展覧会遠征 三木編「さらば三木鉄道」
正月も終わり、世間も通常モードに戻りつつある週末。さて本年の最初を飾る遠征だが、どこにしようかと悩んだものの、体調は悪いし(不覚にも正月早々風邪をひいてしまった)、各美術館とも出し物が低調だし(やはり冬はシーズンオフ)で、結局は安直に近場ですませることになってしまった。さて今回の目的地は三木。久しぶりの車での遠征であるが、今回は少し新たな試みを行うことにした。
目的地は三木の堀光美術館。しかし三木に入るまでは順調なドライブだったのに、目的地に接近した途端に迷走飛行。なんと目的地は起伏の激しい路地の奥というよそ者にはアクセスが非常につらい位置にあったのである。結局、目的地にたどり着くまでに細い路地をウロウロと何周も回る羽目になり大幅に時間をロス、美術館地域の駐車場(市営の無料共同駐車場)に車を停めた時には予定を大幅に超過、いきなり予定変更に迫られることになってしまった。
今回のもくろみはズバリ「レール&ライド」である。つまりここの駐車場に車を止め、後は徒歩でこの周辺をうろつこうというもの。ただ当初の予定では、まず美術館を訪問してから次の行動に移るはずだったのだが、タイムスケジュール的にこれではキツイ。そこで次の予定を繰り上げることにする。私はここで車を放棄すると、まずは徒歩で三木駅に向かう。実は今回の遠征の主目的はあくまで美術館であるものの、もう一つの目的は三木鉄道に乗ることである
三木鉄道とは、JRから切り捨てられた三木線を地元自治体が引き取って第3セクターとして運営されていた路線である。しかし巨額の赤字のために存廃が争点となり、廃止派の首長が当選したことによって今年の4月に廃線となることが確定した。鉄道マニアではない私だが、やはり日頃から「社会基盤としての鉄道を重視するべき」と主張している私としては、廃線になる前に一度は乗っておく必要があると考えていたのである。
なお、私はよく「鉄道マニアではないのか?」と聞かれるのだが、私自身は断じて鉄道マニアではない。というのは、マニアとはその道を究める人間を指すのであるが、私はとてもそんな気はないからである。私は「美術館マニア」を自認しているが、やはりこう自称するからには、全国の美術館を回るのは私のライフワークとしての使命だと考えている。何年かかるかは分からないが、いずれは日本中を回る必要があろうと思っているわけである。同様に考えると、つまり私が鉄道マニアであるならば、必然的に全国津々浦々の鉄道を乗りまくらないといけなくなるのは自明である。はっきり言ってとてもではないが、そんな覚悟も気力もない。それにそもそも、私は鉄道沿線の風景等には興味があるが、列車自体などに対する興味は皆無である。だから私は断じて鉄道マニアであってはいけないのである。
ちなみに「美術館回りと鉄道マニアは両立できるのでは」との声も聞かれるのだが、結論から言うと「不可能」である。というのも、やはり美術館を効率的に回る場合には、圧倒的に車の方が有利であるからである。鉄道に乗ることだけが目的の鉄道マニアと違い、美術館に立ち寄ることが主目的である私の場合は、途中下車の必要性などで非常に足枷が多く、鉄道マニアのような行動の自由度がない。それでもせめて1時間に1本程度は列車のある比較的「実用性の高い」路線ならなんとかなるが、1日に3本などいうような超閑散路線だと、美術館と鉄道の両立は物理的に不可能である。結局は「あちらを立てればこちらが立たず」という中途半端な状態にならざるを得ないわけで、私は鉄道マニアたり得ないのである。
さて言い訳が多くなってしまったが本筋に戻る。三木駅であるが、市街地のややはずれの閑散としかかった位置にある。徒歩で15分ほどの後に到着、ひなびた駅舎の前に廃線の告知が出されていることが哀愁を誘う。記念入場券を購入してから列車に乗る。車両は一両構成のディーゼル車であるが、比較的新しい。三木鉄道が廃止されるに当たって、この車両に各第三セクター会社から引き合いが殺到していると聞いたが、確かにこの車両なら欲しい会社はいくらでもあるだろう。乗客は10人程度、構成は地元民が2/3、後の1/3が鉄道マニアらしい風体の連中である。ここから厄神まで10分ちょっとという短い行程となる。
三木鉄道のひなびた駅舎 なんともレトロな雰囲気です 廃止を告げる看板と記念入場券セットの「おかげさまで90年の」文句の対比が悲しい 沿線の風景を眺めていると、実に閑散とした風景が多い。しかも起点の三木駅は市街地のはずれ、終点の厄神も何もないところ。鉄道とはどこかとどこかをつなぐということが大事なのであるが、つまりこの鉄道はどこもつないでいないのである。しかも三木の中心には神戸電鉄の三木駅があり、ここから神戸の中心地に直行できる。それに対してこちらは厄神でJRに乗り換えて到着するところは加古川であり、都心に出るという意味ではメリットが極めて薄い。三木鉄道は1時間に1本というかなり実用的なダイヤを組んでいるにもかかわらず、乗客数が伸びないというのは、需要が少ないとしか言いようがない。しかもその上に、路線に沿って道路が通っていることから、バスへの移行も容易である。社会資本としての鉄道は守るべきと考えている私でさえも、これだけ悪条件が揃うと確かに廃線に追い込まれるのもやむなしという気もせずにはいられないのである・・・。このような状況は、今回実際に乗車してみて初めて理解することが出来た。やはり何事も体験することが重要である。
厄神に到着、ここでJRに乗り換えである。同じホームに加古川行きが到着しており接続がある。ここまで利便性が高いにも関わらず・・・悲しい限り。
加古川線とは同一ホームで接続 私は西脇行きの方に乗車 私は跨線橋で反対側のホームに移動、すぐに到着した西脇行きに乗車する。ここから4駅目が粟生である。当初はここで神鉄に乗り換えて三木に戻る計画だったのだが、事前調査において、ここからやはり第3セクターの北条鉄道なる路線が出ていることが分かっており、「鉄道マニアではない」私であるが、行きがけの駄賃としてついでにこっちにも乗車しておくことにする。
粟生駅で降りると、同じホームの反対側が北条鉄道の乗車場となっている。これも一両編成のディーゼル車であるが、先ほどの三木鉄道に比べるとかなり車両が老朽化していることが明らかである。また駅の表示板などもいかにも手書きくさく、いかに経費をかけないかに腐心している様子がうかがえる。乗客は8人程度で、一見したところ半数が地元民で残りが鉄道マニアと言ったところである。
バスのような外観 車内も何ともレトロ 沿線の風景は先ほどの三木線に輪がかかって閑散としている。小さな集落ごとに駅があるが、沿線風景はこれが兵庫県内とは思えないような趣がある。ただ気になったのはとにかく車両が揺れること。車両が老朽化している上に、路線の保守も良くないのではないかという気がする。とにかく経費を抑えることで生き残りを図っているのではと思われるが、これで果たしていつまで保つのやら。
沿線は何にもありません
20分ほどを要して終点の北条町に到着する。ここまでは何もない光景だったのに、北条駅前には突然にビルが建っていたり、一応都会的な空気はある。私は一端下車したものの、特に北条町に用事があるわけではないので、記念入場券を買い求めると乗ってきた列車でそのままUターンする。乗客は先ほどより増えているが、メンバーの1/3ほどは先ほど往路で見たメンバーである。どうやらこの連中は列車に乗ることだけが目的の鉄道マニアであったようである。
北条駅前には一応ビルがあります 手前が新型車両のようです さて北条鉄道であるが、三木鉄道と同じ盲腸線であるということを考えると、生き残りはかなり微妙だろう。救いは三木鉄道に対する神鉄のような強力な競争相手がいないことか。存続は一重に北条町の人々の利用にかかっているとしか言いようがない。彼らが不要と判断すれば、いずれは三木鉄道と同じ運命を辿ることになろう。なお後で調べたところによると、私が今回乗車したのは国鉄から分離した頃から使用されていたレールバスであり(道理で外観がバスにそっくりだったわけだ)、やはり乗り心地の悪さでは定評があるとか。現在同社は新型車両を2台所有しているとのことで、これは予備車両だそうな。なるほど、道理で沿線でやたらに鉄道マニアがカメラを構えている光景が見られたわけだ。
記念入場券セット 再び粟生に戻ると、跨線橋を渡って今度は神鉄に乗り換える。神鉄のホームには自動券売機や自動改札まで装備されていて、今までのローカル線とは雰囲気が違う。しかも入ってきた車両は4両編成。何か急に都会の列車のように見えるから不思議である。
なんと4両編成の神戸電鉄新開地行き
ちなみに神戸で生まれ育った私は、神鉄に対してはずっと「田舎の山岳列車」というネガティブなイメージを持ち続けていた。単線で狭軌といった神鉄は、複線で広軌の阪神や阪急に比べると見劣りすることは否定できないし、六甲山から北はそもそも神戸とは思っていないのが古手の神戸市民の常識であったからである。恥ずかしながら私のその偏見が変わったのは、つい最近のことであった。ここのところの地方回りで、そもそも神鉄は阪神・阪急と比較すべきものではなく、JRのローカル線と比較するべきものだったということに気づいたわけである。そうやって考えると、単線とはいえ電化されている神鉄は優良ローカル線であると言えよう。戦前のようなあらゆる鉄道を国鉄に統合していた時代なら、神鉄は国鉄に統合されて国鉄北神戸線となっていたところであろう。そう考えると、神鉄は高速神戸よりも神戸に接続すべきか。
なお粟生で発車を待っている間に、加古川線に奇妙な絵画をペイントした車両が入線してきた。どうやら横尾忠則の絵画からとったデザインのようである。そう言えば加古川線沿線に横尾忠則の作品を収めた岡之山美術館があったことを思い出す。
遠目には不気味にさえ見えますが(まるで幽霊列車)よく見ると横尾忠則の絵画を描いているのが分かります 神鉄で粟生から約20分で三木上の丸駅に到着、ここから美術館に舞い戻ろうと思ったのだが、もう既に12時をすぎている。先に腹ごしらえをすることにする。シャッター街と化した地元商店街を抜けると、昼食を予定していた店に移動する。
今回昼食を摂ることにしていたのは「ビストロ・ド・ノブ」。三木で洋食を食べさせることで有名な店である。注文したのは、季節のお勧めメニューとして掲げられていた「フローレンス風ハンバーグ」(1890円)である。
何とも表現に困る外観
いかにも家族経営の洋食屋という雰囲気。時間の感覚も都会とは若干違うのか、ゆったりとしたペースで最初の一品が出てくる。
まずはさっぱりとしたスープ。ミルク系に何か野菜を加えているようだが、情けないことに私には材料が分からない。しかし非常に口当たりが良くうまい。ミルク系のスープの場合、ミルクの嫌味が出ることがあるのだが、そういう風は全くない。
カップスープ
さらにしばらく待った後、熱々の料理が運ばれてくる。一見するとハンバーグと言うよりはグラタンの様。写真を撮ろうとすると熱すぎて湯気でレンズが曇るぐらい。この煮込みハンバーグがフローレンス風という意味か。
一口食べると、思わず首をかしげてしまう。あまり味がしないのである。今回は失敗かとの思いが頭をよぎる。しかし二口目、先ほどよりも味が強くなる。そして三口目、「うまい」という言葉が出る。ハンバーグと言えばファミレスなどでは化学調味料を大量に使用して、これでもかとばかりの濃い味付けをするが、ここのハンバーグはその対極にあるようだ。だから一口目には味が分からないが、だんだんとおいしさが感じられてくるのである。そうなってくると、多くの野菜を煮込んだソースがシチューのような風味でハンバーグとマッチする。見た目のイメージに反して結構食べ応えがあるのである。
最後は食後の紅茶で締め。メニューにはコーヒーと書いてあったが、問答無用でコーヒーを持ってこずに、コーヒーと紅茶のどちらかを聞いてきたのは個人的にポイント高し。
昼食を堪能した後は、ようやく美術館へと移動する。
「収蔵品展」堀光美術館で1/20まで堀光美術館が所蔵するコレクションについて展示したもの。コレクションは日本画・洋画・工芸品など多岐に渡っている。もっとも小規模の美術館であるので、所蔵点数は限られてしまうが。
洋画については無名な作品が多い。比較的面白かったのは日本画のコレクション。横山大観、奥村土牛、山口華揚、堂本印象など比較的有名どころの作品も収蔵されている。その中で最も印象的だったのは山口華揚の「鯉」か。
美術館がある高台は、元は三木城跡のようである。本丸跡には現在は神社が建っているようであるが、この辺り一体は三木市街を見下ろせる小高い丘となっており、いかにも築城するのに最適の立地である。
以上で三木での予定は終了である。車で三木を後にすると、今度は美術館巡りにはつき物の温泉へと移動することにする。今回まず立ち寄ったのは、ここから車で10分ほどの距離にある天然温泉湯庵である。
施設としては典型的な郊外型温泉。ただ貸しタオルが問答無用でついてきての料金890円はやや高めか。貸しタオルを有料にしてその分入浴料を下げたほうがリピーターがつきやすいと思われる。
浴槽は内風呂+露天風呂+サウナというオーソドックスなもの。露天風呂が温泉となっている。泉質は含鉄のカリウムナトリウム塩化物泉。露天風呂の湯は茶褐色を帯びており、いかにも鉄分を含んでいるのが分かるが、舐めてみると意外にほとんど味がしない。
塩素はそう強いというわけではないが、どうも入浴しても今ひとつインパクトがない。なんとなく湯に新鮮味がないような気がする。源泉かけ流しと称した壷湯もあるが、そちらも露天風呂とそう水質が違うようには感じられなかった。なお無着色の内湯(水道水か?)の方は、薬品でも使っているのか入浴した途端に背中がヒリヒリと痛んで閉口した。
ぬるめの湯なので長湯できそうだが、露天に設置されたテレビと館内のBGMがやかましく、落ち着いてくつろぐという雰囲気ではない。人気があるのか駐車場は一杯であったが、個人的には今ひとつの印象。
再び車に飛び乗ると、2ヶ所目の目標に向けて移動である。国道175号に合流すると、後はひたすら南下する。やがて左手に陸上競技場が見えてきて駅前に到着。この付近が次の目的地である。
「遠き道展」明石文化博物館で1/27まで従来は日本画といえば花鳥風月を描いた定型的な作品が多かったが、近年になって多くの日本画家がマンネリの打破を目指して新しい日本画に取り組んだ結果、今日では日本画と洋画の違いは岩絵の具を使うか油絵の具を使うかという画材の違いぐらいしか意味しないようになっている。そのような現在日本画のトレンドを紹介したのが本展である。なお本展でのユニークな取り組みとしては、視覚障害者を対象に、作品に触れることで二次元作品に親しむという試みがなされているという。
現代日本画と言うだけあって、確かに一見しただけでは油絵と区別のつかないような作品が多く、従来の花鳥風月の世界とは一線を画している。とは言うものの、意外と抽象絵画などの突き抜けた作品は少なく、比較的無難な具象画の範囲にとどまっている作品が多い。もっともそのことは、私のような現代アート嫌いには最適なバランスということなり、実際に私の感性にマッチする作品が予想以上に多かった。
1階には日本画固有の屏風画も展示されており、屏風画独自の大画面を活かした作品があった。ただ一つだけ気になったのは、屏風画のもう一つの特徴である奥行きを活かした作品が皆無であったこと。屏風を単に大きなキャンバスとして扱うだけでは、日本画としては不十分である。
文化博物館を後にすると二軒目の温泉訪問である。訪問先は「天然療養温泉恵美寿湯」。住宅街の真ん中にある温泉銭湯である。周囲には結構駐車場があるがかなり満杯、入り口前には多くの自転車も並んでおり人気の高さを物語っている。
中に入っても空きロッカーを探すの苦労するほどの混雑。オーソドックスな銭湯の露天(といっても屋根が開く程度だが)に源泉風呂と加熱温泉がある構成。しかし冷泉なのでこのシーズンの源泉風呂に入浴するのはほとんど修行の世界。いきおい、温泉が混雑することとなる。
含鉄のカリウムナトリウム塩化物泉ということで、先の湯庵に近い泉質。しかしあちらが赤褐色だったのに対し、こちらは白っぽい感じ。一般に含鉄泉は時間が経過するほど色が赤っぽくなることを考えると、こちらの方が湯が新しいのではないかと思われた。なお舐めてみてもあまり強烈な味はしないのはこちらも同じ。しかしこちらの方が湯に力が感じられ、入浴していても快適である。
神戸・西宮の温泉銭湯と比べると泉質的に見劣りするのは否定できないが、それでも水道水などとは肌当りが違う。地元の人間が集まるのも納得はできる。
以上で今回のすべての日程は終了である。今回は車での遠征にもかかわらず、いつにも増して鉄道の比率が増えた例外的な遠征となってしまった。やはり道を誤りかけていることを感じる今日この頃。
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