫌われて沿線住民の自家用車シフト→さらなる利用減少による収益悪化→廃止が検討される、という図式になるのが一般的である。それに対してこの路線の場合は、そもそも該当地域のモータリゼーション化が既に進行していたのに、それを考慮に入れずに甘い見通しで建設した結果、予想通り(建設主体者にとっては予想に反して)利用が全く伸びずに廃線になったという図式らしい。また当時は小牧線の上飯田−平安通間が開通しておらず、小牧線の名古屋中心地へのアクセス性が悪いことも敬遠された理由の一つである。さらに車両が独自仕様であったことも維持整備コストを押し上げる要因となっていたとか。何にせよ、様々な「甘い見通し」のツケが破綻につながったというよくある悲劇である。

 ちなみにこの全く同じ状況が発生しているのが、名都美術館訪問の度に利用しているリニモ。愛知万博に合わせて建設されたが、万博終了後には閑古鳥が鳴いており巨額の赤字が続いている状態とか。またリニアモーターカーは万博の呼び物としてなら良いが、恒久的に運営する鉄道路線としては特注車両のための維持費用の高さがネックとなっているとのことで、すでに存廃問題がくすぶっているという。都市近郊路線のあり方について考えさせる事例である。

 などと「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としての活動を行っているうちに小牧に到着。しかしこの頃には既に地面に積雪が始まっている。ここからはバスで移動することにする。


「メナード美術館の日本画」メナード美術館で2/24まで

 

 メナード美術館が所蔵する日本画コレクションを展示。速水御舟、村上華岳、上村松園、安田靫彦、村上華岳、平山郁夫など展示作は多彩。

 ただ私の趣味的にはやはり東山魁夷が一番印象に残る。特に「雲立つ嶺」のもやの表現はいかにも彼らしいところで魅力的。これ以外では印象に残ったのは、加山又造の「雪ノ道」。木の枝のシャープな表現がいかにも彼らしくて非常に面白かった。


 この後は名古屋に移動なのだが、美術館から表に出た私は絶句する。既に一面の銀世界となってしまっている状態。何かとんでもないことが起こっている。まだ辛うじて路面は見えているが、それも時間の問題といったところ。この雪のせいか、駅に戻るバスがいつまでたってもやってこない。雪の中で散々待たされた挙げ句にようやくバスが到着、駅へと移動する。

 美術館を出るとそこは銀世界

 小牧から名古屋方面に向けて移動。上飯田で一端下車し、土日限定地下鉄乗り放題の「土日エコ切符」を購入してから再び地下鉄で伏見に移動。しかし表に出た時点で再び唖然とする。既に歩道にも数センチの雪が積もっている状態。一体ここはどこの雪国だ。

 地下鉄の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった

 とにかく足下に注意しながら歩くことにする。まさかこんなところで、先日NHKの「おはよう日本」で紹介していた雪道での歩き方(歩幅を小さくして、足は真上から雪を踏みしめるように歩く)の情報が役に立つとは思わなかった。私はただ単にあの番組は、贔屓にしている首藤奈知子アナ(NHKの歴代アナの中でも、彼女のかわいさはピカイチでしょう)を見るためにつけていただけなんだが・・・。

 次の目的地は名古屋市美術館。しかしこのような悪条件の日になると、この美術館の「地下鉄のどの駅からも微妙に遠い」という立地が恨めしい。私は運動靴を普段履きにしているのでまだ歩けるが、降りしきる雪の中で革靴の男性やヒールの女性は大苦戦していた。既に移動を諦めて、ビルの軒先で雪が落ち着くのを待っている男性もいたが、生憎と見上げた空にはまだ当分雪がやむ気配は見えなかった。中には傘を持っていないのか、この雪の中を無謀にも駆け抜けようとした女性がいたが、やはりというか無惨にもビルの前で派手に転倒。幸いけがをした様子はなかったようであるが・・・。

 既に時刻はとっくに昼過ぎ。寒さも増しているし腹も減ってきた。次の目的地に行く前にここで昼食にすることにする。私は今まで名古屋で「ひつまぶし」「名古屋コーチン」など名古屋の名物に注目してきたのだが、ここまできたらもう一つ押さえておく必要があるメニューとしては、やはり「味噌煮込みうどん」であろう。と言うわけでこの付近で有名な「山本屋本店栄白川店」を訪れることにする。

 注文したのは「名古屋コーチン入り味噌煮込みうどん(ご飯付き)」2047円。注文すると麺と玉子の煮具合を聞かれるが、それは「普通」にしておく。すぐに熱いお茶と鉢に盛った漬け物が出され、それを食べながらしばらく待つことになる。比較的広い店内であるが、昼食時間を若干過ぎているにもかかわらず客は多く、人気があるようである。なお漬け物についてであるが、私の好みから言えばやや漬けが浅すぎる。

 しばらく後に、土鍋に入った熱々のうどんがグツグツと言いながら運ばれてくる。とりあえずうどんを数本口に運ぶがここで驚き。とにかくうどんが硬い。これは讃岐うどんのいわゆるコシが強いとはまた感覚が違う。硬いとしか表現しようがない。これが最初にうどんの煮具合を聞かれた理由だったのか。この硬さは柔らかめのうどんが多い関西の人間には違和感が強そうである。ただ私の場合は関西人にもかかわらず、元々から麺類は硬めを好む人間なので、全く不快感がないどころかむしろ好ましい。恐らくかなり煮込むこのタイプのうどんの場合、このぐらいの硬さがないとクタクタになってしまうのだろう。それにしても先日の京うどんとはまさに対極である。同じ日本でもここまで食文化が違うとは。京を支配した信長が、京の料理人の料理をまずいと首をはねようとしたという話があるが、それも分かるような気がする。ちなみに命の危機に瀕したその料理人は、もう一度チャンスをもらって、今度は「田舎者向けの泥臭くてどぎつい味付け」の料理を作って信長に気に入られたそうだが。

  

  味噌煮込みうどん+ご飯        ちゃんとコーチンも入っています

 で、京貴族のような高雅な舌も、信長ほど田舎者で泥臭い舌も持っていない私としては、このうどんの名古屋コーチンのダシが十分に出た汁は絶品。確かに濃い味であるのだが、想像していたほどにはしょっぱいわけではない。またご飯が付いてくる理由も納得。硬めのうどんを食べ終わった後、味噌で煮込んだ具のコーチンを食べていると、ご飯がよく進むのである。このメニューはいわゆる「鍋焼きうどん」として考えるのではなく、鍋物+うどんと考えた方が正解のようである。うどんで2000円というのは少々高いと感じたのであるが、こう解釈すると妥当なところなのかも知れない。 

 味噌煮込みうどんを腹にたたき込んだことで先ほどまでの寒さは駆逐された。後は雪原の中を足下に注意しながら美術館まで移動である。しかしここで思わぬ難関が。美術館の周辺がタイル張りになっていて、この上がまるでスケートリンク状態。向こうから来る人が全員かなり危なっかしい足つきでヨタヨタと歩いている。係員らしき2人が必死でトンボで通り道を作っているのだが、上から次々と雪が降っている状態では焼け石に水というか、むしろ中途半端に雪をのけることでかえって滑りやすくなっているという最悪の状態。ここの建物を設計した責任者は、まさか名古屋で積雪する事態は想定していなかったのだろう。

 足下が滑って大変


「北斎展」名古屋市美術館で3/23まで

 

 江戸時代、オランダ領事館の総領事(カピタン)は、日本の風俗を伝えるための風俗画の制作を江戸の絵師に依頼していたらしく、そのうちの何点かがシーボルトによってオランダに持ち帰られて保存されていたという。それらの肉筆画は複数の絵師によって制作されているが、画風に明らかに北斎の特長が見られており、北斎及びその弟子達によって描かれていたことが確認されているという。これらの珍しい肉筆画を始めとして、北斎漫画などの北斎の作品を展示した展覧会である。

 冒頭に展示されている北斎による肉筆画はかなり興味深い。よく見る浮世絵版画のタッチと全く異なり、最初から西洋画のタッチを意識した作品であるようである。北斎自身がかなり西洋画に興味を持っており、遠近法などを研究していた節があるようで、それが反映されていると思われる。特に印象に残ったのは、北斎による江戸の商家と武家の夫妻の肖像画。これが明らかに浮世絵とは異なるタッチで、むしろルネサンス期のヨーロッパの肖像画のように見えるのである。私が以前に長野の北斎館で見た晩年の北斎の肉筆画の凄みは、こういう西洋画の研究も反映したものだろうと改めて納得した次第。

 これ以外で興味深かったのは、北斎による挿絵作品。彼はいわゆる講談本の挿絵も手がけていたのであるが、これが明らかに現代のコミック調で、吹き出しと効果音を加えればそのまま劇画漫画になるのでは思われるような内容。何やら今日の日本で漫画文化が全盛となっている元はこんな頃から存在していたのではと感じた次第。

 いずれにしろ、一筋縄では把握できないほど奥の深い画家だと思っていた北斎の、さらに新たな一面に触れたように思われた展覧会である。実に収穫が多い。


 常に思うことだが、やはり浮世絵展の類は観客が多いようである。本展もこの悪天候にかかわらず、結構多くの観客がやって来ていた。もっとも今日が本展の初日であるという分は割り引いて考える必要があるかも知れないが。

 美術館を出た頃には積雪はさらにひどくなっており、道路は大混雑して大変なことになっていた(どうやら高速が通行止めになっていたらしい)。既にノーマルタイヤの車は走行に苦労している状態。つくづく車で来ないで正解だったと噛みしめる。再び地下鉄の伏見駅まで戻ると金山まで移動する。しかし地上の混乱を反映してか地下鉄が異常な混雑であり、東山線の名古屋方面行きでは積み残しが出ているような状況。今日は土日エコ切符が飛ぶように売れたのではないかなどと推測する。押し合いへし合いをしながら金山に着いた頃には、ようやく雪がやんでいた。

 道路は大混乱


「ボストン美術館浮世絵名品展」名古屋ボストン美術館で4/6まで

 

 ボストン美術館が所蔵する浮世絵コレクションを展示した展覧会。錦絵の創始者・鈴木春信の作品や、鳥居清長、歌麿、写楽、北斎など代表的浮世絵作家の作品が展示されているが、いずれの作品もかなり保存状態の良いものが多いのが特徴である。刷りの面でも初期版などの貴重なものが多い。

 作品的にはどこかで見たことがあるようなものが多いが、いずれも状態が良好なので特に絵師の意図するところが理解しやすい。歌川広重の作品などは、初期版のみに見られるという明確なグラデーションなどのおかげで、本来彼の意図が明らかとなり、改めてなるほどと納得させられるなどということもあった。浮世絵の初心者が、全体の流れや歴史を把握するためには最適な展覧会であるが、上級者にとっても十二分に楽しめる内容であると思われる。


 美術館を出た時には夕方になっていた。予定ではもう一カ所回るつもりであるが、その前に一端名古屋駅に移動することにする。と言うのも、この降雪では新幹線のダイヤが乱れていることは間違いなく、帰りの足が心配だったからである。もし1時間以上の遅れでも発生していたら、帰りの方法について考える必要があるし、場合によっては急遽名古屋泊なんて事態になることもないとは言えない。

 とりあえず名古屋までJRで移動するが、この時点でJRの在来線は1時間の遅れ。既にダイヤが機能していない状況であった。嫌な予感が頭をよぎる。名古屋駅に到着すると、まずは新幹線乗り場に行って運行状況の確認。到着便の時間を見れば軒並み5〜10分の遅れの表示。現在、豊橋−新大阪間で速度規制がかかっているということ。つまり新大阪到着時にはさらに遅れが広がるということのようだ。ただ、既に現在では雪はやんでいる地域が増えていると推測されることから、これ以上遅れが拡大するとは思えない。帰宅を慌てる必要がないと判断した私は、予定をそのまま続行することにする。

 次は「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としての活動である。名古屋にはリニモともう一つ赤字を膨らませている路線があるが、それがあおなみ線である。あおなみ線とは名古屋駅と金城ふ頭をつなぐ路線で、元々JRの貨物線であった西臨港貨物線を高架化・複線電化という大幅改装をして、旅客路線として転用した第3セクター路線であるという。やはりこれは一度「視察」しておく必要があるだろうと判断した。

 あおなみ線名古屋駅は、JR名古屋駅の南西部の新幹線路線がすぐ横に見える位置にひっそりと存在していた。JRの改札口を出ると、終点の金城ふ頭までの往復切符を購入、JR出口のすぐ脇にある入り口の改札を通過する。ちょうど列車が到着したところらしく、多くの乗客が降りてくる。見たところかなりの人数で、とても赤字路線とは思えない。いわゆる赤字ローカル線とは全く雰囲気が違うし、リニモとも印象が違う。また駅のホームにはホームドアが設置されてあり、地下鉄や新交通システムなどの雰囲気に近い。

  

JR出口とあおなみ線改札は隣り合っている    すぐそこを新幹線が通過     

 車両は4両編成のロングシート車。またシートを明確に分離することで一人当たりの領域を区分してあり、ロングシート車によくある「7人がけの席に6人しか座らない」といった状況の解消を狙っているタイプである。またダイヤは1時間に4本という多頻度運転が行われており、乗客もそこそこ乗車している。

  

ホームドア完備                  内部はロングシート

 列車は市街地の中を通り抜けていく。そもそもこの路線は交通的に脆弱だった名古屋南西部の足として計画されたとのことであり、路線周辺の住宅・建造物も多い。名古屋競馬場前で多くの降車があり、荒子川公園、稲永と経由した頃には車内はほとんど乗客がいなくなり、終点の金城ふ頭で降車したのは4人程度である。座席数から判断した往路の乗車率は大体最高50%程度といったところ。

 金城ふ頭は典型的な埋め立て地。伊勢湾道路の吊り橋などが見えており、デートコースに最適と言いたいところだが、少々閑散としすぎなように思われる。インポートセンターがあったり、いわゆるイベント会場などがあるようなので、そこの行事次第では乗降客が増えるのだろう。イメージとしては大阪市営地下鉄中央線のコスモスクエア駅に近いが、大阪のOTSのようなぼったくり会社が介在して運賃が異常に上がるという状況がない分、こちらの方がまともなように思われる。

  

金城ふ頭に到着したときには真っ暗      遠くに湾岸道路が見えます  

 金城ふ頭駅を視察した頃には辺りが暗くなってきたので、乗ってきた列車に飛び乗って名古屋にとんぼ返りする。帰路は各駅から乗客を拾っていき、名古屋に到着する頃には座席数から判断した乗車率は100%をやや超えている状況。確かに終点まで利用する長距離客は少ないようだが、利用客はそこそこの人数がおり、これで赤字になる理由が分からない(初期投資が大きかったのか?)。何にせよ、衰退している路線という雰囲気はない。この路線の今後については、名古屋市による湾岸地域開発の行方によると思われるが、リニモのように存廃が議論になるということは今後もないだろうと判断した。

 さて名古屋駅まで戻ったところで、本日の最後の目的地に向かうことにする。本日の締めは松坂屋美術館である。デパート展は会期が短くてあわただしいのが難点だが、一般に閉館時間が夜遅いのが助かる。本展も終了は午後7時30分であり、地下鉄を乗り継いで会場に到着したのは6時40分頃。


「巨匠ブールデル展」松坂屋美術館で2/19まで

 

 ロダンと並んで近代彫刻の巨匠として名前が挙がるブールデルであるが、彼自身は師でもあったロダンの影響からいかに脱するかに苦闘もあったという。最終的には彼は彫刻形態の簡略化と建築との融合という方向で独自性を発揮していくことになったようであるが、そのような過程が観察できる展覧会。なお展覧会自体のメイン展示物はブールデルの代表作である「弓を引くヘラクレス像」である。

 正直なところ彫刻は私の守備範囲からは微妙にはずれている。しかも私の志向はギリシア彫刻などにあり、肉体表現の力強さや写実性に関心が高いタイプなので、そもそもブールデルよりはロダンの方が趣味に合うのである。そういうわけであるから、正直なところブールデルが目指していった方向は、私の志向とは真逆の方向であり、おかげで彼がその独自性を発揮していけば発揮していくほど、私の興味の対象からは離れていくということになってしまう次第。彼の代表作の「弓を引くヘラクレス像」でさえ、私の目には「ちょっと簡単すぎるんじゃない?」と写ってしまうのである。やはり芸術とは理屈ではなく趣味の世界である。


 これで本日の予定は終了。遅くなったので、夕食を摂ってから帰ることにする。名古屋と言えばやはり「ひつまぶし」かということで、この建物の10階にある「あつた蓬莱軒」に向かうことにする。夕食時のせいか、既に店の前には20人以上の行列。あまりのことに呆れるが、今更他の店を探す気もしないのでしばらく待つことにする。待っている間に帰りの新幹線をエクスプレス予約で確保。先の時間が読めないのでやや余裕を持った列車を確保しておく。

  

松坂屋南館の10階にあります         なんとこれが全員順番待ち客

 待ち人数はやたらに多いが、客の回転が速いのか次々とはけていき、20分ぐらいで入店できる。注文したのは「ひつまぶし」2520円。

  

ひつまぶし2520円也            ウナギは刻んであります

 カリッと香ばしく焼き上げたうなぎを、細かく刻んでご飯の上に並べているのがここの流儀。またここのウナ茶は出し汁をかける形式であり、薬味類もネギ、わさび、のりと揃っており、以前に行った「しら河」と同じタイプ。うなぎの味付けも、前回に行った「一富士」のようなウナギ丼に合わせたチューニングではなく、明らかにウナ茶を意識したチューニング。ストレートで食べる一杯目は、ややウナギがしつこく感じられる。

 ひつまぶしと言えば、やはりウナ茶

 そこに薬味を加えた二杯目。やはりネギとわさびが加わることで味が引き締まる。さらに出し汁をかけて三杯目。さて四杯目であるが、私は薬味を加えて出し汁を入れない二杯目のパターンでいただくことにした。同じひつまぶしでもやはり店ごとによるキャラクターがあるようで、しら河は明らかに三杯目のウナ茶を想定したチューニングをしていたが、一富士は一杯目のストレート向けのチューニング。ここの場合は基本的にウナ茶向けのチューニングだが、出汁をかけた時にややあっさり気味のイメージを受けたので、薬味のみを加えた場合の鮮烈なイメージの方が私の嗜好に合うようである(微妙な感覚なので、多分にこちらの体調にも左右されそうだが)。

 ここのひつまぶしが名古屋のひつまぶしのスタンダードという声もあるらしいが、確かに過不足ないひつまぶしで、これだけの客が来ているのは単に立地だけが理由ではないようである。ただ一回こっきりの調査で正確な判断は出来ないが、現段階では私としては「しら河」の方に軍配を上げる。もっともいずれの店も、行って損をしたと感じるレベルではない。ただ「ひつまぶし」というメニュー自体がやや高価なメニューであるので、CPを最優先して考えた場合にはいささかつらいところがあるが。

 夕食もすませたし後は帰るだけである。名古屋駅に戻ると、やはり私の予想通り新幹線はまだ10分遅れの状況のままであった。夕食終了までの時間が読めなかったためにやや遅めの新幹線を予約したので、発車時刻まではまだ少々余裕がある。図録の重みでズシリと荷物が肩に食い込む中、私はしばし名古屋駅で時間をつぶす必要に迫られたのだった。結局新幹線が新大阪に到着したのは20分遅れ(既に米原地域での雪はやんでいた)、帰宅したのは夜遅くであった。

 しかしやはり新幹線を使用するのは在来線よりははるかに楽であるということを感じずにはいられなかった。もっとも今回は交通費で散財してしまったせいで、今月度の予算に大穴を開けることになってしまい、今後の活動への影響が懸念される次第であるが・・・。ああ、新幹線代なんて気にしないで活動できるぐらいのお金が欲しい。これはスポンサーでもつけるしかないか。赤字ローカル線、もしくは美術館を抱える自治体は私に是非ご一報ください。関西からの往復の交通費(距離によっては宿泊費も)を負担いただければ、私が現地を視察した上で、第三者の視点によるレポートを報告、場合によっては宣伝活動にも協力させていただきます(笑)。

 

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