展覧会遠征 紀伊半島編

 

 さていよいよ青春18シーズンが本格的に始動である。今年の夏の18シーズンの初頭を飾るのは紀伊半島一周と考えていた。着実に沿線視察を終えてきた私の行動半径の中で、どっかりと巨大な未調査路線として残存していたのが紀勢本線である。昨年度において紀勢本線東部の紀伊田辺まで、今年度においては紀勢本線西部の多気までは調査が完了しているものの、その長大な本体は未だに神秘のベールに包まれたままになっていたのである。そこで今回、その昨年来の懸案事項を解決すべく、夏のシーズン初頭に持ってきたのがこの大遠征であった。

 しかし計画の立案は難航を極めた。紀勢本線はとにかく長大であり、全線走破には非常に時間を要するのである。しかも私の場合、「鉄道マニアではない」ため、彼らがよくやるような朝から晩までかけてひたすら列車に乗り続けるというような計画では駄目である。私の遠征はあくまで「美術館遠征」であり、「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会の視察活動」である以上、沿線地域の美術館攻略と視察をはずすわけにはいかず、また沿線事情を探るためにも、行動時間は日没までに限られるのである。また特急などを多用すればかなりスケジュールが楽になるのだが、これは予算の制約上不可能である。

 当初は一泊二日の中規模遠征として企画されたものの、これらの制約条件を勘案するうちにタイムスケジュール的にかなり無理のありすぎる計画になってしまい一時断念。結局は二泊三日の大遠征として再計画されることとなったのである。

 

JR西のHPの路線図を私が加工

 出発は7/31の金曜日。私としては今シーズン初めての夏休み取得である。なおこのために先週は仕事のピッチをあげて追い込んでおいたのは言うまでもない。金曜日の早朝に出発すると、大阪で関空快速に乗り換え、まずは関西空港を目指す。紀州路線にはいくつかの支線が出ているが、その一つである羽衣線は先日の岸和田方面の遠征で視察している。そこで今回は関空線を見ておいてやろうという考え。

 8両編成の快速は日根野で後ろの4両を切り離す。前が関空快速で、後ろは和歌山を目指す紀州路快速になるという仕掛け。後ろを切り離した関空快速はそのまま90度のカーブを抜けると連絡橋を渡る。前方には関空の埋め立て地が見えてくるが、とにかくこれがでかい。全くなんてものを作るんだと感心することしばし。しかし建設費をかけすぎたばかりに関空は赤字を垂れ流しすることになっている。しかもこんなとんでもない場所に建設された経緯は、いわゆる政治家の介入によるものだと言われている。とにかく政治家という連中が口を出すと、どんなものでもろくなことにならないのである。役人の腐敗と共に、これは権力構造を一新しないとどうにもならない。

  JRの駅と南海の駅が隣接

 関空駅はJRと南海の駅が隣接している。とりあえずここで降りると空港ターミナルの方を見学。先日の羽田や成田など、空港づいている最近。もっとも私は飛行機は嫌いなので、乗ることはないだろうが。

 空港ターミナル光景

 ターミナルは旅行客でごった返している。ついでに飛行機でも見学しておいてやるかと思ったのだが、どうもこのターミナルにはいわゆる見送りデッキがない模様。調べたところ、別の場所にある展望タワーまでバスで行かないといけないらしい。私は別に飛行機マニアではないし、飛行機を見に来たわけではないのでアホらしくなって引き返す。それにしてもやけにでかい施設だが、何となく作りが悪いような気がする。赤字になるようなハコモノは、いかにも赤字を招くようなオーラが感じられるものだが、どうもこの施設にはそのオーラがプンプンと漂っている。正直、あまり良い印象を受けなかった。

 空港の見学を終えると、再び関空快速で日根野までUターン。そこで逆方向の紀州路快速に乗り換えて和歌山まで移動する。次の目的地はつい数週間前に訪問したところの美術館である。


「生誕100年記念 浜口陽三展」和歌山県立近代美術館で8/30まで

 

 銅版画に対して中間色的質感を与えるメゾチントとの手法を独自の研究で復活させて、さらには発展型のカラー・メゾチントも開発した版画家・浜口陽三の作品を集めた展覧会である。浜口は現在はフランス在住とのことだが、そもそもは和歌山の生まれということで、この美術館としてもコレクションに力を入れているとか。

 独特の質感をもった彼の作品は非常に印象深い。ちなみに彼の作品を一目見た時に、「どこかで以前に目にしたことがある」と感じたのだが、それは以前の関東訪問時の佐倉市立美術館においてであった。つまり、それだけ一目見たら何らかの記憶が残るほどのインパクトがあるのである。

 彼の版画作品は一貫してあくまで具象の世界にいるのだが、晩年になって行くに連れて題材がサクランボや貝殻など固定されたものが増えてきて、それだけ抽象画的な色彩を帯びてくることになる。非常に単純な作品であるのだが、それが沈むようなメゾチントの質感表現を受けると、妙に心の奥底に触れてくるような異次元のリアリティを持ってくるのである。何とも妙な感覚である。


 腹が減ったので昼食を摂ることにする。今回訪問したのは県庁の近くにある老舗中華料理店の「北京楼」。平日のランチタイムと言うことで店内はビジネスマンで一杯。おかげで店構えは高級中華料理店なのに、中の雰囲気は町の定食屋になってしまっている。ランチコース(750円)を注文。

 出てきたランチはチャーハンにスープと酢豚と春巻きを組み合わせたもの。非常に一般的な中華ランチである。味の方だが、これがまた店の雰囲気のままというか、高級中華と大衆中華の中間のような味付けである。味自体は決して悪くないのだが(特に炒飯と春巻きはうまい)、高級中華と言い切るだけの洗練度がない。ランチの価格を考えるとCPは良いのだが、特別な魅力も感じなかったというのが本音。

  

 和歌山での予定はこれで終了。今夜の宿を目指す前にJRで二駅移動して、紀三井寺に寄っていくことにする。

 紀三井寺駅に到着

 紀三井寺は駅から10分ほど歩いた山の中腹にある。入口で拝観料を払うとトランクを預けて参道を登る。距離としてはたいしたことがないのにすぐに息が上がってしまう己の体力のなさが情けない。もっともこの日はやけに暑かったので、そのせいもあるはず・・・ということにしておこう。

  右が名水のようです門をくぐった参道筋にあります

 紀三井寺は山の中腹にあるだけに、湧き水なども出ているようで名水百選に選ばれているとのこと。「水質の検査はしてますが、沸かして飲んで下さい」という表示がある。水質検査をしているなら生水でも大丈夫なはずだが、そこはいざという時の責任回避のためだろう。これもいわゆるPL法対策というやつか。

 

左が本堂 右の建物の中に千手観音像が安置されています(内部は撮影禁止)

 また本堂の隣には去年建造されたという12メートルの巨大千手観音像が安置されている。これは日本最大の木造漆金箔作りの仏像とのことだが、新しいだけあってキンキラキンの世界で、まさに仏教の世界を体現している(本来は仏教寺院とは朱に碧に金箔といったキンキラキンの世界で、いわゆるわびさびとは無縁の存在である)。ただここまでキンキラキンだと、どうしても成金趣味に見えてしまうのが・・・。まあ景気は良さそうで結構なことだが。

 

ここからの風景は抜群

 紀三井寺の見学を終えると駅に戻り、本日の宿泊地である紀伊田辺を目指す。しかし次の列車は御坊止まりでしかも接続なし。結局は御坊で30分近く待つことになる。紀勢本線はとにかく本数が少ないのが難点。もっとも、まだこの辺りは本数は多い方のようであるが。ちなみに御坊は以前に訪れたことがあるが、特に何もないところ。あるのは日本最短私鉄と言われている紀州鉄道だけ。一端改札を出て、お茶を買い込んでから駅の中で列車を待つ。

 御坊駅まで移動

  御坊駅と紀伊鉄道の年季の入った車両

 

 ようやく御坊に到着した紀伊田辺行きの普通列車に乗車する。列車は113系の二両編成、セミクロスシートの車両である。これに乗って後は紀伊田辺を目指すだけ・・・と思っていたら、いきなりトラブルに遭遇した。なんと途中で列車が動かなくなってしまったのである。前方で原因不明の停電によって信号機が停止してしまったとか。紀勢本線は何かとトラブルの多い路線ということも聞いていたが、まさかこんな事態に遭遇するとは。いつになったら列車が動き始めるかわからないので、とにかくポメラをとりだして時間をつぶす(つまりここのところは現在進行形で執筆しているのである)。

  113軽車両に乗り込んだのだが・・・

 結局は10分以上そこに停車した後、ようやく信号が復旧、予定よりもかなり遅れて紀伊田辺駅に到着、ホテルに向かう。今回予約したホテルはアルテイエホテル紀伊田辺。紀伊田辺はビジネスホテルの種類が少ないので、あまり選択の余地がない中での選択である。私の希望から言えば、大浴場がないのが条件に合っていない。

  ようやく紀伊田辺に到着

 ホテルに荷物を置いて一息つくと、再び街に繰り出す。とりあえずは街の中を散策。紀伊田辺の街はどこか不思議な懐かしさを感じさせる街である。おそらく昭和の街の風景がそのまま残っているのではないか。

  風情のある街並み

 ブラブラと町のはずれまで散策したところで、田辺城の水門跡に到着する。田辺城は江戸時代になってから整備された城郭で、比較的小規模のものだったようである。ただし、ここ紀伊田辺はそもそもこの城の城下町として発展した町であるということで、この地の基本となった城である。しかし明治になって田辺城は廃城となり、かつての城域は完全に宅地化してしまったので、今となっては残っているのはこの水門跡だけとか。

 

水門跡も今や水は流れていないが、反対側に川は見えている

 現地は公園になっており、その一角に水門跡がひっそりと残っていた。かつては川につながっていたと思われるが、現在は水はきておらず、水門跡まで降りることが可能となっている。立地を考えると、田辺城が海のそばの水城だったことがよく分かる。

 

 この後はさらに市街地をプラプラと散歩してから、繁華街方面へ。そこで夕食にする。

 夕食を摂る店は宝来寿司。まずは有名だという「太刀魚の天丼(945円)」を注文する。出てきたのは本当に天ぷらがのっているだけのシンプルな丼。しかしその天ぷらが驚くほどにうまい。太刀魚は今まで焼き魚で食べたことはあるが、あまり強い印象は持っていなかった。しかしこの天ぷらは柔らかい上に味が深い。

 

 さらにこれも地元の名物という「ひとはめ寿司(630円)」を追加注文する。ひとはめとはわかめの類の海草だとのこと。これで海苔代わりにすし飯をくるみ、中央に鯖をいれた巻きずしがひとはめ寿司である。ひとはめは海苔よりもより海草くさい印象。これはこれで面白いのだが、残念ながら私の趣味とは微妙に違うようだ。

 夕食を堪能した後はホテルに戻って入浴。ちなみにネットの調査によると市内に風呂屋があるとのことなので、先ほどの散策の際にそこを訪ねたのだが、既に廃業になったのか存在せず、多分そこだと思われる場所には新しい大きな家が建っているのみであった。家庭風呂が一般的となった今日、全国で多くの風呂屋がこのような運命をたどっているようで悲しくもある。やはりホテルのユニットバスはどうにも味気ない。

 この日はBSで放送していた「逆襲のシャア」を見ているうちに眠くなってきたので、そのまま床についたのであった。

 

 

 翌朝は6時に起床すると朝のシャワー、その後ホテルで朝食をとってから7時過ぎにはチェックアウトしたのだった。

 紀伊田辺からはワンマン普通列車。2両編成105系ロングシートの車内には乗客が結構多い。そこに和歌山発の普通車が到着。さらに多くの乗客が乗り込んできて、乗客を満載して列車は出発する。

  

 白浜に到着した途端に列車の中はガラガラになる。やはり温泉とパンダの大観光地である白浜を目指していた乗客が大半だった模様。ここからは紀勢本線はしばし山の中を疾走。時折山の間から海がちらちら見えることが、紀伊半島の海のそばまで山が迫っている地形を感じさせる。

  白浜駅とパンダ駅長(?)

 今朝は生憎の雨。天気予報によると紀伊半島地域には各地で雲がわきあがって、強い雨が降る地域もあるという。列車も進みながら豪雨に当たったり、突然にやんだりと目まぐるしい。好天なら青い海など風景を結構楽しめたと思うのだが、残念ながら今日はたまに見える海は灰色で、山ももやがかかったような状態。恐らくこの状態ではこの路線の魅力は半減しているのではないか。

 生憎の大雨

 とにかく長い行程である。紀伊田辺以東のこのあたりの紀勢本線は単線なので、時々対抗列車を駅でやり過ごしながら、ようやく10時前に串本に到着する。

 串本に到着

 急いで串本駅のロッカーにトランクを放り込むと、まずはバス乗り場へと急ぐ。バス乗り場で乗客を待っていたバスに飛び乗って移動。串本に来たからには串本海中公園に立ち寄っておいてやろうとの考え。海岸沿いの道をしばし走行、その間にも雨は強くなったり弱くなったり。10分ほど要してようやく目的地に到着する。

 串本海中公園

 串本海中公園は水族館と水中展望台、さらには水中遊覧船の三構成となっている。私は遊覧船に乗っている時間はないので、水族館と水中展望台のセット券を購入して入場する。

  

水族館の様子 右は海中トンネル

 結論から言うと、この施設は水中展望台あってこその施設である。水族館についてはまあ並。大阪の海遊館などと比較すると見劣りすること甚だしい。しかし串本の海の中に潜ることのできる水中展望台はそれなりに面白い。私の訪問時には生憎と海の透明度が悪く(一般的に夏場の方が透明度は落ちる上に、悪天候で海がかき回されていたようである)、遠くまで見通せるという状況ではなかったが、それでも珊瑚礁の合間を泳ぐ魚を観察することができた。

 これが海中展望台

  

内部の様子

  

海中の様子が見える

  1時間ほどで見学を終えると、再びバスで串本まで戻ってくる。次がこのツアーのメインイベントとも言える無量寺の訪問である。無量寺には長沢芦雪による有名な「竜虎図」の襖絵があるのだが、それを是非とも現地で見てみたいとの考えである。ただこの襖絵、雨天時には公開しないと言う話なので、それが唯一の気がかりである。バス停でバスを待つ間にも雨脚が強くなってきているのが心配。

 ようやくバスが到着するとそれに乗車、串本駅手前の農協前で下車すると住宅地の合間を縫ってウネウネと歩くことしばし、ようやく無量寺に到着した頃には、幸いにして雨はほぼあがっていた。無量寺内の応挙・芦雪館を訪問したところ、目的の襖絵は鑑賞できるようで胸をなで下ろす。

 

応挙・芦雪館 襖絵は右の厳重な施設に保管されている

 当の襖絵はそれように作られた別館の中に保存されていた。鍵を開けてもらって中に入ると、本堂での配置を再現するように、虎図と竜図が向かい合う形で配置されている。それを眺めた途端、思わず身震いが起こる。実のところ、私はこれらの作品を目にするのは初めてではない。いずれも奈良などで行われた展覧会でそれぞれ目にしている。しかし博物館でガラス越しにバラバラで見るのと、このように本来の形ですぐそこに展示されているのとでは印象が全く異なるのである。芦雪の手による大胆にしてユーモラスでもある竜虎が、相対することでそこに一種独特の空間が形成されるのである。その空間に気圧されて、気がつけば身震いしていたという次第。これは実に貴重な体験であり、この体験のためだけでもわざわざこんな遠くまで来た甲斐があったというものである。これだから遠征をやめられない。

 ちなみに雨天時には公開しない理由だが、作品保存の湿度管理云々という次元よりも、海が近い串本では本格的に雨が降るような時は、まさに「雨が下から降ってくる」というような状態になるため、建物の中にまで雨が降り込んできて、物理的に建物を開けることが不可能になるとのこと。今日は雨がぱらついたりはしていたが、そこまでの豪雨ではなかったし、私が到着した頃にはほぼあがっていたので無事に見学ができたという次第である。これはツイていた。

 美術館の案内の方と談笑しながらたっぷり30分以上作品に見入った後、無量寺を後にした時には天候は私の心の中のように綺麗に晴れ渡っていた。もうこれで今回の遠征の目的は達成したに等しいものである。後はさらなる旅を楽しむだけ。次の目的地である新宮に移動する前に、串本で昼食をとることにする。

 

 立ち寄ったのは串本駅前の「料理萬口」。魚を中心とした料理屋である。趣がある・・というよりも正直言うとかなりボロい店内には昼時とあって客が満員。私はここの名物となっている「カツオ茶漬け(1365円)」を注文。よく見ていると、他の客も大半がこれを注文している模様。

 はっきり言って建物はかなりボロイ

 しばらく待つと、おひつに入ったご飯と、タレのかかったカツオの刺身、さらに海苔などが出てくる。女将さんの説明によると、まずは一杯目はおひつのご飯の半分強にカツオを半分載せ、薬味などを乗せて食べる。二杯目は残りのご飯にカツオをタレごとかけ、薬味を乗せてからお茶をかけて頂くとのこと。

 一杯目はご飯に乗せて

 まずは一杯目。新鮮なカツオの刺身が臭みなどが全くなく実に鮮烈で美味。ああ、やっぱり都会と違ってこんなところで食べるカツオはうまいなと実感。

 二杯目はお茶漬けで

 さて二杯目の茶漬け。これはお茶をかけることでカツオの刺身が半生のような状態になり、先ほどよりはさっぱりとする。ここにお茶とタレの味が混ざって絶妙なバランス。そのままサラサラとかき込むとまさに至福の瞬間。ああ、日本人で良かったなと思わせるメニューである。正直、これだと何杯でも食べられそう。

 

 昼食を堪能した後は串本駅に直行。串本観光と言えば潮岬辺りが定番らしいが、私はそっちには興味はないので(串本訪問の目的はあくまで無量寺)、すぐに今日の宿泊地である新宮に移動することにする。実は串本−新宮間の移動については普通列車の本数が少ないため、場合によっては特急を使う可能性もあると考えて今日は18切符を使用していなかったのだが、予定以上にスムーズに移動が進行したためか普通列車に間に合うことができた。

 

 トランクをロッカーから回収すると、すぐに到着した105系のロングシートに座り込んでしばし発車待ち。その間の場内アナウンスによると、どうやら後続の特急が紀伊半島の豪雨で到着が遅れ、後続のダイヤは滅茶苦茶になっている状態らしい。ここでまた「ツイてる」。もし後の特急をあてにして串本でグズグズしていたら、駅で途方に暮れることになっていた可能性が大。どうも先の恵那遠征と言い、ギリギリのところで最悪の事態を回避しているのを感じる。

  海には奇岩が多い

 やがて列車は発車する。後続の特急の遅れの情報が入ってきたせいか、それともそもそもこの程度なのかは分からないが、乗車率はそこそこ高い。列車はしばらくは海沿いを走行。この辺りの海岸は奇岩などがあってなかなかに目に楽しい。1時間ほど走行してようやく新宮に到着する。

 新宮に到着

 新宮駅を降り立つと、とりあえずは荷物をおきにホテルまで。今回の宿泊ホテルは新宮ビジネスホテル紀州。新宮辺りになるとホテルの選択肢が限られてきて、どうしても選択に妥協を余儀なくされる。このホテルも大浴場なし、朝食なしなので、その点では私の条件に即していないのだが、宿泊料が非常に安価というのが最大のメリット。

 ホテルに到着すると、まだチェックイン時間よりはかなり早いにもかかわらず部屋に通してくれた。入口は一般民家風だが中はキチンとしたホテル形式になっているタイプ。ただ何となくアットホームな、寮か下宿のような妙な雰囲気のあるホテルである。とりあえず部屋に荷物を置くと、自転車を貸して頂いてそれで市内の散策に出る。

 

 気になっていた天候だが、幸いにして目下のところは雨は上がっている。まずは自転車をこいで目指すは新宮城。新宮城は熊野川の要衝を押さえる城で、川に迫る小高い山の上にある。とりあえずは駐車場で自転車を置くと本丸を目指す。

  門の跡と思われる石垣

  

左・中央 本丸城は広場になっている 右 下から見た本丸石垣

 

左 本丸より望む出丸の光景 右 本丸から熊野川方面に降りる路は閉ざされている

  

左 鐘の丸は現在は広場 中央 松の丸に降りる階段 右 松の丸

 新宮城について以前に調べた時には、整備が不十分で廃墟めいているような記述を見たことがあるのだが、その後に公園整備がされたのかかなり綺麗になっている。規模はそう大きそうな城ではないが、かなりそそり立っていて守備は堅固そう。とりあえず本丸へは後につけたと思われる石段を登っていくとたどり着くことができる。城内は建物こそないが石垣があちこちに残っており非常に楽しめる。

  南側斜面は本来はもっと急峻だったろうと推測される

 本丸から見下ろす熊野川の風景は壮観。熊野川側の崖もかなりそそり立っており極めて守備が堅固。また現地の看板にあった縄張り図を見ると、かつては熊野川河畔に水の手の城砦もあった模様。熊野川河口を押さえるのにはこれだけ適した要地は他にない。これはここに城を築かない方がおかしいというような土地である。正直なところ、ここから熊野川を見下ろしているだけでワクワクしてくるのである。

 本丸より望む熊野川の風景

 新宮城を見学した後は熊野速玉大社まで自転車で移動。ここは熊野信仰の要衝の一つで歴史のある寺院とのことだが、私は信仰方面はとんと感心がないので手早く見学を済ませるとさらに市内の散策に繰り出す。

  熊野速玉大社

 次に立ち寄ったのは浮島の森。その名の通り植物の群生が浮島を作って沼地に浮いているとのことで、国の天然記念物となっている。内部の風景はまるで熱帯のジャングルみたいであるが、植生は杉などが中心のようだ。ガイドの説明によると、現在では観光用の遊歩道が作られているが、昔は付近の住民は近道としてズボズボと中を歩いていたという。ただ気を付けないと底なし沼よろしく身体が沈んでしまうところがあるとか。中央付近に1人の娘が大蛇に飲まれたという伝説の沼があるところを見ると、実際に底なし沼に飲まれてしまったものも少なくはないような気がする。というわけで、今日では「遊歩道から外れないように」との注意書きがなされている。

 

植物集落が沼に浮かんでいる

 

遊歩道で森の中を行く

 少女が大蛇に飲まれたとの伝説のある穴

 新宮市内をウロウロしたら汗もかいたしかなり疲れた。ホテルでもらったガイドを見ると、新宮には「新宮湯」なる銭湯があるらしい。銭湯については先日に紀伊田辺で空振りをしたところだし、ここは立ち寄っておくことにする。

 新宮湯はオーソドックスな昔懐かしい銭湯。番台があって、牛乳も売ってあるというお約束通りの銭湯である。実はこのような事態も想定してお風呂セットは持参してある。ただ着替えを持ってきていなかったのが残念。一端風呂で汗を流した後、再びボトボトのシャツを着るのの悲しかったこと・・・。風呂上がりはお約束通りのフルーツ牛乳一気飲みでキメ。手は腰!視線は上方45度!一気に飲むべし!飲むべし!

 

 そろそろ夕食時。というわけで立ち寄ったのは「総本家めはりや」。この地域の郷土料理というめはり寿司の店だが、おでんなども食べられるようである。注文したのはめはり寿司に豚汁とトロロ、めざしを添えた「めはり定食(1360円)」

 めはり寿司はご飯を高菜で包んだもの。だから寿司とはいうものの非常にベジタブルな食べ物である。だから定食ではめざしや豚汁を添えてあるのだろう。確かにめはり寿司単品だと、菜っ葉類が好きとは言えない私には辛いところだが、これらが添えてあると非常にバランスが良く、またヘルシーな感じがする。強烈に美味しいと感じるようなものではなく、非常に素朴な料理なのであるが、それが何やら好感を持たされる。

 めはり定食

 夕食を終えるとホテルに帰還。汗をかいた衣服をランドリーで選択肢ながら、テレビを見ながらボーっと時間つぶし。ここのホテルは残念ながらインターネット接続がないので、こういう時には時間つぶしに困る。結局はこの日はたまたま放送していた「ゲゲゲの鬼太郎」の映画(ウエンツ主演のやつ)を見ることに。しかし時間つぶしで見ていただけのこの映画が意外と面白かったのには驚き。そのうちに疲れから眠気が押し寄せてきたのでそのまま就寝する。

 

 

 翌朝は早朝6時の出発なので5時過ぎには起床。シャワーを浴びると荷物をまとめてさっさとチェックアウト(と言ってもフロントに鍵を置いておくだけだが)。しかし生憎とこの日は早朝から豪雨。ここまではどうにか豪雨を避けてきたのだが、とうとう最終日にまともに出くわしてしまったようだ。やむなく雨の中をトランクを引きずりながらゴロゴロと移動するが、駅に到着する頃にはトランクの中まで水が浸入するような状態。

 

 駅に到着すると多気行きの普通列車に乗車する。ここからの紀勢本線はJR東海のエリアで非電化路線となる。紀勢本線は西に進むに連れて、複線電化が単線電化になり、最後は単線非電化と設備的に貧弱になっていく。運行する車両は2両編成、クロスシートのキハ48系。

 

 列車は豪雨の中を北上、九鬼水軍の九鬼や熊野などを経て尾鷲に到着、単線なので行き違いや特急の追い越し停車などが結構多い。この尾鷲でも数分停車。紀伊田辺−串本などの区間に比べると、こちらの方が沿線には集落などがあって人口はそれなりにいそうな雰囲気である。

  九鬼町は入り江にある

  尾鷲で対向列車とすれ違い

 列車はさらに北上。この頃になると紀勢本線も海から離れて山の中を走行する路線というイメージになってくる。やがて本格的に山の中を走行する。そして3時間以上の走行の後にようやく終点の多気に到着する。この頃には雨はあがっていた。

 

 ここは以前に松阪訪問の時に通過したことがあるが、参宮線への乗換駅である。ちなみに先の松阪訪問の時には何もない田舎駅だと感じたのに、南から紀勢本線経由で来ると都会の駅に見える。これこそが以前にも言った「ローカル線効果」というやつである。人間はあくまで比較で物事を考えるということ。だから回りに馬鹿ばかりだと、自分を賢いと勘違いする輩が出てくるということである。

  多気で快速みえに乗り換える

 ここでしばらく待った後、参宮線からやって来た快速みえに乗車する。今日はこれで一気に名古屋入りする予定。快速みえは津を過ぎると紀勢本線を離れて、ショートカットコースの伊勢鉄道を経由する。伊勢鉄道は津と四日市(実際は河原田だが、四日市まで相互乗り入れしている)を短絡する鉄道路線であり、名古屋から伊勢方面に向かう場合には欠かせないコースであるが、かつて国鉄が赤字路線を整理する時になぜかここも整理対象に入ってしまったのである(この時点で、いかに意味不明な基準で選択していたか分かるが)。しかしそれでは名古屋から伊勢方面に向かう列車は亀山を遠回りすることになるため(しかもスイッチバックする必要がある)、別会社として存続することになったらしい。一応は独自の車両も持っているようだが、主収入は快速みえの通行料などのようで、そういう点では智頭急行に似ている。ただしあちらは国鉄が建設途中で放り出した路線を、別会社を設立して完成させたのに対し、こちらは国鉄が放り出した「有用な」路線を別会社として存続させたわけであるから、その生い立ちは全く違う。

 

伊勢鉄道沿線風景と途中ですれ違った伊勢鉄道の普通列車

 伊勢鉄道線は単線と複線が入り交じった路線であるが、そもそもショートカットコースとして建造されたこともあって、線形は直線に近くかなりの高速対応が可能な模様。沿線人口は確かに多くはなさそうなので乗降人数は少なそうだが、それを理由に廃止しようとした国鉄は馬鹿じゃなかろうかと思えてくる。実際、別会社になったせいでその分運賃が割り増しになるというおかしなことになっており、それでなくても近鉄との戦いで苦戦を強いられているJR東海にとって不利な条件になっている。もっとも競争相手の近鉄がいなければ、JR東海はこの路線を廃止して、今頃は特急南紀を亀山経由で遠回りの上にスイッチバックして運行させるという、顧客無視の大馬鹿なことを平然とやっている可能性が高いが。やはり資本主義においては自由競争がいかに大事かが分かる。

 四日市を過ぎると今度は路線は近鉄と並行するようになる。後は近鉄とついたり離れたりしながら市街地を疾走、やがて右側からあおなみ線がやってくると名古屋に到着である。名古屋手前からぱらつき始めていた雨が、名古屋駅に到着した時には豪雨に変わる。なんともめまぐるしい天候である。

 名古屋に到着した後は再び乗り換え、金山に移動する。今回わざわざ名古屋に立ち寄ったのはここによるため。ここは列車でないと非常に立ち寄りにくい美術館である。なお名古屋から金山までは2駅しかないにもかかわらず、金山で降り立った時には雨はあがっている。いかに雨が降るエリアというのが狭いかを考えさせるところである。

 


「愛と美の女神 ヴィーナス」名古屋ボストン美術館で11/23まで

 

 ギリシア神話の愛と美の女神・ヴィーナスは古来より西洋においては多くの芸術作品のモチーフとして用いられている。そのようなヴィーナスにまつわる作品を展示した展覧会。展示の目玉はボストン美術館所蔵の「バートレットの頭部」。

 美の女神とされているだけに、ヴィーナスを扱った芸術作品を見ると、当時の美女の基準というのが分かったりする。それによるとやはり昔は現代に比べると、かなりふくよかな女性が美女の基準であったりする(中にはその感覚を皮肉った、現代のかなり醜悪なヴィーナス像も展示されていたが)。

 また面白いのが、時代によってはヴィーナスが女性に支持されていたということ。家庭の象徴としてとのことのようだが、神話に残るヴィーナスは自由奔放にして恋多き女性で、どう考えても良妻賢母の鑑とはほど遠いのであるが・・・。


 さて美術館の鑑賞を終わったところでお昼である。お昼はこの近所で摂ることにする。立ち寄ったのは「三福」。うなぎを中心とした魚料理の店である。注文したのは名古屋名物ひつまぶしならぬ「釜まぶし(2500円)」

 

 その場で焼いているためか、かなり待たされてからようやく料理が出されてくる。カリッカリッに焼き上がったうなぎが釜入りご飯の上に載っている。まずはそのまますくって一杯。うなぎが香ばしくて非常にうまい。また味付け的にも関西人の私にも抵抗を感じないもの。名古屋でうなぎを食べると妙なしつこさを感じることがあるのだが、ここのうなぎに関してはそういうものがない。

 二杯目は薬味を入れて。これはワサビがうなぎをさらにさっぱりさせて美味。三杯目は茶をかけることになるが、ここのは出し汁ではなくて本当にお茶。それも最初に出されるのと同じお茶のよう。このお茶を飲んだ時には嫌な予感がしていたが、やはりこの茶漬けは私には茶が渋すぎて好みに合わない(私は元々渋茶が嫌いで、かなり茶を薄く出す人間なので)。結局は最後はすべて薬味付き茶なしで頂く。お茶の好みだけはあわなかったが、うなぎ自体は名古屋ではかなり好みに合った方。茶漬けにするつもりでなければなかなか良いのでは。

 

 昼食を終えると後は帰るだけ・・・なのだが、このまままっすぐ帰るのは私の貧乏性が許さない。名古屋くんだりまで来た以上は最大限有効活用すべきだろう。と言うわけで、近鉄で桑名まで戻るとここから養老鉄道に乗車することにする。養老鉄道は桑名から養老、大垣を経て揖斐までを結ぶ近鉄の一路線であったが、赤字のために近鉄本体から切り捨てられ、子会社の運営となった路線である。そういう点で、以前に乗車した伊賀鉄道と全く同じ立場である。

出典 養老鉄道HP

 改札口はホームにある

 元々近鉄の路線だっただけに、ホームを区切って簡単な改札があるだけ、とりあえず一日乗車券を購入しようと思ったが、窓口までいかないと販売していないとのことなので窓口の方にまで向かう。実はここでもまた紙一重のラッキーがあったのである。実はたまたま時間の関係で予定よりも一本早い列車でこの駅にやって来たのだが、もう予定通りの列車で来ていたら、この乗車券を買いに行く時間はなかったのである。しかも私が乗る予定だった列車は途中で起こった人身事故の影響とかで大幅に遅れ、これに乗っていたら途中で足止めされて養老鉄道の列車には間に合わなかったことになっていたのである。

 一日乗車券ゲット

 接続するはずの列車は到着が遅れているが、養老鉄道線はもう「別会社」であるので、接続にはお構いなしに定刻に発車する。車両は見慣れた近鉄カラーのロングシート車両。

 

 路線は養老山地沿いの地域を疾走する。単線電化の狭軌の路線ということで、何となく近鉄というよりもJRのローカル線のような風情もある。沿線には田んぼなどが多く、大きな集落はあまりない。これは赤字になったのもなんとなく分かるような気がする。途中で山が近くなってくると雨が激しくなり始め、養老に到着した頃には豪雨。以前に養老を訪れた時に、養老山地はそそり立つ壁のようだと思ったが、その頂上に低くたれ込めた雨雲がかかっている。どうやらこれが豪雨を招いているようだ。天気予報でよく言われる「山沿いではにわか雨」という言葉を実感する風景である。

 

左 沿線風景 右 ごく一部には高架のところもあり

 養老では多くの乗客が下車して、ここからは目に見えて乗客が少なくなる。やがて大垣が近くなってくると沿線の人家も増え始め乗客も増加、そのまま大垣駅に到着する。どうやら桑名周辺、大垣周辺でのニーズはあるようだが、桑名から大垣まで全線を通じてのニーズは少なそうである。なお今日はあいにくの豪雨であるので、行楽客の利用がほとんどないと思われるが、普段は例えば桑名→養老や大垣→養老の行楽ニーズはどれぐらいあるのだろうか。それがあまりないようならかなりしんどそうではある。

 

 大垣は1面2線の構造になっており、養老までの往復列車と揖斐までの往復列車がとなりあって停車している。運行はここで完全に分離されているようである。大垣駅自体には待避設備や車庫などはなく、これらは手前の西大垣にあるようである。ここで揖斐行きに乗り換える。

 大垣で揖斐行きに乗り換え

 こちらもしばらくは周辺に何もないようところを疾走する。やがて人家が増えてくるのは広神戸以北。だんだんと目の前に山が見えてくるが、ここも山頂がどす黒い雨雲で隠れていておどろおどろしい雰囲気。つくづく、濃尾平野という大きな平野は壁のような山地で囲まれた平野だと感じる。これは地形的に見ると、西方と北方の守備は行いやすいということで、美濃を制した信長が東方の家康と同盟したのは理にかなっているわけである。

 背後の山はかなりおどろおどろしい雰囲気

 大垣から終点の揖斐は30分弱。揖斐の駅前からさらに奥に向かうバスなどが出ているようであるが、基本的に何があるというわけではない。特に揖斐に用事があるわけではないので、そのまま乗車してきた列車で折り返す。

  揖斐駅前は特に何もなし

 大垣に引き返してJRに乗り換え

 帰りのルートでは途中の駅で乗客を拾いながら、大垣に到着する頃には乗車率は高くなっていた。典型的な大垣と周辺住宅を結ぶルートである。養老鉄道線については、将来的に収支が劇的に改善するような方法は見あたらない(以前、JRの貨物列車を養老線経由で迂回させるという案があったそうだが、それも立ち消えになったらしい)。しかし沿線住民のニーズは確実にありそうであることを考えると、何らかの形で存続させていく必要はありそうである。それにしても今や鉄道で収益を上げることは不可能で、公益事業として公費で支えて行くしかない時代になってしまったのだろうか・・・。しかしここで単に目の前の収益だけで鉄道インフラを破壊してしまったら、後に社会の形態が変化した時に大きな禍根となってしまうだろう(いつまでもトヨタ様万歳の自動車社会が続くとは私には思えない)。今は鉄道にとっては耐える時代なのかもしれない。

 

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