展覧会遠征 東京編14

 

 この週末は東京まで繰り出すことになった。目的は新日フィルのマーラーの8番。珍しいこの曲が演奏されるとなったら、マーラー好きとしては東京まで出向かないわけにはいかない。

 

 金曜の仕事を終えると神戸空港まで移動。今回は東京への移動にはスカイマークを使うことにした。理由は「これが一番安いから」。まあわざわざスカイマークに乗る場合にはこれ以外には理由はない。

 

 空港に到着すると空港内のレストランで夕食のカツカレーを摂ってから移動。東京へは大体予定通りに到着する。

 東京での宿泊ホテルは例によってのホテルNEO東京。ホテルに到着すると入浴を済ませてから翌日に備えて就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は8時前に起床すると上野へ繰り出す。今日は上野地区の美術館を攻略してからメインイベントである新日フィルのコンサートへ出向く予定。上野駅の駅ナカで朝食を済ませると、まずは国立博物館を目指す。現地到着は開館時刻の数分前だが、もう既にかなりの行列ができている。しかも今回に限って入場に金属探知機などを使った荷物検査があるらしい。ギリシア展でわざわざここまでというのは考えにくいから、同時開催の仏像展の関係か。韓国から国宝の仏像を迎えるということで、万一の事態があってはいけないので国賓級の警護というところか。それとも頭のおかしなネトウヨからの犯行予告でもあったか?

 会場前は大行列


「古代ギリシャ−時空を越えた旅−」東京国立博物館で9/19まで

 

 古代文明発祥の地であるギリシアの文明の流れを物語る物品を展示。

 最初は紀元前7000年などの旧石器時代の素朴な彫刻などから始まる。この辺りは原始アートと言うべきで、特に地域的な特徴はない。紀元前3000年頃のミノス文明の頃になると急に技術レベルと洗練度が上がって、この地域の文明の進歩の早さを感じさせる。

 そこからミュケナイを経て、紀元前900年頃のアルカイック紀にさしかかると、後のエジプト文明やローマ文明に通じるこの地域の特徴のようなものが明確になる。技術レベルはかなり高く、同時代の日本ではまだ縄文期に当たることを考えるとため息が出るばかり。

 マケドニアが登場する頃になると紀元前300年頃。日本はようやく弥生期にさしかかるかという頃に、この地ではアレクサンドロスが世界帝国を目指しており、いわゆるギリシア文明としては完成期を迎えている。この頃になると最早彫刻のレベルなどでは後の時代と全く遜色がなくなっている。考古的資料と言うよりも、純粋に芸術作品としても堪能できるものになっている。

 ギリシア地域について時代に沿って長期にわたって概観するという企画は今まで意外に少なかったような気がする。そういう点で本展は視点としてなかなかに興味深い。


 古代ギリシア展の後は例によって鶴屋吉信の出店であんみつを頂いて一息。それにしても今日は暑い。表を歩いているだけで体がおかしくなりそうだ。東京の暑さも年々非常識なものになってきている。このままいけば、いずれは夏の東京は居住不可能になってしまうのでは。

 明らかに何かを間違っている

 一息ついた後はついでに仏像展の方ものぞいていく。古代ギリシア展の入場券を持っていたら割引があるというものの、たったの100円引き。値引き後でも入場料は900円なのだからかなり高い。

 


「ほほえみの御仏−二つの半跏思惟像−」東京国立博物館で7/10まで

 日本の国宝である中宮寺の半跏思惟像と韓国国宝の三国時代の半跏思惟像を併せて展示した企画。

 日本の半跏思惟像は飛鳥時代の木製仏であるが、韓国の方はそれより若干早い6世紀の銅製仏である。このような類似した仏像が存在することが、日韓両国の文化的交流を良く現している。ポーズも表情も非常に類似しているが、日本の方がやや穏やかな表情のように感じられ、聖徳太子の母である穴穂部間人をモデルにしているという影響かもしれない。両国の仏像を眺めていると、半跏思惟像という大きな括りの中での共通項と、逆に国情の違いによる造形の微妙な違いの両方が見えてくるのが興味深かったりする。


 900円出して展示物は仏像が2点だけというのはやはり高すぎるように感じる。確かに展示されていたのは滅多に目に出来ない代物ではあるが。

 

 国立博物館を後にすると東京都美術館に移動する。次はここで開催されている展覧会を見学する。

 


「ポンピドゥー・センター傑作展−ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで−」東京都美術館で9/22まで

 

 パリの近現代美術コレクションを収蔵するポンピドゥー・センターの所蔵品から、1906年〜1977年に渡っての各年度を代表する作品を一点ずつ厳選して展示している。

 年代順に作品が展示されており、毎回異なるアーティストを選んでいることから、そのまま20世紀芸術史をなぞるような形になっている。これらを概観していると時代の流れの背景のようなものも滲んでいるが明確であり、特に第二次大戦の影響というのは無視できないのが明らかである。作品としても1945年を境にして、明らかに自由度が上がっている。

 厳選作品であることから、共感は出来ないまでも興味は感じる作品が多数ある。ただそれでも私の目には、1960年代以降の作品は急激に興味が薄れてしまうことは否定できないのであるが。


 これで上野での予定は終了。現在は大体正午頃。コンサートは2時から開演なのでそれまでに昼食を摂っておきたい。さてこれから昼食を摂る店だが、このまま上野の文化亭なんかじゃあまりに悲しすぎるというわけで、どうせだから浅草まで出ることにする。実は以前に浅草を散策した時に気になっていた店があったのでそこに立ち寄りたい。

 

 その店は浅草寺の仲見世の裏手にある「フジキッチン」。10名程度が限界の小さな店である。昭和の喫茶店という風情の店内だが、シチューの専門店らしい。この暑い最中にシチューもどうかと思ったが、さすがに店内は強めに冷房を効かせてある。私は「ビーフとタンのミックスシチュー(3100円)」にライスをつける。

 なかなかのボリュームである。ビーフの固まりが入っているが、これが箸で砕けるほどにトロトロ。一方のタンはもっとしっかりした印象。デミグラスソースはやや苦みのある濃厚でコッテリしたもの。本格的であることを感じるが、生憎と私の好みからは若干ずれる。もっともやはりここも浅草の名店の一つであることは間違いなかろう。

 やや濃厚で強めの昼食を終えると押上経由で錦糸町へ移動。トリフォニーホールは以前に一度だけ訪問している。

 

 さてマーラーの交響曲第8番は別名「千人の交響曲」などと言われるぐらい編成が巨大なのが特徴である。大規模編成のオケに合唱団、さらには少年合唱団に8人のソリスト、それに加えてパイプオルガンも必要というとんでもない構成で、トータルで演奏に1000人必要という意味。もっとも実際に1000人かける例はほとんどなく、今回の新日フィルでもせいぜい「五百人の交響曲」ぐらいである。しかしそれでも、決して広いとは言えないトリフォニーホールのステージ上は大変なことになっている。オーケストラ用の椅子と合唱隊用の雛壇が密集しており、コントラバスなんかはステージ上からはみ出してステージ入口のところに陣取っている状態。この曲がなかなか演奏機会がない理由はこれだけでも頷ける。


新日本フィル第560回定期演奏会

 

ダニエル・ハーディング[指揮]

罪深き女/エミリー・マギー

懺悔する女/ユリアーネ・バンゼ

栄光の聖母/市原 愛

サマリアの女/加納 悦子

エジプトのマリア/中島 郁子

マリア崇敬の博士/サイモン・オニール

法悦の教父/マイケル・ナギー

瞑想する教父/シェン・ヤン

栗友会合唱団[合唱] 栗山文昭[合唱指揮]

 

マーラー交響曲第8番「千人の交響曲」

 

 とにかく大編成であるので、合唱団とオケとでタイミングを合わせるだけでも大変である。ハーディングの指揮もそれを意識しているのか、かなり身振りの大きな指揮を行っていた。かなり難しい曲であるのだが、最後までアンサンブルが崩壊することもなく大スペクタクルを繰り広げた。

 ハーディングの指揮はかなり明快で快活なものであった。またソリストや合唱団もそれに十分に応えた熱演。全体の構成をかなりシェイプアップしているためか、なかなかに引き締まった演奏になっていたと感じられた。


 昔、私がこの曲を初めて聴いたのはショルティ指揮のシカゴ響のCDでだったが、そのCDの帯に「宇宙が鳴動する」との文句が書いてあったという記憶があるのだが、確かにそのまま大迫力のサウンドであった。第二部ラストで天界からのトランペットが鳴り響いた時には興奮で鳥肌が立つのを感じた。すごいものを聴いたなというのが正直な感想。

 

 かなり興奮気味の他の観客と共にホールを後にすると最後の目的地へ移動する。最後の目的地は成金タウン内のサントリー美術館。

 


「オルセー美術館特別協力 生誕170周年 エミール・ガレ」サントリー美術館で8/28まで

 これで何回目のガレ展だろうかというのが正直なところ。毎回展示品は違っているのだが、大括りでのガレの作品としての特徴は同じで、今回も生物モチーフの作品が非常に多かった。またガレの原点は陶器にあるのだが、本展ではそこからの流れを受けているのか、色ガラスを使った不透明な作品がメイン。

 私は基本的にガレの作品は嫌いではないのだが、あまり大量に並べられるとその濃厚さに若干胃もたれがすることがある。本展もややそのきらいがあったのが正直なところ。


 展覧会を終えると喫茶で一息。とにかく今日は暑さが尋常でないので消耗が著しい。生麩入りの冷やしぜんざいを頂くことにする。

 

 サッパリとした風味が実に良い。また大粒の大納言を使用した餡が最高である。ここは生麩がうまいのは当然として、餡が実に上質である。

 

 さてそろそろ夕方。ホテルに戻る前に夕食を摂っておくべきだろう。どこで夕食を摂ろうかと考えた時、やはり頭に浮かぶのは浅草。そこで再び浅草まで移動することにする。立ち寄ったのはドジョウ専門店の「駒形どぜう」。現地に到着すると満席とのことでしばし表で待たされることになる。

 10分ほど待った後、ようやく椅子席に案内される。注文したのは「駒形定食(6350円)」。ドジョウを中心としたフルコースである。

 

 まずはドジョウ鍋から。浅い鍋に割り下を入れ、そこで下味のついたドジョウを煮込む。ネギをたっぶり上からかぶせておくのがポイント。ドジョウは実に滋味に富んでおり非常に美味。

  

 次に鯉の洗いが出てくる。これは私の好物。やっぱり鯉は非常にうまい。やはりキチンと育てた鯉は味が強くて臭みがない。

 次は柳川。これは卵綴じだが、一緒に煮込んだゴボウが実に美味。最初のドジョウ鍋よりはあっさりとした風味になる。

  

 小鉢やつくねなどもあってから、最後はドジョウ汁があって、デザート。いずれも文句のつけようのない美味であった。ドジョウは泥臭いなどと言われるが、それはそこらの田んぼで取ってきたようなドジョウのことで、ここのドジョウに関してはそんなことは全く感じられない。

 やはり浅草の食は侮れない。東京でうまいものが食べられるとしたらこの地域だろうという私の読みは正しかったようだ。

 

 夕食を終えるとホテルに戻る。風呂に入ってから就寝・・・と思ったのだが、部屋に入った途端にグッタリとして動けなくなってしまう。今日の灼熱下での行動は想像以上に体にダメージを与えていたようだ。そのままベッドの上に倒れ込むと完全に意識を失ってしまった。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 昨晩は8時過ぎには完全に意識を失っていたようだ。今朝の起床は6時過ぎなので、かれこれ10時間ほど意識を失っていたことになる。爆睡というよりは失神に近かったようだ。体がどっしりと重くてあまり熟睡感はない。

 

 さて今日の予定だが、当初の想定は東京駅周辺の美術館に立ち寄って戻るだけ。しかしさすがにそれではあまりに内容が薄い。そこで東京近辺の城郭に立ち寄ることも考えたが、今日も昨日に負けず劣らずの灼熱地獄の模様で野外活動はあまり賢くない。というわけで今日はお台場の日本科学未来館に立ち寄ろうと考えている。ここのドームシアターで上映されている「9次元から来た男」なるプログラムを見ようというのが目的。

 

 未来館は10時開館、私は10時30分上映の回の予約を取っているのでそれに合わせて行動することにする。ホテルを8時過ぎにチェックアウトすると、東京駅に立ち寄ってキャリーをロッカーへ。朝食は新橋駅地下の「えん」で出汁茶漬け。その後、ゆりかもめでテレコムセンター前を目指す。

 テレコムセンター前の一つ手前が船の科学館。ここは船舶振興会が建設した施設だが、今は老朽化で閉鎖されているとか。そう言えば私が小学生ぐらいの頃にはテレビでやたらにここの宣伝をしていた。ボートレースギャンブルの元締めの会長が「一日一善」とか「お父さん、お母さんを大切にしよう」なんて唱え、まるでボートレースが慈善事業であるかのような宣伝を繰り返すのは、当時から「誇大広告」「偽善の極み」などとの批判があった。確かにギャンブル中毒の患者は親の金を奪ったり、犯罪を犯して得た金をギャンブルにつぎ込んでいたのだから、あからさまな偽善である。なお私はこのような事実から「大人の世界の嘘」とか「偽善」という言葉の意味を学んだ記憶がある。

 偽善の象徴

 目的の未来館はテレコムセンター駅から数分で到着する。現地到着は開館時刻の10時ちょっと前だったのだが、チケット売り場に大行列が出来ていて驚く。私は10時半からの上映を昨日予約しており、もう既にその料金はクレジットで支払い済みなのだが、これでは入場のためのチケットを上映時間までに購入できない恐れがあって焦る(シアターの料金と館内入場のチケットは別)。見ているとたかがチケット販売にしては窓口の処理が異常に遅い。どうやらそれが混雑の最大の原因のようだ。結局は上映開始のギリギリに何とか間に合って入場する。

 未来館

 ドームシアターはそもそもプラネタリウム施設のようである。ここに3D眼鏡を使用した立体映像を投影。なお3D眼鏡は最近流行の偏光眼鏡タイプでなく、古典的な赤青眼鏡のようである。このタイプは首を傾けても映像が崩れないメリットがある代わり、カラー映像の場合は発色が非常に悪くなる。

 ドームシアター

 上映の内容は最新の空間の紐理論を直感的に把握できるように映像化したもの。と言っても基本的な内容がかなり困難であるので、これが一般人に理解できるかどうか。ましてや会場内に数人いたお子様にはちんぷんかんぷんだろう。かくいう私も物理は本業ではないので、何となく分かったような分からないようなである。まあ実際はそんなことはどうでも良く、単なるCGを最大限に駆使した映像エンターティーメントとして楽しめば良いのだろうとは思うが。

左 ロケットエンジン  中央 カミオカンデの検出管  右 アンドロイド

 シアター見学後は展示の方も見学するが、対象がいわゆるお子様向けだと言うことは分かる。体験的に科学技術を学ぶことが出来るという学習施設・・・だろうというコンセプトは理解できるのだが、どうもメッセージが遠回しで抽象的なので、それが子供に伝わるかが疑問。地球環境の問題について現している展示もあるのだが、それが単に玉がゴロゴロと転がる機械であり、大人の目から見てもこれが地球環境と科学技術の関係とは結びつかない。先日のポンピドゥー・センターの現代アートよりも難解である。

 こんな玉転がしでどうやって人類への脅威を学べと?

 特別展で「忍者展」なるものを開催していたのでそれもついでに覗いた。忍者について紹介するものかと思っていたが、単に忍者修行を体験するお子様向け体感アトラクションだった。出し物としては遊園地レベルか。なおこれをクリアしたら忍者認定証をもらえる。ところで科学技術を駆使した忍者なら、それはガッチャマンでは?

 何やら非常に大規模な施設なのだが、展示内容が全体的に空回り感を否定できなかった。どうも誰を対象に何をどういう形で伝えるのかというのが明確でないような気がしてならなかった。例えば私が展示監修をしたとしたらもっとメッセージ性を正面に出すが、そうすれば原子力などを代表する科学技術に対する疑問が正面に出てしまって国と一悶着起こるのは必至。結局は公的な施設はこのような腑抜け具合でちょうどということか。なお施設自体が吹き抜けが多く、高所恐怖症にとっては目眩のする構造であり、その辺りも私との相性の悪さを強烈に感じさせるものだった。ホールの壁に沿って周回している回廊なんか足を踏み入れた途端に揺れを感じられて、私には悪夢のようでとても歩けなかった。

やたらに吹き抜けの多い構造は私にとっては悪夢

 未来館の見学を終えるとお台場を後にする。お台場は風は強いが今日は日差しも強いので早々に屋内に避難しないと熱中症でやられそうだ。ゆりかもめで新橋まで移動すると、そこから東京に戻ってくる。かなり疲れたが、最後にもう一カ所立ち寄ることにする。


「12 Rooms 12 Artists UBSアート・コレクションより」東京ステーションギャラリーで9/4まで

 12人のアーティストを抜粋して、彼らの作品を一人ずつ展示していくという趣向。しかしポンピドゥーでも1960年以降の作品には全く興味が湧かないような私には、面白味を感じられるような作品は全くなかった・・・。


 一応「目を慣らす」とか「最近のトレンドを体感しておく」という意味で私は特に現代アート展も避けないようにしているのだが、最近はあまりに金の無駄なような気がしてきた。財政が逼迫している折、今後はこの手は避けた方が無難かな・・・。

 

 それにしてもやはりかなり疲労が溜まっている。暑さによるダメージが蓄積しているようだ。体の方がもう限界なので予定よりも大分早いが帰宅することにする。結局はこの日の昼食は東京駅で購入した弁当になったのだった。

 

 

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