展覧会遠征 備前編3

 

 さて今週末であるが、ちょうど姫路市美術館で興味を惹かれる展覧会が始まったようである。さらについでに山城で一カ所立ち寄っておきたいところがある。それは岡山の松山城・・・と言えば100名城の備中松山城の方になってしまうから、区別をするなら備前の富田松山城である。

 

 富田松山城は実は前回に姫路市立美術館に行った際についでに立ち寄る予定だった。しかし当日になって出発が遅れたため、最寄りの備前片上駅の前まで来たところで時間が不足と判断して素通りしたのだった。そこで宿題として残っていた次第。

 

 当初予定ではまず姫路市立美術館を訪問、それから富田松山城を訪問するつもりだった。しかし天気予報によると今日は午後から雨がぱらつくとのこと。雨が降れば山城攻略は困難どころか場合によって危険なこともある。これは午前の内に訪問しておく必要がある。そういうわけで順序を入れ替えて、直接に「富田松山城」を目指す。

 備前片上駅前まで車でやってくると、ここから住宅地を南進する。住宅地のはずれの山の手前の辺りにグランドがあり、その脇に富田松山城の案内看板がある。そこで車を停めると山道を登っていくことになる。

左・中央 グランドの近くに案内看板がある  右 そこから少し進むと登山口

 富田松山城は、戦国期にこの辺りに勢力を張り天神山城なども領していた浦上氏の居城である。しかしその後、宇喜多直家の台頭によって天神山城と共に落城、廃城となっている。

立ち入り禁止のフェンスに沿って山道を進むと、城主自らが看板でねぎらってくれる

 私有地立ち入り禁止のフェンスに沿って道を進むと墓地のところで道が二つに分岐しているが、方向から判断して右のルートをとる(結果としてはこれが正解だった)。そこから進むとグルリと回り込むかたちになるが、山道は整備されていて足下に不安はない。不安なのは体力だけ。直に息は上がってくるが、城主浦上国秀が看板でねぎらってくれる。

 風景を眺めながら一息

 10分程登ると高圧線の鉄塔がある。ここまでで既にかなりの高度を上がっている。しかし山頂はまだ上に見えており、まだまだ中間というところ。さらに進むと見晴台のような休憩地があるので、伊右衛門で給水。

 分岐点にさしかかる

 ここからヒーヒー言いながら登っていくと、本丸跡まで300メートルの標識と共に分岐点にさしかかる。ここは迷わず本丸方向へ進む。

左 東出丸に出る  中央 土塁跡は今一つ不明瞭  右 すごい風景だ

左 後ろに見えるのが雨乞い跡  中央 前方に見えるのが本丸  右 道は一端下ってから登る

 ここから斜面を階段で直登すると開けた山頂に到着する。ここが東出丸。見晴らしはかなり良いし、周囲には土塁の跡が残っている。面積はそこそこあるので、それなりの兵力を配置できたと思われる。本丸はここから見ると隣の山頂。一端降りてから再び登ることになる。位置エネルギーとしては降りてから登るのだから差し引き0だが、実際に歩く場合は下りも登りもそれぞれ足腰への負荷が強いので、差し引き0どころか2倍以上の運動である。これが物理学と肉体運動の違い。なんてウダウダ言っているが、とにかくこの行程はかなり恨めしい。

岩盤を堀抜いた堀切

 道は容赦なく下ってから再び登りにさしかかる。足下がよたってきた頃に搦手筋という看板に出会い、近くに堀切がある。この堀切は岩盤を堀抜いてあり、かなり険しい。堀切を作りつつ、石垣用の石を切り出したのだろうと思われる。

左 案内に従って登る  中央 簡易トイレのある三の丸を越えると  右 本丸に到着

 先に進むと本丸跡の入口裏門との看板があるのでそこから本丸へ登る。途中で急造りのトイレが設置された三の丸を抜けると、ようやく本丸に到着である。

左 城跡碑  中央 土塁が巡らしている  右 土塁の切れ目が大手筋

 本丸は周囲に土塁が巡らしてあり、結構な広さがある。ここからは辺りを一望できるのでこの地域を守る要衝として最適である。西側は湾と川で天然の外堀となっており、本丸下には西側斜面に複数の曲輪で守りを固めてある。明らかに西側の防衛を重視しての造りである。

左・中央 二の丸  右 二の丸から見た本丸

左 二の丸下にも複数の小さい曲輪が  中央 これは三の丸方向に続く曲輪  右 大手曲輪には石垣らしきものも

左 大手腰曲輪  中央 曲輪の奥には井戸の跡がある  右 最下段の犬走り

 本丸を一周すると西側の曲輪に降りる。西側斜面には二の丸、大手曲輪、大手腰曲輪などの複数の曲輪が取り囲み、その外に犬走りも通っている。それぞれの曲輪はさして広くはないが、とにかく数が多い。また腰曲輪には井戸の跡もある。地形を活かしたかなり堅固な城であったと言える。しかしこの堅固な城をもってしても、台頭する宇喜多直家に対抗することは出来なかったのである。

 雨乞い跡地

 本丸周辺を見学すると再び東出丸に戻り、そこから先の分岐の先にある「雨乞い跡地」を経由して下山路を進む。なおこの雨乞い跡地も本丸、東出丸と同様の独立山頂で、見張り台ぐらいは建っていても不思議ではないと感じられた。

 道が悪い

 ここからの下山路は長い上に道が悪い。特に後半は道と言うよりは沢筋になって足下が悪く、あまり整備もされていない。登りの時に選んだ登山路は正解だったとつくづく感じた。とりあえずようやく麓に降りてくると、例の墓地のところの分岐点に到達したのだった。

 

 これで富田松山城の見学は終了。ザッと一回りで1時間半かかっている。なかなかに見応えのある山城であった。さて一汗かいたところでやはり温泉で汗を流したい。またそろそろ昼時なので昼食を摂りたい。今回立ち寄ろうと考えたのはここから北上した先にある大芦高原温泉雲海。北上すると山陽自動車道をくぐり、さらに吉井川沿いを北上する。途中で山道をウネウネと登っていった先が目的地。しかし目的地に着いたところでおかしなことに気づく。やけに車がいない。よく見ると「今年の4月5月6月は休みます」の表示が。事前の調査不足だった。やむなく引き返すことに。

  ああ、無情

 その引き返す途中で大馬鹿車に遭遇。ハザードランプを点けて道路脇に停車しているから追い越そうとした途端、ランプを点けたまま急に発進して直前に割り込んできてこちらは急ブレーキ。しかもその後はトロトロとブレーキ踏みっぱなしの運転。どうやらエンジンブレーキという言葉も知らない馬鹿らしい。それにしても馬鹿ドライバーに共通のパターンと言えば、十分に余裕のあるタイミングではなぜか合流せずに待ち、直前になってから急に割り込むというところ。頼むからこんな馬鹿からは運転免許を剥奪して欲しいと思う。自分の運転ミスで事故って死ぬなら自業自得だが、こんな馬鹿に巻き込まれて死ぬのはたまらない。

 

 雲海が休業中だったためにやむなく別の温泉を探す。この辺りと言えば龍徳温泉、鵜飼谷温泉、大中山温泉といったところ。泉質では大中山温泉だが、さすがにあの超B級スポットには立ち寄りがたい。となれば龍徳温泉かと考えてそちらに向かう。しかし曲がり角を見落として通過してしまい、もう一度折り返してきてその辺りを探したら「長期休業」との看板が。以前に私が訪問した時もほとんど客がいなかったが、とうとう閉業してしまったか。そこでやむなく鵜飼谷温泉に向かうことにする。この頃から天気予報通りに雨がぱらつき始める。

 

 相変わらず鵜飼谷温泉は車で一杯である。とりあえず風呂の前に昼食を済ませることにする。レストランに入ると豪華御膳(1380円)を注文。

 確かに見た目にもなかなか豪華である。ただ料理自体は特別な印象はなく、可もなく不可もなくというところ。

 

 昼食を終えると入浴。温泉は単純アルカリ泉とのことだが、これがまた特にキャラクターのない印象の薄い湯。塩素消毒の加熱循環湯なので湯の力が弱いのだろうか。内風呂は塩素の臭いがややキツイので、露天で身体を温めてから薬湯にしばし入浴する。

 

 前回もそうだったが、今回も宴会場からカラオケの歌が漏れてきていた。かなり人気のある施設なんだろう。ただ私としては、特に文句を付けるところがあるわけではないのだが、取り立てて魅力も感じないのが本音なんだな・・・レストランにしても温泉にしても。決して悪くはないのだがなぜか極めて印象が薄い。

 

 昼食も終えて、汗も流した。後は本題である美術館に立ち寄るだけである。

 


「エミール・クラウスとベルギーの印象派」姫路市立美術館で5/26まで

 

 フランスで発祥した印象派であるが、隣国であるベルギーにも当然のように影響を与えている。ベルギーの画家であるエミール・クラウスは、ベルギーの伝統である写実絵画の流れを汲みつつ、印象派の手法もその絵画に取り入れていく。彼の絵画はルミニスム(光輝主義)と呼ばれ、他の画家にも多大な影響を与えていく。そのエミール・クラウス及び周辺の画家達の作品を集めた展覧会。

 印象派の絵画の難点はとにかく対象の輪郭が曖昧になってしまうことだが(そのためにルノワールなどは最終的には印象派の手法を捨てた)、エミール・クラウスの絵画はベースには写実主義があるところに印象派の光を取り入れているので、独特の輝かしい絵画になっており「光輝主義」と呼ばれるのも理解できる。彼の絵画の姿勢は光をも写実しようとしたかに見える。点描などの印象派的手法も駆使しながら、これだけ対象を明確に捉えた絵画は私は初めて見た。印象派の登場時には「未完成の絵画」などと揶揄されたというが、彼の絵画を指して未完成と言う者はいないだろう。私としてはモネなどの絵画よりも好ましくさえ見えた。

 当時のベルギーの画壇があらゆる潮流の影響を受けていただろうことは、彼以外の画家の作品に端的に現れている。ナビ派に象徴主義、さらにフォーヴなど画家ごとに元ネタがハッキリと分かるぐらいに特徴の現れている作品が多く、なかなかに面白かった。


 これで本遠征の全予定は終了。帰途についたのである。

 

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