展覧会遠征 長野・高崎編

 

 今年はカレンダーの関係で9月に大型連休が発生した。世間ではこれをGWに対して、シルバーウィーク(SW?)などと呼ぶようである。連休とあればやはりどこかに出て行きたいもの。日頃、ビジネスの現場で疲れ果てている企業戦士の私としては、ここはしっかり命の洗濯で、休み明けから再び精力的に仕事に取り組みたいところである(ホンマかいな?)。

 そういうわけで早速計画の立案から始まる。ちょうど「東海地方強化年間」に当たっている(?)今年だから、やはり信州方面というのが妥当なところだろう。そもそも信州は数年前に車で訪問しているが、それっきり永らく疎遠になっていた。信州といえば何よりも現存12天守の一つである松本城がある。ここは前回の信州遠征時には見事に訪問を忘れてしまっており、それ以来宿題として残っていたのである。今回は何よりもまずその宿題を解決すること。さらに信州には松本城以外にも真田ゆかりの名城が多々ある。やはりこれらも訪問しておく必要があろう。さらには長野には東山魁夷美術館もあり、遠征の本題の方にも事欠かない(笑)。

 目的地が決まったら後はスケジュール設定。残念ながら18シーズンとずれているので、往路には思い切って新幹線と特急を使用することにする。名古屋まで新幹線で移動、そこから特急ワイドビューしなのを乗り継ぎ割引で乗車、一旦松本で途中下車してから、その日の内に長野まで移動するという計画である。

 出典 JR西HP

 しかしいざチケットを手配する段階で予想外の事態が発生。なんと名古屋からのしなの指定席は昼過ぎの便まですべて塞がっているというのである。ここに来てシルバーウィークを甘く見ていたということに気づかされる。これならもっと早く計画を立案し、1ヶ月前にチケットを押さえておくんだった。やむなく自由席特急券を購入するが、どうも前途多難である。

 そしてこの時に抱いた嫌な予感は、見事に予想通り・・・というよりも予想を超えた状況で的中した。名古屋で新幹線を下車して中央線ホームに移動した私は、ワイドビューしなのの自由席を見て絶句した。これは「座席がない」という次元を遥かに超えていた。ほとんど朝のラッシュアワー状態になっていたのである。

 ここで選択肢は二つ。このラッシュアワー状態の列車で松本まで2時間以上を揺られていくか、30分後に出る次の列車を待つかである。2時間立ち続ける体力が私にあるかを冷静に考えると、次の列車を待つというのが妥当な選択だろう。しかし次の列車を待つと松本への到着は40分以上遅れてしまい、その後のスケジュールが滅茶苦茶になってしまう。私は悩み抜いた末・・・と言いたいところだが、実はなぜか満員の列車を見た途端にサラリーマンの悲しい性が条件反射的に飛び乗ってしまったのである。

 

 しかしこれはやはり賢明な選択とは言い難かった。連結器部分で立っていることを余儀なくされた私は、なるべく体力の消耗を避けるために壁に背を付けて寄りかかっていたが、それでもかなりの難行苦行であるのは否定できない。しかもこの位置だと外の様子は出口の窓からわずかに見えるだけなので、ワイドビューしなのどころか、スーパーナロービューである。これでは肝心の沿線視察もままならない。

 列車は名古屋の市街地からすぐにはずれると山の中へ。まず一山越えると多治見に到着。少しでも乗客が降りないかという私の淡い期待を打ち砕くように、下車する乗客は0。それどころか、新たに数人乗り込んでくる始末。ここから先の停車駅は恵那、中津川などだが、どう考えてもいずれもメジャーとは言い難い観光地だし、そこから出ている線もないし、塩尻までは降りる乗客はいそうにない。この時点で私は既に自分の軽率な選択を後悔し始めていた。

 しかもそれに追い打ちをかけるように、事態はさらに悪化する。単に列車内で2時間立ち続けるというだけでもキツイのに、異常な混雑なせいで車内の空気がかなり悪い、その上ワイドビューしなのは「振り子式特急」である。それでなくても「酔いやすい」ということで定評のあるのが振り子列車。あまり列車酔いはしない方のつもりだった私も、あまりに最悪の条件に途中で気分が悪くなり始める。普段列車酔いなど滅多にしないはずの私でこの状況である。当然のことながら、私よりも列車に弱い者は・・・。やがて洗面台やトイレなどには次々と青い顔をした乗客(やはり女性が多い)が入れ替わり立ち替わりでやってきては、お籠もり状態になってしまうという修羅場と化すのだった。するとその状況がさらに回り回って私自身の状況を悪化させる(普段はバスで酔わない者でも、同じバスの中で誰かがゲロゲロと始めたら、つられておかしくなることがあるだろう)。私は吐き気を抑えるために必死で鼻呼吸によるメディションをする羽目になったのだった。

 足の痛み及び吐き気と格闘すること二時間。フラフラになった頃に塩尻駅に到着。ここで多くの乗客が降車し(東京方面に向かうあずさに乗り換えるのだと思われる)、ようやく列車内は乗客が減少する(と言っても立ったままの状態に変化はないのだが)。ここまで来ると松本までは数分である。

 

 ようやくヘロヘロの状態で松本に到着である。しかしまだホッとしている場合ではない。これからの予定がある。まずは松本電鉄上高地線の視察である。松本電鉄は松本と上高地の玄関口に当たる新島々をつなぐ単線電化路線である。同社はかつて路面電車も所有していたとのことだが、そちらは既に廃線になって、残存しているのはこちらだけである。

 松本電鉄ホームはJR松本の端   出典 松本電鉄HPより

 トランクをゴロゴロと引っ張ったまま、松本電鉄のホームへ移動。松本電鉄は松本駅をJRと共用しており、改札から出ないまま乗り換える形になる。ホームには二両編成の電車が待っている・・のだが、これを見た時にまた絶句。なんと車内はハイキングスタイルの乗客で満員になっていたのである。恐るべしシルバーウィーク。こんなところにまで・・・。結局は新島々まで30分ほど、その満員の列車で揺られることになる。

 新島々駅

 終点の新島々は上高地へのバスの便への乗り換えターミナルとなっている。おかげで出口はバスのチケットを買い求める乗客が殺到して、改札を出るだけに数分を要する始末(JRから松本電鉄に乗り換える場合は、JRのチケットを見せて出口で精算する形になる)。一旦駅を出て辺りを視察するが、バスのターミナル以外に何もないところである。こんなところにいても仕方ないので、直ちに乗車してきた列車で折り返す。

 

 なおこの新島々の先にはさらに島々駅があり、かつてはそこからさらに延伸の計画もあったとのことだが、その計画もやがて立ち消え、島々駅も廃止になって今では終点は新島々である。だからまだここの駅から先に伸びる線路は残っている。

 新島々から先の線路はまだ残っている

 往路と対照的に復路はガラガラである。この状況から見ると、この路線はほとんど上高地への観光客でもっている路線のようである。ちなみに終点までの料金は680円であり、距離を考えるとかなり高い。

 沿線にはひまわり畑もあった

 沿線は田舎ではあるが民家は常にある。沿線の最大の集落は波田駅であるが、各駅でバラバラと松本へ向かう乗客を拾っている印象。中央付近の新村駅で対向車とすれ違うが、向こうはやはりハイキングスタイルの乗客を満載している。

 松本駅の手前で路線は90度カーブしてから駅に突入。ホームにはまたハイキングスタイルの山。やはり恐るべきシルバーウィーク。ところで通常の週末の混み具合はどの程度なんだろうか。

 JR松本駅

 これで松本電鉄の視察を終えたので、改札を出るとトランクをロッカーに放り込み、市内循環バスで松本城に向かう。いよいよこれからが本題である。松本の市街地を抜けるとやがて城の大手筋にやってくる。

 松本城の手前でバスを降車すると、そこから徒歩で城域内に入る。やがて左手に黒々とした天守閣が見えてくる。思っていたよりはやや小振りの印象の天守だが、さすがに現存天守、風格が全く違う。押し寄せてくる圧倒的なオーラに感動のあまり鳥肌が立ちそうになる。

 ただここではやる気持ちを抑えて、まずは天守に上る前に手前にある博物館に立ち寄って、とりあえずは予習の方を先に済ませておくことにする。

  

博物館と内部に展示してあった松本城の復元模型

 博物館をざっと一回り。しかし内容的にはどこにでもある郷土博物館と同じ印象で、意外と松本城に直接につながるような資料は少なかった。そこで本題の天守に向かうことにする。

  

角度によって違った表情を見せる松本城。現存天守は圧倒的に存在感が違う。

 松本城は天守は現存であるが、本丸屋敷などは残っておらず広場になっており、その端に天守が鎮座している。天守は小天守と大天守が隣接しており、巡回ルートは小天守から入って大天守に移動するようになっている。

 外から見たときに「窓が小さい天守だな」という印象を抱いたが、中にはいるとまさにその印象の通りで内部は薄暗い。それにも関わらずあちこちに鉄砲狭間は作られており、隙間なく回りを守備するような構造になっている。まさに質実剛健で非常に実用本位の天守であることが感じられる。

  内部はやや薄暗い

 小天守を一回りして大天守に移動、さて最上階に上ろうと思ったところで、前方が大渋滞しているのに気づく。なんとここでもシルバーウィークの影響である。大勢の観光客が殺到したので、現存天守の狭くて急な階段が大渋滞になってしまっているのである。それでなくても現存天守の急で狭い階段は素人には怖い代物なのに、そこに上る客と降りる客が殺到しているから大混雑である。一応は上るルートと降りるルーとを分けてはあるが、それは狭い階段を半分に仕切っているだけなので、非常に移動がしづらく、足腰の弱い老人にはとても無理だし、子供連れの親子などにも危険きわまりない(子供をかついで降りようとするお父さんが危なっかしくて仕方ない)。そこに次から次から観光客がやってくるので、勢い大渋滞となる次第。

 狭い階段は下りと上りが出くわして大変

 ざっと見渡したところ、この階に百人以上は溜まっていそうである。多分上の階にも、さらにその上の階にも同じかそれ以上の人間が溜まっているだろう。このときに私の頭をよぎったのは、果たして天守閣がこの荷重に耐えられるだろうかということである。確かに天守閣とは合戦時には最後の要塞として数百の兵が籠もることは想定して建造されているはずではある。しかし所詮は建造後数百年を経過している木造老朽建築である。適切な保守は行われているだろうとは言うものの不安がよぎる。

 ちなみにながらく個人資産であったために維持管理に苦労していた犬山城は、これよりもはるかに少ない観光客でも、床がギシギシと言ってかなり「危ない」と感じさせられた。あそこならこれだけの観光客が殺到したら、床が抜けてしまうのではないだろうか。

 窓が小さいので見晴らしが良いとは言いがたい

 とりあえず「国宝松本城天守、観光客の重みで大崩壊」なんてことは起こらずにすんだが、結局は天守の最上階に上るだけで30分以上を要するという事態になってしまったのである。しかもそうやって最上階に登っても、望楼型などではない「窓の小さい」松本城では、残念ながら風景などは望むべくもない。私としてはこれは全くの予想通りであったが、多くの観光客は明らかに落胆していたようである。

 シルバーウィークのあおりで、松本城の見学に予定以上の時間を要してしまった。当初の予定ではこの後は昼食がてら松本の市街をプラプラしながら市立美術館に向かうつもりだったが、もう時間がかなりきつい。そこでタクシーで美術館へ直行することにする。

 麻生の人気取りばらまき高速1000円で、フェリー業界やローカル線が壊滅的ダメージを受けているのだが、その影響はタクシーにも及んでいるらしい。実は金沢でタクシーに乗ったときも運転手が同じことをぼやいていたのだが、鉄道利用者が車にシフトした結果、現地でタクシーを利用する観光客が激減し、観光地のタクシーはかなり悲惨な状況になっているのだという。政権を奪取した民主党は高速道路無料化を掲げているが、これを実行する場合はよくよく考えてからでないと、大変なことになる危険がある。

 


「絵画と写真の交差−印象派誕生の軌跡」松本市美術館で9/27まで

 写真機の登場は絵画の世界にも大きな影響を与えないわけにはいかなかった。実際、この時に多くの肖像画家が失業したとの話も残っている。絵画の方は絵画独自の表現を求め、色彩と光に注目した(この時代の写真は白黒だということもあるような)印象派が登場する。その後、印象派絵画は写真と時には敵対しつつ、時には手を組みつつ(ドガのように写真を利用して絵を描いていた画家もいる)相互作用を与えながら発展を続ける。そのような印象派誕生に至る時代からその後の写真と印象派の発展に関連した展覧会。

 絵画については東京富士美術館の収蔵品が多かったが、これ以外にも当時のカメラなどが展示されていたりと多彩な展覧会。とは言うものの、写真と絵画の関係については今一つ焦点ボケしているような印象も受けないではなかった。単純に「東京富士美術館所蔵印象派絵画展」でも良かったような・・・。


 美術館の見学を終えると、そこから駅までバスで移動する。駅に到着した時点で長野行きの特急しなのの発車時間まで30分ほどあるので、その間にとりあえずの昼食としてちかくのそば屋に入る。

 結果としてこれは失敗だった。まず店内が喫煙馬鹿のせいで臭くて仕方ない。また禁煙していないそば屋なんてその時点でたかがしれてるが、肝心のそばの方も信州にしてはイマイチ。特に「本当に信州そば?」と驚いたぐらいにそばつゆが薄い。それにも関わらずさんざんに待たされて、そばが出てきたのは列車発車の時間が迫ってきた頃。結局のところ、一流なのは価格だけ。この店は二重、三重の意味で失敗だった。松本には再び来ることはあろうが、この店は二度と訪問することはなかろう。

 

 慌ててロッカーからトランクを回収すると、自由席特急券を購入して駅に駆け込む。幸か不幸かしなのは、接続する特急あずさが遅れたあおりを食って発車時間が遅れていて何とか間に合い、幸いにして座席も確保できる。

 特急しなの 今度は座席を確保できた

 ここからしなのは長野に向かってひたすら山道を走行するのだが、松本まで往路と違って座席にさえつければ快適走行である。ここから標高がだんだんと上がり、トンネルなどが連続するようになってくる。そしてそのトンネルを抜けると、突然に風景が開ける。この姨捨からの景観は、日本三大車窓などとも言われているとか。急斜面には段々畑があり、その向こうには長野の盆地の風景が広がる。非常に壮観で圧倒される。ここから列車は急斜面を一気に下り降り、しなの鉄道との合流点である篠ノ井で停車の後、直に長野に到着する。

 三大車窓にも挙げられている風景

 久々の長野。また長野駅に降り立つのは初めてである(前回の訪問時は車なので長野駅には立ち寄っていない)。やはり同じところにやってくるにしても、車で来るのと列車で来るのとではいささか印象が変わるということを実感する。

 

 長野からは善光寺方面行きのバスに乗車。そのまま善光寺北まで。次の目的地はここから少し歩いた位置にある。


「日本のわざと美展 −重要無形文化財とそれを支える人々−」信濃美術館で10/25まで

  

 日本では古来より工芸分野においての高い技術を誇るが、それらを支える人間国宝などの代表的作品を展示したもの。展示作は陶芸・漆器などから人形、果ては織物から組紐の類までは実に多彩。

 確かに唸らされる作品が多いのだが、私は元々工芸分野に対する関心が薄い上に、作品ジャンルがあまりに広範囲に及び、理解不能の世界も多い。ただこれらの名人が今後もその技を後世に伝えつつ活躍していけることを祈るのみ。


 美術館の見学を終えるとバスで長野駅方面に帰還、ホテルにチェックインする。今回の宿泊ホテルは長野リンデンホテル。例によって「大浴場、朝食付き」で安価なホテルである。部屋に荷物を置くとまずは一服。しばらく部屋でまったりと過ごした後、夕食のために再び駅前に繰り出す。

 まだまだ暑かったのでTシャツ一枚で来てしまったのだが、さすがに日が沈むと少々寒い。これは何か上着でも買い込むかと、途中で東急百貨店に立ち寄るが、どうにも価格が私の貨幣価値と合致しない。やはり私にマッチするファッションはイオンやサティでないと購入が出来ないようだ。諦めてそのまま駅前まで移動。夕食を摂る店を物色する前に、長野電鉄の長野駅に立ち寄り、明日に備えて「軽井沢・小布施フリー切符」を購入しておく。この切符は本来は使用する当日に購入するもののようだが、明日の早朝から行動する旨を説明して、明日の日付のものを前売りという形で販売してもらう。

 

 夕食を摂ることにしたのは駅前の「そば亭油や」。そば屋というものの、メニューを見ると一渡りの居酒屋メニューが揃っている。私が注文したのは、「戸隠おろしそばヒレ丼セット(1300円)」「馬刺し(940円)」

 ビルの一階に入ってます

 戸隠おろしそばはいわゆる大根おろしそば。辛み大根を使用しているかと思ったのだが、存外甘い。口当たりがさっぱりしていて食が進むそばである。また驚いたことに添えられていたカツ丼はいわゆるソースカツ丼。この辺りもソースカツ丼文化圏なんだろうか?(この近辺では福井が有名だが)

 

 馬刺しは霜降りの馬肉。ただ個人的には馬刺しは霜降りよりも赤身の方がさっぱりしていて好みである。どうも最近は馬肉づいている私だが、これもなかなかうまい。

 ここまで食べたところで「肉じゃが(470円)」を追加。典型的な居酒屋的メニューだが、オーソドックスなホッとする味。

 この後はホテルの大浴場でゆったりと汗を流し、この夜は暮れていったのである。

 

☆☆☆☆☆

 

 翌朝は5時半に目が覚めてしまう。枕が変わると眠れなくなるというほど私は神経質ではないが、どうも最近は遠征に出ると早朝に目が覚めてしまうことが多い。悲しいサラリーマンの性か、それとも老化現象だろうか?

 もう一寝入りし直すには中途半端なのでそのまま身支度して、7時からホテルで朝食。8時前にホテルを出発する。今日は上田・松代と言った真田ゆかりの地を巡り、再び長野に帰ってくる予定。ここで活躍するのが昨日に購入した「軽井沢・小布施フリー切符」である。これで今日・明日の2日間、しなの鉄道と長野電鉄が全線乗り放題になる。これを目一杯活用しようという計画である。

 出典 しなの鉄道HP

 まずはJR長野駅に到着すると、篠ノ井までのJRの切符を購入。しなの鉄道は長野新幹線の開通によって、軽井沢以西の信越本線がJRから切り捨てられ、第3セクターとして発足した鉄道会社である。しかし篠ノ井−長野間の信越本線は、篠ノ井線経由で松本と長野を結ぶJRが利用していることからJRに残されたため、しなの鉄道としては一番のドル箱部分をJRに押さえられているという非常に不利な状態での経営を余儀なくされているという。

 

左 しなの鉄道車両 右 後ろを振り返ると壁越しに飯山線車両が

 車内はシートのカラーが違うぐらいか

 しなの鉄道はそもそもがJRの路線なので、JR長野駅の3番ホームに乗り入れている。しかしこのホームはこれ以上先に列車が乗り入れないように、壁で塞がれている(壁の向こうは飯山線になっている)。ここにはJRの列車としなの鉄道の列車の双方が乗り入れているが、しなの鉄道の車両はそもそもがJRの車両を若干のリニューアルをしてそのまま使用しているので、どちらも単にカラーリングが違う115系電車である。この時に私が乗車したのはしなの鉄道カラーの方。

 

 篠ノ井までは路線は完全に新幹線と併走している。篠ノ井で新幹線は直進して長いトンネルに入るが、しなの鉄道線はここから大きく湾曲するルートをとる。それと共に沿線の人口が目に見えて減ってくる。ただその割には利用客は結構多く、列車内はすぐに満員状態となり、この路線が地域輸送に非常に重要な役割を果たしていることが伺える。これらの地域は両側を高山に挟まれた回廊のような地域だが、面積は意外にある。かつてこの地域に中小豪族が割拠した理由がよく分かるような気がする。真田はこの一帯を押さえて天下に覇を唱えることを夢見たと思われるが、この地は両端を塞げば防衛可能であることから、それはあながち不可能な話ではない。

   

 今日は朝から好天なので遠くの山々まではっきり見えて風光明媚である。何と言っても関西育ちの私のイメージする山と、この辺りの山はまるでものが違う。まさに日本の屋根という雰囲気である。

 

 やがて急に民家が増えてきたと思うと上田に到着である。上田は私が想像していたよりは随分大きな都市のようである。まずは上田城見学と行きたいところだが、その前に先に立ち寄るところがある。ここからは別所温泉まで上田電鉄別所線という鉄道がつながっている。上田電鉄はかつて上田を中心に多くの路線を有する鉄道会社であったが、時代と共に次々と路線が廃止され、今日では残存するのは別所線のみとなっている。この上田電鉄の現状を視察しておいてやろうという考えである。

  

 上田電鉄の上田駅は高架駅となっており、しなの鉄道上田駅と駅自体はつながっているが線路はつながっていない。二両編成ロングシートの列車内はシルバーウィークのせいか意外と乗客が乗っている。私は別所温泉までの往復チケットと別所温泉の日帰り温泉施設「あいそめの湯」の入浴券のセット券を購入する。

 

 列車は90度カーブすると千曲川を渡り、しばらく市街地の中を走行する。しかしだんだんと民家は少なくなり、下の郷駅で何度目かの90度カーブを抜けた後は、沿線はひたすら高山を遠くに見ながらの田んぼの風景となる。青い山々を背景にした黄金色の田んぼの風景は私にとっては非常に魅力的な風景だが、大抵の者にとっては単なる田舎の退屈な風景かもしれないし、鉄道会社にとっては経営的に苦しいものだろう。やがて30分ほどで終点の別所温泉駅に着く。

             

最初は民家が多かった沿線も、川を越えてしばらく行くとすぐに何もなくなる

 別所温泉駅はいかにも観光地の駅という様子だが、どことなく風情があって好感を持てる。とりあえず駅に併設された観光案内所で無料のレンタサイクルを借りると、まずは常楽寺を目指す。別に私は古寺巡りの趣味は持っていないが、常楽寺には寺にゆかりの美術品などを収めた美術館があるとのことなので、あくまで本題の美術館巡りの方である。誰だ?単なる観光旅行だろうと言ってるのは・・・。

    別所温泉駅

 しかしこの行程が結構大変だった。というのはやはり山の麓である別所温泉は駅から市街に向かって上り坂になっているのである。観光案内所の方もそれを心得ているらしく、何と六段変速付きという高級自転車を貸し出しているのだが、それでも上り坂はやはり辛い。しかもここに来て、いきなり両足の太ももがけいれんしてしまう。何と昨日の特急しなの二時間耐久のツケがここに来て出てしまったのである。結局はヨレヨレになりながら常楽寺に到着する。ちなみに常楽寺本堂は茅葺きのかなり趣のある建物、また寺内には重要文化財の多宝塔があったりなど、意外と見所がある。また美術館の方だが、これも小振りながら北斎の作品があったりなど、意外と珍品が展示してあり、こちらの方も一見の価値があるようだ。

  

左 本堂は茅葺きで趣がある 中央 重要文化財の多宝塔 右 美術館が併設

 常楽寺の見学を終えた後は一気に駅まで下り降りる。「苦あれば楽あり」で、今度は大幅な時間短縮になる。実は私が別所温泉の見学に当てている時間的余裕は1時間しかなく、だからこそ自転車を借りたのである。もう既に常楽寺で30分以上時間を費やしているので、余裕がほとんどない。このまま駅を通り過ぎるとすぐ近くの「あいぞめの湯」に飛び込む。

 さて「あいぞめの湯」であるが、観光客を意識して新造した日帰り温泉施設である。別所温泉には外湯もあるので、温泉マニアは塩素を使用しているこの施設を避けて、そちらを訪問するようである。私も時間的余裕があればそうしたかったが、残念ながら別所温泉の中心まで繰り出している時間はないので、駅に最も近いここを選んだという次第。

 さてその「あいそめの湯」であるが、浴槽に浸かった途端に「なんだ?これは!」と思わず声が出る。硫黄の匂いがプンとして、非常に肌あたりの良い湯なのである。硫黄の匂いが強いせいか、塩素消毒の臭いは一切しない。しかもいきなり肌がスベスベとし始め、さらには体がじっくりと温まってくる。痙攣していた足もほぐれてくる。この時に思わず「しまった・・・」と呟いてしまう。この湯だとじっくりとしばらく浸かっていられそうである・・・というか浸かっていたい。しかし時間がない。結局は後ろ髪を引かれる思いで10分程度の烏の行水で切り上げざるを得なかったのである。

 別所温泉恐るべし。まさかここまでの実力を持っているとは。そうと知っていたら事前にもっと滞在時間をとれるようにスケジュールを調整したのに・・・。温泉ファンには評判の悪い「素人の観光客向け」と言われている施設でこの実力なのなら、かけ流しだという外湯の実力はいかばかりか。これはいずれ機会を改めて是非ともリターンマッチをしなければ・・・。

 

 自転車を返却してから別所温泉駅に戻ってくると、今度は木目調のレトロタイプの列車がやってくる。これに乗って、非常に去りがたい思いを後に残しながら、上田駅へと向かうのであった。

   レトロ列車で上田に到着

 上田駅で下車すると、やけに大勢の乗客が待っている。上田電鉄は存廃問題が議論されるぐらい経営が苦しいと聞くのだが、シルバーウィークのせいか、そんな様子は微塵も感じられない。なおこの時に初めて気づいたのは駅のあちこちに映画「サマーウォーズ」のポスターが貼ってあること。どうやらこの映画の舞台が上田で、上田電鉄も劇中に登場しているらしい。こういうことも宣伝効果になっているのだろうか。確かにアニメの舞台になった神社にオタクが殺到したなんて話も聞いているが・・・。もっとも集まっていた連中の顔ぶれを見ると、ほとんどが一般観光客という雰囲気で、鉄道オタクらしき連中はいるが、いわゆるアニオタと思われる連中は見あたらなかったが・・・。

    松本駅前は「サマーウォーズ」一色

 駅から出るとバスの路線図看板をチェック、上田城に向かうバスに乗り込んだ・・・つもりだったのだが、そのバスはおもむろに左折すると、いきなり千曲川を渡ってしまう。確か上田城は千曲川の北側のはず。「しまった!乗り間違った」慌ててバスを飛び降りるとそのままトボトボと逆戻り。しかし田舎のバスのバス停間の距離は長い上に、こういうところでは流しのタクシーはいない。万事休すかと思った時に目の前に反対方向のバス停が見えてくる。この路線のバスは1時間に1本程度らしいので、まさか来るはずはないだろうと念のために時刻をチェックすると、何と間もなくバスはやってくる模様。やってきたバスに飛び乗って、千曲川北岸まで移動するとそこで下車。そこから上田城までいささか歩かないといけない羽目にはなったが、何とか致命的ミスになることだけは避けられたのであった。

 

 紆余曲折を経てようやく上田城の大手門跡に到着。するとまず目に飛び込んでくるのは車の長い行列。どうやら駐車場が満車で待っている車があふれているようである。何なんだ?この人気は。ここまで来るとどう考えても「サマーウォーズ」の効果とは思いにくい。それよりはむしろ「天地人」への便乗効果ではないだろうか。実際、町中には真田十勇士の看板などがあるのだが、その隣になぜか直接は関係ない直江兼続の看板があったりするのである。もっともあの作品の真田一族の描き方はかなりひどいものである。真田昌幸は知恵者というよりは卑怯者として描かれているし、真田幸村に至っては単なる体育会系熱血馬鹿なんだが。

 

 なお上田城は真田親子が二回に渡って徳川親子に勝利した城として知られている。とは言うものの、この時の上田城は後に徹底的に破却されており(明らかに恨みがこもっている)、現在の上田城を築いたのは後にここに封じられた仙石氏であり、実は真田氏の上田城と現在の上田城は場所が異なるのではという説もあるとか。しかし気の毒なことに、現在では現地でも仙石氏の影は極めて薄く、辺り一帯真田一色である。

 かつての城域は公園化しているが、本丸周辺の堀などが残っており、また櫓門が復元されている。ここの櫓は民間に払い下げられて移築されていたものを、ここに戻してきて復元したのだとか。また西櫓は唯一解体を免れた現存だという。西櫓は文化財指定をされていて立ち入ることが出来ないが、こちらの復元櫓の方は内部を見学できる。移築されていた関係で、本来は丸柱だった材木が角柱に加工されていたり、低い位置に天井を張っていたりした跡がそのまま残っていたりしている。

  角材に加工されている柱

 本丸跡は広場になっており、その南部には真田神社が設置されている。しかし本丸を取り巻く土塁はなかなか圧巻だし、神社裏手には秘密の抜け穴だったと言われている井戸も残っており、地味ながらもそれなりに見所はある城であり、100名城に選定されているのも納得はできる。とは言うものの、あれだけ観光客が殺到する理由はあまり思い当たらない。もし私の想像通り「天地人」効果だとしたら、私が今年中に訪問を予定している春日山城の場合どうなるか・・・頭が痛い。

  

本丸跡と現存の西櫓

 上田城の見学を終えると、そこからブラブラと散策がてらに上田の市街を駅まで戻る。やはり市街のあちこちが真田一色で、仙石氏の影も形もない。つくづく可哀想な話ではある。

 

 上田駅まで戻って来た頃には列車の発車時刻が近づいていた。どうやら昼食は次の目的地の松代で摂ることになりそうだ。ここからはしなの鉄道で屋代まで戻り、そこで30分ほどの乗り換え待ちを経て、長野電鉄に乗り換える。しなの鉄道と長野電鉄は同じ駅に乗り入れているが、長野電鉄のホームの方が老朽化が進んでいる雰囲気。到着したのは二両編成の電車だが、どうやらこの車両は東京地区で地下鉄として使用されていた車両だそうな(軽い知的障害を持っていると思われる鉄道マニアらしい青年が、その旨をずっと大きな声で独り言で喋っていた)。

 

    屋代駅はJRと共用 長野電鉄ホームにはレトロな待合室も

 

 列車は予想外にスピードを出すのだが、路盤が悪いのか非常に揺れる。正直なところ決して乗り心地が良いとは言えない車両だが、眼前に広がる盆地の綺麗な風景が気持ちをそらしてくれる。

   松代に到着

 松代には10分ちょっとで到着する。松代に来たのは松代城を見学するためである。松代は真田氏(昌幸の長男で幸村の兄である信之の子孫)が治めた地であり、その時の居城が松代城である。以前にこの地を訪問した時は、松代城址は整備のための工事中であり見学が出来なかった(それに当時は城郭に対してはあまり興味がなかった)。そこで今回改めて訪問したわけである。

 

 ただ松代城訪問の前にまずは腹ごしらえである。前回の松代訪問時に立ち寄った「竹風堂松代店」を再訪。「栗おこわ山家膳(1522円)」を注文する。

  

 魚の甘露煮がメインになっているが、残念ながら魚にあまり詳しくない私には、これがイワナなのかニジマスなのか何なのかの判断が全く出来ない。しかし頭からまるごと食べられるように柔らかく煮込んであって非常にうまい。また栗おこわについてはさすがというか栗がゴロゴロしている。ただ味付けが少々甘いのが賛否の分かれるところか。私の好みとしては「食事」である以上は、甘味は少し抑えた方が良いように思った。なおこのお膳にはワインが添えられているのだが、私のような「アルコールが駄目」な人間の場合はジュースに変更可能。このブドウのジュースがまたうまかった。

 

 ようやく空腹が落ち着いたところで、デザートとして「クリーム栗みぞれ(650円)」を追加注文。今日はやけに暑いのでクールダウンである。かき氷の上にこの店自慢の栗かの子をたっぷりと盛ってある。一般的に栗きんとんの類では、ペースト部分は豆や芋などを使用しているのが普通だが、ここの栗かの子はすべて栗を使用しているのが売り。栗の濃厚な味が非常に美味。実は前回の訪問時にこの栗かの子が私に鮮烈な印象を残したので再訪した次第。

 

 栗かの子が非常に甘い。以前に岸和田で食べた「氷くるみ」を思い出すような甘さである。あのときは「氷くるみ」でなく「ミルクくるみ」にしたせいで失敗したが、今回は最初から素氷にかの子を載せてあるだけ、やはりこれがバランスとしては最良である。非常に口当たりが良く、かの子だけなら甘味が強くなりすぎるところがうまく調和を取れている。やっぱりここの栗かの子は絶品。

 食事を終えると、おみやげに栗どら焼き(これもここの栗かの子をどら焼きに挟んだものだ)を購入して店を出る。次はいよいよ松代城の見学である。

 

 松代城は規模としてはそう大きくはない平城である。遺構としては土塁や堀などの一部が残るのみだったのだが、最近になって門などが再現されるなど本丸一帯が大規模に修復されており、非常に格好が良くなっている。多分、現地としては観光資源として有効活用するつもりなのだろう。松代はこれ以外にも真田資料館なども存在するし、真田屋敷なども修復されており、真田による町おこしを狙っているのは明白である。

  

本丸周辺の土塁と北不明門に本丸回りの堀

 復元されたのは本丸南の太鼓門と、北側にある北不明門で、非常に立派な櫓門が建てられている。北不明門については外側に高麗門とで枡形を形成して守りを固めている。周囲を囲む堀も一部が復元されているので、当時の城郭の概要をイメージすることが容易になっている。ちなみにここも100名城に選ばれているが、大規模な修復によって観光客にとっても価値のある施設になったようである。

 

  出典 長野電鉄HP

 松代の見学を終えると、さらに長野電鉄で先に進む。長野電鉄は須坂を中心として、長野、湯田中、屋代の三方向に放射状に伸びる形になっている。まずは須坂まで移動してから湯田中を経由して長野に戻ることで、この際に長野電鉄を完乗しておこうという考えである。

  

長野電鉄の乗換駅須坂まで移動、須坂駅には車庫があり一大ターミナル

 路線は一貫してのどかな雰囲気が漂っている。沿線は回りを山に囲まれた盆地の風景が続く。私自身が広場恐怖症のせいか、山に囲まれた盆地の風景は妙に気分が落ち着く。そうこうする内に須坂に到着。ここでしばらく乗り換え待ちの後、湯田中行きのB特急に乗車する。長野電鉄では長野−湯田中間に特急を走らせているが、A特急、B特急の2種類が存在し、共に乗車賃にプラス100円で乗車が可能である。A特急の方が停車駅が少なく、こちらには小田急のロマンスカーを転用した1000系電車が運用されている。どうせならこれに乗車したかったのだが、残念ながら今の時間帯はB特急の方しか走っていないようである。やがてホームに到着したのは3両編成の2000系電車。いかにも年代物という車両である。

  やや年季の入った2000系電車

 列車はこのまま一大観光地の小布施を経由して湯田中へ向かう。湯田中が近づくにつれて山が近くに見えるようになるが、かなり上の方まで段々畑の跡が見える。「耕して天に至る」という言葉があるが、こういう光景を言うのだろうか。先人達の農業に賭ける情熱はかなり高いものがあった。これが今日の経済性優先の論理の元で完膚無きまでに破壊されつつあるのは悲しい限りである。

   耕して天に至る

 湯田中は温泉地である。ちなみに駅に隣接した外湯施設もあり、当初の予定ではそこで一風呂浴びてゆくつもりだったのだが、もうこの頃になると昨日の「しなの二時間耐久」の疲れに加えて、今日の上田界隈散策の疲れが加わってヘロヘロ(結局は二日続けて17000歩を超えていた)。とても入浴に行く気力が起こらず、そのままこの列車で長野まで折り返してくる。

       

左 湯田中駅から 右 戻ってきた長野駅は地下駅

 帰路は善光寺付近から路線は地下に潜り、長野駅は地下駅である。ここに到着した時点では歩くのもキツイぐらい消耗しきっていた。結局は夕食を食べに行く気力さえ残っておらず、ホテルへの帰還の途中で東急の地下で弁当を買い込むのがやっとであった。

   本日の夕食なり

 

 

☆☆☆☆☆

 

 さて三日目。今日は長野からの移動になる。小諸を経由して軽井沢からバスで碓氷峠を越え、横川から上越線で高崎入りするというのが今日の予定である。

  しなの電鉄塗装とJR東塗装の115系

 二泊をしてかなり愛着さえ湧いてきたホテルをチェックアウトすると、まずは徒歩でJR長野へ。ここからは先日と同じ経路を辿るが(乗車したのも同じ時間の列車である)、今度は上田を通過して小諸まで向かう。列車は上田を過ぎるとかなり急な上り坂を進みながら徐々に標高を上げていく。小諸は山の中間の台地のようなところである。

   

 駅前でロッカーを探したがないようなので、このままトランクをゴロゴロと引いて跨線橋を越える。跨線橋から見下ろすと、ここから出て八ヶ岳高原を越えて小渕沢までを結ぶ小海線の車両が見えている。小海線は非電化単線の高原路線。非常に心惹かれるものがあるが、残念ながら今回は立ち寄っている余裕はない。これは次回以降の課題にすることにする。そのまま跨線橋を越えると駅の南側にある小諸城へと向かう。小諸城一帯は公園として整備されている。しかしここの城の入り口は道路よりも低い位置にあるため、しばらく入口が分からなくてウロウロする羽目に。ようやく公園入口を見つけると、公園事務所にトランクを預け、入場券を買って入場する。

  小諸城址(懐古園)の門

 小諸城はそもそもは戦国時代に武田氏によって東信州経営のために築城されたとされており、山本勘助によって縄張りされたという言い伝えが残っているという。その後、仙石氏によって近世城郭として再整備されたとのこと。小諸は斜面にへばりつくような台地であり、その台地の端に位置するのがこの城郭である。位置的には城下町の方が高地であるために、穴城という呼び名もあるとか。

 

 現地案内板より 非常に奥深い縄張りになっている

 建造物の類は残っていないが、石垣や空堀などの跡が残っている。一番驚くのは空堀の深さ。山の地形を利用してかなり深く掘っており、堀と言うよりは断崖絶壁というイメージ。これで西と東の守りを万全にしている。さらに南側は自然の断崖であり、ここからの眺望は抜群であるが、これは同時に万全の守りを意味している。これで守備を城下町側の北方に集中することが出来、かなり堅固な城であると言えるだろう。実際、城下町側の北側から南に位置する本丸へ向けて多くの曲輪が縦深陣のように連なって防御を固めている。

  二の丸門と二の丸跡

 

南丸跡  

 本丸は神社になっている

 本丸跡には神社が建っており(なぜか城跡には神社が多い)、神社の裏手には天守台も残っている。また城域内には島崎藤村記念館や小山敬三美術館がある。これらも立ち寄ったが、作家の記念館は私にはあまり興味がないし、小山敬三の絵画も嫌いではないが特別に強い印象の残るものではなかった。なおこれ以外にも郷土博物館があるが、これは現在休館中。また寅さん記念館なんてものもあるが、私は渥美清も「男はつらいよ」も大嫌いなのでこれはパスである。

  本丸天守台の石垣

   天守台上から場内を見下ろす

  城の南側は絶壁 西側はこの深い空堀

 この城はその絶景もさることながら、見所の一つは巨石を利用した石垣だろう。さすがに岩山の城だけに石材の調達に事欠かなかったのか、石垣の石材にかなり巨大なものが多い。これらの巨石を利用して多くの石垣を作り、城の北方から多くの曲輪を連ねて守備を図っている縄張りはなかなかに考えられたものであり、山本勘助の手によるというのも確かにあり得る話である。

 

 小諸城を堪能した後は、しなの鉄道の終点の軽井沢までホリデー快速で移動。小諸から東は、遠くに堂々たる浅間山を見ながらの本格的な山岳風景になっていく。私は今までこれだけ堂々たる火山を見たことがない。この時に頭をちらりとよぎったのは、もしこの山が今噴火したらどうなるだろうということ。恐らく大スペクタクル絵巻になるだろうが、それが私が生前に見る最後の光景になる可能性が非常に高い(土石流や火砕流の直撃を受けそうである)。

  浅間山を望む

 軽井沢に近づくにつれて、急に乗客が増加してくる。また車窓風景は典型的なリゾート地の風景であるのだが、道路が車で渋滞している。やはり恐るべしシルバーウィーク。軽井沢の一つ手前の中軽井沢からは大量の乗客が乗り込んできて車内は満員状態。そのまま軽井沢駅に到着した時にはホームは朝のラッシュさながらの光景になる。

    

軽井沢に到着 ここから先の線路がぶち切られているのが悲しい

 軽井沢駅周辺は普通の都会という印象で、この辺りには観光地の雰囲気はあるがリゾート地としての雰囲気はない。どうやらいわゆる高級リゾート地は少し外れた位置になるらしい。もっともそのような場所は私は一生縁がないであろうが。ここからはバスで碓氷峠を越える予定。元々は信越本線が碓氷峠を越えており、かつてはアプト式列車なども導入されたりして鉄道マニアの聖地だったようだが、長野新幹線開通に伴い、軽井沢−篠ノ井間の信越本線が切り捨てられると共に、横川−軽井沢間の峠越え路線は経済性の原則の下に廃止されてしまった。これは寂しい限りである。今ではそのルートはJRバスで偲ぶしかないらしい(JRの本音は、バスではなくて新幹線で移動しろというものだろうが)。

 

 バスの発車時間まではまだ1時間以上あるので、昼食がてらに軽井沢を散策することにする。まずは昼食だが、正直なところ軽井沢で昼食を摂る予定にしていなかったので(今日のスケジュールは直前になって事前の計画からかなり組み替えている)、全くあてがない。どうせこんな観光地で特別にうまいものが食えるとも思えないので、適当に目についた店にはいることにする。私が入店したのは交差点のところにあった「三喜」という店。メニューを見るとカレーライスや焼き魚定食(なぜ山の中の軽井沢で?)から牛丼などと多彩で典型的観光地レストランのもの。その中から私は「馬刺し定食(1500円)」を注文する。

   

 観光地レストランと馬鹿にしていたのだが、予想以上にまとも・・・と言うよりもうまい。馬刺しは赤身であるが、実は馬刺しの場合は霜降りよりも赤身の方がさっぱりしていて私には好みである。また味噌汁の味も良い。そしてこれは何かがよく分からないのだが、添えられていた味噌のようなもの。これをご飯に混ぜると意外に旨い。正直なところはるかに期待以上だった。

 

 昼食を堪能して食後のコーヒー(これもランチについてくる)をすすりながら一服。まだバスの発車まで時間があるようなのでさらに軽井沢を奥地に向かって散策することにする。トランクをゴロゴロと引きながらゆるやかな斜面を登っていくのだが、沿道は完全に観光地モード、それもどちらかというとかなり軽薄な。雰囲気としては原宿か渋谷辺り。女性は喜びそうだが、私のようなヒネ者には風情に欠ける。そうこうしているうちに駅からかなり北上、目の前に「↑脇田美術館」という看板が目に入ったので、ついでだから立ち寄っていく。


脇田美術館

 

 現代洋画家・脇田和の作品を収めた美術館とのこと。いかにも現代作品系の美術館らしく、大きく空間をとった展示室に大判の作品を並べている。美術館としての作りは非常に考えられており、落ち着く空間となっている。

 さて脇田和の作品であるが、独特の叙情性を秘めた彼の絵画は現代洋画としては分かりやすい方。幻想的ではあるものの、抽象にまでは行っておらず、バランスとしては絵本原画辺りのレベル。恐らく初心者にも馴染みやすいタイプの絵画だと思われ、実際に現代アート嫌いの私にも強い抵抗は感じられない作品であった。ただその分、強烈な印象もないというきらいが見られる。私としては彼の芸術に対する評価は、もう少し彼の作品を見てみないと分からない。

 


 

 美術館を一回りした頃にはそろそろバスの時間が近づいてきていた。当初の予定よりも駅から北上してしまったので、やや急ぎ足でトランクをゴロゴロ転がしながら駅に戻る。バス停に到着した時には既にバス待ちの乗客が10人程度。しばらく待つと横川から乗客を満載したバスが2台到着する。どうやら乗客が多いので増便した模様。これらのバスは乗客をすべて降ろすとどこかに引き揚げていく。我々の乗車するバスはこれらのバスと違い、こちらで待機していたバス。横川から来たものに比べると一回り小さく、すぐに乗客で満員になる。

 

 私の乗車したバスは旧道経由の横川行きバス。この時は「旧道経由」という意味がよく分かっていなかったのだが、乗客を満載したバスが動き始めて数分でその意味が分かってきた。つまりとんでもない山道を経由するのである。カーブは多く、傾斜は急で道幅は狭い。どう考えてもバスが走るような道ではなく、藤原とうふ店が走るような道である。それにもかかわらず通行車両は結構多く、驚いたことに対向車線からバスもやってくるのである。バス同士がすれ違うとなったらこれが大変。側壁から数センチなんて状態でバスがギリギリすれ違うという調子で、これではほとんど豆腐屋さん。

    とんでもない山道を走る

 ウネウネとした道を走っていると、所々で廃線になった信越本線の路線跡がチラチラと見える。確かにとんでもないところを走っていたもんだと感心することしかり。やがて「めがね橋」に到着。ここはかつての鉄道橋跡で、見上げるような煉瓦の橋である。よくまあこれだけ巨大な橋を煉瓦で作ったものである。これは先人達の努力に思わず感心。現在はこの橋の上は自然遊歩道になっているとかで観光客が結構来ている。ここで数人の乗り降りがあり、バスはさらに先に進む。

  めがね橋

 この辺りからはひたすら急な坂道を下っていくという印象。碓氷の峠越えは軽井沢の側からはかなり高度差を降りていくという形になるようである。そのうちに前方に日本離れしたかなり奇っ怪な形態の岩山が見えてくる。どうやらこれが妙義山になるらしい。どちらかと言えば南画の世界である。ところでこの山の形、どこかで見たことがあると思って考えていたら、おとうふ屋さんの漫画だった。あの作品はちょうどこの辺りが舞台になるようである。なるほど、確かに走るコースには事欠かなそうな地域である。

  妙義山は奇怪な形

 道幅が広くなると共に平坦になってくると、辺りに急に民家が増えてここが横川。横川駅の手前にやけに車が大量に駐車していると思えば、ここは鉄道博物館らしい。鉄オタの聖地の一つというように聞いていたが、いつの間に日本にこんな鉄オタが増えてたんだ? ちなみに鉄オタではない私は特に立ち寄る予定はない。

  鉄道博物館は人で一杯

 横川駅は小さな駅。ついでだから峠の釜めしでも買っていこうと思ったのだが、残念ながら売り切れの模様。どうも異様に観光客が多いようだ。やはりシルバーウィーク恐るべし。

   

横川駅 ここも先の線路がぶち切られている

 しばらくすると何やら見慣れた列車がホームに入ってくる。マニア的に言うと、115系電車の湘南色とのこと。まあここに限らず全国で見る列車だが、車内に入ると首都圏の路線図が貼ってあったのを見て、ここから関東圏になるんだということを実感する。碓氷峠はちょうど信州と関東を分ける境界に当たるようである。

   

 これで横川から高崎まで移動。この間はひたすら下り斜面を降りていくだけである。最初は山の中のイメージだった沿線も、平地になってくるにつれて住宅が急激に増え、終点の高崎は大きな都会となる。

  高崎駅

 高崎は関東地方の北の交通の要衝に当たる地で、信州・越後方面への玄関口として古くから主要な街道をやくする拠点である。そのため流通などで発展して今日に至っている。

 高崎駅で下車するとまずは駅前の二つの美術館を訪問する。最初は駅の東側にある高崎タワー美術館。高崎タワーと言うから、観光展望台のようなものをイメージしていたが、どうやら高崎タワーとは高層マンションの模様。目的の美術館はその3、4階にテナントとして入居している。

 


「成川美術館名品展」高崎タワー美術館で11/15まで

 

 箱根の成川美術館所蔵の日本画名品の中から、数十点を展示。

 展示作はいずれも大判の大作ばかり。またいわゆる現代日本画ではなくて具象画の比較的しっかりした作品が多いので、単純に楽しめる。印象に残る作品も数点あり。これはいずれ成川美術館の方も訪問しないと・・・。

 


 

 タワー美術館見学の後は高崎駅の西側に回り、高崎市立美術館の方へ向かう。元々はタワー美術館の方が私立で、公立の美術館はこちらだったのだが、最近になってタワー美術館が高崎市の運営に変更になったことで、市立の美術館が高崎駅を取り囲む状況になったようだ。


「谷内六郎展 想い出の散歩」高崎市美術館で11/8まで

 

 「週刊新潮は明日発売です」のCMで流れていた表紙イラストを手がけていたのが谷内六郎氏である。その彼の作品を集めた展覧会。

 幻想的で叙情的ではあるが、どことなくシュールな感がするという印象を受けていたが、実際にもっとシュルレアリスム的な作品も手がけているとのことで納得。好き嫌いはともかくとして、感性的には面白いものを感じる。

 


 

 美術館見学の後はホテルに向かう。今回、高崎で宿泊することにしたのはパークイン高崎。例のごとく選択の決め手は安価な宿泊料・大浴場・インターネット利用可能の三点セット。これに朝食が追加条件として加わっている。なかなか私の要望に添ったホテルだが、難点は駅から遠いこと。車で行く場合には問題にならないだろうが、徒歩で行くとなったら結構時間がかかる。平日は送迎バスがあるとのことだが、残念ながら今日は休日・・・。どうやら路線バスを使用するのが正解だったようだが、このときは疲れながら長距離をトランクをゴロゴロ転がしながら歩くこととなったのだった。

 ようやくホテルに到着するとまずはチェックイン。荷物を置いて一息つくとすぐに外出する。まだ高崎での予定は残っている。

 

 高崎には高崎城がある。関東北方の交通の要衝だけに、その戦略的重要性から代々譜代大名によって支配されてきており、本来高崎市はその城下町だった。廃城後の都市開発でその遺構はほとんど残っていないと言われるが、まだ町並みなどには面影があるとのこと。

    かつての堀の名残の水路

 とりあえず城の方向を目指すと水路に行き当たる。どうやらこれが往時には三の丸を守る堀だったようだ。しかし明らかに往時のままではなく、向かいに見える石垣は明らかに後になって造ったものである。もっともその上にある土塁はかつての名残と思われる。ただ水位が堀としては高すぎるようで(これだけ水位が高ければ、船を浮かべると簡単に城壁を越えられてしまう)、さらには幅も明らかに狭い。これは公園化に際して変更されたのではないかと思われる。

  石碑の建っている一角だけが整備されている

 かつての城壁に沿って南下していると、高崎城址との石碑の建っているところに行き当たる。どうやらここのところは一応は観光を意識して城址らしく演出したようだ。とは言うものの、明らかに後世に造られた石垣は単なるモニュメントのようなもので、城としての趣はない。ただこの付近には民間に払い下げられていた乾櫓と門が移築されており、乾櫓については県の文化財指定を受けているようだ。

  乾櫓と東門

 廃城後に本丸跡に役所などが建ち、結果としてかつての遺構が完膚なきまでに破壊されるのは、特に中核都市レベルの町ではよくある事例だが、特にここの城郭ではその破壊が著しい。辛うじて面影が残っているのは先ほどの外堀と土塁の跡のみで、城郭内部に至っては高層建築の市役所庁舎やコンサートホールなどあらゆる公共建築物が密集しており、城の遺構は全く残っていない。

  現地案内図より 場内は公共施設が林立で見る影もない

 ただ高崎の町自体は古くからの城下町の流れを汲んでいると感じられるところがあり、かつての面影は微塵も残っていないにも関わらず、なぜか町並みには懐かしさを感じるところがあり、私の感性にマッチする都市である。今後の北方遠征を考えると、この都市は重要な拠点になりそうである。

 

 高崎城の調査を終えたところで夕食にすることにする。が、今日は今まで以上に長距離を歩行しており(結果としてこの日は2万歩を越えた)、もう遠くに出ていく気はしない。そこでふと見ると目の前に「みそ殿」というラーメン屋が見える。やはり高崎と言えばラーメン、それにそろそろ信州そばに飽きていた頃である。手っとり早くそこに入店することにする。

 

 注文したのは「みそ殿らーめん(720円)」「餃子(360円)」。ラーメンについてはこくのある味噌にやや辛目のオイルを組み合わせて味のバランスをとってあり、これがなかなかに美味。麺との絡みもなかなか良い。ラーメンとしてはこれは正解である。餃子についてはやや平凡だが、取り立てて難がある訳ではない。

  

 夕食を堪能した後は、コンビニで菓子類を買い求めてからホテルに帰還。ホテルでは大浴場でしっかりと疲れを抜いて翌日に備えるのであった。

 

☆☆☆☆☆

 

 翌日はホテルで朝食を済ませるとチェックアウト。バスで高崎駅まで移動する。とりあえず駅のロッカーに重たいトランクを放り込むと、ここから次の目的地へ市内循環バスで移動する予定。ただ、バスの発車までやや時間があるので、ここから出ている上信電鉄の高崎駅を見学に行く。上信電鉄は高崎から秩父方面に延びる私鉄であるが、とりあえず今回は時間がないので覗くだけである(私は鉄道マニアでもないし)。

 

 ようやくバスの時間がやってきたのでバスに乗車する。 目的地は県立近代美術館。この美術館は群馬の森という郊外の自然公園内にあるのだが、ここにアクセスするバスは一日に数本と交通の便が非常に悪い。美術館の開館時間にちょうど良いバスの便がないため、現地に到着したのは開館の30分以上前である。しかもこの路線のバスに乗客は現在私1人。大丈夫なのか? 

 

 時間に余裕があるので群馬の森を散策する。この施設は自然林を元にして公園として手を加えたものである。こういう施設は都会人にとっては自然とふれあうのにちょうど良い。正真正銘の自然は癒しと言うには厳しすぎ、自然と疎遠になりすぎている現代人にとってはハードルが高い。現代人にとってはこのような「適度に手が入った自然」が手頃なのである。

 自然公園の中をゆったりと散策しながら久しぶりの森林浴。そのうちに美術館の開館時間がやって来たので直ちに入館する。


「群馬の美術 1941-2009」群馬県立近代美術館で11/15まで

 1941年に結成された群馬美術協会の作品を展示した展覧会。

 とのことであるが、主に戦後の作品というわけであるのでつまりはほとんどが現代アート。必然的に私には面白味が皆無の作品が大半と言うことで・・・。


 美術館の見学を終えた後はバスで再び高崎駅までUターン。トランクを回収すると高崎線で東京を目指す。ここまで来ると完全に東京近郊路線で列車には面白味は皆無。ごく普通の通勤ロングシート列車である。高崎駅を出て間もなく八高線と分かれる。八高線は八王子と高崎を結ぶ単線非電化路線で、関東近郊では数少ないローカル線の趣を残している路線のようであるが、こちらを視察する余裕も今回の遠征にはない。これは後日と言うことにする。実際のところ、八高線沿線にも川越城や八王子城など見学しておく必要があるポイントは多々ある。いずれはそういった計画を組む必要があろうが、難しいのは予算と日程の問題である。遠征地が遠隔地になるにつれて予算・日程共にかなり苦しくなってきている。今年度は東海・北陸地区に重点を置いているが、来年度はこれが九州・関東地区になりそうであるが、そうなると最大の問題が交通費と宿泊費。さらには必然的に数日規模の大遠征にならざるを得ないから、日程の確保が非常に困難。そろそろ私の遠征も壁に突き当たりつつある。

 沿線は大宮手前まではややローカルムードがあるが、それ以降は完全に都会の中で面白味がない。また車内も乗客が増えていって通勤列車の風景。変化に欠ける車窓をボーっと眺めているうちにようやく上野に到着する。

 

 上野でトランクを置いておこうとロッカーを探したのだが、空きが全くない。それに上野駅周辺も今まで見たことのないほどの人出。一帯何があったんだと思ったが、特別なイベントがあると言うわけではなさそう。やはり恐るべしシルバーウィーク。やむなくトランクをゴロゴロ引っ張って上野界隈をウロウロすることになる。まず昼食だが、ここは無難に前回にも訪れた「天國」で、「フィレステーキ定食(1600円)」を食べておくことにする。思えばつくづく今回は馬肉づいた遠征である。昼食を終えると近くの美術館から。


「聖地チベット−ポタラ宮と天空の至宝」上野の森美術館で1/11まで

 

 インドで発祥した仏教は、チベットに渡ってそこで権力を掌握、以降チベットでは独自の密教文化が栄えて今日に続いている。発祥地であるインドで仏教がほとんど消滅している今日、一番最古の形の仏教が残っているのがチベットであるとも言える。そのチベットから国宝級の名品を集めたのが本展とのこと。

 日本の仏教は一度中国を通して入ってきているのに対し、チベットの仏教は発祥のインドから直接に入っているだけに雰囲気がかなり違う。俗な表現をすれば「非常にインド臭い」のである。仏像の顔立ち一つをとっても、のっぺりとして穏やかでありがたい感じの日本の仏像と異なり、より野性的な荒々しさを内包しており、感情面がより表に出て人間的な感じがする。

 どうやらチベットの仏教はより人間の本質を見つめていた部分があるようで、性欲などについても人間が本来持っている不可欠のものである以上、特に否定的ニュアンスは持っていなかったようである。日本の仏教関係が性欲についてほとんどタブー視しているのに対し、本展で展示されている像の中には、男神と女神がそのものズバリ接合していると考えられるようなものもあり、その何ともあっけらかんとした雰囲気には驚かされる。

 とにかく日本の「中国的な」仏教と違い、本展を見ていると「やっぱり仏教ってインドの宗教だよな」ということをあらゆる面でまざまざと思い知らされるのである。同根でありながら違う発展を遂げている。その一方で全く違うように見えて根底に流れているものには共通するものがある。この文化的ギャップの感覚が面白かった。


 さらに上野の美術館をもう一件はしご。

 


「古代ローマ帝国の遺産−栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ」国立西洋美術館で12/13まで

 

 かつてヨーロッパで一大帝国を築き上げたローマ帝国の文化を伝える逸品を展示。

 大理石彫刻の類が大半であるが、毎度のことながらこの地域の彫刻のレベルの高さには感心させられる。なお本展の目玉は、火山の噴火によって街がまるごと埋まってしまった悲劇の都ポンペイの遺跡発掘に伴う出土品類。その中にはかつての富裕層の邸宅を飾っていたと思われる壁画などの生々しい展示物もある。この壁画が発見された邸宅跡の往年の姿はCGで再現され、会場内で上映されているが、そこからは禁欲的なギリシア人に対して享楽的とも言われていたローマ人の、生活を楽しむというスタンスが何となくうかがわれる。その感覚は多分に現代人にも相通じるところがありそうである。


 これでとりあえず今日の予定は終了である。後は私の東京での定宿である「ホテルNEO東京」を目指す。最近はこのホテルをやたらに利用しているせいか、ここに来ると寮にでも帰ってきたような気分になる。それに最初に来た時は雰囲気の暗さが気になっていた南千住の街にもだんだんと慣れてきたように思われる。とりあえずホテルにチェックイン。汗をかいたので風呂で一汗流すと、夕食のために街へと繰り出す。と言っても疲れているのであまり遠くに行く来もせず、南千住界隈で済ませることにする。見つけたのは「松竹」というトンカツ屋。なんとなく寂れた町の食堂という雰囲気が気になるが、揚げ物系の定食がいろいろとある店のようである。注文したのは「上ロースカツ定食(1500円)」

 店の雰囲気から、適当に揚げたカツが出てくるかと思っていたが、案に反して火加減などを調整しながら店主はかなり真剣モードでカツを揚げている。その甲斐あってか出てきたカツはサクサクにうまく揚がっている。使用している肉などは特別に上質というものではないが、決して悪くはない。メニューとしてはもっと低価格のメニューもあるので、毎日の食事を摂るにはバランスの良い店(揚げ物中心なのでカロリーは過多になりそうだが)。そういう点では、今後「使える」店になりそうである。

  

 夕食を終えると南千住界隈をウロウロ、途中でコンビニで当面のおやつを購入してホテルに帰還、この後は疲れが出て、ホテルでぼんやりと何をするでもないまま夜が更けていった。

 

 

☆☆☆☆☆

 

 さていよいよ最終日である。気合いを入れて・・・と言いたいところだが、既に疲れはピーク。やはり最初の特急しなの2時間耐久からのボタンの掛け違いで、今回の遠征はかなり肉体的にキツイものになってしまった。結局のところ、早朝から活動を始めるだけの気力は出ず、ぼんやりとチェックアウト時間ギリギリまで過ごすことに。

 時間に追われるようにホテルをチェックアウトすると、とりあえずは身軽になるためにトランクを東京駅のロッカーに放り込み、そのまま渋谷を目指す。渋谷では地下鉄に乗り換えて、用賀駅まで。今日の第一目的地は世田谷美術館である。ここは何度も行ったことがあるが、とにかく妙に辺鄙なところにあるのでアクセスが悪い。ただ今回は出し物が力が入っているのか、用賀駅から直通バスが出ている模様。駅の近くで軽く朝食を摂ってから、直通バスで美術館を目指す。

 


「オルセー美術館展 パリのアール・ヌーヴォー」世田谷美術館で11/29まで

 

 19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで一世を風靡した美術形式がアール・ヌーヴォーである。自然界から由来していると言われているその独自の曲線からなるフォルムは、絵画などの芸術から工芸の分野にまで幅広く展開された。これらの時代の家具などの工芸品を中心に展示したのが本展。

 後のアールデコの工業品的な直線デザインに比して、いかにもクネクネとしたデザインが多いのがこの時代の特徴だが、意外に古いとか嫌味な感覚はなく、今日でも感性としては受け入れやすいのが事実。正直なところ私の目から見ても単純に「美しい」と感じられるのがこの時代のデザインである。今となっては非常に古典的に見えるのであるが、それがどことくなく懐かしさを感じさせる。どことなく人間を落ち着かせるところがアール・ヌーヴォーのデザインにはあるのかもしれない。

 展示品は家具類や装飾品が中心なので、私としてはあまり見るべきところがないのであるが、それでも難しいこと抜きで単純に楽しめる部分が多々あった。ただ「オルセー美術館展」と銘打つと、絵画中心と誤解する向きが多いと思われるので(日本ではオルセー美術館が工芸品もコレクションしているというイメージは普通はないだろう)、この展覧会名はいかなものであろうか。


 見学を終えるとバス停に移動。しかし運の悪いことに私の目の前で用賀行きの直通バスが発車してしまう。次のバスは30分以上先、こんなところでボーっと待つのは私の性に合わない。さてどうしようかと思っていると、目の前に二子多摩川行きのバスが到着する。確か二子多摩川は隣の駅のはず。ええい、これでもいいやと飛び乗る。

 しかし実はこのバスは世田谷の市街地を巡回するようなかなりの大回りのコースをとるバスであった。結局のところ、私はかなりの時間を要して世田谷の市街地を十二分に視察してから駅に到着することになったのである。まあ効率だけを考えれば極めて無駄であったのだが、別に今日は予定が立て込んでいないからこれで良しとしよう。ちなみに世田谷の印象は、実に起伏の多い古い市街地というもの。路地が入り組んでいることといい、やはりなんとなく懐かしさを感じさせる。私は世田谷の地を初めて訪れた時から、なぜか説明しようのない懐かしさを感じているのだが、それがさらに補強されたようである。やはりサザエさんの故郷は、日本のどこの都会でもあった昭和の風情が残る地域なのだろうか。

 

 二子多摩川の駅前で昼食を軽く済ませると(ちなみにこれはいかにも東京らしいハズレ飲食店だった)、渋谷にUターン。そこでJRに乗り換えて目黒へ移動する。実はもう今日の予定は終了しているが(本遠征はそもそも東京が主眼になっていないので、東京での予定は昨日でほとんど完了している)、まだ帰りの新幹線の時間まで余裕があるので、この近辺で今まで訪れたことのない公立美術館を訪ねておいてやろうという考え。

 目黒の駅前はやや古いタイプの繁華街というイメージ。こういう街並みは私にとっては決して相性は悪くない。目的地は目黒区美術館。美術館はここから川筋に向かって長い坂道を下っていき、そこから川沿いにしばらく歩いたところにある。この一角はグランドやプール、さらには図書館などがひしめいており、やや手狭な印象。地図で見る限りでは目黒区全体がかなりゴミゴミした印象があるが、無理矢理に何とか公的スペースを確保したというイメージがある。普通はこのような一角は公園になっていてもっと広々としているものだが、ここはギリギリまで民家が迫っていてとにかく余裕がない。美術館はそんな中のマンションの際際のところに建っている。


「響きあい、連鎖するイメージの詩情−70年代の版画集を中心に」目黒区美術館で9/27まで

 同館が所蔵している現代版画のコレクションを中心に、版画の技法などについても併せて紹介した展覧会。

 しかしながら版画は元々あまり私の趣味ではなく、しかもその上に「現代」とついたのではさらに興味半減。残念ながら私としてはあまり見所はなく、実際に印象に残る作品も全くなかったのである・・・。


 わざわざ目黒くんだりまで出てきたが、結局は目黒の街の視察のような感じになってしまった。まあこれも仕方のないところ。美術館遠征ではこの手のことはよくある。

 これでいよいよ本遠征の全スケジュールが終了である。とりあえずは東京駅に戻るが、まだ若干の待ち時間があるので駅近くの喫茶店で時間をつぶし、大丸地下で弁当を買い求めてから新幹線で帰途についたのであった。

 後半では東京方面の美術館を回ったが、元より今回の遠征の本命は東京にはなく、実際の主眼は長野地域の城郭巡りだったことは否定できない。どうも最近、遠征の主旨が派手にズレ始めていることを感じることが多々あり、今後どうしたものかと思案のしどころである。とは言うものの、まあ結局は私はいつも興味の赴くところに突っ走るだけなんであるが・・・。

 それにしてもやはり「振り子特急2時間耐久」はあまりにきつすぎた。このダメージはこの遠征の間ずっと引っ張る羽目になってしまったが(高崎以降の行動力の低下ぶりが著しい)、実を言うと遠征終了後までもしばらく引っ張る羽目になってしまい、自身の体力の低下(と言うかもう既に老化の始まりか?)を例によって痛感させられる羽目になり、やはりあまりもう無理は利かないなということを再認識させられたのである(にも関わらず、毎度のように無理を重ねてしまう学習能力の欠如)。

 

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