福知山市佐藤太清記念美術館

 

福知山城の櫓の一つになってます

公式HP

美術館規模 小

専用駐車場 無

アクセス方法

 京都駅前からバスもしくは地下鉄東山駅から徒歩

お勧めアクセス法

 京都駅前からのバスが便利だが、秋になとる京都が観光バスで満杯になって路線バスが機能しなくなることがある。その時は地下鉄を使うのが賢明。

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展覧会レポート

 

「浅井忠と関西美術院展 2006.10/17〜12/3

 明治初期における日本画排斥運動の反動として起こった、岡倉天心やフェノロサの影響による急進的な洋画排斥の中、東京芸術学校の教授の職を辞した浅井忠が設立したのが、関西美術院である。本展はその関西美術院に連なる画家たちの作品を展示している。

 展示作品は、浅井忠を初めとして、梅原龍三郎、鹿子木孟郎、黒田重太郎など。日本洋画壇を代表する画家たちである。浅井忠の絵画に対しては、古典的でアカデミックではあるが、キチンとした絵画ということで個人的には好印象を持っている。

 一番面白く感じたのは、関西美術院には日本画家も参加していたということである。彼らは洋画の技法を日本画に取り入れて、新しい日本画を作り上げようとしていたようであるが、当時は決して良く評価されなかったとのこと。しかし私から見ると、定型化していた日本画に新しい息吹を吹き込もうという意図がよく見えて、なかなかに興味深かった。いろいろな画家が各人の試みを行っていた時代背景が見えて楽しめる。

 

「修羅と菩薩のあいだで」 2005.10/25〜1/15

 人は修羅ともなりうれば、菩薩にもなりうる。つまり修羅と菩薩のあいだとは人間のことそのものなのだという。本展では近代・現代の地獄的な光景を描いた作品から、仏画などを一堂に展示することで、人間の本性に迫っていこうという試みであるようである。

 展示としてはまずは地獄を思わせるような異形の光景や、戦争や動乱などの光景の死屍累々たる作品などから始まる。それが次には仏画に移り、最後には村上華岳などの菩薩画が登場する(最後に華岳の作品が登場するのはあまりに予想通りであったが)構成になっている。

 作品的にはごった煮で、芸術性よりはどちらかというと思想性のテーマが正面に出た奇妙な展覧会である。ただ個人的には、ややパターン化して退屈に見える菩薩像よりも、様々な表現が溢れている地獄図の方が芸術的に興味を感じたのが事実。やはり芸術という精神的行為も、人間の業に根ざしているのではないかということを考えずにはいられなかった次第である。

 

「ルーヴル美術館展」 2005.7/30〜10/16

 フランスのルーヴル美術館には35万点以上の作品が収蔵されているというが、本展は革命期、王政復古期、第二帝政期という歴史の激動期にあたるフランス絵画から73点を展示したという。美術史的には新古典主義からロマン主義、さらに自然主義に至る時代であるという。

 展示作品は概ね時代の流れを踏襲しているが、内容としてはテーマ分けという形になっている。最初はいわゆる神話をテーマにした古典的絵画に始まり、激動の時代を反映して社会的事件などを描いた絵画、さらに肖像画、異国趣味的絵画、そして市民の生活を描いた風俗画といった流れになっている。アングル、ドラクロワ、コローなどと言ったところが代表的画家で、アングルのトルコ風呂が本展の代表作となっている。

 もっとも個人的には、同じアングルの作品でも、トルコ風呂よりはこれも有名な泉の方がつよく惹かれた。明らかに理想化されている裸体は、形式を重んじた新古典主義的精神が現れているが、その中にロマン主義への息吹が潜んでいることも感じさせられる。また劇的構成を意図したドラクロワの絵画などもかなり印象的であった。

 ただ、テーマ分けが必ずしも時代の流れと完全にシンクロしているわけでないことが、美術史に疎い私にはわかりにくさにつながっていた。時代の変遷のようなものがもっと端的に分かるような展示形式にしてくれた方が、個人的にはもっと興味が持てたのにと思われた。

 

「パリ・マルモッタン美術館展」 2004.4/6〜5/23

 本展覧会の中心は、マネの義妹であり女流画家として印象派展にも参加したベルト・モリゾの絵画である。彼女の才能はマネに絶賛されたとのことであるが、肖像画中心の彼女の作品はいかにも典型的な印象派絵画であると言えるだろう。きらめく光の表現に特徴があり、いかにも女性らしいと思われるのは、画面から対象に対する愛情が滲み出ているところだろう。また独自の透明感の高い絵画は非常に美しいという印象を受ける。

 ただ印象派絵画に対しては「見た目は美しいのだが、精神的な奥行きや深みに欠ける」という批判があるのだが、その傾向は特に彼女の絵画には顕著に現れている。確かに美しく好感を持てる絵画ではあるのだが、それで終わってしまってそれ以上の感銘を受ける部分がないという印象は拭えない。

 なお本展覧会ではモリゾの絵画以外にもモネの絵画も展示されている(やはりモリゾの知名度では単独では客寄せに難を感じたか)。こちらはモネの晩年の睡蓮の絵画が中心であり、ファンに興味深いところ。ただ最晩年の視力を患ってからの絵画に関しては、現代絵画の画家は絶賛したとのことだが、それだけにむしろ私には疑問を感じる作品もあったが。

 

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