展覧会遠征 東京編9

 

 この週末は美術館回りを習慣とする者なら年に数回は避けられないとという東京訪問を行うことにした。さらに今回は東京訪問ついでに美術館のみならず、東京のオーケストラのライブにも参加しようと考えた次第。一渡り出揃った各美術館の2015年度の予定を見ても残念ながら今年は東京地区以外にはめぼしい展覧会はない上、そもそもクラシック系のライブと言えば美術展以上に東京一極集中が甚だしい。今年は例年以上に東京訪問の回数が多くなりそうな気配である。

 

 例によって出発は金曜の夜。仕事を終えると急いで駅まで移動、そこから新幹線での長距離移動である。この春に新幹線のダイヤ改正があったが、私にとっては今まで乗っていた新幹線が廃止されて東京までの所要時間が長くなるというダイヤ改悪になっている。安倍政権は人気取りを意識してか「地方再生」なんて言い出しているが、現実はそれとは全く反対に地方切り捨てが一層進んでいる。

 

 ようやく東京に到着するとここから私のホームグランドである南千住まで移動。この度東京上野ラインが開通したので、常磐線が東海道線からの直通となって利便性が格段に増した。今までは上野駅まで馬鹿混みの山手線の各駅停車で移動して、そこから高架を通って遠い常磐線ホームまで歩く必要があったのだが、東京から上野まで直通で乗り換えなしでそのまま南千住である。これはありがたい。なおホームから見た限りでは、乗客が分散することで山手線の馬鹿混みも随分緩和されたように見える。

東京駅で特急ひたちの乗車口を見るのも奇異な感じだし、取手行きの常磐線が来るのも違和感がある

 南千住での宿泊ホテルは言うまでもなく定宿・ホテルNEO東京。部屋に入ってから、夕食が新幹線車内で食べた弁当だけだったからかなり腹が切ないことに気づく。そう言えば今までは上野の閉店時間間近の駅ナカで2割引のすき焼き弁当とかを買ってたんだが、今日は上野駅を通過したことで夜食の仕入れが出来なかったのだった。せめて東京駅の駅ナカがもう少し使い物になればよいのだが、これがまた使えないんだよな・・・。上野東京ラインの開通は南千住を拠点にしている私にはありがたい限りだが、これで上野駅が通過駅になることで上野の駅ナカの売り上げにかなり響くのではということが頭に浮かぶ。

 

 腹は減っているが、わざわざ外に食べに出るという元気はないし、そもそも南千住周辺にあまり良い店を知らない。仕方ないのでファミマで仕入れたおにぎりとサラダで凌ぐと、さっさと入浴して寝てしまう。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時半に目が覚めた。今日は一日かけて都内の美術館を回る予定。とりあえず開館が一番早いのは9時の上野の科博だから、そこから順に一回りの予定。目覚ましに朝風呂を浴びてから8時半頃にホテルを出る。

 

 ホテルを出た時にはまだ雨は降っていなかったが、上野に到着した頃には激しい雨になっていた。花見のつもりで来ていた連中は大変だ。上野駅には雨宿り客が大勢たむろしている。

 

 その中をかき分けつつ、まず最初に向かったのは科博で開催中の大アマゾン展。ちなみに私の年代はアマゾンと聞くと、顔の前で両手をクロスさせながら「ア・マ・ゾーン」と叫ぶという習性がある。

 


「大アマゾン展」国立科学博物館で6/14まで

  

 アマゾンは独自の生態系を持ち、未だに未知の生物が多数棲息していると言われている。そのアマゾンの動植物を展示した展覧会。

 

 序盤は太古の化石生物の展示から始まるが、すぐにほ乳類や鳥類など現存生物の展示に移る。ナマケモノからヒョウまでその多彩さに圧倒されるが、さらにインコなどの色鮮やかな鳥類が普通に野生としているのが妙な感覚である。

左 翼竜の化石  中央 会場風景  右 猿の仲間

左 小型ほ乳類  中央 オオアリクイ  右 アルマジロ

左 ヒョウ  中央 クマもいる  右 魅惑のチキルーム

 さらにはは虫類、両生類、昆虫類に魚類。巨大蛇のアナコンダに驚き、巨大魚類のピラルクーなどには圧倒される。また色鮮やかなモルフォ蝶などが目を惹くが、ついでにこの構造色の原理を応用した帝人の繊維の展示まである。

左 巨大なアナコンダ  中央 ワニ  右 カエルの仲間

左 色鮮やかなモルフォ蝶  中央 その原理を応用した繊維  右 巨大魚ピラルクー

 最後は菌類を経て原住人類の展示で終わりである。とにかく多彩な生物に圧倒されっぱなしになることは請け合いである。

左 菌類に  中央 藻類に  右 最後は原住民の文化


 一番最後は大型モニターを使っての4Kでのアマゾンの映像上映だったが、さすがにこのサイズになるとまだ4Kでも若干画像が荒いか。ただ家庭のリビングだとこれ以上の精細度は必要か? なおナレーションがやたらに「私はアマゾン」を繰り返し、「悠久の時が云々」と言っているのを聞いていたら、私の頭の中には池田昌子の声で「私はメーテル。鉄郎、999に乗りなさい」と言うのが聞こえてきた・・・。もっとも今時は池田昌子の声なら「ムッタ、月に行きなさい」か。

 

 科博を出た時には雨はほぼ止んでいた。傘を差さなくて良くなると移動がしやすくなるので助かる。これも私の日頃の行いの良さの賜物か。

 

 科博の次は当初予定では藝大美術館に直行するつもりだったのだが、国立博物館の前を通りかかったところ大して混雑していないようなので(この博物館だけはいつも混雑度合いが読めない)、先にそちらに立ち寄ることにする。

 


「インドの仏 仏教美術の源流」東京国立博物館で5/17まで

 

 仏教発祥の地・インドにおける仏像は、日本の仏像などと違ってかなり個性的な造形のものが多い。そのようなインドにおける仏像を展示。

 当然と言えば当然ではあるが、インドにおける仏像は日本のもののようなのっぺりした顔立ちではなく、いかにもインド人らしい顔立ちをしており、こういう仏像を見ると、仏教はそもそもはインドの宗教なんだということが強く感じさせられる。また仏像に対する装飾などもいかにもインド的であり、日本人の目にはありがたさよりも奇異の念を感じるような姿が多い。

 これがパキスタンや中央アジア辺りに入ると、ダルビッシュなどを思わせるような彫りの深い濃い系のイケメン仏像になる。また仏像だけでなく、仏舎利や経典なども展示されており、その細工の細かさには驚かされる。

 宗教云々を抜きにして、単純に造形として見て回っても十分に楽しめる。当然ながらブッダのストーリーぐらいは知っている方がより深く楽しめるわけではあるが。


 私は「へうげもの」のせいで茶器などに興味が出てきたような単純な人間だが、最近は「聖☆おにいさん」や「鬼灯の冷徹」のせいで仏教やキリスト教や地獄にも知らない間に詳しくなっていたようだ。我ながらつくづく影響を受けやすい人間である。

 

 なお驚いたのは、今ではインドはヒンドゥーの国で仏教は決してメジャーではないはずなのだが、仏教遺跡が結構そのまま残っていること。これはヒンドゥーが多神教であるのが幸いしたのだろう。そもそもヒンドゥー教は統制が強い宗教ではないので、容易に他の宗派を取り込むとか。これがイスラムとかなら、あのキ○○イのタリバーンみたいに遺跡は全部破壊していたところだろう。なお今ではあの殺人同好会のイスラム国(IS)も同じことをしているらしい。奴らは殺人だけでなくて破壊も大好きなようだ。幼稚園バス襲撃レベルの事件も起こしているし(学校に押し入って銃乱射なんていう事件も多い)、やはり目標はショッカーか。あのオウム真理教も多分にショッカーを意識していたような気もするし、なぜか宗教カルトは最終的にショッカーになるようだ。これやもはや仮面ライダーが登場してアジトごと壊滅させて欲しいところだ。この世には正義のヒーローはいないのか?(正義を名目にして利権目的の戦争をしたがる輩はわんさかいるが)

 

 それにしても仏教の考え方も結構特殊だ。施しが好きだった王様が、国に恵みをもたらしていた白象を他国に与えてしまったために国民を怒らせて国を追われたのに、それでも逃げる時に連れてきた馬車を人に与え、さらには自分の息子たちも奴隷として人に与えなんてエピソードがあったが、ここまで来ると徳があると言うよりも単なるはた迷惑な変人というか、極度なMなんではないかという気がしてくる。ちなみに施しというのは仏教では重要で、その最大のものは自らの体を与えることだとか。そういうわけでインドでは臓器バンクの登録率が高いと聞いたことがある。

 

 この点、中国なんかは「宋襄の仁」なんて言葉があるぐらいで、いくら立派なことをしても国を滅ぼしたら意味がないという合理的な考えが徹底している。この辺りは生き馬の目を抜く戦国時代や、他民族との闘争を経てきた国ならではなのだろう。このような中国や、やはり同じく国内で諸々の戦の多かった日本に仏教が伝来して広がったのも奇妙なものに思える。

 

 特別展を見学し終えたところでかなり腹が減っていることに気づいた(今日はまだ朝食を摂っていない)ので、朝食兼早めの昼食を摂ることにする。面倒なので博物館内のレストラン「ゆりの木」に入店して、特別メニューの「稲庭風うどんと鮭親子丼(1200円)」を頂く。

  

 野菜が結構入っているうどんがうまい。ただやはり全体としてボリュームがやや不足で、CP的に見るとツラい。まあこれは場所柄仕方のないところではあるが。

 

 食事を終えたところで隣にある東洋館をのぞくことにする。ここに入ったのは初めてだが、アジア地域の各地の文化に関する展示がされており、イケメン仏像代表のガンダーラ仏なども展示されている。こうして改めて見てみるとアジアの各地にそれぞれ独自の文化が発展してきたということが実感できる。それぞれ風土に根ざした文化が発達したのであって、そこにはどれが上だとか下だとかなどの関係はない。こういうのを見ていると人類の多彩さというものが良く理解でき、他の文化に対しての尊敬の気持ちも生まれる。無知が差別主義の温床になるとはよく言ったものだ。新大久保辺りで馬鹿騒ぎをしている差別主義者たちは、こういったところで勉強させた方がよさそうだ。

 

 国立博物館は多数の建物があってあらゆる収蔵品があるのだが、それを悉く見ていると一日仕事になってしまう。残念ながら今日はそんな暇はとてもないので、そろそろ藝大美術館に移動することにする。

 辺りはかなり桜が咲いている


「ボストン美術館×東京藝術大学 ダブル・インパクト 明治ニッポンの美 」東京藝術大学美術館で5/17まで

  

 日本が鎖国を解いて西洋との交流を始めた明治時代、日本は西洋の高度な技術と異文化に触れて大きな衝撃を受けたが、同時に西洋の側も日本の独自性の高い高度な文化に大きなインパクトを受けていた。そのような両者の受けたインパクトを双方向的に眺めてみようという展覧会である。西洋からの衝撃を受けた日本を現すのが東京藝術大学のコレクション、対して日本からの衝撃を受けた西洋を現すのがボストン美術館のコレクションである。

 

 日本の側が大きな衝撃を受けたと言えば絵画の世界である。それまでの日本の絵画とは全く異なるリアルな表現は、多くの芸術家に衝撃を与え、独自で洋画を探求する者などが現れる。そしてやがては海外留学する画家も増え、日本の中で洋画が大きなジャンルとして確立する。その一方で古来の伝統的な絵画も新たな展開を迎え、日本画というジャンルが確立することになる。その過程で模索したのが朦朧体などと揶揄された横山大観や菱田春草などである。

 一方で日本の絵画が西洋にも衝撃を与えている。特に浮世絵の表現は西洋にジャポニズムを生み出し、これは印象派にも大きな影響を与えている。ある意味では西洋で印象派表現を学んで帰ってきた洋画家は、日本の絵画の影響を逆輸入したとも言える。

 工芸の分野でも日本の匠の高度な技は西洋に大きな驚きを与えた。この後、日本の工芸品は大きな外貨獲得手段となることになり、国策として輸出が振興される。

 今までそれぞれの視点を一方的に伝える展覧会は多かったが、今回は双方向的というのが最大のポイント。こうして見ていると、真似から始まってやがてはオリジナルを越えてしまうという日本の文化の特徴が垣間見えて面白い。


 なかなかにインパクトのある展示が多かった。とにかく明治時代の芸術作品には真剣さが伝わってくるのが多い。この辺りが昨今の人生からの逃げとしてアーティストを名乗っている連中とは違う。

 

 ここまで来たついでに隣の黒田記念館ものぞいていくことにする。ここは今までとにかく開館日が少ないので訪れることが出来なかったところだ。最近になってようやく週末に開館するようになったのである。

 内部は落ち着いた洋館で、そこに「知・感・情」とか「湖畔」などの黒田のお馴染みの作品が展示してある。展示数は少ないが、そもそも入館料が無料なので妥当なところだろう。黒田の作品はこうして部屋にさりげなく掛かっているのが似合うような気がする。

 上野公園の桜

 これでようやく上野での予定は終了である。午前中一杯を上野に費やしたことになる。さてここから移動だが、次の目的地は東京。昨夜も通った上野東京ラインを経由して東京駅へ。目的地は東京駅の東にあるブリジストン美術館。ここはビルの建て替えのためにもうすぐ長期休館に入るとのこと。その前にコレクションの展示を行っている。

 


「ベスト・オブ・ザ・ベスト」ブリジストン美術館で5/17まで

 

 ブリジストン美術館のコレクションから代表作を一堂に展示。

 この美術館のコレクションは、印象派から始まって現代に至るまでの西洋絵画と日本洋画を含むのが特徴だが、マネ、モネ、ルノワールといった超メジャーどころから、最近に特別展を開催したカイユボットなどのややマイナーなところまで実に多彩である。

 こうして改めて眺めてみると、非常にコレクションのレベルが高いということを確認させられる。モネやルノワールなどに優品が多い。やはり日本を代表するコレクションであり、特に印象派以降の作品だと、東のブリジストン、西のひろしま美術館というところである。


 数年単位の休館になるというから、その間のコレクションはどうなるんだろうか。ブリジストンはここ以外にも九州に石橋美術館があるから、そちらで展示か。それともどこかにコレクションを貸し出したりするんだろうか。関西地区でブリジストン美術館展なんてやったら、結構客が来そうに思う。

 

 ブリジストン美術館の次は国立新美術館に立ち寄るつもりなのだが、地下鉄に乗ろうと思うと丸の内線の東京駅はJR東京駅の西側なのでかなり歩く羽目になる。どうも東京というところは何かの度にやたらに歩かされる。とにかく街の設計が滅茶苦茶だということが来る度に感じられるのである。

 

 国会議事堂前で乗り換え、乃木坂で降りると美術館へ。最早通い慣れたる道になってきた感があるが、とにかく乃木坂という駅はアクセスがあまり良くないのが困りものである。千代田線はどうにも乗り換えの便が悪いので使いにくい。東京から直行できないし、渋谷からも直行できない。南千住から直行するなら北千住で乗り換えるのが一番近道ではあるのだが、とにかくどのルートでも途中の駅で上がったり降りたりの大移動を強いられるのである。

 


「マグリット展」国立新美術館で6/29まで

 

 シュルレアリスムを代表する画家の一人、マグリットの作品を展示。

 マグリットの不思議絵画の特徴は、そこにあり得ない物を持ってくることや、イメージの多重性などにあるが、これらの画風が確立するまでには結構長い時間がかかっていたということを今回初めて知った。

 今まで何かの度にマグリットの作品を目にする機会はあったのだが、このようにマグリットの作品ばかりを集めて一堂に目にするのは初めて。こうして見ると同じモチーフの使い回しとか、別の作品の習作のように思える作品とか、発想の過程が見えてきてなかなかに面白い。


 展覧会鑑賞を終えて乃木坂駅に戻ろうとしたら、券売所の前が大行列になっているのに驚いた。来た時には全く行列はなかったのだが・・・。現在、ルーブル展と同時開催なのでタイミングによっては混雑するみたいだ。ちなみに両展のセット券なんてのも販売していた。両方見るなら少しだけお安くなりますというチケットである。

 

 マグリット展を見学した後は渋谷に移動する。それにしても以前から渋谷はとにかく分かりにくいところだが、東急の駅が新しくなってからさらに混乱に拍車がかかっている。安藤忠雄などという実用建築を全く作れない建築家(彼は基本的に動線設計なんて高度な技術は全く知らない)に設計をさせたのが致命的になっている。案の定、出来上がったのは例によっての実用性を全く無視した巨大な「芸術作品」。とにかく使いにくいために駅の利用者の怨嗟の声が満ちているとか。やはり彼には非実用のモニュメントなど以外の設計を任せたら駄目である。もっともあまりの使い勝手の悪さに渋谷駅利用の乗客が減少しているというから、そのうちに利用客のいなくなった渋谷駅がモニュメント化する可能性はあるが。

 

 どうにかこうにか東側のバス乗り場に抜けると(駅から出るためだけにとにかく無駄に遠回りをさせられる)、ここからバスで目的地に移動する。次の目的地は山種美術館。久しぶりの訪問だが、移転してから確実に観客が増えている。しかしそれに比してコインロッカーが少ない。荷物を背負って回るのも疲れたから置いていきたかったのだが、ロッカーに空きがない。そこでロッカーが空いていない旨を受付に伝えると「大きな荷物は預かれるが、鞄などは預かれないのでロッカーが空くのを待ってくれ」とのこと。いつ空くやら分からないロッカーをこんなところで待てと言うのか? 今まで各地の美術館を回ったが、こんなアホな対応をしたところは初めてである。かなりムカッと来たが、こんなところでいつまでも待っているわけにも行かないので、荷物を背負ったまま入館することにする。

 


「花と鳥の万華鏡」山種美術館で4/12まで

 

 花鳥画と言えば美人画などと並んで日本画の大きなジャンルの一つだが、山種美術館所蔵の花鳥画の名品を展示。鳥の専門家のような上村松篁の作品や、獣の栖鳳の同じく鳥の絵、また御舟の花など各人の得意とする作品を見ることが出来る。

 私は個人的には松篁の鳥の絵は前からなぜかあまり面白く感じない。それよりは栖鳳の生々しい獣の方が面白く感じるのである。


 あまりにアレな対応だったので後でネットで調べてみると、この美術館に対する不満の声は出るわ出るわ。「受付の態度が悪い」「ロッカーが少ない」「トイレが致命的に少ない」「展示室、特に第二展示室が異常に狭い」などなど。私自身概ね同意なのがなんとも。どうでもいいような弱小美術館でなく、日本を代表する日本画の殿堂なのだから余計に目立つんだろう。これが日本の施設でなくて中国の施設なら、これで当たり前の対応になるんだろうが。

 

 山種美術館を後にすると、今日最後の美術館に立ち寄ることになるが、その前に少し腹ごしらえをしておくことに。軽くラーメンでも食べようかと、入店したのはBUNKAMURA裏手の「横浜家系ラーメン道玄家」。注文したのは家系ラーメンの大盛り

 とんこつ醤油ベースのこってりしたスープにかなり太い麺。私が今まで体験したラーメンの中でこの麺は最も太い。それだけにかなり食いごたえのある麺。ここまで太い麺だと、結構こってり目のスープでないと絡まない。このラーメンに無料でライスが付いてくるのだから、ボリュームはかなりのもの。若者なら喜ぶだろうが、私にとっては天敵の炭水化物の塊。これはそもそも入店する店を間違えた。まあラーメン自体は東京の店にしてはうまい方だと思うが。

 

 軽く食べるつもりがかなりガッツリと食べることになってしまった。少々腹が重いが、そのまま向かいのBUNKAMURAに入館する。

 


「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」BUNKAMURAで6/28まで

 ボッティチェリが活躍したのが、メディチ家の元で商業で大繁栄したフィレンツェ。花の都とも称された絢爛たる文化を誇ったのであるが、そのフィレンツェの繁栄を伝える品々とボッティチェリの絵画を併せて展示する。

 ボッティチェリの作品の展示もあるのだが、どちらかと言えばフィレンツェの紹介の部分が多かったように感じられた展覧会。絢爛たるフィレンツェ黄金時代から、メディチ家がフィレンツェを追放されてサヴォナローラの宗教反動時代になってボッティチェリが急速に輝きを失う頃までが展示されており、ネタ的には昨年末に東京都美術館で開催された「ウフィツィ美術館展」とかなり被る部分もあったが、本展はより世俗に力点を置いていた印象である。


 これで今日の予定は終了。とにかく疲れた。南千住に戻るために地下鉄銀座線で移動。上野駅で日比谷線に乗り換えようと思っていたのだが、思いついたことがあり溜池山王で途中下車する。進路変更、ここで南北線に乗り換えて目指すは飯田橋。

 

 疲れたのでやはり甘物が欲しくなった。飯田橋までやってきたのは当然のように「紀の善」に立ち寄るため。例によって待ち客がいる状態だが、もう今日の予定は終わっているので腹をくくって順番待ち。ちなみに私が東京で並んでまで立ち寄るのはこの店ぐらい(そもそも並んでまで何かを食べるという習性が私にはない)。10分ぐらい待ってようやく席に着ける。例によっての「抹茶ババロア」は夜のお楽しみに持ち帰るとして、今は「くず餅」を注文することにする。

 きな粉と黒蜜のかかったくず餅が心地よい。これぞ本物のくず餅。とにかく私はこの店でくず餅というものに対する認識を変えさせられたのである。

 ガツガツとくず餅を頂くと、抹茶ババロアをお持ち帰り。店での滞在時間は10分もなかったのでは。まあ店からすると、オッサン一人でぷらっと来てガツガツと食べるとさっさ出て行くって妙な客ではあるだろうな・・・。しかしそもそも我が家には喫茶店でくつろぐという習慣がないのである。

 

 飯田橋からはJRで戻ることにする。上野駅で乗り換えなので駅ナカで夕食の牛肉弁当を買って帰る。まだ時間が早いので残念ながら定価購入。

  

 この夜はこの牛肉弁当と抹茶ババロアを頂いてマッタリと過ごすのであった。ちなみにこの日はあちこちと歩き回ったのが効いて、一日で2万4千歩越え。足にかなりのダメージが来ているので入浴でしっかりとほぐしておく。それでも夜に就寝中に足がつりそうになることも。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝も目が覚めたのは7時半。タップリ寝たはずだが、体のあちこちに痛みが残っている。昨日一日で2万歩以上というのは明らかに歩きすぎである。

 

 さて今日の予定だがライブが中心である。サントリーホールで14時に開演の日フィルのコンサートのチケットを取ってある。これが予定のメインで、後は開演時間までは残った美術館で時間つぶしというところ。

 スカイツリーがやや曇っている

 ホテルのチェックアウト制限が10時なので、その前の9時半頃にチェックアウトする。まずは東京駅に移動して、重たいキャリーをロッカーへ。この後は東京ステーションギャラリーに行く予定だが、開館時刻の10時までにまだ時間がある上に、実は10時に終えておくべき予定がある。

 

 まずはまだ食べていなかった朝食を摂りたい。しかし東京駅の丸の内北口の周辺には適当な店がない。結局は八重洲口側まで移動してそば屋に入店する。

 

 10時前になるとスマホを取り出す。実は10時からの用事というのはチケットの確保。これから半年後ぐらいに行われるコンサートのチケット販売開始が今日の10時なのである。PCを使えれば座席指定で予約がしやすいのだが、今の私はノートPCを持っていない身。やむなくホールのチケットセンターに電話である。しかしこれがなかなかつながらない。ようやくつながるまでに10分ほどを要した。何とか無事にチケットの確保には成功。まあマイナーなオケのコンサートなので、発売10分で売り切れるということはないだろうとは思っていたが。

 

 チケットを確保したところで東京ステーションギャラリーに入館する。

 


「ピカソと20世紀美術」東京ステーションギャラリーで5/17まで

 

 20世紀の美術はピカソがキュビズムで世界に衝撃を与えたところから始まるが、それからかなり多様な展開をしていくことになる。そのような20世紀美術の展開をアメリカとヨーロッパから見る。

 やはりネタが20世紀美術というだけあって、私的には面白味を感じるのは残念ながらピカソやマティス辺りまで、後はどうでもいい(ウォーホルのマリリン・モンローはもうゲップが出る)というのが本音で、本展の後半部分に関しては退屈極まりなかった。


 毎度のことながら、この美術館の最大の展示品は東京駅の建物ではないかと思う。東京への往路で「美の巨人たち」の東京駅の回を見た直後なので、感動もひとしおである。

東京駅丸天井内部の装飾

丸の内北口の外観

美術館から見たホールと当時のレンガ壁

 美術館の鑑賞後は先ほど予約したチケットを受け取りにすみだトリフォニーホールに向かうことにする。チケットを郵送してもらうと手数料がかかるし、どうせ東京まで来ているのだからホールの場所確認がてらに直接受け取ってやろうという考え。

 

 すみだトリフォニーホールへのアクセス駅は総武線の錦糸町。東京駅の地下に潜って総武線快速で移動する。錦糸町は豪雨の中だったが、折りたたみ傘を鞄から出すのも面倒なので建物伝いでホールまで移動。ホールはビル街の中というところ。隣にはやけに高そうなホテルがある。私がこういうホテルに泊まることは多分一生ないだろう。

 トリフォニーホール

 トリフォニーホールでチケットを受け取ると移動。隣の両国に江戸東京博物館があるのでそこに立ち寄ることも考えていたが、雨が激しいし、あの博物館は駅から微妙な距離があるし、今の出し物は京都への巡回もあるしということでこのままライブ会場近くまで移動してしまうことにする。

 

 今日のライブ会場はサントリーホール。最寄り駅は六本木一丁目である。駅に到着した時にはまだ開演の1時間半以上前。とりあえず昼食を摂る必要があるが、それ以外にも少々時間つぶしが必要なようだ・・・と考えた時に、泉屋博古館のポスターが目に入る。そう言えばこの近くだった。とりあえず立ち寄ることにする。

 


「小川千甕 縦横無尽に生きる」泉屋博古館で5/10まで」

 京都に生まれた小川千甕は、浅井忠に洋画を学びながら、日本画を描いたりさらには挿絵や漫画も手がけるなど、非常に幅広い絵画を描いた人物である。渡欧の際にはルノワールとも面会したそうだが、その頃の状況をのびのびとしたスケッチで描いている。

 晩年には富岡鉄斎などの影響も受けて南画を描き始めるのだが、まさにこの展覧会のタイトル通りの「縦横無尽」なダイナミックな作品である。

 ジャンルに特にこだわらず、とにかく心の向かうままに描いたという印象で、年月を追うと画風がコロコロと変わっているのであるが、それでも最終的な晩年の南画まで一本の線でその変遷がつながるというのが興味深い。


 美術館に立ち寄った後は昼食に。しかしこの周辺の店は無意味に高そうなところが多い。そこで東京での飲食店選びの経験則「困った時にはとりあえずチェーン」(全く期待は出来ないが、下手な店で大外しするよりも無難)というわけで「とんかつ和幸」で昼食にする。

 無難な昼食を終えるとサントリーホールに移動。到着したのは開場の10分以上前。それにしても別に並ぶ必要がない(全座席指定である)にも関わらず、入場時間前に列を作って並ぶ日本人の奇妙な習性。

 サントリーホール

 開場時間になると玄関の上にからくり時計のようなものが出てきて開場時間を告げる。妙なところに凝った仕掛けのあるホールである。

 サントリーホールはかなり天井が開けたホールという印象。二階席のオーバーハングが少なく、全体的に上が開けている。全席で残響1.8秒というのはふかし過ぎとしても、そういう方向を目指しているホールであるのは分かる。ただ二階席のオーバーハングが少ないことで、私の席は二階席の一番奥であるため、ステージまでの距離がやや遠い。


日本フィルハーモニー交響楽団第365回名曲コンサート

 

指揮 西本智実

ピアノ 若林顕

 

曲目

チャイコフスキー: オペラ『エフゲニー・オネーギン』から「ポロネーズ」

ラフマニノフ: パガニーニの主題による狂詩曲

チャイコフスキー: 交響曲第5番

 

 一曲目のチャイコフスキーは私は初めて聞いた曲だが、ロシア旋律がタップリの曲で、やや俗に聞こえる部分もある。

 二曲目はこれも私には初めての曲だが、それでもいきなりラフマニノフであることは分かるぐらい彼の特徴の出た曲。例によってのピアノが大活躍である。

 三曲目は言わずとしれたチャイコの5番。今更説明の必要もないほど有名な曲だし、私も今まで何十回耳にしたか分からない。

 

 若林顕のピアノについては地味という印象。華麗にテクニックを誇るというタイプでもないし、タップリと歌わせるというタイプでもない。

 日本フィルに関してはやけに弦が薄く感じられることが気になる。ピアニッシモは単なる弱い音になるし、フォルテッシモでは管楽器の音だけが聞こえてくることになる。そのせいで非常にダイナミックレンジの狭い演奏というように聞こえて、単調で万事が盛り上がりに欠ける。

 指揮者の西本がスラリと背を伸ばして指揮台に立つ姿は、まるで宝塚の男役スターのようで非常に絵になる。指揮の動作などもやや芝居がかった感があり大時代的である。ただその指揮自体は実にオーソドックスで外連味のないもの。それがむしろ残念。もう少しハッタリをかますぐらいの茶目っ気でもあった方がより魅力的な演奏になるように思われる。キッチリ、カッチリしているのだが、妙にクールすぎて何か物足りない。


 どうも全体的に「地味」な印象の演奏だったような気がする。それがこのホールの直接音よりも間接音がタップリの柔らかい音響効果に包まれて余計に地味さに拍車がかかっていたような。

 

 これで本遠征のすべての予定は終了。新幹線で帰途についたのである。

 

 結局は一日かけて東京エリアの美術館をかけずり回り、サントリーホールを見学してきたというようなところ。ただライブに関してはやや残念というのが本音。どちらかというと紀の善のくず餅の方がより鮮烈な印象を残したのである。

 

 

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