青春18切符の旅 津山編

 

 

 今週も先週に続いて18切符の旅である。18切符と言えばやはりローカル線、というわけで今回はこれまた以前から気になっていた姫新線と津山線と赤穂線を乗り継ぐという岡山周遊ツアーになってしまった。なお誤解のないように繰り返しておくが、私はあくまで沿線マニアであって鉄道マニアではない。

 出発はまず姫新線から。しかしこの姫新線が実際は曲者である。とにかく本数が少ない。大体ローカル線は1時間に1本のダイヤを守れなくなったら、廃線カウントダウンが入っていると言えるのだが、この姫新線はまさに廃線カウントダウンが入っている路線である。実際、途中の佐用ぐらいまではまだなんとかなるのだが、そこから先が1日に数本という悲惨なダイヤ。聞くところによると、長距離バスとの争いで押されているとか。となればなおのこと、廃線までに乗っておかないと・・・なお繰り返すが、私は鉄道マニアではない。

 

 ダイヤの制約で、早朝の姫路出発便に間に合わす必要がある。朝から眠い。高架のホームから姫路駅の0番ホームに移動、姫路駅では現在ホームの高架工事中だが、このホームはまだ工事前のものであり、古色蒼然とした風がある。ここに2両編成のディーゼル車が到着しているのでこれに飛び乗る。

 姫路駅0番ホーム

 朝早いせいか乗客はまだそう多くない。単線のすれ違いの時にのぞくと、やはり姫路に出てくる側はそれなりに乗客はいるようだが、こちらはちょうど逆になる。最初は姫路の市街地を通っていた路線も、やがて田舎の風景の中を進むようになる。まずは播磨新宮で乗り換えである。

 播磨新宮で乗り換えたのは全く同型の車両。どういう理由でここで乗り換えがあるのかは今ひとつ分からない。ここからはさらに沿線の風景は田舎めいてくる。しかも山の中といった私の好きな雰囲気になる。山間の蛇行したルートを列車はかなりゆっくりとしたペースで抜けていく。

 次は佐用で乗り換え。ここからは一両のワンマンディーゼルである。智頭急行との接続駅であるので、智頭急の普通列車も見える。いつかはあっちにも乗ってみたいな・・・・再び繰り返すが私は鉄道マニアではない。

 私の乗った車両は智頭急の普通列車とほぼ同じタイミングで出発する。しかしここで私の口から出た言葉は「速っ」というもの。智頭急の普通列車がみるみる加速するとこちらの列車をあっという間にぶっちぎっていく。路線の規格の差というのか、車両の性能の差というのか。こうまであからさまに見せられると「機体の性能がすべてではないんだよ」などとは言っていられない。

 智頭急の普通列車がぶっちぎり

 ここからは一部、中国自動車道と平行したルートなどもある。「そう言えばあっちを走ったことも良くあるな・・・」と感慨深さもひとしお。ただよくよく考えていると、やはり遅いと言わざるを得ない、この列車。結局は三時間近くを要して、ようやく津山駅へと到着する。

 津山駅はかつては陰陽接続駅として賑わったそうだが、それも今は昔。鳥取行きは智頭急経由のはくと、松江行きは伯備線経由のやくもという今日では、メインストリートからはずれた駅というイメージになってしまっている。駅の規模が比較的大きいことがかえってもの悲しさを感じさせる。

 それにしても感じたのは、やはり時間がかかりすぎるということ。同じルートを車で走れば2時間はかからないのではないか。これではバスに押されてしまうのもやむを得ない気もする。かといって、高速化対応の工事をする予算などとてもなかろうし、今更手遅れのようにも思えるし・・・やはりいずれは消えゆく路線なのだろうか。

 

 津山駅に降り立つと、まずは駅前の観光案内所に飛び込む。ここで貸自転車を2時間400円で借りられるそうである。こういう市街地があまり広くなくて、市内に起伏の少ない土地では自転車で移動するのがもっとも機動力があるのである。

 津山での私の愛車 名付けて豪雷号(笑)

 自転車で商店街を突っ切りながら、まずは津山城跡を目指す。手前の観光センターで自転車を乗り捨て、後は徒歩である。

 津山城はかつては五層の天守を持つかなり大規模な城郭だったようだが、明治時代に建造物が解体されたので、現在は石垣が残るのみである。最近になって備中櫓のみが復元され、往時の面影をしのばせている。なお備中櫓内でCGによるかつての津山城の再現映像が流されていたが、やはりかなりの規模の城郭であったことをうかがわせ、もし現存していたら間違いなく世界遺産だったろう。その偉容については残った石垣からだけでも十分にうかがえる。勿体ない限りであるが、むしろ解体されたのはそのあまりの堅固さが祟ったようにも思われる。というのも、明治時代レベルの戦争だとこの城は十分に実戦に使用可能であるので、これは旧武士勢力の武装解除を進めていた明治新政府としては看過できなかったであろう。

 立派な石垣  備中櫓

 城からは市街が一望

 津山城から降りてくると、麓の施設をのぞく。私の遠征は常に「展覧会巡り」である。せめて博物館ぐらいは寄っておかないと。


津山科学教育博物館

 以前から噂には聞いていたのだが、とにかくすごいとしか言いようがない博物館。やはり一番驚くのは、その標本の量である。世界各地の動物の剥製標本が展示してあるのだが、物量的には国立科学博物館をも凌ぐかもしれないと思わせるものがある。

 そして一番のポイントは、ここが開設されたのがワシントン条約が発効する前であるということ。つまりは今となっては絶対に入手できないような貴重な標本も多数存在するということ。これはマニアならよだれものである。

  

  孫悟空のモデルキンシコウの剥製       これは貴重なユキヒョウの剥製

 しかし展示に関しては、ビジュアルを意識した国立科学博物館などとは対局的である。古びた建物の中にまさに押し込んであるという印象(しかもこの建物の構造が分かりにくいので、最初に入った時には奥に部屋があるのに気づかなかった)。しかもどこからかホルマリンの臭いも漂って来るといういかにも怪しげな雰囲気。とてもではないが、夜に一人でうろつく気にはなれない。

 とにかくマニアック。もしくは桂小枝調の「パラダイス」。動物標本の類に興味のあるものなら必見だろうし。そうでない者も話のタネに立ち寄る価値は十分あり。ちなみに私は・・・ここを舞台にしてSF映画を撮りたいと感じました。「時をかける少女」みたいなのを。


津山歴史民俗館

 津山にまつわる事物などを展示してある。建物は元々は教会だったとのことである。地味な展示がほとんどだが、狩野派の絵があったのは驚き。


 ここまで回ったところでお昼前になった。そこで昼食をとることにする。今日の昼食は観光センターに隣接した「よし乃城下店」で摂ることにする。

 注文したのは椎茸定食。実はこれも「幻の駅弁」なのである。かつて津山もにぎやかしき頃には駅弁が販売されており、その駅弁が「椎茸弁当」だった。しかしその弁当屋が火災に遭い、駅弁から撤退してしまったのだという。その往時の椎茸弁当を元にしているのがこの椎茸定食だとのこと(なお現在も、よし乃において往時をしのばせる椎茸弁当の販売もある)。ご飯は錦糸卵にそぼろ、そこに椎茸の煮付けを乗せてある。かつてはこれが椎茸弁当だったのだろう。それにゆずの効いたうどんやイカ刺し、サラダなどの小鉢が添えてあって豪華さを演出している。

  

 さて味の方だが、これが結構うまい。正直に言うと私はゆずも椎茸もあまり得意ではないのだが、その私が素直にうまいと感じた。特に飾り立てていないシンプルなものなのだが、それが素朴なうまさを醸し出している。なお椎茸ご飯に関しては明らかに弁当用のチューニングだということを感じた。というのも、定食での温かい状態でもうまいのだが、明らかに冷えてからの方が味がしまるだろうと思われたのである。

 昼食を食べ終わった頃には乗車予定の列車の時間が近づいていた。慌てて観光センターでみやげものを購入すると、駅まで自転車を飛ばす。次は津山線で岡山まで移動である。

 快速ことぶき

 乗車したのは快速ことぶき。これもまたもやディーゼル列車なのだが、先ほどの姫新線に比べると疾走感がある。また沿線の風景も、駅舎が亀の形になっている亀甲駅や、なぜかカッパの像がある弓削駅など、なかなか変化があって楽しませてくれる。

  

     亀甲駅              弓削駅はなぜかカッパ

 なお私は先ほど「疾走感」という言葉を用いたが、これは多分に主観的なものである。というのは、時速80キロの列車よりも、時速40キロの列車の方が「疾走感」を感じる時があるからである。思うにこれは、その列車の限界に対してどれだけの速度を出しているかが影響しているように思われる。例えば時速150キロ出る列車が80キロで走っても、まるでさぼっているように見えて、そこに「疾走感」はない。しかし時速60キロが限界の列車が40キロで走ると、いかにも限界ギリギリでがんばっているという印象で「疾走感」が出てくるのではないか。多分にこの「疾走感」はやばさと直結しているような気がする。この論理でいくと、シューマッハが180キロでF1を運転するよりも、私が100キロでカローラ2を運転する方がはるかに疾走感があるはずである。

 などとうだうだ考えているうちに、列車は山間部にさしかかる。まさに両脇から山が迫ってくる印象だ。津山線は去年の台風による崖崩れで、しばらく運休していたのだが、こりゃ山崩れも起こるわなと納得。そしてこの山間部を抜けると急に辺りが都会めいてきて間もなく岡山に到着する。

 岡山に到着すると赤穂線のホームまで走る。実は次の目的地は赤穂線の沿線である。私がわざわざ快速ことぶきを選んだのも、津山線から赤穂線に乗り換える場合、普通列車だとなぜか赤穂線の列車が出た2,3分後に到着するので岡山で1時間近く待つ羽目になるからである。ここで乗り換えができるのは実は快速ことぶきしかないのである。

 しばらくして赤穂線の列車がやってくる。これもディーゼル車である。列車に飛び乗ると、ホームで買ったジュースでのどを潤す。先々週の北陸と比較するべくはないが、それでも今日も涼しいとはほど遠い天候である。

 列車はガタゴトと農村部を抜けていく。辺り一面田んぼの世界である。なお赤穂線と言えばその名称から海沿いを走る印象があるが、実はこの辺りは海の近くまで山が迫っており、赤穂線から見えるのは常に山の風景だけである。その辺りは海のギリギリを走る呉線とは根本的に違う。そしてこの赤穂線において、唯一海が見える箇所が次の目的地である。

  

 列車は1時間近くを要して日生に到着する。駅の真ん前に日生諸島行きの連絡船乗り場がある。ここから数分歩くと目的地のはずである。しかしその前に昼食パート2とすることにする。津山で昼食パート1を食べてから2時間以上が経過しており、もう既に椎茸は完全に消化されている。

 ここで私が立ち寄ったのは「御食事処はましん」。日生で取れた魚を使った寿司などを出す店である。私が注目したのは「穴子のひつまぶし」。ここの人気メニューの一つらしい。

 食べ方はうなぎのひつまぶしと同じ。まず最初はストレートで一杯。次に薬味を乗せて一杯。さらに出し汁をかけて一杯である。ウナギと違い穴子はより野性味があるというか、悪く言えば泥臭い感じがある。その穴子を香ばしく焼き上げてあり、これはこれでウナギと違った世界が広がっている。うなぎのような上品さはないが、味に力強さがあるのである。これに出し汁をかけて食べると、またさっぱりする中にこくがあり、なかなかの美味。これは確かに人気の出そうなメニューである。

 なおかつてある政治家が整備新幹線に絡んで「うなぎを注文したのに、穴子やドジョウが出てきたみたいなもの」と発言して、「穴子やドジョウに失礼だ」と大いに顰蹙をかったのだが、私も今になると分かる。確かにうなぎのパチモン扱いでは穴子に失礼である。

 腹が一杯になったところで、目的地までブラブラと歩く。それにしても人がいない。日生は結構有名な観光地のはずなのだが・・・。そう言えば先ほどの津山もほとんどと言って良いほど人がいなかった。日生は牡蠣のシーズンになればもっと賑わうのだろうが、津山はいつ賑わうんだろう。何やら不安になってくる。

 目的地は住宅街の真ん中に突然現れる。

 


森下美術館(BIZEN中南米美術館)

 この美術館は日生で魚網の製造販売を行っていた森下精一が、南米で買い集めた古代中南米文化の遺物のコレクションの寄贈を受けて開設されたという。

 ヨーロッパの野蛮人の侵略によって滅ぼされる以前、中南米地域にはインカ・アステカ・マヤなど実に多彩で高度な文明が栄えていたことが知られているが、本館はそのような文明の遺物が多数展示されている。

 以前に「ナスカ展」を訪れた時、この地域の人々の動物などに対する独特の優れた描写力に感心したのだが、本館の収蔵品においてもそのことはうかがわれる。動物などを描いた土器が収蔵品に多いのだが、いずれもその素朴でいて芸術的な表現はかなり楽しませてくれる。その荒削りのようでいて、実はかなり巧みなデフォルメなどは、現代芸術をも凌ぐ感性である。

 実のところ、以前の私はこの手の物品にはほとんど興味が湧かなかったのだが・・・やはり嗜好が変化してきたのか。

 なお本館ではトウガラシ、ジャガイモ、カカオなど、中南米を産地とする作物の由来なども併せて展示してあった。ちなみにトウガラシの項には「カプサイシンが代謝を促進するとしてダイエットにもてはやされているが、胃を刺激して食欲を増進させたり、摂りすぎると胃腸を壊す恐れもあるので注意」と記載してあったのは、あるある大辞典よりもはるかに良心的であった(笑)。


 正直に言うと、地方都市の美術館で展示品が中南米の物品と言うことであまり期待していなかったのだが、想像以上に楽しめた。ややマニアックであることは事実ではあるが・・・。

 以上で本日の全日程は終了である。後は駅前の土産物屋で、岡山観光協会が岡山の新たな名物として売り込み中という鰆の棒ずしときび団子を買って、帰路につく。日生からのディーゼル車は播州赤穂で電車に乗り換えである。この電車は野洲行きの新快速であり、これで先週と併せて新快速の全線を走破したことになる・・・・なお私は断じて鉄道マニアではない。

 ちなみにみやげの鰆の棒ずしは、翌日に家でいただきましたが(製造翌日の方が馴染んで美味しいそうな)、肉厚の鰆に柔らかさと微妙な甘みがあってなかなかの美味。この新名物、なかなかいけそうである。

  

 

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