展覧会遠征 千葉・東京編

 

 暑い日が続く。この前の炎天下の奈良遠征ですっかり暑さにあたられてしまった私は、ここのところ週末はお籠もりが続いたのだが、さすがにこのままだと精神のほうがしんどくなってきた。そこでどこかに出かけるかということに相成った次第。その時に浮かんだ遠征先は東京。と言うのは職場の若い衆から「東京都現代美術館で面白そうな企画をやっているらしい」という情報を入手していたため。しかしたださすがにそれだけのために東京に出向くのもあまりに乱暴な話。東京と言えば先の山形遠征の帰りに立ち寄った時、時間と体力の関係で森アートギャラリーで開催中のエジプト展に立ち寄っていないので、この際それも併せて見学・・・と言ってもやはり展覧会2件だけでわざわざ一泊遠征(さすがに東京日帰りなんて仕事以外ではしたくない)ではネタがなさすぎ。そうやって考えた際に脳裏をよぎったのは千葉にまだ未訪問の美術館があったこと。さらに千葉には重伝建の佐原がある。となると移動は京成電鉄の沿線か・・・ということで計画の概要が何となく浮かんできた。

 

 京成を中心に移動するとなると、新幹線よりもいっそのこと成田まで飛んだほうが都合が良い。しかしここで問題は、こういういきなりの計画となるとANAの旅割が使えないこと。かといって、正規の航空運賃なんてとても払えたものではない(あんなもの払えるのは特権階級の公費出張ぐらいである)。となると最後の選択肢はスカイマークを使うということだけ。当初は飛行機に不慣れだったために避けた会社ではあるが、もうここに来たらやはりコストは無視できない状況。腹をくくることにしたのだった。どうせ落ちたらANAでもJALでも死ぬのは同じである。一応親兄弟が食うに困らないぐらいの生命保険はかけてあるし。それにスカイマークとて一度大事故を起こせばその時点で会社がアウトだろうから、あえて事故を起こすとも思えない。サービスが簡素だという話があるが、そもそもANAでもお茶が出てくるぐらいでサービスらしいサービスを受けた記憶もない。とにかく腹を括ったところで計画の全容はほぼ決定である。

 

 金曜日の仕事が終わると車でポートアイランドまで。明日の早朝便で成田に飛ぶので空港の近くで前泊する予定。しかしピークは過ぎたとはいえ、まだお盆の余波か道路は大渋滞。どうやら各地で事故があったようだ。お盆や年末年始はこれがあるから困る。日頃あまり運転しない下手くそドライバーがハンドルを握るから事故が増える。また日頃あまり動かしていない車を引っ張り出して長距離運転なんかするから、途中でトラブル発生で立ち往生などということも多くなるのである。

 

 結局は通常の倍以上の時間を要してようやくポートアイランドに到着する。宿泊するのは例によってのクオリティホテル。ホテルの駐車場に車を停めてチェックインするととりあえずはホテル内のレストランに夕食を摂りに。しかし背後の席からたばこの煙でいぶされて散々。全く喫煙教徒は「汝、煙で他人の食事を妨害するべし」という戒律でもあるんだろうか。とりあえず夕食を済ませると、さっさと入浴して寝ることにする。明日は早朝出発である。

 

 

 

 翌朝は5時半に目覚ましで叩き起こされる。まだ外はようやく薄明るい状態。とりあえず慌てて支度をすると6時頃にはチェックアウトする。車もまだほとんどないポートアイランドを神戸空港まで走る。朝一番だと言うのに空港の駐車場は既に車が一杯である。

 

 搭乗手続きを済ませると荷物検査を受けて搭乗口に。しかしここで私のカバン内の機械類の多さがチェックで引っかかって、中身を出して再検査する羽目に。こんなことは初めてである。カバンの中にケーブル類が多いのが怪しまれたか。しかし私はどこから見ても人畜無害な聖人君子である。テロリスト扱いは遺憾なところ。

 

 何とか荷物検査を通り抜けるとまもなく搭乗。しかし出発時刻が来ても飛行機は一向に動き出さない。どうやら機体にトラブルが発生したらしい。整備担当らしき連中がガムテープのようなものを持って動き回っている。ネットでのスカイマークの評判に「スカイマークの機体は樹脂部品にトラブルが出てもガムテープで補修してそのまま飛ばしている」という話があったが、こういう光景を見るとその話に信憑性が出てしまう。もっとも現実には軽微なトラブルをガムテープで応急修理というのは実はあちこちの航空会社でよくある話だと聞いたことがある。そうやっておいて、後で整備の際に対応するのだという。

 

 結局は出発は22分遅れ、到着時で30分遅れである。スカイマークは今日も元気に通常運転と言うところか。確かにこれではビジネスには使いにくい。ちなみにスカイマークの他の噂としては「操縦が下手」「客室乗務員が不細工」などというのがあるが、操縦に関しては確かによく揺れたが、これは気流の乱れなども関係するので操縦の腕と関係あるかどうかは判然としない。また客室乗務員に関してもむしろANAの客室乗務員よりも若いように思われた。不細工かどうかは個人の好みもあるので何とも言いにくいが、少なくとも私の判断ではむしろ美人だった。それにスカイマークはサービスをしないという宣言をして一悶着起こしていたが、別に客室乗務員が乗客にため口で話すというわけではなく、ANAに比べて特にサービスが悪いという印象もなかった。違いは機内でお茶が出なかったぐらいである。

 

 到着したターミナルではブリッジではなくてバスでの移動になる。どうやら成田「国際」空港では国内線は冷遇されているようである。とりあえず第二ターミナルに到着すると身軽になるためにトランクは手荷物預かり所に預けてしまう。到着が遅れてスケジュールが滅茶苦茶だが、とりあえずは当初の予定通りに行動することにする。まず最初は芝山鉄道の見学。

 

 芝山鉄道は東成田から終点の芝山千代田までの一駅区間だけの第3セクター鉄道である。そもそもは成田空港建設によって地域が分断されてしまった地元民の懐柔のために建設されたという路線である。たった一駅の路線で、日本でもっとも営業距離の短い私鉄として知られている。

   東成田駅を抜けると空港の裏側

 第二ターミナル駅から京成の特急で成田に移動すると、そこから芝山鉄道に乗り換えである。芝山鉄道の車両は成田−芝山千代田間を往復運転しているようである。次の東成田駅は地下駅で、今のターミナル駅ができるまではここが成田空港駅だったという。しかし現在ではいかにも関係者向けの裏口駅というイメージ。東成田を過ぎると路線は地上に出るが、整備関係の施設などの空港の裏方部分が近くにある。そこを抜けた芝山千代田駅は特に何もないところ。線路は途中でぶった切られた印象で、その横に「芝山鉄道の延伸を」の看板が立っている。ただこの延伸にどのぐらいの現実性があるのかは定かではない。

左 芝山千代田駅に到着  中央 線路はここでぶち切れている  右 列車はすぐに折り返し

左 芝山千代田駅舎  中央 駅前  右 延伸を訴える看板が

 別にここには何の用もないのですぐに折り返す。ところで芝山鉄道はテロ対策で警戒厳重な路線と聞いていたのだが、特にそういう印象も受けなかった。やはり成田闘争も今や昔。そもそも今時の左翼なんて高齢化して、国家を転覆どころか寝返りの介護が必要な年代になっているし・・・。今ではむしろネットに入り浸った挙句に変な妄想に取り付かれた底辺若者のいわゆるDQNテロの方が危険性が高い。既に公安のマークもそちらの方に主力が移ってきているのだろう。

 

 さてこれからの予定だが、既にスケジュールは滅茶苦茶だから・・・と思いながらスケジュールメモをチェックするが、なぜか当初予定のスケジュールとタイムテーブルが完全に一致している。はて?最初にそんなに余裕を持ったスケジュールになっていたっけ? どこで遅れが吸収されたのかは分からないのだが、とにかく結果オーライと言うことで当初スケジュールに合わせることにする。 

出典 京成電鉄HP

 成田で京成本線に乗り換えるとユーカリが丘を目指す。ここには少し異色の都市交通があるという。異色と言っても別にシステム自身はただの新交通システムなんだが、これがこの地域でニュータウン開発を行ったデベロッパーの山万が鉄道まで手がけたという経緯のもの。通常は鉄道会社が沿線の宅地開発を手がけるパターンが多いのだが、ここは順序が逆である。

左 ユーカリが丘で乗換  中央 小振りの列車が待機している  右 車内風景

 駅は京成ユーカリが丘駅と隣接している。高架上を二両編成の小振りの車両が20分おきぐらいで周回コースを回るパターン。途中の女子大駅に予備編成の車両が留置されていたが、これが使用されることはあるんだろうか? 休日のせいか車内の乗客はそう多くはないが、それでも住宅地の足として切れ目なく乗客はやってくる。

左 交通システムの軌道  中央 沿線の風景  右 女子大駅にある予備車両

 列車は15分ほどでコースを一周して元の駅に戻ってくる。数分後にこの車両がまた折り返し運転するようである。イメージとしては「遊園地の遊覧電車をもっと本格的にしたもの」。沿線は典型的なニュータウンであるが、学校なども多かったことから平日にはそれなりの需要はあるのだろうと推測される。また東京方面に出勤する場合、車だと都内で持て余すのでやはり鉄道は不可欠であろう。ニュータウン向けのアクセス鉄道という点では広島のスカイレールサービスにイメージが近い。

 

 ユーカリが丘に戻ってくると普通と特急を乗り継いで高砂までやってくる。成田近辺では沿線に何もないところも多々あったが、ユーカリが丘以東は沿線は常に市街地という印象で、高砂駅はもう既に東京圏内である。ここで京成の支線である金町線に乗り換える。金町線は柴又と金町だけの二駅の支線であり、京成の本線からは一旦改札を出てから再入場する形になる。

   金町線

 運行されているのは四両編成の電車。短い路線なのでこの一編成がピストン運転しているのかと思っていたが、柴又で対向車と車両交換がある。二編成で同時運行しているようだ。対向車両はやはり場所柄というかこち亀のペイント車両。中間駅の柴又は柴又帝釈天の最寄り駅で、まさにこち亀や寅さんの世界を彷彿とさせるような町で乗降も多い。

 こち亀列車

 金町に到着すると向こうにJR金町駅が見えている。とりあえずここからは乗車してきた列車で引き返すが、その前に駅前のコンビニでおにぎりとお茶を買い求める。今日はまともに昼食を摂っている暇がなさそうなのでこれがとりあえずの昼食。さらに東京に入った途端に既に殺人的な暑さであり、熱中症を予防するには伊右衛門の補給が欠かせない。

 

 高砂駅に戻るとここから押上線を経由して目的地に向かう。押上に近づいてくるにつれて東京スカイツリーが近づいてくる。それにしても東京という街は、これだけ巨大な建造物にもかかわらず市街のどこからもこれがほとんど見えないという異常な街である。

金山に到着したのは京急の車両

 押上は地下駅でここで京成電鉄は終わりだが、列車自体はこのままへと都営地下鉄浅草線へと続いていき、さらにその先は京浜急行につながっている(私が乗車したのは三崎口行き普通列車だ)。ただ私はここで地下鉄半蔵門線に乗り換えて清澄白河を目指す。途中でスカイツリーへの入場口があったがとりあえず今回はパス。何とかと煙は高いところに登りたがると言うが、私は高いところはあまり好きではないし、そもそも野次馬がごった返しているところに行く趣味もない。どうせならもっと沈静化してから訪問するつもり。

  押上駅で地下鉄に乗り換え

 清澄白河で下車すると東京都現代美術館を目指す。途中の経路は案内看板などが出ているので道に迷うことはないが、以前の記憶にあったようにやはり嫌な距離がある。それに沿道は目眩がしそうなほどに暑い。さらに気になるのは私と同じ方向に向かってゾロゾロと歩いている人の群れ。年代層はやや高く、カバンではなくてリュックを使い、カメラを手にした見るからにオタクっぽい雰囲気・・・ってまんま私の姿やないか! こういう一団を眼にしたことで何となく嫌な予感がしてくる。

 現地に到着したところで嫌な予感は的中したようだ。私の予想通り、あの一団は私と同じところを目指していた模様。なお私の到着時はちょうど昼食時で美術館などがもっとも客が減る時だったので問題はなかったが、券売所の前と入場口の前には明らかに行列に備えたワイヤーが張ってあった。私は未だにこの手のイベントの集客力を侮っていたようだ。

 


「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」東京都現代美術館で10/8まで

  

 日本においては円谷英二による特撮の伝統があるが、その中心は精巧なミニチュアを用いた高度な撮影であり、それらの技術は往年のゴジラなどの怪獣映画や、ウルトラマンなどのヒーロー活劇に応用されてきた。しかし近年ではCGの発達によって、これらの伝統工芸的な高度な技術は後継者もニーズもなくなって滅びる寸前になっている。そんな中であえてこれらの特撮技術に焦点を当てたのが本展である。

 まず展示の序盤はウルトラマンシリーズなどで用いられたスーツや模型など。ウルトラマンタロウに登場した戦闘機などは、私にとっても「ああ、そう言えば昔はこれのプラモデルを持っていたな」という懐かしいものばかり。特定の年代にとっては異様に盛り上がってしまう内容が多い。

 本展の目玉というのが、特撮映像によって撮影された「巨神兵東京に現る」。「風の谷のナウシカ」に登場した、かつて火の七日間で世界を焼き尽くしたという悪魔の巨大生態兵器である。あの作品ではイメージ映像的にしか登場しなかった巨神兵を映像でダイナミックに再現し、巨神兵が東京を破壊しつくす悪夢のごとき光景をリアリティ溢れる映像で見せている。この映像に関しては何も知らずに見れば「ふーん、やっぱり今時のCGはすごいな」と思ってしまうところだが、最大のポイントはこの映像がCGは完全に禁じ手として、いわゆるミニチュア特撮だけで撮影されているところ。

 その撮影の模様は後の展示でネタ晴らし的に公開されているが、まさにその内容たるや工夫と努力のオンパレードでまさしく「プロジェクトX」の世界。そうやって見ていると、日本がかつて技術で世界に名を轟かした時代というのはまさにこの工夫と努力の世界だったのだということを感じてしまうのである。結局は世の中がアメリカ的効率と目の前の儲け一辺倒になっていく中で、これらの日本的工夫と努力は時代遅れのものとして排除されていき、それと共に日本自体も沈んでいったということを感じさせられてしまったのである。

 古い、効率的でない、それだけの理由で旧来のものを否定して良いのだろうかということは考えさせられる。実際、ここで表現されている映像は明らかにCGによって作られたものよりもリアリティが高いだけに・・・。


 正直なところ予想していたよりも見応えのある展覧会で、見学時間を駅からの移動時間も込みで1時間半しか取っていなかったのは失敗だったと痛感した。正直なところ2時間程度は見学時間を確保していたかったところであった。当初予定ではこれ一件だけでわざわざ東京に出るわけにもと思っていたのだが、終わってみたら、これ一件だけでも東京に出ても良かったと感じていた次第。

特撮セットが展示されている

 とりあえず次の目的地に向かう。次の目的地は六本木ヒルズなので都営大江戸線の清澄白河駅を目指すが、これが半蔵門線の駅よりもさらに遠くにあって難儀な立地。灼熱地獄の中での長距離歩行は徹底的に体力を奪ってくれた。頭の中に鳴り響くのはクールファイブの「東京砂漠」。今の東京は心象風景でなくてリアルに砂漠である。いや、アラブ人でさえ日本の夏の暑さには耐えられないらしいから砂漠以上か。大体、あの歌も「あなたがいれば、うつむかないで歩いていける」んだが、あなたがいない私の場合はどう考えても東京砂漠を渡って行けそうにない。

 

 クタクタになって駅に到着すると、六本木までは20分ほどで到着する。それにしても何度来てもこの六本木ヒルズこと「東京バブルの塔」は好きになれない。シュセンドリーで堀江的で。金を儲けることを否定はしないが、儲け方にも品性が必要である。今の経団連を見ていたら分かるように、品位のある財界人がいなくなった。

 


「大英博物館 古代エジプト展」森アーツセンターギャラリーで9/17まで

 

 エジプト人にとっての極楽往生のための手引き書である「死者の書」を初め、大英博物館が所蔵する貴重なエジプト関連の資料をパピルス文書を中心として展示。

 展示物が文書中心であるので、どうしても展示内容としては玄人好みで地味。素人には見た目に分かりやすい棺や神像や装飾品などの方が楽しめる。そういう点では「ツタンカーメン展」の方が一般向き。どちらかと言えば、その手のありきたりの内容には辟易として、本気でエジプト文化について学びたいというコアファンなら楽しめるだろうが。


 元々文書系の展示にはあまり興味のない私には正直今一つの内容。エジプト人は死後はオシリス神の元に召されて審問を受けることになるらしいが、要はそのための虎の巻が「死者の書」である。とは言うものの、私の死後はオシリス神ではなく科学の神の元に召されることになっているので、この虎の巻では残念ながら私には役に立たない。

 

 昔から日本で人気が出る展覧会は「エジプト、浮世絵、印象派」という法則があるが、本展もその例に漏れず結構の観客が来場していた。しかしこのあまりにマニアックな展示内容は、本当に満足した者は何人いるだろうか。逆にほとんどの観客がこれで満足して帰ったのなら、日本人の知性とマニア度の高さに私は驚くのであるが。

 

 内容がマニアックすぎるのと会場内が混雑していたことから、見学時間が予定の1時間よりも大幅に短い30分で終わってしまった。こんなことならさっきのところでもっと時間を取っていたら・・・しかし後の祭り。

 

 これで東京での予定は終了なので宿泊予定の成田に戻ることにする。京成上野から帰りはスカイライナーで成田空港まで移動する予定。上野までは地下鉄日比谷線で移動するが、同じ上野駅と言っても日比谷線の上野と京成上野はかなりの距離があるので、くたばりかけていた足には相当なダメージ。

 

 京成上野でスカイライナーの指定券を購入すると、発車まで時間があるので駅前のパン屋で軽い昼食。その後に入場した京成上野駅は思いのほか狭い。どうやらここの駅は単線の模様。相当無理をして駅を作っている印象がある。

左 スカイライナーに乗車する  中央・右 車内風景

 スカイライナーは上野を出るとすぐに地上から高架に上がり日暮里駅に到着する。上野を出た時にはガラガラだったが、ここから乗り込む乗客がかなりいる。日暮里を出た路線は日暮里舎人ライナーの高架の下を潜り、かなり急なカーブを描いて東北に進路を転じる。市街地をウネウネと走りながら高砂を過ぎると、ここからは北総線に入る。

 スカイツリーが遠くに見える

 北総線に入ると線形が急に良くなると共に車両の速度も加速するが、トンネルが多くなると共に沿線の風景が急に閑散としてくる。北総線の終点の印旛日本医大駅周辺は完全に郊外の風景。列車はここを通り抜けるとここからは完全に山の中。つくづく成田空港ってとんでもないド辺鄙にあることがよく分かる。

 沿線は何もない

 空港第二ターミナルで下車すると、トランクを回収してホテルのバスで宿泊ホテルに向かう。今日の宿泊ホテルはマロウドインターナショナル成田。馬鹿高いホテルが多い成田周辺の中で、会社の福利厚生関係の割引が使えることから選んだホテル。

 

 ホテルにチェックインするが、予約時に禁煙室を希望していたにもかかわらず臭すぎる喫煙室に通されたので部屋をチェンジ(それにしても喫煙者はこの臭いを感じないぐらい嗅覚が破壊されるんだろうか?)。落ち着いたところで明日の計画のためにネットに接続しようとするが、なんとこのホテルは今時ネット接続が有料(1日1000円)。これは驚いたが、ネットに接続しないと駅探が使えないためにやむを得ず追加料金を支払う。

 

 調べ物を終えて一息つくとホテルレストランに夕食を摂りに行く。夕食はバイキングで別料金。かなり高いがとにかく辺りに飲食店はないのでやむを得ない。ただ夕食については料金の割には・・・。とにかく何かと追加料金のかかるホテルである。

 

 夕食を終えると併設のスポーツジムに大浴場があると言うから入浴に向かうが、ついでに屋内プールも利用しておくことにする。久々にプールでウォーキング。しかしこれは失敗。と言うのも既に足の方にダメージが蓄積していた模様で、軽くウォーキングしたつもりが明らかに過重労働になってしまっており、後で入浴時に浴槽内で足がツる羽目に。部屋に戻って万歩計を確認したら、今日一日で1万7千歩を越えていた。これは確かに限界を超えている。こんなに歩いていたとは思いもしなかった。

 

 入浴後は部屋でまったり。と言っても灼熱地獄の中を歩き回った疲労が半端ではなく、途中でダウンしてしまう。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は5時半に起床するとホテルのレストランで朝食、7時過ぎにはチェックアウトして、ホテルの送迎バスで成田空港第2ターミナルに向かう。バスは空港ターミナルに入る際にセキュリティチェックがあるので、免許証を見せることに。入り鉄砲に出女というやつか。それにしても免許証もパスポートも持っていない者ならどうするんだろう。

 

 空港ターミナルに到着するとまたも最初にすることはトランクを預けること。帰りの便は今日の夜なので、今日はまる一日予定が一杯である。まず最初の目的地は佐原。佐原は以前にも一泊したことがあるが、その時は夜になってからの到着で、ホテルで寝るとすぐに早朝出発というような状態だったので、佐原の市街は全く見学していない。そこで今回、改めて佐原の重伝建地区を見学してやろうという考え。

 清々しい田んぼ

 空港からの普通列車で成田に出ると、そこから銚子行きの列車に乗り換える。この路線は以前に乗車しているが、改めて沿線を眺めていると記憶に残っているよりも遙かにひたすら田んぼ。最早清々しいと言って良いレベルの田んぼである。

 佐原駅

 単線なので対向車と時間合わせなどをしながら列車は40分ほどかけてようやく佐原に到着する。以前に来た時には夜だったので何もない駅という印象しか残っていなかったが、改めて見てみると結構観光を意識した駅舎を建てている。近くの観光案内所でマップを入手すると、水郷近くの重伝建地区までしばし市街地を歩く。それにしても昨日に続いての灼熱地獄。伊右衛門が命綱である。

 10分以上歩いてようやく重伝建地区に到着する。重伝建地区は水郷周辺の風情のある通りで町並みは江戸時代頃の風情を湛えている。しばし水郷沿いを散策。伊能忠敬がこの辺りの出身とのことで彼の生家もあるのだが、残念ながら修理中で立ち入り禁止である。

 伊能忠敬生家は修理中

 実のところ伊能忠敬生家に限らず、工事中の家が結構多いのが目に付いた。後で観光案内所で聞いたところによると、先の東日本大震災の影響だという。あの時に古い住宅の瓦屋根や塗り壁が甚大な被害を受けたのだという。重伝建地区だけに適当な瓦で修理するわけにもいかず、修理に時間がかかっているらしい。ただこれでも震災直後に比べるとかなり修復が進んでいるのだとか。震災直後の写真を見せてもらったが、周辺の建物は壊滅的だし、そもそも水郷自体が水が干上がってしまって川船が座礁しているような状態になっており、橋や護岸も壊滅状態であった。あの震災の凄まじさを物語る話である。

 伊能忠敬記念館

 町並み見学後は現地の伊能忠敬記念館を見学する。記念館内部は大体お約束通り、彼が測量に使用した器具や彼の足取りについての展示などである。なお現地では「伊能忠敬を大河ドラマに」という幟がいくつか立っていたが、正直なところ伊能忠敬が主人公で1年間の長丁場にするだけのドラマが作れるとは思えない。伊能忠敬を主人公にするならせいぜい3時間の歴史スペシャルドラマ辺りが限界だと思うんだが。伊能忠敬を主人公にするのではなく、幕末の群像ドラマにして伊能忠敬をその中で準主役クラスに据えるという形でなら大河ドラマ化も不可能ではないかもしれないが。それでなければ助手を助さん格さんにして、全国を世直し旅する物語にでもするか(笑)。

 

 重伝建地区の見学を終えるとまたフラフラと駅まで戻ってくる。正直なところ、確かに重伝建地区の町並みには素晴らしいものがあるが、私としてはむしろそこに至るまでのごく普通の町並みに昭和レトロ感が満載されていて心惹かれたりするのだが。佐原も重伝建地区を核にして、それを取り巻く市街全体で盛り上げる仕掛けはできないんだろうか。その方が観光アピールもありそうだし。

 

 佐原駅に到着すると、とりあえずは火照った身体を「ガツンとみかん」でクールダウンする。ここまで暑いと体内の冷却が伊右衛門では追いつかず、かき氷などが必須になってくる。

 

 ようやく人心地ついたところで次の目的地への移動となる。まずは成田線で千葉まで移動。成田沿線は田んぼと山ばかり、急に住宅が増えてきたと思うと千葉である。千葉に到着すると外房線に乗り換えて目指すは土気。目的地は土気にあるホキ美術館。写実系絵画のみを集めたという美術館である。

 土気駅

 土気駅からバスが出ているのでそれで美術館を目指す。どうやらこのバスの乗客の大半はこの美術館目的の観光客だったようだ。ホキ美術館は郊外の住宅地の中にあるコンクリート製の近代的建物。この辺り自体がバブル期に首都圏住宅地として開発されたようだが、首都圏に通勤するにはあまりに遠すぎる気がする(特に千葉と土気の間が距離がある)。実際にこの付近ではアメリカのビバリーヒルズを意識した超高級住宅地も開発され「チバリーヒルズ」などとも呼ばれた(正式名称はワンハンドレッドヒルズ)らしいが、バブルの崩壊によって売れ残ってしまい、今では高級ゴーストタウンと化しているとか。結局、バブルは日本の美点を経済、精神、国土の三面から破壊しつくしてしまった。成果主義は日本の競争力を削ぐためのCIAの陰謀だったという説があるが、実はバブル景気もCIAの陰謀だったのではと言いたくなる。

 ホキ美術館には意外と観客が来ている。外から見るとあまり大きくは見えない建物だが、内部は多層構造になっていて意外と広い。その中に写真と見まがうほどの精密な写実絵画が多数展示されている。ここまで描写が精緻であると、逆にあえて写真ではなくて絵画にする意味はということになってくるのだが、その疑問については各絵画を見ていくうちに何となく分かってきたような気がする。と言うのは明らかに写真よりもさらにリアルなのである。裸体画などは肌の柔らかさや弾力まで伝わってくるような気がする。写真ではここまでのリアルさを感じたことはない。そもそも人間の視覚というのは写真のように全体を均一に見ているのではなく、注意を惹かれたところを最も高精細に、周辺部分はかなり荒く見ている。絵画の場合は意図的に視線を誘導することでその自然の視覚に近い効果を出すことが出来るのではないかという気がする。つまりはこの仕掛け自体が写真とは異なる写実絵画の意味ではなかろうかというのが私の解釈である。

 

 ホキ美術館の見学を終えるとバスとJRを乗り継いで千葉に戻る。千葉駅で降りると京成千葉に移動、ここからちはら台方面に向かう。京成千葉線を視察しようという目論見。千葉から隣の千葉中央までは10分間隔で列車があるが、千葉中央からちはら台までは単線のためか20分間隔になる。おかげで千葉中央でしばし乗り換え待ちさせられる羽目に。

 千葉中央からちはら台方面は明らかに新興住宅地。しかし正直なところあまり活気があるように見えない。なお路線は明らかに複線用の用地の確保はしてあるのだが、あえて単線で運行している模様。実際に車内を見ていると、わざわざ複線化するだけの需要もなさそうに思われる。

   ちはら台駅

 終点のちはら台で下車するのは数人。終点のちはら台は新興住宅地のはずれという印象で、周りには何もない閑散としたところ。雰囲気としては以前に乗車した神戸電鉄のウッディタウン中央に近い雰囲気がある。ただあちらは駅から見えるところにイオンがあったが、こっちはイオンがあるのは一駅手前である。

 

 ここに用はないのですぐに折り返す。千葉を過ぎると沿線はひたすら住宅地の中。途中で幕張なども通過するが、いわゆる京葉線沿線の埋め立て地ではなくて完全住宅地の中。やがて京成津田沼に到着、ここで新京成に乗り換えである。新京成は多くの鉄道路線を縦に縦断する形で結んでおり、それらの間の乗り換えのための乗客が多く、終点の松戸まで乗車する者はほとんどいない模様。ただ沿線は一貫して住宅地ばかりなので、トータルとしての利用客は結構多い。乗換客が多かったのは東武と接続している新鎌ヶ谷。とりあえず、これで京成電鉄、新京成電鉄、及び北総線について視察終了ということになる。

 松戸駅はJRと隣接していて高架で接続。JRに移動するとここから常磐線で金町まで移動する。昼飯抜きで移動続きのためにガス欠になりかけたので、ホームの自販機でチョコレートラスクを買って口に放り込んで急場をしのぐ。

 松戸駅

 金町からは京成金町線を経由して高砂から特急に乗り換える。最後の目的地は大佐倉。ここの最寄りである本佐倉城に立ち寄るのが本遠征の最終目標。ただどうも天候が不安定なのか、所によって雨雲が出ていて豪雨の地域も。千葉方面は晴れていたのだが、特急に乗って進む内に津田沼当たりから天候が怪しくなり、八千代台辺りでは豪雨。もし佐倉でも雨が降っていたら困るなという考えが頭をよぎるが、幸いにして佐倉手前で雨は止み、大佐倉は雨が降った後はあるもののとりあえず今はまだ晴天。やっぱり日頃の行いの良い者はこういうところで報われるものである。とは言うものの、西の空に真っ黒な雲が迫っているのが非常に不安。とりあえず目的地に急ぐ必要がある。

 

 本佐倉城は戦国期に千葉氏が本拠地として築いた城である。佐倉と言えば江戸期に築城されて100名城にも指定されている佐倉城が有名だが、本佐倉城はその佐倉城が築城されたことで廃城となっている。なお千葉県で国の史跡に指定されているのはこの本佐倉城だけ。しかしなぜか100名城は佐倉城の方である。

 

 本佐倉城は大佐倉駅から10分以上歩いたところの田んぼの中の丘陵にある。現在田んぼになっているところはかつては沼地だったというから、沼地に浮かぶ城だったと言うことになる。丘陵の高さは大したことないが、沼地を併せて考えると結構堅固な地形である。

  

 やがて本佐倉城の案内看板のある場所に到着する。広々とした平地が見えているが、これが東光寺ビョウとのこと。そこをさらに進んでいくと東山虎口に到着する。ここが極めて堅固。蛇行した狭い通路を抜けていくことになるので、両側から激しい攻撃に晒されることになる。

左 東光寺ビョウ  中央 向こうに見えているのが東山虎口  右 東山虎口

左 虎口内部は狭い  中央 虎口を抜けると広場に出る  右 意外と高い

 虎口を抜けると広大な平地に出るが、これが東山馬場とのこと。その奥には本郭である城山につながる通路がある。この城山への通路を進むにも城山と奥の山の間の狭隘地を抜ける必要があり、ここでも両側から激しい攻撃に晒されることになる。

左・中央 城山と奥ノ山の間を抜ける  右 城山の門跡

 城山は広大なスペースで奥には土塁が築かれている。ここでは発掘調査も行われているようで、建物の跡を示す縄張りなどがある。城山の隣には奥ノ山がほぼ同じ高さで見えているが、間は先ほどの通路が堀切となって隔てている。恐らく往時にはこの上に吊り橋でも架けていたのではなかろうかと思われる。

左 城山風景 奥に土塁が見える  中央 東山馬場方面を見る  右 土塁

左 園池跡  中央 奥ノ山  右 間の堀切

 奥ノ山はいわゆる二の丸。奥には倉跡もつながっており、全体では先ほどの城山以上の面積がある。奥には千葉氏の守護神であった妙見宮の跡も残っている。ここにはかつては多くの建物が建てられていただろうと想像できる。

左 奥ノ山の入口  中央・右 奥ノ山

左 妙見宮跡  中央・右 倉跡

 倉跡のさらに奥は切り立っており、小高くなっている部分には諏訪神社の小さな祠が建っていた。ここはかつては東虎口を守る櫓でもあっただろうと思われる。

左 東山虎口脇の登り口  中央 ここには櫓があったか  右 北方を望む

 東山虎口の脇の東山はこれ自体が巨大な土塁のようものであり、かつてはこの上に物見台があったと言われている。実際、ここに立つと北方が広く見渡せる。

 

 かなり規模の大きい堅固な城郭であった。現地に立って歩いてい見ると圧倒される規模である。それに遺構の保存状態もなかなか良い。まさに一見の価値のある城郭であった。

 

 一時間ほどかけて本佐倉城を散策すると大佐倉駅に戻ってくる。城郭を堪能したが、計算違いは日は陰ってはいたものの気温は高く、伊右衛門を口にしながら城郭内を歩き回っていると頭から汗でずぶ濡れになったことと、雨上がりで湿り気が残るブッシュをかき分けて歩いていると、ズボンの裾がずぶ濡れになったこと。さすがにこの姿で登山列車ならともかく都市型私鉄の京成電鉄の列車に乗り込むと視線が気になる。

 

 これで本遠征のすべてのスケジュールは終了。成田空港に移動するとトランクを回収、かなり遅めの軽い昼食を摂ってからスカイマークで帰途についたのである。なお帰りも飛行機へはバスでの移動。バスの待合室にはJALの沖縄便の出発を待ついかつい外人の団体が。もしかして米軍基地のアメリカ人か? お盆で里帰りしていた米軍人? いや、そもそもアメリカ人にお盆の里帰りの習慣があるのか?

 

 帰路のスカイマーク便の操縦はハッキリ言ってかなり雑な印象を受けた。とにかく急上昇、急旋回という印象を受け、極めつけはドッカン着陸。しかしこれはスカイマーク云々よりも多分にパイロットの個人差だろう。なお神戸空港ではブリッジに横付けせず、長距離を歩かされた挙げ句に何度も階段を上り下りさせられる羽目に。さすがにスカイマークは乗客に楽はさせてくれない。

 

 この後は車で帰途についた。帰りの高速では高速道路上を40キロ走行する馬鹿車のせいで危うく事故に巻き込まれそうになったりしたが(頼むからこういう馬鹿からは免許を剥奪して欲しい)、何とか無事に家に帰り着いたのであった。

 

 さて今回初めてスカイマークに乗ったのだが、感想としては「特に他の航空会社(と言っても私はANAしか知らないが)とは変わらない」というもの。ただだからこそ、ANAの安売りチケットが使えるならあえてスカイマークに乗る理由もないということでもある。今後も時期とコストとの相談と言うことになろう。なおピーチなんかも気にはなっているのだが、何しろ発着が関西の超ド辺鄙の関空なので、交通費を考えるとコストメリットが全くないということで目下のところは利用する局面は全く想像できない。それにしても関空って、つくづく使えない空港だわ・・・。米軍にくれてやって思いやり予算で赤字埋めた方が良いのでは。

 

 それにしても帰ってからやはり真夏の遠征は無謀だったと思い知った次第。熱中症には注意していたはずなのだが、やはり熱疲労は身体に残ってしまい、数日間は今一つからだがだるいという状態が続いてしまった。年齢と共に対応力も回復力も明らかに衰えているので、無理は極力避けるのが得策と言うことが身に染みたのである。しかし実際は、いざ遠征を開始するとスイッチが切り替わってしまうのか、貧乏性と好奇心の命じるままに突っ走ってしまう悲しい性分。これだけはどうにもならないのか。

 

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