展覧会遠征 飛鳥編

 

 ようやく冬の寒さが緩んできた今日この頃。体調の悪さ天候の悪さからしばらく遠征を休んでいたが、久しぶりに再び遠征へと繰り出す決意をした。

 さて目的地であるが、シーズンオフなのか展覧会には今一つめぼしいものがない。そこで今回は城の方をメインにすることにする。以前にも言ったことがあるが、冬は山城攻略に最適の季節である。木の葉が落ちて薮が枯れることで見通しが良くなるし、何よりも山城攻略の大敵であるスズメバチ・マムシ・熊との遭遇確率が劇的に減少する。さらには夏と違って汗まみれにならなくて良いということもある。積雪リスクと日が短いので行動時間が制約されるという難点もあるが、総合的に見ると最も山城攻略に適しているのが冬と言えよう。

 山城となると目的地はもう決まっている。奈良の「高取城」である。高取城は戦国時代にこの地に拠点を置いた越智氏の居城で、越智氏滅亡後に筒井順慶が本格的城砦に整備したものを、筒井氏転封後にここを治めた豊臣秀長がかなり規模の拡大を行ったらしい。秀吉の地味な弟として知られる秀長だが、実は築城マニアではと言われているぐらい大規模な城郭をいくつか手がけており、この高取城も彼の手によってとてつもない巨大な山城として整備されたという。高取城は江戸時代には高取藩の藩庁として存続するが、幕末の動乱でもあまりの堅城ぶりに攻撃さえ受けなかったという話である。ただその堅城も明治になって廃城後には、払い下げられて建物類が撤去されたとも、あまりの山奥のために放置されて自然に倒壊するがままにされていたとも言われており、とにかく現在は建造物は一切残っていない。ただし石垣類は山奥故に改変されることもなくそのまま残存しており、国の史跡に指定されており、現在では100名城に選定されている。なお高取城は備中松山城、岩村城と共に日本三大山城に挙げられており、この三者の間では「日本三大山城サミット」も開催されているという(そもそもサミットの意味は頂上であるから、まさにピッタリではあるが)。

 さて交通機関であるが、とにかく公共交通が不便な地であるので車で行くぐらいしか思いつかない。また車を使えば山道を通って本丸近くまで上がれるとのことであるが、列車で行った場合には山の麓まで延々歩いた上にそこから本格的な登山をする必要があり、私にはとてもそんな体力はない。

 

 土曜日の朝に起床すると、山陽道と近畿道を乗り継いで奈良に向かう。山陽道は走りやすいが、西宮を過ぎて中国道に入った途端に車がやたら多いのと路面が荒れているのには参る。またその中に挙動が怪しいサンデードライバーまで入り込んでいるのだからたちが悪い。しかも吹田出口を経て近畿道に突入すると路面の悪さはさらに拍車がかかる。ここはいずれ抜本的な設備改善が必要になりそうである。私の車はご老体のカローラ2なので、路面が悪い場合には足回りのヘタリがもろに走行の不安定さ(車が飛び跳ねる)につながるので、ここはご老体をいたわりながらの走行。ただこのご老体、あまりに年寄り扱いをすると、突然に「今時の若い者には負けない」と張り切り出す黄忠のようなご老体でもある。

 美原からは南阪奈道路で奈良まで。ここは道路は良いんだが、対面二車線なので変な車が一台いるだけで渋滞になるのが難点。ただ運転が下手なせいで後ろに大渋滞を作るドライバーもなんだが、対面二車線で前がつかえているのに後ろから煽ってくるドライバーは頭がおかしいのか?

 

 一般道に降りてからは奈良の細い道をしばらくウネウネと南下。かなり山の中という趣になってくると高取町に到着。ここからは壷阪寺を目標にしばし山道を走行。壷阪寺は有料駐車場も完備していて、大観音像などもあるというかなり商売っ気が垣間見えるお寺。私はこういう生臭寺院は嫌いなので元より立ち寄る気などなし。目的地はここからさらに先に進んだところにある。壷阪寺を過ぎると急に道が細くなるので対向車に注意しながら運転。車体の小さい私のカローラ2なら特に運転に困るという道ではないが、下手くそドライバーが大型車なんかで入ってきたら、対向車と出くわしたら進退窮まるということになりそうな懸念はある(この手のドライバーはとにかく道のど真ん中に居座ってしまうので)。

 しばらく進むと道が広くなっていて車が停められそうな場所に行き着く。ここには登山道も合流しており、どうやら壷坂口門にたどり着くルートの模様。ここに簡易トイレが置いてあるのでとりあえず小用を済ませておくが、ここから登るとまだまだ結構斜面を登る必要があるはず、とりあえずはさらに先まで車で進むことにする。

 さらに狭い山道を登ると、やがて道が突き当たったところに出るのでそこで車を停める。ここがちょうど七つ井戸の真下のところで、ここから登るとすぐに本丸の脇に出られるという。体力にあまり自信のないものの場合はここから登るのがベストと聞いているのでとったルートである。ただここからの登りは長くはないものの傾斜は結構過酷で足下も悪いので、天候の悪い時には避けた方が良さそう。私は例によっての杖代わりの一脚を取り出すと、ひいひい言いながらここを登っていく。日頃の運動不足のせいか、まるで足が上がらなくて難渋するが、階段を登り切ったあたりで立派な石垣が見えてきてテンションが上がる。それにしても標高が高い。ここまでは全く雪の気配などなかったのに、城の上ではところどころに溶け残った雪が見られる。

左 狭い山道を登っていく  中央 壷坂口門へのルート  右 七つ井戸の下

 ようやく階段を登り切ると門の跡と思われる構造が見える。そこをくぐると左手に太鼓櫓跡、右手に本丸の石垣が見える。こんな標高の高い山上とは思えない立派な石垣で、どうやってこんな上にこれだけの石を集めたのかとそのことに驚かされる。これは確かに秀長は築城マニアかもしれない。

左 七つ井戸の一つ  中央 石垣の陰にまだ雪が残っている  右 門の跡

 太鼓櫓の石垣を登ってみると、下には二の丸が見える。この二の丸もかなりの面積があり、確かに山の上とは思えないほどの規模の城郭である。

左 太鼓櫓跡  中央 太鼓櫓石垣上から望む二の丸  右 本丸石垣

 本丸へ進むにはいくつかの門の跡をくぐり抜けていく必要がある。途中には有名な歌「巽高取 雪かとみれば 雪でござらぬ 土佐の城」の歌碑が建っている。かつては険しい山上に白壁の城郭が威容を誇っていたのであろう。

左 歌碑  中央 三の丸方向を見ればこの急傾斜  右 本丸の門跡

 本丸へ登ると団体客が昼食を摂っている模様。ここはハイキングコースにもなっているので、いわゆる登山団体のようだ。先ほどからあからさまな登山客と、恐らく城マニアだろうと思われる面々があちこちでウロウロしており、深い山中の城跡にしては結構賑やかなところである。

 

 本丸からはかなり遠くの市街が見える。この風景だけでこの城がとんでもない山の中にあることがよく分かる。足元に目を転じるとかなり高い石垣で、これはこの城の堅固さをそのまま示している。ふと後方を見れば天守台と思われる石積みがなされている。ついでだからここによじ登るが、高々1メートルちょっと程度の石垣を登るのに思いのほか苦労してしまう自身の身体能力の低下に愕然とさせられる。

左 本丸から南方を望む  中央 本丸奥、入口の脇に天守台が  右 天守台

 天守台上からは西の二の丸方向はよく見えるが、東側の侍屋敷は鬱蒼としていてよく分からない。往時にはこれらの木は取っ払われていたはずだから、さぞかしすごい眺めだったろうと思われる。

左 本丸北東の十万櫓跡  中央 本丸石垣はこの高さがあります  右 本丸石垣南側

 本丸の見学を終えた後は、まずは帯郭を通って本丸周りを一周。ここにたどり着くだけでもかなり大変であるのに、ここからさらにこの本丸石垣を登るなんてとても考えられない。こんな城は力攻めでまともに落そうと考える方が無茶であろう。存在を無視するか、調略で落すかしか通常は考えにくい。何が何でも落すのなら、大軍で麓を囲んでの長期兵糧攻めしか手はあるまい。

左 十五間多聞を抜け  中央 二の丸を横切り  右 十三間多聞も抜け

左 さらに進んでいくと  中央 大手門跡が見えてくる  右 大手門跡

 本丸から二の丸を通過すると侍屋敷跡の方に向かう。この間も門の跡をいくつか通過するが、建造物は一切残っていないものの、石垣などはほぼ完全に残っており、門の構造を完全に確認できるのはなかなかに感動的である。

左 大手門跡を抜けた右手は三の丸方向  中央 左手には高い石垣  右 CG復元図

左 前方の鬱蒼としているのは侍屋敷跡  中央 千早門跡を抜けて  右 鬱蒼とした中をさらに進む

左 宇陀門跡を抜けると  中央 本格的な下りになってくる  右 松ノ門跡に到着

左 この先は完全な山道  中央 矢場門跡  右 国見櫓方面との分岐

 大手門跡を過ぎるとここら辺りからは藪が深くなってきて、宇陀門跡を過ぎた頃から道も下りになってくる。さらに松の門を過ぎるといよいよ道は狭くなり下りも急な山道。この山道の両脇には平らに整地されている部分が並んでおり、これが屋敷跡であることはよく分かる。ここでは家臣が生活すると共に、一朝事あった場合には登城路を守る防御施設でもあったのだろう。

左 城域はずれまで到着  中央 左手には深い崖  右 右手には石垣と

左 こんな山の中に水堀(池?)がある  中央 さらに前方に猿石が  右 猿石

 後で引き返すことを考えるとあまり派手に下らないでくれと心で祈りつつ先に進む。矢場門跡のところで国見櫓方面の分岐があるがとりあえず直進。しばらく歩いた後にようやく最後の門跡らしきところに出る。ここの先は土橋のようになっていて、左手は急な崖、右手には堀というか池がある。この土橋を渡った先にあるのが有名な猿石。この猿石自体は飛鳥時代に製作されたと見られており、石垣用の石材としてここまで運ばれたものの、その愛嬌のある造形のためか、石垣に組み込まれることなくここに置かれたようである。

左 国見櫓方面に向かう  中央 国見櫓跡  右 遠くに町が見える

左 壷坂口方面は下り階段がつけられている  中央 壷坂口中門  右 下方には曲輪が見える

 ここからは来た道をとって返すことになる。今まで下ってきた坂道が、そのまま登り坂となって私の足を痛めつける。途中で国見櫓跡に立ち寄ってそこから風景を堪能、一息ついてから一気に登り坂の攻略にかかる。疲れながらも大手門まで到達したところで、一端壷坂口方面の見学へ。ただ下まで降りる元気は到底ないのですぐに引き返すと、二の丸を抜けて七つ井戸から車に戻る。

 とにかく驚く規模の山城である。これだけの山上にこれだけの石垣を作り上げたことには感心するしかない。岩村城、備中松山城もかなり驚かされる城郭であるが、規模の点では明らかに高取城が最大であろう。久々にかなり感動する城郭であったが、その代わりにこの時点で足腰は既にグラグラになってしまった。

 

 かなり見所の多い城郭だっただけに相当の時間を見学に費やした。おかげでもう昼過ぎである。とりあえずは昼食にしたい。これについては事前に計画がある。昼食がてらに温泉を堪能しようという考え、とりあえずは山を下りて西に走る。

 

 私が目指すのは「かもきみの湯」。御所市の山奥にある温泉保養施設である。これはこの地域に屎尿処理施設が建設される際、いわゆる「迷惑施設」のみを現地に押しつけるのでは現地の納得を得ることが出来ないということで、周辺公園の整備などと共に建設された温泉施設である。

左 施設遠景  中央 近景  右 今日の昼食

 あたりは公園になっており、広大な駐車場が隣接している。そこに車を停めると入館。とりあえず入浴券と食事券が一体となっている「かもきみパック(1980円)」を購入。朝からの運動でかなり空腹が来ているので、食事の方を先にすることにする。

 食事は二階にスペースがある。セットのメニューは1500円相当のものだそうだが、刺身に天ぷら、小鉢に焼き物などの豪華なセット。メニュー的には特別に工夫があるわけではないが、味の方は普通に旨い。1500円だとしたら、CPはまずまずのように思われる。

 腹が膨れたところで風呂の方へ。内風呂+外風呂+サウナの構成だが、浴槽の種類が多いのが特徴。ただ内風呂の方は塩素の臭いがいささかキツイ。外風呂に行くと、奥の岩風呂が源泉を直接に注ぎ込んでいる源泉風呂。常連っぽいオッサンで一杯であるが、とりあえずその中にお邪魔する。

 泉質はナトリウムー炭酸水素塩・塩化物温泉とのこと。温度が低いので加温をしているようだ。やや褐色をした湯で塩気が強い。なおここの湯は高張性温泉とのことで、館内でも「浸透性が強いので休憩を入れて入浴するように」とのアナウンスが流れている。塩分濃度が高いので肌にキツイ湯かと思っていたが、意外に肌あたりは悪くない。

 

 温泉で温まったところで最後の目的地に向かうことにする。いつも言っているように、私の遠征は基本的に「展覧会遠征」である。やはりこの類が全くなしというわけにもいかない。カーナビを頼りに飛鳥路をウネウネと走る。なだらかな丘陵が続く飛鳥路はまさに古墳の宝庫である。生憎と私はそちらの趣味はないのだが、考古学好きの者はウロウロすると飽きることがなさそうである。

 次の目的地は巨大施設なのだが、そこへのアクセス路が複雑怪奇。結局は惨々迷ってウロウロした挙げ句にようやく到着する。

  キモキャラせんとと、なぜか雅な方々


「井上稔展−奈良に魅せられて」万葉文化館で3/6まで

 

 奈良を愛し、奈良を描き続けている日本画家・井上稔の作品を集めた展覧会。展示されているのは奈良にまつわる本画の大作ばかり。画題は仏像や寺院で、東大寺などの同じモチーフを季節を変えて何度も描いているあたりは、まるでモネの聖堂シリーズを連想させる。静謐で穏やかな彼の画風は奈良の風景と非常にマッチしており、彼が奈良に魅せられたというのも分かるような気がする。

 典型的な「美しい絵」なので、非常に一般に受け入れられやすいタイプの作品であると感じられた。地味で穏やかな絵であるので、芸術に情念を求める向きには退屈を感じる部分があるかもしれないが、気持ちの良い絵というのが私の印象である。

 


 

 これで本遠征の予定は終了した。博物館の前の茶店で古代米入りという赤い甘酒を一杯頂いて燃料補給すると、高速を乗り継いでの帰途へとついたのである。

 

 今回の高取城訪問で近畿地区に残った未訪問100名城は小谷城のみとなった。ここも近日中に訪問したいと思うが、ここの場合は雪に気を付ける必要があるので天候次第。ただ春の行楽シーズンになってしまうと、大河ドラマの煽りで現地が一杯なんて事になったら嫌なので、その前に訪問を済ませておきたいと考えている。もっとも当の大河ドラマ自体は、あまりのシナリオのひどさと主役の演技のひどさのせいで、私はもう既に脱落しているが。 

 

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