展覧会遠征 関西・東京編

 

 さてこの週末から来週の前半にかけては関西と東京のライブをハシゴすることにした。そもそもはそんなつもりはなかったのだが、こんな事態になった原因はパリ管。私は今年の春に発売された京都コンサートホールの外来オケ公演セット券を購入したのだが、この中のパリ管の公演日が日曜。しかし今度来日したサンフランシスコ響の大阪公演の日がこの日曜にぶつかってしまった次第。サンフランシスコ響は是非とも聴きたいと思っていた私は、こうなるともう一つの東京公演の方に行かざるを得なくなってしまった。どうせ東京まで出るならついでに東京の美術館も回り、さらに月曜の公演の後にその日に帰ってくるのも無理なので、いっそのこと月・火と一気通貫で休んでさらにドレスデン歌劇場のオケプログラムも聴いてこようかと考えた次第。

 

 出発は土曜日。まず最初の公演はPACの定期演奏会。三ノ宮で昼食に寿司を食ってから西宮へと移動する。

 


第92回定期演奏会

 

指揮 クラウス・ペーター・フロール

フルート マチルド・カルデリーニ

管弦楽 兵庫芸術文化センター管弦楽団

 

ライネッケ:フルート協奏曲 ニ長調

シューベルト:交響曲 第8(9)番 ハ長調 「ザ・グレイト」

 

 ソリストのカルデリーニは演奏もビジュアルも美麗。ただ音色がいささか弱めに感じられて、あまり強烈な印象は残らなかった。

 クラウス・ペーター・フロールのグレイトは、かなりキビキビした演奏という印象。それが若いPACオケのカラーと合致して、メリハリの強い演奏となっていた。シューベルトのグレイトは下手をすると極めて眠たい曲になることがあるのだが、眠気を呼ぶことのない緊張感のある演奏である。ホルンがズッコケタりPACの技術の限界もチラホラと伺えたが、そういう弱点を吹き飛ばす快演であったと言える。


 演奏会を終えると大阪に移動。今日は大阪のルートイン大阪本町で宿泊する予定。途中の大丸で夕食を購入してからホテルに入る。

  この日の夕食

 ホテルはスイミングスクールの団体とかがいて、食堂は大騒ぎ。とりあえず彼らがやってくる前に大浴場で入浴を済ませておくことにする。やはり大浴場あってこそのルートイン。

 

 入浴を終えてくつろぐと、この日はマッタリと過ごす。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時に起床するとシャワーを浴びてから朝食。

 

 今日の予定だが、京都でパリ管のコンサート。これが3時開演なのでそれまで余裕がある。何をするかを考えたところ、以前から気になっていた映画を見に行くことにした。

 

 9時前にホテルをチェックアウトすると難波に直行。ここの映画館に立ち寄る。

 


「オケ老人」

 

 演奏会で感動した女性がそのオケに入団を希望するが、彼女の入団した梅ヶ丘交響楽団は老人ばかりオンボロ楽団。彼女が聴いたのは梅ヶ丘フィルハーモニーで、間違って別のオケに入団してしまったのだ。しかし大歓迎を受けてしまった彼女は退団を出来ないまま、とうとう指揮者までさせられる羽目に・・・。

 コテコテの王道ストーリー展開で、正直なところ最初の30分で後の展開が完璧に読めるというぐらいのお約束な内容。テーマも「努力すれば奇跡は起こる」という今では古くさく感じられるもの。

 ただ主演の杏の演技と、周辺の一癖も二癖もある老人軍団の怪演で実に楽しい気持ちの良い映画に仕上がった。古いものを単に否定するのではなく、それらの良い点にも目を向けるべきというテーマも、今の時代には逆に共感を呼ぶべきところ。明らかに古くささを感じさせる映画だが、古くさくて何が悪いというような開き直りさえ感じられた内容。それが爽快感につながった。

 役者陣の楽器演奏が出ている音とあからさまにずれているという、この手の映画で起こりがちの難点などもあったが、まあその辺りはご愛敬としておくべきところだろうか。


 

 映画を見終わると直ちに京都に移動する。しかし秋の京都は既に移動列車から大混雑。そして例によって京都駅周辺のコインロッカーは全滅。結局はキャリーをゴロゴロ引いて北山まで行く羽目に。北山に到着したらしたで昼食を摂る店に困ったが、とりあえず近くのそば屋で摂ることに。

 

 そばはまずまずと言うところ。京都という場所を考えると悪くない。ところで何度も店内のブレーカーが落ちるというトラブルをこの日は繰り返していたようだが、どこかで漏電でも起こっているのではなかろうか。火事が心配だ。

 


パリ管弦楽団

 

[指揮]ダニエル・ハーディング

[Vn]ジョシュア・ベル

 

ブリテン:4つの海の間奏曲op.33a

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調op.77

ベルリオーズ:劇的交響曲「ロメオとジュリエット」op.17(抜粋)

 

 さすがに演奏の技術は抜群である。アンサンブルには乱れもなく、管楽陣なども非常に安定している。ただ一番の難点はプログラム。ベルリオーズの「ロメオとジュリエット」は日本人には馴染みがあるとは言い難い曲で、しかも唐突に終わったものだから曲の最後も分からずに場内がキョトンとしており、ハーディングが礼をしてから拍手がパラパラと起こり始める状態。また曲自体も内容が散漫で今一つ面白味が分かりにくいもの。残念ながらこれでは盛り上がれと言われても盛り上がりにくく、今一つ観客も不完全燃焼のまま終わったというのが実態。これだとオーソドックスに幻想交響曲でもやったほうが正解だったのではという気がする。オケの圧倒的なうまさが光っていただけにやや残念。


 

 コンサートを終えると慌てて京都駅に移動。新幹線で一気に東京に移動である。予約した切符を受け取ろうと駅に行くと、券売機の前に大行列が出来ていてとても時間に間に合わない状態なので焦ったが、一計を案じて新幹線入り口でなくて在来線乗り換え口の方から入場したら券売機が空いていてギリギリ間に合う。焦った。

 

 ブルーレイでガッテン一本、ヒストリア一本、美の巨人たち一本を見終わった頃に東京到着、ちょうど2時間弱というところか。東京に到着した途端「ああ、ようやく帰ってきた」と呟いてしまった自分に驚き。

 

 東京での宿泊はお約束のようにホテルNEO東京。夕食を南千住の「さかなや道場」で摂ってからチェックインする。

 

 この日は大浴場で入浴すると早々と就寝するのだった。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は9時前まで爆睡。かなり疲労が溜まっている模様。さて今日の予定だが、7時からサンフランシスコ交響楽団のコンサート。そもそもこれが東京まで来た主目的である。それまでは美術館を回る・・・と言いたいところだが、今日は月曜日なので開いている美術館がほとんどない。というわけで、まずは映画でも見に行くことにする。

 

 向かったのは錦糸町。ここで上映されている映画が目的。

 


「この世界の片隅で」

 

 戦争中の呉の話を、ここに嫁に来た少女の目を通して淡々と描いた作品。

 ヒロインはいわゆる天然なノホホンとした少女なのだが、その彼女にも戦争は容赦なく襲ってくる」。多くのものを奪われながらそれでも生きていく彼女の姿がけなげ。決して声高に反戦を叫ぶような映画ではないのだが、のどかで淡々とした日常を描いているからこそ、そこに迫ってくる戦争の影がリアルである。戦況の悪化と共にあらゆる面で生活が破壊されていく様が戦争の現実を描いている。

 戦争の表現については間接的で、できる限り直接的な描写を避けているような印象を受ける。しかしそのことがかえって想像力をかき立てて、悲惨極まりない戦争の現実が透けて見える形になっている。

 ヒロインの声を演じたのんこと能年玲奈のボーッとした喋りがヒロインのキャラクターにマッチしていて絶妙。水彩画調の淡い画面が下手をすれば陰鬱で息の詰まる物語になりかねないところに救いをもたらしている。なかなかによくできた作品である。


 

 映画を見終わると駅ビルの天ぷらや「船橋屋」で昼食を摂る。東京の天ぷらはゴッテリと重たいイメージがあるが、ごま油とサラダ油を混ぜているというこの店の天ぷらはサラッと軽くて関西人の私にも美味であった。

 さてこれからどうするかだが思いつかない。とりあえず近くのカフェで抹茶パフェを食べながら一人戦略会議。月曜日に開いている美術館を選んで回る手もあるが、出し物がいまいちそそらない上に、どうもしんどくて今日はそういう元気が出ない。結局はコンサートの時間までネカフェでぼんやりと時間をつぶすという非常に後ろ向きなプランに決定。

 抹茶パフェで一服

 以前にも立ち寄ったことのある神田のネカフェに行くと、そこでしばし時間をつぶすことに。やったことと言えば、以前からボチボチと読んでいた松井優征の「魔神探偵脳噛ネウロ」を最後まで一気読み。この作品、当初の推理ものという方向が途中から完全に飛んでしまって、中盤以降は全く謎のない作品になってしまった。おかげで謎を食う魔神のネウロは空腹で苦しむ羽目に(笑)。ただ最後まで読むと、この作者の次の作品が「暗殺教室」になるわけがよく分かった。あの作品で出てきたストーリーの特徴が、既にこの作品で明確に現れている。

 

 ネカフェで2時間半ほどをつぶすと地下鉄を乗り継いでホールに向かう。ホールは思いの外入りが悪い。ざっと見て7割の入りと言うところか。特に2階のCブロックなどはガラガラ。安い席は埋まっているが、高い席の悪い席がかなり空いているというところ。チケットの価格設定が高すぎたように思われる。

  サントリーホール周辺はクリスマスモード


サンフランシスコ交響楽団

 

指揮:マイケル・ティルソン・トーマス

ピアノ:ユジャ・ワン

トランペット:マーク・イノウエ

 

ブライト・シェン: 紅楼夢 序曲 <サンフランシスコ交響楽団委嘱作品/日本初演>

ショスタコーヴィチ: ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 op.35 (ピアノとトランペット、弦楽合奏のための協奏曲)

マーラー: 交響曲第1番 ニ長調 「巨人」

 

 一曲目は全く知らない曲だが、サンフランシスコ響の分厚くて華やかな響きのおかげでなかなか聞かせる。

 ショスタコのピアコンはユジャ・ワンの圧巻のテクニックにつきる。彼女の華やかで見事な演奏が観客を魅了して大盛り上がり、彼女の腰から深々と90度体を曲げるピョコンとしたお辞儀を、オケのメンバー全員が一斉に真似をしたのは場内大爆笑。

 最後の巨人はまさに凄まじいという演奏。サンフランシスコ響はかなりの爆発力を秘めたパワーあふれるオケだが、マイケル・ティルソン・トーマスはそれをむやみに爆発させずに、ゆったりとした落とし気味のテンポでスケールの大きな演奏に持って行った。実に堂々としたと言って良い演奏で、最後のフィナーレなどは思わず鳥肌が立ってしまった。場内も大盛り上がりで7割の入りに関わらずホールがうなるような拍手に満たされた。終演後も拍車は止まず、最後はいわゆる一般参賀に。


 

 演奏終了後に夕食を摂ってからホテルに戻る。それにしても疲れた。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は8時に目覚ましをセットしていたのだが、6時に地震の揺れで目を覚まさせられる。テレビをつけると福島で地震とのことで、地震警報が福島沿岸に発令されたとのこと。NHKでアナウンサーがかつてない強い調子で今すぐの避難を呼びかけている。なんだかんだで1時間ほどテレビをつけていたが、幸いにして津波はそう破壊的なものではなく大した被害はなさそうである。ただ今回はこれで良かったのだが、こういうことが何回か続くと、そのうちに狼少年みたいになってしまわないかが心配である。「天災は忘れた頃にやってくる」というのはまさに真実で、あの東日本大震災はまさにその盲点を突かれたわけである。避難の呼びかけ一つをとっても難しさがある。

 

 ほっとしたところで再び眠ったら、次に目覚めた時には10時前になってしまっていた。着替えると慌ててホテルを飛び出す。

 

 今日の予定は美術館回りの後にサントリーホールでのコンサート。まずは上野に直行する。最初に立ち寄ったのは国立西洋美術館。ただ朝飯も食わずに飛んできたので、展覧会の前に美術館のレストランでランチを先に済ますことにする。

 

 ランチを終えると展覧会に入場。

 

     ──────────────────────

「クラーナハ展−500年後の誘惑」国立西洋美術館で1/15まで

  

 ドイツ・ルネサンスを代表する画家であるクラーナハ(と言っても、日本での知名度はそう高いように思えないが)を紹介する展覧会。

 クラーナハの特徴の一つは工房を運営して絵画を大量生産したりなど、いわゆるビジネス面で成功を収めたことである。そのためか、芸術家として作品にこだわると言うよりも、市場の要求に従って受ける絵を描いているという側面が感じられる。クラーナハの作品の中ではヴィーナスを描いたものが有名だが、独特のエロティシズムを秘めたその絵画は明らかに市場受けを狙っている姿勢がある。この作品をよく見るとどうもデッサンのバランスの悪さのようなものが感じられるのだが、それは当時の世間の好みに合わせたデフォルメらしく、いわゆる今日の萌え絵的要素が感じられる。

 技術的にかなり高いものを持っているのは明らかであり、その点での芸術性は感じられるのであるが、私の場合は上記のような商業主義的要素が雑念としてかなりちらついてしまったというところ。


 

 西洋美術館の展覧会を終えると隣の科学博物館を覗く。

 


「世界遺産ラスコー展」国立科学博物館で2/19まで

 

 フランス南西部のヴェゼール渓谷の洞窟で発見された2万年前に描かれた壁画は、クロマニヨン人が高度な芸術意識を持っていたことを示す大発見であった。この壁画は1979年に世界遺産に指定され、現在は保存のために洞窟内への立ち入りは厳重に管理されている。今は非公開になっている洞窟の壁画を再現した施設も作られており、本展では世界巡回をしている再現壁画を展示している。

 会場内には洞窟のイメージを再現する形での展示となっている。実際にこの壁画を目にすると、その表現力の見事さに圧倒され、この作者はどういう意図を込めてこれだけのものを制作したのだろうかと考えさせられる。


 

 会場を一回りしたところで疲労と共になぜか空腹感がこみあげてくる。そこで博物館内のレストランでパスタを頂くことに。何か最近、食欲が増しているような・・・。腹が膨れると上野で3軒目である。

  なぜかやたらに腹が減る


「ゴッホとゴーギャン展」東京都美術館で12/18まで

 

 ゴッホとゴーギャンはアルルで2ヶ月共同生活を行ったが、その生活はゴッホが自らの耳を切り落とすというショッキングな事件で幕を下ろす。何かと因縁があるこの二人の画家の交流についての展覧会。

 一般的にこの共同生活でゴッホはかなりゴーギャンの影響を受けたが、ゴーギャンの方はゴッホからはさして影響を受けていないと言われているが、実際はゴーギャンの方もゴッホから刺激されるところはあったようである。ゴッホへのオマージュのような作品も残されている。また性格の不一致で悲劇的な結末を迎えた両者の共同生活だが、絵画に対する意見の不一致などはあったようだが、決してケンカ別れしたというわけでもなく、その後も書簡などによる交流はあったようである。

 どうも気むずかしいゴーギャンと精神が不安定なゴッホは、接近しすぎると破綻しないわけにはいかない組み合わせだったようである。もっともこの後のゴッホが後にまで残る傑作を次々と生み出していくのであるから皮肉なことでもある。

 結果として、この後のゴーギャンは世捨て人のように原始的な孤島に自らの芸術を追究していき、ゴッホは傑作を量産しつつも最後には精神が崩壊して自ら命を絶つことになってしまう。両者のこの接触は果たして幸であったのか不幸であったのか。特にゴッホを見ていると、傑出した芸術とは正気の元ではなしえないのだろうかという疑問を抱かずにはいられないわけである。


 

 上野の美術館を回ったところで次は今日新規にオープンした美術館を訪問することにする。それはすみだ北斎美術館。両国駅から東に少し歩いた公園の中にある。どうも距離的には微妙な場所である。今日がオープン日と言うことで、もう夕方の閉館時刻間近なのだが、チケット売り場に行列が出来ている状態。

 


「北斎の帰還−幻の絵巻と名品コレクション−」すみだ北斎美術館で1/15まで

   

 100年余り行方不明になっていた「隅田川両岸景色図巻」の里帰り展示に加えて、北斎の名品を集めた開館記念に相応しい展覧会。

 北斎の版画については今更新味はほとんどないのだが、北斎の肉筆画はさすがに貴重であって見応えもある。版画では味わえない北斎の筆の線の巧妙さを堪能することが出来る。

  晩年の北斎と娘


 

 この美術館では、関東大震災で焼失した「須佐之男命厄神退治之図」をモノクロ写真から色彩を推測して復元したものも展示してあった。これがなかなかに圧巻の作品。なおこの復元の模様の詳細はNHKでも放送されたようだ。

  

 美術館の閉館時刻は5時半。そこまでいたらコンサートの開演時刻がかなり近づいている。慌ててホールに急ぐ。開場直後に到着したサントリーホールは昨日以上にガラガラ。5〜6割の入りと言ったところか。1階にかなりまとまった空席があるのが気になる。やはりチケット価格が高すぎるのと、11月にコンサートが集中しすぎているのが最大の原因に思われる。

 


ザルツブルク・イースター音楽祭 in JAPAN  オーケストラ・プログラムT

 

指揮:クリスティアン・ティーレマン

ピアノ:キット・アームストロング

シュターツカペレ・ドレスデン

 

ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op. 19

R.シュトラウス: アルプス交響曲 op. 64

 

 ベートーベンのピアノ協奏曲は、体調不良で来日不可になったブロンフマンに代わって若き俊英アームストロング。流れるようなテクニックは実に見事なのだが、残念ながら若さのためか演奏に陰影がない。曲目がベートーベンの中でも古典派的な作品であることもあって、サラリと流れてしまって印象に残らない演奏になってしまった。まだまだ若いので、今後さらに演奏と人生の経験を積めば超一流のピアニストになれる資質はありそうだが。

 アルプス交響曲に関してはドレスデンの重厚なサウンドでグイグイと押していく演奏。ただしパワーにものを言わせるわけでなく、そこは手綱を締めて抑制はかけている。ただ秘めた爆発力的なものがやや不足で、どことなく表層的な感じが否定できない若干不完全燃焼な印象の演奏。どこといって難はないのだが、なぜか今一つ盛り上がらないきらいがある。


 

 コンサートを終えると近くで夕食を摂ってからホテルに戻る。今日も結構疲れたが、東京での予定は今日で終了である。さっさと入浴を済ませてから明日に備えて就寝。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時頃に起床すると、そのまま新幹線で関西に戻る。朝食は車内で弁当。大阪には昼前に到着するので、昼食は「疲れた時の牡蠣フライ」というわけで、阪急地下の「土佐料理司」で牡蠣フライの定食を頂く。

 

 昼食を終えると阪急で西宮に移動する。この西宮でのコンサートが本遠征の最後の予定。

 


マリス・ヤンソンス指揮/バイエルン放送交響楽団

 

指揮 マリス・ヤンソンス

管弦楽 バイエルン放送交響楽団

 

マーラー:交響曲 第9番 ニ長調

 

 マーラーの交響曲は人生の悲哀を語るような陰鬱さを感じさせるもの多く、そのような情念をぶつけた演奏が一つのタイプとしてあるが、ここでのバイエルンの演奏はその対極にある。あっさりすぎるほどあっさりとした語り口で、そこからは人生の苦悩の叫びは聞こえてこない。それよりはむしろ解脱して悟りに至ったような心境が見えてくる。これが実はマーラーが最晩年で至った境地なのだろうかと納得させられる。

 圧巻はフィナーレで、非常に美しいまさに天界の音楽とでも言いたくなるような内容であった。バイエルンの分厚い弦楽が心地よく響き、夢見心地のまま最後まで連れて行かれた印象である。


 

 なかなかの名演。会場の盛り上がりもかなりのものであった。私も序盤は呆気にとられたのだが、曲が進むにつれてグイグイと引き寄せられ、最後の瞬間にはうっとりとしてしまった。近年希に見る名演ではなかろうか。

 

 これで今回の遠征は完全終了。帰宅と相成った。

 

 関西に始まり、東京に飛んで、さらに関西に戻ってくるという慌ただしい遠征であったが、コンサートの内容はかなり充実していた。特にサンフランシスコ交響楽団とバイエルン放送交響楽団のコンサートは今年のベスト5に確実に入るだろうという内容であった。そろそろ年末に向けて今年のベストライブの選定に入っていたところだが、今回の遠征でその内容がかなり練り直しが必要となりそうだ。

 

 

戻る