展覧会遠征 加古川編

 

 一昨日の木曜日、仕事の都合で東京日帰り出張という強行軍でそのダメージがまだ身体に残っている。この週末は家でおとなしくというのが常識的な判断だろう。しかしそうしたらそうしたで今度は精神の方が滅入ってくる。結局は悩んだ末に出かけることに相成ったのである。

 

 まず最初は美術館。


「美術館へ行こう!〜ディック・ブルーナに学ぶモダン・アートの楽しみ方」姫路市立美術館で9/1まで

 

 ミッフィーで知られるオランダの絵本作家でありグラフィックデザイナーのディック・ブルーナは、かつて美術館でモダンアートに触れたことで刺激され、この道に進むことになったという。その彼に倣ってモダンアートを楽しもうという展覧会。

 第一部は姫路市立美術館が所蔵するモダンアート作品を、簡単な解説と共にいろいろな観点から見てみようという内容。第二部はブルーナの作品を展示してある。


 典型的な夏休み企画。子供を芸術に触れさせて感性を磨くというのは悪くはない。ただその対象としてモダンアートはどうだろうかというのは本音。と言うのは、モダンアートの中には勘違いの自己満足作品が少なくないからである。そもそも自称アーティストなんてのは、自称作家と並んでニートが実態を誤魔化すための肩書きの筆頭である(かの石原家の息子の中にも一人いるが)。そんな輩の作品を見て「こんなものを作って生活できるならおいしい仕事だよな」と子供が楽な仕事の代表として目指してしまうと大変なように思うのだが。

 

 疲れているのだからおとなしく美術館だけで帰ればよいのだが、一端出かけた以上火がついてしまうのが私の性分。近くの山城を訪問することを思いつく。この時に訪問したのは「中道子山城」。加古川北部の山間部にある赤松氏の山城である。

 山陽道を加古川北ICで降り、県道43号を南下、案内看板に従って東の山の方に向かう。最後は「本当にここに入れるの?」という狭い道に折れることになるが、そこを進むと案内看板と駐車場が完備されている。舗装道路はそのまま山中まで続いているのだが、車止めがあって「許可車両以外禁止」の表示がある。車のすれ違い不可の狭い道が最後まで続くのと、歩行者もいることから事故を防止するためか。しかしこんなところこそ「自己責任」で行かせれば良いのに。日本では行政が本来責任を持つべき福祉などを削る際に「自己責任」という言葉を的はずれな使い方をするのに、本来この言葉が適用されるべき場合にはそれを避け、結果としては一人の馬鹿のために一万人が不幸になるという結論にしがちである。

左 駐車場  中央 登山道には車止め  右 細い山道だが舗装はしてある

 駐車場に車を置くと舗装道路を徒歩で登る。しかしこういう時の舗装道路は足にキツイし暑いしとろくなものではない。歩くこと10分ほど。旧登山道との分岐にさしかかる。旧登山道の方を見るとロープをぶら下げた急な道で、これを見ると大抵の者はそれだけでひるむだろう。ただ事前の調査では、このような道は最初だけなので近道のこちらを通った方がよいとお城マニアの先達は言っている。そこで私もそれに従うことにする。

旧登山道

毘沙門岩

そこから先の山道

これが鎖場コース

 確かにロープで登るのは最初の毘沙門岩のところだけで、その後は普通のキツイ山道である(ちなみにこのコースの横に、さらに近道のルートもあったようだが、そっちはもろに「鎖場」と書いてある)。せっかちで体力が底なしの山城マニアならこんな道はものともしないだろうが、まだ身体の疲労が抜けきっていない身にはかなりつらい。それと季節柄クモの巣も多いので、そっちが駄目な者なら無理だろう。

  

旧登山道を延々と登る

 伊右衛門を片手にヒーヒー言いながら登り続けることしばし、完全に息が上がった頃にようやく大手門の表示があるところにたどり着く。

 この辺りが大手門

 ここから登ると櫓跡と曲輪がある。ここの曲輪には何やら放送設備のような施設があるのだが、これは電波反射板だそうな。

左 登っていく正面が櫓台  中央 櫓台  右 電波反射板のある曲輪

 ここを抜けて曲輪に沿って斜めに登っていくと櫓門を抜けて城の本体である。この道を通る敵は必然的に上の曲輪からの総攻撃に晒されるという構造になっている。

左 正面が本丸方面、左手が三の丸方面  中央 左手が一段高い曲輪  右 曲輪の中は鬱蒼としている

 櫓門を抜けた右手が本丸で左手が三の丸とのことだが、三の丸の手前に一段高い曲輪があり、これは正面を守っているのか。

左 上の曲輪から本丸方向を見る  中央 堀の跡  右 この辺りが本丸の門跡

 この曲輪と本丸の間には堀の跡がある。城門を通って本丸方面に進むと最初は土塁に囲まれた米倉で、その先に広い本丸がある。ここからはダム湖を見下ろせる。また北東部に土塁が残っている。

左 本丸入口にある米倉  中央 米倉を囲む土塁  右 本丸

本丸風景

左 本丸からの風景  中央 回りは湖が多い  右 本丸北東の土塁

 本丸から三の丸方向に進む間に井戸があるようだが、鬱蒼としていてどこが井戸かは判別できず。また複数段になった三の丸の脇に搦手門があるとのことだが、これも鬱蒼としていて踏み込む気になれずである。

井戸の表示に従って進んでみたが、鬱蒼としてわけが分からず

三の丸は複数段になっている

 城を一回りして大手門のところまで降りてくると、ここから一番下の曲輪の先に行ってみる。するとそこはかなり風景が開けた展望台。この山はパラグライダーの基地になっていたようだが、その飛行場だろうか。吹き上げる風がかなり強い。

大手門のところをそのまま直進すると見晴らしが開ける

 いかにも赤松氏の城郭らしい高い山上での山城であった。赤松氏の山城と言えばこういうパターンばかりである。ただここの山城も置塩城などには及ばないまでもかなり見所のある山城である。このクラスの山城が全国的には知名度皆無というのはこの世界も奥が深い。

 

 帰りは新道の方を通って戻ることにするが、山城の先達が旧道を勧める理由が納得できる。新道は舗装道路に出るまで延々と階段で、これが結構段差があって足にキツイ。確かにこれなら自分の歩幅で歩ける山道の方が慣れている者には楽だろう。私も杖を使いながらなるべく膝に負担をかけないように注意して降りたが、翌日にはかなり下肢がだるくなっておりダメージを思い知ることになるのである。

   階段とその先の舗装道

 そのキツイ階段道を降りてくると舗装道路に出る。舗装道路の終端には明らかに車を停めておけるスペースがあり、確かにこれを見ると「なんで車で登ったらあかんねん」と言いたくはなる。

 

 中道子山城の見学を終えると次の目的地へと向かうことにする。次の目的地は「金鑵城」。赤松氏の配下の中村景長が築いた城であるとのことだが、現在は遺跡公園として整備されている。

左 手前の曲輪にある住居跡  中央 橋で堀切を越える  右 堀切は結構深い

 広く市街を見渡す台地の先端を堀切で分断して城郭としている構造になっている。なお城跡では弥生時代の竪穴式住居跡も発見されており、復元された中世の城郭と共に複合遺跡の様を呈している。

左 復元門  中央 本丸風景  右 建物跡

 堀切は結構深く、そこに土塁と木柵であるから、シンプルではあるものの十分な防御力を持っている。中世の城郭がどういうものかをイメージするにはなかなか良くできている。

左 復元井戸  中央 見張り櫓の方へ  右 見張り櫓

 本丸からさらに下がったところには櫓が復元されている。ただしこれは「遺跡の復元物であって建築基準法に従っていない」という理由で登れないように封鎖されている。

城から見渡せるのは豊かな田園風景

 これで本日の見学予定は終了。ただ帰宅の前に炎天下でかいた汗を流したい。立ち寄ったのはこの近くにある加西天然温泉根日女の湯

 昼食がまだだったので、例によって遅すぎる昼食ではあるが生姜焼き定食を頂いてから入浴。ここの施設は露天風呂に特徴があり、和風庭園の風呂と洋風庭園の風呂が男女で日替わりになっているらしい。私の訪問時は和風が男湯。

 泉質は弱アルカリ性塩化物泉とのこと。無味・無臭・無色でありお湯自体にはあまり特徴はない。ただ広々とした露天風呂は気持ちがよい。入浴客は地元民が多そうな印象であった。まあ取り立てて難はないが、特別な魅力もあまりない。

 

 さっぱりと汗を流したところで帰途についた。それにしても、疲れているからということで近場にしたはずなのに、気がつけばハードな登山になっているという意味不明な行動。最近は「身体が疲労しているから、少し山で身体をほぐすか」というわけの分からないことを言うこともあり、家族からも変態扱いされる始末。どうもアウトドア派に転向してから、思考まで体育会系になってきたような気も・・・。

 

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