展覧会遠征 篠山編

 

 先週一週間の完全休養で、強行軍だった房総遠征の疲労も取れ、財布の中身以外は完全に復活した今週であるが、正直なところ遠征先に困ってしまった。と言うのも、そろそろ各美術館の今年の年間計画が発表になったのだが、その内容を一言で集約すると「低迷」そのもの。この景気の悪化に伴って予算が縮少されているのか、今年は各館共に魅力的なイベントが極端に減っており、わざわざ出かけようと思わせるような内容が極端に少なくなっているのである。

 それなら家でおとなしくしていれば良いじゃないという声もありそうだが、私は根っからの日本人でしかも貧乏性と来ている。いつまでも休日をゴロゴロしているのは損をしているようで性に合わない上に、この週末の気晴らしがないと仕事のストレスで鬱になりそうである(実際、春の前ぐらいからかなり鬱が入っている)。これは心の健康のためにもどこかに出かける必要がある。

 展覧会にめぼしいものがない以上、私の行動パターンからいくと城郭見学というところになる。その時に頭に浮かんだのが篠山城である。篠山城は100名城にも上げられる城郭であるが、私は未だに訪問したことがない。距離的にもそう遠くないしちょうど好都合である。

 

 篠山までは中国道から舞鶴道を経由することになる。いかにも休日らしく、高速本線に時速20キロで合流しようとする馬鹿ドライバーがいたりしたが(死にたいのか?)、通行量自体はそう多くなく、目的地の丹南篠山口まではいたって順調に走行できた。

 丹南篠山口で高速を降りるとそこから下道で10分程度で篠山市街に到着する。篠山に来るのは私は10年ぶり以上であるが、現地に到着するやいなや辺りは観光地ムード。桜はまだ咲いている様子ではないが、観光客はかなり多い。私はそのまま篠山城の三の丸内にある駐車場を目指すと200円を払って入場。

 

 「篠山城」は徳川家康が大阪方との決戦を睨んで西国大名を動員して築かせた城郭である。豊臣方につく可能性のあった西国大名の財力を弱らせると共に、大阪城と西国大名との連絡を絶つための要地を選んで築城してある。一枚岩盤の笹山の上に城を築く作業は井戸を掘ることさえ困難でかなり難航を極めたと言うが、豊臣攻めを急ぐ家康の意向によって昼夜兼行の作業で三ヶ月でほぼ完成したという。なお大阪の陣の際にはここには家康の実子と言われている松平康重が入城していたが、その後もこの城郭は代々譜代大名が治めてそのまま明治に至っている。現在では史跡公園となっており、建造物は残存していないものの石垣と堀が残存しているとのこと。また近年になって大書院が復元建築された。

 城域を同心状に二重の堀が取り囲み、外堀の内側が三の丸で、内堀の内側に二の丸と本丸が連郭式になっているという構成。築城の名手と言われた藤堂高虎の手になるという縄張りである。実際に目にしてみると、事前に予想していたよりも石垣が高くて立派である。現在入口になっている北側は、かつては廊下橋がかかっていたというところである。ここから入って曲がりくねった道(かつては複数の門で守りを固めていた)を抜けると復元された大書院が建っている。

左 入口脇の内堀の様子  中央 鉄御門跡  右 大書院入口

 大書院の入口で篠山周辺の4施設の共通入場券を購入、内部の見学を行う。大書院内には障壁画などが復元されており、かつての格式高き城の姿を思わせるようになっている。またこれはお約束のようなものであるが、篠山城の模型や城の歴史にまつわる映像が上映されている。

左 二の丸側から見た大書院  中央 内部に展示されていた篠山城模型  右 復元された障壁画

 大書院からさらに奥にはいると、二の丸御殿跡が平面復元されており、その奥に進むと南面にあたる場所に埋門がある。この辺りの石垣に上るとはるか市街を見下ろすことが出来る。

左 二の丸御殿平面復元  中央 二の丸全景  右 埋門

 本丸は東面にあたるところに一段高くなってあり、現在では毎度のお約束の如く神社となっている。この本丸の南部にさらに一段高い石垣があってそこが天守台になる。なお実戦重視の篠山城ではあえて天守閣は築かれることがなかったとか。これは篠山城があまりに堅固すぎることを幕府が懸念したためと言われているが、現実には周辺地域に対して既に十二分の見晴らしを誇るこの城郭の場合、あえて天守を建てる必要もなかったということもあるのでは思われる。

左 本丸は神社になっている  中央 本丸東南隅にある天守台  右 天守台よりの風景

左 本丸北西隅より二の丸石垣を望む  中央 石垣は穴太衆による野面積み  右 外堀はかなり広い

 篠山城本丸の見学後は、いかにも観光地している篠山の市街地を抜けて市立歴史美術館へ。かなり格式高い建造物であるが、ここは元々は裁判所だった模様。当時の裁判所の施設がそのまま残されており、他の部屋に展示がなされている。裁判所はかなり印象深いが、展示物の方には今一つ記憶に残るものはなし。各地にある民俗博物館のようなもの。

左 観光地している篠山市街  中央 歴史美術館  右 内部には裁判所がある

 歴史美術館の見学を終えると、ここから南下して東馬出の後を見学に行く。馬出とは城郭の入口を守るために、入口部の前方に張り出した砦のようなものであり、篠山城ではかつてこれが三方向にあったようだが、そのうちの東馬出と南馬出が今でも残存しているという。実際に現地を訪れると、想像以上に完璧な形で残っており思わず感動する。土塁も高く堀も広く、これを見ただけでもこの城が並々ならぬ堅城であったことは想像に難くない。実際、城の回りを回ってみると、本丸の石垣の高さと外堀の幅の広さはかなり圧巻であり、その遺構の保存状態の良さを考え合わせると、ここが100名城に指定されたのも当然と頷ける。

 東馬出はかなりの規模

 現地は観光地化しているので、いかにも「土産物屋」という雰囲気の店も多いのだが、そういうところでは大抵美味しいものはないと相場が決まっているので、いかにも現地の菓子店らしい店を探す。すると近くの和菓子店「大福堂」が目についたので、ここで土産物を買い求めることにする。購入したのは栗饅頭の「栗っ子」と黒豆入り餅の「墨染餅」。これらは帰宅後に茶菓子として頂いたがいずれもかなり美味であった。

  

 商店街の方に戻ってきたところで昼食にすることにする。やはり丹波篠山と言えば猪鍋だろうと言うことで、私が見つけたのは「丹波篠山郷土料理 懐」という店。ここで「一人鍋(3200円)」を注文。

 一人鍋はすでに煮込んだ状態で運ばれてくる。昼食には少々贅沢かと思いながらも、運ばれてきた鍋を見た途端に思わず「おおっ」という声が出る。猪肉は軟らかく、また野菜類も味が良く、何よりもやや甘めの味噌が絶品である。思わず最後は汁まで平らげてしまった。

  

 腹を満たした後はさらに篠山城周辺の見学、先ほどの四施設共通券で入場できる青山歴史村と武家屋敷資料館を訪ねる。青山歴史村は古民家という佇まい。そもそもは「桂園舎」という藩主・青山家の別邸だったとか。漢学資料などが収蔵されている。武家屋敷資料館は当時の武家屋敷をそのまま展示したものであり、この辺りは武家屋敷村とも言われているように、あちこちに当時の武家屋敷のたたずまいを残している民家が並んでいる。

左 青山歴史村  中央 内部の様子  右 この倉に文書類が保管されている

左 武家屋敷村の佇まい  中央 武家屋敷資料館  右 当時の武家屋敷が保存されている

 そうやっているうちに城の南端近くまでやって来たので、ついでに南馬出も見学しておく。こちらは東馬出よりもさらに規模が大きく、かなり立派。その後、南部から三の丸に入って二の丸の石垣を見上げつつ駐車場へと戻る。

  南馬出外側からと内側から

 結果的には篠山市街を周遊するようなコースとなり、篠山城の規模を自らの足で確認するようなルートとなった。それにしてもこれだけ大規模な城郭であったとは・・・。まだまだ日本にも見るべきところはいくらでもあるようである。

左・中央 南西方向から眺めた二の丸石垣  右 この高さがある

 この時点で昼過ぎ、まだ時間があるのでもう一カ所寄っていくことにする。ここから東へ延々と走行。城郭見学の次は洞窟探検と洒落込もうと言う魂胆。目指すは京都唯一の鍾乳洞と言われている質志鍾乳洞である。

 駐車場からは橋を渡る

 道路脇の駐車場に車を停めるとそこから延々と斜面を登っていくことになる。例によって一脚を杖代わりに上っていくが、事務所に到着した時点で結構ヘトヘト。ここで入洞料を払うと「中はかなり深いので」という注意を受ける。それは既に事前調査済みで、元より動きやすいウォーキングシューズを履いてきている。この洞窟はまかり間違ってもハイヒールなどで来ないことが重要である。また当然だが、女性はスカートで来ないように。さらに自力でハシゴなどを下りられない子供も入洞不可である。

 ここからさらに階段と上り坂を300メートルほど進むと斜面の中腹に鍾乳洞の口が開いている。入洞するといきなりせまい急な階段であり、この先の行程が予想される。

 注意書きがあります

 内部はとにかく狭い。腰をかがめないといけない箇所が何カ所かあり、その奥から階段というよりもハシゴが下に向かって続いている。ここはかなり急なので、後ろを向いて降りるようにとの表示がある。ここを両手で手すりをつかみながら降りていくが、とにかく内部が湿っぽい(上からしょっちゅう水が落ちてくる)ので滑りやすいことが注意である。なお気を付けるべきは靴だけでなく、大きな荷物を持ってこないこと。例えば大きなリュックなどを背負っていると通り抜けが困難な箇所がある。ここに入洞する時はとにかく身軽にである。なお高さに関してはかなり深いところに潜ったはずだが、ハシゴが途中でいくつかに分かれているし、後ろを向いて降りていくので足下が見えないので、高所恐怖症でヘタレの私でも恐怖を感じるようなものではなかった。なおこのハシゴは定員は一人なので、もし他の客と出くわしたら混雑することは確実である。

とにかくひたすらハシゴを上り下りするだけ

 最深部は特に何もない。唐突に行き止まりになっている印象。なぜかお賽銭が多数投げてあった。洞窟自体はこの奥までさらにあるそうだが、とにかく見学可能なのはここまで。後は先ほどのハシゴを上って戻るだけである。

 正直なところ、ハシゴには驚くが内部はかなり短くて、内部にも鍾乳石は少なく普通の洞窟という雰囲気で、今一つ見所が少ないという印象。なおこの洞窟には伝説があり、かつてこの洞窟がどこまで続いているかを調べるために犬と鶏を洞内に放ったところ、犬は途中で引き返してきて、鶏は3キロ先の洞穴から出てきて大声で鳴いたという。実際のところまだ内部の様子はよくは分かっていないのだろう。なおこの洞窟の案内には「コウモリの洞窟」とも書かれており、内部に多くのコウモリが棲息しているとの話であるが、私が訪問した時にはシーズンが違うのか、コウモリを見かけることはなかった。まあ回りを飛び交うコウモリから糞を引っかけられるのも嫌だが。

 

 洞窟を見学すると駐車場に引き返す。その途中で「不老長寿の名水」なるものが湧いている場所があるので、そこで水を一口。「ああ、カルキの入っていない水ってこんな味なんだよな」という印象のうまい水。ただ生水をあまり飲んで腹をこわしてはたまらないので(私は非常に下痢をしやすい体質)、一口だけでやめて帰ってくる。

  

 たっぷり汗をかいた帰路は、途中の吉川ICで降りて近くの吉川温泉「よかたん」に立ち寄る。ここは1年以上ぶりの再訪になる。日本一とも言われる炭酸濃度を誇る温泉であるが、ただ以前に来訪した時に比べると炭酸濃度が落ちた印象。以前は源泉風呂に入るとまさにむせ返るような炭酸で、水温が低いにもかかわらずすぐに身体が温まってきたのだが今回はそんな印象はなく、ただ高濃度ナトリウム塩化物泉というイメージだった。

 大型温泉施設などを建設して大量の湯をポンプで汲み上げるようになるとつきまとうのが泉質の悪化である。最悪はこれで泉源が涸れてしまう例も少なくない。また炭酸泉はその辺りのバランスが微妙なだけに、泉質の低下が始まっているのではないかと懸念される。なお私が浴場から出てきた時、ちょうど入館者が200万人に達したようでそのセレモニーが行われていた。相変わらずの人気で結構なことではあるが、果たして温泉の方は大丈夫かが少々心配にはなる。

 なお何やらの賞を受賞したという明月堂の巻カステラがここの売店で販売してあったので、帰りにこれを買って帰る。これもなかなかに美味であった。

 

 以上で本遠征は終了。私は帰宅後にどうやら一脚をどこかに置き忘れてきたことに気づいたのであった。恐らく質志鍾乳洞の公園のどこかだと思われる。スリックの安物とはいえ、これは手痛い無駄な出費である。また結局この日はなんだかんだで1万4千歩を超えていたが、そのことよりも慣れないハシゴの上り下りがかなりこたえたようで、翌日には両太ももの激痛に苦しめられる羽目になったのである。これはウォーキングだけでなく、トレーニングメニューに階段昇降運動も加える必要がありそうだ。

 

  

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