笠岡市竹喬美術館

 

最近建て増しをしたようです。設備としてはかなり新しい。

公式HP

美術館規模 

専用駐車場 

アクセス方法

 JR笠岡駅からバス

お勧めアクセス法

 田舎の常で、バスの本数が少なすぎて使い物にならない。かといって駅からタクシーを使うと結構料金がかかる。結局は車で行くのが一番無難。

コメント

 

展覧会レポート

 

「法隆寺金堂壁画―コロタイプ版複製を中心として―」 2007/1.20〜3/4

 法隆寺金堂壁画は昭和24年の火災で残念ながら焼損してしまったが、それ以前にコロタイプ版による複製や、入江波光ら日本画家による模写が行われていた。本展はそれらの資料を展示することで、在りし日の法隆寺金堂壁画を思い起こそうという企画である。なおコロタイプ版とは、写真を元にしてゼラチンを使用した板に原板を焼き付けて行う原寸大印刷術で、非常に手間がかかる上に量産が難しいのだが、微妙なタッチまでも厳密に再現できる印刷法だとのことである。

 コロタイプ版は残念ながら白黒版であるのだが(当時はカラー写真がない)、それでも12面の壁画が揃った光景は壮観である。法隆寺を建立した当時の人々はどのような思いを託してこの壁画を描いたのかに思いを馳せるのも一興。

 

「柏舟社の画家 梅原籐坡」 2006.11/18〜1/14

 梅原籐坡は京都生まれの日本画家で、最初は国画創作協会の展覧会に参加したものの、他人に己の絵を評価されることに抵抗を感じ、土田麦僊門下の伊藤仁三郎、要樹平、林司馬、新見虚舟、澤田石民らと柏舟社を結成、そこを中心に活躍した画家だという。

 籐坡の作品については、初期の油絵を思わせるような鮮やかな色彩の絵画は本美術館の中心である竹喬の表現とも相通じるものを感じる。ただ彼の場合は晩年に向かうにつれ、オーソドックスな日本画的表現に回帰していったように思える。戦後は京友禅の仕事に携わったとのことで、本展展示作も1946年の作品が出展作の最後になっている。画壇からは離れたと言うことだろうか。

 なお籐坡以外の拍手社の画家の作品も展示されているが、好感を持ったのは澤田石民の作品。オーソドックスで素朴だが高い写実力を見て取ることが出来る。ただ彼は40歳でビルマで戦死したとのこと。戦争がいかに有為の人材を浪費する愚行であるかを示すエピソードである。

 

「竹喬美術館ベストコレクション」 2006.10/3〜11/12

 本展は3期に分けて行われた当美術館のコレクション展の第3期目に当たる。展示作は竹喬の作品以外では、林正明・清水比庵の作品など。

 竹喬の作品については、当館が所有しているコレクションの中からの選抜であり、今までに見た記憶のある作品もある。今回の展示作は明瞭な色彩で風景を描いた作品が多い。

 今回の展覧会の中で私が強く惹かれたのが、特集していた林正明の作品である。印象としては実に空気の表現がうまい画家だと感じた。澄みきった透明な空気の表現や霧の立ちこめた淡い空気の表現の描きわけが絶妙であり、興味を掻き立てられた。彼の作品については、今後どこかの機会でまた見てみたいものである。

 

「生誕110年記念 凝視の眼 徳岡神泉 」2006.6/10〜7/17

 徳岡神泉は竹内栖風に学んだ日本画家で、神泉様式とも呼ばれる独自の画風で対象を描き続けた画家であるという。

 正直なところ、つかみ所に困るという印象の画家。というのも、典型的な日本画の水墨画調の作品があるかと思えば、日本画よりも西洋の水彩画に近いタッチの作品があったり、これまた日本画的な形態を簡略化させて色をざっくりと塗り分けた作品があれば、まるで西洋の油絵のように絵の具を厚塗りした作品があるといった具合で、私の目から見れば画風が全く定まらないのである。しかもこれが年代を追って変化しているのかと思えばそうではなく、全く異なる画風が同じ時代に共存している。さらにあくまで具象画ばかりであるにもかかわらず、中には形態が曖昧模糊と消えて抽象画に近い印象を受ける作品もあると言った具合で、変化自在なのである。

 おかげで「どういう画家なのか」と聞かれた時にはとても答えようがない。ただいずれの作品からも深く厳しい精神性が漂っているのは感じられるので、ただ単に描き散らかしているわけでもない。結局私は、首をひねりながらも感心するしかなかったという次第。こういう体験は初めてである。

 

「生誕110年記念 伊藤草白」 2006.4/29〜6/4

 伊藤草白は国画創作協会で活躍した風景画家で、竹喬の影響も強く受けた画家であるという。そういう関係で、本美術館では彼の研究を行っており、本展はその一環であるとのこと。草白は国展出展作品が未だに行方不明の状態であったりするなど、まだまだ今後の発掘が期待される画家であるという。

 さて、本展に出展された草白の作品を見てみると、確かに改めて解説されるまでもなく、ある時期の竹喬の作品にかなり近い。その時期は、竹喬が日本画の進むべき道を模索して、洋画の手法を取り入れるなどしながら風景の精密描写に打ち込んでいた時期である。草白の風景画の鮮やかな色彩はまさに、その時期の竹喬の絵画に通じるものを感じる。もっともその後の両者の歩んだ道は異なるようで、竹喬は伝統的日本画の様式的簡略描写に回帰していく方向に向かったが、草白はそのまま精密な静物画の方向に進んだようである。

 非常に品が良くて、日本人なら抵抗なく受け入れられる絵画なのだが、皮肉なことにそれが今一つの印象の薄さにつながっているきらいを感じないでもない画家である。良い絵なのだが、記憶に残らないのである。

 

「白神澹庵とゆかりの画家たち」 2005.6/11〜7/18

 この地域にゆかりのある(生地であるらしい)日本画の大家・小野竹喬の作品を集めた美術館である。竹喬の作品を展示した本館と、特別展なども行われる新館から構成されている。笠岡市の自治体としての規模を考えると、かなり力の入った施設であることを感じさせるのだが、駅前をはずれた市街地の中に忽然と建っているという立地の悪さには疑問を感じずにはいられない(しかもバスの便がほとんどないという悪条件)。

 私が訪問した時には、竹喬の祖父である白神澹庵とそのゆかりの画家達の特別展が開催されていた。白神澹庵は幕末から維新にかけての日本画家だが、今までほとんど無名な存在であったのが、竹喬が晩年に祖父の作品を精力的に収集し始めたことで注目を浴びることになったという。彼は浦上玉堂の子である浦上春琴の教えを受けていたとのことで、それが浦上玉堂を尊敬していたという竹喬が、晩年になって祖父の存在を見直した理由ではないかとのこと。

 もっともシャープで精緻な印象の春琴の絵画に比較すると、ソフトでおおらかな筆致の白神澹庵の作品は、平凡であるという印象を拭えず、個人的にはあまり凄い作品とは感じなかった。やはり「竹喬の祖父」というだけの存在か。なお本館収蔵の竹喬の作品はなかなかに面白く。竹喬の絵画に興味がある者なら、一度は訪れて見ても良いだろうとは考える。

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