展覧会遠征 丹波編2

 

 今週は先週に引き続きのリハビリ第二弾というわけで近郊の山城を攻略することにした。今回訪問したのは「岩尾城」。丹波市にある山城である。築城は1516年に和田日向守齋頼によるとされる。その後、明智光秀の丹波攻略で1579年に落城、1586年に近江から佐野下総守栄有が城郭を改修した者の、秀吉の命で廃城となって1596年に破却されたとのこと。現在でも山頂に石垣が残存しているという。

 

 登り口は和田小学校の裏手にあるということなので、和田小学校を目標に車を走らせる。現在の小学校の場所は、元々は屋敷跡だという。和田小学校に到着すると「岩尾城見学で校内を通過する時は学校に連絡するように」との看板が出ている。ただしさらに見ると「休校日の場合のその限りにあらず」とのこと。今日は日曜日なのでそのまま校舎の裏手の駐車場に車を置く。

 下から見た山容

 車を置いて裏手を登ると動物除けのフェンスがあってそこに岩尾城跡の紹介看板が出ているので、そのフェンスを開けて(通過後は当然閉めて)山道を登っていく。病み上がりの体には少々キツいが、至って普通の山道である。これを10分登れば尾根筋に出る・・・のだが、情けないことに歩き出して3分で息が上がってしまうのが今の私の状態。尾根筋に出た時には既にヘロヘロになっていた。

左 本丸が見えてくる  中央 二の丸に出る  右 この上が本丸

 尾根筋に出たところで一服するが、実はこれで終わりではなくここから尾根筋を登っていく必要がある。尾根筋に出れば後は楽だろうと考えていたのだが、実は登りはここからが本番だった。向こうの方に見えている山頂が恨めしい。前に出ない足を鼓舞しながら登ることしばし、先に見えている山頂との高度差が徐々になくなっていくことだけが精神的な救い。両足がガクガクになりかけた頃にようやく南曲輪の看板が立つところに出る。

左 ようやく尾根筋に出た  中央 そこから尾根筋をひたすら登っていく  右 南曲輪に到着

 ここは岩尾城の南方の尾根を守るための曲輪のようだ、ここからは道はながらかになり、しばし進むと下知殿丸曲輪。ここは三方向から尾根が集まる防御の拠点ということ。

左 南曲輪の奥の下知丸曲輪  中央 そこから尾根筋をさらに進むと  右 本丸前の堀切

 ここの奥には堀切になっていて、そこから先が本丸に登るルート。登山道はやや回り込んだ先にあり、途中には水を湛えた井戸跡もある。

左 途中にある井戸  中央 水を湛えている  右 本丸はこの先

 この最後の本丸に登るルートがかなり厳しい。一応山道は設定してあるものの、所々崩れているので気をつけないと転落の危険もある。かなりヘロヘロになりながら登ることに。この途中で上から降りてきている人とすれ違う。どうやらここに登っているのは私だけではないようだ。

 途中で石垣が見える

 ほとんど半死の状態で本丸に到着。結局は尾根筋に出てから35分を要していた。自分でも嫌になるぐらい体力が落ちているのを痛感する。ただ山上には想像していた以上に石垣が立派な状態で残存しており、それが疲れを癒やしてくれる。

左 正面に立派な石垣が  中央 ここを回り込んだ上が  右 西の丸

 岩尾城はかなり険しい城だが、山上のスペースとしてはそれほど広くはない。やはりいざという時のためのお籠もりのための城だったのだろう。本丸の物見台の北側に中世タイプの曲輪があると言うが、そちらは鬱蒼としていてよく分からない。どちらにしても南側にしか石垣が見られないということは、後の改修ではそちらだけがメインとされたのだろう。

左 西の丸から振り返った本丸  右 本丸虎口

左 本丸の縄張り図  中央 虎口の奥に見える本丸土塁(見張り台)  右 土塁の裏手は鬱蒼としてよく分からない

本丸土塁上から天守台方向を見下ろす

 丹波地域には多くの山城が存在するが、それらと比べた時に山上のスペースがやや狭小に感じられる。そういったこともあった上に、秀吉の支配権が定まる頃には丹波は秀吉の勢力圏の内部で、隣接する敵対勢力もいなかったことが廃城になった理由か。

左 天守台上 中央・右 二の丸を見下ろす

左 天守台を南から  中央 南の降り口  右 石垣を回り込んで

二の丸側から見た石垣

 ヘロヘロになりながら足下に気をつけつつ慎重に山を下りてきたら、駐車場のところで先ほど山頂ですれ違った方が待っている。話によるとどうやら以前に愛媛の来島城を訪問した時に現地で出会った方々だったようだ。あの時は来島城の登り口が分からず、海の辺りをグルグルと遠回りしたり、山に入り込んだら進退窮まったりなどといろいろとあったのだが、その時にたまたま同行になった方々だった。私もかすかに記憶に残っていて少し引っかかっていたのだが、あちらが山から下りて私の車を見た時に思い出したそうな。しばし同好の士と山城談義。あちらはここで今日3つ目の山城で、これから八木城を登るそうな。私には丹波の山城の連荘なんて出来るだけの体力の持ち合わせは全くない。

 

 しばしの城談義の後に、互いの今後の無事を祈りつつ別れる。全くどういうところに同好の士がいるか分からないものだ。もしかしたら今までにも言葉を交わしたことがないだけで、実は何度もすれ違っている同好の士もいたかもしれない。最近は明らかに城マニアの底辺が拡大していることを感じる。

 

 とりあえずリハビリ登山の私は今日は山城はこれで終わりである。後は昼食と風呂と美術館が予定。まずは昼食と風呂のためにここのすぐ近くにある薬草薬樹公園を訪問する。

 ここでは薬草類を栽培しているだけでなく、薬膳を頂けるレストランや薬湯に入れる日帰り入浴施設丹波の湯があるという。汗を流したい気分だが、もう既に昼時を過ぎているし昼食を先にする。昼食を摂ったのは二階にある「食事処おときや」。季節で内容が変わる薬膳メニューという「竹かご御前(1200円)」を注文。また鹿カツなどもあるようなので、単品メニューはないか聞いたところ、残念ながら鹿カツの単品はないとのこと。仕方ないので「鹿コロッケ(380円)」を注文する。

 見た目も華やかな御膳だが、添えられているお茶はヤーコン茶で、天ぷら用の塩はウコンだそうな。すべてが結構手が入っていてうまい。鹿コロッケも入っている鹿肉は柔らかくてクセのないもの。ただコロッケとなるとそのせいでインパクトが薄い。こちらはやはりカツを食べたかったかなというのが本音。

 

 昼食を終えると入浴である。風呂はサウナと内風呂というオーソドックスな構成。内風呂は普通の塩素の臭いのする新湯である。露天風呂の入口?と思った先が内風呂の薬湯。湯の注ぎ口に薬草入りの袋が置いてあり、十一種類の薬草・薬僕をブレンドしたものだとか。お湯はいかにも漢方的な匂いがするが、肌当たりは柔らかくて長湯できる湯。効能としてはあせも、ひびなどの皮膚の症状から、神経痛、リウマチ、疲労回復などもある。さらに彼女も出来て金運も好調・・・とここまでは書いてない。なお薬効が強いので皮膚がかぶれたりすることを警戒してか、入浴後にシャワーで洗い流すようにとの記載がある。そう神経質になることもないようにも思うが、肌がかぶれやすい私は一応は体を流しておく。

 

 さっぱりと汗を流したところで、汗でベチャベチャになったシャツを再び着込む・・・着替えを忘れた・・・。毎度のようにこれを言っているような。なぜか何度も同じミスをしてしまう。学習能力の欠如。

 荒涼としたハーブ園

 予定では薬草園の見学でもしようかと思っていたのだが、その薬草園は工事中。隣のハーブ園も冬とあって荒涼たる風景。これでは仕方ないのでさっさと薬草園を後にして最後の予定へ。最後はやはり展覧会遠征らしく美術館を訪問。

 


「丹波市ゆかりの美術作家たち展」丹波市立植野記念美術館で2/22まで

  

 丹波市にゆかりのある画家22名の作品を集めた展覧会。ジャンルは日本画に洋画、さらには版画まで。

 作家ごとに分類してあるので、各々の作家の芸風が理解できて興味深い。ただ全般的にあまり尖った作品はなく、具象をベースにした比較的おとなしめの作品がほとんどであった。印象に残ったのは日本画で点描表現を使っていた永井学、人物に妙な生々しさのあった高橋重幸辺り。


 これで今回の遠征は終了、帰宅の途についた。

 

 結局はまだまだ体力的には回復とはほど遠いことを痛感したのが今回。まさか山道に入った途端に3分で息が上がるとは・・・。しかもこの夜には足のだるさに苦しめられ、足のダメージは翌日にまでも続いたのである。これは本格的にトレーニングしないとかなりまずい。

  

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