展覧会遠征 人吉編

 

 この週末は九州まで出向くことにした。目的地は熊本の人吉温泉。九州復興補助を使用しての宿泊である。人吉温泉は今まで何度か訪れているが、泉質の良さが印象に残っている。

 

 九州に飛ぶのは土曜日の朝。とりあえず前日の金曜日は大阪でのコンサートである。世間では内閣がプレミアムフライデーなるものを煽っているが、あんなものを適用できるのは極々一部の大企業だけだろう。サービス業なんかはまずは無理だし、メーカーもまず無理である。当然のように私の勤務先もこのようなものは完全無視。しかし愛国者である私としては、国の政策には協力すべきであろう(笑)。と言うわけでフレックスを活用して、個人的にプレミアムフライデー。

 

 大阪に移動すると、まずはホテルに荷物を置きに行く。宿泊ホテルは以前にも利用したことがあるホテル松ヶ枝。チェックインを済ませて荷物を置くと、直ちに外出する。

 

 夕食を摂っていないので、時間がないがホールに向かう前に近くのラーメン屋「旭屋」味噌ラーメン(700円)を頂く。麺にコシもあるし、スープにコクもあるし、なかなかのラーメン。やはり大阪の飲食店のレベルは高い。

 ラーメンをかき込むとホールに急ぐ。ホールはホテルの隣の駅だ。


関西フィルハーモニー管弦楽団 第280回定期演奏会

 

[指揮]ピエール・カルロ・オリツィオ

[ピアノ]ルーカス・ゲニューシャス

 

ベッリーニ:歌劇「ノルマ」序曲

ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲

プロコフィエフ:交響曲第5番 変ロ長調 op.100

 

 最初の「ノルマ」はややゴチャゴチャした印象の演奏になっているが、オケのまとまりはコンサートが進むにつれて上がってくる。

 ゲニューシャスのピアノは、軽やかで柔らかい演奏。軽快なタッチで難曲を軽々と弾きこなす。それでいて決して無機質な演奏ではない。オケともマッチしてなかなか。

 プロコフィエフの交響曲第5番は、彼の曲としては非常にわかりやすくてなじみやすいもの。これをオリツィオの指揮は、さらに明快で快活な演奏にしている。結果としてメリハリの利いたなかなかにすばらしい演奏となった。


 コンサートを終えるとホテルに戻る。夕食がラーメンをかき込んだだけだったのでご飯ものが食べたくなったので、帰りになか卯に立ち寄ってカツ丼を食べるが・・・あまりうまくない。

 

 ホテルに戻るとまずは入浴を済ませ、それからしばしマッタリ。とは言うものの明日の朝は早い。11時になる前に就寝する。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時に起床。ただ起床時間前にどこからかドタンバタンとやかましい音が聞こえたせいで早めに目が覚めていた。おかげで懸念していた寝過ごしはなかったが。どうも床の板張り構造が災いしているようだ。

 

 手早く身支度をすると7時にはチェックアウト。今朝は早朝出発になることが分かっていたから、最初から素泊まりプランにしている。JRで野田駅から神戸空港まで移動するが、列車の接続が悪くて想定よりも時間を浪費する。

 

 神戸空港に到着したのはフライト時刻の1時間ぐらい前。とりあえずあまりうまくないうどんを朝食に摂ってから飛行機に乗り込むことに。

 

 目的地は鹿児島空港。最初は熊本空港を考えていたのだが、人吉に行くのなら鹿児島空港の方が近いため。球磨地方は熊本とはまた別の地域といえるようだ。使用したのは例によってのスカイマークの鹿児島便。フライト中は眠くなってほとんど寝ていたが、鹿児島空港に近づいたところで気流が乱れるのかやたらにガタガタ揺れたのがかなり気持ち悪かった。やはり未だに飛行機自体はあまり得意でない。鹿児島空港には予定より5分早く到着したらしいが、途中で通路の扉のロックが開かないとかで通路で待たされるトラブル発生。まさかここで5分の調整をしたわけでもないだろうが。

 

 鹿児島空港からの移動はレンタカーを予約してある。貸し出されたのはマーチ。嫌いな車なのにやたらと縁がある車種でもある。

 

 さてこれからだが、実はほとんどノープラン。私も50を越えてから男性更年期うつ(所謂はらたいら病)の傾向があり、かつてのような綿密なスケジュールを立てるための集中力の維持が出来なくなっている。事前調査をしていたらしんどくなってきて、結局は計画というようなものは立たなかった次第。とりあえずはもうすぐ昼時だし、人吉に直行しようと考える。ノープランと言いつつも実は昼食だけはもう決めている。人吉の「上村」でうなぎを食べようというものである。人吉までわざわざ出張ってきた目的の一つはこれと言っても良い。九州自動車道に乗ると人吉まで突っ走る。人吉ICに到着したのはちょうど昼時。上村の場所はうろ覚えだったが問題なく到着できた。ただ駐車場探しに少々ウロウロ。第一、第二駐車場は満車だったが、少し離れた第三駐車場に空きがあったのでそこに駐車。店の前には既に待ち客がいたが、幸いに私の到着と同時に空きが出来てすぐに入店できる。

   

 注文したのは「うな丼の大(3000円)」。料理が出てくるまでに30分待たされる。その間にも客の出入りはひっきりなし。かなり繁盛しているようだが、やって来るのは観光客がほとんど。

うなぎが二重になっているのはうれしい

 パリッと焼けたうなぎが香ばしくて実に良い。甘めの味付けは私好み。それでいてうなぎの野性味的なものも垣間見えている。明らかに関西人にうけるタイプのうなぎで、日本一のウナギというのは誇大に過ぎるとしても、確かにかなりうまいうなぎにはなる。ただご時世かボリュームに関してはいささか寂しい。うなぎが中にも入っているのはうれしいが、それを考慮してもボリュームがあるとは言い難い。もっともこれはこの店に限らず、昨今のウナギ屋共通の課題。今はシラスウナギの商業養殖の成功に期待するしかないのか。

 

 腹が膨れたところで次の展開を考える。このまま人吉の市街をプラプラ散策という手もあるが、これは退屈しそうだ。やはりここは王道で行くか。事前調査の際に一応は山城をいくつかピックアップしている。その一つに向かうことにする。

 

 最初の目的地は「湯前城」。築城年代は定かではないが、1559年には東直政が居城としており、直政の戦死後は東能登が城主になったという。1594年には相良長毎が朝鮮出兵中に竹下監物が犬童氏を滅ぼそうとして失敗、湯前城に籠もって抵抗したが最後は切腹したとの記録が残っている。その後も湯前城は相良氏に人吉城の支城として重視されていたとのこと。

    この神社の境内がかつての湯前城

 湯前城は周囲を見下ろす小高い丘の上に立っている。最初は栄立寺に登ったのだがこれは間違いで、さらに奥の市房山神宮里宮神社の境内のところにあったらしい。地形的に東南西を断崖に囲まれており堅固。特に東には二重の堀切を切ってあってかなり堅固である。

    鬱蒼として分かりにくいが、神社横はかなり深い堀切

 ただ気になったのは、地形的にもっとも弱点であると考えられる北側に防御機構が見られなかったこと。東側の二重堀切に匹敵するような構造があって然りと思えたのだが、後に地形が改変されてしまったのだろうか。

    ただし裏手は防御機構が何も残っていない

 里宮神社はなかなか立派な神社で、境内に飾られた馬と龍の彫刻が目を引く。龍の彫刻はチェーンソーアートなのだそうな。登り龍と降り龍が対になっている。かつては私もこの龍のように天に駆け上がる野心もあったのだが、結局は地を這ったまま終わってしまった。人生に一抹のほろ苦さと寂しさを感じる今日この頃である。私も老いたな。

   

チェーンソーアートによる龍

 湯前城を一回りした後は近くのゆのまえ温泉湯楽里で入浴していくことにする。この周辺一帯がゆのまえグリーンパレスというキャンプ場などの複合施設になっている。山を整地した施設が複数並んでおり、曲輪の連続のようにも見える。構造的には現代の山城という雰囲気がある。

   

 湯楽里は宿泊施設にレストランも併設してある。大浴場は内風呂+露天のオーソドックスなもので、泉質はナトリウム塩化物炭酸水素塩泉とか。若干のヌルット感のある湯だが、キャラクターはそう強くはない。悪くはないが印象はあまり強くない。

 

 風呂で汗を流すと次の目的地に立ち寄ることにする。次に立ち寄ったのは多良木の「上村城」

 

 上村城への登城路は谷水薬師堂から出ていると聞いている。途中から谷水薬師堂と麓城の案内看板が立っているが、どうやら麓城というのが上村城の別称らしい。

谷水薬師の山門と本堂、そしてどことなく愛嬌のある紙つぶて仁王

 谷水薬師の奥に麓城までのハイキングコースがある。麓城まで400メートルで15分とのこと。距離は大したことがないが、これが登りの山道なので早々に息が切れる。しかし何とか10分ほどで登り切る。

左 登城路入口  中央 山道を登る  右 ようやく頂上が見えてきた

 北側の高い曲輪が主郭で、南側の広い曲輪が二の郭というところか。西側の斜面には広い帯曲輪もある。主郭のさらに高い部分は天守台相当。天守はともかくとして、見張り台の櫓ぐらいは建てたのではなかろうか。

左 主郭の奥に天守台のような高所が  中央・右 両翼に帯曲輪が連なる

反対側から主郭方向を振り返って

 上まで上がったところで、明らかに構造的に西側が大手だと感じたのだが、それは正解だったようだ。西側を降りたところの麓という地域に武家屋敷があったらしい。後で車で通過してみたが、今でも整然と区切られた区画が残っており、武家屋敷街の面影がある。

  

麓の町並みには明らかに武家屋敷街の面影がある

 ここまで回ったところでもう既に4時を過ぎている。今日の予定はここまでにして宿に向かうことにする。

 

 今回宿泊するのは人吉旅館。昭和初期に建造されたという建物が国の有形文化財に指定されているという由緒ある旅館である。宿泊補助を利用するなら、どうせだから格式のある旅館に宿泊しようと考えた次第。

  

 人吉旅館はいかにも年季を感じさせる建物。非常に趣深い。通された筏口という部屋は、人吉川を望む見晴らしの良い部屋。天井が高くて欄間の細工などに格式の高さを感じさせる。古い建物ではあるが、水回りなどはリニューアルされており汚さは全くない。また建物は古いが、部屋はWi-fi対応でテレビはBSも映る。

趣ある部屋の窓からは人吉側が一望で、向こうには人吉城も見える

趣ある建物の中にはアンティーク展示も

 部屋でしばしくつろいだ後、入浴することにする。大浴場は一階にあり、男湯は二つの浴場をつないだ構造。恐らく昔は男湯と女湯だったものをつなげて拡張したのだろう。泉質はナトリウム炭酸水素塩塩化物泉とのことだが、入浴するなりかなり肌がヌルヌルとする強烈な湯。かなり上質の湯である。この湯に浸かるためにもここまで来た価値は十分にあるというものである。

二つの浴室がつながった構造

 しばらく部屋でくつろいだ後、夕食は広間で。地場ものを中心とした懐石メニューだが、これが実にうまい。先付けの中の鮎の子というウルカがうまいし、山女の刺身や塩焼きが抜群。やはり川魚はうまい。デザートまで全品がかなりうまかった。ただデザートのババロアはうまいのだが焼酎の風味が私にはやや強く、頭が少しフラッときた。

 夕食を終えて部屋に戻ってテレビをつけたら、NHKでプレキソ英語を放送中。キソ英語のレベルにさえ到達していない者向けの番組だろう。さすがに英語が全くダメの私でも、この番組ならヒアリングできる。どうやら私のヒアリングレベルはプレキソレベルだったようだ。これで外国人相手の仕事もさせられているのだから、考えれば無茶なことだ。

 

 一息付くと再び入浴。今度は先ほどよりもゆったりと浸かる。湯が体にしみ入る感触。最高の湯である。

 

 部屋に戻るとテレビを見るがろくなニュースはない。トランプは相変わらず差別主義むき出しの上に、自分にとって都合の良い右翼マスコミ以外は排除で、アメリカを自由の国から独裁国家に変えようとしている。一方、北の国の独裁者は疑心暗鬼に駆られているのか、自分の地位をわずかでも脅かす可能性のある者は片っ端から粛正しているようだし、日本の独裁者を気取っている安倍は、自分の取り巻きに国有地をただ同然で下げ渡すという公私混同をやらかして開き直っている。どうも世界中で馬鹿が馬鹿をやって世の中を滅茶苦茶にしようとしている。

 

 10時頃に寝る前にもう一度入浴に行く。大浴場は男女の入れ替えがあったようだ。こちらの浴場はやや小さめの岩風呂。80センチの深さがあったあちらの風呂とは違って普通の深さの浴場。多分、お母さんはお子様と一緒にこちらの浴場へというイメージだったんだろう。

   

 風呂でしっかりと体を温めると部屋に戻ってくる。この旅館は夜には夜の風情がある。実に趣深い(ガキならむしろ恐いと感じるかも)。

   

 風呂から戻るとこの日はそのまま就寝。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時に起床。なかなかよく寝た。やはり私はベッドよりも畳に布団の方が相性が良いのだろうか。目が覚めると朝食前に朝風呂。最高の湯ですっかり小原庄助さんである。

 

 風呂で体を温めたところで広間で朝食。朝から和食がうまい。

 10時前にチェックアウトすると、とりあえず車は置いたまま近くの青井阿蘇神社の見学に出向く。藁葺きの社殿や門が趣のある神社で、国宝に指定されている。境内には多くの観光客がひしめき、団体客なども来ているようだ。

 

 神社の見学を終えると車に乗り込み次の目的地へ。今日の予定だが、昨日時間不足で見学できなかった「永里城」を見学するつもり。昨日訪問した上村城に隣接しており、ハイキングコースでつながっているとか。今日はそのハイキングコースを逆からたどることになる。

 

 永里城への登り口は、ビハ公園ハイキング場に向かう道の途中にある。案内看板が出ているので、入口前に車を置くとハイキングコースを徒歩で進む。最初は林道だったのが途中で山道が分岐し、こちらがハイキングコースになる。

左 永里城への林道入口  中央 林道を進む  右 ここからはハイキングコースになる

 ハイキングコースは木で段が作ってあるが、数年前に整備してそのまま放置されているのか半分朽ちてしまっている。こういう点ではコンクリート丸太の方にメリットがあるか。丸太がなくても斜面を登るのには問題ないがコースが分からなくなってしまう。丸太の残骸を追いながらの登山だが、困ったことにコース上に何本も巨大な倒木が転がっていて進行を妨げる。かなり前にハイキングコースが設置されたものの、その後に定期的にメンテナンスされている様子がない。後5年も放置されたら、丸太も完全に朽ちてしまって、もうコース自体が全く分からなくなるのではなかろうか。

    ハイキングコースも半分朽ちかけている

 山頂まで25分とのことだったが、息を切らせながら15分ほどで上村城(麓城)との分岐点にさしかかる。山頂はここから5分とのこと。

   

 最後の一踏ん張りでようやく城内らしき削平地にたどり着く。ただ内部はかなり藪化していて全貌がつかみにくい。三の丸とでもいうところか。ここを進むと奥に崖があるのだが、本丸はこの上のようだ。

   

三の丸らしき平地に到着、その先の高地が本丸のようだ

 一番の最高所が本丸だが、ここも鬱蒼として先に進むのをためらうぐらい。その鬱蒼とした中に城跡碑が埋もれている。やはりこれは数年単位で放置されているようだ。今では山頂に登る者がほとんどいないのだろうか。登る者がいれば少なくとも道ぐらいは残るものだが。

左 本丸へ登るが  中央 鬱蒼としている  右 藪の中に城跡碑が埋もれている

 本丸から西に降りたところに曲輪がある。ここが二の丸というところか、この曲輪の先端は、先の尾根と堀切で断ち切っているようである。

    西の曲輪の先は堀切で断ち切ってある

 永里城はそこそこの規模のある山城だが、縄張りにあまり個性はない。ただそれよりも、もう少しキチンと整備して欲しいところ。

 

 永里城を後にすると「鍋城」に向かう。鍋城は小集落に隣接する丘の上にある。この丘に沿って車を走らせると登城口を示す看板が立っている。この看板の辺りから登れそうな雰囲気があるので進みかけるが、よく見ると登城口は北に300メートルとの表記がある。結局は先ほど通過した集落の中に登るための道がある。この道は農作業用の軽トラなどが登るための道のようである。おかげで周辺もかなり加工されていてかつての遺構は不明。

左 入口はここでなく、北に300m先  中央 集落の中に道がある  右 この道を進む

 丘の上も梅畑にかなり農地改変されているようで、かつての城の遺構はサッパリ分からない。丘の上はかなりの面積があるのでそれなりの城郭を築けただろうことは分かるが、それ以上は構造をつかめない。また丘の南の方には朽ち果てた畜舎の残骸があるが、その周辺までがかなり竹林化しており、進むことも地形を確認することも不可能。梅林の方はまだ手が入っている様子があったが、ここが放棄されたらほどなく丘が丸ごと竹林に埋もれてしまうだろう。竹というのはかなり侵略性の強い生物であり、各地で繁殖が問題になっている。昔のように日用品などに竹を使用したら良いのだが、今は効率一辺倒でそれらがすべてプラスチックに置き換えられてしまったので、放置される竹林が増えている。

内部は農地化及び藪化のために遺構は分からず

 永里城の見学を終えたところで、一汗流していきたいと考える。ここに来る途中で多良木駅の近くでえびすの湯という入浴施設を見かけたので立ち寄ることにする。

  

 多良木町ふれあい交流センターとあるが、確かに典型的な地方のスパセン付き交流センター。浴場は内風呂と露天風呂に歩行風呂などという変わったものが付いている。ただ露天風呂は温度が低すぎて寒くて入れず。炭酸水素塩泉との情報もあるのだが、現地には温泉との表記はどこにもなく、浴感もただの新湯。球磨盆地はあちこちに温泉が湧くイメージがあったが、そうでもないのか。

 

 入浴して汗を流したところで、昼食のために人吉に戻ることにする。昨日は上村でうなぎを食べたので、今日はしらいしにでも立ち寄ろうかと考えていたのだが、いざ戻ってみるとしらいしは今日は休み。おかげで上村には昨日以上の大行列。完全に無駄足になってしまった。どこか他の店をと思ったのだが、思いの外人吉は飲食店が少ない。

    人吉の町並み

 結局は昼食を食いそびれたまま次の目的地へと向かうことにする。次の目的地はここに来る途中で見かけた高山。ここの山上には遠目でも分かるぐらい明らかに山城の跡があり、やはりここは立ち寄る必要があるだろうと判断した次第。ちなみにこれが「高山城」

     遠くからでも明らかに分かる山城

 山頂近くまで車で登れるとの情報があったので、運動公園の案内看板を目印に入り、そこから未舗装の登山路に車で乗り入れたのだが、それは結果としては失敗だった。凸凹の狭くて急な道を散々遠回りさせられて何度も恐い思いをする羽目になってからようやく山頂にたどり着いたが、山頂にたどり着いてみるともっと広くて整備された道があることに気づいた。どうやら南から来て一つ目の看板で曲がったのが間違いで、二つ目の看板で曲がってから、運動公園から左に上がる舗装道路を進むのが正解コースだったようだ(しかも後で調べてみたら、グーグルマップのストリートビューまであった・・・)。

かなりの高さまで車で登ってこれるので、そこから歩いて山頂へ

 行き止まりに小さな駐車場があるので、そこに車を置くと徒歩で山頂に向かう。山道は完全に整備されているので足下に全く不安はないが、急斜面につけてある道なので、よろめいて転落したら命取りではある。実はこの時、既に足下はこれまでのダメージでふらついてきていた上に、昼食抜きで若干の目眩も起こっていたので、実はこの行程が意外に危なかったりする。

左 山頂に到着  中央 城跡碑と  右 謎の椅子

 山頂までは5分もかからない。通常の状態なら鼻歌でも歌いながら楽勝である。山上は展望台として整備されており、一応は城跡碑が立っている。それによると文治建久の頃に深田の地頭平河太郎盛高が築いた城がここにあったらしい。確かに山頂から見下ろすと曲輪の跡らしき削平地も見える。ただもう既に足が終わってしまっている上に、先ほどの山道走行で精神もすり切れており、そこまで降りる気力と体力がない。

   

左 展望台があり  右 下には曲輪らしき跡も

球磨盆地を一望

 もう体力も精神力もほとんど切れてきたので早々に山を降りてくる。しかしここで問題となったのは「さてこれからどうするか」。正直なところもう予定が全くなくなってしまった。余剰時間は2時間ほど。どこか立ち寄るところでもあるかどうかを探しながら人吉方面に戻ってくる。

 

 途中で「幸福駅」という表示を見たところで思いついて立ち寄ることにする。くまがわ鉄道におかどめ幸福駅なる駅があり、それがいわゆる開運スポットなのだとか。駅の隣の売店では定番の「幸福行き切符」なんかも発売されている。

おかどめ幸福駅

 この駅名、そもそも適当につけたわけでなく、この近くに開運にまつわる神社があるからとのこと。伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀った岡留熊野座神社なる神社が開運の神社としての御利益があるらしい。と言うわけで、どうも人生の幸福から見放されている私も、今後の幸福を祈ってその神社を参拝しておく。しかし試しに引いたおみくじは「仕事:一から出直すことも考えよ。恋愛:誰にも言えない悲しみがある。縁談はまとまりにくい。健康:健康状態の立て直しを図ろう。病気は警戒を要する。学業:基礎になる部分がどこかかけていないか。」といった惨憺たるもの。しかしまさに現状そのものだわ・・・。

   

岡留熊野座神社を参拝

 フラッと立ち寄った駅で予想外に時間をつぶしてしまい、もう時間の余裕が少なくなってきたので、人吉に戻るとかなり遅めの昼食を摂ることにする。町のはずれで見つけた「松田うなぎ屋」なる店でうなぎを頂く。しかし時勢柄ボリュームが少な目。

 遅めの昼食を終えたところでそろそろ時間。高速に乗って鹿児島空港まで移動する。

 

 鹿児島空港でレンタカーを返すと帰り便の出発待ち。まだ時間の余裕があるので、かなり早めの夕食にする(さっき昼食を食ったばかりの気もするが・・・)。空港内のレストランで軽く(?)夕食。きびなごがうまいな・・・。

  

 この日はこの後、ANA便で帰宅することになったのである。機体が小さいのに振り替えられたらしく、3名溢れたから誰か翌朝便に振り替えて欲しいとアナウンスしていた。補償金が出るみたいだから私も暇なら名乗り出てもよかったが、明日は仕事だし・・・。ちなみにANAは補償金を出して振り替え志願者を募ったが、ユナイテッドの場合は問答無用でアジア人乗客を指名して、抵抗すれば暴力で強制的に引きずり下ろすとのこと。さすがにアメリカンクオリティである。大統領にあのような人種差別推進派が当選したことで、こういう事件はこれからさらに増えるだろう。アメリカも明らかに落ち目になった。 

 

 

戻る