展覧会遠征 新潟編

 

 さて飛び石連休の到来である。昔より「赤(祝日)と赤にはさまれると赤(休日)になる」という「はさみ将棋の原理」なるものが存在する。この法則を適用すると当然ながらこの週末は四連休ということになる。

 今年は「東北・九州方面強化年間」になっているが、東北もさることながら私の遠征において今までボッカリと空白領域として空いているのが新潟である。以前の北陸遠征で春日山城などは訪問したものの、新潟市を中心とする上越地域は完全に未訪問である。そこで今回はこの空白地域を埋めつつ、さらには東北地域も補完するという大横断プランを実行することにした。まず新潟に上陸、そこから仙台方面に抜けつつ、以前の宿題を解決していこうという構想である。

 

 さて交通機関であるが、関西からはとにかく新潟へのアクセスが悪い。何しろハイパーダイヤで検索をかけると、東京経由での上越新幹線ルートが出るという始末。しかしこんな旅費と時間の無駄などしているわけにはいかない。そういうわけで一気に飛行機で新潟に飛ぶことにした。当然ながらこのために事前に旅割で切符は押さえてある。新潟空港から新潟に上陸し、米坂線を経由して仙台に抜ける。帰りは仙台から飛行機ということで計画の輪郭はほぼ決定である。

 時刻表ソフト(私の愛用は駅探エクスプレス)をフルに駆使して例によっての分刻みのプランの詳細が決定。スケジュール表をプリンタで打ち出すと、明日は早朝からの出発なので早く寝ようと荷物の準備をしていたときである。とんでもないトラブルが発生した。

 旅行に持っていくノートPCのWindowsアップデートをした直後(こうしていないとホテルでPCを起動した途端に勝手にアップデートを始めてしまってしばらくPCが使用不能になることがある)、急にWindowsXPが起動しなくなってしまったのである。起動画面までは行くものの、その次にエラーが云々というブルー画面が出てリブート、そしてまた起動画面の後にエラー画面とエンドレスである。

 Windows7が発売されたが、未だに多くのユーザーはXPで十分と考えているので、大金をはたいてわざわざ7に乗り換える物好きはかなり少ないという。そこでマイクロソフトでは、Windowsアップデートを使ってわざとXPを不安定にするバッチを送り込んで、XPユーザーを無理やりに駆逐しようとしているという噂がある。私もこういうことが起こってしまった以上、この噂は本当ではないかという気がしてくる。実際、私のメインマシンのほうも、7が発売された頃から急に動作が不安定になっている(IEなどのプログラムがCPUを独占したまま暴走することが度々ある)。まさかと思いたいのだが、実際にマイクロソフトならこのぐらいのことはやりかねないという気もするし・・・。

 とにかくセーフモードその他をいろいろ試したが、結局はハードディスクを工場出荷状態に戻すしか手はなかったのである。とりあえずOSをクリーンインストールした後、インターネット接続やメールの設定、さらに必要最低限のソフトのセットアップを急遽行ったのだが、作業は深夜にまで及び、早めに寝るどころかろくに寝る間もないままの出発を余儀なくされた。すべてはマイクロソフト独占の弊害である。私が以前から言っている「競争のない資本主義は社会主義以下の状態になる」という事実をそのまま現しているようである。

 

 眠い目をこすりながらシャトルバスで伊丹空港まで移動。とりあえずの朝食を空港で摂ると、保安検査の行列に並ぶ。私同様にはさみ将棋の法則を発動させた者がいるのか、とにかく空港は異常な混雑で保安検査場の前には長蛇の列。全便ほぼ満席の模様であり、結局は保安検査までに30分近くを待たされることになる。

 ようやく保安検査を通過すると搭乗ゲートへ。飛行機はまもなく到着する。今回乗るのも前回の仙台行きと同様のボーイング737。新潟に行く便はこれかボンバルディアの二種なのだが、さすがにまだボンバルディアに乗る度胸がなかったのでこちらを選んだ次第。

 機内は完全に満席状態。おかげで前回以上に狭苦しさを感じる。飛行機は空港を離陸すると例によって一気に上昇するのだが、今日は前回よりも気流が荒れているのか、途中で妙な揺れが起こることが数回。正直言っていささか気持ち悪い。やっぱり私は飛行機と相性は良くないようである。やはり乗らなくても良いのなら乗らないで済ましたいというのが本音である。

 

 定刻通りに新潟空港に到着。新潟空港は地方空港にしてはかなり立派な施設である。また利用客も見渡した限りではそこそこ多い。しかしそれでも収益状況は良くないようで、「何のために造った空港か」などと言われているようである。しかし新潟中心へのアクセスはバスで25分ほどだし、私の見立てでは成田や関空のような大馬鹿空港と違ってずっとまともな空港である。空港云々よりも、新潟は新幹線もあるので、そもそも東京からのアクセスが良いことが祟っていると思われる。私ももし東京に在住していたら、多分新幹線で行っているだろう。

 新潟は予想以上に大きな都市である。新潟駅もかなり巨大。とりあえずトランクをロッカーに放り込むといったん次の目的地へと向かうことにする。今日は新潟に宿泊する予定だが、その前に立ち寄るべき場所がある。それは新発田。新発田には甲信越地域で最後に残る未訪問100名城の新発田城があるのでそれを見学しておこうという考え。そもそもこれは本遠征の重要目的のひとつである。

 新発田までは白新線で行けるが、これで往復するだけでは芸がない。そこで往きは新津経由で信越本線と羽越本線を乗り継ぐ形で行くことにした。

 沿線は田んぼばかり

 信越本線は電化されているので、ホームで待っていたのは4両編成の115系電車。はっきり言って全く面白味のない車両である。沿線は最初は新潟の市街地であるが、すぐに見渡す限りの田んぼになる。田んぼアフター田んぼのまさに笑ってしまうほどの光景。ここまで田んぼだと気持ちが良い。

 新津で乗車するのはなぜかディーゼル車

 新津駅は一大乗り換えステーションなのだが、駅や周辺自体には特に何もない。ここで羽越本線に乗り換える。羽越本線のこのあたりは電化されているはずなのだが、なぜか待っている列車はディーゼル車のキハ110の単両編成。キハ110はディーゼルサウンドを高らかに響かせながら田んぼのど真ん中を突っ走る。

 新発田駅

 ひたすら田んぼの中を走ることしばし、ようやく住宅が見えてくるとそれが新発田。新発田駅に降り立つと、駅前でタクシーを拾ってそれで新発田城に移動する。

 新発田城の門(現存)と復元された辰巳櫓

 「新発田城」はかつての新発田藩の藩庁であり、新潟県で唯一現存する近世城郭であり、100名城に選定されている。元々の城郭は中世に現地豪族の新発田氏が築いたものであるが、上杉の会津転封に伴ってこの地に入封した溝口秀勝が近世城郭として整備したという。しかし例によっての明治の廃城令で表門と隅櫓以外は破却。また城内に陸軍が置かれたことから、今日でも城域のほとんどを陸自の基地が占めている状態であり、見学できるのは実は基地の手前の数メートルの範囲だけである。石垣と堀が残存しているので、正面から見る姿はなかなかに絵になるが、現存の門をくぐるとすぐ先に基地との塀が見えており、見学可能範囲は非常に狭い。また鯱を3つ持つ独特の形態の三階櫓などが再建されているが、それが立地するのは基地の敷地内のため、櫓内部の見学は不可能になっている。

左 現存の二の丸隅櫓  中央 木造で復元された辰巳櫓  右 内部は急な階段までも復元

左 本丸櫓門上部  中央 現存の隅櫓  右 内部はやはり趣があります

左 城の奥は陸自の基地で三階櫓が敷地内に見える  中央 三階櫓  右 屋根には三つの鯱が見える

 確かに堂々たる石垣が立派な城であるが、基地のせいで城自体が張りぼてに見えてしまうのがやや悲しい。現存門と現存櫓は確かに貴重なのであるが、果たしてそれだけで100名城かと言えば少々考えてしまうのも事実ではある。

 

 新発田城の見学を終えた後は、新発田市街を見学がてら駅まで歩く。新発田市街は古い城下町という趣があり、街並みが近代化している今日でも随所にその風情は残存している。とにかく神社・仏閣の多い町で(その合間になぜか教会もあり、後はモスクがあれば完璧だろう)、寺社通りと言っても良いような一角が存在する。また水路なども見られ、ここもかつての城域だったことがうかがわれる。その寺社通りをプラプラと抜けた先に清水園という和風庭園があり、その向かいは現存の足軽長屋が建っている。時間があれば庭園見学をするところだが、もう時間的にギリギリなのでそれはすっ飛ばして駅へと急ぐ。

左 趣のある街並み  中央 清水園  右 足軽長屋

 しかしそれにしても暑い。実は新潟は北国だからと完全防寒で来たのだが、それが完全に裏目に出たようだ。予想に反して今日は陽気で、さすがの新潟でもダウンジャケットでは暑い。と言っても、これを脱いでしまうと荷物が増えて困るし・・・。どうも遠出の時は服装の選択が難しい。

 汗をかきつつようやく駅に到着すると今度は白新線で新潟に戻る。白新線は新潟−新発田を結ぶ独立路線であるが、新津経由の羽越本線よりもショートカットコースになるため、実質的には羽越本線の末端として機能している(その煽りで新津−新発田間の羽越本線は運行本数が少ない)。到着したのは二両編成ロングシートの「新潟板走るんです」ことE127系。車内も通学客らしき学生が多く満員。沿線はやはり田んぼアフター田んぼであるが、羽越本線経由ルートよりは民家が多く、隣の西新発田は無人駅ながらもイオンがあり(イオンは狐の出るような田舎に大型店舗を出店するのが戦略)、豊栄周辺はちょっとした住宅地になっていて乗り降りも多い。路線は田んぼの中を走るが、駅の周辺ごとに住宅地が集まっている印象である。

 新潟駅に到着

 まもなく新潟に到着。私としては初めて降り立つ新潟駅であるが、私の想像以上の大都会のイメージ。どうもやはり日本海側と言うことで私でさえも偏見を持ってしまっていたようだ。しかしそれ以上に驚いたのが美人の多さ。服装やメイクなどはどことなく地味なのだが、素材の良さを感じさせるようなタイプの美人が多い(先頃に周回した北関東地域と対照的である)。最近は日本各地を転々としているが、新潟の美人率の多さは異常である。駅前でパッと見渡しただけでもそれを感じるが、この後に新潟市内を巡回している間にその確信は高まるのだった。どうも日本は太平洋側と日本海側で元々の人種が違うような気がする。

 

 話が脱線したが、あまりキョロキョロしているとただの不審者なので先を急ぐことにする。新しい都市に到着するとまずするべきはその地の美術館訪問。まずは一番手近なところにある美術館を目指すことにする。

 


「現代陶芸の鬼才「加守田章二と栗木達介展」」敦井美術館で12/30まで

 陶芸には全く無知な私であるが、加守田章二については以前にその作品を展覧会で見たことがあるので、その特徴については記憶にある。どうも陶器の形態が云々と言うよりは、着色の方に個性の強い作家である。本展出展品でも、形態的にはなんて言うことのない普通の壷であるが、それが彼らしい極彩色に彩られた独特の造形となっている作品が多数存在した。

 加守田章二がやや奇をてらうところが強いのに対し、栗木達介の作品はもっとオーソドックスな印象を受けた。やはり陶芸に関してあまり興味が強いと言えない私の場合、どうしても特別な感慨があまり湧かなかったりする。

 


 一つ目の目的地を回ったところで次の目的地を目指すことにする。次は最近に何かと良からぬ事件で話題になった美術館。一端新潟駅のバスターミナルまで戻って、そこから美術館行きのバスに乗車する。

 


新潟市立美術館

 市立美術館では常設展のみの開催である。「自・画像!―19人の作家が表現した自分の姿と作品」と題して、自画像絡みの作品を展示。前半はオーソドックスな自画像なのだが、後半になると現代アート要素が強い作品が多いので、自画像云々以前に、果たして人間を描いているのかどうかが不明な作品が増えてくる。

 今回の展示作のみがそうなのか、それともここのコレクションの傾向がそうなのかは不明なのだが、やけに展示作が現代アートに偏っていたような印象を受けた。その辺りのせいで、個人的には今一つインパクトのある作品はなし。

 


 展示室内で虫が湧いたりなどと不祥事が相次いで問題となった美術館であるが、それは別に美術館が変と言うよりも、市長がコネで連れてきた館長があれだったというだけの話なんだろう。美術館自体は市民にも受け入れられている印象を受けた(それだけにかえって館長が変な運営をしたら市民が怒ったのだとも思うが)。館長にまともな人物が就任すれば問題はないだろう。

 

 考えてみると今日は空港でうどんを食べてから今まで何も口にしていなかった。ここに来てとうとうガス欠で目眩がしてきて考えている余裕もなくなったので、美術館の喫茶でパスタとアイスココアを腹に入れる。

 

 一息ついたところで次の目的地を目指すことにする。次の目的地は万代島の朱鷺メッセなる高層建築にある新潟県立万代島美術館。しかし市立美術館は交通の便が悪い地域で、目的地に行くバス路線が見あたらない。おおよその方向を目星を付けて歩き始めるが、遠くに見えるビルの位置を見て、どうも歩ける距離ではないと判断、通りがかったタクシーを拾ってそれで移動することにする。

 到着したのはいかにも湾岸開発地的なイメージのある施設(横浜や神戸でよく見かけるタイプの埋め立て地の高層建築に酷似している)。何かイベントでもあるのか、いかにもそれ系の多くの若者が集まってごった返している(後で調べたところによるとどうやらGLAYのライブがあった模様)。それを横目に見ながら私は隣の建物の5階に上がる。美術館はここの1フロアを使用しているようだ。

 


「物語の絵画」新潟県立万代島美術館で11/28まで

 物語性を帯びている絵画を展示ということのようであるが、確かに一連の物語系版画作品などが多く展示されていたが、中盤以降は宗教画や神話画なども物語の一部として取り扱い始めるので、テーマの意味はあまりなくなってくる。実際に終盤の現代アート部門になってくると、最早物語というニュアンスはほとんどない。

 唐突にコローの作品が展示してあったりするのには驚いたが、全体としては印象の強い作品はあまりなかった。ただ一応は「物語」という枠をはめているせいか、現代アート部門も辛うじて具象画の世界にとどまっている作品が多かったので、独りよがりの抽象作品よりは見やすかったし、それなりに面白い作品もあったというのは事実。

 


 美術館の見学を終えるとついでに31階にあるという展望室に登る。ここからは新潟市を一望できるが、田んぼの中の大都会である新潟市街の構造がよく分かる。海の向かいに見えているのは佐渡島だろうか。ただ正直なところ、土地が足らないというわけでもないのにここまでの高層建築を建てるべき理由は分からない。何となくただ単に高いのを作りたかっただけという気がする。

 展望室から大混雑のエレベーターで降りてくると、荷物を回収するために新潟駅に移動しようと考えるが、バス停の位置が分からなくてウロウロしている内に、目の前で新潟駅行きのバスが出てしまう。時刻表を見ると次のバスはかなり先。それまでボーっと待っているのは性に合わないので新潟駅を目指して歩くことにする。しかしこれは後になってみるとかなり早計な判断。結局はかなりの距離を歩くことになり、新発田市街ウォークと合わせてこの日で二万歩を軽く超えることになってしまったのである。遠征初日から体力を消耗しすぎである。

 新潟駅に到着するとロッカーから荷物を回収(このロッカーの場所が分からなくなってウロウロと探し回る羽目になったが)、明日以降に備えてウィークエンドパスを購入する。なおウィークエンドパスは本来は土日用だが、連休の場合はその期間でも二日間使用可能。明日からの二日間分が発売されていると言うことは、やはりJR東でも「はさみ将棋の原理」が発動して、この週末は四連休扱いになっているようだ。なおここで購入するのがスリーデーパスではなくて、あえてウィークエンドパスなのも深い考えのあってのこと。これで駅での用事は終了したのでホテルにチェックインすることにする。宿泊ホテルは例によってのドーミーイン新潟

 

 ホテルにチェックインすると、本格的に疲労が出て動けなくなる前に夕食に繰り出すことにする。日の暮れた新潟市街をウロウロ。繁華街に店は多いようだが、週末の夜のせいかどこも客が多い模様。最初に考えていた店は二軒も予約で一杯で入店できず。最終的に入店したのは「十郎」という店。

 

 ウーロン茶を頼むとお通しが出てくる。それを食べてからまずはお勧めという「海老の三種盛」を頼む。いずれの海老も鮮度が高くてうまい。何と言っても鮮度が良いから海老の頭の中をすすると甘い。これが少しでも海老の鮮度が悪いと臭くて食えたものではないところ。これでこの店は間違いなさそうだと判断し、本格的に注文にはいる。頼んだのは「白子のポン酢和え」「刺身5点盛」「シマガツオのタタキ」さらに「カキフライ」。やはり刺身の鮮度がよいのが光る。この時期の寒ブリは脂が乗っていて絶品のうまさ。またカキフライを食べると力が湧いてくるような気がする。たっぷり魚を堪能したところで、締めは「鯛茶漬け」。これも下手な居酒屋だと永谷園なんかが出てくることがあるところだが、ここのはヅケの鯛に出し汁をかけた本格的なもの。まさに絶品。これだけたっぷりと堪能して支払いは5090円と実にリーズナブル。新潟の飲食店侮り難しである。

左 海老三種盛  中央 白子のポン酢和え  右 刺身5点盛

左 カキフライ  中央 シマガツオのタタキ  右 締めは鯛茶漬けで

 夕食をたっぷりと堪能した後はホテルに帰還。ドーミーインご自慢の大浴場でゆったりと汗を流し、二万歩越えの疲れを癒すことにする。風呂からあがって部屋に戻ってまったりしていると、昨晩マイクロソフトの陰謀のせいでほとんど寝ていなかったツケが一気に襲ってきたので早めに就寝となる。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は5時半に起床するとまずは風呂に汗を流しに行く。入浴後はややまったりしてから朝食会場へ。今日は列車での長距離移動になるので燃料補給は大事。たっぷりと腹にたたき込んでおく。

 

 8時前にチェックアウトして新潟駅に向かう。良い飲食店に良いホテル。そして何よりも美人が多い(昨晩何軒か回った飲食店でも、アルバイトの女の子に美人が多かった)。新潟という街は結構気に入ったので、そう遠くない将来にまた来ることもあるだろう。しかし今回はしばしさらばである。今日の予定はまずは新潟から米坂線経由で山形入りするというもの。白新線・羽越本線・米坂線を経由して米沢に向かう快速べにばなに乗車する。この路線もかつては急行が走っていたようだが、全国的な急行廃止の中で現在は快速のみとなっている。しかも快速と言っても米坂線内では各駅停車なので、米坂線は現在は実質的には普通列車しか走行していない状態である。

  キハ110系で運行されるべにばな

 快速べにばなはキハ110系の二両編成。運行本数が少ないせいかセミクロスシートの車内は満員状態である。昨日も通った白新線を経由して新発田に到着。ここで乗り降りが結構あってからしばしの停車時間の後に先に進む。

 新発田を抜けると例によっての田んぼアフター田んぼ。やがて米坂線との分岐駅である坂町駅でホームで待っていた十数人が乗り込んでくるが、坂町駅周辺自体は特に何もないところである。列車はここで90度カーブして東に向かって走るようになる。沿線はしばし田んぼの中であるが、やがて標高が上がってきて山岳路線の様相を呈するようになる。荒川沿いの渓谷を走る路線となり、風光明媚な箇所もいくつかある。ただ沿線には大きな集落はなく(そこそこの集落は小国ぐらい)、途中での乗降もほとんどない。この路線もかつては日本海側と太平洋側を結ぶ重要路線として位置づけられていたのだが、単線非電化の低スペックでは今日では全く時代遅れであり、今ではただのローカル線にまで地位が低下してしまったようである。

田んぼを抜けて山岳地帯にさしかかった途端に、辺りは霧で覆われてしまう

 標高が上がって来るにつれて霧が出てきて辺りの視界が極端に悪くなる。霧が再び晴れたのは山岳地帯を越えて、今は第三セクター化されている長井線との合流駅である今泉を過ぎた頃。この辺りからは沿線は米沢近郊路線へと性格を変え、ようやく乗降も増えてくる。列車は米沢市街をグルリと回り込む形で米沢駅に到着する。

  米沢駅のサムライご一行様

 米沢駅は相変わらず米沢牛と上杉鷹山の世界である。降車した乗客を直江兼継、最上義光その他のご一行様がお迎えしている。やはりかなり観光に力を入れている模様。降車した乗客の大半は東京方面行きの山形新幹線に乗り換えるが、私は山形方面行きの普通列車に乗り換える。目的地はかみのやま温泉。と言っても温泉が目的ではなくて、目的は上山城である。

 

 この辺りは奥羽本線になるが、福島−新庄間は山形新幹線開通に合わせて標準軌化されており、他の路線と完全に切り離されているためにこの部分だけを山形線と別称で呼ぶこともあるらしい。ホームで待っていたのは標準軌用に改造した718系電車。都市近郊型車両なので面白みには欠けるが、セミクロスシートなのがありがたい(ロングシートはやはり疲れる)。

  集団見合い型とも呼ばれるタイプのセミクロスシート

 かみのやま温泉までの行程は途中で山越えがあるが、山形らしく沿線は果実畑が多い。また路線を山形新幹線用に高速改造してあるのが功を奏して、普通列車にしては走行速度は速い。しかしそのことがかえって「やはり山形新幹線なんて不要なのでは」という気を強くさせる。まあまだある程度の高速対応をしている山形新幹線はマシな方で、低速のトロトロ運転しかできない秋田新幹線はまさに無用の長物である。高速化対応の改造は理解できるが、標準軌化に意味を見いだすことが困難である。

かみのやま温泉駅に到着

 かみのやま温泉駅に到着すると、ロッカーにトランクを放り込んでからタクシーで上山城まで移動する。上山の市街はいかにも温泉地という雰囲気があるが、どことなく城下町の風情も漂わせている。一度ここでゆったりとしてみるのも良いかなという気にさせるが、今回はそんな余裕はほとんどない。

  上山城天守(模擬)  

 「上山城」は市街はずれの丘陵の上に建っている。元々は最上領の最南端を守る城だったが、その立地から伊達氏などとの激しい争奪の地となり、その帰属は転々としたという。江戸時代になっても最上氏改易の後に藩主が転々として、結局は幕末までそのような状態であったらしい。明治になって廃城の後、建物は破却されたとのことで、現在は立派な天守が建っているが、これはかつての二の丸に建っており鉄筋コンクリートの「とんでも天守」である。中は郷土歴史資料館というパターン。ただこの歴史資料館、結構気合いの入った展示であり、これは意外に驚いた。

     

茶屋とパインサイダー

 周辺には足湯や土産物屋などもあり、完全に温泉地の観光施設という趣。私も土産物屋でご当地サイダーの「パインサイダー」を一本頂いてから周囲を視察。西側に月岡神社が一段高いところに隣接しているが、こちらの方がかつての本丸だったようである。辺りが観光地整備されてしまっているので旧情はあまり残っていないが、それでも何となく城郭の雰囲気は把握することは出来る。今は月岡公園となっている辺りなどは明らかにかつての曲輪跡であり、周囲はかなり急峻な崖になっている。そう大規模なものではないが、自然地形を利用したなかなかに堅固な城郭であったようである。

左 天守からの見晴らしは良い  中央 遠くには蔵王連峰が  右 この月岡公園はかつての曲輪跡だろう

左 この通路はかつての堀跡か  中央 月岡神社  右 この境内はかつての本丸跡と思われる

 上山城を見学した後は、武家屋敷の表示に従ってしばし歩く。城の北側にかつての武家屋敷が四軒ほど残っているようだが、私有地であり、今でも居住者がいるものもあるようである。なかなかに趣があるが、正直この類はもうかなり見慣れた感もある。

 

 気がつけばかなり時間が経っており、次の予定が厳しくなってきているので駅に向かって移動する。途中でそば屋で昼食を摂ろうと思ったが、中は大混雑していて時間がかかりそうなので諦めてさらに移動する。結局はかなり駅の近くにまで来てから「中国料理新華楼」に入店。「薬膳ラーメン(880円)」を注文する。

      

 薬膳ラーメンとは要は山菜入りラーメンのようだ。何やらいろいろと具が入っているようだが、特におかしな感じはなくて普通に旨い。いわゆる中華そばとしてはなかなかいける。後で少々からだがカッカしてきたのだが、それが薬膳の効果なのか、歩いた効果なのかは定かではない。

 

 大急ぎでラーメンをかき込むと駅に移動する。次は赤湯から第三セクター化された長井線(今は山形鉄道フラワー長井線)に乗車する予定。すぐの駅なので本来なら普通列車で移動したいところだが、山形新幹線開通の煽りで普通列車の本数は滅茶苦茶に少ないので、近距離でも特急料金を払って新幹線に乗車するしかなく、これは実質的な運賃大幅値上げである。やっぱり山形新幹線は不要だとつくづく感じる。

 赤湯で新幹線を一駅で下車すると、フラワー長井線のホームに向かう。ウィークエンドパスはこのフラワー長井線も乗車可能。これがスリーデーパスではなくてあえてウィークエンドパスを購入した理由。利用期間と使用可能エリアはスリーデーパスの方が広いが、ウィークエンドパスはフラワー長井線を初めとしていくつかの私鉄が利用可能であるので、今回はこちらの方が私にとっては採算性が高いと判断したのである。

 

 フラワー長井線は旧国鉄系の第三セクターらしく、赤湯駅の一番端のホームを使用している。車両はセミクロスシートの気動車の単両編成。YR880型と言うようだが、外観はJRのキハ110などに酷似しており、明らかにこれが母体だろう。地方の非電化第三セクター路線に多いタイプの車両である。

   

 赤湯駅を出ると沿線はすぐに田んぼの中。それなりに集落はあるようなのだが、乗客はそう多いと言うほどではない。JR米坂線との接続駅である今泉で多数の降車があり、ここでしばし対向車との待ち合わせ。今泉を過ぎると路線は北上をする。途中でグッズの車内販売などが乗り込んできて、かなり商売熱心なようであるが、それは裏を返せばそれだけ収益が苦しいのだろう。長井線の名称の由来となっている長井駅を過ぎるといよいよ列車内の乗客は減少、後は終点の荒砥まではひたすら沿線人口はかなり少ない中を進んでいくことになる。

    

 終点の荒砥には車庫はあるが、駅前には特に何があるというところではない。この駅で降り立ったのは私を含めて3人ほど。この路線も地方の盲腸線にありがちな「始発駅から離れるほど乗客が減少する」というパターンの路線のようである。

 

 駅には民俗資料館的な部屋があり、何やらレトロな展示がしてある。30分ほどこの駅舎内でつぶした後、折り返しの列車で戻ることにする。まだ4時頃だが、もう既に日は西に傾いているのでかなり遅くなったような気がする。冬になってきて日が暮れるのが早くなったものだ。おかげで遠征のスケジュールを組むのがかなりしんどくなっており、今回のスケジュール設定もかなり苦しんだ。私はいわゆる「乗り鉄」とは違い、列車に乗ることではなくて沿線の状況を視察することを目的としているので、夜中の12時になってでもその路線に乗ればよいという人間ではない。日没になって辺りが真っ暗になってしまえば、鉄道に乗る意味は「単なる移動」以外のものではなくなるのである。おかげで今日もかなりバタバタとしたスケジュールになってしまった。実際この制約がなければ、もっとかみのやま温泉でゆっくりとして外湯にでも入りたいところであったのだが・・・。

 

 帰路は往路よりは乗客が多く。途中でバラバラと乗り込んでくる短距離客も結構いたので、最終的に赤湯に到着した時には20人程度の乗客になっていた。まあこの路線も確実に需要はあると言うことである。もっとも採算性という観点からはかなりキツそうであるが。

   

 赤湯に到着した時には既に真っ暗になっていた。そのせいでもう夜中のような気がしてしまうが、実際はまだ5時頃である。ここからは山形新幹線で今晩の宿泊地である仙台まで移動することにする。次の新幹線の特急券をここで手配するが、どうやら日曜日のせいか東京方面に戻る乗客が多いようで、指定席はすべて塞がっている。そこでやむなく自由席を手配する。次の新幹線を待つと1時間先になってしまうし、米沢から乗り込んでくる客が多いのではないかと推測しての博打である。30分後に到着したつばさは確かにかなり乗車率は高かったが立ち客がいるほどではなく、何とか座席を確保することは出来る。後はうつらうつらとしつつ福島に到着。ここからは山間部をトロトロと走る山形新幹線とは違って、軌道上を爆走するはやてに乗り換えて仙台に到着である。

 

 久しぶりの仙台である。なお世間では名古屋・水戸・仙台を指して三大ブスの産地なんて下馬評もあるようだ。まあこれに関しては私は個人的には何とも言いにくいが(と言いつつ、水戸に関しては半ばは同意)、新潟に行ってきた後ではどうしてもやや見劣りする感があるのは事実だったりする。とは言うものの、私は仙台の街自体は決して嫌いではない。私は東京・名古屋のような大都会は今一つ好きになれず、広島・仙台ぐらいの規模の都市が相性が良いようである。

 

 宿泊ホテルであるドーミーイン仙台駅前にチェックインすると、とりあえずは夕食を摂りに街に繰り出す。まだ7時頃だが真っ暗な中を長距離移動してきたためにどうも感覚は夜中である。店を探すのも面倒くさいので、以前にも行った「利久西口本店」に行くことにする。定番どころの牛タン定食牛タンにぎりを注文。牛タンにぎりは初めてだが、牛タンの食感はこういうのも合うようだ。ただ正直牛タンばかりというのも飽きた感があるので、目先を変えて「カキフライ」を注文。これが予想以上に美味。どうも私は疲れた時にはカキフライに限るようだ(なぜかそこらのサプリなんかよりも私には良く効く)。カキフライの下にポテトサラダのようなものを敷いてあったが、それまで含めてなかなかに美味。この店は牛タンだけではなくてこういう手もあったのかと再認識する。以上で支払いは4515円とやはりリーズナブル。今後も仙台に来るたびに使えそうだ。ただ私が夕食を終えて店を出た時には店前には長蛇の列。タイミングがわずかにずれていたら、私も入店できないところだった。これは今後に注意が必要なようだ。

 

 ホテルに戻るとまずはパターン通りに大浴場で入浴。露天風呂で頭を冷やしつつ身体はしっかりと温めて疲れを抜く。後はテレビを見つつまったりなのだが、やはり昨日の今日で疲労が強い。今日は昨日と違って1万歩程度しか歩いていないが(上山での市街散策がほとんどである)、長距離の列車移動がかなりの身体の負担になっているようである。とは言いつつも、かなり無茶な内容だった割には懸念していたほどには身体にガタが来ていないのはやはり牡蠣ドーピングの効果か。もっともさすがに旅行記を執筆するだけの精神力は出てこないので、この日もやや早めに床につくことにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 今朝は5時半起床予定。しかしなぜか5時に目が覚めてしまう悲しきサラリーマンの性。どうしても早めに床につくとその分早めに目が覚めてしまうようだ。とりあえず荷物をまとめるとホテルで朝食。今日もまた結構ハードなスケジュールになる予定なので、ここでしっかりと燃料補給をしておくことが重要である。

 

 朝食を摂ると7時にはホテルをチェックアウト。ただちに仙台駅に向かう。今日の予定はまずは福島方面への移動。白石行きの普通列車に飛び乗る。列車は4両編成のセミクロスシート車両だが、車内はかなり満員である。列車はそのまま東北本線を南下。沿線はしばらくは仙台の市街が続くが、仙台空港線との分岐駅である名取を過ぎた辺りで市街は途切れ、沿線に田んぼが目立つようになってくる。

 常磐線との分岐駅である岩沼は、一応駅の周辺には住宅などが密集しているが、田んぼの中に孤立した集落というイメージで特に何もないところである。ここを過ぎると、次の槻木駅で下車。ここで下車したのはここから阿武隈急行で福島に移動しよう考えた次第。阿武隈急行は国鉄時代に建設された丸森線を母体とした第三セクター路線である。東北本線の輸送力増強のための勾配緩和路線として計画された丸森線だが、東北本線が電化及び複線化で輸送力増強されることとなったために建設意義を失い、槻木−丸森間が開通したところで放置されて廃止される運命となりかけたが、福島・宮城県が第三セクターを立ち上げて、その後に福島まで延長、さらに電化されて今日に至っているという。今回のウィークエンドパスはこの路線も利用可能路線に含んでいるので、この際に視察しておいてやろうと考えた次第である。

 車両は二両編成のセミクロスシート車。槻木からの乗客は決して多くはないが、それは沿線風景を見ていると納得できる。そもそも東北本線の迂回ルートとして建設されたために沿線人口を全く考慮しておらず、見事なほどに何もない田んぼの真ん中をひた走るのである。

    

 ちなみに今日も昨日と同様にとにかく霧が深い。東北の内陸部はこの時期には霧が出やすいのだろうか。そう言えば、秋田の大館能代空港はこの時期になると霧による視界不良でほとんど使い物にならなくなると聞いたことがある。確かに私が伊丹に行った時も、大館能代空港の便だけは霧のために条件便になっていたような。とにかくこの霧のために沿線の視界はかなり不良で、霧の向こうに田んぼがぼんやりと見えている状態。まあ夜間と違ってどうにか沿線の状況は確認できるので特に支障はないのではあるが。こういう状態がしばらく続いた後、急に山岳部に突入する。ここでは阿武隈川沿いの山岳風景などが繰り広げられる。

    

 沿線の雰囲気が一変するのはこの山岳地帯を抜けた後である。沿線に住宅が増え始め、梁川駅以降は市街地の中を走行するイメージ。それと共に乗客が急増する。やはり後で建設した部分は沿線人口を考えてのコース策定をしているのだろう。どうもこの南部部分で収益の大半を上げているような雰囲気がある。

  福島駅に到着

 福島駅に到着すると、続いて同じホームで隣接している福島交通飯坂線の視察を行うことにする。当然ながらこちらもウィークエンドパスの適用範囲である。飯坂線は福島と郊外の飯坂温泉をつなぐ路線である。間もなく到着したのは2両編成ロングシートの電車。サイクルトレインを実施しているらしく、自転車持参で乗り込んでいる乗客がいる。沿線はまさに福島の市街地を抜けるというイメージ。住宅の間のかなり狭いところを抜けていき、飯坂温泉の手前まで住宅が切れることはない。

左 福島交通とホームは共通  中央 飯坂線の車両が到着  右 サイクルトレインを実施しているようです

 終点の飯坂温泉駅は工事中であった。30分ほどで折り返す予定なので、その間にどこかの共同浴場でも立ち寄るかと思ったのだが、近くの浴場は月曜休館かなぜか工事中のところばかり。飯坂温泉では今は建設ラッシュでも起こっているのだろうか? 仕方ないので足湯に立ち寄ったが、あまりに熱すぎて足をつけている事ができずにギブアップ。結局は何をしに来たのかわからないまま、早々に退散する羽目になってしまったのである。ちなみに帰りの列車はかなりの混雑。都市近郊路線として利用者は結構多いようである。

左 飯坂温泉駅は工事中  中央 足湯  右 外湯も工事中の模様

 福島駅に戻ってくると、ここからはJRの東北本線を北上することにする。本来なら福島県立美術館にでも立ち寄るところだが、現在の催し物は私が以前に他のところで見たことがあるもの。今回は先を急ぐことにする。次の目的地は白石。当然ながら目的は白石城である。JRのホームに移動すると停車していた快速ラビットに乗車する。見たことのある車両だと思ったら、山形線で乗車したのと同じ718系の狭軌バージョン。集団見合い型などとも呼ばれる独特の配置のセミクロスシートが特徴の車両である。

 

 快速ラビットはすぐに福島の市街地をはずれると新幹線の西に東にウロウロするという感じで北上していく。やがて新幹線が見えなくなったと思うと山岳地帯にさしかかる。確か新幹線の方はこの辺りはひたすら長いトンネルが続いたはずであるが、東北本線の方はここで山越えである。ここの傾斜が乗車していてもはっきりと分かるぐらい急であり、かつて勾配緩和路線として丸森線が計画された理由が納得できる。今日の強力な電動車ならこの勾配を苦にしないが、非力な蒸気機関の頃などは大変だったろうと思われる。

  白石駅に到着

 山越えを終えて平地に出てくるとまもなく白石である。白石は城郭を中心とした観光開発に力点を置いているようで、あちこちに片倉小十郎の名を書いた幟が立っている。また観光用のバスなども走っているようで、小十郎の絵が描いてあるのだが、この金城武系イケメンの小十郎は・・・どうも片倉小十郎をかついだ町おこしをしている間に、町がカプコンに占領されてしまったようである。

  このバスは・・・

 駅のロッカーにトランクを放り込むと、「白石城」までは徒歩で移動する。白石の町は城下町らしくどことなく風情のある町並みである。白石城はこの町を見下ろす丘の上にある。なお市では20億以上を費やして石垣の復元から木造による天守の再建まで行ったらしい。大枚はたいた甲斐あってか、復元天守にしてはかなり見栄えの良いものとなっている。やはり掛川城しかり、白河城しかり、大洲城しかり、天守の復元は木造に限る。

  白石城天守

 本丸中央には巨大な石碑があるが、これがどうやら片倉小十郎を祀ったもののよう。とことんまで小十郎である。また二の丸の辺りには歴史資料館があるのだが、そこにはなぜかイケメンの小十郎の絵が。正直なところ歴史資料館なのかカプコンミュージアムなのか・・・。何かが間違っているような気もする。そう言えば登城筋に地元高校生による俳句や川柳の立て看板があったが、その中の一句が「小十郎 ゲームの世界が蘇る」というものが。まさにその通りではあるが、これで良いのか?

左 本丸一の門  中央 奥の二の門  右 本丸跡は広場になっている

左 本丸井戸と鐘楼  中央 天守は木造  右 本丸跡広場中央の片倉小十郎の碑

 城郭の見学を終えると武家屋敷の方に向かう。途中で水路などもあり、これは白石城の外堀だったのだろうと思われる。武家屋敷自体は比較的小振りのもので、まあ典型的な当時の普通のお屋敷である。

左 城外には水路がある  中央 武家屋敷通りにも水路が  右 武家屋敷
 

 武家屋敷の見学を終えたところで列車の時間が迫ってきたので、慌てて白石駅まで舞い戻る。トランクを回収して次の目的地まで移動である。とりあえずは岩沼まで普通列車で移動。東北本線のこの区間はとにかく田んぼアフター田んぼである。こうして見るとやはり福島というのは非常に豊かな地であり、伊達政宗がこの地を支配していた葦名氏にあくまで戦いを挑んだわけである。しかし葦名氏はその国力を背景にして、結局は最後まで伊達には屈していない。

  沿線の風景

 岩沼に到着すると、ここで常磐線に乗り換え。次の目的地は相馬である。到着した列車は二両編成のロングシート車。車内は結構満員である上に長距離乗車には適さないタイプの車両である。遠くに行くならスーパーひたちに乗れと言うことか? しかしスーパーひたちの運行本数はこの区間では極端に少ない。なおこの区間の常磐線の沿線はこれまた田んぼアフター田んぼである。途中、亘理駅の近くで城のような建物が見えるが、これは郷土資料館&図書館として建てられたもので、典型的なインチキ天守らしい。

    

二両編成の常磐線で相馬駅に到着

 相馬に到着するとロッカーにトランクを放り込んで、相馬城を目指すことにする。相馬城まではそこそこの距離があるので、当初の予定ではタクシーを利用するつもりだったが、タクシー乗り場のタクシーは私がロッカーに行っている間に客を乗せて出てしまう。いつ戻ってくるか分からないタクシーを待っているわけにもいかないので、意を決して「相馬城」まで歩くことにする。

 

 しかし後になってみるとその決断は決して正解とは言い難いものだった。既に白石で結構歩いていた身にはややきつい距離の上に、ここまでギリギリで持っていた天候がとうとう限界にきたらしく、途中から雨が降り始めると直にそれは吹き降りのやや激しいものとなってしまったのである。

  向こうの茂みが相馬城本丸

 傘は持っていたものの風に煽られて壊れそうである。結局はずぶ濡れになりながら20分ほどで相馬城に到着する。相馬城は小高い丘の上にあり、周囲は自然の沼や池に覆われた守りに適した地形である。周囲の堀もなかなかに立派。元々の丘が岩盤のために、それをそのまま削って城郭に使用しているようである。現在は本丸跡は相馬神社となっており、東二の丸は野球場になっている。

左 これは虎口の跡か?  中央 東二の丸は野球場になっている  右 堀の上を越えて本丸へ

左 これが本丸跡  中央 相馬神社  右 社殿の裏はかなりの崖です

 野球場の奥に本丸の虎口跡と見られる構造がある。本丸跡は完全に神社になってしまっているので何も残っていないが、社殿の裏に回ってみるとかなり険しい崖になっているの分かる。

左 本丸搦手口  中央 かなりの高さがある  右 西二の丸にはなぜか馬小屋

左 西二の丸奥は馬場  中央 振り返って本丸を見ると池が間に  右 相馬中村神社
 

 搦手の方に抜けると西二の丸跡はなぜか馬場になっている。こちら側には相馬中村神社があるのだが、この神社のある場所が一種の独立曲輪となっている。

左 裏側を進むと  中央 北二の丸に出たが辺りは鬱蒼  右 行く手を水路に阻まれる
  

 相馬中村神社の方から出ると今は周辺は完全に住宅地になっている。ここを抜けて城の北側に回り込もうとしたが、道が複雑で完全に方向を見失って迷ってしまう。迷った挙げ句に北の二の丸の方に出てしまったようで、なぜか先ほどの馬場に戻ってしまう。東二の丸の野球場の方向に抜けられないかと進んだが、進路は堀に阻まれてしまってUターン。結局は馬場を抜けて本丸を突っ切り、来た時と逆の方向から出ていくことになる。

 この時点でタイムオーバーである。予想以上に広大な城域がそのまま残っていたため、まだ全部を見学したとは言えないが、足にはかなりガタが来ているし、何よりも天候が悪すぎて、このままずぶ濡れのまま撮影を続けていたら、またレンズがお釈迦になりかねない。相馬駅まで歩いて戻ることにするが、これもまたかなり厳しい行程であった。いずれ捲土重来したい気もするが、その時は車を使いたいなというのが本音。

 

 相馬からはスーパーひたちでいわきに移動。この辺りのスーパーひたちの混雑具合が予想できなかったのだが、みどりの窓口で「いわきまでスーパーひたちの特急券」とだけ言ったら、何の確認もなしに当たり前のように自由席のものを販売したので、この辺りではそれが常識なのだと判断。実際に到着した車両もガラガラであった。

  もうすっかり暗くなってしまった

 常磐線沿線はやはり何もない。途中で日没して辺りが真っ暗になったので、沿線視察は翌日に行うことにして疲労からうつらうつらとする。

 やがていわきに到着。私としては二度目のいわき訪問。幸いにして雨は小降りになっているので今のうちにホテルに向かう。宿泊ホテルは「ランドホテルいわき」。例によっての大浴場付き安価な宿泊料という辺りが選択基準である。

 

 とにかく疲れた。今日も白石散策と相馬攻略で既に二万歩越えである。部屋で横になったら動けなくなりそうなので、そうなる前に夕食に繰り出すことにする。と言っても遠くまで行く気には到底なれない。そこでホテルで近所の飲食店のリストをもらい、その中から目についた「地魚料理 旬」という店を訪問する。

  カツオと赤ムツ

 カウンター席に通されてウーロン茶を頼むと、まずはお勧めというカツオと赤ムツの刺身から。近くの漁港から仕入れているという魚は鮮度が良く刺身が旨い。そこでさらに「白子の天ぷら」「どんこの煮付け」を注文。白子は天ぷらにしても良いし、どんこというのも意外に旨い魚。やはり昔から「顔のまずい魚の方が旨い」というのは真理のようだ。

    

白子の天ぷらとどんこの煮付け

 これらを平らげたところで、メニューの「フグ鍋」というのが目に入る。地元のフグらしい。私はフグちりは今一つというイメージを持っていたのだが、このフグは実に旨い。白身の魚なのに味に強さがあってあっさり過ぎるということがない。フグの種類までは聞かなかったのだが、小型のフグのようである。

  フグ鍋

 しかし一番の絶品だったのは、このフグ鍋の後で作った雑炊。もう既に腹がかなり重い状態だったのに、夢中でガツガツと食べてしまった。全くフグとはなんと偉大な魚なんだろう。

  締めは雑炊で

 ウーロン茶を傾けつつ魚を食いまくって、以上で支払いは5300円。これもまたリーズナブルだろう。何やら東北食べ歩きツアーのようになってきてしまったが・・・。

 

 店を出ると再び土砂降りの雨になっていた。傘を持ってきていなかったのでホテルまで走ると、完全に頭から濡れ鼠。そこで直ちに大浴場に直行して身体を温める。身体を温めて部屋に戻ってくると、ここで猛烈な睡魔が。とても抵抗できる状態でないことからそのまま就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝はかなりゆっくりした目覚め・・・のはずだったが、夜中の3時にPCが突然に爆音をたてて再起動(自動アップデートは切っていたはずだが・・・やはりマイクロソフトは何が何でもXP破壊のためのバッチを送り込むつもりのようだ)。再び就寝したものの例によってのサラリーマンの悲しい性で6時にはしっかりと目が覚めてしまったのである。

 実は今日の出発予定は10時過ぎ。仙台行きのスーパーひたちは7時半と10時半といった時間設定で、7時半のにはしんどくて乗る気がしないので、10時半の便に乗るつもりである。だから今日はホテルでチェックアウト時間の10時まで粘るつもり。

 

 と言ってもこのままボーッとしていても仕方ないので、朝の散歩に出ることにする。とりあえず散歩の目的地は「龍ヶ城(平城)」。かつていわきにあった城郭である。

  現存の石垣跡

 昨日の雨がまだ降り続く中を散歩に出る。目的地はいわき駅の北方にあり、小高い丘になっている。実は以前にいわきを訪れた際にここを少し覗いたのだが、事前の情報不足と時間不足もあり、ほとんど何が何やら分からなかった次第。そこで今回はリターンマッチである。

 龍ヶ城は関ヶ原の合戦後にこの地に入った鳥居忠政が築いた城郭とのことで、そもそもは北方の伊達氏に対する牽制のために置かれた城郭だという。しかしそのまま幕末を迎え、戊辰戦争で新政府軍に攻撃され、城兵が撤退の際に火を放ったとか。

左 本丸跡とおぼしき地は立ち入り禁止  中央 奥には何やら社殿のようなものが見える  右 城の痕跡は地名に残るのみ
 

 城は丘の頂上にあったようで、その辺りは今は住宅地となっている。ホテルの駐車場になっているところにわずかに石垣の遺構らしきものが見られる他は、この辺りの地名に残る「旧城跡」という言葉がこの地に城郭があったことを偲ばせるのみ。本丸跡ではと思われる辺りは私有地らしく柵で囲われていて入れない。柵の間から覗くと、何やら神社のような建物が見える。遺構がほとんど残っていないのが寂しいが、城跡を示す碑さえないないというのはあまりに悲しすぎる。

  龍ヶ城美術館は「改装のため休館」

 近くに龍ヶ城美術館なる施設があるが「改装中のため休館」との表示が出ている。ただ外から見る限り特に改装工事の類をやっている雰囲気はない。ただ単に営業が行き詰まったのではという気もしないではない。

裏手の丹後沢公園はかなり深い

 丘の裏側は丹後沢公園となっており、ここは急峻な斜面の底に池が見える。自然の地形を生かした北方の守りである。現在は住宅地となっている辺りも、かつては曲輪だったのだろう。南方のいわき駅側は急峻な崖であるし、大きな城ではないが地形的には堅固な城郭であったと思われる。さすがに江戸幕府が北方の備えとして譜代家臣を配した城郭だけのことはあるということか。

 

 ホテルに戻ってくると雨で濡れた上着を脱いで、とりあえずは朝風呂。これで体を温めると朝食を摂る。ここのホテルの朝食はパンにスクランブルエッグやソーセージなどのバイキングで、朝から和食派の私にいささか寂しい内容だが、洋食派の者には必要十分であろう。

 朝食を摂るとする事がないのでテレビを見ながらまったりとする。慌ただしい日程が続いた中ではこういう時があっても良いはずなのだが、残念ながら私はこういう事態になると暇を持て余すという困った性分である。

 

 10時前にホテルをチェックアウトするといわき駅に向かう。もう既に仙台までのスーパーひたちの自由席特急券と乗車券は入手してある。ホームに到着すると私の予想以上に多くの乗客がいる。私はいわき以北のスーパーひたちがそんなに混雑することはなかろうと高を括って(実際、サイバーステーションを見ても指定席の空きはあったし)自由席にしたのだが、もしかして読みが甘かったのだろうか?

 やがて列車が到着。ここで11両編成の前4両が切り離されて仙台に向かうことになる。ざっと眺めたところ、私の予想を遙かに越えた乗客が乗っているようだが、とりあえず座席の確保には問題なさそうでありホッとする。

  途中で一瞬海が見える

 スーパーひたちはしばし市街地走行すると、後はひたすら山の中になり、途中で海が見えるポイントもある。何となく典型的な常磐線の光景である。山間地を抜けて田んぼの風景になり始めると常磐線も終盤である。先日に訪問した相馬を過ぎると、後は仙台までノンストップ。これで本当の意味での常磐線視察完了である。

 仙台まで戻ってきたところで次の目的地は宮城県美術館。実はここも本遠征の目的の一つ。日程的には本来なら昨日行けば良かったようなものだが、昨日は「平日の月曜」と言うことで生憎と休館(どうもここだけははさみ将棋の原理が適用されなかったようだ)。そのためにわざわざ今日舞い戻ってきた次第である。とりあえず駅のロッカーに荷物を預けると美術館までバスで移動・・・しようと思ったのだが、このバスが極めて本数が少なく、次のバスまでかなり時間がある。そこで昼食を先に済ませとこうと駅の地下の洋食屋に入る。

 しかしこの選択は完全な失敗であった。まあ場所柄期待はしていなかったが、その期待さえをもはるかに下回るレベルであった。確かに東京の地名なんて店名に冠している時点でレベルがしれていると言えばそうだが(東京は名古屋と並んで日本でもっとも飯のまずい街である)。その上にやけに待たされたせいでバスの時間も過ぎてしまう。結局は諦めてタクシーで移動することにする。以前に美術館からバスで帰った時にかなり時間がかかった記憶があったことから、これは2000円ぐらいかかるのではないかと思っていたが、1000円程度だったので良しとする。どうやらバスはかなり遠回りをしていたようである。

 


「長谷川りん二郎展」宮城県美術館で12/23まで

 

 「猫」の作品で有名な画家・長谷川りん二郎の作品を集めた展覧会。

 彼の初期の作品はキュビズムの影響なども見えたりするのだが、渡欧後に写実絵画の方向に転じる。非常に単純明快な色彩の明るい画面が彼の特徴であるが、平板に見える画面にも関わらず、妙に対象がリアリティを持って感じられるのが独特。またこの手の色彩を使用する画家は概して絵具厚塗り系が多いのだが、彼の場合はキャンバスの目が透けるぐらいの薄塗り系である。とにかく何とも不思議な絵画であり、それでいてどことなく引き込まれるような魅力を持っている。

 有名な「猫」については、よく見ると何となくデッサンがおかしなように思えたりするのに、妙に生々しい。とにかく頭の中が「?」で一杯になりつつも、なぜか魅了されてしまう。とにかく奇妙な体験であった。

 


 

 美術館の見学を終えたところでバスで駅に戻ってくる。後は仙台空港から帰るだけだが、まだまだ時間があるのでオプショナルツアーに繰り出すことにする。それは利府線の視察。利府線とは正確には東北本線利府支線であり、岩切で東北本線と分岐して、利府までの二駅だけの支線である。元々はこちらが東北本線のメインルートの一部だったとのことだが、蒸気機関車時代に勾配緩和路線として現在の海岸ルートが建設され、沿線人口が多く松島という観光地を抱える海岸ルートの方がメインルートになってしまったのだという。その後に利府以北が廃線となって今日に至っているとか。現在はこの沿線に新幹線の車両センターが建設されている。

    岩切駅で乗り換え

 岩切まで移動すると地下道経由で利府線のホームに移動する。車両は二両編成の701系ロングシートで、これがピストン運転を行っているようである。沿線は東側はひたすら田んぼで、西側は車両基地という光景。途中の新利府駅は本当に車両工場に隣接している駅で乗降は0。岩切から乗車したのは数人だったが、終点の利府駅に到着すると十数人が乗り込んでくる。利府駅はかつては何もなかったところだと言うが、今では宅地開発が進みつつある印象で、巨大なマンションなんかも建っている。仙台のベッドタウンと言うところか。もっとも仙台周辺は田んぼも多いので、東京周辺と違ってベッドタウンの場所には事欠かないが。

次の新利府駅はまさに工場の隣

終点の利府駅に到着

左・中央 利府駅前の風景  右 利府駅前飲食店街?(それにしても「リふレ」ってネーミングは・・・)

 利府駅から折り返すと岩切で乗り換えて仙台に帰還。これで完全に全予定が終了である。ロッカーを回収して土産物を買い求めてから、仙台空港線で仙台空港へと移動。そのまま例によっての不快な飛行機で帰途についたのであった。

 

 美術館遠征とは言いつつも、何となく城回りの方に主眼があったかというようなのが今回の遠征。長年の懸案だった新発田城訪問を初め、白石城や相馬城などかなり価値のある城郭を回ったという印象である。

 

 えっ? 単に東北で食いまくってただけじゃないかって? ・・・それは否定しません。どうも仕事のプレッシャーがきつかったせいか、ぶち切れたように連日食いまくった感があります。さすがに三日続けて夕食に5000円散在なんてのは今までほとんど例がありません。帰ってきてからかかった経費を計算して思わず青ざめたの言うまでもない。

 

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