展覧会遠征 岡山編21

 

 先月に宇喜多直家ゆかりの城郭を回ったが、時間と体力の不足で回り残した城郭があるので、今日はそれを回ることにした。

 

 まず最初に向かうは前回にその高さにビビって撤退してしまった新庄山城。山陽道を山陽ICで降りて南進。途中で昼食のために丸亀製麺に立ち寄って「鴨ネギうどん」を頂く。鴨肉が柔らかくてなかなかにうまい。

  

 しばらく走ると前方に高い山が見えてくるが、そこが「新庄山城」。手前の運動公園の駐車場に車を置くと登り口を目指す。

   新庄山城はこの山上

 川の向こうに鳥居があってそこから山道が続いているが、これがかなり険しい山道。岩がゴロゴロという状態なので、それなりの装備は必要。整備はされているが、散歩のレベルではなくハイキングのレベル。私の現状の体力では情けないことにすぐに息が上がって、心臓の音がドクドクと聞こえてくる状態。

左 登り口は川の向こう  中央 いきなりかなり急な山道  右 急な道を息を切らせながら登る

 半分死にかけた頃に平地に出るが、これは山頂ではなくてちょうど中間点ぐらい。関所とでもいうところか。ここからさらに登りがある。

左 しばらくすると平地に出る  中央 振り返るとかなりの高さ  右 まだ登りは続く

 ヘロヘロになって足が攣りかけた頃にようやく山頂に到着する。山頂はお約束通りに神社になっている。ここが本丸だろうが、そう広いというわけではない。ここから南方に登山道が延びていて、それに沿って数段の曲輪の痕跡のようなものがないでもないが、完全に地形改変されてしまっているようで明瞭ではない。曲輪群の先に堀切があるはずなのだが、それも確認できなかった。

左 途中には岩場も有り  中央 本丸には神社  右 かなりの高度がある

 とにかくやたらに高い山上の上にそう広くもないので、この城を与えられた宇喜多直家も、本拠はすぐに亀山城に移したようである。堅固ではあるが不便に過ぎるというところであるか。

 

 新庄山城の見学の後はさらにもう一つの宇喜多直家関連の城郭を訪ねることにする。それは「明禅寺城」。備中から備前の支配を目論んで進出してきた三村氏と、この地で頭角を現していた宇喜多直家の間で行われた明禅寺合戦の舞台となった城で、ここで圧勝したことで宇喜多直家の勢力が決定的になったという重要な歴史の舞台である。

 

 明禅寺城は宇喜多直家の西の守りの城であるが、先に当主・三村家親を直家配下の狙撃によって暗殺され復讐の念に駆られている三村元親が、1567年ここに夜襲をかけて落城させる。これに対して宇喜多直家は三村氏に下っていた岡山城主の金光宗高らを寝返らせたことで明禅寺城に籠もる三村勢は孤立、本国に救援要請を行う。しかし直家はこの救援に来た三村勢を自国領内に引き込んでから殲滅する計画を立て、電撃作戦で明禅寺城を落城させる。明禅寺城の勢力と本体とで宇喜多軍を挟撃するという三村氏の戦略はこの時点で崩壊、その後は連携のまずさなどもあって「明禅寺崩れ」とも言われる大敗を喫することになったのである。と、このような経緯を聞くとどうも防御の弱い城というイメージがしてしまうのだが、これは実際に現地を見てみないと分からない。

 

 明禅寺城は岡山城の東方、恩徳寺の東側の尾根筋上にある。とりあえず恩徳寺を目指して車を走らせるが、なぜかこの日はやけに車が多くて路上に多数の駐車車両がある。何事かと思ったら、どうやら今日は遺跡の現地見学会が開催されるとか。この辺りはやはり古墳などにも事欠かない地域のようだ。

 

 私は今回は古墳目当てではないので、古墳に来ている連中の手前に車を置いて住宅地を抜けると背後の山に向かう。

   奥の山上が明禅寺城

 明禅寺城への登り口は住宅背後の梅林の中にある。ここから一旦北に登ってから登山道に合流して再び南に戻ってくるコース。この辺りはなだらかな山道だが、ちょうど恩徳寺の裏手についた辺りで急な山道を登ることになる。

左 ここから入る  中央 山に向かって進むと  右 登山道に合流する

 急な山道と言っても先ほどの新庄山城に比べるとなんてことない普通の九十九折りの山道である。ただ先ほどの新庄山城でダメージを蒙った足が全く前に出ない。10分もかからずに曲輪らしい削平地に出るが、この頃には足がつりそうな状態。

左 九十九折りの山道を登る  中央 この石積みは遺構ではなさそう  右 平地に出る

 本丸はここからさらに上がった位置にあるようである。ここには休憩スペースもあるが、見晴らしはあまり良くない。東部に巨石が剥き出しになった虎口のような構造が見られるのが特徴的。ただ虎口とするには城全体の構造から考えるとどうもおかしいところもある。しかしこの巨石の上に櫓でも建てたら防御においては効果的であるのは間違いない。

左 数段の削平地の横を登っていく  中央 本丸に到着  右 虎口のようにも見えるが・・・

 北側には数段の曲輪が見られるが、南側は急激に下っているようである。戦に備えて急遽整備された陣地というイメージで、大兵を置ける城ではないが殊更に防御の甘い城という印象はない。恐らく最初の落城は夜襲による奇襲攻撃であったし、二回目の落城は大軍で一気に攻めかかったからというところか。なお宇喜多直家大躍進の舞台となったこの城も、後に直家が本拠を岡山城に移す頃にはその役目は終えたと考えられるだろう。

 

 久しぶりに本格的山城を二カ所も回ってもう足腰はガタガタである。まだ日は高いがこれ以上の無理はやめてそろそろ撤退することにする。ただその前に汗は流していきたいということで、久しぶりにこの近くにある「桃太郎温泉」に立ち寄る。

 

 カランまで温泉という贅沢な源泉の使い方は相変わらずで、昼から大勢が押しかけている人気も相変わらずのようである。ここでゆったりと汗を流すと帰途についたのである。疲れはしたが、体を動かしたことで久々に爽快さを感じることも出来たのである。やはり心身不調の時は様子を見ながら体を動かすことがよろしいようで。

    帰りの龍野西SAでアーモンドバターソフトを頂く

 

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