展覧会遠征 岐阜編3

 

 この週末は関西フィルのライブに名フィルのライブをはしご、さらに岐阜方面の山城巡りをしようという計画。そもそも遠征のきっかけは名フィルのマーラーの8番を聴きに行こうと考えたこと。今年は沼尻言うところの8番祭状態で、九州響、読響、京響、名フィルと8番が立て続きになった。この内で京響のびわ湖は行ったが、九州響はロンドン響と日程が被ったために不可、読響はわざわざこれだけのために平日に東京まで行くのは無理というわけで、週末の名フィルぐらいは行こうかと思った次第。

 

 名古屋方面だと通常は新幹線だが、山城も併せて回るつもりであることから愛車のノートを持っていくことにした。久しぶりのマイカーでの長距離ドライブになる。金曜日の仕事を早めに終えるとまずは大阪に向かうことにする。車を持っていく関係で、今日の宿泊ホテルは駐車場のあるジーアールホテル江坂。山陽道を順調に航行していたのだが、カーナビの地図が古かったせいで神戸JCTで大阪方面に向かわずに新名神に乗ってしまって迷走飛行に。慌てて川西ICで高速を降りてひたすら南下、ようやく目的地にはたどり着いたが30分以上をロスしてしまうことになった。それにしても久しぶりに大阪を車で走ったが、やはり大阪は極めて走りにくい。大阪の交通ルールを一言で言うと「やったもん勝ち」。路上は全く何でもありの無法地帯である。

 

 ホテルの駐車場に車を入れてチェックイン手続きを済ませると、地下鉄で大阪に向かうことにする。ホールに行く前に夕食を取る必要があるが、まだ食欲がイマイチで食べるものが浮かばない。面倒になったので「ミンガス」「ロースカツカレー」で済ませることにする。しかし今日はこの店にしては珍しくやけにカレーが出てくるのが遅い。どうも新しいバイトが要領が悪い模様。大丈夫か?この店。

  

 とりあえずの夕食を済ませると、ザ・シンフォニーホールに向かう前に大阪ステーションシネマに立ち寄り、来月から始まるMETライブビューイングの3枚セットのムビチケを購入しておく。ライブビューイングはとにかく料金が高いので少しでも安くしたい。

 

 これで大体の用事は済んだのでホールに向かう。外は大分涼しくなってきたのでホールまで歩いても汗だくにならなくて済むのはありがたい。今年は夏の異常な暑さのせいで体がボロボロになってしまって、未だにその後遺症は残っている。これからボチボチと体調を立て直していかないといけない。

 


関西フィルハーモニー管弦楽団 第296回定期演奏会

 

[指揮]アンドレイ・フェーヘル

[チェロ]北村陽

[管弦楽]関西フィルハーモニー管弦楽団

 

ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて」

チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲 op.33

チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 op.74「悲愴」

 

 若手指揮者・フェーヘルはやけに繊細で上品な演奏をする印象。おかげで「中央アジアの草原にて」というよりは「中央ヨーロッパの平原にて」というように聞こえる。この曲はもう少し野卑なところがあっても良いように思うのだが。

 二曲目は北村のチェロ。技巧的で難しい旋律もこともなげにサラッと弾いてしまうには驚き。ただあまりにサラッと演奏してしまうせいで、やや深みに欠けて聞こえてしまうきらいもあり。この辺りは彼がもっと経験を積み重ねると変わっていくだろう。

 悲愴については、第一楽章は複数の楽器が錯綜する場面になるとややガチャガチャして聞こえることがあった。指揮者の整理が出来ていないのか、関西フィルのアンサンブル力の限界なのかは定かではない。ただ演奏自体は尻上がりに良くなり、第三楽章などは見事に決まっていたし、第四楽章もなかなかに情感漂うものであった。身をよじるような悲しさというよりは、やはりやや上品気味なところはあるが、まずまずの演奏であった。この若き指揮者も、今後さらに経験を積み重ねていくと大きく化けるかもしれない。


 充実した音楽を聴くと腹が少し減ってきた。そこでホテルに戻る前に、向かいの「十鉄」「ちゃんぽん(590円+税)」を頂く。もっちりした太めの麺が美味。

  

 ホテルに戻ると疲れが大分出てくる。とりあえず大浴場で入浴すると就寝するのである。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時に目覚ましで叩き起こされるまで爆睡していた。目が覚めるととりあえずシャワーを浴びてから、昨日帰りにイオンで買い求めていたパンとサンドイッチを朝食にする。

 

 荷物をまとめながらテレビをつけると「まんぷく」を放送中。前の朝ドラは見るに堪えないほどひどい作品だったが(話の辻褄が合わない、登場人物の人間性が全く描けていない、各キャラクターの行動に一貫性と意味がない、などそもそも脚本のレベルが異常に低すぎた)、今度の作品はキチンと人物が描けているようだ(そもそもそれは本来なら当たり前なのだが)。

 

 ドラマが終わった頃には荷物をまとめてチェックアウト、これから岐阜まで走ることになる。例によって大阪市内は異常に走りにくい。道路の混雑はひどいし、マナーも最悪、そしてドライバーは殺気立っている。つくづく大阪は車で走りたくない。

 

 吹田JCTから名神に乗ると、後はひたすら走り続けることになる。このまま岐阜まで一気に走っても良いのだが、多賀SAで途中休憩をする。ここで途中休憩したのは予定通り。今日は10時から西宮でのチケットの販売があるのと、このSAには「敏満寺城跡」なる遺跡があるのでそれを見学しとこうという考え。

 

 多賀SAには予定通りにちょうど10時前に到着、車を置くとスマホをつないで兵庫芸文のサイトにつなぐが、サイトがダウンしていてつながらない。毎度の事ながらここのサーバはチケット発売の度にサイトがダウンする。結局はフラフラと敏満寺城跡を確認しながら何度か接続を試みることに。

 

 敏満寺城跡はその名の通り敏満寺という寺院が城塞化したものだとか。敏満寺は中世ではこの辺りを代表する大寺院だったらしい。しかしこの寺社勢力も、浅井長政に攻められて大きな被害を受け、さらに寺の焼き討ちが趣味だった(笑)織田信長に攻められて根こそぎやられてしまって今日の状態と言うことらしい。

左 この公園が城跡  中央 遠くから見ると小高くはなっている  右 土塁上のこの辺りは櫓でもあったか

 城跡といっても特別な遺構があると言うほどではない。SAの隣にドッグランがある公園があるが、この辺りが城内らしい。今も土塁と思われる土盛があるのと、地形的に結構切り立っていることなどが城っぽさを感じさせる。

 

 城跡(?)を一回りし、その間に何とか無事にチケットも手配完了、再び岐阜に向かって走ることにする。さて最初の目的地だが、それは岐阜の川原町。長良川河畔の古い町並みが残っている地域であり、長良川の鵜飼い船などもここから出ている。今まで何度か岐阜は訪れているが、この地域のことは知らずにスルーしていた次第。

 

 名神から東海北陸道へ乗り継ぎ一宮木曽川ICまで高速道路は順調だったのだが、一般道に降りた途端に岐阜の手前で大渋滞で想定以上に時間を費やすことに。

 

 とりあえず昼前に川原町に到着する。長良川沿いの臨時駐車場に車を置いて川原町まで10分ほど歩いたが、到着するとキチンと町並み見学者用の駐車場があることに気付いてずっこける羽目に。

   長良川沿いを歩く、このやけに高く土盛りしてある中州の意味は後に判明

 川原町は長良川沿いの旧商家町で、今は鵜飼い船なども出ている。道路沿いに奥行きの深い町屋の建物が多数並んでいて、それらの中には現在も観光客相手の商売をしているところも多い。なお前の道路がこの手の商家町にしてはやや広めなのだが、これは元からそうなのか、どこかの段階で区画整理したのかはよく分からない。ただかなり古い建物が多いので、昭和以降に区画整理されたとは思えないが。

 町並みを端まで歩いたところで、鮎料理の店「泉屋」を見つけたのでここで昼食を摂ることにする。注文したのは「若鮎天ぷら・稲庭うどん御膳(2700円)」

   

 コースのようになっていて、まずは前菜から。いずれも鮎がからんだ料理だが、なかなかにうまい。ただ腹は膨れない。

   

 次に若鮎の天ぷらが出てきて、少し遅れて稲庭うどんが到着。若鮎の天ぷらは非常に美味。稲庭うどんも腰があってツルツルと非常に美味。

   

 最後はデザートは山椒のアイス。これは山椒の実を使っているとか。ミルクアイスは後口がネットリしがちだが、このアイスは後味がサッパリしていて非常に爽快。これは初体験である。

 後味さっぱりの山椒アイス

 なかなかに美味かった。ただ食事量がかつてより減っている今の私にさえこれはいささかボリューム不足。そういう点ではCPにはしんどいところもある。お洒落に美味しいものを食べたい女性向きか。私のようなガッツリ食べる下品な男向きではない。まあその場合は鮎ラーメンにでもしておけば良かったのか。

 

 町並みを一番端まで見学して折り返してくると、これまた一番端にある店「緑水庵」みたらし団子を頂くことに。団子は至って普通だが、町屋を活かした風情ある店内がなかなか良い。

 川原町の見学を終えたところで一旦ホテルに荷物を置きに行くことにする。今日の宿泊ホテルはドーミーイン岐阜駅前を予約している。ドーミーインの契約駐車場に車を入れるとホテルにキャリーを預けてから岐阜駅まで。ドーミーイン岐阜は「JR岐阜駅から陸橋で直接接続」と記載がある。こう聞くと本当に駅の真ん前のイメージだが、実際は陸橋でつながっているのは事実だが、駅に到着するのには5分程度かかる距離がある。知らない間に岐阜駅前の陸橋エリアがかなり広がっているのである。

   

駅は結構遠い

 岐阜から名古屋まではJRで30分かからない。思っている以上に岐阜は名古屋に近い。これだと確かに誰も不便な岐阜羽島駅なんて使わずに名古屋駅を使うよな・・・。

   岐阜駅前の金の信長像は、金のエンジェル1枚、銀のエンジェル5枚でもらえません

 今日の名フィルのコンサートはフォレストホールで開催なので金山まで移動する。金山駅前では閉館になった名古屋ボストン美術館が閉鎖されている。何やらもの悲しい風景。全くこの国は文化面は実に不毛だ。これで名古屋に来る機会も減りそうな気がする。それでなくても今は愛知県美術館も改装で閉館中だし。

     閉鎖されている名古屋ボストン美術館

 フォレストホールに到着したのは開場の20分ぐらい前。既に大勢の客でごった返している。こんなところで待つのもしんどかったので、ホール内の喫茶でアイスココアを頂きながら時間をつぶすことにする。

  

 喫茶でマッタリと30分ぐらいつぶしてからホールに入場。ロビーでは選抜メンバーによるロビーコンサートが。最近はこの手のイベントをするところが増えている。記憶にあるところで札響、新日フィルがしていた。そう言えばアマの神戸フィルもしてたな。

 

 チケットは売り切れのようなことを言っていた気がするのだが、ホール内には空席もチラホラとある。年間会員の中で来てない者もいるんだろうか。まあこの曲は賛否両論あって、あまり好きでない者も結構いるから。

 


名古屋フィルハーモニー交響楽団 第461回定期演奏会

 

小泉和裕(指揮/名フィル音楽監督)

中部フィルハーモニー交響楽団(共演)

並河寿美(第1ソプラノ)

大隅智佳子(第2ソプラノ)

三宅理恵(第3ソプラノ)

加納悦子(第1アルト)

福原寿美枝(第2アルト)

望月哲也(テノール)

宮本益光(バリトン)

久保和範(バス)

グリーン・エコー,名古屋市民コーラス,名古屋混声合唱団,一宮第九をうたう会,名古屋シティーハーモニー,クール・ジョワイエ(合唱)

名古屋少年少女合唱団(児童合唱)

 

マーラー: 交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲』

 

 名フィルと中部フィルのジョイントによる20−17−14−12−10という超巨大編成なのが今回のオケ。しかし急遽の編成とは思えないぐらいオケのまとまりは出来ていた。ちなみに今回は合唱も含めると497人の編成で、1000人まではいかないものの「500人の交響曲」というかなりの大規模なものになっていた。とにかく人数が多くて遠いのを意識してか、小泉の指揮も見やすいようにいつも以上に動作を大きくしていたようだ。小泉の指揮は万事諸々に目を配っているのが感じられる。

 ただことごとく邪魔をするのはこのホールの異常な音響の悪さ。大編成の合唱団にも関わらず音が抜けてこないし、その前に配した独唱陣はさらに輪をかけて音が前に出てこず、やけに合唱陣が遠くに感じられる。また超巨大編成のオケもその破壊力を完全に発揮したとは言いにくい部分がある。なおホールの構造的にバンダの金管はステージサイドに配していたが、おかげで残念ながら天上のラッパが地上のラッパになってしまって、あのびわ湖ホールの劇的効果を思い出すといささか寂しい結果になってしまった。


 ホールのせいでかなり効果が減殺されていたが、そもそもかなり華やかな曲なので会場はそれなりに盛り上がっていた。この曲は特に終盤の盛り上がりが気分を高揚させる効果がある。その内に年末の第九に代わって、年末のマラ8の時代が・・・来ないか。

 

 ライブを終えるとホテルに戻る前に夕食を摂ることにする。名鉄で名古屋まで戻って、そのまま名鉄百貨店のレストラン街へ。案の定うなぎ屋は大行列なので、諦めて「文化洋食店」カニコロッケを頂くことにする。

   

 カニコロッケはこの店の名物であるが、切ってみるとまるでミンチカツのように見える濃厚な中身が特徴。カニの風味が非常に強くて実に美味。

   

 夕食を終えると岐阜に戻る。JRの快速に乗るとすぐ。体感的には大阪−神戸よりも近い印象。

 

 岐阜に戻ってくると、ホテルに帰る前に少しだけ寄り道をする。ちょうど今は鵜飼いのシーズンとのことなので、鵜飼い船には乗らないまでもせめて雰囲気だけでも体験しておこうかと考える。岐阜の駅前からバスで長良橋まで移動。長良川を眺めると既に多くの乗合船が出ている。それを眺めながらしばしボンヤリ。その内に打ち上げ花火を合図に松明を灯した鵜飼い船が出陣。

左 合図の花火  中央・右 あまりに遠すぎて何のことやら分かりません

 長良川北岸のホテルから多くの人が出てきて川を眺めているが、鵜飼いは南岸側でやっているので遠くに松明がチラホラ見えるだけである。南岸側には目隠しのように背の高い中州を作ってあるので視線が遮られて何も見えない構造になっている。鵜飼いをキチンと見ようと思うと、3000円以上を払って見学船に乗るしかないシステムになっているわけである。まあ彼らの収入源はこの乗船料なんだから、ただ見されたら商売にならないだろうから、その辺りはしっかり考えてある。望遠レンズで覗くと松明の明かりで鵜をつないでいる紐ぐらいは見えるがその程度。まあそれでも鵜飼いの雰囲気は味わったのでバスで引き返すことにする。

 

 ホテルに入るとまずは入浴。ここのホテルは温泉大浴場があるが、源泉は池田さくら温泉(揖斐池田町からの運び湯のようだ)で、ナトリウム炭酸水素塩泉でpH8.6のアルカリ泉とのこと。この湯が内風呂に注がれており、ヌルヌルとした本格的な湯。pHを見ると先日訪問した出石温泉元湯にも匹敵している。なお外気浴もあるが、こちらは新湯のようなので内風呂を中心に入浴。体に本格的にキツいのは明日以降のはずなのに、今日一日でもかなり疲労がたまってしまった。特に腰の状態が怪しい。そこでできる限り疲労を抜いておくことにする。非常に心地よい湯で堪能する。

多賀SAで買い求めたくうや観助餅がこの夜のおやつ

 風呂上がりには往路に多賀SAで買い求めていた饅頭でマッタリ。地元米を使っていると説明があったが、確かに皮がかなりうまい。帰りにお土産で欲しいところだが、残念ながら上り側でしか売っていないと言ってたな・・・。

 

 風呂から上がってしばしマッタリすると、夜のドーミー名物夜鳴きそばへ。今日は昼・夜共にやや軽めで小腹が空いていたのでこれは非常にありがたい。

    ドーミー名物夜鳴きそばで小腹を満たす

 夜食を摂るとしばしテレビを見ていたが、やはりろくな番組がない。体の方がかなり疲れていることだし早めに寝ることにする。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は8時手前まで寝ていた。一度6時頃に目が覚めたが二度寝。かなり疲れも残っている。シャッキリしないまま、とりあえず朝食へ。朝食はドーミー名物の地元食も含んだ和洋両対応のなかなかのもの。

  

ドーミー朝食は現地食の和洋両対応、みそカツに小倉トーストもあります

 朝食後は入浴して血の巡りをよくする。今日は本格的に山城巡りをする予定なので、とにかく体を動くようにしておかないと。

 

 9時過ぎにホテルをチェックアウトすると東に走る。まず最初の目的地は「美濃金山城(兼山城)」。この度、続100名城に選定された城郭であり、本遠征の城方面での主目的である。そもそも続100名城が選定された時、その時点で私の未訪問城郭は三春城、品川台場、鮫ヶ尾城、美濃金山城、水城の5カ所で、美濃金山城以外の4つは順次視察終了で最後に残ったのがここだった次第。

 

 美濃金山城に向かう前に、兼山町の戦国山城ミュージアム(旧兼山歴史民俗資料館)に立ち寄る。どうやらここは兼山城の続100名城選定に合わせての観光整備の一環でリニューアルされた模様。内部は兼山町の歴史にまつわる展示もあるが、より戦国関係の展示を増やして、しかもミーハー色を増している。何やら怪しいイケメン明智光秀の幟も。民俗資料館らしいのは一階の方で、かつて木曽川水運で栄えた兼山の歴史、かつてここを走っていた名鉄八百津線の兼山駅に関する資料などもある。なおこのコーナーは悪質な鉄オタ(別名盗鉄)による盗難を警戒してか、防犯カメラ装備になっている。

左 民俗資料館  中央 かつての兼山駅に関する展示  右 謎のイケメン明智光秀

 ここで兼山城に関する資料を集める。なお可児市自体が今回を機に山城観光誘致を目指しているようで、各山城の資料の配付なども積極的に行っている模様。

 

 資料が揃ったところで兼山城に向かうが、その前に町から見られるという米蔵跡の石垣を見に行く。ここはそもそもは屋敷跡で、それが江戸時代には年貢を貯蔵する米蔵、さらに明治以降には製氷池として使われていたとか。なかなかに立派な石垣である。なおここから兼山城に登るルートもあるらしいが、そもそも山登りが目的ではない私はもっと楽なルートを取ることにする。

    米蔵跡の石垣

 さて兼山城に出向くことにする。出城まで車で上ることが出来、そこから10分ほどで本丸にたどり着けるとか。かなり便利な山城である。出城までの道は急ではあるが舗装された道路であり、余程変なタイミングで変な対向車(運転が下手なくせに無駄に大きな車を運転している輩とか)に出くわさない限り全く問題のない山道である。

左 出城跡はかなり広い  中央 下に見えるは蘭丸広場  右 見晴らしがかなり良い

 出城には駐車場も設置されている。もうここの時点でかなりの標高。遠く可児市街を見渡せるし、下には蘭丸広場も見える。

 

 本丸方面への登り口は出丸の入口の近くにある。案内看板から杖、パンフレットまで装備されていて万全の構え。今回の続100名城選定を機に観光開発につなげようという可児市の意気込みが伝わってくる体制である。

    登城口も万全の体制

 兼山城は1573年に斎藤道三の名で猶子の斉藤正義が築城、しかし正義は久々利城主の土岐三河守に謀殺されてしばし城主不在になる。なお正義の謀殺についてはこの後に土岐三河守が道三から処罰されていないことから、正義の力が強くなったことを警戒する道三による陰謀との説もあるとか。後に美濃を織田信長が支配すると、金山城には家臣の森可成が入り、可成の戦死後は長可が城主となった。1600年に森氏が信州に移封されたことで廃城となったとのこと。なお森可成の三男・成利がジャニーズ系の森蘭丸であり、森蘭丸ゆかりの城ということで蘭丸広場ということらしい。

 

 登城口から整備された山道を登り始めると10分もかからずに三の丸に到着。ここには大規模な虎口があり、先ほどの米蔵からつながる道がここに通じていて、これが本来の登城ルートであるようだ。

左 三の丸に到着  中央 この石垣には破城の跡が見える  右 こちらが虎口

 ここから一段上がると二の丸。ここには物見櫓なども建っていたらしいが、現在は木が茂っていて視界がない。

左 一段上の二の丸  中央 物見櫓跡は今は木のために眺望がない  右 本丸方面へ向かう

 二の丸からはかなり大規模な大手枡形を経て南腰曲輪。ここから天守台の西南を回り込んでいよいよ本丸に到着する。

左 大規模な大手枡形虎口  中央 南腰曲輪もかなり広い  右 天守台西南角石を回り込んで本丸へ上がる

 本丸はなかなかに広大なスペースがあり、発掘調査の結果の礎石跡も残っている。見晴らし抜群で、兼山の町や木曽川を見下ろすことが出来る。この地を支配する拠点としては格好の立地であることがよく分かる。

左 本丸に出る  中央 城跡碑が立っている  右 建物の礎石跡

左 眺望は抜群  中央 先ほどの大手枡形虎口を上から  右 本丸裏手の虎口

 本丸から裏手に降りたところにあるのが東腰曲輪。ここには立派な石垣があるが、自然岩盤と石垣を利用した集水枡跡がある。城郭において重要な水の確保は当然ながら万全を期している。

左・中央 一段下の東腰曲輪  右 本丸下の集水枡跡
 

 ここからさらに降りたところに東部曲輪があり、また左近屋敷に通じる道もあったようだが、この辺りは斜面崩落などもあって左近屋敷には現在は行けなくなっているようだ。自己責任で強引に進んでみようかとも思ったが、途中がグチャグチャで進むのは不可能と判断。

左 東腰曲輪の奥を降りていく  中央 東部曲輪の一つ  右 左近屋敷方面には崩落などもあるようだ
 

 一回りして見たが、さすがに続100名城に選ばれるだけあって立派な城郭である。なお非常に保存状態が良いのは、明治時代に皇室の御料林になっていて民間に払い下げされていなかったかららしい。これが結果として遺構の保存につながったとか。とかく古代史解明などに際して妨害することが多い宮内庁だが、たまには逆に貢献することもあるらしい。

 

 これで続100名城も含めての視察完了。一段落である。今後また大々的に私が動くとしたら続々100名城が選定された時か(笑)。しかしまあ現実にはもう不可能だろう。選定に値する城を全国で100選ぶことが困難だし、特に現在の原則となっている一県最低一件というのは間違いなく不可能。そこで無理すると「?」って城郭ばかりが並ぶ羽目になるし。まあ一県最低一件の原則を崩せば、後50ぐらいだったら選べなくもないが。

 

 美濃金山城の見学の後は、ここから南方にある「明智城」を見学に行く。明智光秀ゆかりの城郭とも言われている。なお恵那にある明知城も明智光秀ゆかりを名乗っているが、歴史的に見て本命は明智城の方だろうと言われている。

 

 明智城は天龍寺南方の東西に長い山地上にある。大手口から登る方法もあるが、私は住宅地の中にある西出丸曲輪の方から見学することにした。入口前に車を置いて見学するが、西出丸曲輪は曲輪と言うにはあまりに削平されていない。自然地形そのままであって建物などは建てられないだろう。

左・中央 西出丸曲輪はほとんど削平されていない  右 水の手曲輪方面への道は通行止め
 

 そこから東に進むと馬場や本丸などの表示があり、模擬馬防柵などが建てられて整備されている箇所があるが、スペースがあまり広くないので、大きな建物は建てられなかったであろう。なお本丸奥の展望デッキは立ち木のために眺望皆無。

左 模擬馬防柵  中央 この辺りが馬場  右 一段上の本丸

左 城跡碑  中央 眺望皆無の展望台  右 隣が二の丸

 さらに東に進むと大手道を守る形で中の丸があるが、スペースが狭いことはともかく、切り岸などの加工がしていないので、大手側からの斜面が緩くて直接に取り付くことが可能なように見えることが気になるところ。どうも城郭全体的に自然地形にあまり手を加えていないように感じられる。

左 中の丸方面  中央 中の丸  右 大手道、左が中の丸になるが斜面が緩すぎる
 

 なお西大手曲輪方面に向かう道は山崩れでもあったのか閉鎖されていた。どうも全体的に曲輪と言われれば曲輪なのかもしれないが、あまり手が入っていない様子であり、ここを城郭として使用していたとすれば、やはり明智氏はかなりの小勢力だったのだろうなという印象を受けた。

 

 明智城の次は久々利城を目指すが、その途中で「かつ円」なるとんかつ屋を見つけたのでここで昼食を摂ることにする。牡蠣フライやヘレカツのセットを注文。まあ可もなく不可もなしの普通のとんかつ。

   

 昼食を終えると久々利城最寄りの可児市郷土歴史館へ。こちらでは陶器の展示中。志野や織部などなかなかに面白い茶碗の展示があった。

なかなか面白い茶碗が多数

 こちらで久々利城の地図をもらってから「久々利城」の攻略に挑む。登城口から登り始めると、5分もせずに最初の枡形虎口に到着する。久々利城は先ほどの斉藤正義を謀殺した土岐三河守・悪五郎の居城だったが、彼は1565年に信長の侵攻の際に降伏し、森長可の家臣として仕えた。しかし1583年に長可に謀殺され、久々利城も夜襲を受けて落城となったらしい。まさに生き馬の目を抜く戦国時代らしいエピソードである。

左 登城口  中央 ここから山道を登る  右 左近屋敷方面には崩落などもあるようだ
 

 この立派な枡形虎口から一段上が三の丸。広い曲輪であり、ここから虎口に攻めてくる敵を狙い撃ちできるような構造になっている。

 

左 枡形虎口  中央 ここの左手の上が三の丸  右 三の丸

 ここからは二の丸、本丸が階段状に続くようになっている。この辺りは尾根筋に設けられた城郭ではお約束の構造。最高所の本丸からはかなり見晴らしが良くなっており、ここは防御の拠点でもある。

左 三の丸背後の二の丸、本丸  中央 曲輪の脇を回り込んで登る  右 二の丸

左 さらに回り込んで登る  中央 本丸  右 本丸から二の丸、三の丸を見下ろす

 この城郭の特徴は、ここから土橋を経てさらに奥にも曲輪があることである。先ほどの本丸は戦闘指揮所であり、実際の城主はこちらにいたのではないかと感じられる。側面から本丸に迫ろうとする敵があっても、ここからなら狙い撃ちできるだろう。

左 土橋を経て奥の曲輪へ  中央 二重堀切との分岐  右 奥の曲輪(上図Vの曲輪)

左 本丸方向がよく見える  中央 一段高い(IV)の曲輪  右 IVの曲輪に登ったところ

 さらにこの奥にはこの城の最大の見所とも言われている。二重堀切がある。これは背後の尾根筋から攻められることを防ぐためにかなり深く掘削されており、しかもそれを越えてきた敵は上の曲輪から狙い撃ちできるようになっている。尾根筋に設けられた城郭は背後からの攻撃が弱点であるだけに、こちらの防御は万全を期しているようだ。

左 二重堀切  中央 かなり深く掘っている  右 IVの曲輪から二重堀切を見下ろす
 

 先ほどの明智城などと比べるとかなり大規模な加工が施してあり、かなりの大勢力による築城であることが覗える。城内にも多数の兵が籠もることが出来、土岐氏(久々利氏)がかなりの力を持っていたことが覗える。だからこそ森長可は正面からの攻略でなくて謀殺という方法を用いたか。

 

 かなり見応えのある城郭であり、先ほどの兼山城にも準じる。これこそ続々名城に選ばれても良い城郭か(笑)。

 

 久々利城の次はここの南西にある「大森城」へ向かう。大森城は先ほどの土岐氏(久々利氏)家老奥村氏の城であり、1583年に森長可に攻められて落城したとある。

     大森城遠景

 城郭は大森神社の背後の山上にある。大森神社の駐車場に車を置いて見学。ここも今までの城郭と同様にパンフレットが完備、可児市の観光に対する意気込みが見える。

     

左 駐車場脇にパンフレット完備  右 パンフレットより大森城復元図

 城へは大森神社の手水舎の奥に山に分け入るルートがあり、入口は不明瞭だがその奥にはキチンと案内看板もある。そこから竹林の中に入っていくことになる。

左 大森神社  中央 手水舎脇のここに分け入る  右 すぐに案内標識が見つかる
 

 案内に従って登っていくと、本丸と南の曲輪の間の堀切に登ることになる。なおここを北に進むとこの城郭全体にわたって築かれている東側の横堀になっている。

左 本丸への登り口、右手が横堀  中央 進んでいく  右 鬱蒼とした南の曲輪、奥に土塁が見える
 

 本丸に登ると整備の後はあるが下草が茂って鬱蒼としている。南には土塁に囲われた曲輪があるが、こちらはさらに鬱蒼としている。また本丸上では何本かの巨木が根こそぎひっくり返ってたまま放置されている。台風か何かでやられたのだろう。背丈の割に細すぎることから、この山もしばらく手が入れられていなかったようであることが覗える。

左 本丸  中央 本丸から横堀を見下ろす  右 大変なことになっている
 

 ここの先には虎口のような構造が見られて、その先には北側の曲輪がある。ここは手元の資料によるとかなり複雑な構造になっているようだが、なだらかな地形になってしまっていて私の目では構造の詳細はよく分からない。

    本丸の虎口らしき構造

その先の曲輪は地形がなだらかになってしまっていて詳細が不明

 ここの先には大規模な枡形虎口が見られる。そこを抜けると例の横堀。それを突っ切って下に向かって降りてきたら、大森神社の北側に出てきた。

左 曲輪の周囲に土塁らしき痕跡は見える  中央 大規模な枡形虎口  右 結局は神社の北側に下りてくる
 

 なかなかに凝った構造の城郭であったが、このような凝った構造は大森城が落城の後に森長可によって美濃金山城防御の支城として改修された時のものと思われるとのこと。なるほどそれなら納得である。規模的には元々家老の城としてはこんなもんだろう。もっとシンプルな構造だったとしたら、土岐三河守を謀殺した森長可の大軍に急襲されたらひとたまりもなかったろうと思われる。

 

 かなり疲れてきたし、時刻もそれなりの時刻になってきた。次の目的地で最後だろう。次は「今城」に向かうことにする。今城は地元の土豪である小池家継が築いた城郭で、小池氏は美濃金山城に森長可が入場した後にはここを退去して農民になったとか。

現地資料より今城復元図

 今公民館に車を置けるのでそこに車を置くと、徒歩で今の集落に向かう。老人憩いの家の奥に今城への登城路があり、案内看板等もある。なおここは私有地であるので所有者に迷惑をかけないように注意とのことだが、そんなことは私有地であろうと公共用地であろうと同じことである。

  

左 今公民館  右 今城遠景

左 この老人憩いの家の角を回り  中央 ここを進むと  右 入口に到着

 立ち入り可能領域はロープで区切られている。まず最初に屋敷のあった三の丸に出て、ここには今でも水がある井戸が残っている。ここの北側に枡形虎口があることから、現在大手門の表示のあるところは本来の入口でなく、こちらが本来の入口だろうと思われる。この虎口は三の丸と現在五輪塔のある曲輪で守られるようになっている。

左 上がったすぐのところの三の丸  中央 井戸には水がある  右 三の丸の虎口
 

 ここから一段登ったところにある小曲輪が二の丸。土橋で本丸とつながっている。

左 二の丸へ上がる  中央 二の丸  右 本丸との間の土橋
 

 最高所に本丸があり、東側と南側はそのまま外と接する形になるので土塁で守られている。戦いの時にはこの上から斜面に取り付く敵兵を狙い撃ちすることになるだろう。

左 本丸  中央 奥の食い違い虎口  右 虎口の外
 

 背後は南側の山地につながる部分であり、明らかにこの城の防御の弱点。そちらがわには食い違い虎口があり、土塁上には櫓なども建てられていたようである。なおその虎口の先に出丸の表記も案内板の図面にはあったが、それは明確ではない。

 

 これで今日予定していた城郭は大体押さえた。まだ体力的にはもう一つ二つ回ることも不可能ではない余裕はあるが、明日に帰宅する体力のことと、これから宿泊地に移動する時間のことを考えると無理はやめてもう移動することにする。今日宿泊するのは養老温泉ゆせんの里ホテルなでしこ。昔なら今から長駆して帰宅するところだが、さすがに今はその体力は覚束ないので無理はせずに一泊することにした次第。

    養老温泉周辺はこんな感じ

 中央道から名神道を経由、大垣ICで降りると養老温泉に向かう。養老温泉周辺の道は背後にまるで壁のような鈴鹿山脈を控える大田んぼ地帯。すごい風景に思わず笑ってしまう。ホテルは妙な雰囲気の建物。イメージは南仏のリゾートだろうか。本館が日帰り温泉で、隣接している療養棟に宿泊者専用の浴場と宿泊棟がある。宿泊棟は中庭がある妙な開放感の構成。やはり南仏のリゾートだろうか。部屋の装備は一般的なビジネスホテルと同様。

左 ゆせんの里に到着  中央 南仏のリゾート地のイメージでしょうか  右 部屋は一応は普通のビジネスホテル仕様
 

 ホテルにチェックインするとまずは入浴。最初は宿泊者専用の内風呂へ。養老温泉はナトリウム・カルシウム−塩化物泉。源泉温度は40度くらいなので熱湯を加水して温度を上げている模様。薄い白褐色に着色した温泉で金気臭がある。鉄分を含んでいるようである。色が真っ赤でないということは湯の鮮度が良い証拠。実際に肌当たりの良い湯である。

    宿泊者専用浴場

 内風呂の次は本館の大浴場に入浴に行く。こちらは内風呂・露天風呂・サウナと一渡り揃っている。こちらには内風呂に加温していない源泉浴槽があるのが特徴。39度程度のやや温めの湯だが、元々温まるタイプの泉質なのでそうぬるいとは感じない。

 

 風呂から上がると養老山麓サイダーを頂いて一服。さっぱりしたサイダーである。

    養老山麓サイダー

 風呂から出ても体がポカポカするのがこの泉質の特徴。入浴を終えると部屋に戻って一休みする。

 

 夕食は館内のレストランで。メニューは予約当初は会席膳の予定だったが、数日前にホテルから電話がかかってきて、今月になってからの新メニューのステーキ膳がお得だからと勧められたのでそちらに変更している。

 

 前菜のカルパッチョから始まって、メインは飛騨牛のステーキ。このカルパッチョもなかなか味が良かったが、飛騨牛が脂の入り方といい実に良質で柔らかくて美味。これはなかなか。最後のデザートまで含めて非常に堪能した。これは当たり。

 

 夕食後はしばしテレビなどを見てくつろいでから再び入浴に行く。ここの湯は実に快適。実はこのホテルの湯にはあまり期待していなかったので、それを良い意味で裏切られた。すっかりくつろいでから、本館の食堂に行って醤油ラーメンで小腹を満たす。

    ラーメンで小腹を満たす

 後は本館でしばしくつろぐ。休憩室でチェアに横たわりながら西郷どんなんかを少し見ていたが、やはりこのドラマはどうしようもなくつまらない。

 

 部屋に戻るとかなり疲れが出てくる。しばしBDを見ていたが、その内に眠気が強烈にこみ上げてきたのでこの日は明日に備えて早めに眠る。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時頃に目が覚めた。やはり昨日の城攻めが堪えたか、夜中には腰痛と体の各所の痛みで苦しめられた。今朝もまだ両足がだるい。体力的にはかなり余裕を残したつもりだったのにこのざまとは情けない。

 

 朝食はレストランでバイキング。決して品数が多いとは言えないが、和洋両対応のまずまずの内容。全般的にこのホテルは当たりだった。

   

 朝食を終えると大浴場で入浴をする。源泉風呂で体をじっくり温める。快適至極。そのままチェックアウト時刻の11時近くまで風呂や部屋でマッタリ。今日はそもそも帰宅することしか予定に入れていない。当初予定では場合によっては彦根にでも寄り道をと考えていたが、欲張って無理をしてもろくなことがないと結論した次第。

 

 11時前にホテルをチェックアウトすると、養老SAのスマートICから名神高速に乗って帰宅の途へ。途中で昼食のために大津SAに立ち寄る。ここで「すき焼き丼」(と言っているが、一般的にはこれは他人丼で良いのでは?)を昼食に摂る。なお土産物売り場をうろついていたら、往路で見つけた「くうや観助餅」がここで売っていたので土産物に購入する。確か「上り側では売っていない」と宣伝していたが、多賀SAでは売っていないとしても、大津SAでは売っていたか。

    この日の昼食

 腹が膨れたところで再び出発。帰りは途中で渋滞に出くわしたり、吹田JCTのところで道を間違ったり(カーナビの地図が新名神に対応していないせい)などのドタバタはあったが、ほぼ予定通りに自宅へと無事に到着したのである。

 

 これで宿題だった続100名城視察は完了。ただ今回、可児市地域の城郭を攻略したが、今回はさわり程度で難易度の高い城郭いくつかはスルーしている。その辺りは今後の私の回復度を測りながらというところか。今回の感触では今の私の体調の回復度はまだ7割というところ。ただ先の九州遠征では天候に妨げられたせいで城郭巡りはかなり中途半端になってしまったが、今回は天候にも恵まれてなかなか充実した内容となった。今後は体調の回復を図りつつも、近場の城郭を中心にコツコツと回っていくことにするか。やはり久しぶりの城郭巡りで、私の本領はやはりこれだなと確認したこともあったので。

 

 

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