展覧会遠征 三都物語編

 

 さていよいよ青春18シーズンに突入である。その冒頭を飾る今回は京都へ遠征することにする。いつものように新快速で京都に直行・・・と言いたいところだが思うところがあって神戸で途中下車する。

 

 神戸駅からは地下鉄海岸線に乗り換え。神戸の地下鉄は私が神戸に住んでいた時からあったが、この海岸線が開通したのは私が神戸を離れてからである。神戸は最近、横山光輝で町おこしをしていると聞いていたが、駅構内には彼の三国志の絵が描いてある。

地下鉄の車両はどこも個性がないところ。駅構内には横山光輝三国志のキャラ(蜀漢の五虎大将)が描かれている。

 これで和田岬まで移動。ここからは山陽本線の支線である和田岬線に乗車することにする。和田岬線はそもそもは神戸港の貨物線を旅客輸送に転用しているような路線であり、特に川崎重工通勤者専用路線のように言われてきた。地下鉄の開通により廃線の噂もあったが、一応は現在も運行されており朝夕には通勤者の利用が多いという。

 和田岬駅は無人駅で改札も何もない。兵庫駅との一区間だけの路線なので、改札は兵庫駅の側で行うこととなっている。おかげで道の脇にそのまま列車が到着する印象である。また通勤路線らしく、運行されるのは朝と夕のみ。この時間帯に6両編成の103系電車がピストン運行されている。

駅は看板以外には本当に何もないし、列車も帰りの便には乗客はほとんどなし。

 駅に列車が到着すると乗客がバラバラと降りてくる。今日は土曜日であるし、私が乗車したのは朝の運行の最終便のためか、ラッシュという雰囲気ではない。また折り返し便の乗客は私を含めて4人定度でほとんど回送列車のような趣である。列車はそのまま込み入った市街を走り抜けると兵庫駅に到着。和田岬線のホームは本線よりも一段低い位置にあり、完全に本線と分離している。

 兵庫駅の和田岬線改札

 ここで本線に乗り換えると隣の新長田駅まで移動する。新長田では「神戸鉄人プロジェクト」と銘打って、鉄人28号の等身大モデルを建設したことで話題となっている。それを見学しておいてやろうという魂胆。

 新長田駅は完全に様変わりしている

 新長田駅で降り立つのはもう数年ぶりになる。そもそも私は長田に在住していた人間なので、新長田周辺はかつてのホームグランドと言っても良いところ。ただあの地震で実家が全壊し追われるようにして神戸を離れて久しい。新長田周辺は、震災前の風景から震災直後のテント村のようになっていた当時の状況までは記憶にあるが、復興後の風景は初めて目にする。ジョイプラザは当時と変わらずに立ち続けているが、それ以外はかなり様変わりしている。

  

 ジョイプラザの南側に新長田1番街のアーケードがあり(震災前にはこのようなものはなかった)、鉄人をかたどった街灯の下を抜けながら裏側に回り込むと、唐突に巨大な鉄人が現れる。

   

 なかなかに巨大で重量感がある。近寄って触ってみるとお台場ガンダムと違って鉄で出来ているので質感が良い(鉄でなくてFRPだったら、鉄人でなくてプラ人になってしまう)。またただ突っ立っているお台場ガンダムと違って、ポーズに躍動感があるのもなかなかに絵になる。お台場ガンダムのような期間限定イベントではないので、人が殺到しているという雰囲気はないが、それがかえって落ち着いていて良い。なおあちこちで写真を撮っている姿が見受けられたのだが、その年代層が明らかにお台場ガンダムよりも遙かに高い層であるというのがいかにもである。コンパクトカメラで記念写真を撮っている初老の夫婦のなんて風景も見られるのが微笑ましい。

 

 新長田地区では、震災後の神戸市当局の棄民政策による人口の減少及びコミュニティの破壊で、地元商店街は壊滅的打撃を受けたという。その後にゼネコンと癒着した神戸市当局が大好きな巨大マンションが林立することになったが、本当の意味で町が生き返ったという雰囲気はない。地元商店街では復興の願いをこの鉄人に託しているようである。お台場ガンダムのような期間限定イベントでなく、恒久展示というところに末永い町の発展への願いが込められているように思われる。

 なお新長田地区の町おこしのもう一つの起爆剤は地下鉄にも展示されていた「横山光輝三国志」であり、近くの商店街にもそれにまつわる像などがあるとか。昭和レトロというのが今はブームになりつつあるので、それらと絡めるとうまい名物になるかもしれない。ゼネコンと癒着した神戸市当局の馬鹿げた巨大開発に破壊される以前のこの地域は、まさに昭和レトロそのものの町だったのだから。

 

 新長田から普通列車で神戸駅まで移動すると、そこで新快速に乗り換えて京都を目指す。京都駅に到着するとまずは1つ目の目的地

 


「イメージの魔術師 エロール・ル・カイン展」美術館「えき」KYOTOで12/27まで

 

 エロール・ル・カインは東洋で生まれてイギリスで成功した絵本作家である。彼の独特の感性を秘めたイラストから「イメージの魔術師」などとも呼ばれ、絵本のみならずアニメーションの世界などでも活躍したという。その彼の作品を集めた展覧会。

 好き嫌いはともかくとして、とにかく表現が多彩多様であるという印象をまず受けた。非常に精密で繊細なタッチの作品があったかと思えば、大胆に簡略化した簡潔な作品があったりなど、あまりに作風が自在すぎて、何を持って彼の特徴として良いのかをつかみにくい。しかもいかにも西洋的なイラストと、日本の東映アニメーションを思わせるような東洋的なイラストまで混在しているというバックグランドの複雑さは、彼の生い立ちそのものかもしれない。

 個人的にはあまり好きなタイプではないのだが、恐らく好みによってはドップリとはまる人もいるように思われる。彼に対する高評価も頷けるところ。

 


 午前中に神戸をウロウロとしていたのでもう昼時になってしまった。面倒くさいのでここでそのまま昼食を摂ることにする。11階に上がると「美々卯」に入り、「美々卯弁当(1979円)」を注文する。

 

 懐石風の小鉢の盛り合わせにそばなどを組み合わせたいかにも京都的な内容。ややボリュームに不足気味の所があるが、そこは京都風。なおご飯のおかわりありなので、男性の場合はそれで補うのが手。一品一品はなかなかにうまく、そこのところはさすが。

 

 昼食を終えると市バスで次の目的地へと向かう。これが本遠征の主目的である。

 


「ボルゲーゼ美術館展」京都国立近代美術館で12/27まで

 

 イタリアのボルゲーゼ美術館は、枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼの個人コレクションを元にした美術館であり、彼が蒐集したルネッサンス・バロックの芸術品の蒼々たるコレクションを誇る。今回はその中からラファエロやカラヴァッジョの作品を含む50点ほどを展示している。

 当然のように作品は宗教画が中心となるのでそこが好みの分かれるところ。個人的には教会臭いのが鼻につくのは仕方ないが、絵画としてはなかなかに楽しめるものが多かった。ただ作品としてはラファエロとカラヴァッジョのものが明らかに突出していて、それ以外はそれなりという感もなきにしもあらず。特にルネッサンス期の作品の特徴として、明らかにデッサンがおかしいと思われるようなものもあるので、そこが好みが分かれる。

 ラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」は最近の研究によって、元絵が改ざんされていることが判明して、それを本来通りに修復した形で展示されている。教会支配下の中世暗黒時代にはこの手の作品改悪は日常的に行われていたが、これもその一環だったようである。後世の凡人の手による改悪をはぎ取ったラファエロの作品は、神々しいまでに存在感があり、作品に思わず圧倒されるような所がある。天才画家が少なくないこの時代においても、これだけの存在感を持つのは彼を含めて数人しかいない。

 光の演出が抜群で、後にも多くの画家に影響を与えたカラヴァッジョは、ここでも劇的な光の効果を用いた作品を製作している。暗闇の中からスポットライトを浴びた人物が浮かび上がるような彼の作品はとにかく印象深いものである。

 展覧会全体を通じては、作品数が少ないとか、作品レベルにばらつきがあるとかなどを感じることもあるが、先の二点だけでも本展を訪れる意味は十分にあるというのが実態だったりするのである。

 


 これで京都での予定は終了である。地下鉄で山科まで移動すると、そこから新快速で次の目的地である大阪に向かう。車内でうつらうつらしている内に高槻を過ぎ、目が覚めるとやけに空模様が怪しくなっていた。どうやら大阪は雨が降っているようである。そのまま大阪駅に到着すると環状線で天王寺に向かう。

 よくよく考えてみると、大阪の環状線にはよく乗っているが、大阪から外回りで天王寺まで行くことはあまりなかったような気がする。私が環状線に乗る場合には目的地は弁天町や新今宮の場合が多く、内回りに乗ることが多いからである。また外回りに乗るとしたら、鶴橋で近鉄に乗り換えるという場合が多いので、そこから天王寺まで行ったことといえばほとんどない。実際、それを裏付けるように、鶴橋からの桃谷、寺田町の両駅は、環状線にそのような駅があるということさえ私の認識にはほとんど存在していなかったのである。

 

 天王寺に到着すると美術館に向かうところだが、昼食が軽かったのか少々腹が寂しくなっているので、かなり早めの夕食を兼ねて「古潭」「チャーシュー麺(700円)」を食べていくことにする。

 店の表にはやたら「コラーゲン」と書いた幟が立っているが、その割にはスープが特にドロドロというわけではなくて、非常に食べやすいラーメン。あまりドロドロのスープが好みではない私にはむしろ好みに合っている。そもそもコラーゲンを摂ったからといってそれで肌が良くなるわけでもなく(それよりも夜更かしなどをやめる方が覿面に効果がある)、とんこつを使ったラーメンはどれでも多かれ少なかれのコラーゲンを含むということを考えると、あえてあそこまでアピールする必要はあるのだろうか? そんないかがわしいアピールをしなくても、十二分に味だけでお客を呼べるラーメンなんだから。

 

 ラーメンを食べて腹が落ち着くと、美術館に向かうことにする。雨の天王寺公園は美術館に向かう人以外には人気が全くない。

 


「小野竹喬展」大阪市立美術館で12/20まで

 

 日本を代表する風景画家・小野竹喬の生涯渡る作品を展示。笠岡市立竹喬美術館などからも多数の作品が展示されている。

 一貫して日本の風景を描き続けてきた竹喬であるが、その画風は数度にわたって劇的に変貌を遂げている。初期は伝統的日本画の手法を用いていた彼であるが、渡欧によってセザンヌなどの影響を受け、西洋画的描き方を始めるようになる。この頃の彼の作品はかなり明瞭な色遣いなどが特徴であるが、やや平面的な感じがある。

 その後、南画の影響を受ける時期が現れる。この頃の特徴は表現が線を中心として、着色は淡くて薄いものになっているということ。先の時代とは極めて対照的になる。

 その後、彼が大和絵の方に興味を転じると共に、画風がまた変貌を遂げる。画面がかなり簡略化された装飾的なものになり、色彩は極めて明瞭かつ鮮やかなものとなる。その色彩があまりに激しくて画面の簡略化も著しいために、時には抽象画の一歩手前のように見えることさえある。またこの時期の作品は、実際にはあり得なさそうな色彩を使っているにもかかわらず、作品全体として破綻なく見事にまとまっているという凄まじい技が見られ、最も彼らしい作品が量産されている時期でもある。

 ここから最晩年のいささか落ち着いた境地にまで至るのであるが、とにかく一貫して自然への真摯な姿勢というものがうかがえるのが彼の作品である。

 竹喬美術館は私も非常によく訪問しているところなのだが、その他の作品も含めてこれだけまとめて竹喬の作品を見る機会は初めてであり、今までなんとなくつかみ所がないと思われていた竹喬の絵画の変遷が初めてよく理解できたという印象である。実に得るところの多かった展覧会だ。


 特に歩き回ったという印象がなくても、知らない間にかなり歩いているというのが展覧会遠征の常で、今回も軽く1万歩を越えてしまっている。とにかくこの時点でやたらに疲れたので、とりあえずは天王寺の喫茶店で「抹茶パフェ(500円)」で糖分を補給すると、帰路につくことにする。ただその前に一カ所立ち寄り。

  

 よくよく考えてみると。この環状線から発しているJR桜島線に乗車したことが一回もなかった。桜島線とは西九条と湾岸の桜島を結んでいる路線であるが、現在はもっぱらUSJへのアクセス路線としての需要が主となっている。桜島の先には大阪のゴミ埋め立て地である舞洲があり、大阪の未来への夢が咲くという意味で「ゆめ咲き線」などという愛称もつけられている。しかしその意図とは反対に、舞洲は住宅地として分譲しようと考えたものの土中にダイオキシンなどがたっぷり含まれていることが確実のゴミ埋め立て地などに好きこのんで住もうという者もおらず、苦し紛れにオリンピックの誘致を考えたものの挫折というように、見事に巨大開発失敗例になってしまっている。またここから南に見えるWTCも、赤字を垂れ流しでどうしようもない状況に、苦し紛れの府庁移転計画が出たもののあまりの交通アクセスの悪さにそっぽを向かれて(ここには何度も行ったことがあるが確かにとにかくアクセスが悪く、私にしても「なるべく行きたくない場所」だ)、知事がヒステリーを起こして吠えまっくている状態と、これまたどうしようもない地域を控えている。大阪市にしても府にしても、今までの散々のでたらめのツケがあちこちに溜まっているので、とにかく大変である。

  

 西九条で毒々しいUSJペイントの車両に乗り込むと(色彩が暗いので、加古川線の横尾忠則幽霊列車を連想した)、列車は天王寺方向に戻る方向に進むと環状線の下をくぐって西に向かう。住宅街を抜けて工場地域にさしかかると一つ目の安治川口、次がユニバーサルシティ駅でここで多くの乗客が下車。ただこの駅からは何も見えない。そしてここから2分とかからずに終点の桜島駅である。ここは埋め立て地の何もない駅で、遠くに天保山の大観覧車が見えたりするところ。こんなところにいても仕方ないので直ちに折り返す。

   向こうに見えるのが大観覧車

 この路線もUSJが来たから何とかなっているが、それがなかったら単なるハコモノ失敗展示館になっているところであった。やっぱり活性化にしても起爆剤が必要だということだろう。ただUSJはそこ自体は儲けているようだが、果たして回りに波及効果は起こっているかは疑問。なお帰りはユニバーサルシティ駅から巨大な荷物を持った親子連れが大量に乗り込んできた車内は満員状態だった。ちなみに新幹線において出くわすと最も迷惑な乗客というのは「ディズニーランドの行き帰りの親子連れ」だそうな。行きの連中はとにかくやたらにテンションが高くてうるさい(子供だけでなく親もだそうな)ので迷惑だし、帰りの連中はやたらに荷物が多いのでこれも迷惑だとか。なんだか頷けるような気もした。

 

 環状線でそのまま大阪駅まで移動すると、今度こそ帰途についたのである。結局今日一日で神戸・京都・大阪の三都を巡ることになった。さすがにこれは疲れた。

 

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