展覧会遠征 大分編2

 

 この週末は三連休。これは出かけないと嘘だと言うことで、私も九州方面に出かけることにした。目的地は大分。ただ今回は特に何という目的があるというわけでない遠征である。あえて言うなら「温泉でゆっくりしたい」が本音。ここのところ、分不相応の仕事の大軍が押し寄せて心身共に疲労の極みに達していた次第。ここは年末の追い込み前に骨休めをしたい。

 

 金曜の仕事を午前中で終えると新幹線で小倉まで移動する。小倉からはソニックで一路大分へ。今回乗車したのはいわゆる青ソニックだが、これがまたよく揺れる。正直なところ、決して乗り心地が良いとは言えるものではない。長崎からの特急つばめに乗車した時も似た感じだったが、JR九州も在来線の保線が追いついていないのかもしれない。JR北海道みたいなことにならないと良いが。これは完全に分割民営化の弊害である。

 青ソニック

 別府に到着するとここで下車。今日は別府で宿泊するつもりである。別府の駅前をキャリーをゴロゴロ転がしながら移動。生憎の雨模様だが、今のところはまだ雨は降っていない。別府の駅前は観光地ムードと寂れムードが入り交じった微妙な雰囲気だ。

 別府駅前にはなぜか妙なオッサンの像が

 今日の宿泊ホテルは西鉄リゾート別府。西鉄系列の温泉付きビジネスホテルである。西鉄系列と言うことでホテルの1階にバスターミナルが同居している。

 ホテルにチェックインするとまずは軽く入浴。大浴場は内風呂と露天風呂が一つずつ。湯は食塩泉とのことだがそうしょっぱい湯でもない。さして特徴のある湯ではないが心地よい。

 

 軽く汗を流すとまずは夕食に繰り出す。調べたところすぐ近くに「とよ常」なる和食の店があるのでそこに立ち寄る。ここはどうやら旅館も経営している店のようである。

 注文したのは「さば御前(2580円)」。さばの刺身にトリ天などがついた大分の地場に合わせたコースである。これがうまい。さばの刺身も良いが、トリ天の味付けが絶妙。また混ぜご飯もうまい。とにかく全品がうまい。この店は大正解だった。別府の食い物侮り難し。

 気分が良くなったところでさらに「白子の天ぷら(1080円)」を追加注文。これがまた濃厚な味わいでたまらない。なかなかに良い店を見つけた。なおこの店は昼食もやっており、天丼が有名なようだ。

 

 夕食を終えると別府の町をフラフラ。別府タワーなるものにたどり着く。大して高さのあるタワーでもないのでわざわざ登る必要もないかと思ったが、料金も200円と大して高くなかったので話のネタに登ってみる。

  

 タワーと言えば最近は東京スカイツリーなどの妙にバブリーなものが目立つが、ここはまさに昭和臭が漂う言いようのない雰囲気のタワーであり、カップルが雰囲気を求めて行くような場所ではなさそう。おかげで私のようなオッサン一人でも違和感なく溶け込める。今までこの手の夜景スポットでアウェイにならなかったのは初めてである。

左 昭和レトロ臭漂うタワー内部  中央 塔博士もいらっしゃいます  右 記念メダル販売機というのがまた・・・

 このタワーが建ったのは昭和32年で、設計は東京タワーや札幌テレビ塔なども手がけた「塔博士」こと早稲田大学教授の内藤多仲氏とのことで、別府タワーは名古屋テレビ塔、通天閣に続く3番目で、この後に札幌テレビ塔、東京タワー、博多ポートタワーと続くタワー6兄弟の三男に当たるとか。なるほど、それでどことなくデザインが通天閣と似てるのかと妙に納得。

そう高くもない視点がかえって斬新だったりする

 タワーにしては大して高くない視点がかえって斬新。また通常はタワーなどのガラスと言えば、少々のことでは割れない強化ガラスを使用しているのだが、ここのガラスは普通に亀裂が入っているガラスが何枚もある。おかげでガラスに寄りかかるような感じで夜景写真を撮るのがやけにスリリングである。

 

 別府タワー見学後はセブン−イレブンに立ち寄ってからホテルに戻る。しばしマッタリした後、寝る前にもう一度入浴してから早めに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時起床。朝風呂を浴びてからバイキングの朝食。朝食メニューは結構充実しているのでガッツリと頂く。

 

 今日からは車で移動の予定で、駅前のタイムズレンタカーを予約している。8時過ぎにチェックアウト。タイムズで用意されていた車は日産のマーチだった。相変わらず非力さが目立つ車。高速に乗るとかなり踏み込まないと流れに乗れない。目の前を爆走している西鉄バスについて行くのが一苦労。なお西鉄バスの爆走は九州では有名で、走行車線を100キロで走行していたらバスにあおられたとか、追い抜かれたなんて話もある。実際に見ていると今でも優に100キロを超えた速度で走行しており、非力なマーチだと完全に置いて行かれるというのが実態(実際に最終的には完全にちぎられてしまった)。

  由布院は朝霧に埋まっている

 さて今日の最初の目的地は「長岩城」。大分自動車道を玖珠ICで降りると、耶馬溪に向かって北上する。この辺りは紅葉もあってかなり風光明媚。ここは帰りに立ち寄ることにして先を急ぐ。

  かなり険しい山容が見えてくる

 カーナビの最初の目標地点は耶馬溪中学校に設定していたのだが、ここに到達した時点でさらに目的地をその先の永岩小学校に設定し直す。県道28号線から県道2号線に乗り換えたところで道幅はかなり狭くなり、両側には切り立った山が迫ってくる。その中をしばし走行、やがて集落近くになると長岩城の案内旗差しが目立つようになり、長岩城の手前にはキチンと観光客用のトイレ付きの駐車場(4台程度駐車可)までが整備されており、ここが満杯の場合にはさらに進んだ永岩小学校の辺りにも駐車場があるとの親切極まりない案内が表示されている。どうやらこの地域も「お城で村おこし」を始めたようである。

  駐車場完備

 長岩城は豊前の守護であった宇都宮氏の一族である野仲氏の城郭で、野仲重房が1198年に築城したと言われている。野仲氏は戦国期には大内氏の配下となるが、大友氏の豊前侵攻の前に降伏、その後黒田氏が中津城に入った時にこれに反抗して落城、野仲氏は滅亡したとのこと。と言うわけでこの城郭もクロカン関係と言うことで、どうやら明らかに最近になって整備された跡があるわけが納得できる。この世界はとかくこういう「大河特需」が大きい。

 

 案内に従って田んぼのあぜ道を抜けるとそこに来訪者ノートがある。その先は川(そう大きくない川だが実はこれが耶馬溪の上流)を橋で渡るとそこから先が長岩城になる。山道を登り始めるとそこからいくらと進まないところにいきなり立派な石垣が現れて見学者のテンションを上げてくれるが、これが一之城戸。

左 長岩城入口  中央・右 登り始めるとすぐに一之木戸に出くわす
 

 ここからさらに進むと二之城戸が現れるが、もうこの石垣辺りからこの城の最大の特徴である登り石垣が見られるようになる。

登り石垣を有する二之城戸
 

 ここから見学路は沢沿いのかなり険しい道になってくる。それをしばし登ったところに現れるのが三之城戸。ここまで来るとかなり大規模な登り石垣となる。ここで陣屋方向と本丸方向に道が分かれるが、とりあえずまずは本丸方向を目指す。本丸方向へは一段と険しさを増した道を登り石垣に沿って進む印象。

左 三之城戸  中央 三之木戸の登り石垣  右 陣屋方向への分岐がある

ここの登り石垣は規模が大きい
 

 ようやく平地に出てホッとしたところが東之台。本丸下を守る出曲輪のような場所。そしてここから呆れるほど大規模な登り石垣が本丸方向に向かって連なっている。この石垣に沿って最後の一踏ん張りとなる。それにしてもかなり急な斜面なのであるが、こんなところに延々と登り石垣を組んだ執念には呆れるばかり。そう大きくはない瓦のような平たい石を積み上げてあるのだが、一つ間違えれば全体が崩壊したのではないか心配になる。下から順番に積み上げていったのだろうか。労力を考えると頭痛がする。

三之城戸から進んでまた新たな石垣が見えてきたら、そこが東之台

ここの登り石垣も呆れるほど大規模
 

 完全に息が上がった頃にようやく本丸へとたどり着く。さして広くはない本丸を腰曲輪が取り巻く形式だが、腰曲輪まで含めても面積はしれている。この本丸から放射状に裏手にも登り石垣があるようで、これらの登り石垣で敵の進行方向を限定して防御する構造になっているようである。

左 登り石垣に沿って登る  中央 本丸虎口  右 本丸の腰曲輪

左 本丸はそう広くはない  中央 本丸の平面図  右 この手の石塁があちこちにある
 

 本丸の見学を終えて一息つくと、西之台を経由して降りていく。西之台には一端下ってから尾根続きで登っていく構造で、途中には堀切があり、一番低い部分には一文字堀虎口の跡も残っている。

左 西之台方向に降りる  中央・右 降りていく途中には堀切がある

左 降りきった先に一文字堀虎口が見えてくる  中央 一文字堀虎口  右 西之台にはここを登る
 

 西之台も石塁などで守られた小さな平地。ここが本丸の西側を守る拠点か。ここの石塁がまた高さ的に半ば身を隠しながら敵を狙撃するのに適した構造になっている。まるで銃撃戦を想定した要塞のようなのであるが、こういう形態の石組みがこの城の最大の特徴をなしている。一般的な城の石垣は、弓矢戦や接近戦を想定して敵の進撃を阻止するために高さを稼ぐのを目的として組まれていることが多いのだが、ここの石垣は敵を銃撃するための防壁といった組み方になっている。だから正直なところ、戦国期の城郭と言われるよりも、西南戦争で西郷軍が政府軍を防ぐためにあり合わせの材料で構築した陣地とでも言われた方が納得できる造りになっている。この辺りがこの城を回っていて感じる大きな違和感である。元々は鎌倉期に建造されたという「古い城郭」のはずなのだが、この辺りの設計が妙に近代的に感じられるのである。黒田氏が豊前に入る頃には合戦においても銃撃戦が普通になっていたので、その頃に大幅に手直しされたのだろうか? 私の目には妙に構造が先進的すぎるようにさえ見える。

左 西之台  中央・右 奥の石塁はいかにも銃撃戦用に見える
 

 西之台から水場を経由して降りてくると、陣屋方向との分岐にたどり着くので今度は陣屋の見学に行く。陣屋は広い斜面を石垣で囲っている区画で、石垣で表を固めてその奥はさらに登り斜面となっている。斜面が結構キツいのであまり大きな建物などを築けたとは思えない。

左 西之台から降りるところの堀切  中央 途中の水場  右 陣屋方向に向かう

左 陣屋の石垣が見えてくる  中央 陣屋入口  右 斜面はかなりキツい
 

 陣屋の右手の崖の上には砲座と呼ばれる石組みがある。また背後の崖の先にも銃座など諸々があると聞いているが、その辺りは狭い崖の上を10メートルのはしごで登ってから命がけで進んでいかないといけないと聞いているので、もう既に足が終わっている上に強度の高所恐怖症である私はパスすることにして馬場方面の見学に向かう。

左・中央 陣屋右手にある砲座  右 馬場方向に登っていく

左・中央 途中にも砲座がある  右 馬場はその先
 

 馬場は大分進んだ先の尾根筋上にある。何段かの平地になっているが、馬を乗り回すに十分と言える広さではない。ここまで来るとこの山のかなり端の方になっており、一番突端には電波アンテナが立てられている。ここから直接下に降りられると楽なのだが、どこにも下に通じるルートはなさそうなので、再び延々と戻ってから下山することになる。

左 尾根上を進む  中央・右 その先が馬場

左 馬場の先端にアンテナが見えてくる  中央 ここは城域の端  右 周りは竪堀などで固めてあり急だ
 

 かなり大規模で堅固な要塞であった。大兵力を伏せる城郭ではなくて、小兵力で半ばゲリラ戦で徹底抗戦するための城郭と言う印象。攻める側としては、こんなところに立て籠もられたら嫌だなと思うような城郭であった。結局黒田はここを力攻めで落としているのだが、被害は馬鹿にならなかったろうと思われる。

 

 長岩城の見学を終えると耶馬溪方向に戻る。途中で渓石園なる庭園があったので立ち寄る。紅葉がかなり映えて綺麗。

 

 一目八景を中心とした深耶馬渓周辺はかなり車がひしめいている。ここの公共駐車場に車を置くとプラプラと散策。オンシーズンと言うことで観光客目当ての出店なども多数。とりあえず地鶏の串焼きを頂く。堅めの肉が味わい深い。

   

 一目八景は観光客がひしめいて押すな押すなの状態。辺りの道路にまで観光客が溢れていて、おかげで周辺道路はバスなどがつかえて渋滞の状態。大変なことになっている。とりあえず私も展望台で写真撮影をすると、隣の「八景店」のそばまんじゅう(80円)などを頂きながらマッタリ。またこのそばまんじゅうがうまい。

左 すごい山である  中央 辺りは大混乱  右 一目八景展望台

 

八景店で名物のそばまんじゅうを頂く

 昼食を摂っていなかったので近くの土産物屋「ほどひら」「そば定食(1200円)」を頂く。そばはしっかりしてうまい。付け合わせは山菜を中心とした料理。味は悪くないが好き嫌いのある内容ではある。なお付け合わせの自家栽培という椎茸の辛子漬けが思い切り鼻に抜けるような強烈な逸品。何かクセになる味だったので土産に一つ買い求める。

   

 耶馬溪は一大観光地であった。辺りの山は断崖絶壁で実に日本離れした水墨画の世界のような風景である。日本もいろいろなところがあるものだと感心。

遊歩道を経由してフラフラと駐車場まで戻る

 耶馬溪を一回りした頃には三時過ぎ。耶馬溪を後にするとそろそろ今日の宿泊地である湯布院まで移動することにする。玖珠ICから再び大分自動車道に乗ると高速を突っ走って引き返す。行きは西鉄バスが爆走していたが、今度は亀の井バスが爆走している。追い越し車線から他の車を牛蒡抜きである。バスがここまで高速で疾走するのは九州以外では見たことがない。

 

 私も湯布院に向かって快調に走行していたのだが、途中で思いがけないアクシデントに遭遇することになる。トンネルを走行中に突然ガチンとものすごい音が車から出て、もしかして車のどこか壊れたのかと思ったら、フロントガラスにヒビが入っていた。どうも飛び石にやられたようだ。仕方ないので湯布院ICで高速を降りると、タイムズに電話で連絡を取る。代車を用意してくれるとのこと。今晩、宿泊旅館の方まで持ってきてくれるらしい。助かった。

 

 何だかんだで時間を取ったが、それでも湯布院に到着した時には旅館のチェックイン時間の4時までまだ余裕があったので旅館に入る前に金鱗湖を訪れることにした・・・のだがこれは大失敗だった。周辺の道幅が狭い上に観光客がやたらに多いせいで周辺は大渋滞。前で激烈に運転が下手なベンツが進退窮まって立ち往生している。どうして車幅感覚もないような下手くそに限ってでかい車に乗りたがるのやら・・・。とにかく車のすれ違いがギリギリな狭い道路に観光客がひしめいてにっちもさっちもいかない。とりあえず観光はそっちのけにしてまずは脱出を最優先に出口を求めてウロウロすることに。すると驚いたことにこんなところにまで観光バスが入ってきている。そこでそのバスについて行ってようやく難所を脱出。

 

 金鱗湖で散々な目にあっているうちに旅館のチェックイン時刻になったのでとりあえず旅館に向かうことにする。今日の宿泊旅館は蓮輪旅館。しかし電話番号をカーナビに入れて到着した先は全く見当違いのとんでもない場所。改めて地図を確認してようやく旅館の近くまでやってきたものの、最後の最後で場所がよく分からなくて(入口にたどり着けない)ウロウロする羽目に。結局は旅館に電話して誘導してもらう。

 旅館は路地の奥のかなり分かりにくい場所にあった。部屋が5つほどの小さな宿である。すぐ裏手をJRの線路が通っているので、たまにそこを特急ゆふが走り抜けたりしている。表に露天風呂が2つあり、これを貸切で自由に使えるようだ。すぐに風呂に入りたいところだが、その前に日没までに金鱗湖にリターンマッチしておきたい。旅館で自転車を借りるとこれで金鱗湖まで出向く。

 

 金鱗湖までは遊歩道を通って10分もかからない。湯布院は平地が多いので、どうやら自転車で移動するのが最強のようである。最初からこうするべきだった。つまり由布院観光は駅からレンタサイクルで回るのが正解ということか。確かレトロバスも走っていたはずだが、観光地周辺は道路が大渋滞しているから今日なんかはまともに動くか怪しいものである。

 

 金鱗湖周辺は観光客目当ての店などが林立した一大観光地。また観光客相手の美術館などもあるようだが、この手のリゾート型美術館で入場料に見合った中身のあるところは少ないし、もう時間もあまりないしと言うことで今回はパスする。

 

 金鱗湖はそう大きな湖でもないが風光明媚で、周辺にはホテルなども多い。なおここの湖水は湖底から湯が湧いているとのことで冬でも凍結せず、冬になるとよく朝霧なども立ち上るらしい。冬の由布院はとにかく霧が出やすい地域で、昨日高速でここを通過した時にも由布院の盆地が丸ごとに霧に埋まっていた。その霧の発生地がこの金鱗湖だとか。

 

 金鱗湖の見学を終えると日没までに旅館に戻って露天風呂に入浴する。ここの露天風呂は華の湯と愛の湯の2つがあるが、最初は大きな岩風呂の華の湯から。泉質はアルカリ泉とのことでかなりヌルヌル感が強い湯。この湯がダバダバとかけ流しされている。湯が非常に肌にしっくりと馴染んで快適である。思わず「最高」という言葉が口から出る。

左 風呂は戸外にある  中央 こちらが華の湯  右 愛の湯はヒノキ風呂

 入浴を済ませてサッパリすると部屋でしばしぼんやりと過ごす。夕食は6時から。ここの売りはスッポンを自家養殖しているので安価に食べることができるということ。スッポン料理は食べに行っても高いだけでなく、お二人様から縛りが多いので、私のような一人客には非常にあり難い。

 

 メニューはスッポン鍋にその他。スッポンは特にクセがなく普通にうまい。殊更に意識しないとゲテモノ感は皆無。何しろすべて切り身になっているので元の状態は分からない。味としては鳥系かなという印象。卵などの内臓の料理が意外にうまかった。なお生き血は焼酎割りにしてあったが、私は生き血には抵抗がないのだが焼酎の方が駄目なのでパス。なお甲羅の縁などにいわゆるコラーゲンが大量にあるので、これは美肌の湯と合わせてかなり強烈な美肌効果がありそう。このプヨプヨのコラーゲン部分が食べた中で一番多かった印象。なおスッポンの甲羅の骨は開運アイテムとしてお持ち帰りである。これが「命を頂く」ということか。

 夕食を終えると部屋でマッタリしているうちにタイムズから代車を持ってきたという連絡が入る。代車は黒いフィット。急遽調達したのか、小さな傷が目立ってシートにくたりもみられるやや年季の入った車である。なおここまで使用したガソリンは距離計算で返却時に精算になるとのこと(満タン返しより割高になる)。これはやむを得ないところ。

 

 車の件が片づいたところで再び入浴。今度は愛の湯の方へ。こちらは小さい桧風呂。先ほどと湯は同じはずだが、こちらの方が風呂桶が小さいので湯の入れ替わりが早いのか、湯の鮮度が華の湯よりも良いという印象。

 

 風呂から上がると疲れがどっと押し寄せてくる。しばしテレビをぼんやりと見ていたら激しい眠気が押し寄せてきたので早めに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 結構爆睡したのだが、昨晩の就寝が早すぎたせいか6時前に目が覚めてしまった。仕方ないのでしばしぼんやりしてから朝風呂に目覚ましに行く。外はいささか寒いが、今日はこれでも普段よりは随分暖かいのだとか。いつもなら3度とからしい。

 

 朝食は8時から。ごく普通の和食である。朝食を済ませると再び入浴に出向いてから9時頃にチェックアウトする。安い宿であったので至れり尽くせりのサービスという宿ではなく、むしろ自由放任の宿であったが、私の場合はかえってそれが気楽で良かった。すぐ裏手がJRの線路なので、そこを列車が通る時には結構音がするというのが難点と言えば難点。ただ久大本線はそう本数も多くないし、由布院駅の近くで速度も落ちているし、深夜の運行もないので実際にはあまり気にならない。飯もうまかったし湯も良かったのでCPを考えるとまずまずだろう。なお外国人観光客が多いのか宿内のあちこちにハングルの表記が見られたので、信仰上の理由で発狂するような輩もいそう。まあそんな輩は大抵は部屋の中からせいぜい近所のコンビニまでが活動限界なので、こんなところにはやって来ることはないか。

 宿を出ると由布院を後にする前に大杵社に立ち寄ることにする。ここには樹齢1000年とも言われる大杉があるとか。大杵社の前まで車で上がれるが、そこは車で進むことをためらうぐらいの狭くて急傾斜な道。手前に「この先に駐車場あり」の看板がなければとても怖くて上がっていけない。大杉はかなりの巨木であり、由布院の朝霧とも相まって荘厳な空気を漂わせている。こういうのを見ると、人類の一番原始的で素朴な信仰としての自然崇拝が納得できる。宗教の堕落はどこかの野心家がそれらの素朴な信仰を自身に対する個人崇拝に結びつけた辺りから起こっており、その堕落は今日に至るまで続いている。

左 大杵社  右 大杉を後から

左 かなりの巨木だ  中央 内部には空洞があるようだ  右 大杉

 由布院を後にすると国道210号線から国道387号線に乗り継いで杖立温泉を目指す。本遠征は別府から由布院、杖立という温泉巡りスケジュールになっている。国道210号線はほとんど高速並にビュンビュン車が流れているし、国道387号線は山道ではあるものの概ね整備されているので走行は快適。ただところどころカーブのきついところがあるので要注意。走行中に後ろからバイクのツーリンググループが接近してきたので道を譲って先に行かせたら、10キロほど進んだところで事故ったらしき彼らを発見。調子に乗って飛ばしすぎると危険である。

 

 1時間ちょっとで杖立温泉に到着する。杖立温泉は山間部のかなり鄙びた温泉。公共駐車場に車をおいてしばし温泉街を散策する。杖立温泉は山間の川沿いの温泉地なのでかなり傾斜がきつく、路地や石段の奥に小さな旅館が並んでいる。地形としては東山温泉などに近いが、大型ホテルがほとんどなくて小規模な旅館が多いのが町並みの特徴。風情のある古い温泉街という印象である。多分過去には結構繁盛していたのだろうが、近年は湯布院や黒川温泉に押されて人気にかなり陰りが出ているとか。そのせいか町並みにいわゆる現代的なオシャレさはなく、されが逆に風情につながっている。もっとも今時の若い女性に受けそうな風情ではないのは確かだ。

あちこちから湯煙の立ち上る杖立温泉は路地の多い鄙びた温泉街
 

 杖立温泉を一周したが、まだ午前だし宿のチェックイン時間までは何時間もある。ここでボンヤリと何時間もつぶすのは事実上不可能。これはどこかに立ち寄るべきだろう。ここから近くと言えば日田だが、日田は以前に訪問した時に大抵観光し終わっている。さてどうしたものかと考えた時、頭に浮かんだのは筑後吉井。ここも日田と同様に重伝建に指定されており、以前に日田を訪問した時に立ち寄っているが、時間の制約でほとんどとんぼ返りでざっと見てきただけである。カーナビで調べると大体1時間ちょっとぐらいで行けそうだ。ここまで足を伸ばすことにする。

 

 国道212号線を北上、日田の手前で東進に転じてうきはを目指す。その途中で「国指定重要文化財行徳家」という表示が見えたので立ち寄ることにする。

 

 行徳家とは久留米藩の御殿医の末裔のお屋敷だそうな。子孫が現在も医者らしいが、今は別の場所で開業しているので、この住宅を市に寄贈したらしい。市の方ではそれを旧状に復元して無料で公開しているようだ。なかなかに立派な屋敷で、確かに旧名家という趣。行徳家は現在も末裔が医者だからこの屋敷を維持できたが、これがただのサラリーマンなんかになっていたら、屋敷が維持できずにとうの昔につぶされてしまっていたのがオチ(税金で取られたマンションになったという例が多い)。茅葺きの屋根が趣があるが、庭園の紅葉も綺麗である。

かなり立派な庭園を持ち、内部の細工も手が込んでいる
 

 行徳家の見学を終えると筑後吉井に移動。まずは民俗史料館に立ち寄ってこの地域に対する基礎学習。この辺りはかつては干ばつや水害に苦しめられたらしいが、この地域の五庄屋が私財を投じて堰を築いて水路を建造し、この辺りを豊かな土地に作り替えたらしい。このエピソードは地元では今でも偉業として語り伝えられており、小学校で習うとのこと。まさに郷土愛というものである。民俗史料館にはこれらの故事に関連した展示がされている。

 

 民俗史料館から隣の観光駐車場に車を移してから町並みの散策に入る。筑後吉井の町並みは水路沿いに伸びているが、この水路が件の五庄屋によって建造された水路で、これのおかげでこの地は農業だけでなく水運による商業も発展して豊かになったという。現在残っている白壁土蔵造りの住宅は、かつての商業地の名残である。

水路沿いを中心に趣のある町並みが続く
 

 町並みの中にある居蔵の館、鏡田屋敷を見学。居蔵の館はかつての豪商の邸宅で、内部が吹き抜け構造になっているのが特徴的。鏡田屋敷は幕末の郡役所だったとのことで、大正期に建て増ししたとのこと。ここに居住していたのはかつて郵便局長を務めた人物で資産家だったようだ。立派な建物だが、増築部分が趣が変わっているのが印象的。とにかく今日では入手困難なような良い材料を利用している。

居蔵の館は吹き抜けが特徴的な邸宅

鏡田屋敷は元役所らしく、しっかりとした造り
 

 水路沿いの見学を終えると白壁通りを抜けて国道210号線沿いの表通りに。ここはかつての宿場町の名残があるというが、明らかに後に手が入っているようである。前回の訪問時にはこの辺りをザクッと見学しただけで終えていたので、メインステージは今回初めて見学できたことになる。

白壁通りを抜けて表通りへ
 

 もう昼を過ぎているのでどこかで昼食を摂りたいのだが、意外なほどに飲食店がない。ようやく見つけたのは「ペルー軒」というラーメン屋。ここで昼食を摂ることにする。

 

 中は普通の町のラーメン屋であり、なぜペルー軒なのは謎。注文したのはチャーシュー麺とおにぎり。チャーシュー麺は一面にチャーシューの乗った結構豪快なもの。味はややあっさり目(私の好みから言えば若干あっさり過ぎる)。どこの町にも普通にあるラーメン屋というところである。

   

 昼食を終えたところで筑後吉井を後にして長躯して杖立温泉に戻る。さすがに結構疲労があり、この行程はしんどい。実際に走ってみると筑後吉井は「ちょっと立ち寄る」という距離ではなかった。再び杖立温泉に戻ってきたのは夕方頃。今日の宿泊旅館はふくみ山荘。杖立温泉の路地の奥にある旅館である。手前の駐車場に車を置くと、キャリーをゴロゴロと引いて旅館へ。旅館は古い建物を一部リニューアルしたというもの。建物には年季を感じるが室内は綺麗になっている。

 

 まずは何はともあれ入浴。ここは浴場が二つあり、一方が露天風呂付き。これが時間帯で男女交代。午後7時になると露天風呂付きの方が女湯になってしまうと言うので、とりあえず露天風呂に入浴に行く。やや高台にある旅館なので露天風呂はそこそこ眺めが良い。ただお湯が熱すぎてあまりゆったりと浸かるという感じではないし、結構周りから丸見えに感じられるのが落ち着かない。

 

 夕食は一般的な会席。味は普通だが、ボリュームは結構ある。

 夕食後は再び入浴してマッタリ。なお杖立名物の自家製プリンを頂いた。若干苦みがあってなかなか美味。ゆったりしたところで布団に横になっていたら自然に眠くなる。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時頃まで爆睡していた。7時頃になると廊下や上階がバタバタ始めるのでそれで目が覚める。ここの旅館は悪くはないのだが、建物が古いせいで足音がもろに響いてくるのが難点である。

 

 目が覚めたところでまずは朝風呂。そして8時から朝食である。朝食はオーソドックスな和定食。あー、ホッとする。

  

 朝食後にもう一風呂浴びて9時過ぎにチェックアウトする。実はこの時点で今日のプランはほとんどできてなかったのだが、宿のご主人が近くの見所を紹介してくれたので、それに従うことにする。

 

 最初に立ち寄ったのは鍋ヶ滝。固い岩盤と柔らかい岩盤が積層になっていて、下の柔らかい岩盤が浸食されることによって、滝の裏に大きな空間があるという独特の形状になっている滝である。大して高度差のある滝ではないが、水のカーテンといった趣でなかなか美しい。現地は駐車場まで完備されていて多くの観光客で賑わっている。

 熊本の有名人が彼女同伴で来ていました

 鍋ヶ滝の次はその近くの坂本善三美術館。巨大な茅葺きの農家のような屋敷が美術館になっている。建物はなかなか趣があって良い。ただ坂本善三の作品は抽象絵画系で私にはあまり興味がないところ。

 これで大体この辺りでの見学は終了。後は大分に移動することにする。往路は国道387号を経由したので、同じ道を通るのも退屈なので県道40号を経由するルートを取ることにする。国道442号線を東進、黒川温泉を過ぎた辺りで県道40号に入る。しかし県道40号はいきなり狭い山道のワインディング道路。両側から紅葉した樹木が迫ってくる中を延々とドライブすることになる。また温泉街道といっても良いぐらい沿線には多数の温泉がある。時間に余裕があればどこかに立ち寄りたいところだが、今日はそこまでは余裕がないので素通り。走っていて面白い道ではあるが、ただ走るだけだとやはりひたすら疲れる。もう少しプランニングを考えておくべきだったといささか後悔。かなり疲れた頃に大分自動車道の九重ICに到着。ここから高速を別府まで突っ走る。

 

 別府に到着したところでまずは昼食を摂りたい。もう昼食を何にするかは頭の中で決まっている。そもそもわざわざ別府に立ち寄ったのもそのため。現在、私の頭の中はすっかりボルシチが占めている。そういうわけで「馬家溝」に急ぐ。しかし昼時のせいで店は大混雑、近くの駐車場は空きがなく、かなり離れた駐車場まで車を置きに行くことに。しかも店の前にも待ち客がいる状態。通常なら私は食事のために行列に並ぶという価値観の持ち合わせはないのだが、ここだけは話が別である。どちらにしても今日はもう予定がないに等しい。こうなればとことんまで待つ覚悟である。

 結局は席に着くまでに20分程度待たされ、さらに席に着いてから料理が出てくるまでに40分待たされた。煮込み料理は時間がかかるのである。注文したのは当然のように「ボルシチ」。これに今回はさらに「タンサンド」を追加する。

 ボルシチの酸味と旨味が体に染みる。そう、私を虜にしたのはこの味なのである。これにとりつかれたおかげで年に一度は別府を訪問しないといけない羽目になってしまった難儀な味である。さらにまた今回初注文のタンサンドがうまい。自家製のスモークタンをキュウリと一緒にパンに挟んだというシンプル極まりないメニューなのだが、このスモークタンが味わいといい柔らかさといい絶妙。「うまい。あり得ない。」という言葉が自然に出てしまう。これにデザートにプリンを付けて昼食を堪能した。結局は昼食だけに1時間半ほどかけた計算になるが、それだけの価値は十分にあった。これで本遠征の最終目的が終了・・・というわけではないのだが、なぜかそういう気持ちになってしまう。

 

 まだ時間があるし、別府まで来たのだからやはり入浴するべきか。調べたところ「ひょうたん温泉」なる日帰り施設があるらしいので立ち寄る。駐車場は満車でしばし待たされる。人気のある施設らしい。

 中は男女別の大浴場と混浴の砂風呂があるらしい。私は砂風呂には興味がないので大浴場に。大浴場はいくつかの内風呂があり、その中には名物瀧湯なるものがあり、これは要はうたせ湯。肩こりには良さそうだが、四十肩の場合は痛いだけ。結局は露天や内風呂に浸かることに。泉質はナトリウム・塩化物泉でかけ流しとのことだが、入浴客が多いせいかお湯にあまり鮮度を感じない。杖立温泉と同系統の泉質だけに、どうしても比較してしまうとツライ。

 

 入浴を終えるとレンタカーを返却しないといけないので大分に移動する。ただレンタカーを返却する前に一カ所立ち寄る。


「有元利夫展」大分市美術館で12/7まで

 中世フレスコ画に影響を受けた独特のスタイルの画風で知られた画家の展覧会。

 フレスコ画に限らず、バロック音楽などとにかく古典に影響を受けたようで、その画面は現代作品にも関わらず妙に古びて独自の静寂性を持っているのが特徴である。独特の東進のおかしな人物像に妙な浮遊感などの非現実性。画題的はシュルレアリスム的なのであるが、その画面はあくまで古びた教会の壁画のような落ち着きがある。独特で妙な作品なのだが、何とも表現しがたい魅力を持っているのも事実である。

 惜しむらくは38才という若さで夭折したこと。かなり突出した個性を持っているだけに、晩年まで同じスタイルを守り続けるのか、それともどこかで劇的な変化を遂げるのかを見届けたかったという気持ちが湧いてくる。


 大分市美術館は意外と広いので、常設展まで見ていたら予想外に時間がかかってしまった。これは急いだ方が良さそうだ。ただ問題は大分駅周辺にはガソリンスタンドがないこと。結構遠くまで回る必要がある。しかもここに来てカーナビがとんでもない道路を案内。あり得ないような路地をグルグル回る羽目になり(何しろ道幅が狭すぎて交差点で曲がれない)、神経と時間を浪費してしまう。そうこうしている内に帰りに乗るはずの特急の発車時間が刻々と迫る。

 

 結局レンタカーを返却して大分駅に到着したのはソニックが発車した2分後だった。レンタカーを単に返すだけならギリギリだったかもしれないが、車を差し替えたことでガソリン代の精算があったりなど手続きが手間取ったのが致命傷になった。やらかしてしまった・・・。仕方ないので次のソニックの自由席で移動することにする。ただそれだと小倉で途中下車して夕食を摂るつもりだったのが、その余裕が全くないどころか乗り換えの時間でさえカツカツである。これではあんまりなのでエクスプレス予約でもっと遅い時間の新幹線に振り替えようとするが、新幹線に全く空きがない。やっぱり三連休の最終日というのが効いているのか。とんでもない状態のようだ。これは弁当でも買うしかないだろう。

 

 ソニックは大分駅始発なので自由席でも座席の確保ができる。実はこういった事態も見越してあえて別府からではなく大分から帰ることにしていたというのもある。そう遠征とは常に二手、三手先を考えて行う必要があるのである。この周到さが仕事に生かされていたら、私も今頃は・・・やめておこう。

 

 小倉までの移動は疲労のためかほとんど爆睡状態だった。小倉に到着するとエクスプレス予約の切符を受け取って慌ただしく乗り換え。しかし乗り換え改札が大混雑している。どうも自動改札に慣れない親子連れなどがエラーを続出させているようだ。もっとも切符とICカードなんかが併用になった場合の扱いは煩雑すぎて、私でも未だによく分かっていない。特に小倉駅のようなJR各社間の接続駅はその煩雑さに拍車がかかることになるのである。明らかにシステムがまずいし、これも分割民営化の弊害の一つ。大分時間をとってからようやく改札を抜け、さて弁当でも買おうと思うとなんとどこの売店も弁当は品切れ。一体何が起こってるんだ?

 

 結局弁当は車内販売で購入することと相成った。ここで買えなかったら、空きっ腹を抱えて帰宅するしかないところだった。弁当で腹を満たすと半分ウツラウツラしながら新幹線で家路につくのであった。

 

 三泊三日の九州大遠征だったが、立ち寄った美術館は2カ所、城郭は1カ所という完全に温泉ツアーだったのが今回。段々と遠征の趣旨が爺臭くなってきた。しかしその割にはなぜかゆったりと慰安旅行ではなく、やけに疲れが残っているのは? 結局は車で走りすぎたのが大失敗。杖立温泉が思いの外の秘境だったのと、やはり筑後吉井は杖立から少し立ち寄るという距離ではなかったというのが大失敗の一因だが、それ以前に遠征全体を通してあまりにも動線が滅茶苦茶だった。毎回毎回こうもしでかしてしまうとは、私もあまりに学習能力がなさ過ぎる。と言うか、遠征に出かけるとバーサーク状態に突入してしまい、行動力は三割増しになるのだが知的能力の方が七割減になってしまうんだよな・・・。年だけくってもいつまで経っても「円熟」という境地に至らない私。「成長しない」では格好が悪すぎるので、「永遠の少年」とでも言い換えておくか。情けねぇ・・・。

  

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