展覧会遠征 名古屋編

 

 「雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう、サイレントナイト、ロンリーナイト・・・。」

 世間はクリスマスで浮かれているようだが、先祖代々浄土真宗の私にはそんなものは無縁である。そもそも私の親は、日頃は親鸞上人の名前さえ出すことがないのに、なぜか毎年このシーズンだけは熱心な浄土真宗門徒になるのだった。だから我が家ではサンタクロースという名はタブーであった。私は物心がついた時には母からこう教えられていた「世間ではサンタクロースなんて言っているが、あれは玩具メーカーが儲けるためのでっち上げだから、相手にしてはいけない。」と。そういうわけで、今年も私はクリスマスとは無縁の生活を送るのである・・・。

 クリスマスと無縁の生活を送る私にとって、この週末も「普通の週末」にすぎないわけである。となると、必然的に遠征へと繰り出すことになる。とは言うものの、先週の広島遠征で既に軍資金は極めて乏しい。やはりこういう時に頼りになるのは青春18切符しかない。で、先週が西だとなると、今週は必然的に東にならざるを得ない。となってくると行き先は自然と決定されるというわけである。

 例によって名古屋までは「通い慣れたるルート」である。早朝の新快速で米原まで移動、米原では壮絶なる「第二次スーパー席取り大戦」。しかし既に歴戦の猛者である私は、先の新快速に乗車した時から米原での乗り換えを想定してのポジショニングをしている。ドンビシャで私の目の前に跨線橋の階段が現れる。後は壮絶なる階段レースである。「負けるわけにはいかないのだよ!」日頃は紳士の私も、この時だけは冷酷無比な戦士となるのである。

 席取り大戦に完全勝利をおさめた後は、ぼんやりと窓の外を眺めながら名古屋への道のりである。ここのところ寒さが強くなっていたので、私は雪になることを心配していたのだが、どうやら遠くの山には雪が降ったらしき跡は見えるが、関ヶ原付近でもまだ雪は降っていないようである。とりあえず、帰り道が雪で閉ざされる心配はないようで安心する。

遠くの山には雪が

 1時間以上を要して列車は名古屋に到着、私はそのまま金山まで乗り継ぐと金山から地下鉄で移動。目的地は矢場町から地下でつながっている。


「キスリング展」松坂屋美術館で12/24終了

 松坂屋の7階にあります

 ポーランド生まれのユダヤ人でパリで活躍したキスリングは、モディリアーニや藤田らとも交流のあった「エコール・ド・パリ」の画家の一人である。彼は「陶器の肌」とも言われる独特の透明感を持った肖像画で知られている。プティ・パレ美術館の収蔵品を中心に、キスリングの作品を初期から最晩期に至るまで展示したのが本展である。

 キスリングの絵画と言えば、あの鮮やかな色彩を連想するのだが、初期の彼の作品は、セザンヌやキュビズムなどの影響が顕著で、まだ後のあの色彩は見られていない。やはり一番の見所は彼の本領が発揮される中盤以降であろう。鮮やかな色彩と、明確すぎるほど明確な形態で描かれた彼の絵画は、好き嫌いは別にして、とにかく印象に残るインパクトのある絵である。

 彼はキュビズムの画家と交流を持ち続けたものの、彼自身はキュビズムには所属しなかったのであるが、こうして一連の流れで見ていくと、彼のこの明確な形態は明らかにキュビズムの影響の残滓と思われる。

 中期以降になると、彼はオランダの古典絵画の影響も受けたとのことで、若い頃の大胆に簡略化した作風から、急に細かい描写が増えてくるようになる。とにかく何かの影響を受けやすい画家だという印象だが、やがてはすべてを自身の内に消化して、自らの作風を進歩させていくのは才能か。

 彼は人物画と静物画で有名であるが、静物画は明らかにオランダ古典絵画の影響が顕著である。私としては、やはり人物画がいかにも彼らしくて一番面白かった。


 実は本展が今回の遠征の最大の目的。キスリングは明らかに好き嫌いが分かれる画家だが、私にとってキスリングは、いわゆるパリ派を知って以来もっとも気になっている画家の一人である。だから各地を巡回していたこのキスリング展には注目していたのだが、どうもうまくスケジュールが合わず、今回名古屋で最後の最後にようやく見ることが出来という次第(そもそも巡回先が茨城、横浜、北九州、東京だったんだから、元々偏り過ぎだが)。しかしわざわざ名古屋くんだりまで出張ってきた価値はあった。今までいろいろな展覧会でキスリングの作品は数点ずつは眼にしてきたが、これだけまとめて目にする機会というのは貴重であった。

 ところで私が注目している画家として名前を挙げている画家を並べると、時代も作風もすべてテンでバラバラなんだが、私の嗜好って何か一貫性はあるんだろうか? それとも一貫性がないのが私の一貫性なのか。ティツィアーノ、ムリーリョ、コレッジョ、フェルメール、モネ、ルノワール、ヴラマンク、キスリング、ミュシャ、葛飾北斎、曾我蕭白、長澤芦雪、河鍋暁斎、東山魁夷に何か共通項を見いだした方は、是非私までご一報ください(笑)。

 さて主目的を完了したとはいうものの、わざわざ名古屋くんだりまで出てきたのだから、このまま引き返すということはない。後はオプショナルツアーである。ただ次の目的地はいずれの地下鉄の駅からも適度に遠いという難儀な場所にあるので、とりあえず歩くことにする。しかし歩いている内に空腹が身に染みてくる。よく考えると今回は朝から完全に何も食べていなかった。急遽予定を変更して、まずは昼食を先にする。

 今回の昼食を摂ることにしたのは伏見の一富士。うなぎとふぐ料理の店である。事前に場所は調べていたはずなのだが、間抜けなことに肝心の地図を持参することを忘れたために、うろ覚えの記憶に頼って辺りをウロウロすることになり、無駄に時間と体力を費やしてしまう。ようやく店を見つけた時にはもう昼前になっていた。

 注文したのは櫃まぶし(1750円)。本当は豪華にふぐでも食いたいところだが、そんな金はどこにもないし、わざわざ名古屋に来てふぐを食べる意味もない。

 櫃まぶしは以前に浄心の白河でも食べているが、あちらの櫃まぶしとこちらの櫃まぶしではコンセプトの違いがあるようである。と言うのは、白河の櫃まぶしは明らかに茶漬けにした時を基準にチューニングしてあったのに対し、ここの櫃まぶしはストレートに食べることを基準にしているのが明確であるからである。

 

  オーソドックスなウナギ丼に      櫃まぶしと言えばやはりうな茶漬け

 実際、白河の櫃まぶしは茶漬けにした時は絶妙のバランスであったが、その代わりにストレートで食べるとややしつこさを感じた。それに対してここの櫃まぶしは、ストレートで食べた時にパリッとしていながら柔らかみのあるウナギが絶妙な焼き上がりになっており、茶漬けにするとややあっさりしすぎる傾向がある。

 そもそも白河では茶漬けと言ってもかけるのは出し汁で、薬味も多彩であったが、ここの場合はそのままお茶(多分ほうじ茶か?)とのりをかけていただくというシンプルなものである。つまりはあくまでウナギ丼が主としてあり、それの気分を変えるのに茶漬けをいただくというスタンス。もしかしたら本来の櫃まぶしはこっちの方が元々だったのではという気もしてくる。

 昼食を腹に入れて人心地つくと、次の目的地に向かって移動である。その頃には、今朝からの雨模様が本格的な雨に変わっていた。


「河口龍夫 -見えないものと見えるもの-」名古屋市美術館で12/24まで

 先に兵庫県立美術館でも同作者の展覧会が開催されていたが、本展は巡回展ではなく、両美術館での同時開催である。各美術館の空間に合わせて異なる作品を設計したのだとか。

 兵庫県立美術館でのメインモチーフは鉛であったが、こちらではひまわりの種である。館内には大量のひまわりの種がつみあげてあり、ハム太郎なら喜びそうだが、私にはどうも。なおこの作者は鉛がよほど好きらしく、あちらでも展示されていた鉛の温室は、こちらでも展示されていた。ちなみにオーディオマニアであった私には鉛は非常に馴染みのある素材であり、鳴きを殺すために鉛でスピーカーやアンプを埋め尽くした経験がある私には、彼の作品には個人的なシンパシーも感じる。

 こっちでも床に電気を流して明かりをつけたりなどという共通のモチーフはあったが、微妙にネタを変えてきてあるところは芸が細かい。馬鹿の一つ覚えのような作品が多い現代アートの中では、やはり本展は芸風の多彩さで楽しませてくれる。


 今回は名古屋の予定はこれで終了である。伏見から地下鉄に乗ると、少々長距離の移動。次の目的地は小牧である。今まで小牧は自動車で来るのが常であったが、やはり昨今の異常なガソリン高騰では、自動車の使用はコスト的にためらわれる。と言うわけでJRと名鉄を使用することにした次第。

 私は名鉄に乗るのは、以前に豊田市に行くのに豊田線に乗って以来である。平安通で地下鉄から名鉄小牧線に乗り換える。以前に乗った豊田線では全席ロングシートだったのだが、この路線は一部が転換クロスシートになっている。乗客もそう多くないようだし、クロスシートにゆっくりと座ることにする。

 列車はのんびりと郊外を走る。何となく雰囲気としては、以前に乗った京阪と似ているような気がする。ちなみに名鉄小牧線は、かつては名古屋側が上飯田まで止まっており、上飯田が都会の孤島と呼ばれるぐらいの不便な場所だったために利用が伸び悩み、ローカル線ムードが漂っていたとか。しかし最近になって平安通で地下鉄と接続されたことで、俄然利便性が増し、かつてとは雰囲気が一変したという。やはり鉄道は「どこかとどこかをつないでいる」ということが重要であると感じる次第。

 20分近くかかって小牧に到着。小牧駅は地下駅となっている。地図で目的地の方向を確認すると、歩いて移動する。目的地はしばらく歩いた先にある。


「アーティスト20−メナード美術館の西洋絵画」メナード美術館で12/24まで

 当美術館は来年のGW明けから、1年近く改修工事のために休館になるとのことであるが、その前にコレクションを西洋洋画、日本画、日本洋画の3回に分けて公開するとのこと。今回はその第1弾である。

 ここはコレクションのレベルが高いことで知られるが、マネ、モネ、ゴッホ、ピカソ、アンソール等、蒼々たる顔ぶれであり楽しめる。なお初公開のマティスのジャズも展示されているが、これについては今まで他の美術館で何度も目にしているので個人的には目新しさはない。


 美術館を出た後はコミュニティーバスで小牧駅まで帰る。歩いて歩けない距離ではないのだが、雨の中を歩いて楽しい距離でもないし(こんな中でも美しい女性と二人連れなら・・・もう止めとこう)、この日は名古屋での移動も響いて1万4千歩。実は既に足にも来ていたのである。

 この後は名鉄で犬山まで移動、小牧線はここから単線区間らしく、途中で行き違いのための時間待ちなどもあり、小牧までに比べるとローカル線色がさらに強い。やがて列車は乗り換え拠点の犬山に到着、ここからは岐阜行き普通のロングシート車に乗り換えて犬山線、各務原線で名鉄岐阜までの私鉄の旅を堪能(と言っても、私は鉄道マニアではないが)。車窓の外はいかにも郊外の雰囲気。途中で犬山遊園のモノレールなんかも見える。関西では阪神甲子園パーク、阪急宝塚ファミリーランド、近鉄あやめ池遊園地と電鉄系遊園地は軒並み全滅したのであるが、ここは健在のようである。

 岐阜行き普通

 やがて列車は40分程度でターミナルの岐阜に到着。郊外ばかりを走ってきたので岐阜が都会に見えてくる。ここからJRに乗り換えて帰路へとついたのであった。

 

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