展覧会遠征 静岡編3

 

 いよいよ夏も盛りとなってきたが、この三連休に私は早めの夏休みにすることにした。出向くのは静岡方面。今まで聞いたことのない静岡交響楽団のコンサートに出かけるとともに、浜松方面の城郭を攻略してこようという考え。

 

 出発は土曜日。大阪で開催される関西フィルのコンサートを聴きに行ってから静岡に移動する算段である。しかし当日はまさに灼熱地獄。外気温は35度越えという状態で熱中症警報が出ているような状況。戸外は月並みな表現であるが「死ぬほど暑い」としか言い様がない状態である。最早「暑い」と言うよりも「熱い」と言った方が正しいかも。実際、こんな中で水なしで外にいると命を落とすだろう。ライフラインのミネラル麦茶を手に大阪に繰り出すが、表を少し歩いただけで頭から汗だくになる。これは早くも当初に想定していた予定がガラガラと崩れていく予感がしている。

 

 昼頃に大阪に到着したのでまずは身軽になろうとコインロッカーを探すが、大阪駅の西口周辺のロッカーは全滅。仕方ないので東口まで出向いてようやく空いたところのロッカーを見つける。この暑さにも関わらず観光客は多い。

 

 次は昼食だが、この暑さでは頭にあまり浮かぶものがない。そこで大阪駅前ビルの地下をウロウロ、いつも大行列が出来ている「楼蘭」が今日は3人ほどしか待っていなかったので入店することにする。

  

 ここでは以前に焦がし味噌ラーメンを食べたことがあるが、麺はともかくどうもスープがしっくりこないという印象を受けていた。しかしその後の調査によると、この店は醤油ラーメンが一番の売りだそうな。では改めて一度確認してみるかとのことで「濃い口醤油ラーメンの特製(950円)」を注文する。

   

 確かに以前のラーメンよりはスープがしっくりきていてうまい。腰のある麺は私好み。ただそれなりにうまいラーメンではあるが、そう特別とか、印象に残るほどうまいというほどではない。まあ普通にうまいラーメン。近くに来れば立ち寄るかもしれないが、わざわざ食べに来るというほどではない。また私の好みから言えば、この近くまで来たのなら多分向かいの「紋次郎」の方に行くだろう。

 

 腹を満たしたところでザ・シンフォニーホールへ移動するが、これが灼熱地獄の死の行軍。蒸し蒸しとした熱気がのどに突き刺さるし、照りつける日差しで肌が焼け付きそう。ようやくホールに到着した頃には頭がクラクラしているので、キンキンに効かしたホールの冷房で体を冷やすと共に、喫茶で抹茶ラテで一服する。

 

 開演20分前に指揮者の藤岡のプレトークが始まるのでその頃に着席する。前回に続いて今回も補助席が出てのほぼ満席状態。大入り満員である。

 


関西フィルハーモニー管弦楽団 第294回定期演奏会

 

[指揮]藤岡幸夫

[ソプラノ]半田美和子 

[メゾソプラノ]八木寿子 

[テノール]畑 儀文 

[バリトン]与那城敬

[管弦楽]関西フィルハーモニー管弦楽団

[合唱]関西フィルハーモニー合唱団

 

ヴェルディ:レクイエム

 

 藤岡が、この曲は実はピアニッシモが多くその表現が肝であり、今回はそれに適したソリストを選んだという類いのことを言っていたが、確かにピアニッシモの美しさが際立つ演奏である。助っ人金管を大幅増員した「怒りの日」の荒々しいまでの大スペクタクルも良いが、全曲を通してピアニッシモでの緊張感のある美しい旋律が胸を打つ。ソリストの表現力も良いが、関西フィルの弦楽を中心とした繊細な演奏がなかなかに美しい。

 ヴェルディのこの曲は、宗教曲ではなくて実はオペラだという話があるが、確かにソリストの絡みはオペラのアリアのようであるし、合唱も宗教曲的ではない。今回、この曲の面白さを改めて認識させられた次第。


 なかなかの名演、場内もかなりの盛り上がりであった。なおテレビカメラが入っていたところを見ると、いずれ「エンター・ザ・ミュージック」でも放送があるのだろう。ただ30分枠の番組だと、「怒りの日」のクライマックスと全体からの抜粋ぐらいが限度か。

 

 往路の死の行軍で懲りたので大阪駅まで歩く気にならず、福島駅から環状線に乗ることにするがこれが大失敗。理由不明だが、線路点検をしているとのことで列車が遅れまくりで、前がつかえているせいで遅れて到着した列車がいつまでたっても駅を出ない。結局はここでかなりの時間をロスすることになってしまい、予約していた新幹線に間に合うかがきわどいタイミング。こんなことなら大阪駅まで歩いた方が早かった。ようやく到着した大阪駅で慌てて飛び降りるとまずは改札を出てからキャリーを回収。次に新大阪駅まで移動だが、普通列車は目の前で出てしまって次の列車を待つのに数分のロス。ようやく新大阪駅に到着したが、もしこれで新幹線切符売り場に行列が出来ていたら万事休すというギリギリのタイミング。しかし幸いにして券売機の前には行列はなく、急いでエクスプレス予約で購入した切符を発行して慌てて列車に飛び乗ることに。結局はこの間を重たいキャリーを担いで走り続けで、列車に乗り込んだ時には頭から汗だく。

 

 静岡まではひかりで2時間ほど。停車駅は京都、名古屋、浜松だが、名古屋から大量に乗り込んできて、浜松と静岡で大量に降車。名古屋方面から静岡方面への移動の中心であることが分かる。

   静岡駅に到着

 ようやく静岡駅に到着、かなり疲れている。もう日が西に傾いているので暑さはようやくややマシになっている模様。ちなみに今日の宿泊ホテルは駅前のくれたけインプレミアム。駅から5分ほどだが、ホテルに入る前に夕食を済ませておくことにする。

  

 立ち寄ったのは「くりた」。洒落た雰囲気のそば屋で、一見したのではそば屋とは思えないような店構え。「鴨せいろ(1674円)」を注文。

   

 腰のあるそばがなかなか美味い。鴨が十分に入ったつゆの方も美味い。ただボリューム不足気味であるのだけが不満か。

 

 夕食を終えるとホテルにチェックインする。くれたけインは東海地域が中心のホテルチェーンだが、大浴場付きなど私のニーズに合致しているところが多いホテルであり、以前にも利用したことがある。いわゆる東海地域でのドーミーイン互換ホテル。

    室内は落ち着いた雰囲気

 ホテルに入ると、まずはウェルカムドリンクで一服。部屋に入るとシャワーで汗を流して着替えてから大浴場へ。カランが3つ程度のそう大きくはない浴場だが、手足を伸ばして入れる風呂はありがたい。

 

 入浴を済ませて部屋に戻ると、この原稿の入力(笑)。後はテレビを見てマッタリ過ごす。「ドクターG」が終わった頃には眠気が出てくるのでそのまま就寝する。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時前に自動的に起床。体に怠さは少しあるもののおおむね快調。ただ今日も暑くなりそうだ。東海地域には軒並み熱中症警報が発令中である。

 

 朝食はバイキング。ここのレストランはシェフがベトナム人で、ベトナム料理などがあるのが特徴らしいが、私のチョイスは和食中心。ジジイには南方系料理はあまり相性が良いとは言えない。昨晩が軽めだったせいか食が進む。朝からガッツリと燃料補給しておく。

   ガッツリ食える朝食バイキング

 朝食後は入浴。体をシャッキリと目覚めさせる必要がある。さて今日の予定だが、2時から清水で開催される静響のコンサートがメイン。後は諸々考えていることもあるが、天候次第というところがある。外が命の危険を感じるほどの灼熱地獄なら、予定を大幅に省略する必要がありそう。

 

 ホテルをチェックアウトしたのは9時過ぎ。さて今日の予定だが、静響のコンサートは2時からなのでそれまでは諸々考えている。キャリーを静岡駅のロッカーに放り込むと、まずは久しぶりに駿府城に立ち寄ることにする。

 

 「駿府城」は言わずと知れた徳川家康がらみの城郭。現在の形は家康が天下を掌握してから天下普請で整えられたもの。ただ元々は今川氏の城郭だったはずだが、町の中にも今川のいの字もない。「海道一の弓取り」と言われた戦国の傑物も、最期が良くなかったせいでどうしても扱いが悪い。昨今は今川義元よりもむしろ、その後に戦国の動乱の中をユラユラとしぶとく生き残った蹴鞠の達人「ファンタジスタ氏真」こと今川氏真の処世術が注目されていたりする。彼を見ていると、中途半端なプライドは捨ててしまうことが生きていく上での一番有効な戦術ということを物語っているのだが。

 

 駿府城は明治の廃城後に陸軍の駐屯地になったとのことで、その時に内堀が埋め立てられているが、その周辺は残っている上に、最近になって櫓等が復元されていてかつての偉容を取り戻しつつある。また現在、かつての天守台周辺が発掘調査中とか。

 

 県庁の周辺にはかつての外堀の一部も残存している。駿府城は典型的な輪郭構造になっており、この堀が一番外側に当たる。大手門の虎口跡などはかなり立派で見応えがある。さすがに100名城に指定されている城郭ではある。

左 これがかつての外堀跡  中央 県庁前の入口は明らかに後世の後付け  右 これは大手の虎口跡

 駿府城入城の前に県庁別館の展望ロビーに立ち寄ろうと思っていたのだが、開場が10時からとのことでまだ時間があるので、先に駿府城の見学をすることにする。駿府城の東御門から入場すると、櫓や庭園のセット入場券を購入して見学に回ることにする。

左 巽櫓と東御門  中央 東御門  右 見事な枡形虎口になっている

 東御門及び巽櫓はとにかく立派な木材を使用しているのが目立つが、これらの木材は静岡県内だけでは調達できず、一部は吉野から取り寄せたらしい。ということは国家的プロジェクトとして復元したということか。

左 かなり立派な木材を使用している  中央 駿府城の模型  右 かつてあった天守閣の模型

 東御門の奥にはかつての本丸堀の一部がまるで池のような状態で残っている。よくよく見ていると駿府城内部はほとんどが空き地なので、その気になれば本丸堀を掘り起こして復元することも可能なように思えるが・・・。

左・中央 各所に残る本丸堀の断片  右 本丸堀と二の丸堀をつなぐ二の丸水路

 巽櫓の次は紅葉山庭園の見学。ここは駿府の自然をミニチュア化した庭園で内部には駿河湾から富士山、さらには箱根の山まである回遊型庭園である。なかなか変化があって面白い。

    紅葉山庭園

典型的な回遊型庭園である

 そこから西の方では天守台の発掘作業中。かなり掘り起こしたらしく土砂の山が出来ている。発掘現場は見学でき、掘り起こされた天守台の石垣を見ることが出来る。かなり大規模な石垣を持った城郭であったことが覗え、さすがに天下普請。

     発掘中の天守台石垣

 最後は坤櫓を見学。ここもかなり気合いの入った復元ぶりでなかなか見応えあり。

   

左 坤櫓  右 ここも良い木材を使用している

 これで一周。最後はセット券に付属していたおでん引換券を持って駿府城の売店へ。灼熱地獄の中で熱々の静岡おでんを頂くことになったが、水分と共に不足しかけていた塩分を補給するにはちょうど良いかも。おでんの味はまずまず。

   

売店で静岡おでんをいただく

 駿府城を一回りしてから県庁の展望ロビーに立ち寄るが、登ってみるとガラガラ。それに冷房があまり効いていなくて生ぬるいのであまり快適とは言えない。また晴れにも関わらず煙っていて富士山は見えず。面白いのは上から見る駿府城ぐらいか。

左 閑散とした展望ロビー  中央 残念ながら富士山は見えない  右 駿府城を見下ろす

 駿府城の見学を終えたところで昼食を摂ることにする。立ち寄ったのは市役所の近くの「河童土器屋」。海鮮丼で有名な店らしい。私は「上海鮮丼セット(1950円)」

   

 季節のネタを盛り合わせたという海鮮丼はまずまず。意外にうまかったのが添えられていた天ぷら。サクッと揚がっていてなかなかのもの。これは天丼を頼んだ方が正解だったかも。最近は私の住んでいる地域でも新鮮な海産物が比較的容易に入手できるようになっているので、海鮮丼の類いで感動することは少なくなってきた。

   

 人気のある店らしく、私が店を出る時にはかなりの行列が出来ていた。分からないでもないが、そこまでするほどの店かは若干疑問もあり。これも所謂口コミサイトなどの影響か。それにしてもカッパドキアと海鮮丼の結びつきが今ひとつ分からない。

 

 それにしても暑い。駿府城を歩き回っただけでかなり消耗してしまった。完全にミネラル麦茶がライフラインになってしまっている状況。当初予定ではJRで近郊の城に繰り出すことも考えていたのだが、そんなことをしていたら熱中症になりそうなので、その予定は放棄することにする。となったら代わりのプランが必要だが、静岡市立美術館で「ミュシャ展」を開催しているのでそれに立ち寄ることにする。この展覧会は京都の伊勢丹で開催された時に行っているのだが、どうやら静岡会場限定展示などもあるらしいし、会場スペースの狭い京都伊勢丹では展示内容が省略されていた可能性も高い。諸々を勘案すれば立ち寄る価値はあると判断した。

 

 静岡市立美術館は久しぶりの訪問。駅前ビルの中にある近代的な会場で、白主体の内装がいささか眩しい(笑)。今回は展示に合わせてサラ・ベルナールの一連のポスターがホールに展示してあって華やかな雰囲気。

  


「ミュシャ展〜運命の女たち〜」 静岡市立美術館で7/15まで

   

 ミュシャの初期作品から最晩年の作品まで、ミュシャの画業を振り返る展覧会。

 明らかに京都展よりも展示点数が多く、特に初期作品などに初めて見た作品が多く含まれる。とにかくこれらの作品を見ていると、ミュシャのデッサン力の高さが覗われる。

 ミュシャが世間に出るきっかけとなったサラ・ベルナールの一連のポスターなどはまあよくある展示であるが、面白かったのが実際のモデルの写真も展示されていたこと。写真と絵画を比べると、ミュシャがモデルの特徴を活かしつつも巧みに美化していることが分かり、さすがに20世紀最強の萌え絵師と呼ばれるだけのことはあると妙に感心。

 またスラブ叙事詩をスライドで展示していたのも面白い。かつて東京で実際に見た光景を思い出しながら懐かしい気分となった。

 最後は静岡展独自企画の尾形寿行氏のOGATAコレクション。これは絵画と言うよりもミュシャの装飾を集めたものであり、アール・ヌーヴォー見本市のようになっていた。


 スラブ叙事詩が何とも懐かしかった。これの実物を見ることは一生叶わないと思っていたのだが、今から思えば東京で実物を見ることが出来たのはまさに奇跡だったように思われる。今までいろいろな願いのほとんどはことごとく叶うことのなかった私の人生だが、この願いだけは珍しく叶えられたものになる。

 

 展覧会を一回りしていたらちょうど適当な時間になった。コンサートに出向くためにJRで清水駅まで移動することにする。マリナートホールは清水駅から陸橋で直接つながっている。

   マリナートホール

 マリナートホールは二階席まであるそこそこの大きさのホールだが、そこの一階席にだけ観客を入れていて、それでも埋まっているのは座席の5〜6割というところ。いささか寂しい感もある。

 


静岡交響楽団 第80回定期演奏会

 

【指揮】野平一郎

【ソリスト】五位野百合子、河野克典

【合唱指導】戸ア裕子、戸ア文葉

【合唱】県民参加による合唱団、音楽青葉会・静岡児童合唱団

 

ビゼー/アルルの女「第2組曲」

ビゼー/交響曲 ハ長調

フォーレ/レクイエム op.48

 

 10−8−6−4−4の小編成のオケだけに、どうしても弦などの音圧が不足気味。マリナートホールが意外に響くホールなので、それがオケにはかなりの助けになっている。

 一曲目のアルルの女に関しては、ホルンや金管がボァーとやけに締まりのない音を出すせいで、今ひとつ精彩を欠く演奏。通常編成よりもトラなどで増量したと思われる金管陣が逆に徒になっている。フルートが孤軍奮闘していた印象。

 交響曲の方は編成がスリムになった分だけまとまりのある演奏になっていたが、それでも全体的に演奏の精度を欠くのは相変わらず。この曲の持つ華やかさだけは伝わってくるが、全体としてはやや面白味に欠ける演奏となってしまった。

 フォーレのレクイエムに関しては、合唱団が意外に健闘している。ただ編成的に混声合唱ではなく女声合唱+α程度というイメージになってしまっているのはバランス的には少々しんどいところ。それでもソリスト二人の美しい歌唱などもあってこの曲の魅力を伝えるのには成功していたと感じた。


 静響の実力に関してはもうひと頑張り欲しいと感じたのが正直なところ。なおマリナートホールが意外に良いホールであることには驚いた。かなり静響に向いているホールだと思う。もし西宮のようなデッドなホールだったら、静響の音量では後まで音が届かないだろう。

 

 観客がなかなか温かい拍手を送っていたようなので、東海地域ではそれなりに認識されているオケなんだろうと思われる。今後、着実なレベルアップを図って欲しいところである。もう少しアンサンブルの精度を上げれば、室内オケ的な方向性が出るだろう。モデルにするとしたらアンサンブル金沢か。名古屋辺りで合同コンサートなんて考えはないのだろうか?

 

 それにしても図らずしてレイクエムの連チャンとなってしまった。これで後はモーツァルトのでもあればフルコースである。ただ同じレクイエムと言ってもやはり性格はかなり違う。ヴェルディのもろにオペラ調のに比べて、フォーレのはひたすらに美しい。レクイエムとしてはこちらの方が正解か。ヴェルディのだと死者が棺桶蹴飛ばして復活しそうだから。

 

 コンサートが終了すると、直ちに静岡まで戻ってからキャリーを回収して新幹線で浜松に移動する。ここからはレンタカーでの移動になる。今日はかんざんじ温泉ホテル山喜で宿泊する予定。

 

 かんざんじ温泉までは車で1時間弱だが、道路が結構混雑していて特に浜松市外を抜けるのに時間がかかる。しかも結構起伏もある。ようやく浜名湖が見えてきたらかんざんじ温泉はすぐ。

 

 かんざんじ温泉は浜名湖に着き出した半島状の土地にある温泉地。小高い山があるが、この山上にはかつて「堀江城」という城郭があり、大澤氏が拠点としていたという。大澤氏は井伊家と同様に今川の家臣であったが、後に徳川家康の侵攻時には井伊家とは対称的に家康と戦うことになる。しかし結局は和睦して徳川に下ったとのこと。と言うわけでここも井伊直虎ゆかりということで最近になって看板が立てられた模様。

左 近くのバス停に案内看板  中央 駐車場脇の看板  右 この小山が堀江城の中心らしい

 とは言うものの、肝心の城郭自体は完全に遊園地とホテルの敷地になってしまっていて見る影もない。どうやら本丸は現在は観覧車が立っている下のようだ。ホテル九重の駐車場から堀江城跡の看板だけが見えている。

 

 ホテル九重の駐車場をスルーして、今日の宿泊ホテルに向かうことにしている。私は残念ながらホテル九重みたいな高級ホテルに宿泊できるような財力はない。今回の宿泊ホテルはホテル山喜。

 

 ホテル山喜は室数も多くはないかなりシンプルなホテルである。向かいの巨大ホテルサゴーロイヤルの系列だが、周辺の弱小旅館が買収されたのだろうかという雰囲気。サゴーロイヤルでカバーできない個人客などをこちらがカバーする形になっている。部屋はシンプルだがなかなか綺麗で良い部屋である。そう高くはないホテルで、浴場と食事はサゴーロイヤルを使用できるというのが最大の売り。

  

シンプルなホテル山喜と豪華ホテルサゴーロイヤル

 ホテルにチェックインした時にはもう6時過ぎ。夕食は7時過ぎからサゴーロイヤルでバイキングとのことなので、その前にサゴーロイヤルに入浴に行きたい。チェックインの時に「屋上露天風呂がお勧めですので是非」と聞いているので、とりあえず屋上露天風呂に直行することにする。

   

シンプルではあるが、浜名湖も見えるまずまずの部屋

 露天風呂は浜名湖に面した開放感抜群のもの。湖からの風を受けながらの入浴はなかなか快適。ただ泉質はナトリウム・カルシウム・塩化物強塩泉ということで一般的なもの。また加水・加温・循環・塩素消毒ありなので、湯自体にはあまり特徴はない。どちらかと言えば湯を楽しむと言うよりも雰囲気を楽しむ温泉か。

   

開放感のある露天風呂からは浜名湖を望むことが出来る

 入浴を終えて湯上がりどころでしばしマッタリした頃には夕食の時間。レストランへと出向く。到着したレストランでは既に大勢の客が臨戦態勢。ここのレストランは座席に案内してもらえるので席取りの必要はない。それもあって伊東園のような殺伐とした雰囲気はない。

 

 料理も品数豊富でなかなかうまい。売りの一つはうなぎ食べ放題。まあ国産ではないと思うが、このご時世うなぎ食べ放題は気分的には豪華。蒲焼きにうな茶漬けとたっぷり頂く。もっともうなぎの蒲焼きはそればかりそうべらぼうに食えるものでもない(これこそが食べ放題が出来る最大の仕掛けでもあるのだろうが)。

うなぎ、うなぎ、とにかくうなぎ

 そのうちにカンパチの解体ショーが始まるので、カンパチの刺身も頂く。コリコリとして新鮮で美味。後はデザート類を頂いて終了。制限時間は90分あるのだが、私は40分ほどで怒濤のごとく食いまくってさっさと引き上げる。ただこのまま真っ直ぐ引き上げるのも何なので、サゴーロイヤルの内風呂の大浴場に入浴してから帰る。こちらも内風呂と言いつつも湖の眺望がある風呂(と言っても今は真っ暗だが)。湯に関しては、やはり露天よりは消毒がややマシな気がする。

   

 風呂はなかなか良かったが、しこたま食べた直後に入浴というのはあまり良くなかった。若干気分が悪くなってきて口からうなぎが出てきそうな状態なので、とりあえずホテルの部屋に戻ってから一休みする。

 

 布団を敷くと(セルフサービスである)そこにゴロンと横になって「人類誕生」の後半を視聴。今回はいよいよクライマックスで、日本にホモサピエンスが渡ってくるという話。彼らは南方から丸木舟に乗って渡ってきたという結論。そして彼らをかき立てたのはホモサピエンスが世界中で繁栄する原因となった「好奇心」。それにしても考古学も古生物学もすべてこの数十年でかなり進化し、かつての定説が完全に変わってしまった。何やらこんな世界も諸行無常である。

 

 腹が膨れて入浴も済ませ、ドッと疲れが押し寄せてくるのでこの日は早めに就寝する。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時過ぎまで爆睡。目が覚めるとまずはサゴーロイヤルに朝風呂を浴びに行き、ついでに朝食を摂ってくる。朝食はバイキングで和洋両対応だが、昨晩に食い過ぎたのかあまり食は進まない。

   朝からやや胃がもたれてしまっている

 帰りに山喜の風呂にも立ち寄っておく。このホテルの風呂は向かいの建物の一階にある小さなもの。狭いし、閉塞感もあり、それでいて特別に湯が良いというわけでもないので、これはサゴーロイヤルのものを使う方が正解である。

 

 朝食を終えてしばしマッタリすると、この日は9時頃にチェックアウトすることにする。今日の予定だが、浜名湖周辺地域の城郭を巡るつもり。ただその前にホテルで浜名湖遊覧船のチケットをもらっているので、どうせだから乗っていくことにする。1時間コースと30分コースがあるらしいが、湖を1時間もウロウロしても退屈するだろうと思ったので、30分コースに乗ることにする。

   

 遊覧船の舘山寺港はホテルのすぐ向かい。すぐに船が入ってくるが、そう大きな船ではないのですぐに一杯になる。眺望は上の階の方が良いのだろうが、強も茹だるような暑さなので、冷房の効いた室内に留まることにする。ところで舘山寺港や船内のあちこちで妙なイケメン侍の看板を多数見たが、これはまた何かのアニメだろうか? いわゆる美少年ワラワラの腐女子向け逆ハーレムものを昔に置いたような雰囲気の作品と思われるが、いくらなんでも眼鏡の忍者はありえないだろう・・・(しかも今風の四角の縁の眼鏡なんて)。

    船内には謎のイケメン忍者が

 港を出た船はまずはかんざんじロープウェイの下を通って内浦を進み、フラワーパーク港に立ち寄る。海沿いに建ち並ぶホテルや遊園地を海側から眺めることになる。フラワーパーク港からはさらに大勢が乗り込んできて、船内は完全に満員状態である。

左 湖から見た舘山寺温泉  中央 こちらは遊園地  右 ロープウェイ

 フラワーパーク港でUターンした船は浜名湖に出て行く。まずは東名高速道路の下をくぐる。船内放送によると、湖北には姫街道と呼ばれる街道があるらしく、それは「入鉄砲に出女」で東海道では女性へのチェックが厳しかったことから、それを嫌って大名の妻女などがこちらの街道を通ったことからそう呼ばれたとか。

    東名道の橋

 遊覧船は再び東名高速道路をくぐると、舘山寺の南の方まで回って一周してから舘山寺港に戻ってくる。以上で30分の遊覧コース。特に何があるというようなものでもないが、それでもなかなかに面白かった。

    戻ってきた

 遊覧船を下りるといよいよ城郭巡りに入ることにする。一番最初に立ち寄ったのはかんざんじ温泉から北に向かった先にある刑部城。

 

 「刑部城」は先に登場した姫街道沿いの要衝を守る今川配下の城郭であったが、勢力を伸ばしてきた徳川家康に攻められ、ひとたまりもなく落城したとのこと。その際に、城主の姫が近くの金襴の池に身を投げたという伝説がある。

    刑部城は川沿いの丘の上

左 この上が本郭  中央 本郭には祠が建っている  右 下の二の郭は鬱蒼として何が何やら

 今は金襴の池も埋め立てられて痕跡もなく、城跡は小さな神社となっているのみ。この神社があるのが本丸でその一段下が二の丸だと考えると、規模からしてせいぜい100人程度も籠もれれば良い方だし、地形もさして険阻とは言えず、徳川の大軍に攻められるとひとたまりもなかったろうことは想像に難くない。

 

 次に訪ねたのはこの西にある「堀川城跡」。今日では田んぼの中の道沿いに城跡碑があるのみで遺構と言えるものは全くないが、ここは地形的に見て水城だったと推測される。この城には一揆勢が立て籠もったらしいが、やはり徳川勢の前に落城、この際に徳川勢による撫で切りが行われたとの記録もあるらしい。なお先の堀江城の大澤氏は、ここが落城したのを受けて降伏したとのこと。

堀川城も田んぼの中に石碑が建っているだけ

 近くに姫街道の気賀関所が復元されているのでついでに立ち寄る。雰囲気は箱根関所をこじんまりさせたようなところ。役所内にはお役人様も鎮座している。結構気合いの入った復元だと思うが、入場料は無料と太っ腹。なおあまりに暑いので、隣の売店でソフトクリームを購入して一服。

左 気賀関所の門  中央 建物もあり  右 お役人が待ち構えています

左 ご家老もいらっしゃるようで  中央 女改め  右 牢まで完備

 関所の次は井伊谷城に立ち寄ることにする。言わずと知れた井伊直虎ゆかりの城で、大河ドラマにも散々出てきている城。今回の大河ブームで急遽整備された模様である。まあ今回の城郭巡りではここが一番メインである。

 

 現地に到着すると見学者用の駐車場も用意されている。ただこの駐車場から登山口までが若干の距離がある。通常ならなんということもない距離だが、もう昼時で暑さもさらに増してきている状態であり、登山口手前まで来ただけで熱中症になりそう。このまま登るのは危険だと感じたので、近くの図書館に飛び込み体を冷やしてから登りに挑むことにする。

   

地域遺産センターの駐車場に車を置いてしばし歩いた先が登城口

 山頂までは通常なら10分もかからない程度の距離。道も急ではあるが完璧に整備されており、普通なら鼻歌でも歌いながら一気に上まで登れるもの。しかし今は暑さが普通ではない。この暑さの中で体を動かすだけでもかなりの重労働。途中で2カ所ほど休憩ベンチがあるので、そこにたどり着くごとに一休みして給水。体はフラフラ、頭はチカチカになりながらようやく山頂に到着する。

左 ところどころに休憩用ベンチもある  中央 ここが大手虎口  右 ようやく本丸に到着

左 案内看板が立っており  中央 展望台も完備  右 井伊谷を見下ろす

 井伊谷城自体は単郭の単純な城。いざという時のためのお籠もり用の城だったのだろう。ただ小さい城なのでそう大軍は籠もれない(そもそも井伊家はそんなに大軍を持っていないが)。高さはそこそこあるので見晴らしは抜群である。

左 本丸中央の御所の丸  中央 三岳山の案内が  右 向こうの山が三岳山

 なおここの東方にさらに堅固な城である三岳城がある。実はここの次はそちらに立ち寄るつもりだったのだが、このコンディションではとても不可能であると判断せざるを得ない。この時点で今日の城郭訪問のうち、山城はすべて除外せざるを得ないという結論に至る。

 

 山上で十分に水分を補給してから、ほとんどグロッキー状態で車まで戻ってくる。さてこれからの予定から山城をすべて除外したことでこれからの立ち寄り先がほとんどなくなった。そこでこういう時のための予備プランを発動することにする。山が駄目なら洞窟である。この近くに竜ヶ岩洞なる鍾乳洞があるらしいのでそこに立ち寄ることにする。

 

 竜ヶ岩洞まで車を走らせるが、私と同じことを考えたものが多かったのか、現地に到着すると駐車場はほぼ満車で止める場所を探して車が行列しているぐらいの大混雑である。ようやくスペースを見つけて車を停めると、とりあえず大混雑の売店内で体を冷やしつつ、三ヶ日みかんサイダーで一服。みかんの酸味がなかなかに美味。

左 手前から車が行列  中央 中にも多くの人が  右 三ヶ日みかんサイダー

 体が冷えたところで洞窟に潜ることにする。しかしながら洞窟の中も満員。ゾロゾロと連なって見学する状態。鍾乳洞は鍾乳石自体はそこそこだが、バリエーションがあるのと、洞窟の全長がそれなりにあることから見応えは十分。ただ途中で一カ所、鳳凰の間はコースから引き返して見る形になっているのだが、そこでは100人ぐらいの行列が出来ていてとんでもないことになっており、その部分だけは見学をパスすることに。一応ここがこの洞窟の一番の見所らしいのだが・・・。

 さてこれからどうするかだが、山城を除外した結果としてこれから訪問するべき城郭は野地城と佐久城だけになってしまったので、そちらに向けて移動しつつ、もう昼時なので昼食を摂る店を物色することにする。

 

 竜ヶ岩洞から東に少し走ったところに「そば処雅楽之助」なる店を見かける。今の気分として何となく和そばを食べたくなっていたし、この店からはどことなくビビッと来るものがあったのでここに入店することにする。

   

 とろろ付きのざるそばを注文する。しばし待った後に登場したのは細めのしっかりと腰の強いそば。つゆの味もまずまず。なかなかの美味である。まさに今、私が食べたいとイメージしていたタイプのそばである。ボリュームもまあ十分だし、これは大正解。

 

 満足して昼食を終えると目的地に向かうことにする。浜名湖岸を走って最初は「野地城」。しかしカーナビに誘導されたのは別荘地のような界隈の中の狭い道。そこからさらに細い道がつながっている。間口を見たところキューブならどうにか通れそうと判断して先に進んだ・・・のだが、これが結果としてはとんでもない大失敗だった。道は先に行くほど細くなり、ついには蜜柑畑の中のあぜ道のような道に。もう左右がギリギリで走る度に左右で生け垣がこすれるような音が。しかし転回スペースはないし、バックするのもほぼ不可能。直進するしかないと諦めて路地を抜けきるところまで進んだが、ようやく路地地獄を抜けてから車から降りて確認すると、見事に車のサイドが細かい傷だらけになってしまっている。これが自分の車だったら仕方ないで済ますかもしれないが、レンタカーだけにそういうわけにもいかない。結局はレンタカー屋に電話したり、保険屋に電話したり、最後は事故証明を取るために警察に連絡したりで1時間以上を費やす羽目に。幸いにして今回に限ってNOCチャージなどの保険までフルでかけていたので(普段はかけないんだが、なぜか今回に限ってはかけていた)金銭的な負担は一銭もなかったが、時間ロスと何より精神的ダメージが甚大。一気に意気消沈である。自身の判断の甘さを責める気持ちばかりが湧き上がってきて感情に収拾をつけるのに苦労する。

    先に見えているのが野地城だったのだが・・・

 とりあえず野地城は車でのアクセスは不可能だし、この炎天下を歩いて行く気もしないし、そもそもほとんど遺構はないと聞いているので、ここは飛ばして佐久城に行くことにする。

 

 「佐久城」は野地城から直線距離で500メートルぐらい南にある。現地にはホテルなどが建っていてそのために城の半分ぐらいは破壊されてしまっているが、今でも本丸などが残っているようだ。リゾートホテルの合間を縫って現地まで走って行くと、一応城見学者用の駐車スペースもあり、案内看板までキチンと立っている。

 

 佐久城は室町時代に三ヶ日町一帯を支配した浜名氏の居城であるとのこと。1348年に浜名左近大夫清政がこの地に築城し、その子孫は足利幕府で将軍の側近として活躍したという。1583年12月の徳川家康の侵攻に際して、九代目の肥前守頼広が今川氏配下として籠城戦を行ったが、翌年2月に力尽きて降伏、その後は家康配下の本多百助信俊がこの城を守備したが、1583年に野地城を構築したことによって廃城となったとのこと。

   

左 キチンと案内看板まであり  右 しかしこの嫌な看板も

 本丸は公園整備されている模様。まむし注意の看板が嫌だが、とりあえず先に進むことにする。通路はちょうど空堀になっており、そこを登ると馬出がそのまま残っている。

左 本丸周辺の空堀  中央 馬出の土塁  右 馬出と本丸の間の土橋

左 土橋上から空堀を  中央 本丸虎口  右 下草が鬱蒼とした本丸

 そこから土橋で本丸とつながっており、虎口を経由して本丸に入ることが出来る。本丸は土塁なども残存しており、石碑や屋敷跡の看板があり、井戸跡も見ることが出来る。ただ辺りがかなり下草が茂っており、先ほど「まむし注意」の看板を見た直後とあっては、不用意に分け入ることは慎まれる。とりあえず進む先を杖でバンバンと派手に叩きながら大きな足音を立てて慎重に進むことにする。

左 本丸周囲の土塁  中央 井戸跡もある  右 城跡碑

 ホテルまで建っていると言うからろくに遺構はないのではと思っていたのだが、思いの外立派な遺構が残っていた。先ほどどん底まで落ち込んでいた気持ちが、これでようやくわずかに持ち直す。

 

 最後に宇津山城に立ち寄ろうと近くまで行ったのだが、現地は思いの外高い山だったことと、もう時間に全く余裕がなくなったことにより諦めて引き返す。

 

 車を5時には返却する必要があるので浜松駅まで急ぐ。途中で東名高速道路を経由して浜名湖SAで一休み。ここは浜名湖を望む風光明媚なSAだが、ちょっとした公園になっていて遊覧船なども出ている模様。

   

 一休みを終えると浜松まで車を急がせる。浜松駅近くまで来てから立ち寄る予定だったガソリンスタンドが休業していたりなどのドタバタはあったが、無事に車を返却する。

 

 後は帰るだけだが、夕食を摂ってからにしたい。やはり最後はうなぎを食べて帰るべきか。駅前のうなぎ屋「八百徳」に立ち寄って「鰻重」を頂く。

 東海地域は関西風と関東風のうなぎが入り交じっているが、ここのは関東風の柔らかい鰻の模様。私は関西人だが、これはこれでうまい。またタレの味がなかなか良い。さすがに浜松のうなぎは侮れないか。もっとも税込み3456円という支払いは、やはり昨今の状況のせいか高い。

 

 夕食も終えて新幹線で家路についたのである。ただ異常な熱波の影響は帰宅してから現れ、しばらくは熱中症のようなだるさが続く羽目になったのであった。遠征するならもう少し時期を選ぶ必要があったと後悔することしきりだが、昨年はこの時期でもこんなことはなかったはずなのだが・・・。

 

 

 

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