奈良国立博物館

 

 

公式HP

美術館規模 特大

専用駐車場 無(周辺に公立の駐車場はある)

アクセス方法

 JR奈良、近鉄奈良からバス

お勧めアクセス法

 奈良は車で来るところではありません。秋などは身動きが取れなくなる。

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展覧会レポート

 

「曙光の時代−ドイツで開催した日本考古展」 2005.3/23〜5/8

 日本文化をヨーロッパに紹介するべく、昨年ドイツで行われた日本の考古学に関する展示の国内公開である。ちなみに「展示に関してはドイツでのものよりも数段綺麗」とのことである。

 日本の古代史は近年の研究で急激に塗り替えられつつある。例えば、かつては未開の狩猟採取社会に思われていた縄文時代が、実は既に集落も存在し、幅広い交易さえ行われていたことが分かったり、ここ数年で古代のイメージは一新されている。本展ではそのような古代観形成に影響を与えた三内丸山遺跡や吉野ヶ里遺跡、奈良の飛鳥池遺跡などの国宝も含む多くの展示品を一望することができる。土器や木製道具の加工の精緻さなどを見れば、我々の古代人に対する偏見が打ち破られることは請け合いである。

 恥ずかしながら私は古代史には全く無知に近い人間なので、展示を見ながらひたすら唸るばかりであった。面白かったのは、最初は明らかに鈴の一種として鳴らして使用していた銅鐸が、時代が下ると共に巨大化して儀式的な要素が増え、それと共にもはや鳴らすことの出来ないものになっていた過程などである。日本人の形式主義はこの頃からあったようである(笑)。なお宇宙人がモデルなのではとの珍説まである有名な遮光器土偶の現物を見られたのは、これも個人的には感動ものであった。古代史に興味のあるものなら必ず、そうでない者でも出向いて損はないと感じる内容であった。

 

「黄金の国・新羅−王稜の至宝−」 2004.7/10〜8/29

 古来より日本は朝鮮半島との関わり合いが深いが、その朝鮮半島で紀元前50年頃から935年まで1000年近く栄えた国家が新羅である。この地域には現在でも多くの古墳が残っており、本展覧会ではその古墳から発掘された王稜の副葬品などを中心に展示しており、5,6世紀ぐらいのものが主である。

 かつて新羅の王朝は、その権威を示すために黄金製の冠や耳飾りなどの装飾具を製造させた。しかしこの時代の新羅には大きな金鉱は存在しなかったと見られており、これらの黄金は北方の騎馬民族との交易などで得られたのではないかと見られている。また黄金の馬具なども多く発見されており、新羅文化自体が北方の騎馬民族と密接に関わっていたことを示しているという。またアジアでは珍しいペルシアンガラスの器などの発見によって、新羅は遠く中東地域とも交流があったことがうかがえる。

 なお日本も当然のことであるが、新羅文化の強い影響を受けており、この時代には新羅のものを模した黄金製の装飾具などが国産されている。本展覧会に併せてこれらの国産製品も特別陳列として展示されているので、併せて見てみると面白い。比較すると、残念ながら日本のものは新羅のものに比べて細工の精度などで数段劣るものであることが見て取れる。なお当時の新羅の冠などの装飾に用いられている曲玉の原料である翡翠については、日本の富山のものが輸出されていたと推測されており、日本との間でも交易があったことが確認されている。

 当時の朝鮮半島の文化などがうかがえる興味深い展示である。なおただ単に黄金趣味だけで見に行ってもそれなりに楽しめたりするので(黄金の胸当てなどは実に印象的)、あまり難しく考えずに出かけても良いかと思われる。

 

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