京都国立近代美術館

 

近代的な建築で、かなり巨大。

公式HP

美術館規模 大

専用駐車場 無

アクセス方法

 京都駅前からバスもしくは地下鉄東山駅から徒歩

お勧めアクセス法

 京都駅前からのバスが便利だが、秋になとる京都が観光バスで満杯になって路線バスが機能しなくなることがある。その時は地下鉄を使うのが賢明。

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展覧会レポート

 

「都路華香展」 2006.11/17〜12/24

 都路華香は幸野楳嶺に師事し、竹内栖鳳の同門として彼と並んで称された日本画家であるという。本展はその都路華香の回顧展である。

 彼の作品は、その初期においてはいかにも四条派の流れを汲んだ精緻な表現を行っているが、それが晩年になるにつれて簡潔な表現の中に情感を込めるといったものに変化していっている。印象としては剛から柔への変化である。

 ただ個人的には彼に固有の魅力というものをあまり感じなかった。悪い絵とは思わないのだが、強烈な印象もないというところがあるのが否定できない。

 

「プライスコレクション 若冲と江戸絵画展」 2006.9/23〜11/5

 実のところ、本展については私は東京の国立博物館で開催されたおりに一度見に行っている。しかしあえて京都展を再び訪れたのは、東京展の時にあまりの観客の多さにほとんど見ることが出来なかった掛け軸類をじっくり鑑賞したかったのと、東京の時とは違う趣向の出し物があるような気がしたからだ。

 結果としては、わざわざ京都くんだりまで出かけていった甲斐はあったということになる。東京展のおりには若冲の実に多彩な画法に圧倒されたのだが、今回は長澤芦雪や曾我蕭白といったあたりの作品を堪能することが出来た。ただ先の東京展のおりにも感じたことだが、若冲、芦雪、蕭白といった奇想の画家が割拠する京都画壇の作品に比べると、江戸の作品の方は今ひとつおとなしすぎて面白味に欠けるきらいを強く感じることになった。

 なお東京展では金屏風が光によって表情を変えるということを実演展示してあり、私は日本画における金箔や胡粉の意味を初めて理解でき、目からウロコが落ちる体験をしたのが一番印象に残っている。さて京都展の方だが、東京であったこの仕掛けはなかったようだ。その代わりに行っていたのは、障子を通して自然な外光を取り入れた部屋に、床の間をイメージして掛け軸を飾るという、やはりプライス氏の言う「日本画にとっては光が大切」というメッセージを意識した展示であった。展示されていたのは酒井抱一の十二か月花鳥図であったが、障子を通した外光で見ると、今まではややけばけばしく思えていた掛け軸の色彩が、実に自然に鮮やかに映ることに気づかされた。東京展に続いてまたも思いがけない体験をさせられることとなった。実に学ぶべきことの多い展覧会である。

 

「藤田嗣治展」 2006.5/30〜7/23

 20世紀のバリで活躍し、エコール・ド・パリの画家達の中で独自の存在感を放った藤田嗣治の生誕120年を記念しての回顧展である。藤田の初期の作品から晩年の作品までを一望できる。

 パリに渡った初期の模索時代には、キュビズムやルソーの影響を顕著に受けた作品を描いていた彼が、キャンパスの下塗りを活かした「乳白色の肌」の裸婦像で脚光を浴びたのが1920年代頃になる。この頃からいわゆる彼らしい作品が現れるのだが、まだこの時点の画面はのっぺりして平板な印象がある。

 それがまた一変するのが1930年代に中南米を回った頃である。この頃から以前と違って、立体感を現した色鮮やかな作品が登場する。そして戦時中にはヨーロッパの古典絵画手法を活かした戦争画を描いている。

 再び彼があの「乳白色の肌」に回帰するのは戦後に日本を離れた後である。最晩年に当たるこの時期の作品は、かつての乳白色を活かしながら、30年代以降に現れた立体表現と色彩がマッチしており、明らかに20年代の彼の作品よりも円熟味を増している。またこの頃から子供をモチーフにした独特の絵画が登場する(個人的にはあの子供の絵は気持ち悪いが)。

 以上のような藤田の画風の変遷を本展では容易に辿ることが出来る。私個人としては、正直なところ藤田の絵はあまり好みとは言い難いのだが、それでも晩年の作品にはいくらか面白味を感じるものもあった。どうやら私は藤田の絵と言えば、20年代の作品しか知らなかったようなのである。私の知らない画家の真実に触れたようで楽しめた。

 

「フンデルトヴァッサー展」 2006.4/11〜5/21

 フンデルトヴァッサーと言えば、関西の人間なら舞州にあるぶっ飛びデザインのゴミ処理工場を思い出すだろう。ウィーンの町中にあのぶっ飛びデザインの集合住宅を建造して物議を醸した芸術家である。本展はそのフンデルトヴァッサーの建築物の模型や、彼の絵画などを展示している。

 こうやって作品を眺めてみると、やはり彼の作品は絵画よりも建築物のような立体造形の方が圧倒的に面白いのを感じずにはいられない。絵画にも彼らしい特徴は現れてはいるが、やはり平凡な現代芸術の一端にしか見えない。

 それに対して建築物の方は、極彩色と異常にうねった曲線が極めて突飛な外観をなしているのだが、それにも関わらず不思議と風景に調和してしまうのである。ここに自然との共存を訴えていた彼の神髄があるように感じられる。彼の突飛な曲線は、自然の曲線だったのだと思い知らされるのである。

 

「須田国太郎展」 2005.11/1〜12/18

 須田国太郎は京都で絵画を学んだ後、渡欧してスペインでヴェネチア絵画の色彩表現やバロック絵画の明暗対比技法を学んだ画家だという。彼は美術史の講師として活躍する傍ら、制作活動にも励み、日本画と西洋画を融合する独自の境地を目指す独自の画風を確立した。

 とのことであるのだが、ヴェネチア絵画に色彩表現を学んだ人物が、なぜこのようにモノトーンで暗いのっぺりした絵を描くのかが私には理解できなかった。この辺りの表現が日本画との融合なのだろうか? ようやく戦後の時代になって色彩が現れ始めるのだが、今度はその独特な輪郭の曖昧さのある表現と荒々しい筆遣いのために、どうも近くで見ると興冷めする絵画という印象を抱かされてしまう。私的には彼の絵画は5歩ほど後ろに下がって遠目で見た方が面白い絵画であると感じずにはいられなかった。

 正直なところ、今まで見たどの絵画とも違うという印象だ。その辺りが面白いと言えなくもないのだが、結局は「好きでない」と言わざるをえないのが辛いところ。

 

「堂本尚郎展」 2005.9/13〜10/23

 堂本尚郎は日本画家で有名な堂本印象の甥にあたるという。最初は日本画を学んだ彼は、伯父の印象についてパリに渡ったことで洋画に転向する。彼はそこで当時流行しつつあったアンフォルメルと呼ばれる絵画運動に参加、中心的画家の一人として活躍するが、やがて思想の違いなどから決別し、独自の路線を歩み始める。しばらくは苦難の道を歩んだ彼も、やがてヴェネツィア・ビエンナーレなどで高い評価を得たことで、現在は国際的に活動しているという。

 はっきり言ってコロコロと作風の変わる画家だという印象。アンフォルメルに参加していた頃の作品は、絵の具を厚塗りして意味のあるようなないような線を塗りたくっているといういかにもありがちな作品で面白みを感じない。またそれがやがては車の轍のような鎧戸のような四角を基調にした作品に変化する(この頃にアンフォルメルと袂を別ったらしい)のだが、これについては「よくまあこれだけ同じような作品ばかり量産したものだ」と呆れるだけである。作品的に最も面白いのは、この次の時期に製作している、惑星をイメージしたという正円を基調にしたデザインである。芸術的感動はともかくとして、デザインとしての面白さは存在するし、色彩感覚の鋭さも感じられる。しかしやがてはこれらの形態が崩れ始め、晩年には単色の絵の具をぶちまけたような作品が登場するのだが、これに至っては「勝手にやっていてくれ」という感想しか出ない。

 現代芸術一般に対して非常に懐疑的なスタンスに立つ私としては、彼が世界的に評価されていると言われたところで、他の有象無象の芸術家達との違いはあまり感じない。正直なところ、どこにでもあるような一般的な現代アートであるという印象しか受けず、ほとんど面白みは感じなかったというのが実際である。

 

「小林古径展」 2005.7/26〜9/4

 小林古径は、大正3年に再興された日本美術院で活躍した画家であるとのこと。梶田半古の画塾で学び、写生を基本にした技術を徹底的に鍛えた後、ヨーロッパ留学などを経て、独自の画風に到達していったという。

 一見して感じられるのは、とにかくどの作品も品が良いということである。動物を描いても、植物を描いても、下卑たところが全くないのである。またこの画家は描線の精緻さに特徴があるとのことだが、本展ではスケッチなども展示されているので、彼がいかにしてその正確な描線を仕上げていっているかが理解できる仕掛けになっている。写生から始まっている画家だけあって、さすがに輪郭のとらえ方には鋭いものがある。

 ただ、実に上品で美しい絵画であるのだが、ひね者の私にはそれが逆に食い足りなさにつながってしまうきらいを感じずにはいられなかった。対象の内面にまで切り込んでいくような迫力や凄まじさのようなものが感じられなかったからである。心地よい絵画なのだが、心地よすぎて表層を流れていってしまったというのが、私の正直な感想である。

 

「村上華岳展」 2005.4/12〜5/22

 村上華岳は京都市立美術工芸学校で絵画を学び、円山派の精密描写手法などを習得した後、浮世絵や西洋絵画なども取り入れながら、新しい日本画の可能性を追究したものの、画壇に対する不信感から画壇を離れ、そのまま宗教的世界に入っていった画家である。本展は彼の卒業制作の作品から、晩年の作品までを網羅しており、書簡なども展示されている。

 展示を眺めていくと、典型的円山派的な絵画であった卒業制作から、急激に画風が変遷するのが分かる。確かに伝統的日本画ではなく、西洋画の彩色などを取り入れていることは素人の私にも分かる。ただ画題が極端に牡丹と観音像ばかりなので、私のようなものには「よくもこれだけ同じ絵ばかり描き続けたものだ」というのが正直な感想である。晩年の仏画などには明らかに死の影が迫ってきていることが見えており、精神的な深さは感じるのであるが、全体的に朦朧とした画面構成は、私の趣味には合わなかったのが本音である。

 

「横山大観展」 2004.7/2〜8/8

 日本画の巨匠・横山大観の作品を、明治期、大正期、昭和期を通して一望できる展覧会である。通して見ることで大観の画風の変遷も把握することができるようになっている。

 東京美術学校を卒業後、日本画の新しい流れを作るべく奮闘していたのが明治期にあたる。この時期の大観の絵画は、まだ日本画の伝統から大きくは踏み出していない。しかしその後、岡倉天心が東京美術学校を追われるという事件があり、この時に彼がやり場のない怒りをこめたと言われているのが話題作となった「屈原」である。その後、朦朧体などと言われる書式を経由した後、傑作と名高い「流燈」が登場する。

 大正期の大観の作品は、以前より自由奔放な画風となる。実験的な作品が多いのもこの時期であり、私の目から見ても「ムラが多いな」というのが若干気になったりする。ハッとする作品もある一方で「?」と思わずにいられないような作品もかなりあったりする。

 そして昭和期になって円熟味が増してきた時期に、戦争の影が忍び寄る。皇室を敬愛していたことから、積極的に戦意高揚に協力した大観の作品は、また玉石混淆の模様を呈する。深い精神性を示す優れた絵画がある一方で、宣伝色ばかりが強くて首をひねるような作品も存在したりする印象を受けた。

 以上のように、私の個人的印象を述べると、意外と作品にばらつきの多い画家だと感じずにはいられなかった。さすがに巨匠と思わせる絵から「なんじゃ、こりゃ」と言葉が出てしまった作品まで実に千差万別である。なんともとらえどころのないといったのが本音である。

 うなったり、首をひねったり、とにかく大観芸術とはなんたるかを楽しめるので、一見の価値はあろう。なお残念だったのは「生々流転」が一部しか見られないこと。しかしあの絵の全体を展示するのはスペース的には不可能であり仕方のないことかもしれないが。

 

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