展覧会遠征 広島・岡山編

 

 この週末は広島・岡山方面の美術館を訪問することにした。広島といえばかつてなら日帰りの強行軍をしたものだが、今はとてもそんな元気はない。無理はせずにやはり広島で一泊。となれば帰りに岡山にも立ち寄るか。いやいやいっそのこと岡山の温泉で前泊しちまおうということになった次第。

 

 金曜日の仕事を終えるとそのまま夕闇が迫り来る山陽自動車道を西進する。完全に日が沈んだ頃に岡山ICで山陽道を降りると、ホテルに入る前にまずは夕食を摂ることにする。立ち寄ったのは「Anjou」(アンジュ)。イズミヤ津高店の向かいの低層マンションの1階にテナントとして入っている洋食屋である。落ち着いた雰囲気の店内はなかなか洒落ている。ミュシャの絵が架けてあるのが趣味がよい。注文したのは「特製Aランチ(1544)」

店内はなかなか落ち着いた雰囲気である

 最初はサラダとスープ。サラダのドレッシングはなかなかうまい。スープはオーソドックスなコーンポタージュ。メインはハンバーグとエビフライとクリームコロッケの盛り合わせ。ハンバーグは柔らかくて肉感のあるもの。ソースと良く合っている。全体的にオーソドックスな内容であるが、普通にうまい。多分近くにあればちょくちょくランチを食べに行くような店だろう。

  

 夕食を済ませると近くのイズミヤで夜食を購入してから宿泊ホテルを目指す。今日宿泊するのは苫田温泉泉水。岡山街道を北上すると苫田温泉の歓迎ゲートがあるので、後は道沿いに山の中に向かって走るだけ。

 

 苫田温泉は古代吉備国以来2000年の歴史がある古湯と言うが、泉水ともう一軒、乃利武というホテルがあるだけ。しかも後で調べたところによると乃利武は数年前に閉館とのこと。市街からも離れた完全な山の中でまさに秘湯という雰囲気・・・と言うか、正直なところ寂れまくっていると言う方が正しいか。当然ながら旅館以外の店などはない。

  

ホテル遠景(翌朝撮影)

 私のプランは例によって夕食なしの格安ビジネスプランである。私の案内された部屋は離れのような奇妙な構造になった部屋。部屋は広くて風呂・トイレ付きである。格安プランだから安い部屋をあてがわれたというわけではなさそうだ。ただかつては結構豪華なクラスの部屋だったのだろうと思われるが、今では床の間に年季の入った小型冷蔵庫が鎮座しているなど、少々奇妙な印象の部屋になっているのは事実である。また廊下が屋根はあるが野外なのでいささか寒い。それを考えてのことか、部屋にあるのは羽織でなくて丹前である。

左 部屋は広いが  中央 なぜか床の間に鎮座する冷蔵庫  右 廊下は野外になる

 一端部屋で着替えると、とりあえずは入浴である。大浴場は内風呂と露天風呂があるが、一つの大きな岩風呂を外壁で分離したかのような構造になっている。単純弱放射能泉とのことで、ラドン含有量が療養泉としての基準を満たしているとか。苫田温泉と名乗っているが冷鉱泉なので沸かしている。成分としてはカチオンはナトリウムとカリウム、アニオンは炭酸水素塩を若干含む、後はメタ珪酸塩を含む。無職・無意味・無収入・・・じゃなくて無色・無味・無臭で強い浴感はないが、若干ネッチョリした感触があるのは弱アルカリ性だからか。また浴後に体の表面に膜が出来たような感触が少しあるのはメタ珪酸塩由来のものか。露天風呂はぬる湯でゆったりという感じで、寒い場合は内風呂で温まるのが良い。

  

この日の夜食

 入浴後は部屋でマッタリ。先ほど購入した夜食とデザートを出してくる。しかし今の私は血液検査で危険判定をされて食事制限中の身。夜食はサラダ、おやつはタニタデザートである。こうしてこの夜は更けていく。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時に起床する。布団がやや薄いので肩が痛いせいで寝返りが打ちにくく、眠りが浅かったようだ。とりあえずやや重い体を朝風呂で目覚めさせる。

 

 朝食は大広間で8時から。オーソドックスな和定食なのだが、これがなかなか豪華だしうまい。この宿で夕食を摂っても良かったかもなということが頭をよぎる。

 夕食を終えると8時半頃にはチェックアウトする。設備的にはやや老朽化も見えるホテルだったが、飯はうまかったし風呂も良かった。そして宿泊料は4000円以下という格安プラン。私が東京で定宿にしているホテルNEO東京が、ほとんどベッドで一杯の部屋に風呂トイレ共同の朝食なしで3700円(最近になってジリジリと宿泊料が上がっている)であることを考えると、CPで見ると驚異的と言える。また岡山方面に来ることがあれば利用しても良いが、問題はその時までこのホテルが健在だろうか?

 

 さて今日の予定だが、これから広島に移動してそこで宿泊するつもりだ。ただし広島に直行する前に複数の美術館に立ち寄る予定である。まず最初は一番近くの行きつけの美術館へ。

 


「菊池契月展」笠岡市立竹喬美術館で3/15まで

  

 日本画の大家である菊池契月の展覧会。

 若き頃は西洋絵画の研究も行っていたということで、若い頃の作品は精緻で日本画にもかかわらず洋画的な立体表現が行われているようなものが多い。

 その後も彼は技法の研究を続けていったようだが、晩年になってくるといかにも日本画的な描線を用いた平面的な表現になっていくのだが、これを支えているのは実に自在で巧みな描線の技術である。この頃の絵画にはかつてはなかった軽快さが現れてくる。

 若年期の絵画はその精緻さで唸らせ、晩年期の絵画はその変化自在な描線で唸らせる。とにかく「圧倒的」という印象を受けた。なかなかに堪能できた。


 竹喬美術館を後にすると次は福山まで走る。ここの美術館は久しぶりの訪問である。

 


「夜の画家たち−蝋燭の光とテネブリスム−」ふくやま美術館で3/22まで

  

 17世紀のバロック美術の時代、ヨーロッパで流行したのがジョルジュ・ド・ラ・トゥールやレンブラントのような闇の中に蝋燭などの一条の光で人物などが浮かび上がるという表現の絵画だ。これらの表現はテネブリウムと呼ばれ、カラヴァッジョ派の画家などが積極的に用いたことでさらに広がった。しかしこの後の時代にはさらに異なる表現が登場することで、テネブリウムも過去のものとなっていった。

 時代はかなり下ること近代の日本、西洋から輸入された絵画のこの光の表現を見て驚き感動したのが日本の画家たち。それまでの日本の絵画には全くない光の表現だった。そのような画家の一人である山本芳翠は早速その表現を研究した絵画を制作し、他の画家たちも次々とこの新しい表現に挑戦していくことになる。こうして一躍日本でテネブリウムブームが巻き起こるのである。本展ではそのような絵画を集めて展示している。

 山本芳翠の作品などはラ・トゥールなどの影響をもろに受けていることが感じられ、この時代の日本の画家たちがいかに熱心に西洋の技術を取り入れようとしていたかが伺われる。これらの作品の中にはかなり巧妙な光の表現を駆使した作品も見られ、日本の初期洋画のレベルアップに貢献したようである。

 ただこの後にすぐ黒田らによる外光派が台頭してきて、日本のテネブリウムはヨーロッパ以上に短命に終わる。急速に進化をしようとする日本の中で一種の時代の徒花となったような感もあるのだが、それでも輝きを放っていたことは事実である。


 この後は広島に移動の予定だったが、広島の廿日市市のはつかいち美術ギャラリーでウッドワン美術館の収蔵品展を実施しているとの情報を得たので、広島を通り越してまず廿日市に立ち寄る。ウッドワン美術館はとにかくド辺鄙にあって立ち寄りにくいので、その収蔵品を近くで見られるのはありがたい。はつかいち美術ギャラリーはホールなども入った複合施設の一角にある。

 ホールもある複合施設だ


「ウッドワン美術館収蔵作品展 広島ゆかりの作家展」はつかいち美術ギャラリーで2/22まで

  

 広島ゆかりの奥田元宋、児玉希望、平山郁夫、靉光、南薫造などの作品が20点ほど展示されている。

 奥田元宋の作品はいかにも「赤の元宋」らしき紅葉の絵画で、見るからに美しい絵画。児玉希望や平山郁夫の作品もいかにも彼ららしい作品である。靉光についてはシュルレアリスム的傾向がまだ露骨に現れる前の比較的見やすい作品。また絵画以外に平櫛田中の人形も一体展示されていた。

 展覧会としての規模はかなり小規模だが、結構レベルの高い楽しめる作品が展示されていたのでなかなか面白かった。


 廿日市を後にするとようやく広島市内に入る。広島市内を移動するとなると車はむしろ邪魔になるので、広島に到着したところでホテルに車を預けてしまうことにする。今日の宿泊ホテルはアークホテル広島。ルートイン系列のホテルで大浴場完備という私好みのホテル。

 ホテルの駐車場に車を預けると、チェックイン手続きをして荷物を預けてから市内を回ることにする。ただその前にまず昼食である。もう遙か前に昼食時を過ぎてしまっているのでとにかく空腹である。広島といえばやはり牡蠣だろう。広島駅まで歩いていくとそこの「ASSEかなわ」「牡蠣づくし(¥3240)」を頂くことにする。

 牡蠣フライ、焼き牡蠣、牡蠣の佃煮、牡蠣ご飯などまさに牡蠣のフルコースである。やはり広島と言えばこれ。タップリと頂く。

 昼食を堪能して元気百倍になったところで今日の本題に戻る。路面電車の一日フリーパスを購入するとこれから美術館に移動である。まず最初はここも私の行きつけの美術館へ。それにしても久しぶりの広島である。マンホールの蓋がカープのキャラクターになっているところが広島に来たなと実感させるが、さらにデパートには「お帰りなさい黒田投手」の垂れ幕が。そう言えば同じく広島に戻った新井はどうなった?

様々なタイプの車両が走る広島の路面電車

そしてここは広島カープの本拠地だ


「日本洋画珠玉のコレクション」ひろしま美術館で2/22まで

  

 ひろしま美術館が所蔵する日本洋画のコレクションを展示。黒田清輝や浅井忠、岸田劉生などの大家の作品から現代に近い辺りの作品まで展示されている。

 黒田を初めとして、いかにも「らしい」絵画が多かったので楽しめる。私的にはやはり岡田三郎助辺りが好み。


 さらに近くの美術館に移動。広島に来たらこの二館を路面電車ではしごするのが通例となっている。

 


「ジャパン・ビューティー−描かれた日本美人−」広島県立美術館で2/15まで

  

 日本人画家による近代美人画の名品を集めた展覧会。時代的には明治から昭和初期にかけてで、鏑木清方や上村松園などの名品もあり。

 展示品は明治の頃の浮世絵の影響を受けた作品から、大正から昭和にかけてのより現代的な作品まで含むが、やはり私的には上村松園や池田蕉園、伊藤小坡などの女流画家の作品が性に合う。また鏑木清方なども品があって良い。個人的には北野恒富の浮世絵的な作品ではなくて、もっとモダン系の作品も見たかったりしたのだが、それがなかったのが残念。

 今回の展示作はプライベート・コレクションによるものとのことなので、明らかに嗜好が一貫していることが感じられた。日本伝統の浮世絵テイストの作品が多く、例えば展示作の中に含まれていた高畠華宵の作品は彼らしいイラスト的作品でなく、彼にしては珍しく古風な印象を抱かされるような作品であった。北野恒富の作品の件も恐らく収集者の好みが反映しているのだろう。

この美術館の看板、伊万里柿右衛門様式色絵馬

 見学後には作品の人気投票などもあった。AKBの総選挙じゃあるまいし・・・。なお投票者には抽選で商品が。展覧会図録は良いにしても、広島放送提供の「カープファン垂涎の名場面集DVD」なんてカープファンでない者はどうしたらいいんでしょうか? 広島に来る者はみんなカープファンという前提なんだろうか?

 

 私はひねくれ者なので、押しつけられたら反発したくなる。関西人なら阪神ファンのはずだという押しつけが大嫌いなせいでアンチタイガースになってしまったぐらいである。ちなみにネットの一部にある「日本人なら日本のことはすべて肯定するべきだ」という考えの押し付けは一番嫌いである。

 

 これで今日はもうタイムアップである。ホテルに一旦戻ることにする。とりあえず部屋に入ると着替えてしばしマッタリした後、入浴することにする。ここは最上階に大浴場がある。湯船でゆったりと温まると、バイブラで疲れた体をほぐす。

 

 風呂から上がったところで改めて夕食に繰り出すことにする。さて夕食に何を食べるかだが特に決めていない。昼にカキをしこたま食べたので、後は広島と言えばお好み焼きかとも思うのだが、夕食に食べる気もしないし、そもそも炭水化物の固まりのようなメニューは今の私にはまずい。とりあえず無難に和食というところか。

 

 店は決めないまま、とにかく飲食店があるだろうと思われる銀山町まで路面で移動する。この界隈はいかにも猥雑な繁華街で、こういう雰囲気の町ではおいしいものが食べられるというのが私の経験則である。とりあえず自分の勘を頼りにウロウロ。最初に見つけた緑提灯の店は残念ながら満席。そこで次に見つけた店「瀬戸内彩食いづみ」に入店。

 店名から想像できるように魚料理が中心のようだ。まずは「カワハギの薄造り」「温玉のせシーザーサラダ」「カキフライ」を注文する。ウーロン茶を注文して待っているとお通しが出てくるが、これがなかなかうまい。これは期待できそうだ。厨房を見ると板前がキビキビと動いている。こういう店にはハズレはないものである。

 まずはお通し三品

 出てきた料理は期待通り。やはりカワハギはうまい。肝のうっとりするようなうまさに薄切りにされても歯ごたえのある白身。これはテッサをも凌ぐ美味である。また後の二品も期待に反しない内容。

 これだけ頂いたところで、締めに海鮮茶漬けを追加。これがまたうまい。だし汁に入った魚の旨味がたまらない。まさに絶品。

 以上で支払いは5720円。やや食い過ぎた気がするが、まあ妥当なところだろう。なかなかにうまいものを堪能できて満足である。特に久しぶりのカワハギの刺身は涙が出るほどうまかった。

 

 少々食い過ぎ気味なので、腹ごなしを兼ねて停留所一つを歩きながらついでにセブンイレブンでお茶とフルーツゼリーを購入。コンビニデザートでカロリー100キロカリー前後のものと言えばこれかわらび餅ぐらいしかない。軽く300キロカロリーを越えてくるようなコンビニデザートは今の私に御法度である。本当はエクレアとかが食べたいところであるが・・・。

 

 ホテルに戻ってくるとしばらくは原稿書きやテレビで時間をつぶす。夜も更けてきたところでもう一度入浴してからお茶の時間。こうしてこの夜は過ぎていく。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時半頃に起床する。今日は広島に残るもう一つの美術館の訪問から始めるつもりだが、開館時間が10時なのでかなり時間に余裕がある。

 

 8時過ぎに朝食会場のレストランへ。朝食はバイキングだが、このホテルはルートイン系列だが、通常のルートインよりはややメニューが豊富という印象。とりあえず朝からガッツリと燃料補給。

 朝食後にはマッタリしてから朝風呂に繰り出し、9時半過ぎてからチェックアウトする。これから向かうのは広島市現代美術館。広島市街を見下ろす比治山にある美術館。ここを訪れる度に「ここには昔は山城があったのでは?」と思うのだが、完全に公園整備されている今となっては不明。

とにかくエスカレーターでひたすら登る

 美術館には比治山東側のショッピングセンターから比治山スカイウォークという巨大なエレベータで上ることが出来る。このエレベータに乗る度に「やはりここには山城があったように思えるんだがな・・・」と感じるのである。そういう目で見ると、公園内の削平地が曲輪に、美術館が本丸に見えてくる。

これらが曲輪に見えて仕方ない


「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」広島市現代美術館で3/8まで

  

 台湾の大手電子部品メーカーであるヤゲオ・コーポレーションのCEOのピエール・チェン氏が設立したヤゲオ財団が収集した現代アートコレクションを展示。ヤゲオ財団の現代アートコレクションは世界のトップ10にランクインしているとのこと。

 ・・・であるのだが、やはり現代アートは現代アートであり、これは好みの分かれるところである。ワンパターンのような絵の具を厚塗りでキャンバスにぶちまけた系の絵画は私の好みではないし(例によって「誰でも簡単に描ける」と感じてしまう)、写真加工系の作品は「ありがち」というように見えてしまう。その中で感心したのはリアルな立体造形。そこに芸術的意図を汲み取れるかどうかはともかくとして、作品の技術には単純に面白いと感じた。


 美術館の見学を終えたところで広島を後にする。以前なら土産物としてにしき堂のもみじ饅頭を購入したところだが、今回は止めておく。山陽道に乗った頃から雨がぱらつき始めるなど天候が不穏であるが、寒くはあるが雪は降りそうにない。そんな中をとりあえず山陽道を鴨方ICまで突っ走る。帰る前にまだ立ち寄るところがある。

 

 鴨方ICから降りてすぐのところにかもがた町屋公園なる施設がある。これは旧街道の鴨方往来沿いの町屋を修復保存したものだという。現在では地域の集会場などの用途に利用されているようだ。私の訪問時には落語の講演があるとのことで人が集まり始めていたが、落語には興味のない私は町並みの散策の方に向かう。

かもがた町屋公園

建物内部、襖絵や欄間などかなり立派である

 鴨方往来は今では完全に普通の住宅地で、住宅も大部分が近代化してしまっているが、道の細さや構造(鍵の手などもある)などに往時の面影をとどめている。また寺社なども多く、鴨神社の参道の石造りの太鼓橋である宮の石橋は「鴨方に過ぎたるものが三つある。拙斎・索我・宮の石橋」と謡われた鴨方三奇の一つとして以前から知られているとか。石組みの橋でなく、反り返った長い石を渡した橋になっているのが特徴。なお三奇の後の二つの拙斎は江戸時代の儒学者・西山拙斎のことで、索我は同じく江戸時代の画家の田中索我のことだとか。要は地元出身の文化人である。

左 道の狭さが往時の街道の面影をとどめる  中央・右 鍵の手構造がある

所々に往時の面影のある住宅もあるが、ほとんどは近代的な住宅になっている

左 鴨神社の鳥居  中央・右 宮の石橋

 この地には旧陣屋跡もあるが、今では新興宗教では老舗の黒住教の教会になっており、当時の遺構は石垣と井戸ぐらいとの話だが、いずれも後世の手が加わっているように思われる。また長川寺の裏手の山上に鴨山城跡があるとのことで見学を考えていたのだが、ここに来て天候がさらに不穏で時たま雨がぱらつくことと、思っていた以上に体に疲労が来ていて体が重いことなどから断念して、次の機会の宿題にすることにした。

左 陣屋跡  中央 石垣には後世の手が加わっている  右 井戸
 鴨城跡はこの山上らしいが・・・

 鴨方を後にすると次は玉島を訪問する。玉島はかつて港の商家町として栄えたとのこと。新町には備中松山藩の藩主・板倉候の宿泊所だったという西爽亭があるのでそこを見学。これは藩主の宿泊所だったと言うだけあって立派な建物である。また壁の前になぜか襖を貼ってあるのだが、これは防寒のためではなくて防音のためだとか。つまり藩主屋敷だけに密談などもあるからということらしい。またこの屋敷は幕末にドラマがあったところでもある。戊辰戦争の動乱時、備中松山藩も幕府方として出陣するが鳥羽伏見の戦いで幕府方は敗北、備中松山藩の隊士150余名は帰藩のために玉島港に上陸するものの周囲がすべて反幕府方の中で包囲される。ここで家老の熊田恰が責任を負って切腹、部下と藩の助命を嘆願することで玉島も戦火から免れたそうな。この時に熊田恰が切腹したのがこの屋敷の座敷で、今でも畳の下には血の跡があるとのこと。それぞれに立場があるのだから誰が悪いというものでもないのに、こうして誰かに切腹させて決着をつけるというのがいかにも日本的ではある。

左 西爽亭  中央 玄関を中から  右 藩主の部屋

左 欄間  中央 この釘隠しは一つずつ違うとか  右 庭園の向こうに茶室もある

 西爽亭の駐車場に車を置かせてもらうと市街の見学に出る。玉島の町並みは川の東岸の新町地区と西岸の仲買町に分かれている。この玉島地区は干拓地であり、その潮止堤防の南に千石船が入港できる港が開かれたのが玉島港である。干拓地で土壌に塩分が多いことから稲作に向かなかったたため、この地では塩に強い綿花の栽培が行われると共に、貿易の中継地として商業が発展したのだとか。

 現在の玉島港

 新町側はかなりの住宅が近代風になってしまっているが、それでも所々に往時の風情をとどめた建物が現存している。

新町の町並み

 川を渡った仲買町にはかつての面影を残した蔵造りの住宅が多数残っているが、かつての商業地も今では大半が普通の住宅のようで、老朽化している建物が少なくないことが気に掛かるところである。ここも何らかの手を打たないと、そう遠くない未来には町並み自体が朽ち果ててしまいそうである。

仲買町の町並み

 いずこでもよくあるのだが、かつては商業で栄えたものの、その後に没落してしまった地域という印象が強い。町並み保存をどう地域の活性化につなげるか、またそのための財源はどうするか辺りが課題となりそうだ。町並みをうまく生かせば、潜在的観光ポテンシャルは決して低くはないと感じるのだが。

 

 時々雨がぱらつく悪コンディションだし、昨日多数の美術館を駆け回ったせいか、とにかく今日はやけに疲れた。予定ではこの後さらに下津井に立ち寄ろうと考えていたのだが、それは後日に回すことにしてこのまま帰宅の途につくことにした。

 

 今回の遠征は広島・岡山地区の美術館を回ると共に、岡山の町並み保存区を回る遠征でもあった。なお鴨山城、下津井などが宿題として残ったが、これは竹喬美術館での菊池契月展後期と絡めて再度の岡山遠征を実行して片付けることにしたい。こういうことも岡山が近県であるから可能なのだが。

 

 なお今回は美術館を回るだけでなく広島で牡蠣を食いまくろうツアーのニュアンスもあったのだが、その効果は翌日に現れた。朝の目覚めが違う、体の切れが違う、体の底から力が湧いてきて、彼女も出来て、宝くじも当たって・・・とそこまでの御利益はないが、とにかくやはり下手なサプリなんかよりも体には余程良く効くということを再確認した次第。牡蠣パワー恐るべし。

 

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