展覧会遠征 屋島編

 

 さて今年の冬の青春18シーズンの最後を飾るこの週末は、屋島を訪問することにした。当初の予定では京都を想定していたのだが、京都は青春18切符でなくても他にも手段はいくらでもあるため、どうせ青春18を使用するならもっと他に良いところがないだろうかと考えたとき、去年に豪雨のために断念した屋島が候補として浮上したのである。

 

 行程は毎度のお約束である。岡山までを東海道線で移動すると、そこでマリンライナーに乗り換え。

 おなじみマリンライナーで高松到着

 高松駅に降り立つととりあえず朝食代わりに構内で立ち食いうどんをかき込む。所詮は立ち食いレベルであるが、それでも麺自体はしっかりしているのはさすがに讃岐うどんの本場である。

 ここで高徳線に乗り換え

 ここからは高徳線に乗り換えて屋島駅を目指す。高徳線の車両は単両のワンマンカーである。車内は満員で乗車率はかなり高い。高松を出ると最初は西向きに予讃線に沿って走行。やがて南に分かれると高松市街をグルリと回り込むようなルートをとりながら東に向かう。最初の昭和町駅で大量の降車があると、次の栗林公園北口駅、栗林駅(「りつりん」と読む。ドラゴンボールファンの諸兄も「クリリン」と読まないように。)で若干の乗り降りがある。次の小さな無人駅の木太町駅では乗降共にほとんどなく、次が屋島駅に到着である。

  JR屋島駅と屋島

 JR屋島駅からは屋島が遠くに見える。屋島は源平合戦の古戦場として知られているが、平らな山頂を断崖が取り囲んでいる典型的なテーブルマウンテンの形状で、規模などは全く異なるが、ギアナ高地のような隆起と浸食に由来する地形と思われる。まさに要害であるので、ここに陣地を構えるのは極めて常識的判断であり、むしろここに奇襲をかけた義経が非凡であったと言うべきだろう。

 

 屋島駅前からは琴電屋島駅を経由して屋島山頂までシャトルバスが運行されているのでこれを利用する。また屋島駅では観光ボランティアが地図などを配布しているので、これも受け取っておく。

 山頂まではバスで20分弱かかるのだが、これは山頂が遠いというよりも、バスの走行がゆっくりしているため。いかにも「バス会社を定年退職しました」というような年配のドライバーが、かなりゆっくりとした運転をしている。これは地方のコミュニティバスでは良くある風景である。屋島山頂へは有料道路を通るが、ここからの眺めはなかなか。向こうには以前に訪問した八栗山のおよそ日本の山とは思えないような異様な形態が見える。なおこの道路の途中に一カ所、目の錯覚によって上り坂が下り坂に見える部分があり、そこには「ミステリースポット」として案内看板も出ている。

  屋島山上に到着

 山頂の駐車場に到着するとバスを降車。ここから徒歩で山頂を一周することにする。駐車場を出るとすぐに右手に屋島寺が見えるが、ここは後回しにして、血の池の横を通ってとりあえずは東部の方向を目指す。

 血の池とホテルの廃墟 

 やがて東部の断崖に到着。正面に八栗山が見える。ここは一応展望台になっているようだが人気がない。後ろを振り返ると廃墟になっているホテルと、営業しているのだかしていないのだか分からないような土産物屋があるだけ。この土産物屋の店頭を覗くと、瓦投げ用の瓦が売ってある。そこで200円を払ってこれを入手。瓦投げに挑戦する。瓦投げ用の瓦は円形の皿のような形をしており、店のおばさんの説明によると、膨らんでいる方を上にしてフリスビーの要領で投げるそうな。種々の願いを込めながら瓦を投げるが、ツボにはまると気持ちの良いぐらい飛ぶ。しかし「今年こそは貧困脱出」と心に念じつつ投げた瓦は、見事に失速してまっすぐ落ちていったのであった・・・。

 瓦投げに挑戦

 瓦投げの後は今度は南方に向かって歩く。山頂の南の端の方には屋島ケーブルの山上駅がある。かつてはここは屋島の玄関口として賑わったという。しかしやがて道路が開通するにつれて観光客はそちらに移動、ついにはケーブルは廃止されてしまう。かつての栄華を誇るかのように駅前には土産物屋が数軒あるが、いずれも現在は営業をしているような様子がない。また当時はかなりモダンな建築と言われていたらしい山上駅の駅舎も、今では汚れてくたびれて廃墟の趣を漂わせている。横手から回り込むと未だに構内にケーブルカーの車体が置かれていたが、一見しただけでかなり老朽化しているのは明らかである。屋島ケーブルを復活させようという声が地元にはあると言うが、この現状を見ればそれはかなり難しそうである。

建物は完全に廃墟でケーブルカーも老朽化。駅前はゴーストタウン。
 ここが屋島山上のほぼ南端。今度は西側に回り込むことにする。その途中で屋島寺に立ち寄る。屋島寺はちょうど山上のほぼ中央当たりにあることになる。ここは四国八十八カ所の一つとのことで、結構立派な寺院で参拝客もそれなりにいる。いわゆるお遍路さんと思われる団体も訪れている。とりあえずは私も参拝。私が願うことは、やはり世界平和と世界における貧困問題の解消・・・なんていうのは真っ赤な嘘で、我が家の平和と私の貧困問題の解消である。

屋島寺にはお遍路さんも来ていた。
 参拝を済ませると境内を見学、七福神の像があったりなかなかに楽しいが、一番面白いのが狸を祀ってあること。この狸は源平合戦にまつわるいわれがあるらしく、まさに「平成狸合戦ポンポコ」である。また境内の中には宝物館があるのでそれに入場。せいぜいが古い仏像でも飾っているぐらいだろうと思っていたのだが、橋本雅邦や横山大観の掛け軸があったり、源平合戦の絵巻など収蔵品は多彩、また仏像の類もなかなかに良いものがあり(今ブームの愛染明王とか)、予想以上に楽しめた。

 宝物館

 屋島寺参拝の後は参道筋を抜けて山頂を西に回る。この辺りにも大きな展望台があるが、今ではここが屋島のメインステージの模様で土産物屋などもかなり多い。ただその一方で、奥の方にはホテルの廃墟らしきものが見えたりなど、いわゆるレジャーの多様化で屋島も構造転換を迫られていることが分かる。日帰りで遊びに来るのならともかく、確かに宿泊してまでという理由が屋島にはない。なおここの展望台からは広く高松市街を見下ろすことが出来る。ただ絶景には違いないが、都市の風景だけに面白味には欠ける。一方、右側に目を転じれば北側にせり出した北嶺が見える。あそこまで行けば瀬戸内海を見下ろすことが出来るので、間違いなくここより風景が良いと思われるが、さすがにあそこまでいっている時間も体力もないのでそれは断念する。

  参道筋を抜けると展望台

西には高松市街が、北には瀬戸内海と北嶺が見える。ちなみにここに屋島城址の碑が。
 展望台を抜けると屋島水族館(なぜか山の頂上に水族館がある)の横を抜けて駐車場まで帰還、バスでそのまま下山する。約1時間の屋島周回であった。観光客はそれなりに来ているし、観光バスも来ていたりするのだが、それでも往年の面影は既にないのだろう。廃墟になったホテルなどだけが妙に印象に残ったのであった。そういう意味では私の印象は「古い観光地」というもので、熱海を訪問した時に感じた感想と類似している。潜在的な観光ポテンシャルは決して低くはないと思うのであるが、新たなアピール法が必要だろう。

 屋島水族館

 バスで降りてくると、次の予定のためにJR屋島まで行かずに琴電屋島で下車する。まずは昼食である。琴電屋島駅のすぐ隣にある「一鶴」を訪問する。ここはいわゆる鳥料理の専門店だという。

 メニューは基本的には骨付き鳥の焼いたものである。おやどり(980円)とひなどり(870円)があるので、それを選ぶことになる。ひなは柔らかくて淡泊、おやは堅いが味が濃厚とのこと。私はおやの方とおにぎりを頼んだ。

  

 熱々の鳥が運ばれてくる。一かじりすると確かに硬い。しかしかみ切れないほどではない。ひ弱な現代っ子にはキツイかもしれないが、私は子供の頃に干がれいをおやつ代わりにしがんでいたような古代人である。特に難がある硬さではない。ただそれよりも問題は、やけに味付けが塩辛いこと。酒飲みだとこのぐらいでも良いのかもしれないが、私のように食事として来ている者には胸が悪くなる。また添えられているキャベツとおにぎりは鳥の脂をつけて食べるとのことだが、どうもそれだとしつこい。どうにも全体的に味付けが強すぎる上に、鳥の焼き方も焼きすぎというイメージで私の好みには合わなかった。

 

 昼食を終えた後はプラプラと屋島の麓まで舞い戻る。屋島の麓には四国村という古民家などを移築した野外博物館があるので、それを訪問するのが今回の主目的の一つ。四国村は地元の運送会社経営の加藤達雄氏が、社会貢献の一環として設立した施設である。四国の各地に残ったまま朽ちるに任されていた古民家を、運送会社としてのノウハウを活かしてこの地に運搬、復元して展示している。この中には多数の重要文化財も含まれており、非常に貴重な建物コレクションとなっている。なお彼の会社であるカトーレックは美術品の運搬も手がけているとのことで、元々美術品に対する造詣もあったのか、村内には彼の収集品を展示したギャラリー(安藤忠雄設計)も建設されている。

 入口で入園料とギャラリー入館料がセットになったセット券を1000円で購入。入場するとすぐに現れるのがかずら橋である。四国といえば祖谷のかずら橋が有名であるが、あれを復元したもの。ただ祖谷のものは渓谷を越えているのに対して、こちらのものは水面がすぐそこにあるので、高所恐怖症の私でも全く恐怖は感じない。ただ足下が非常にまばらな上にグラグラと揺れるので渡るのにはそれなりの勇気と最低限の運動神経は必要。なおその持ち合わせのない人のために、ちゃんと迂回ルートは設置されてある。

   足下があまりにまばら

 かずら橋を抜けるとすぐに見えるのが農村歌舞伎舞台。以前は各地にこのような舞台があったのだろう。今でもここでイベントが行われることがあるという。

 ここを抜けるといわゆる典型的な農家の古民家をいくつか見学し、砂糖しめ小屋を通り抜けるとギャラリーに出る。

左 古民家  中央 砂糖しめ小屋  右 砂糖を絞った機械
 ギャラリーに展示されていたのは仏像、陶磁器、絵画など。絵画の展示数は10点足らずだが、ルノワールやパスキンなどが含まれている。安藤忠雄設計の建物は例によってのコンクリート打ちっ放し。これは単なるワンパターンだが、ここに付属している庭園が面白い。幾何学的な配置に流水を配した徹底的な人工的庭園であり、なぜかこの庭園を眼にした時には私の頭の中に鳴り響いたのは「絶対運命黙示録」。まさに「世界を革命する力を!」である。

奇妙に幾何学的な庭園は独特の雰囲気。
 ギャラリーの見学を終え、茶室のある風情ある竹林の一角を抜けると、灯台が設置してある一番の高台にたどり着く。ここには灯台と共に灯台退息所(いわゆる灯台守の宿舎)が3軒展示されている。そのうちの2軒は英国の技師R・H・ブラントンの設計による洋風の造りなのだが、残りの一軒は表は洋風であるのに、中は純和風であったのが対照的であった。

  茶室を抜けて  灯台に到着

   こちらは洋風

   こちらは和風

 ここからは下りにはいる。南の斜面に植物園があるが、残念ながらこの季節には花も実もないという状況。ここを下っていくと、再び古民家だの倉だのが展示されている。やや外れた位置にある大規模な建物が醤油倉。大きな樽が置いてあり、あちこちで見学したことがある酒蔵と類似している。実際、材料が違うだけで麹を使うし、発酵させて絞るしなんて行程は酒と同じような気がする。

古民家に倉など懐かしい風景が目白押し

 最後は異人館に到着してここが出口。私はかなり駆け足で回る方なので(要はせっかちなのである)、これで一回り一時間強というところ。通常は二時間ぐらいかけてゆっくりまわる方が正解だろう。実際、内部はかなり起伏もあるので足腰にキツイ。

 

 ここの出口のところには有名なうどん屋「わら屋」がある。古民家を使用した店内は観光客で一杯である。とりあえずは名物という「釜揚げうどんの大(680円)」を注文する。

 

 最初に薬味と巨大なとっくりに入った出汁が先に出てくる。そして待つことしばし、巨大なうどんが現れるが、あまりの巨大さに思わずひるむ。とりあえず出汁を器に入れてうどんをひとすくい。うどんは当たりは柔らかいが腰のあるうどんでなかなか。出汁の方はいりこが非常に効いている出汁で悪くない。

     

 たださすがにこの量は多かった。昼食を摂ってから2時間少ししか経っていないだけに大を頼んだのは失敗だったか。それと釜揚げうどんの宿命として、食べるのに時間がかかると後の方になると麺がのびてくる(腰が強いうどんなので、グダグダになることはないが)。それでもなんとか平らげて店を後にする。

屋島神社は石段の上。振り返ると屋島の市街地が。
 店を出ると隣にある屋島神社に立ち寄る。神社はかなり高い石段の上にあり、運動不足が祟って途中で気分が悪くなり、さっきのうどんが出てきそうに。神社の境内でゲロを吐くなどというような畏れおおいことをするわけにもいかないので、ペースを落として本殿までゆっくりと登る。本殿からは屋島の市街地が見渡せる絶景。とりあえず祈るのは世界人類の繁栄と・・・やめとこう。

廃墟となった駅の中にはコインロッカーが残存。駅前はわびさびの世界。
 ここの境内の横の駐車場の奥の石段を降りると(ここの石段が駐車場の道路から唐突につながっているので非常に危険。一応「この先車の進入禁止」と書いてあるが、これを見落とすと真っ逆さまである。)、そこには廃墟になった屋島ケーブルの屋島登山口駅がある。こちらも山上駅と同様、廃止されて久しい雰囲気でひたすら廃墟ムードが漂っているが、閉じられた扉の奥にコインロッカーが見えているのが悲しい。なおここの駅前もわびさびの情緒が漂っており、旅館は営業している模様だが、となりの飲食店は既に化石化している雰囲気が漂っていた。

   琴電屋島から帰還

 これで今回の遠征は終了である。琴電屋島駅から高松に移動すると、マリンライナーで帰途に就いたのである。どうも切符を使いきることの方が頭を占めていたせいか、古民家と廃墟巡りのような意味不明な遠征になってしまった。なお私は廃墟マニアではないので誤解のないように。

 

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