展覧会遠征 有年編

 

 ここのところ永らく城郭訪問をしていない。おかげで体が鈍って体力が著しく低下している。今後のことを考えるとこれは好ましくないということで、そろそろ城郭訪問を復活させるべきだとの考えに至った。そこでリハビリ的に近場の城郭を訪問することにした。

 

 今回訪問したのは有年の「有年山城」。赤松氏の家臣である富田右京の城で、浦上宗景との戦いで落城したとか。播磨地域の戦国での争奪戦に絡んだ城郭ということである。

 

 山の麓に八幡神社の石鳥居があるので、そこの前に車を停めて参道を登ろうとしたところ背後には「急傾斜地崩壊危険区域」などという危なげな標識が立っている上に、動物除けのフェンスが張ってある。とりあえずこれをくぐって先に進むが結構険しい崖である。

  

鳥居をくぐって登った先には不吉な標識が

 しかしここ抜けると唐突に砂利道に出る。どうやらこの道が山上の神社まで続いているようだ。軽自動車なら登れそうな道である。最初からこの道を来るのが正解だったか。

  

急な岩場だが、これを過ぎると砂利道に出る

 道の奥には神社があり、ここの本殿の右手に山に続く道(?)のようなものがあるのでここを登っていく。しかし山道を進むというよりは斜面の直登に近いのでキツい。

 神社がある

 しばし登ると岩場の前に出て、近くにはテレビの共同アンテナが立っている。しかしここから進むルートがない。どうやらこの岩場をよじ登るしか手はない模様。仕方ないのでここをよじ登るがこれがかなり足下も危ないところ。登るは良いが下りに気をつけないと大怪我する危険がありそうだ。

左 岩場に出る  中央 テレビのアンテナ  右 この岩場を登るしかないようだ

 ここを抜けると尾根筋の登りになるのだが、どうも城郭らしき様子が全く見えない。しかもここに来て思った以上に足腰に負担が来ていることに気づく。今日はリハビリなので軽いハイキングのつもりだったのに、岩場をよじ登るような本格登山になってしまったのが計算外だった。私の衰えきった足腰には負担がきつすぎて既に大分ガタが来ているようだ。このまま進めば山頂にたどり着くことは可能だろうが、下手をするとそれで完全に足が終わってしまって、帰りにあの岩場で思わぬ不覚を取ることも考えられる。そこで今回はここで撤退の決断をすることにする。

  

岩場の上は見晴らしが良い       ここからは尾根筋の登り

 結局は山頂まで登ることなくスゴスゴと引き返してきたのである。どのような山かの事前調査が不足していたことと、予想以上に足腰にガタが来ていたのが計算違いだった。多分去年ぐらいの体力なら、鼻歌交じりで山頂まで登って帰ってこれたはずなのだが。

 

 情けなくも中途で撤退になってしまったので、近くの遺跡見学をして帰ることにする。最初に立ち寄ったのは東有年・沖田遺跡。縄文時代後期から弥生時代にかけての建物跡に復元建造物を建ててあるが、ここの2号住居が直径12メートルと県下でも最大級の大きさのもので、この地の有力者の住居だったと考えられるとのこと。

左 弥生時代の住居  中央 手前が2号住居  右 こちらは古墳時代

 東有年・沖田遺跡の次はここの東にある有年原・田中遺跡の見学に向かうが、その前に途中にある有年考古館に立ち寄る。

  

 有年考古館は地元で医師をしていた松岡秀夫氏が収拾した発掘物などを展示した博物館である。松岡氏は地元の発掘などを進めると共に、遺跡保存などの重要性を訴え続けた人物で、非常に意識の高い地元の名士だったようである。その松岡氏の活躍もあってこの地の遺跡の保存も進んでいるようだ。なお展示物の中には貴重な三角縁神獣鏡もあるが、これなどは出土の際に国立博物館に寄贈するように要請(という名の命令であるが)されたそうだが、松岡氏が地元に置くことの意義を強く訴えてここに残ることになったとか。

 

 この地は明らかに人類の居住に適した地であるが、やはり古代から常に集落が築かれており、三角縁神獣鏡なども出土しているということは、かなり力のある集落が存在していたのだろう。展示されていた土器の類いも非常に凝った技術力の高さを思わせるものであり、海外とのつながりなどもあったかも知れない。

 

 考古館から東に走った田んぼの中に有年原・田中遺跡はある。ここは墳墓跡であり、特別な土器を備えた墳丘墓に木棺墓群が発見されたという。どうやら身分で墓地を分けていたようである。

左 遺跡遠景  中央 1号墳丘墓  右 独特な土器が置いてある

左 2号墳丘墓  中央 木棺墓群との境には多くの副葬品があったとか  右 木棺墓群

 有年の見学を終えたところで姫路まで走る。最後に姫路の美術館に立ち寄ることにする。

 


「画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」姫路市立美術館で3/27まで

 

 絵画も詩も共に作家の内面を表現するということで、画家の中でも詩を残している者は意外と多いようである。本展では明治から現代までの画家の作品と詩、また詩人の作品と絵を合わせて展示している。

 とは言うものの、展示されいる詩は確かに画家の人となりを感じさせるものではあるが、直接に展示された絵画と結びついているというわけでもないので、それが相互作用を見せているかと言えば微妙なところ。結局は単に明治から現代にかけての代表的な画家の作品を網羅するという印象の方が強かった。むしろ北原白秋や正岡子規など明らかに詩人としての名だけが残っている人物の絵画が意外としっかり描けて面白かったりした。


 結局は城郭訪問の方は途中撤退という惨憺たる結果となってしまった。これは本格的に体力の立て直しに取り組む必要がありそうだ。

 

 

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