展覧会遠征 東京編16

 

 この週末は金曜日の大フィルコンサートに参加してから東京に移動、東京地区の美術館を攻略してから二期会の薔薇の騎士を聴くという予定であった。しかしその予定は直前で大崩壊する。

 

 そもそも最近の私は、公私共に押し寄せるストレスで少々体調に変調を来していた。現在はありとあらゆる逆境が一気に押し寄せてきている状況。一体私がどんな悪いことをしたというのだと言いたい状態。世の中には他者に悪意に満ちた多大な迷惑をかけつつのうのうと生きているばかりか、今現在もさらに迷惑をかけ続けている輩もいるというのに。今一度「天道是か非か」と叫びたくなる心境であった。

 

 その上に強烈な夏バテが追い打ちをかけ、ここ最近は以前から私の弱点であった胃腸の不調を感じていた。そしてそれがとうとう金曜日の仕事中に爆発。鳩尾辺りの締め付けられるような激しい痛みに仕事中に悶絶する羽目になってしまったのである。この症状は10年以上前に数度経験したことがある。この時も仕事がキツい時(その原因は当時の上司の能力にあった)で、救急車で病院にかつぎ込まれて胃カメラを受けたところ、「胃がかなり荒れているからストレスを持たないように」という有り難くも役に立たない診断を受けたのである。それ以来、胃の荒れは半ば慢性化している。ほぼ間違いなくそれが悪化したのだろう。

 

 結局この日は悶絶しながら帰宅、残念ながら大フィルのコンサートに出かけるなどという状況ではなくなってしまったのである。インバルのマーラーだけに名演は確実で、一年前から楽しみにしていたのに痛恨の極みである。

 

 この日は一日胃の締め付けに苦しんだが、幸いにして一晩横になっていると翌朝には痛みは9割方退いた。こうなるとこれからどうしようかということを考えることになる。既に楽しみにしていたインバルのマーラーをキャンセルしたことと大阪でのホテル代を無駄にしたことは私にとって多大な精神的ダメージを与えている。この上に東京でのチケットとホテル代を無駄にしたらもうそのダメージは計り知れないものになりそうだ。そこで私は自身の軟弱な胃腸に対して悪態をつきつつ東京に向かうことにする。

 

 土曜の朝に諸々の用事を片づけると昼前に新幹線に飛び乗る。新幹線の中で昼食に弁当を食い、後はキンドルで「聖☆おにいさん」を読みながら過ごす。

 

 東京に到着したのは3時過ぎ。早速行動開始である。まずは定石通りに一番遠くの美術館へ。しかし現地に到着すると60人ぐらいがエレベーターを待っている状態。しかもそこから上に上がっても、さらに券売所で行列。一体何が起こったんだ。

 


「生誕140年 吉田博展 山と水の風景」東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館で8/27まで

 風景版画が有名な吉田博であるが、元々は普通の画家として水彩画や油絵も描いていた。その吉田博の画業を振り返る展覧会。

 初期の作品は水彩画が多いのだが、ぼかしを生かした空気感の表現のうまさが光る。渡欧してから油絵も手がけるようになったが、初期の作品はご多分に漏れず印象派調である。しかしやがて彼の自身の水彩画の手法も混ざってきて独自の塗り分けを生かした画風が確立されてくる。この時期の作品を見ると、後の木版画につながる表現が多々見えており興味深い。

 そして有名な木版画制作時代になる。彫り師から摺り師まで自ら抱え込んで工房を成していたという彼の作品は、とにかく摺りの技術の細かさが目につく。本来はぼかしや階調などの表現が難しい木版画で、非常に奥深さを感じさせる表現を行っている。これは絵画としてのセンスの問題だけでなく、版画の技術もかなり高度なものを駆使しているのが作品から覗える。技術と精神が渾然一体となった独自の世界である。


 確かに美しい絵なのだが、吉田博がそこまで人気があるとは予想外だった。おかげで入場までに無駄に貴重な時間を費やしてしまい、この後の予定が狂うことに。もう既に残り時間は少ないので駅に一番近い美術館に駆け込む。

 


「没後40年 幻の画家 不染鉄展」東京ステーションギャラリーで8/27まで

 将来を嘱望されながらも、戦後には画壇から距離を置いて創作に活動を行っていたために知名度が低く、今まで個展もほとんど行われていないという幻の画家である不染鉄を紹介。

 とにかくクセのある画家である。画題が非常に限られており、晩年の作品などは富士山と伊豆の島と薬師寺の東塔ばかり。しかしこのありふれた富士山の絵が極めて独特。クローズアップと鳥瞰、写生と幻想が入り交じった奇妙な世界となっている。しかしその奇妙さにも関わらず、不自然さや不快感は抱かせない。なんとも奇っ怪な画家である。


 これで6時を回ってしまい、通常の美術館はもう閉館時刻。しかしまだ土曜日に夜間開館している美術館がある。実際は次の美術館訪問が元々は今回の東京訪問の主目的。

 

 上野に移動するが、この頃から本格的に雨が降り始める。嫌な天候だ。


「アルチンボルド展」国立西洋美術館で9/24まで

 野菜などで顔を作っただまし絵的な作品で有名なアルチンボルドであるが、本展ではアルチンボルドの代表作である「四季」「四大元素」の連作を中心に展示すると共に、同時代の画家の作品や彼の影響を受けている作品なども併せて展示。

 アルチンボルドの作品を見ると、単にトリッキーな絵画というのではなく、一つ一つの対象物をかなり正確に描いており、いわゆる博物絵のジャンルの作品として考えることができるとのこと。そう言われると確かに納得させられる。

 ただ最後までよく分からなかったのは、なぜそれらを用いて顔を描く必要があったのか。アルチンボルド流のユーモアなのか、それとも何らかの寓意を秘めているものなのか。何やらその辺りがどうにも謎である。

 なおアルチンボルド流の作品の中には、人間を組み合わせて顔にしている作品などもあったが、これなどはどちらかと言えばアルチンボルドよりは歌川国芳に見えたりしたんであるが。国芳はアルチンボルドの作品を目にしたことがあるんだろうか?


 これで今日の美術館の予定はすべて終了。後は夕食を摂るだけ。夕食を摂る店は上野近辺で目を付けているところがあったのだが、問題は先ほどから降り始めていた雨がとんでもない豪雨になってしまったこと。しばし美術館の軒先で雨宿りしていたが一向に雨が弱まる様子がないので、意を決して雨の中に繰り出したが傘が全く役に立たない状態で全身ずぶ濡れになる。

 

 入店したのは上野の「黒船亭」。下町の洋食屋としての歴史のある洋食店とのこと。入店時にはすでに待ち客がいる状態で、しばし待たされることになる。どうやら人気もある店のようである。

 

 数分後にようやく座席に通される。落ち着いた雰囲気の店内は歴史を感じさせる。この店はじっくりと煮込んだデミグラスソースが売りと聞いているので、ビーフシチューを注文することにする。

  

 苦みのない甘めのデミグラスソースが実に私好み。煮込んだ牛肉はトロトロで柔らかい。実に美味なビーフシチューである。価格がやや高めなのがいかにも東京だが、味には申し分がない。やはり東京でうまいものを食べようと思うと、財布の中身を気にしてはダメなようだ。

  

 夕食のついでにデザートとアイスコーヒーを追加注文。こちらも中々。以上で支払いは5000円近くになってしまったが、夕食を堪能したのである。

 

 東京の飲食店の平均レベルは著しく低いが、店を吟味して金に糸目をつけなければそれなりにうまいものも食えるということは最近になって分かってきた。つまりはやはり東京で生活するにはやたらと金がかかるということになるらしい。

 

 夕食を終えるとホテルに向かうことにする。宿泊ホテルは定宿・ホテルNEO東京。8時に南千住に到着した頃にはようやく雨はパラパラの小降りになっていた。それにしても今日は雨だというのにやけに浴衣の女性を見かけるなと思っていたら、遠くからドンドンと高射砲のような音が聞こえてくる。南千住の陸橋に上がるとスカイツリーもある東の空に花火が上がっている。後で調べたところによると隅田川の花火大会だったらしい。まだ小雨がぱらついていたのだが、こんなコンディションでも花火を打ち上げられるんだと驚き。他の観客と一緒に小雨の中を30分ほど花火見学。

  

小雨の中の花火大会

 花火が終わるとホテルにチェックインする。しかし豪雨の中をトランクを引きずって移動したのが災いして、トランクの中まで雨がしみこんで着替えがビショビショになって全滅している。仕方ないので衣類を全部乾燥機に放り込むと、冷えた体は大浴場で暖める。衣類はこれで良いとしても機械類が心配である。

 

 何だかんだでこの日の就寝は12時前。調べ物をしすぎたか。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は朝寝するつもりだったのに、7時過ぎに勝手に目が覚めてしまう。私もサラリーマンとしての習性が身に染み付いているようだ。仕方ないのでそのまま起床すると、昨日成城石井で買い込んでいたパスタを朝食にする。

 

 今日は残った美術館を回ってから2時から東京文化会館でオペラである。どれだけの美術館を回れるかはスピード勝負。とりあえず一番遠くにある美術館は三井記念美術館なのでその開館時間に合わせてホテルを出る。

 

 上野駅のコインロッカーにトランクを置くと地下鉄で三越前まで。

 


「地獄絵ワンダーランド」三井記念美術館で9/3まで

 

 今まで様々な地獄絵というものが描かれてきたが、そのような地獄絵を展示。冒頭部は水木しげるによる地獄を説明したイラストも展示されている。

 まさにイマジネーションの限りを尽くしたような、おどろおどろしい表現が多いのであるが、その一方で江戸期などになってくるとかなりユーモラスとも言えるような表現のものも登場している。道徳を説くための材料としての地獄よりも、所謂怖いもの見たさ的な地獄の表現が後になるほど多くなるのは人間の性というものであろうか。

 展示のラストには地獄だけでなく極楽の表現も登場するのだが、なぜか地獄に比べるとありがたくはあっても表現が平凡で画一的になってくるというのが不思議な感じてある。


 どうも極楽図はありがたくもパターンが決まっているのに対し、地獄図の方はあらゆるイマジネーションを刺激するような作品が多い。やはりこれは怖いもの見たさのようなものなんだろうか。それに人の行動を律する場合、善行を行うとこんな良いところに行けますよよりも、悪行を行うとこんな怖いところに送られるぞの方が効果があるのだろう。人間の危機回避本能の応用とも言える。つまりはアメとムチの場合、まずは恐ろしいムチを散々見せつけておいてから、アメを出した方が効果があると言うことか。何か嫌らしいマキャベリズムである。「政治とはそういうもの。それが嫌なら、権力など目指さぬ方がよろしかろう。」というオーベルシュタインの声が聞こえてきた。「キルヒアイス、俺はここまでの男なのか・・・」。ダメだ、最近ファミリー劇場で放送中の銀河英雄伝説をチラホラ見ているせいで変な幻聴が聞こえてくる。

 

 それにしても知らない間に天国と地獄にやけに詳しくなってしまったものである。等活地獄や黒縄地獄なんて「専門用語」がスラスラと分かるばかりか、あれが浄玻璃鏡かなどと説明がないものまで分かってしまう。マンガの学習能力侮りがたし。

 

 三井記念美術館を後にすると三菱一号館美術館までプラプラと歩く。グーグル先生にお伺いを立てたところでは所要時間は20分のはずだったのだが、途中で道に迷ったこともあって30分以上かかる。相変わらずグーグル先生はかなり健脚のようだ。

 


「レオナルド×ミケランジェロ」三菱一号館美術館で9/24まで

 

 ダ・ヴィンチとミケランジェロの素描を中心に展示。

 絵心のある者なら素描を見ればその画家の技量がハッキリと分かるのだろうが、残念ながら私は絵心は皆無なのでそこまでは分からない。ただそれでも彼らの描く線の卓越した表現力は感じることができる。筋肉フェチのミケランジェロと超絶技巧のクセ絵のダ・ヴィンチ(彼が描くとなぜか人物がすべてモナリザになる)の特徴が現れていてなかなか楽しめた。

 展示の目玉の一つと言えそうなのが、ミケランジェロの「ジュスティニアーのキリスト」。十字架を担いだキリストの巨大石像であるが、肉体の表現がいかにもミケランジェロらしくて圧巻。もっともキリストはこんな筋肉隆々のイメージはないのだが。

  

 グーグルで「レオナルド×ミケランジェロ」と検索すると「混雑」といったキーワードが出てきていたぐらいなので、会場の混雑を懸念していたのだが思っていたよりも館内の客は少なく、特に問題なく見て回ることができた。

 

 ところでどうでも良いことだが、この展覧会のタイトル、これでいいのかな? やはり「×」と言えば腐女子用語でボーイズラブのこと。思わずレオナルドとミケランジェロのボーイズラブ漫画を想像してしまった。なおこれは後日談になるが、「ふじょし」と入力すると「婦女子」の次に「腐女子」が変換候補に出てくるATOKには驚かされる。さすがに賢い変換というか現代語に強い。

 

 さてそろそろ昼時だが、昼食を摂る前にもう一館ぐらいは回っておきたい。と言うわけで上野に移動。国立科学博物館で開催中の「深海」展を見学・・・と思っていたのだが、博物館前には大行列。現在13時半入館からの整理券を配布中との案内が。やはり夏休み時期のこの手の企画は鬼門か。13時半に入館していたら14時開演の公演に間に合わない。諦めて東京都美術館に向かう。「深海」展、大阪自然史博物館辺りに巡回してくれないかな。

 深海展は大混雑

 東京都美術館に入館すると、美術展の前にレストランで軽い昼食としてカレーを食べておく。価格は880円と本格的だが、出てきたカレーは「どこのレトルトですか?」という趣の代物。まあこういうところのレストランではよくあるパターンである。

 とりあえずの昼食を終えてから美術展の方へ。


「ボストン美術館の至宝展」東京都美術館で10/9まで

 ボストン美術館の名品を、古代エジプト美術、日本・中国美術、フランス絵画、アメリカ絵画、現代アートなどのジャンルに分けて展示。

 展示の目玉はゴッホのルーラン夫妻の併せての展示だが、これ以外にもフランス絵画の名品が複数展示されている。ただもっともボストン美術館らしいと言えるのが、日本美術の名品だろうか。170年ぶりの修理を経ての里帰りを果たした英一蝶の巨大な涅槃図から、曽我蕭白の風仙図屏風など、日本にあったなら国宝級の作品が展示されており、そのレベルの高さには圧倒される。


 なかなか面白い作品も見ることができたが、どうもこの美術館はじっくりと見るというコンディションでない(広すぎるせいでやたらに歩かされて疲れるし、とにかくいつも人は多いし)ので、もう少しじっくりと鑑賞したいところ。なお名古屋ボストン美術館にも巡回するようだが、これがこの美術館の最終展示になるのか? それにしても名古屋ボストン美術館も、このレベルの展覧会をしょっちゅう開催していたら入館者数が伸びずに閉館なんて事にならずに済んだと思うのだが・・・。

 

 それにしても毎度のことながら思うのは、なぜこんな国宝級の名品が海外に流出しているの?ということ。この国の文化行政のお粗末さの現れでもある。ただ海外に流出していたからこそ、明治期の神道原理主義キ○○イによる廃仏毀釈テロや先の大馬鹿戦争などによる消失を免れたという面もあり、つくづくのこの国の近代史の愚かな一面に暗澹たる想いにもかられるのであるが。

 

 美術館から出てきた時には13時前になっていた。腹がまだ軽すぎるのでどこかで何かを食べたい気持ちはあるが、レストランはどこも大混雑。諦めて文化会館に入館してしまう。

 

 私の席は4階。やはりここのホールは天井が高い。目眩のしそうな高さだが、その割にはなぜかこのホールは初めて来た時からあまり恐怖は感じない。それが謎。フェスティバルホールの3階席なんか死ぬほど怖いし、ロームシアターもびわ湖ホールもダメだったのに。

 


東京二期会オペラ劇場『ばらの騎士』

 

指揮:セバスティアン・ヴァイグレ

演出:リチャード・ジョーンズ

 

元帥夫人:森谷真理

オックス男爵:大塚博章

オクタヴィアン:澤村翔子

ファーニナル:清水勇磨

ゾフィー:山口清子

マリアンネ:岩下晶子

ヴァルツァッキ:升島唯博

アンニーナ:増田弥生

警部:清水那由太

元帥夫人家執事:土師雅人

公証人:松井永太郎

料理屋の主人:加茂下稔

テノール歌手:前川健生

3人の孤児:田崎美香、舟橋千尋、金澤桃子

帽子屋:斉藤園子

動物売り:加藤太朗

ファーニナル家執事:新津耕平

 

合唱:二期会合唱団

管弦楽:読売日本交響楽団

 

 「薔薇の騎士」はR.シュトラウスが、モーツァルトの「フィガロの結婚」などのタイプの軽めのオペラを目指して作った作品であるという。確かに軽快なメロディだけでなく、遊び人の男爵が散々馬鹿にされる展開は、フィガロでのエロ伯爵が翻弄される展開と相通じる。

 内容的には単独でのアリアがなく、常に複数人での掛け合いが続くのが特徴。イタリアオペラなどのような歌手がアリアを熱唱して、そこで拍手が起こって芝居が一端途切れるという展開にならないのは、どうも作曲者のこだわりのように思われ、この辺りはワーグナーとも共通する。

 音楽はR.シュトラウスにしては平易な親しみやすいものであるが、それでもモーツァルトほどの馴染みやすさとはいかない。また第一部のラストの元帥夫人が自分の将来を憂えるシーンなどはやや冗長に感じられ、実際にこのシーンで寝落ちしてしまっている観客も少なくなかったようである。

 とは言うものの、終盤にかけての掛け合いなどはなかなか美しく、聞かせどころも多い内容。最近になってよく上演されるのも頷けはする。


 ソリストを中心に諸々の弱点も見えたが、まあ内容としてはこんなものだろう。オペラを堪能したのである。

 

 これで本遠征の予定は終了。上野駅のトランクを回収すると、新幹線に飛び乗って帰宅と相成ったのである。

 

 

 

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