展覧会遠征 亀山・名古屋編

 

 さて今週はまたもや「消費税13%に大増税される前に、麻生の人気取りばらまき政策を使い倒そう企画」である。今回の目的地は名古屋である。

 まずは目指すは豊田市。山陽自動車道から名神、新名神、伊勢湾道を乗り継ぐルートになる。特にどうということのないルートで、問題点があるとすれば、私のオートバックス特売カーナビは、地図が古いせいで新名神に対応していないことぐらい・・・。しかしこれが見事にトラブルの元になってしまったのである。なんと新名神から伊勢湾道に向かうときに道を間違え、逆方向に走行することに。私の遠征は初っ端からとんでもないことになってしまったのである。

 とりあえずすぐに道路を降りてUターンと思ったが、出口がない。ようやく出口を見つけて下に降りたときには「ここはどこ?私は誰?」状態になってしまったのである。こんな時はとりあえずまずは頭を冷やして対策を考える必要がある。近くにドライブインなる施設が見えたので、そこの駐車場に車を止めて現状把握から行う。

 どうやら私は東名阪自動車道を北上すべきところを南下してしまい、その後に名阪国道に入ってしまったようである。伊勢湾道を目指していたために、「伊勢」という表示が見えた時にとっさにそちらに行ってしまったのだが、それが伊勢湾道方面ではなくて伊勢自動車道方面だったのが根本的な敗因。その後にウロウロしているうちに名阪国道に入り込んでしまい、今降りたのが関の出口のようである。地図を見るとここは関駅の近くのようである。

 この状況が判明した時点で、直ちに今回のプランを全面的に組み替えることにする。当初案では今日は豊田市美術館に立ち寄ってから、周辺地域を順番に攻略しつつ、名古屋中心部に向かう予定であった。しかしこれをやめ、本来は二日目のオプショナルツアーだったはずの亀山・関方面訪問を先に組み込むことにしたのである。鉄道での遠征は事前の緻密なる計画と、それを着実に実行する行動力がもっとも重要であるが、車での遠征はこのように瞬時の判断力と大胆な行動力が必要となるのである(実はどちらかといういずれも私が苦手とするところだが)。

 まずは関の市街地を目指す。事前の調査によると無料の観光駐車場があるはず。路地をうねうねと抜けながら駐車場を発見、そこに車を止めると徒歩で市街地を散策することにする。

  街道の街並み

 関は東海道の宿場町として発展した都市である。現在は町並み保存に積極的に取り組んでいるらしく、江戸時代の宿場町の雰囲気をとどめている。先週訪れた矢掛同様、いかにも街道の町らしくウナギの寝床のような建物が並んでいる。その町並み保存はかなり徹底しているようで、銀行や郵便局まで江戸時代調の建物に入っている。ここまで見事に町並みがそろっているのは愛媛の内子以来である。また道路はアスファルト舗装されているのだが、土の道を思わせるためか、わざわざ黄土色に着色してある。まだ午前10時過ぎと比較的早朝のせいか、街道には人影はそう多くない。とりあえずは街道を東の端までブラブラと散策する。

 

左 郵便局 右 銀行 いずれも江戸時代調の建物になっている

 街道の東端には古い鳥居が設置してあるが、これはどうやら伊勢神宮の参道筋を示すものだという。ここを起点にして、東海道に沿って町並みが続く構造になっている。家並みは古いのだが、中には喫茶店が入っていたり、自転車が入っていたりと一応普通に住民の生活がある生きた街である。この辺りも内子と同じ。ところで別に意図したわけではないのだが、どうも内子訪問以来、この手の街並み保存地区の訪問が増えてきた。また先週の矢掛やその前の智頭など、旧街道宿場町の訪問が増えて、最近は「歴史街道を行く」みたいになってきている。いよいよ私の遠征も一体何をしたいのやら意味不明になってきた。本来は趣味の美術館を回っていたはずなのだが、最近はもっと多く「日本再発見」みたいな雰囲気になってきている。

  

左 街道東部の鳥居 中央 老舗の和菓子屋「関の戸」 右 本店でしか買えない特別パッケージ品

 途中には旧旅籠などが町並み保存館として展示されているので、それを見学したり、土産物を買い求めたりしながら再び駐車場に戻ってきた時には既に11時を回っていた。腹が減ったのでとりあえずは昼食である。目的の店まで車で移動する。

  店頭には電光表示がある

 今日の昼食をとることにしたのは「うなぎの初音」。この辺りでは有名なうなぎ屋らしい。私が店に到着した時には、まだ昼前にも関わらずすでに行列ができており、整理券を配っている状態。やむなく整理券を受け取るためにレジに向かうが、こういう時に人間の品性が現れるらしい。私の後から来たオバハンが、猛然と後ろから駆けてくるや、私を押し退けて先にレジに声をかけようとする。こういう輩がいるから、煮ても焼いても死なないという意味で「オバタリアン」なんて言葉ができたのだろう。しかし一部始終を店員が見ていたらしく、オバタリアンの画策は失敗に終わるのである。とにかく無事に整理券を受け取ると、先に注文をして駐車場の車の中で待つ。実はここの店は大きな駐車場を持っているのだが、そこに「現在は○○番の方が呼ばれています」と表示が出るのである。まるで病院の待合いである。待つこと20分ほど、やがて私の2つ前ぐらいの番号が表示されたので店内に入ると、カウンター席に通される。私が注文したのはひつまぶし(2200円)

 思わず食欲をそそられる

 さらにしばらく待った後に料理が運ばれてくる。ご飯の上には細切りにしたウナギが載せてあり見るからにうまそう。まずはセオリー通りに1/4をそのまま、さらに次の1/4には薬味を入れ、次の1/4は茶漬けにして食べる。

 やはり締めはウナ茶ですな

 カリッと焼き上げてありながら、それでいてふっくらとしているウナギが絶妙にうまい。またここのうなぎは味付けがやや甘めなのが関西人の私の好みにマッチするところ。薬味としてネギとわさびを加えると、そのウナギの風味がさらに引き立ち、だし汁をかけるとその旨味がご飯にまで染みだして思わず唸るほどの美味。なるほど、これは行列ができるのも分からなくもない。ひつまむしは名古屋でも何軒かで食べたが、ここのが私的にはベストかもしれない。最後の1/4は当然のように茶漬けで頂く。

 なかなかに満足の昼食であった。腹がふくれたところで次の目的地である亀山に向かう。亀山には亀山城があるのでそこを目指すのだが、その前に途中の美術館に立ち寄る。

 


かめやま美術館

 浮世絵と富永一郎の作品を展示しているという奇妙な美術館。私の訪問時は浮世絵の展示はこの辺りの宿場町(桑名、四日市、亀山、関など)を題材にした作品。当然のように広重の東海道五十三次が展示されているが、それよりもむしろ面白かったのは、宿場の風景と役者絵などを組み合わせたシリーズ。どうやら東海道五十三次が好評だったことに当て込んだ企画らしく。この手のことは現代だけでなく江戸時代にも既にあったらしい。しかし企画のあざとさはともかくとして、風景と役者の大首絵を組み合わせている構図は斬新でなかなかに興味深かった。

 なおもう一つの展示の方だが、富永一郎の品のない漫画は個人的には大嫌いなので、こっちは全く興味なし。


 かめやま美術館の見学を終えると亀山城まで車で移動する。亀山城は街の北側の小山の上にあり、街道の要衝である亀山を押さえる格好の位置に立地している。例によって既にほとんどの建物はなくなっているが、唯一多聞櫓が現存している。この多聞櫓が乗っている天守台には、江戸時代初期には天守閣があったのだが、城の持ち主が転々としている間に幕命に対する勘違いで天守閣が解体されてしまった(丹波の亀山城と間違われたらしい)というエピソードが知られている。

 亀山城多聞櫓(現存)

 かつての本丸は今では神社と公園になっている。またかつての空堀の底に降りることができるようになっており、そこから見上げる天守台の石垣は壮観である。また公園の端には天守破壊後には天守閣代わりにされたという三重櫓の址が残っているが、そこからはかつての堀の地形を見下ろすことができるのだが、それがかなりの高さ。さすがに街道の要衝だけにかなり堅固な守備を誇る城であったことが分かる。

 

左 三重櫓跡 右 城の裏手の堀跡はかなり深い

 亀山城を見学した後は、近くの歴史博物館に立ち寄る。そこには往時の亀山城下を復元した模型があり、それを見ればいかに堅固な城であったかが改めて理解できるようになっている。館内が撮影禁止のため、この模型を撮影できなかったのは残念・・・。

 

 亀山城を見学した後は、いよいよ名古屋入り。次の目的地は清洲城である・・・なんか最近、お城巡りツアーに変化しつつあるような気が・・・。

 清洲城天守

 清洲城は織田信長ゆかりの城だが、本来の城があった場所は現在はJRの線路にぶち切られており、ちょうど対岸の位置に模擬天守(別名「なんちゃって天守」)が建てられている。天守近くの専用駐車場に車を止めると、そこから真っ正面に天守が見える。鉄筋コンクリートのお手軽復元・・・というか、そもそも元々の城自体が江戸時代初期に廃城になっているので資料なんかは残っているわけもなく、完全空想建築である。そう言う意味では限りなく「とんでも天守」に近い。どこからデザインを持ってきたのかは定かではないが、織田信長の城ということでどことなく安土城を意識したのではないかと思われる。

  

左 内部の模様 中央 展示物より織田家のある一日 右 対岸への橋から天守閣を望む

 鉄筋コンクリート製であるが、内部はなるべく板張りを多用することで、いかにも安っぽさが漂うことだけは防いでいるようである。頂上からは濃尾平野を一望できるが、悲しいかな標高自体がそう高いところではないので、絶景というところまでのものではない。本来の清洲城の遺構は対岸に石垣の一部があるだけという寂しさである。

  

左 本来の城は対岸の線路の真下 中央・右 今となっては公園化しており、石垣のごく一部が残るのみ

 清洲城見学の後はホテルに向かって移動。しかしこの行程に予想以上に時間を費やすことになってしまった。名古屋中心部に向かう道路は大渋滞で、当初に想定していた所要時間の倍の時間を消費してしまった。当初案ではホテルの駐車場に車を置いてから地下鉄で中心部の美術館を2カ所回る予定だったが、そのうちの1つを明日に変更することにする。

 

 宿泊ホテルはルートイン東別院。名古屋中心部に近くて駐車場付き、大浴場ありということで選んだホテルである。とりあえずホテルに車を置くと地下鉄で移動する。


「アーツ&クラフツ展」愛知県美術館で8/16まで

 

 19世紀後半、産業革命以降の工業化効率を最優先した大量生産品があふれる中、伝統的な手工業の価値を見直し、中世以降の美的デザインを復興させようという動きがイギリスを中心に発生する。これがいわゆる「アーツ&クラフツ運動」である。これを主導したのがウィリアムス・モリスであり、彼の率いる工房はこの理念に基づいた優れた製品を生産することとなった。またこの運動は広く世界に波及し、北欧のデザインに影響を及ぼしたり、フランスではアールヌーヴォーの流れにも影響を与えた。また遠く日本では日常品の中に美を見いだすという民芸運動にもつながっている。そのようなアーツ&クラフツ運動、さらには日本の民芸運動について示す産品を展示した展覧会。

 その性質上、展示品は衣類、食器類から家具調度品に至るまで非常に多岐に及ぶ。最たるものは柳宗悦が昭和初期に建てたという三国荘の再現である。このような中で彼らがどのような美意識に基づいて行動していたかを体感させる展示となっている。

 美を意識しつつも、決して機能を損なわない彼らのデザインは、今日のデザイン最優先で機能自体が無効化しがちなデザイン業界に辟易としている私などには共感しやすいところである。とは言うものの、基本的に日用品はすべて消耗品としか考えていない私には、ここまで高度な美意識の持ち合わせはないのであるが。


 これで本日の予定は終了である。後は夕食をとってからホテルに戻るだけ。夕食をとるための店は事前に調べてある・・・はずだったのだが、その店がいくら歩いても見つからない。散々歩き回ったあげくにようやく見つけたのだが、なんと休みの模様。やむを得ず急遽予定変更だが、実のところは今日の夕食は栄辺りでとるつもりではなかったので、代替案は用意していない。店のあてが全くないので、結局は安直に近くの三越の飲食店街をうろつき、そこの洋食店に入る。

 入店したのは「東洋軒」。何か聞いたことがある名前だと思っていたが、メニューの黒カレーを見て思い出した。以前の松坂遠征の時に津新町で昼食をとった洋食店である。こんなところに出店していたようだ。

 注文したのは「洋食コース弁当」これにデザート三点盛りを追加して2940円である。スープの後にメインが登場。ビーフシチューにロールキャベツ、カニコロッケ、サラダなどがセットになったメニューである。ロールキャベツはコンソメ味の上品なものだが、個人的にはケチャップ味の方が好き。コンソメ味だとどうもキャベツが生臭く感じられることがあるからである。カニコロッケは津で食べた時と同様で、しっかりと身の詰まったコロッケという印象。ビーフシチューは濃厚な味で美味。デザートの3店盛りもいずれも美味であった。ただいずれのメニューももう少し量が欲しいところ、この量だと多分夜に腹が減りそうだ。やはりテナント料がかかるせいか、CPについては本店の方が良さそう。

  

 夕食をすませるとホテルに帰還。まずは人工温泉の大浴場でさっぱりと汗を流し、この原稿の執筆にかかる。しかし入力作業をしばらく行っている間に、予想通り腹が減ってきた。やはり夕食が私にはボリューム的にやや不足だったようだ。実はこういう事態のために事前の調査はすでにすませている。ホテルから外出すると近くのラーメン屋に向かう。

 立ち寄ったのは「喜多楽」。この辺りでは結構有名なラーメン屋とのこと。そのせいか、店の前に10人程度の行列ができている。私は本来は行列に並ぶという行動原理は持ち合わせていないのだが、ラーメン屋という業態を考えると客の回転速度は遅くはないはずだとにらんでしばらく待つことにする。

 ラーメンは日本人の国民食とも言われる食品であるが、その一方で昔から化学調味料が最も多用される食品という暗黒面も持っている。店によっては山のように化学調味料を振りかけ、瞬時に舌が麻痺してしまうほどひどいところもある。そういう時勢の中でこのラーメン屋はあえて無化調ラーメンをメニューに加えているという。私が注文したのも無化調ラーメン炙り肉入り(980円)

 当初の予想に反して意外と長時間待たされた後にようやく入店、そこで再び注文を確認される。そこからまた待つことしばし。どうやら店に行列ができていた理由の一端がこの時に理解できた。とにかく調理が遅いのである。多分、普通のラーメン屋の3倍ぐらいは時間がかかっている。

 

 結局は来店してから1時間近くかかって、ようやくラーメンにご対面である。まずはスープを一口、確かに化学調味料のピリピリくる感覚はない。次に麺を一口、歯ごたえのあるなかなか良い麺である・・・のだが、どうにも味が単純で一本調子なのが気になる。確かにどぎつい味の化学調味料を使用しないと、味があっさり目になるのは分かる。しかしスープを単独で飲んだ時にはそう感じなかったのに、なぜか麺を食べるとやけに味に奥行きがなく薄っぺらいのである。ストレート麺を使用しているために、麺へのスープの絡みが悪いのだろうか。とにかく無化調の意気は良いが、それを最大限生かすためにもう一工夫欲しかったというのが本音である。確かに悪いラーメン屋ではないが、個人的には少なくとも1時間も要して食べるラーメンではなかった。

 ラーメンで腹を満たすとコンビニで飲み物を補充。ホテルに帰った後に原稿の続きを執筆。疲れてきた頃を見計らって眠りについたのであった。

 

 

 翌朝は7時と遠征中の私にしては比較的ゆっくりとした起床。そのままシャワーで汗を流すと、ホテルで朝食をとる。このホテルの朝食はボリューム的には問題ないが、洋食系なのが個人的には若干不満か。これで和食をしっかり食べられれば文句はないのだが。

 この日の予定はかなり遅くからになっているので、チェックアウトの10時前まで部屋でブラブラと時間をつぶす。こういうゆっくりした出発は私の遠征では異例中の異例である。

 10時前にチェックアウトすると向かうは金山の名古屋ボストン美術館。地下鉄だと隣の駅である。だから今朝はゆっくりしていたというわけ。実際、早く出ても駐車料金が無駄にかかるだけになる。この美術館は鉄道の便は良いのだが、逆に車で行くとなると駐車料金が異常に馬鹿高い上という難儀な美術館なのである。だから当初の予定では、昨日ホテルに車を置いてから地下鉄で訪問するつもりだったのに、名古屋の大渋滞のせいでホテル到着が遅れて計画が狂ってしまったのである。しかもこの美術館、平日は午後7時まで開館しているのに、土日はなぜか午後5時で閉めてしまうという「何を考えているのか分からない施設」であり(まるで日曜祝日には休館の千葉市立郷土博物館みたいである)、これもまた昨日訪問できなかった最大の理由である。

 とりあえず地下駐車場に車を放り込むとエレベータで美術館へ。しかしそこで唖然。なんと美術館の前に数百人ほどの行列ができている。思わず大きなため息。どうやらそれでなくても異常に高い駐車料金がさらに跳ね上がりそうである。結局は入場までに大幅に時間をロスをすることになる。


「ゴーギャン展」名古屋ボストン美術館で6/21まで

 

 間もなく東京国立近代美術館で「ゴーギャン展」が開催されるが、それと連携しつつも、実は直接は関係はないという微妙な企画である(展示作品の一部は重複する)。

 ゴーギャンと言えば自らの創造のための理想の楽園を求めて、タヒチにまで渡ったことで有名な画家であり、その荒々しい筆致は野性を秘めていると言われている。その彼の製作の道筋を追った展覧会。

 初期の作品は、後の荒々しいまでにダイナミックな絵画とは若干趣が異なり、いわゆる「普通の印象派的絵画」である。それが徐々に彼の本性が現れて開花するのがやはりタヒチに渡ってから、生命感、力強さなどが桁違いに増してくる。本展の最大の目玉がボストン美術館所蔵の大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」であるのだが、これなどはまさに生命の曼荼羅の世界であり圧巻。

 ただ全体的に展示点数があまり多くなく、しかもそのうちの多くが版画作品だったために、目玉以外は展覧会の印象が薄かったことが否定できない。


 思っていたよりも展示点数が少なかったせいか、入場するのに時間がかかったのに会場を出るのはかなり早かった。うーん、ちょっと寂しいかな。

 駐車場から車を出すと次に向かうは名古屋から少し外れた位置にある美術館。ここは以前から存在は知っていたのだが、交通の便が悪いのと開館している時期が限られることとから、今まで訪問がかなわなかったところである。住宅街の片隅に建つお屋敷がそのまま美術館になっている。

 


「切り取られた自然 −風景画との対話−」桑山美術館で7/5まで

 

 同館が所蔵する日本画の名品について展示。川合玉堂や竹内栖鳳、児玉希望、入江波光など。玉堂については青年期のかなり表現のカッチリした時期の作品から、晩年の軟らかい表現のものまで数点が展示されている。コレクションの傾向として端正な作品が多く私好み。


 さてそろそろお昼時である。今日の昼食を摂る店は複数の候補を調査していたのだが、気分からしてフレンチにすることにする。私が向かったのは「ビ アバンス」。ここのランチは価格ごとに3種類のコースがあるが、その中で中間に当たるBコース(2940円)を注文する。

 住宅街の中にある店

 まずは地鶏を使ったオードブル。クレープのような皮の上に地鶏と野菜と麦を混ぜたものを載せてドレッシングをかけている。これがさっぱりしていて非常に美味。これからの料理を期待させる。また一緒についてくる自家製パンがまたうまい。

  オードブルと自家製パン

 スープは空豆の冷たいスープ。このスープは一口含んだだけで空豆の強い味がする。私は空豆はあまり好きではないし、冷たいスープというのも今まで美味しいと思ったことがない。しかしそれにも関わらず、このスープはうまいのである。空豆の強い味が嫌味ではなくてさっぱりと清々しく、スープの冷たさがそれに拍車をかける。これは私としては初体験であった。

 メインはまずは魚料理から。「小鯛のポワレ」である。焼いた鯛の身と野菜などにバルサミコ酢を使ったソースをかけてある料理。このバルサミコ酢の酸っぱさが何とも言えない爽快さを感じさせる上に、鯛が新鮮で非常に風味豊かである。鯛のうまさは日本料理だけではなく、フレンチも知っているってか。感動の一品。

 次の肉料理は鴨をチョイス。鴨のロースをグリーンペパーを混ぜたご飯に乗せてソースをかけてあるのだが、この鴨肉がジューシィーで今までに食べたことのないうまさ。またグリーンペパーの混ざったご飯のピリッとした風味がさらに味を引き締める。思わずうっとりしてしまうような逸品であった。

 最後のデザートはガトーショコラ、アイス、ムースの三点盛り。洋食の旨い店はデザートも旨いという法則を裏切らない一品。

 なかなかに満足の昼食であった。量はやや少なめというイメージがあるが、そこは「優れた洋食は量以上の満足感を与える」の法則が発動、結果としては腹に不足を感じることはなかったのである。ここは私が名古屋近辺で初めて出会った、うなぎ以外で美味しいと思える店だった。

 

 さて腹も満足したところで次の目的地へ。ここからは城郭巡りとなる。まずはさらに南東方向に車で走行、沓掛城址を目指す。

 沓掛城は街道を押さえる要衝として古来から登場しており、戦国時代では織田氏と今川氏の勢力の間で所属が二転三転したようである。桶狭間の合戦前夜に今川義元がこの城で軍議を開いたことが歴史に残っているという。桶狭間の合戦以降は織田氏の所属となり、簗田政綱が城郭を整備、その後は信長の弟の織田信照が城主を継いだが、最後の城主である川口久助が関ヶ原の合戦で敗北した後、廃城になった模様である。

 沓掛城址は公園化している

 鬱蒼とした荒れ地になっていたのを、現在は遺跡公園として整備したようであり、建造物などは全くないが、空堀や土塁、本丸や二の丸の一部、曲輪址などが割合と良好に保存されている。本丸がほとんどそのまま残っているので、それから城の規模を推察できる。現存している有名な城などに比べると規模は小さく思えるのだが、戦国時代の城としてはそこそこの規模になるようである。

  

左 本丸北西にある小高い諏訪曲輪 中央 空堀跡も残っている 右 二の丸広場

 沓掛城北部の駐車場に車を止め、カメラを持って一回り。今となってはのどかな田舎の集落の中の公園という趣だが、かつてここで多くの武士が命をかけて戦ったと思うと、世の中はつくづく変わったものだと思うと共に、やはり平和が一番と再認識する次第。「戦争を好むのは、ごく一部の野心家とそれに乗せられた馬鹿だけである」。

 

 沓掛城の見学を終えると今度は車でしばし北上、次は岩崎城址を目指す。岩崎城は戦国時代初期に三河の松平氏と尾張の織田氏の間で争奪戦の焦点となった城だが、松平氏の所属となった後に丹羽氏清が入城、四代に渡って守った城だという。丹羽氏は小牧長久手の戦いで秀吉軍の三河奇襲を食い止める功績をあげ(ただしこの時に岩崎城は落城し、城主丹羽氏次の弟の氏重以下、城兵200余名が戦死している)、江戸時代になってから丹羽氏が大名として栄転したことで廃城となったという。

 

左 二の丸跡 右 二の丸と本丸を隔てる空堀は結構深い

 岩崎城は市街を見下ろす小高い丘の上に築かれている。空堀で囲まれた二の丸や同じく本丸など当時の遺構がよく残っている。また現在は本丸に天守風建物が建造されているが、これは例によって歴史考証を全く無視したいわゆる「とんでも天守」である。

 安全のためか鳩よけかは不明だが、フェンスが美観を損ねている

 本丸周辺はかなり切り立った崖になっており、南方方面からの守りは万全そうである。なだらかな尾根筋が続く形の北方が守りの弱点となっているので、そちらは空堀を掘った曲輪を連ねて防御していたようである。現存している空堀址もかなり深い。この城は秀吉方の池田恒興の猛攻で落城しているわけだが、ここでの時間ロスがなければ秀吉軍別働隊が徳川本隊に追いつかれる前に岡崎城に到着している可能性があり、そうなるとその後の歴史はどう変わっていたか分からないという意味では、歴史の一つの舞台となった城であると言える。

 

 岩崎城の見学を終えると最後の目的地に移動することにする。しかしそれにしても暑い。しばらく車を置いていると帰ってきた時には内部が灼熱地獄になっている。こうなってくるとクーラーボックスに詰め込んだ伊右衛門が命綱となってくる。

 灼熱する車でフーフー言いながら目指したのは豊田市美術館。今回の遠征では最初の訪問地になるはずだったのが、アクシデントで一番最後の訪問地になってしまった。岩崎城からは結構距離があるが、さすがに道は良いのでさして時間もかからずに到着する。

 駐車場に車を入れると美術館へ。ちなみにこの美術館がある場所はかつて挙母城(七州城)という城があった場所。ちなみにこの辺りは今でこそ豊田市などと言う破廉恥な名前にされてしまっているが、元々は挙母市である。挙母城は江戸時代に造られた城で、この地を治めていた内藤氏が、矢作川の氾濫で何度も被害を受けた桜城の代わりに高台のこの地に新たな城を築いたものだという。現在は敷地は美術館や学校になってしまっているので遺構はほとんど残っておらず、復元された隅櫓が乗っかっている石垣が、数少ない当時の遺構だという。

 挙母城隅櫓

 ここで都合、今回の遠征での5カ所目の城郭である。よくよく考えてみると、今回の遠征で回った美術館も5カ所、なんかだんだんと遠征の主旨が曖昧になってきている。

 


「ヤノベケンジ−ウルトラ展」豊田市美術館で6/21まで

 

 美術作家ヤノベケンジの大型作品が集まった展覧会。スチームパンク的感覚のある展示品は面白くはあるのだが、感性としてはありきたりという気がしないでもない。

  

 

 とにかく大型の仕掛けを使った虚仮威しが好きなようで、展示のメインは高圧放電を使用した「ウルトラ−黒い太陽」。1日に何度かパフォーマンスされているのだが、轟音と共に放電が発生する様子は確かにショーとしてはなかなか。最も所詮は遊園地のパビリオンのようなもので、面白くても感銘は受けないが。

 


 大がかりな美術館に大がかりな仕掛け展示。確かにステージにはピッタリのようである。なおこの美術館、トヨタの急激な業績悪化の煽りで、本年度は新規作品購入予算が0になってしまったと聞いている。世の中が不景気になると一番最初に予算がケチられるのが芸術などの分野。今回の日本の不景気は、そもそもトヨタがどさくさ紛れに大量に派遣社員の首を切ったことが発端になっているのだが、当のトヨタは政府に「プリウス減税」をさせて、国に金を使わせることで自分だけは再び儲けようとしているようだ。やっぱり現在の政府はごく一部の大企業のためにあるようだ。この構造を一新しないと、一般庶民はいつまで経っても浮かばれることがない。

 これで今日の予定は終了。後は伊勢湾道、新名神、山陽道などを経由して帰るだけ。伊勢湾道はさすがに新しいのか非常によい道。また三車線で幅が広いせいか、平均速度がかなり速い。何しろ中央の車線を120キロで走る車は「遅い」という状態。追い越し車線を走っている車など、一体何キロ出ているのやら。とにかく私の非力なカローラ2では想像のつかない域である。こちらの道を走ったら感じるのだが、とにかく名古屋の人間は運転が乱暴である。よく大阪の運転は日本で一番乱暴と言われるが、私の目から見れば名古屋の運転の方がよほど滅茶苦茶な気がした。

 また帰宅途中で出くわしたのが「逆走車あり注意」という表示。これにはさすがにびびった。今、高速道路で流行の最先端とも言えるのが逆走車による正面衝突事故。さすがに100キロ近くの速度の車が正面衝突したらまず助からない。念のため走行車線に待避し(逆走車が来るとすれば、十中八九追い越し車線を走ってくる)、大型トラックを露払い代わりにしてついて行った(当然のように、万一そのトラックが正面衝突して転覆しても巻き込まれない距離を開けてだ)。しかし幸いにも逆走車に出くわすことはなく、無事に家まで帰り着くことができたのであった。

 

 

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