展覧会遠征 京阪編4
さて昨日に続いてのライブ遠征だが、今日は京都である。ちなみに明日は大阪。さすがに京都に日帰りして翌日また大阪というのはあまりにしんどすぎるので、今回は大阪で一泊することにする。
昨日はJRのダイヤが滅茶苦茶だったために車で大阪まで行く羽目になったが、今日はJRは通常運転されている。最悪の場合には新幹線の使用も考えていたがその必要はなさそうだ。ただ三連休ということもあるのか新快速の中は大混雑である。
到着した京都駅も観光客で大混雑。おかげでコインロッカーの空きが全くない。結局はJR地下の手荷物預かり所に荷物を預ける。
最初は美術館見学から。地下鉄で目的地へと向かう。
「大関ヶ原展」京都文化博物館で7/26まで
天下分け目の関ヶ原。戦国時代の最後を締めくくる大決戦で、日本全体が東軍と西軍に分かれて覇権を争うことになった。その関ヶ原合戦にまつわる品々を展示。
最初は関ヶ原合戦屏風で始まるというのはまあお約束。後は関ヶ原合戦に参加した武将達に関連した品々。甲冑、陣羽織、馬印、文書など。正直なところ内容的にはかなり地味。甲冑や刀剣類はマニアもいるだろうが、私のようにその手に興味のない者にとっては意外と見るべきところがなかったりする。
結構地味な内容に反して、会場内は大混雑であった。ネーミングの勝利と言うべきか、「大関ヶ原展」というのがインパクトがあって上手かったのだろう。これが「戦国武将ゆかりの品展」だったらここまで大量の観客が来たかどうか。ちなみに東京、京都、福岡の三会場を巡るスタンプラリーまで開催されているようだが、そこまでの超マニアって一体何人いるの?
なお会場内にはお約束の「甲冑をつけての記念撮影コーナー」などもあった。そして光栄のポスターも。それはともかくとして関ヶ原町の観光ポスターは何かが根本的に間違っている気がする。
左 光栄のポスター 右 関ケ原町の観光ポスター・・・何か間違っている 次は東山まで移動して京都国立近代美術館で開催中の北大路魯山人展に向かう。ただもう昼時、先に昼食を摂ることにする。立ち寄ったのは「お食事処明日香」。「だし巻き定食(850円)」にやはり夏の京都と言えばということで「ハモの天ぷら(1000円)」を付ける。
しばらく待った後に料理が登場。だし巻きの味はやや薄めだがこれはこれで良い。さすがに抜群なのはハモの天ぷら。ホクホクとした白身がうまい。夏の京都と言えばハモを食べなかったら嘘。京都のランチを堪能したのである。
しかしここで一つ計算違いが。先の文化博物館で思った以上に時間がかかったのと、京都のレストランは往々にして料理が出てくるのに時間がかかることを計算に入れていなかった。昼食を摂っている間に美術館に立ち寄る余裕がなくなってしまったのである。そこで魯山人展は諦めることに。よくよく考えてみると、私は今まで魯山人の陶器を面白いと感じたことはなかったし。まあいいか。
結局は東山では昼食を食べただけで引き返すことになる。地下鉄で目指すは北山。ここのホールに来るのはこれで二回目か。シューズボックス型の綺麗なホールだが、音響は今一つな残念なホール。前回と違って今回は中央やや後方の座席。ここなら音楽全体を判断できそうである。
京都市交響楽団第592回定期演奏会
指揮/ジョン・アクセルロッド
ブリテン:歌劇「ピーター・グライムズ」から 「4つの海の間奏曲」op.33a
ドビュッシー:交響詩「海」
リムスキー=コルサコフ: 交響組曲「シェエラザード」op.35
京響は上手いなというのが一番の感想。以前に演奏を聴いた時から薄々感じてはいたが、あの時は最前列という極端な座席だったために判断しかねていたのだが、今回再び聴いてみて改めて感心した。弦がなかなかに緻密だし、管も含めてのトータルバランスが非常に良い。
一曲目のブリテンは私の全く知らない曲だし、二曲目の「海」は私としてはどちらかとと言えば嫌いな曲。それにも関わらずキラキラとしたサウンドが楽しませてくれて飽きることがない。ホールを訪れたときには疲労でいささか眠気が出ていたのだが、それが逆に冴えてくるような演奏。
圧巻は休憩後のシェエラザード。この曲は元々リムスキー=コルサコフによるオーケストレーションが冴えまくる曲であるが、それが演奏との相乗効果で極彩色の迫力サウンド。一大スペクタクルとなっている。某遊園地のアトラクションなんかよりもエキサイティングである。コンサートマスターとファゴットのソロが抜群の安定感で、これが演奏を引き締める。
アクセルロッドの流麗な指揮は表情も多彩でうまくオーケストラを誘導している。この極彩色の演奏は京響の技量によるところもあるだろうが、多分に彼の指揮によるものなのだろう。今後注目するべき指揮者だ。
そう言えば「海」が終わった後、三階席の方から何やら奇妙な叫び声が聞こえたのだが、あれは何だったんだろう? 「ブラボー!」なら分かるのだが、そうは言ってなかった。どうも「クエッ!クエッ!」と鳴いているように聞こえた。チョコボールでもいたのか?
もう一つ驚いたのは、この響かないホールが今日はやけに響いて聞こえたこと。観客の入りが6割程度だったから、吸音材の少なさが影響したのか。そもそもここのホールは床が板張りなので、人間が少なくなれば反射音は覿面に増加しそうではある。と言うことは、このホールはそもそも満席になることを想定せずに音響設計をしたのか?
コンサート終了後は京都駅に戻る。ここで今日最後の予定だが、その前に夕食を。夕食を摂ったのは「美々卯」。ただここにたどり着くまでも、この建物の大馬鹿設計のために無駄に回り道をさせられる。それにしても来る度に必ずストレスを感じさせられるとはすごい建物だ。これは安藤忠雄設計の渋谷駅と並ぶ大馬鹿設計の双璧である。私はこの建物は即刻解体するべきと考えていたが、むしろこんな大馬鹿設計を作ってはいけないという負の遺産として将来に残すべきかもしれないという気がしてきた。
美々卯で注文したのはミックス天丼。天丼にうどんがついているよくある天丼セット。うどんはうまいが、天丼は平凡。
夕食を終えると館内の美術館へ。これもまた無駄に遠いのである。建物の設計が最悪なためにどこに行くにしてもやたらに遠回りをさせられる。その上にエレベータの配置が悪いので使い物にならない。どうやったらここまで大馬鹿な建物を作れるのか。
「近代日本画 富士山名品展」美術館「えき」KYOTOで7/20まで富士と言えば多くの日本画家が題材として取り上げている。そのような富士を描いた作品を集めて展示。
やはり富士と言えば横山大観をはずすわけにはいかない。まず登場するのは大観の堂々たる富士である。これ以外にも春草、玉堂など蒼々たる面々の作品が並ぶ。
面白いのは皆が必ずしも富士を正確に描いているのではなく、それぞれがイメージの中にある富士を描いているということである。やけにながらかな富士もあれば、あり得ないような角度でそそり立つ急峻な富士、さらにはあり得ない色彩の富士までまさに様々である。この辺りは富士という題材が作者の心象風景を反映するのに適しているということだろうか。日本人の富士に対する特別な思いが透けて見える気もする。
これで今日の予定は終了。キャリーを回収するとJRで今日の宿泊地である江坂に向かう。宿泊するのは最近になって定宿化しつつあるジーアールホテル。駅から遠いのが難点のホテルである(だからこそリーズナブルな宿泊料金なんだろうが)。ただホテルまでの行程の途中にマックスバリュがあるのはメリットである。夏に必需の麦茶と夜食を仕入れる。
ホテルにチェックインした時には完全に疲労でグッタリしてしまう。そんなにハードに歩き回ってはいないが、灼熱の京都の気候が相当に体にダメージを与えたようだ。しばらくグッタリしたままテレビなどを見ていたが、とりあえず入浴だけはしておく必要があるだろうと考えて大浴場へ。しかし風呂から帰ってくるとさらにグッタリ。ベッドの上でダウンしているうちに午後9時過ぎには意識を失ってしまう。
次に意識を取り戻したのは夜中の2時だった。マックスバリュで買い込んでいたサラダを腹に入れると再び就寝。どうもダラダラとした浅い睡眠が続いているようである。
☆☆☆☆☆
翌日はライブしか予定が入っていなかったので目覚ましは8時設定だったのだが、7時半頃に勝手に目が覚める。悲しきサラリーマンの習性である。とりあえずシャワーで目を覚まし、しばらくしてから朝食に行く。
その後は部屋でチェックアウト時刻ギリギリの11時前まゴロゴロと過ごす。急いでチェックアウトしたところで予定もないし、熱中症警報が出ている町中をウロウロする気もしない。
地下鉄で大阪まで移動すると昼食を摂る店を物色する。最初は阪急百貨店に入ったが、どの店も異常な行列。アホらしくなって場所を変更、阪急32番街をうろつく。そこで目に付いた店「IL CAPONE」に入店、サーロインステーキのセットを注文する。
やや歯ごたえのある牛肉はオージーだろうか。まあ可もなく不可もなくというところである。ところでこの店名は何なんだろう? 帰ってから調べたところによると「イル・カポン」だそうな。「アルカポネ」かと思ってビビった(笑)。
スープにハムとデザートが付いてくるコースを頼んだ
パインのアイスが意外と美味かった
昼食を終えたところで12時過ぎ。灼熱地獄の中に再び繰り出す前の体の冷却と時間つぶしのために喫茶に立ち寄ることにする。入店したのは1階上の「英國屋」。夏の定番である「宇治金時」で抹茶ドーピング。高層ビルから大阪の町並みを見下ろしながらマッタリする。
ようやく体が冷えて人心地付いたところで町中へ繰り出す。ここのところほぼ毎週のように通っている通い慣れたる道である。
ビルから眺める大阪の街
さて今日のコンサートはザ・シンフォニーホールで開催されるロシア国立交響楽団の演奏会。それがチャイコフスキーの交響曲第4番から6番までを一気に演奏するという、意欲的というか無茶と言った方がよいプログラム。世間では無理ゲーなどとさえ言われている。指揮者のポリャンスキーは今一つ知名度はないし、オケの方も今一つ正体の分からないオケ。これは三曲目にもなると金管がヘロヘロで弦がヨタヨタとか、かなりとんでもないことになるのではないかということが予想でき、冷やかし半分である。しかしこの後、想像を遙かに凌駕するとんでもないものを聴かされることになるのである。
ロシア国立交響楽団
[指揮]ヴァレリー・ポリャンスキー
チャイコフスキー:交響曲 第4番 ヘ短調 op.36
チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 op.64
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 「悲愴」 op.74
いきなり交響曲第4番の1楽章から驚いた。もの凄いテンションで演奏を始めたのである。しかもポリャンスキーの指揮はテンポを非常にダイナミックに変える。とんでもない爆速で走り出すかと思えば、一気にテンポを落としてタップリと聴かせる。オケもその変化にしっかりと追随する。これはこのオケがこの曲に熟達しているから可能な技だろうか。ポリャンスキーは大きな体をダイナミックに動かし、足音は鳴らすわ、挙げ句がジャンプはするわとかなり激しい動きである。結局はそのまま最後までダイナミックかつエキサイティングでスリリングなまま一曲が終了。場内は割れんばかりの拍手だが、これで以降でテンションが続くのかと心配になる。
20分の休憩後の5番は穏やかに始まる。さすがに今度は流してくるかと思っていたら、とことんタップリと謡わせるのである。二楽章の盛り上がりなど心を打つし、最終楽章の最後の主題など運命に打ち勝った人生の賛歌を堂々と歌い上げるイメージで思わず涙が出そうになる。そしてそのまま怒濤のようにフィナーレ。一曲目とは全く違う趣向で完全に魅せられてしまった。
そして15分の休憩後に最後の「悲愴」。これはもう冒頭からテンションが並々ならぬ。ピンと張りつめた空気の中で会場中が息を飲んでいる雰囲気である。私は今まで「悲愴」は何回か聴いているが、ここまで美しくここまで痛々しい曲だったとは初めて認識した。密度の高い弦が切々と鳴らす悲哀に満ちた旋律。最後のまさに消え入るような終わりまで息もつかせぬような緊張感であった。
大曲3曲連続演奏というとんでもないハードな内容にも関わらず、最後まで密度の高い弦楽のアンサンブルは揺るぎなかったし、迫力のある金管にもヘタリの影さえ見えなかった。しかもこの間、指揮者のポリャンスキーは激しく動きまくり。オケも指揮者も技術の高さだけでなく、底なしの体力である。
「悲愴」の場合、よく3楽章終了後に拍手が起こったり、4楽章終了後の拍手がフライングになったりなどということが問題になるのだが、会場中がポリャンスキーに完全に飲まれたという感じで、4楽章終了後にはフライング拍手どころか会場中がポリャンスキーと一緒に凍り付いてしまった印象。数秒後にポリャンスキーが動き出した途端に硬直が解けたようにパラパラと拍手が始まり、それがやがて万雷の喝采に。ポリャンスキーは一端振り返りもせずに真っ直ぐに舞台脇に引っ込んでから、再び万雷の拍手の中に現れる。すると今度はポリャンスキーが何度引っ込んでも拍手が終わらない。コンマスは半ば当惑したように、楽譜を閉じて「アンコールはない」ということを暗に示すのだが、観客はそんなものは分かっているというかどうでも良く、ひたすらにポリャンスキーとオケの熱演を賞賛する拍手を続けている。しかもこの頃になると場内のかなりの多くが両手を頭の上に上げての拍手になっている。起立することがほとんどなく、むしろマナー違反であると考えられている日本では、これは事実上の場内総立ちに近い。この熱狂的な拍手は、半ば強引に団員が引き上げるまで続いたのである。
予想とは全く正反対の方向で、けた違いのとんでもないものを聴かされることになったというのが今回。無理ゲーだと思っていたら、三連続ハイスコアで決められてしまった。帰り道も興奮冷めやらぬという体の観客は少なくなかった。
それにしても芸術性云々を抜きにしたとしても、あの三曲を完全に演奏しきるロシア人の体力は恐るべしと言うところか。これはこんな連中と戦争しても勝ち目ないわ(笑)。日露戦争が引き分けに持ち込むのが精一杯だったのが今更ながら納得できる。恐るべし、ロシア。
この週末は結果としてライブ三連荘と相成った次第。振り返ってみるとN響が一番レベルが低く思えてしまった。もう少し本気出せよ。
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