展覧会遠征 東京編

 

 今週は久しぶりに東京に遠征することにした。この時期は秋の展覧会が目白押しであることからである。ただ正直なところを言うと、出来れば遠征をずらしたかったのが本音。と言うのは、不覚にも病気を患ってしまったからである。別に命に関わるような大病ではないが、とにかくたちの悪い病気で、私の場合はかなり悪化してしまったために激痛で身動きが取れないような状態がしばし続いていたのである。あえて病名は書かないが、腰痛と共に人類が二足歩行をしたが故の宿命と言われており、競輪選手やタクシードライバーの職業病と言われている病気である。手術を受けてようやく動けるようにはなったが、まだ完全とは程遠い状態である。しかしそれにも関わらず遠征を実行せざるを得ないのは、飛行機のチケットを既に取ってしまっているから。今までは大抵は東京へは新幹線を利用していたのだが、今回に限っては飛行機を利用するつもりでANAの旅割で事前にチケットを手配していたのである。つまりは日程を動かすと莫大な損失が出るというわけ。そこで体と相談しつつの遠征の実行と相成ったわけである。

 

 利用するのは神戸空港の早朝便。そのために例によってポートアイランドのクオリティホテルで前泊である。ここは洗い場付きの風呂があることからいつも利用しているが、今は病気の関係で入浴が出来ないので、今になってしまえば実はこのホテルである必要はなかったのだが・・・。とりあえず仕事を終えると三宮に直行、そこで夕食を摂ってからホテルにチェックイン。何しろ今のポートアイランドは夕食を摂る店にも事欠くぐらいの寂れっぷり。ホテルの近くにもダイエーがあるぐらいで、せいぜいが夜食の購入が限界という始末。とりあえずホテルに入ると、やっておくべき作業を片づけて、明日が早いのでさっさと就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時前に起床すると直ちにチェックアウト。7時過ぎの羽田行きの便に飛び乗る。天候が良くないせいか途中で結構ゆれたが、とりあえず無事に羽田空港に到着する。羽田空港に降りるのは初めてだが、とにかく大きな空港。おかげで飛行機を降りてからやたらに歩かされ、京浜急行の駅に到着した時にはヘトヘトになってしまう。それにしても以前に降りた成田空港よりも明らかに活気がある。利便性を考えても羽田の方が良いし、つくづく成田空港って存在意義が・・・。

 京急国内線ターミナル駅

 京急の国内線ターミナル駅からは都心への直行便が出ているが、今回の移動は都心方向ではなくて横浜方面。横浜にある美術館の展覧会を鑑賞しつつ、京急の視察を行おうというのが今日の予定である。とりあえず横浜方面行きの快速に飛び乗る。

 

 京急の羽田線はしばしは地下鉄状態である(空港の下を通るのだから当然ではある)。次の国際線ターミナル駅では乗降はほとんどなし、天空橋を過ぎたところで一度地上に出るが、大鳥居駅は再び地下。再度地上に出た時には沿線はかなり密集した下町で、そのまま高架駅である京急蒲田に到着する。

 蒲田と聞くと私の脳裏に条件反射的に浮かぶのは、風間杜夫の顔と蒲田行進曲の音楽。件の映画については見たこともなければ見る気もないが、それでもこういうイメージが刷り込まれてしまうのはメディアの恐いところ。こういうのも一種の洗脳だろうか。確かにメディアによるイメージ操作というのは気をつける必要はある。例えば、何のビジョンもなしにただ単に己が独裁権力を欲しているだけの奴が、改革の旗手のようにイメージづけられたりなんてこともあるのだから。

   京急蒲田駅

 京急蒲田は高架の二階建て駅になっており、空港線はここにほぼ垂直に合流する形になる。都心方面に向かう場合には進行方向は変わらないが、横浜方向に向かう場合はここでスイッチバックになるようである。

 

 京急蒲田を出てしばし走行すると京急川崎に到着する。私は個人的には川崎には「公害の激しい空気が臭い町」というネガティブなイメージが焼き付いている。と言うのも、ここに初めて来たのが20年ほど前で、その時がまさにそういう状態だったからである。もっともその後には公害対策や駅前再開発などで大分イメージは変わったということである。いつまでもネガティブなイメージだけを持ったままというのも良くないので、いずれは川崎についても現地視察は必要だと思うが、とりあえず今回はその余裕はない。

   1階の大師線ホーム

 京急川崎からは京急の支線である大師線を視察することにする。本線ホームが二階で、大師線は一階にホームがある。支線とはいうものの、編成も長いし乗客も多い。

   小島新田駅と周辺風景

 川崎を出ると2つ目の鈴木町駅は実質「味の素駅」。ただいかにも工場街なのはこの周辺ぐらいで、後は沿線は住宅地が多い。川崎と言えば工場というイメージを持っていた私には意外な印象である。次の駅が支線名の由来になっている川崎大師。そしてさらに進んだ終点の小島新田は普通の住宅地の中である。沿線の住宅数を反映してか終始利用者も多い。この辺りはやはり首都圏である。

 

 小野新田から引き返すと、再び京急本線で横浜を目指す。横浜までの沿線は一貫して住宅地及び商業地。こうして見てみると首都圏の異様な拡大ぶりを実感できる。

 

 横浜に到着すると、みなとみらい線に乗り換えて横浜美術館を目指すことにする。ただその前に重たいトランクをロッカーに入れようと考えたのだが、そのロッカーが見つからずに駅の中をウロウロする羽目になる。結局はロッカーを見つけたのはみなとみらい線の改札の前だった。

 

 みなとみらい駅で下車すると横浜美術館を目指す。以前は美術館の正面に出る出口があったはずだが、今はそこが工事中とのことで遠回りされられる。かなり迂回した挙げ句にようやく美術館正面に到着。しかしその時におかしなことに気づく。シャッターが下りている?・・・近寄ってみると「休館」の看板が。私は横浜美術館の休館日を月曜日だと考えていたのだが(大抵の美術館は月曜休館)、どうやら木曜日だったらしい。痛恨の事前調査ミスである。思わず天を仰いで「オー、マイガッタ!」。

 横浜美術館周辺は人の気配が皆無

 時間を無駄にした挙げ句に完全に予定が狂うことになったが、首都圏のありがたいところは列車の本数が多いのでそうなったらなったで自在に予定を組み替えられることである。これが地方なら次の列車は数時間先なんてこともあり、そうなるとスケジュールが完全崩壊してしまう。

 とりあえずは横浜に戻ると再び京急に乗車することにする。次の目的地は浦賀。一応京急本線の終点ということになるが、実際は堀ノ内で乗り換えなので、扱いは三崎口に向かう久里浜線の方が本線のように見える。

 横浜からはしばし都会のゴミゴミした中を進むが、やがて沿線が郊外めいてくると、突然に山の中という雰囲気になる。三浦半島と言えば海のイメージがあるが、実際は中央部は山岳地帯である。以前に鎌倉遠征した時に感じたが、この辺りは現地に行くと海よりは意外と山のイメージが強い。

   浦賀駅に到着

 乗換駅の堀ノ内は特に何もないところ。終点の浦賀は内陸駅である。ここからは駅前からのバスに乗って観音崎を目指す。ここまでやってきた目的は京急の視察だけではなく、観音崎にある横須賀美術館の見学。

   観音崎

 観音崎でバスを降りると、しばし美術館までを海辺を散策。この辺りは海の際まで山が迫っている。海沿いに小高い丘があり、いかにも水軍の城に向きそうな地形があるが、そこには城ではなくて灯台が建っている。海を眺めながらプラプラと海岸線を歩いていくと目的の美術館が山側に建っている。

 


「朝井閑右衛門展」横須賀美術館で12/25まで

「及川正通 イラストレーションの世界」12/16まで

 朝井閑右衛門については、絵の具厚塗り系のあまり私の好みには合致しない作風。

 

 及川正通は「ぴあ」の表紙のイラストで知られたイラストレーターで、展示品もほとんどがその表紙イラスト。人物の特徴を捉えた表現はさすがではある。またネタとしてその時点での旬な人を起用しているので、年代ごとに並べると一種の社会史年表的なものにもなる。

 


 横須賀美術館の見学を終えると横須賀方面行きのバスに乗車して馬堀海岸駅で下車、ここから京急で三崎口を目指す。久里浜線の沿線もところどころで海が見えたりはするものの、意外と山の印象が強い。終点の三崎口周辺もごく普通の住宅地である。

三崎口駅

 京急は以前の鎌倉遠征時に逗子線は視察済みなので、これで京急蒲田以南は視察終了ということになる。残りの部分は帰りに視察することになろう。

横浜中華街

 再び横浜まで戻ってくるとトランクを回収、みなとみらい線で終点の元町・中華街まで移動する。もう既に昼時を大きく過ぎて腹が減った。どうせなら横浜中華街で昼食を摂ってやろうという考え。中華街に入ると適当に目に付いた店「廣翔記新館」で昼食を摂ることにする。注文したのはフカヒレの姿煮のランチ

 フカヒレの姿煮なるものを食べるのは初めてだ。小さいとはいうものの一応は丸ごとのフカヒレが入っている。フカヒレそのものは特別に味があるというよりも食感を楽しむもの。だからかなり強めの味付けがとろみのあるスープになされているが、この味が絶妙。実にうまい。

  

 また五目炒飯もなかなかのもの。私好みの味付けである。なお炒飯にもフカヒレスープが添えられているが、こちらは塩味のシンプルなものになっている。

  

 デザートの杏仁豆腐で締め。しかしこれだけ食べるとさらに欲しくなってきたので、小籠包マンゴープリンを追加注文する。

 しばらく待った後に小籠包が運ばれてくる。中から熱々のスープが飛び出す一級品。これがあってこその小籠包である。しかし実際には中のスープが抜けた手抜き小籠包も世の中には結構ある。だからこそ「小籠包と肉まんの違いが分からない」などというあり得ないことを言う輩もいるわけである。

 マンゴープリンも予定通りの合格点。以上で支払いは2955円。なかなか妥当。全く何も考えずに入った店だが、とりあえずハズレではなかったようである。恐るべし、横浜中華街。とにかく東京近郊で妥当な値段でまともなものを食べられるというのは極めて貴重なことである。

 みなとみらい線 元町・中華街駅

 昼食を堪能するとそのままみなとみらい線と東急東横線を経由して渋谷に移動する。ここに来たのは渋谷で行きつけの美術館に立ち寄るため。それにしても相変わらず渋谷は人が多い。歩くだけでも一苦労である。

 


「巨匠たちの英国水彩画展」BUNKAMURAで12/9まで

 

 西洋絵画といえば油絵のイメージが強いが、水彩画も一ジャンルとして確立している。特に英国では水彩を用いた風景画が好まれたこともあり、ターナーを初めとして多くの画家が多数の作品を残している。本展では英国マンチェスター大学ウィットワース美術館が所蔵する18〜19世紀の水彩画の秀品を展示する。

 水彩画の独特のぼやけた表現はイギリスの風土を表現するのに適しているように思われる。この辺りがイギリスで水彩画が発展した理由か。もっとも画家ごとに特徴があり、ターナーのように水彩のぼやけた表現をそのまま霧の表現に使用する者もいれば、一見しただけでは油絵と判別がつかないぐらいの明瞭な色彩で描く者もいて、ここまでいくと果たして水彩の意味は?なんて疑問も湧いたりした。


 展覧会の見学を終えると乃木坂へ移動する。これもまた定番の移動ルート。

 


「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」国立新美術館で12/23まで

 

 リヒテンシュタイン侯爵家が収集した美術品コレクションを展示した展覧会。展示品は絵画のみならず、調度品など多岐に渡る。

 序盤から美しい絵画が多数登場するが、個人的には「美しいだけでなぜか心に響かない」という印象が強い。また調度品など共に宮殿の一室を再現した展示などはその最たるもので、豪華さには驚かされるものの芸術的な感慨は呼ばないのである。

 そんな不完全燃焼な気持ちを抱かされる中で、展示されているルーベンスコレクションだけは圧倒的という印象を受けた。さすがと言うか作品の格が全く違うのである。個人的には本展の一番の目玉は間違いなくこれら。なお展示終盤の比較的年代が新しいところの絵画作品にも数点印象に残るものがあり。


 乃木坂を後にすると、今度は東京メトロ千代田線でそのまま二重橋まで移動する。ここが今日の最後の展覧会である。

 


「シャルダン展 静寂の巨匠」三菱一号館美術館で1/6まで

 

 18世紀のフランスの画家・シャルダンは静物画や風俗画で知られた画家であり、19世紀になってから再評価されたことでミレー、マネ、セザンヌなどの画家に影響を与えたと言われている。にも関わらず、日本ではそれほど知名度が高くないということと、現存する作品が決して多くはないことなどから、今まで大規模な個展は開催されたことはなかった。そのシャルダンの作品を38点も集めた展覧会である。

 その作品は独特の静謐さを持っており、落ち着いた色彩は確かにミレーの絵画に相通じるものを感じさせる。また技法としては古典的な技法で描かれているようであるにも関わらず、ところどころに印象派を連想させる光の扱いが見えたりなど、とにかく一筋縄でいかない画家である。


 立て続けの美術館の梯子でいささか疲れた。夕食のことを考えるのも面倒になってきたので、二重橋駅に戻ってくる途中のトンカツ屋で夕食を摂る。私は地方で食事をする時は面白味がないことからチェーン店は出来る限り避けるのだが、逆に東京で食事をする時はチェーン店を使うことが比較的多い。と言うのは、東京のような飲食店の平均レベルがとてつもなく低い地域では、下手な店に入ると食べられたものでないものが平気で出てくることが多々あることから。つまりまだチェーン店の方が当たりは絶対ないが大ハズレもないというわけである。こんな保険をかけないといけないとは東京とは難儀な地域だ。

 

 夕食を終えると東京メトロ千代田線で北千住まで移動、日比谷線に乗り換えて南千住に移動する。例によって今回の宿泊ホテルはホテルNEO東京である。ホテルに入ってしまうとここでは何もすることがないし、早めに就寝することにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時前に目が覚めてしまう。しかし体調がすぐれない上に前日に2万歩以上歩いてしまって疲労が半端ではない。そこで最初に予定していたスケジュールを変更することにして、しばらくホテルで休養することにする。

  つくばエクスプレス 南千住駅

 しばし休養の後にホテルから出かけると、まずはつくばエクスプレスで秋葉原まで移動する。つくばエクスプレスに乗車するのは初めてだが、この区間では完全に地下鉄である。ただロングレールを使用しているためか、走りはかなり滑らかなのが印象的である。

秋葉原で乗換

 秋葉原でJRに乗り換え。大昔(私が大学生ぐらいの頃)には私の東京訪問と言えばこの秋葉原は主要目的地だった。しかしかつての電脳街の面影がなく、メイド喫茶が立ち並ぶ風俗街(にしか私には見えない)となり果てた今の秋葉原には何の愛着もない。秋葉原の転落は、かつての技術大国から転落し今では退廃ムードが漂っている日本の象徴そのもののようにも思われる。そう言えば私がこの地に足を踏み入れなくなってもう10年以上が過ぎ去った。今回も乗り換えのために素通りしただけである。ここを通ると、かつてオーディオパーツを求めて秋葉原を走り回っていた私の青春時代が思い出されて、若干のほろ苦さを伴うのである。いろいろな意味でもう青春は遠くなりにけりである。

 

 JRに乗り換えると横浜を目指す。本遠征ではもう既に当初予定が滅茶苦茶になっている。その原因はまずは私の体調がきわめて悪いこと、さらには昨日に立ち寄った横浜美術館が休みだったことである。当初の予定では今日はつくばエクスプレスで秋葉原ならぬつくばを目指すつもりだった。しかし今朝の段階でとてもつくばを散策できる体調ではないことを察したことから、つくば遠征は完全に断念し、昨日訪問できなかった横浜美術館を訪問することに変更した次第である。

 

 みなとみらい駅で下車すると、美術館に立ち寄る前に駅近くで朝食にする。メニューはマンハッタンブレックファストなるもの(要はトーストとベーコンなどの典型的なアメリカン朝食)だが、料理が出てくるまでにやたらに時間がかかる。マンハッタンのビジネスマンはそんなに暇なんだろうか?

 

 朝食を終えると生憎の小雨の中を目的の美術館に急ぐ。昨日とは異なり、当然のことではあるが美術館は開館していた。


「はじまりは国芳」横浜美術館で1/14まで

 

 江戸期の浮世絵師の中でも特に奇想を持って知られている国芳を中心とした展覧会。

 浮世絵は劇画の元祖という分析もあるのだが、国芳の作品に関してはその小気味の良いほどの誇張表現は明らかに後の漫画につながる空気がある。特に動的な表現などは現在の劇画そのものであり、今の日本の漫画文化は浮世絵に端を発していると感じさせられるのである。

 本展は「はじまりは」と付いているように単なる歌川国芳展ではなく、国芳を初めとした日本の浮世絵の流れを展望しようという主旨で、新しきは明治以降の作品もあり、最終章では川瀬巴水の大正版画まで含まれている。こうして展望してみると、江戸時代に隆盛した浮き世は明治以降に単に滅んだのではなく、結局は日本画の流れの中に飲み込まれたということがよく感じられるのである。例えば浮世絵の影響が顕著に出ているのは鏑木清方や伊東深水の美人画など。やはり日本の精神はそう簡単には死なない。


 美術館の見学を終えるとみなとみらい駅の近くで昼食を摂ることにする。といっても先ほど朝食を摂ったばかりなので、軽めの昼食としてイタリアンレストランでカルボナーラを頂く(ミートスパというベタなメニューがない場合には、私は大抵これを頼む)。ちなみに私はパスタはそれほど好きなわけではないし、ピザに至っては全くに近いほど食べないのであまりイタリアンレストランには行かないのだが、とにかくこの辺りは店の選択肢が少ない。いっそのこと中華街に出るかとも考えたが、やはり体調が良くないことから諦めたのである。

この日の昼食

 昼食を終えると次の目的地へと移動することにする。今日は体調も良くないし天気も悪いしということで、予定は美術館を三つほど回るだけにしているので時間的には余裕がある。そこで次の美術館に向かう前にちょっと寄り道。相鉄で海老名まで行くことにする。

 相鉄は首都圏の準大手私鉄だっのだが、近年になって大手私鉄に分類されることになったとか。路線は横浜−海老名の本線と、二俣川から分岐して湘南台に達するいずみ野線の2つである。相鉄の横浜駅はやや西に位置するところにある。車両はごく普通のロングシート車両。

  相鉄横浜駅

 沿線は最初こそ横浜の都市区域だが、ほどなくローカルな風景に切り替わっていく。とは言うものの、完全に山の中という雰囲気にはならない。個人的な印象としては、雰囲気が関西の山陽電鉄を連想させる(海は見えないが)。

 沿線風景

海老名で小田急に乗り換え

 海老名では隣接している小田急に乗り換える。小田急に乗るのは久しぶりである。箱根湯本方面なんて表示を見ると「ああ、箱根は良かったな・・・」なんてことが思い出される。小田急本線を相模大野まで乗車すると、ここで江ノ島線に乗り換えて中央林間で下車する。

 箱根の観光ポスター・・・何か違う気がする

 ここからは徒歩で数分で東急田園都市線の中央林間駅に移動できる。ここから東急田園都市線で用賀まで移動しようと言う目論見。

  中央林間で乗換え

 東急田園都市線の沿線は郊外住宅地である。しかしそれが東進と共に密集してきて、多摩川を越えた辺りからは顕著に過密化してくる。二子玉川で急行から普通に乗り換えると、そこから先は地下に潜る。また二子玉川と用賀の駅間は結構長い。

 

 用賀からはバスで移動である。幸いなことに地上に出るとバスはすぐに待っていた。この美術館のアクセスで難儀なのはバスの本数が少ないことと、美術館がバス停から微妙に遠いこと。この微妙な距離が今回のように天候も体調も悪い時には嫌である。なおこの美術館で開催されている展覧会が本遠征の最大の目的の一つである。各地で巡回している時に行きたいと思いつつもついぞスケジュールが合わず、とうとう巡回の最後になってようやく訪問できた次第。

 


「生誕100年 松本竣介展」世田谷美術館で1/14まで

 

 まあとにかく画風が良く変化する画家だというのが一番の印象。時代ごとに画風が変遷しているので「これが松本竣介の画風」と一括りにしにくい。

 若い頃は色彩にこだわりを見せていたかと思えば、後には形態へのこだわりがつよくなって、モノトーンに近い状態で都市の特異な形態をひたすら描いていたり、具象画を描いていると思えば突然に抽象画的な作品を描き出し、そしてまた具象画に戻ってきたりととにかく変遷が非常激しい。

 彼自身が常に自身の画風を追究していたとのことだが、結局のところそれは確立できたのだろうか。それとも一生がその探求の内に終わったのだろうか、それは彼の最晩年の作品を見ても良くは分からない。ただそのように画風が変遷しつつも、一貫とした己は作品中に現れているので、それが奇妙な魅力になっているという画家である。


 美術館を出るとバス停に。しかし用賀行きのバスはかなり待たないと来ない。そこで二子玉川行きのバスに乗車する。バスは世田谷の住宅地を30分ほどかけてクネクネと抜けていく。しかし二子玉川の駅の手前で渋滞に引っかかってほとんど進まなくなってしまうので、途中で下車して歩いて駅を目指す。

 二子玉川からは東急大井町線で大井町に向かう。この路線は完全に都心の路線で、乗客もかなり多いし、沿線もゴミゴミしている。特に乗車しても面白いような路線ではなく、典型的な通勤路線。

東京名物乗換地獄

 終点の大井町でJRに乗り換えると新橋まで移動する。ここからは東京メトロ浅草線で押上まで移動する。

 押上駅周辺の混雑

 押上までやってきたのは東京スカイツリーを見ておこうかという考え。今まで惨々東京には来ていたものの、どうしたわけかこのスカイツリーを間近に見たことがない(常に南千住というスカイツリーに比較的近い場所を定宿にしているにもかかわらず)。そこでこの際に野次馬をしておいてやろうという考えてもある。

東京スカイツリー

 スカイツリー周辺は観光客でごった返している。それにしてもよくもまあ人類はここまで巨大な建造物を建てたものだと感心するというか呆れるというか。ただ周辺は何となくわざとらしいお洒落さと、いかにも成金的な空気が漂っていて、私には苦手な雰囲気。ヒルズと同じ拝金主義の臭いを感じてしまう。ちなみにスカイツリーに入場するには2時間以上待ちの模様。私にはとてもそんな暇はないので引き返すことにする。

 2時間待ち・・・

 押上からは東武伊勢崎線で北千住へ。北千住からはJRで上野に移動する。

 上野にやってきたのは東京都美術館に立ち寄るため。これも本遠征の主目的の一つである。もう既に日は沈んでいるが、幸いにして金曜日は夜間開館があるのでそれに合わせている。たださすがに軽めの昼食からかなり時間が経っているのでいささか身体がガス欠気味。それで美術館のカフェで抹茶ドーピングをすることにする。

 パフェで一息つくと美術館に展覧会を観覧する。

 


「メトロポリタン美術館展 大地、海、空−4000年の美への旅」東京都美術館で1/4まで

 

 メトロポリタン美術館が所蔵する名品を展示した展覧会で、展示物は必ずしも絵画には限られず、例えば古代ギリシアやエジプトの壷などといった展示品も含まれる。

 テーマはとしては自然を描いた作品を集めた展覧会であるので、西洋社会において自然がどのように捉えられていたかということを理解するには適した展覧会なのだろうが、一般的な展覧会としてみた場合にはテーマが散漫でとりとめがないということは否定できなかった。おかげで展覧会全体を通じての印象が極めて希薄になってしまった。


 これで今日の予定は終了。かなり腹が減ったので上野駅でそばを食べるが、これはいかにも東京らしいCPが非常に悪い失敗品であった。どこかで何かを食べ直そうかとも思ったが特にあてがあるわけでもないし、ただとにかく疲れたのでそのままホテルに直行する。気がつくと今日も2万歩を越えていた。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は体が異様に重い。どうも体調が良くないのは明らかである。それにも関わらずどうも昨日一昨日と想定外の無理をしすぎたようである。かといってこのままプラプラしているわけにもいかない。意を決すると出かけることにする。

 

 今日の予定は行田市の見学。行田には関東七名城として知られる忍城がある。忍城は秀吉の北条攻めの際に石田三成率いる大軍に囲まれつつも最後まで持ちこたえたことで有名となった城である。なおこの時に三成は秀吉の高松城攻めに習って堤防を築いての水攻めを行ったのだが、堤防が決壊して逆に自軍に損害を与えることになり、結果として「三成は戦下手」という悪評を確立してしまうことになる。この評価が後の関ヶ原の合戦での西軍の統制の悪さにもつながっていることを考えると、忍城は天下の行方に微妙に影響を与えた城ともいえる。敬愛してやまない恩師でもある秀吉の大作戦を再現した三成はさぞかし得意満面だったろうと思われるが、その得意の絶頂からたたき落とされたことになる。なおこの三成の水攻めのエピソードは「へうげもの」にも登場しており、そこでは「焼き物にも使えないような粘りのない土で堤防を築いた無謀」と「北条の間者に対して全く警戒をしていなかったという甘さ」の2点を挙げて、三成の「教科書的秀才」の弱点を際だたせている。

 

 なお忍城の籠城戦において、城主の成田氏長が小田原城に詰めて不在の中、長女の甲斐姫という極めて美人でなおかつ勇敢な女性が陣頭に立って攻め手を撃退したという伝説も残っている。甲斐姫の活躍が史実かどうかには疑問の残るところだが、彼女の存在自体は事実らしく、この手の女性が好みの秀吉の目に留まって側室の一人となったと言われている。

 北千住まで移動すると、そこからは東武鉄道を利用することになる。まずは区間急行で東武動物公園まで。ここまでは以前に日光を訪問した際にも利用したことのある区間であるが、とにかく東京の都市圏が異様に拡大していることを実感させられる沿線風景である。

   東武動物公園で乗換え

 東武動物公園からは東武伊勢崎線に乗り換えて羽生を目指す。車内は学生であふれ返っているが、沿線風景は今までとは一転して田畑の多いものとなる。またJRとの接続駅である久喜で大量の乗客の入れ替えがある。

   羽生で乗換え

 羽生に到着するとここからは秩父鉄道に乗り換えである。秩父鉄道ではSuicaが使えないために券売機で切符を買う必要があり、おかげで乗車がいささかバタバタするが、何とか乗り換えには間に合う。

 

 秩父鉄道はそもそもは太平洋セメントの貨物輸送のために引かれた路線とのこと。しかし近年では観光にも力を入れているのか、パレオエクスプレスというSLの定期運行も行っており、私もこれに乗車することも考えていた。しかし今年の秋、このSLが脱線事故を起こして現在は点検整備のために運休状態。そういうわけでこの計画は来年度まで延期である。

 秩父鉄道沿線風景

 秩父鉄道の沿線はこれまた見事に田畑ばかりである。この辺りが延々と平地であることがよくわかり、忍城が沼地の中の浮城だったということも理解できる。行田市駅手前辺りから沿線の民家が急に増えてくるが、この行田市駅が行田市の中心地域に当たる。

   のぼうの城だらけ

 行田市駅を越えると熊谷でJR東北本線に乗り換え、ここから行田駅を目指す。行田駅は行田市の郊外であるが、市内を周回する観光ループバスが週末に運行されているのでこれを利用することにする。現在、忍城攻城戦を描いた映画「のぼうの城」が公開されていることにあわせて、行田では観光的盛り上げを図っているようだが、どうもその効果はかなり限定されている模様。

 観光ループバス

 観光ループバスは行田市バスターミナルを目指す。バスターミナルは市街中心部にあり、忍城までは徒歩で数分。「忍城」は明治の廃城で建物の類は全く残っていないのだが、現在は模擬三階櫓と模擬本丸門が建設されている。鉄筋コンクリート製の典型的ななんちゃって天守なのだが、外から見る分には意外と様になっている。

左 模擬本丸門  中央 水堀  右 城域内部

 本丸内には鐘衝堂があるが、この鐘は代々ここに伝わってきた本物らしい。現在の本丸は歴史博物館になっており、先ほどのなんちゃって天守はその一部になっている。内部はこの地域の歴史風俗などの展示で、当然のように三成の忍城水攻めの経緯なども紹介されている。

左 歴史博物館  中央 鐘突堂  右 鐘

 忍城周囲は今では完全に住宅地に埋もれているが、かつては辺り一帯が沼沢地だったという。その名残が見られるのが城の南にある水城公園。ここの池はかつての忍城周辺の堀(というか、自然の沼沢を活かして堀としていたようであるが)の名残である。

 水城公園

 観光ループバスはバスターミナルからさらに古代蓮の里やさきたま遺跡などの名所を周回する。当初予定ではさきたま遺跡も見学するつもりであったのだが、バスの車内で長時間揺られている内に体調が本格的に悪化してくる。結局はこの状態で遺跡内を歩き回ることは不可能と判断し、予定はすべて切り上げてホテルに戻ることにする。

   

古代蓮の里にさきたま遺跡

 行田駅に戻ると東北線で大宮まで戻る。このまま引き返しても良いが、さすがにあまりに早い。そこで大宮から東武野田線を経由して戻ることにする。

東武大宮駅

 東武の駅は大宮駅のさらに奥にある。ダイヤはパターンダイヤのようで運行本数も多い。運行されているのは各駅停車ばかりという典型的な都市近郊通勤路線である。

 柏駅

 しばし列車は都市部を走っているが、やがて沿線は閑散としたものになってくる。再び都市化するのは野田市辺りから。やがて柏に到着するが、ここで乗り換え。この駅はスイッチバック形式になっている。ここから終点の船橋までは都市近郊型通勤路線である。

 

 結局は2時間近くを長々と列車に乗ることになった。正直なところ退屈というべき行程であった。しかもその間に体の方がそんな暢気なことを言っていられなくなってきた。いよいよ本格的に病状が悪化してきて、立ちも座りも苦しい状態。ましてや歩くとなるとヨタヨタである。

 

 とにかくJRを乗り継ぐと、上野でさし当たっての食料を仕入れて早々とホテルに戻ることになる。

 

 最早体調は最悪と言って良い状態だった。病状の悪化によって疼きが半端ではない。こうなると寝ているしか仕方ない。こんな時のために持参した痛み止めを服用すると、とりあえずの応急処置を施してからこの日のほとんどをベッドで横になって過ごすことになる。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝、体調は最悪であるまでも疼きの方は痛み止めの効果もあっていくらか治まり、なんとか歩けるようにはなっていた。今日は帰宅するわけだが、その前にどうしても立ち寄らないと行けない場所がある。それは三鷹のジブリ美術館。そもそも本遠征を強行した理由の一つはなかなかゲットできないと言われているこの美術館の入場券をゲットできたということもあるのである。

 

 ジブリ美術館は観客にゆっくりと見学してもらうために入館者数を制限しており、その人気もあって週末のチケットは1ヶ月前の発売と同時に売りきれるぐらいのプラチナチケットになっているという。しかもそれに拍車をかけているのが浅ましき転売屋の横行。いろいろと規制をかけているにもかかわらず、やはり発売日になるとこれらの銭の亡者がチケットを押さえてしまうらしく、私も発売日にネットでチェックした時には既に週末のチケットはすべて予約されていた。ただ最近の転売屋はチケットの実券を転売するのではなく、ローソンでの予約番号を転売すると聞いている。これだと売れ残っても予約取り消しになるだけだから、銭の亡者共に都合がよいということらしい。そこから私が推測したのは「それならローソンの予約が無効になる3日後ならチケットが出ているのではないか」ということである。

 

 どうやら私の推測は見事に的中していたようである。3日後の朝にネットにアクセスすると、ほとんどのチケットが空きになっていた。こうして私は無事にチケットを入手したのである。つまりは発売日に予約を入れたのはほとんどが転売屋だったということか。全く浅ましい限り。

 

 ホテルをチェックアウトすると、東京駅でトランクをロッカーに預けようと思うが、既に東京駅のロッカーは一杯で手荷物預かり所に長蛇の列が出来ている状態だった。そこで東京駅で荷物を預けるのは諦めて、トランクを持ったまま中央線快速に乗車する。

 

 自殺の名所と言われている路線だけに、また人身事故で運休にでもならないかと心配していたが、無事に予定通りに三鷹に到着。荷物は三鷹駅のロッカーに預けることにする。

 三鷹駅

 三鷹駅はごく普通の都会の駅で「ジブリの森」という言葉からイメージしていた田舎とは違いすぎているのでいささか拍子抜ける。しかしよくよく考えてみると、都心からこの程度の距離でそんな田舎のわけはない。

 昼食は親子丼

 ジブリ美術館の入場券は12時からのものである。三鷹駅前で昼食を摂ると、ジブリ美術館行きのバスに乗車する。バスは美術館を目指す乗客で満員である。現地に到着するとそのままゾロゾロと入場。

 ジブリバス

 ジブリ美術館は何とも表現に困るような外観である。一言で言うならファンタジーでメルヘンと言うところか。屋上にロボットのラムダが立っているところはジブリだと言うことがよく分かる。入口では映画の鑑賞券を手渡される。この鑑賞券でジブリの短編映画を見ることが出来るようになっている。

 ジブリ美術館

 内部の撮影は禁止なので写真はないが、構造としては3階建ての吹き抜け。高所恐怖症の人間には若干ツライこの構成は、これまたジブリらしいと言えなくもない。なお展示品はジブリに限らず、アニメーション全体に纏わる品々。また土産物コーナーも充実している。ただ全体として「イメージしていたよりも小さい施設」というのが本音で、これは確かに入場制限をかけないと、ゆっくり鑑賞できないどころか危険がありそうである。なお入場制限がかかっているにもかかわらず館内のレストランは満員で、大勢の客が外に溢れている状態だった。館内はメルヘンでファンタジーな空間なのであるが、人であふれかえっている様が時々意識を現実に引き戻すという皮肉なところもある。

 屋上には有名なこの方もいらっしゃいます

 しかしここを見ていると、ジブリが単なるアニメーションスタジオでなく、いわゆるエンターティーメント企業を目指しているのではないかと感じられる。その内に提携先のディズニーに倣ってジブリーランドがどこかに出来るのだろうか? 確かに今やトトロはミッキーマウスに匹敵する強力なキャラクターとなっている。中央にはシンデレラ城ならぬ天空城ラピュタがあって、ディズニーシーならぬ腐海。宿泊施設は千と千尋で、ムスカ大佐のラピュタの雷でエレクトリカルパレード。ありゃ、全く違和感ないわ。職人意識が強い宮崎駿の下ならともかく、あの息子の代ぐらいになったら本当に出来そう。

 これの前に立つ時は、ムスカ大佐になりきって「見ろ!人がゴミのようだ」と叫ぶこと

 私は館内を1時間強ほど堪能して出てくる。かなり小さめの施設なので、私としては長滞在した方。バスで大回りしながら三鷹駅に戻ってくると、駅でトランクを回収してから帰りは吉祥寺から京王井の頭線で渋谷へ。これもまた都会の通勤路線。何やら工事中のためか京王吉祥寺駅のホームがやたらに狭いのが印象的。これだと人が溢れると危なそうである。

  

京王吉祥寺駅

 渋谷では岡本太郎が爆発している横を抜けると、JRで新橋、ここから都営浅草線で泉岳寺を経由して、そこからは京急で羽田空港を目指す。泉岳寺では西馬込行きの地下鉄と分岐しているが、どちらかと言えば京急に向かう側の方が本線のイメージ。

   新橋駅に品川駅

 次の品川で羽田空港行きの快速に乗り換え。京急の起点は泉岳寺となっているが、実際にはこの品川が起点のイメージ。ただ品川駅自体は上り一線と下り一線にプラス一線しかない駅で、いかにも手狭な印象がある。各方面行きの列車がすべてここを通過することから、ホームは乗客でごった返しているし、列車は数分ヘッドでひっきりなしにやってくる。雰囲気としては名鉄名古屋駅に近いものがある。

 

 品川を出た列車は一気に蒲田まで突っ走る。沿線は密集した住宅地である。蒲田は高架駅で横浜方面から空港に向かう場合にはスイッチバックになるが、品川方面からの場合はそのまま空港線に入る。この時点で京急視察終了である。後はそのまま羽田空港に向かう。

 羽田空港

 三連休最終日ということもあってか羽田空港は大混雑だった。軽く夕食を摂ろうかと考えていたがどうも今ひとつの店が多いし、荷物検査場は大混雑のせいで時間がかかりそうだしということで、抹茶カフェで一服してからさっさと荷物検査の行列に並ぶ。

 抹茶カフェで一服

 帰りの便は満席だった。おかげで機内ではロッカー争奪戦が勃発する始末。持ち込み荷物数に制限があるはずなのだが、なぜか土産物を大量に機内に持ち込む者(大抵はオバサンである)がいたりするのである。また座席の下に荷物を置きたがらない者もいるし(これは大抵は若い女性)。わっさもっさの大混乱の中、ようやく荷物が収まるべきところに収まると飛行機は出発する。

 

 大阪空港までフライトは退屈でしんどいだけのものだった。なお帰りの便が神戸便でなくて大阪便になったのは、神戸便が確保できなかったから。何やらこの三連休中に神戸でマラソンがあったらしく、その煽りかどうかは不明だが、神戸便の予約が軒並み塞がっていたのである。羽田空港への期待の到着が遅れた上に出発時にわっさもっさしていたせいで、到着時刻は予定よりも30分以上遅れることに。おかげで寒空の下で長時間バスを待たされる羽目に。体調が良くなかったこともあって、かなり疲れたというのが本音。

 

 そもそもは東京方面の美術館攻略が目的だったのだが、何やら東京地域私鉄乗りつぶしの色彩が出てきてしまった。私は鉄道マニアではないはずなのだが・・・。

 

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